はてなキーワード: 全米ライフル協会とは
あらゆる揉め事を当事者に相撲で対決させる事で解決しようとする。
全文は
「 耳が長くてウサギちゃん! 首が長くてキリンさん! ブコメが面白くてaukusoe! 俺だ俺だ! 俺だった!!!」。
初出は2016年。
「キャッチコピーによるブクマカのブランディング」という話題の増田のブコメ欄で披露されたも(https://b.hatena.ne.jp/entry/294268964/comment/aukusoe)。
本人いわく「必殺技」である(https://b.hatena.ne.jp/entry/294498310/comment/aukusoe)。
Googleで途中まで入力するとサジェストが出るくらい定着している。
下記ブコメ以降、全てのブコメの語尾が「セックス」となっている。
ヤフーの建設的コメントAPI対策で文字数を稼いでいるらしい(https://b.hatena.ne.jp/entry/4705810021983448194/comment/baikoku_sensei)。
見たまんま。
猫が好きらしい。
「すきすきー🐈💕」という形の愛情表現のこともある。
元ネタは、おそらく、銃乱射事件などについて銃規制反対派(全米ライフル協会など)が言いがちなセリフ「銃(又はライフル)で武装していれば被害が起きることはなかった」。
ドラクエの特技「いてつくはどう」とダジャレの「寒さ」をかけていると思われる。
いらすとやのイラストをアイコンに設定しているユーザーをチェックしている。
きつい時に発せられる。
本人の年齢(の設定)が6歳。
https://goldhead.hatenablog.com/entry/20101212/p1
https://blog.tinect.jp/?p=70944
最近は他のブクマカがよく使っており、本人は使っていないとのこと。
グラフも作っている。
先に他のブクマカがダジャレを書いている場合にこうブコメする場合がある。
JTのロゴをアイコンにしており、タバコ関係の話題でこのブコメをする。
https://b.hatena.ne.jp/entry/348522683/comment/kash06
「〇〇なブクマカを全て挙げる」というような記事で、自分のidが挙がることを当選、挙がらないことを落選という。
増田で感染者数を予想していたところ、(少なくとも一時期は)妙に当たっていたりして話題となった。
三菱電機のCMのフレーズ、「ニクイねぇ!三菱」が元ネタと思われるが、ブコメの後半はわりと長い。
「(もし男が獣であるならば)獣(である男)は檻に入れておけ」という某ブログの主張が元ネタ(現在はブログ削除済み)。
「〇〇するのはセカンド××。」(元ネタはセカンドレイプか)がこの前に来る場合もある。
タグは「獣は檻にいれとけ」表記だが、ブコメ本文では「獣は檻に入れておけ」の形が多い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705599446602635746/comment/ohchidani
https://b.hatena.ne.jp/entry/4698023467925530498/comment/ohchidani
「顔が怖い」とか「あの芸能人か?(ジャニーズとか芸人」とか言われていたことから、現在のアイコンに変更したらしい。
変更したらしたで「前のが良かった」という声もある。
本人がネタにしてるわけでも頻繁にアイコンを変えるわけでもないが、話題にのぼりがちなので記載。
本人の持ちネタではなく、増田などでこの言い回しがされることが多い。
〇〇とは無関係の話について「マジかよ〇〇最低だな」と言うネタがあり、その派生と思われる。
炎上や弾圧に関する記事へのブコメにおいて、ブコメ本文及びタグでこのように記載されることが多い。
文字通り、投稿日が1年以上前の増田をブクマする時に付されるタグ。
増田は投稿してから数日のうちに最初のブクマが付かないと、それ以降にブクマが付く可能性は高くないが、1年以上経ってから、このタグを付けてブクマしてもらえる可能性が少しだけある。
満たされない性欲で苦しむ人が減ったり、性犯罪の抑止につながるみたいなことだと思う。
設定年齢は4歳なのだが、4歳らしからぬコメントをしてたびたび突っ込まれる。
子持ち既婚の雰囲気もある。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4674593008663551874/comment/togetter
オリジナルは、
「おああーーーっ。あーっ。いけない。いけないやつだこれ。あーいけない。すごい幸せオーラ。光属性。弱点突かれてる。んんっ。死ぬ。死ぬわこれ。ああーっ。もうあかんか。あかんな。闇属性やっぱあかんな。ああーっ」
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/338552466/comment/vlxst1224
「光属性」である幸せな投稿(のろけ等)に精神的ダメージを受けるさまを表す。
b:id:grdgsにidコールしがち
「リベラル」なブクマカが「ジャップ」とブコメするのを批判しがち。
なお、「自称公認コメンテータ」らしい(意味はよく分からない)。
短縮URL(bityl)を使っているので、一見して自ブログかは分からないようになっている。
「〇〇くん」や「〇〇氏」と使い分けがある様子。
女性にAEDをするのはやめておけ、との主張をたびたび批判する。
ttps://www.yutorism.jp/entry/HatenaStarRanking2020
本人が「ストーカー」として認定したユーザーをリスト化している。
「〇〇ならば〜〜である」という主張に関する記事に使われるタグ。
以下の一覧の一部が該当するようだが、誤りもあるらしい。
他のブクマカが「バカ」なことばかりブコメしていると思った時に使われていると思われるタグ。
詳細は不明。
このタグを付けて他のユーザーのブコメをブクマし、当該ブコメを見て非表示設定したことを示すもの。
現時点で677件ある。
本人が重要であるとする「睡眠、運動、瞑想、野菜350g(/日)」のこと。
「運動と瞑想をしない者の末路はいつも悲惨だ。」のような形で用いられることもある。
批判対象の意見等を本人なりに要約する際、末尾が母音の小文字になりがち。
「〇〇じゃないぃぃぃ」「〇〇もぉぉぉぉ」のパターンもある。
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参考
思い出すか他から指摘があれば追加するかも。
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以下の項目を修正
鈴原るるというにじさんじのVtuberが、加害脅迫メッセージが相次いだらしいことで引退した。
だが彼女に限った話ではなく、普通に生身で活動しているタレントも含めた一般論として、理性が怪しい人間に狙われた時にできることは少ないと思わされる出来事だ。
私の好きな芸能人が脅迫されて活動休止したら、最悪の場合実際に被害にあったらと想像すると、色々と考えてしまう。
芸能事務所が責任をもって守るべきだ、みたいな話はあり、ある程度までは私も頷く。
だが鈴原については、しばらく休止して事務所や警察と連携して一度問題を解決したはずがまたメッセージが送られた(鈴原は果たし状と表現しているので詳細は不明)、という状況らしい
こういう、一個一個対処しても次が現れる場合、安全を確保するというのは現実的に困難ではないだろうか。
『法律、権力なんてキマってる人間の前では何の役にも立たない』
突然君の前にガンギマってナイフを持った男が現れたとする。
君は上級国民だ。偉い知り合いがたくさんいるし、ちょっとおおっぴらには言えないようなアブない付き合いもたくさんある。最強弁護士事務所と契約もしている。
だが、今この場にはいない。たくさんいる政治家の知り合いも今まさに迫りくるナイフの前には無力だ。
だが、今この場に警官はいない。いずれ訪れる手錠も留置所もナイフの盾にはならない。
だが、今この場にはいない。たくさんいるヤクザの知り合いも、後から行われる凄惨な報復も今まさに迫りくるナイフの前には無力だ。
この投稿は冗談のオチがつくわけだが、まさか一カ月もたたないうちに真面目な現実としてこれを振り返るとは思わなかった。
後先考えないガンギマりマンに対して、その危険性をほぼゼロにすることはできない。
最強の護衛、しかもトイレなどを考えると女性ボディガードなどを四六時中つければかなりマシだが、金銭コストも生活の不便さも凄いことになるだろう。期間を限ってならばともかく、そうじゃなければ現実的ではない。
また、それでも万が一という不安は付きまとう。
これが日本国に対する脅迫なら「テロには決して屈しない」と宣言し、テロリストが沈黙するまで戦い続け、解決までの間に犠牲者が出てもコラテラルダメージ(仕方のない犠牲)として大義名分は保たれるのだが、芸能事務所がタレントを仕方のない犠牲とするのが許されるわけはない。
まーなんすかね。
芸能人やネット越しの友人がストーキングされたらというのを考えると、無力感みたいなのが凄いっすね。
別に私個人が元々問題を解決させられるとは思わないけど、人間社会の限界みたいな。
全米ライフル協会だったら「こんな時こそ銃武装」って言うのかもしれんけど、先に一発撃たれた方がオワる武器を両方持つようになったら、ターゲットの顔がわかってるストーカー側の方が有利だから逆効果なんだよな。
はてなの人たちはVtuberや芸能人に興味薄いから客観的な意見が聞けるだろうけど、著名人がどこかのガンギマり無敵マンに同時多発的にターゲッティングされた時、安全を十分確保しながら活動することってできると思う?
今回の内容は、一言で表現するならば「論語読みの論語知らず」です。
『映画秘宝』の功績の一つは、マイケル・ムーア監督及び彼の作品を積極的に日本に紹介したことでしょう。これは評価されて良いと思います。私のように『映画秘宝』の記事をきっかけに、マイケル・ムーアの作品と活動を追うようになった人もいるのではないでしょうか。
しかし、マイケル・ムーア作品を紹介した『映画秘宝』自身の振る舞いは、ムーアの姿勢や思想からは懸け離れたものでした。
既に述べましたが、現在のサイズになって以降の『映画秘宝』はスプラッター系ホラー映画、切り株映画を礼賛して「切り株映画は世界の真実を描いている!」と盛んにアジテーションするようになりました。その動きの中で、特に『映画秘宝』が好んで取り上げたのが『悪魔のいけにえ』『食人族』『ホステル』といった「田舎に行ったら襲われた」系の作品群でした。そして、これらの作品群を誌面で紹介する際に町山智浩や高橋ヨシキらが好んで書き添えたのが「非・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たちは『野蛮人』」と云う主張でした。
都市部に生まれ育ち、入学金や授業料が高い有名私立大学に通って高等教育を受けることも可能と云う恵まれた境遇で育った、謂わば「上級国民」である町山智浩や高橋ヨシキらにとって、上記のような階層に属する人間たちは、ただそれだけで「差別(しても許される)階級」でした。そして、切り株映画とは「そのような野蛮人たちは嘲笑され、差別されても仕方が無い」という理由を描いていると云うのが、町山智浩や高橋ヨシキらの主張でした。
一度など『映画秘宝』が発行した切り株映画系出版物が、某県において有害図書指定を受けた際には、それに対する報復行為として「某県では斯斯然然の残虐な殺人事件が起きた!だから某県の住民は野蛮人!」というアジテーションを誌面で行った事もあります。このような彼らの言動は、本質的に朝鮮人差別や部落差別と異ならないと私個人は思います。
さて話をマイケル・ムーア作品に戻しますが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品には、全米ライフル協会、ブッシュ政権・米国共和党、ミリシア等を批判的に取り上げる要素が有りました。しかし同時に、取材対象を少なくとも「同じ人間」「同じアメリカ人」として取り扱うという最低限の良識と理性もマイケル・ムーアには有りました。
それに対して、町山智浩ら『映画秘宝』はマイケル・ムーア作品に登場する「アメリカの非・都市部地域に暮らす人々」を指して「土人たち」呼ばわりし続けました。町山智浩や高橋ヨシキらにとっては、マイケル・ムーア作品も所詮は切り株映画と同じく「アホでマヌケなアメリカ白人」=「被・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たち」を嘲笑の対象として消費する格好の理由を与えてくれる、娯楽作品に過ぎなかったのです。
また『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中では、マリリン・マンソンが「コロンバイン高校銃乱射事件を始めとする無差別銃乱射事件の頻発を引き起すような悪影響を青少年たちに与えた張本人」として槍玉に挙げられ、謂れなき糾弾を受けたという話が出てきます。その事について「君の音楽が彼らの犯行に影響を与えたという主張について、どう思うか?」とマイケル・ムーアから質問されたマリリン・マンソンが、彼自身の口で何を語ったのか。それはこの映画を観て頂くとして、少なくともマリリン・マンソンは「俺は悪くない!悪いのは他のジャンル(例えばギャングスタ・ラップなど)だ!」とは決して言いませんでした。
それに対して『映画秘宝』はどうでしょうか。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上に通報しよう!」と、他人をスケープゴートにしたのでした。
マイケル・ムーアにとっては、たとえ意見や思想が異なろうとも、作品の取材対象である人々は「明日のアメリカを共に築き上げる『同じアメリカ市民』」です。それに対して、町山智浩や高橋ヨシキにとって意見や思想が異なる人間とは「差別しても許される『異人』」に過ぎませんでした。
でも、ひょっとしたら、町山智浩らが心の底で考えていた事は、マイケル・ムーアにバレていたのかも知れません。そんな事を思わせるエピソードが一つ有ります。
ブッシュJr.政権への批判を続けていたマイケル・ムーアが『華氏911』を製作・公開した時のことです。記者会見で、町山智浩はマイケル・ムーアに次のように質問しました。
「ブッシュJr.を政権の座から引きずり下ろす為に、何か僕たち(=町山智浩ら外国人マスメディア)に出来る事は有りませんか?」
マイケル・ムーアは「アメリカ市民を『土人』呼ばわりして人間扱いしない君(=町山智浩や高橋ヨシキ)のような人間に、アメリカの問題を『娯楽』として消費されたくはない」と言いたかったのではないか?この記者会見のやり取りを思い出すと私は、ついそんな想像をしてしまうのです。
恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝』編集者が発した「自分たちは映画を通じて『差別』や『不正』と闘う姿勢を学んできた」と云う主張は、事実とは正反対の完全な虚偽であるという事を示す話でした。