はてなキーワード: ミラクルとは
他の人の感想や批評を目にする前に、見たばかりの自分が感じたことを雑に書き留めておく。雑に。
「君の名は」のような複雑な構造をもたない、テンプレ的な物語を新海なりの作画と演出で見せる映画。
新海誠は自分のことを利口に見られたいタイプかと思ったけれどそうでもなかった。
とくにこじらせている感じもすかした感じもしない少年と少女の恋の物語。
不思議な少女に出会う、その少女の不思議な力を使うことで一時の幸せが訪れ2人は惹かれ合う、
本当にどこにでも転がっているような話。
「君の名は」がヒットしすぎて次回作をゆっくり練っている間もなくて
開き直って小細工なしの王道で勝負しようと新海誠が思ったのかどうか知らないが、
クライマックス、再会を果たした少年と少女が2人で空から落ちていくシーンにはけっこうじんと来るものがあった。
どうやって着地するつもりなんだとはらはらもしたがカメラ変わったら廃ビル屋上の鳥居の前にちゃんと戻されていた。
母親が病気で死んだぐらいしかわからない姉と弟の2人暮らしとか、
誰でも好きに侵入できる廃ビルなんか東京のど真ん中にあんのかよとか、
なぜ晴れ女が人柱になったら雨がやむのかだとか、
とくに説明はされないけど、時間がなかったのかやけくそなのか前作で意図したことがちっとも客に伝わってなかったからなのか、
理由はともかく削ってよかったと思う。
公開前に新海が賛否両論になるといったのは、
帆高と陽菜が雨を止ませることよりも自分たちの幸せを選んだことについてだと思うんだけど、
それはべつに賛否を呼ぶようなことでもないような。
世界を敵に回しても僕は君一人を救うことを選ぶ、みたいなのセカイ系でさんざん見てきたんで
「秒速5センチメートル」でも「君の名は」でもない、
童貞力はそのままに批評の余地もあまりなさそうな頭悪いエンタメに走った新海についてという話なら
それは賛否両論あるだろうなとは思うけれど、自分としては楽しめたからよし。
私は現行政権を支持するわけじゃないし、独裁的だなとも思うけれども、
現行政権に悪の枢軸みたいな呼び名をつけて批判するやり方は同じくらい賛同しづらい。
仮にも一人の人間を憎しみの旗印に仕立て上げて、その憎しみで団結するといった構造になってしまっているからだ。
悪者をやり玉に挙げて賛同者や正義が得られる時代は第二次世界大戦で終わったのだ。
現代でこの行動原理は、テロリストや差別主義者が用いることが多い。
「我々はそうじゃない。単純に今に不満があるだけだ」「正しいことを言うだけで差別主義者とは何たることだ」と言いたい人もいるだろうが、
「アベ政権」という言葉を使っている時点で、まったくフラットな第三者からはそのような裁定を受けてしまうと思ったほうが良い。
何故ならばあなたは「現実→発言」という表現工程を経ているが、相手はあなたが見た現実を見る前にあなたの発言を見ているため、
「ああ、この人は自分の正義のために平然と現実を捻じ曲げて暴力を振るう人なんだな」
例えそんな人間でないとしても、そう見えてしまうような行動になっているので信じてもらえないし、最悪の場合自分で気づいていないだけでそんな人間になってしまっている可能性もある。
【相手は自分のことを全く知らない状態でその発言を見るので、実像とは関係なく、その発言の言葉遣いやワードチョイスで人間性を判定される】
と思ったほうが良い。
具体的には批判対象の悪さを強調するような表現は避け、なるべく機械的な文章をこころがけるべきだ。
そもそも「アベ政権は悪い!」という主張自体も非常に違和感がある。
市民にとって一番の問題の本質は、「安倍政権がトップに居ること」ではなく「政策」であって、
「政策」が変わってくれればトップに座っているのは最悪誰でも良いからだ。
身もふたもないことを言えば市民が一番望んでいるのは「安倍内閣が急に全部の問題を解決しちゃうこと」、若者からすれば「安倍内閣が急に心変わりして若者向けの政策を推し進めること」である。
しかし、そんなスーパーミラクルが起こるわけがないことは重々承知しているので変わりの政党を探したりしているのだ。
なので、本当に主張すべきは「何を問題に感じているのか」「どのように解決するのか」「どれぐらい本気なのか」という超当たり前のことだけだ。
これをわかりやすく主張するだけで良い。
しかし、人間は完璧ではないのでわかりやすく主張するためにわかりやすい単語を選んでしまいがちだ。
「このような問題があります。我々はそれをこのように解決するつもりです。だから我々を与党に!アベ政権を倒せ!」
主張がとっちらかっているのだ。
「問題を解決したい」と「与党になりたい」と「現行政権を倒したい」と主張が3つもある。
相手の発言を鵜呑みにせず自分で考える人の場合、先程書いた「受け手は発言を先に見て人間を判断する」という点にも通じてくるが、
そうすると「与党になりたい」と「現行政権を倒したい」といった主張が非常にノイズになってくる。
これらは具体的な政治的ビジョンに欠けた「願望」でしかないからだ。
それらを強く押し出してしまうと、いくら本気で社会問題に相対していても、単なる人気取りや具体性に欠けた理想を言うだけの人に見えてしまう。
また、「誰かを倒したら問題が解決する」というものすごく単純な考え方にも捉えることが出来てしまうので、わかりやすい解決方法に頼る危険な奴にも見えてしまう。
誰も批判せず、自分たちが何を問題点にしているのかだけを訴えかけてくる。
これは非常に好印象だ。
具体性もあり、非常に真摯に感じる。
まあ公明党は母体がアレなので支持するかどうかで言われると微妙なのだが…
最後になるが、私は選挙では立憲か国民、れいわ維新のどれかに投票するだろう。
そして、それを口に出すことは絶対にない。
なぜなら相手を相手を悪魔呼ばわりして団結するような行為はお世辞にもまともとは言い難いし、それを公に肯定する行為が嫌だからだ。
アニメそのものも面白かったけど、Twitterでのファン同士の交流がお祭り騒ぎで楽しかったなぁ。昔の漫画が原作だけどファン層がやや若めなせいか、皆元気だし発想が奇想天外なので愉快なTLだった。
ともあれアニメ『どろろ』本体の感想などを気がはやいけどつらつら書いとく。
あ、ちなみに私のスペックはというと、原作未履修のまま生き長らえてしまった、最近はあまりアニメに熱烈にハマれなくなっていたオタクを自称するのは気が引けるほどの者。『どろろ』を見始める前に履修したのは『BANANAFISH』で、もう当分こんな悲劇的な作風はいいや、と言った舌の根も乾かないうちにどろろ沼に転落した。なお『どろろ』原作はアニメ前半期が終わるくらいにやっと履修。
では以下感想。
・タイトルは『どろろ』なのだがとかく目を惹かれてしまうのは百鬼丸である。なんせ顔がいい。
・初期の頃の百鬼丸は表情がまるでないのだけど、カメラワークによっては、うるさくまとわりつくどろろにすごく迷惑そうにしているような表情に見えるのがツボだった。単に角度の問題で実際そんなに迷惑してるのかどうか分かんないところが良い。
・百鬼丸が身体のパーツをあちこち奪われた重度の身体障害者であるという設定が、このアニメではリアルに描写されててよかった。身体のパーツを取り戻して当人が感じるのは喜びだけじゃなくて戸惑いや煩わしさもある(むしろ喜びよりそっちの方がフォーカスされがち)という描写がいい。耳を取り戻す瞬間子供みたいに地団駄踏んでたのが印象的。
・特に耳を取り戻したら世界に溢れる音が煩すぎて知恵熱出しちゃうとこがよかった。
・百鬼丸が身体を取り戻す度に、百鬼丸は視聴者が思ってた以上に何も出来ないし何も知らない・分からない赤ちゃんであるというのが発覚していくのが面白い。しかし、発覚するごとに「あっ、なんかごめん……」と一視聴者は百鬼丸に謝罪がしたくなるのであった。
・百鬼丸が16歳の赤ちゃんだと発覚してからは、彼が徐々に成長をしていく様に一々感動してた。つい自分の子供を見守るような目線で見てしまった。
・前半期でいちばん気に入ってるのが『守子唄の巻 上・下』。そのストーリーの悲劇性もさることながら、最初から最後までテンポよくタイトにまとまっていて、とてもよい良い。
・ということにことのほか感動してしまうのは何故かというと、アニメ『どろろ』、全体的に面白いんだけど変にテンポが悪くてかったるい印象があるのが否めないからなのである。90年代後半のロードムービー系アニメの雰囲気がうっすらとあって若干時代遅れな印象も。
・アートと娯楽の境目を綱渡りで進んでいてたまに足を踏み外して落っこちている、そんな感じのアニメ『どろろ』の全体印象である。
・百鬼丸から見れば敵サイドである弟・多宝丸が物凄く良い子に描かれていて好感度高いところが良い。そんな良い子が悲劇に巻き込まれていく鬼畜な脚本とシリーズ構成さいこう。
・今までアニメを観るのに監督には注目したことはあっても脚本家に注目したことはなかったのだけれど、小林靖子という脚本家に期待と信頼を寄せるようになってしまった。
・確かアニメ開始直後くらいは監督が例のあの人なのでどうせ地獄み溢れる展開になるとか、少し経つとどうせミオは梅毒で死ぬんでしょとか噂されていたが、結局、監督が例のあの人だからどうということはなかったような気がする。ま、ミオが梅毒で死ななかった代わりに他のキャラが疫病にかかって大変なことになったのだが。やっぱり監督の持ちネタなの?
・悲劇の全ては小林靖子様のせいに違いないと思ってごめんなさい。そんなことはないよね、常識的に考えて。
・琵琶丸カッコいい。
・どろろがコロコロと丸っこくてとても可愛いのだが、後半期にどろろの身体が実はガリガリに痩せ細っていることが発覚してヒィッてなる。あんまり食えてない設定なので当たり前なのだが、しかし、あの顔の丸さ加減はお肉ではなく頭蓋骨そのものの丸みだったのか……そんな……。
・醍醐夫妻の毒親っぷりに真面目に憤ってしまった。空想上の人物にそんなに真剣にプンスカしても仕方なくない?と思いつつも、つい。あの二人には天誅が下って欲しいと、いまだに思っている。
・やたら母性というものにフォーカスの当たる本作。正直、今時それ?と最初は思ったんだが、登場する母親や母親役のキャラが皆それぞれ人として未熟な部分があり葛藤を抱えているので、OKです。超絶母性愛で全てをミラクル解決するような話ではなくてよかった。
・登場人物がそれぞれ目の前にしている相手に勝手に理想を見出だしているような描写がちょくちょくあるのがグッときた。例えばミオから百鬼丸、おかかちゃんからどろろ、など。相手の虚像に癒されてんだな……。
・どろろが百鬼丸にかなり雑に扱われているのにも関わらず、それでも必死に彼についていく理由が、よくわからなくはある。
・親とはぐれた子犬や子猫が通りすがりの人間に必死についていくのと似たような心理なのだろうか。
・どろろと百鬼丸の絆が深まっていくのを描写するのには、24話では尺が足りないのではないかと思う。
・鈴木拡樹は天才だ!絶叫の演技が特に良い。「地獄変の巻」で背骨を取り戻すシーンなど秀逸だ。
・後半期でいちばん何度も観てしまったのが「地獄変の巻」。演出家の個性なのか単に制作時間と人手の欠乏かなのかわからないが、異彩を放ちまくりの画面に目を奪われてしまった。この話を担当した演出家が総監督する『どろろ』を観てみたい。ただしちゃんと制作費をかけて。そしたら私も微量ながらお金払うし!
・後半期の膝から崩れ落ちるようなあのOPは一体なんなの。曲そのものはいいと思うけど内容と全然合ってないじゃないか。原作漫画をそっくりそのままアニメ化したもののOPというなら納得するんだけど。アジカンにどういうオーダーしたらこうなるんだ。
・そんなOP曲に映像を作ったスタッフもびっくりしたらしいが、いい感じの動画にまとめてくれて一視聴者としては感謝しかない。
・でも『鬼滅の刃』なんか観ると羨ましくなってしまうよなぁ。こんないいOPつけてもらってていいなぁ、と。
・『天邪鬼の巻』は楽しかった。おこわちゃん可愛い。普通ああいうポジションのキャラって性悪に描かれがちだと思うけど、おこわちゃんはしっかり者の良い子で素敵だった。
・『鵺の巻』の上げ落としが酷い(誉め言葉)。中々懲りない百鬼丸ェ。
・身体のパーツを取り戻していき、喋れるようになって感情を表現出来るようになっていった百鬼丸だが、実は優しい顔に反して内面はもしかして結構、うん、性格悪い?将来ものっそいDV男になりそう。そんな危うい奴だったことが判明していくのがつらい。近距離にいるどろろがモロに精神にダメージ喰らってるのがとても可哀想。まだ子供なのに……。
・社会的弱者なKKOに同情出来るか問題の様相を呈してきた。なんて現代的で重いテーマなんだ。
・多宝丸と陸奥・兵庫の絆がグッとくる。なのにあんなことになっちまって……。
・百鬼丸と多宝丸の兄弟対決は、もはや和解の道が全然見えなくてしんどい。が、うまく和解したらしたでそれはぬるすぎる展開なのではないかと思ってしまう。
・百鬼丸が身体のパーツを取り戻すことの是非については、私個人としては、一度きりの人生なんだし他人とかどうでもいいから取り戻せば?と思う。どうせ死んだら人から恨まれようが関係なくなるんだし。
と、こんな感じの感想。
最終回、何とか色々片付いて百鬼丸とどろろには幸せになって欲しい気持ちもあるが、そうなってはぬるいという気もする。
しかし百鬼丸がコロッと死んだり重い業を背負って生きてくというのもなんか違う気がするしな。
ともあれ、今夜の最終回を心して待つことにする。
すでに被害は受けてるぞ。痴漢でもないのに車両から排除されてる。
痴漢でないなら排除する必要もないので、あれもうっすら冤罪といってもいいだろうよ。
それなのに
女性が憤る痴漢行為への憤りは「実際に受けた被害者」としての立場 (特にエキサイトしている人の中に、被害を受けた人間はかなり多いと予想)
これが全く証明されてない。
はっきり言って、でっち上げor「真面目にやる気がない」かのどっちかとしか思えない。
もし何らかのミラクルで「痴漢冤罪」の問題が解決したとして、じゃあ問題の解決した男性が痴漢撲滅に協力してくれるとしたら、
そんなことはないのだろうな、という感は否めない
これは期待するほうが間違ってる。
「無実無関係の人間をノーコストで動員できる、その資格がある」というのは自称被害者の思い上がり。
「痴漢冤罪に巻き込まれる可能性」に憤るのは当然だと思うが、被害の訴えに対して「冤罪じゃないのか」という方向に揶揄するのは違うんじゃないか?
「証言だけで逮捕・拘留・起訴」というのはそういう疑念を抱かせる土壌。
そもそも自力救済自体が法を重んじない無法者の発想なのだが...
オフィスでもどこでも冤罪は起こりうる。「女性の証言だけで逮捕・拘留・起訴」という現状がある限り。
そもそもの「犯罪が関わった可能性に対して、社会的なリカバリの効きにくさ」も問題に見える (冤罪だったのでハイおしまいになりにくい)
「冤罪だった(でっち上げ、誤認双方)」場合に対して冤罪加害者が責任を取らなさすぎる。
これまでの努力や将来設計を水泡に帰す恐ろしいインシデントを起こしておいて、「私は被害者、真犯人を怨め」って言って済むわけがない。
録画しといた徹子の部屋みた。徹子がミラクルライト振ってるだけで笑うwww pic.twitter.com/REkn5hLcdH— しのぶちゃん (@yowo_shinobu) 2019年3月15日