はてなキーワード: イントネーションとは
「『チキンマックナゲット』に異物が混入」、「日本マクドナルドが380億円の大赤字」「時給を1500円以上に上げるべきだというデモ」など、各メディアを通じて批判的な内容のニュースばかり流れている。しかしあえて言いたい。みんなマクドナルドの悪いところばかり見ているのではないかと。
ぼくをここまで育ててくれたのは、マクドナルドのおかげと言っても過言ではない。小さい頃、ハッピーセットを買ってもらえるだけで嬉しかった。CMを見るだけですごくワクワクした。土曜日の午前授業が終わり、家に帰ると父親がたまにバリューセットを買ってきていることがあった。少年野球チームに所属していた際、試合後ごく稀に監督がマクドナルドをみんなにおごってくれた。どれもたまらなく嬉しかった。あの頃の気持ち、みんな忘れているんではなかろうか。ぼくはマクドナルドに対して悪い思い出や印象がほとんどない。マクドナルドはぼくにとって特別なものなのである。
ということで、今日は皆にマクドナルドの良さを再確認していただきたく思い、マクドナルドの良いところだけを書いていく。恋人の悪いところだけ見えてしまって、別れた後に後悔するような、そんな思いはしてほしくないのだ。
ラーメン、オムライス、カツ丼、焼肉……。どんな料理でさえ、「出来立て」は美味いのである。注文を受けてから作ってくれるハンバーガーなどに加え、ポテトなどのあらかじめ準備してあるものでさえ「出来立てをもらえますか」と言えば文句なく対応してくれる。
これぞ「ファーストフード」。時間のない現代人にとっては、注文したものを待つ時間でさえ惜しいものである。「60秒以内に商品が提供できないとハンバーガー無料券がもらえる」というキャンペーンを実施したほどのスピーディーさだ。レジに人が並んでいてもすぐに順番が回ってくることも嬉しい。
昔に比べると多少の値上がりはあったものの、未だにハンバーガーやチキンクリスプなどは「100円」で食べる事ができる。貧乏学生や、パチンコや風俗などでお金を使いすぎた社会人にとっても嬉しい価格設定だ。コンビニでハンバーガーを買うと大体200円前後することに比べると、大変良心的と言えるだろう。
冒頭でも述べた通り、子供の頃親に連れて行ってもらった時や部活の帰り道に友達と食べた時の思い出など、過去を思い返してみるとマクドナルドで培った思い出は日本人ならば誰しもあると思う。そんな過去に浸ることも出来るのがマクドナルドなのだ。
マクドナルドは主要都市の駅前にあることが多いので、友人との待ち合わせ場所に最適である。「渋谷のハチ公」などの誰もが知る有名待ち合わせ場所がない限り、「マックの前」というキーワードは大変便利なのである。
関西と関東は文化が異なるとよく言われるが、マクドナルドもその例である。自分が関東生まれの場合は「マック」と呼ぶのが通例だが、関西生まれは「マクド」と言う。この「マックとマクド」の話のネタだけで、初めての関東と関西の異文化交流が盛り上がるのだ。
マクドナルドは他の飲食店に比べ、融通が効くことが多い。ポテトを買うと、ケチャップが貰えたり、水もタダで貰える。ポテトの塩を多めにして言えば、喜んで対応をしてくれる。ピクルスだって取ってくれるのだ。
「マック」と「Mac」。イントネーションも一緒だ。最新の技術を搭載したPCと名前が似ているということは、マック側からしたらなにも悪いことではないだろう。いい宣伝効果にもなるかもしれない。マックが新商品として「リンゴバーガー」なるものを発表したら、かなりの話題になると思う。でもなぜだか、Macユーザーはマックを利用することが少ない。スタバなんて一文字も被っていないのに。
他のレストランなどに行くと、どれを食べたら良いのか分からなく悩んでしまうことあるだろう。しかしマクドナルドのメニューは昔からレギュラーメニューの変化はそこまでないので、自然に何を注文するかがある程度頭に入っているのだ。ちなみにぼくは「チーズバーガー2つとダブルチーズバーガー」である。この何年も変わっていない。
「マクドナルドは体に悪いもの」というイメージが自然に頭の中にあることにより、例えば昼食にマクドナルドを食べることがあれば、「夕食は野菜を多く摂取しよう」という気持ちが増加するのである。その結果、「マクドナルドを食べると健康になる」という理論があってもおかしくない。
10個の「マクドナルド」の良いところを並べてみた。マクドナルドの良いところは人によって異なるので、皆もよく考えてくれると嬉しい。織田裕二主演の映画で「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」という名セリフがある。これを置き換えて考えると良いかもしれない。
「弱いものイジメはカッコ悪い!」と正義感を振りかざす、心が綺麗なイケメンになった気持ちで、モスバーガーの席に座り美味しいハンバーガーを食べながら書いてみた。
外国人に対してはおそらく他の人より好きだな方だと思うし、友好的に接したい。
しかし何かしらの契約や説明を受ける時は日本人にしてもらいたい。
日本語ペラペラでもイントネーションが微妙に変だと会話に集中できない。
電話口ならまだしも、面と向かってだと日本人に変わって下さいとも言いづらい。
そういう人はだいたい感じがいい人が多いから余計に言えない。
好きになってしまった。
きまずくなるの解ってたのにね。
美人なのに表情くずれるくらい
ケラケラと明るく笑う所も、
ジャズとか聴いてそうなのに、
ビジュアル系が好きな所も、
誰にでもちゃんと優しくて、
仕事も手を抜かない所も、
めちゃくちゃお酒が強くて、
ビールとお肉に目が無い所も、
先週の金曜日のさし飲みの時、
クラフトビールのグラスを3杯開けた後に
「○○さん、関西の方でしたっけ?」
って聞いてみたら
「あ、方言出てた?うち仲良くなると、
なんか出ちゃうんよね。
やっぱこっちの方が落ち着くわ。」
なんてね。もうね。無理すよ。
そりゃ、行って良いってサインだと思うでしょ?
お店出て、勇気出して
手を握ってみたら特に嫌がらないの。
俺は勝ったと思ったわけですよ。
で、
って誘ったら、
少しがっかりしたけど、
でも、またスグに飲もうって言ってくれた。
良かった。嫌われてないや。
あとでLINE送ったら返事が帰って来た。
明日の先輩の顔を見れるのが楽しみで、
一足早い春はもうそこまでやって来てる。
仕事で企画していたプロジェクトが一応完了して、今日は久しぶりに一日家でのんびりした。
やったことは甲子園を見ながらwikipediaをダラダラ見ること。
「死語」という項目がある。「チョベリバ」とかじゃなく、かつて使用されていたものの今では話者や筆記するものがいなくなった言語のことだ。
「ヒッタイト語」とか「フリュギア語」とかかつて存在した国家とそこで使われ、今はない言語を見ていく。
言語の中には系統が不明のものがあったり、文字が未解読のものがあったり様々な謎が提示されていて読んでいて飽きない。
一体どんなイントネーションで、どんな単語が、どんな風に語られていたのだろうか? と考える。
かつて多くの人の間でコミュニケーション手段として用いられていた言語を、最後に話していた人は、
一体どんな人間でどういう人生を送ったのだろうか? なんてことも考える。
古い言語が再現されたり、現代にも僅かに用いられていることが解ったりするのも興味深い。
今使っている日本語も、数千年後も話す人がいなくなるかもしれない。
少なくとも今の言葉から大きく変わっていくことは想像に難くない。とも考える。
解らないことだらけの何千年前かの遥か昔。
今は科学が発展していて、生活水準も向上しかなり色々わかる時代になったと思うけど、
数千年後の人間にとっては私たちは古代を生きる人間なのだろう。
と柄にもなくロマンに浸ることができた。
最後になってしまって恐縮だが、増田諸賢のおすすめwikipedia記事を教えていただければ幸甚である。
「人によって引き起こされた核爆発以外の大爆発一覧」なんかは既に読んでいるからな。
http://s.news.mynavi.jp/news/2014/06/16/013/
この記事の漫画を読んだら涙が出た。
2年前の夏、ああもう2年も前なのか、友人から
とメールが来た。
わたしは当時猫カフェにはまっていて、週2ぐらいの頻度でFacebookに猫カフェの写真をアップしていた。
それで連絡をくれたらしい。
それまで実家で犬を飼った経験しかなく、一人暮らしのアパートで猫を飼うことができるのか一晩考えて、引き取ることに決めた。
嘘みたいに小さな、サバ柄の三毛の子猫が、ぴーぴーぴーぴーと鳴いていた。
なんでも、幹線道路沿いの交通量の非常に多い道端で、きょうだいらしき別の子猫の死骸のそばを離れずに鳴き続けていたらしい。
母猫とおぼしき猫は近くには見当たらなかったという。
帰りの車中でも、ずっとぴーぴー鳴いていた。
家に着き、準備していたケージの中に入れた。
エサと水、子猫用のミルク、猫砂を入れたトレイ、すっぽり身を隠せる小さな段ボール箱、鈴のついたおもちゃ。
彼女は少しだけミルクをなめると、段ボールに身を埋めてこんこんと眠り始めた。
夏の西日の差す部屋だったから、日中の室内を適温に保つため、省エネタイプのエアコンを買った。
まるで、それまでの苦難や悲しみをリセットしようとでもしているかのようだ、とわたしは勝手にセンチメンタルな想像をした。
やがて日が落ち、夜になり、うとうとしてはっと目が覚めると、猫砂にびしゃびしゃのうんちがかかっていた。
エサと水とミルクを新しいものに交換して、うんちを片づけ、わたしは床に就いた。
翌日も変わらず。
嫌がるのをつかまえて無理矢理シャンプーをした。
拾い主が動物病院に連れて行って一通り検査をしてくれたそうだが、わたしも一応近くの病院に連れて行った。
ケージの側面に足をかけ、ぐいぐいとよじ登る。
ケージの扉を開けてみると、彼女は実に頓着なくケージの外に出た。
ようこそ、我が家へ。
帰宅したとき、彼女はベッドのシーツに潜り込んでいるか、クローゼットに置いている旅行かばんの中にいるか、どちらかだった。
わたしがリビングでうたた寝していたら近くに寄ってきて、身を寄せ、当たり前のようにそこに寝転がった。
偶然かもしれないけれど、名前を呼ぶと同じイントネーションで「にゃにゃにゃ」と返事をしてくれた。ような気がした。
次の日からは名前にはっきりと反応を示すようになったから、やっぱり返事をしてくれたのかもしれない、と感じた。
わたしがトイレに入ると、扉と床の隙間から、真っ白な前肢を差し入れてシャカシャカと動かすのが、愛おしくて仕方なかった。
風呂に入るとガラス戸の前でぴーぴー鳴くので少し扉を開けてやると、するりと浴室に入ってくる。
浴槽のふちに座り、わたしをじっと見つめていた。
しっぽはいつも濡れていたけれど、それは特に気にしないみたいだった。
また涙が出てきた。
続きは明日書く。
関西弁話者は、経験的に言って自分の使う方言を主に使う。それが他の方言話者であろうと関西弁。共通語話者であろうと関西弁。国会などでは抑えられがちだが、イントネーションを隠そうともせず関西出身アピールが著しい。「郷に入りては郷に従え」というが、関西弁話者にそれは通用しない。
他方、それ以外の方言話者は基本的に自分たちの方言を使うときは自分たちの地方だけで使う。東京に来れば基本共通語であり、今となっては地元にいてもだいたいは共通語である。
以上のことから、関西弁話者はそれ以外に対して侵略的であることが、明らかである。
クマゼミといえば西日本でよく鳴くセミだが、最近は勢力を東へと広げている。アルゼンチンアリも東日本へと勢力を拡大させている。これは関西弁もまた、東日本へと勢力を拡大させるだろうことの、十分な証拠である。
これこそが恐ろしいことである。関西弁話者と話すと、まずイントネーションを支配される。共通語を使っているのに、なぜかイントネーションがぎこちなくなる。次に、アクセントが支配される。そして、ボキャブラリも関西弁特有のものとなる。こうやって徐々に関西弁話者は、関西弁を共通語としての地位を確立させようと画策しているのである。関西弁と話した人間は、しばらくそれが抜けないため、判断は容易であるが、回復は時間経過のみでなされる。
それに対して我々が講じうる策は、残念ながらない。我々は侵略される側でありながら抵抗するすべもなく、関西弁を話す傀儡へと遂げるのである。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/06/01/kiji/K20140601008278820.html
関西を舞台に長く放送作家を務めた百田氏は「大阪ではね、強調ために『ド』とか『クソ』を付けるクセがあるんですよ」とし、今回の件を「単なるギャグ」と説明。“問題発言”の後「入った泥棒も、あんまりかわいそうやから、小遣いでも置いていこうか。そういう国や」と言い「(会場は)ドッと笑ったんですけどね。(記事に)書くんだったら、そこまで書けよ、と」
その証拠に、関東には流れない大阪・読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」(日曜後1・30)で1年前にも同じ話をしたが、何のクレームもなかったという。
MCの東野幸治(46)が「バヌアツやナウルの国の人たちが聞いたら、悲しい思いをする、配慮が足りなかったかなとは思わないんですか?」と水を向けると、百田氏は「うーん、でも事実でしょ」とキッパリ。「謝る気はないですか?」には「うーん、これは例え話やからね」と答えた。
“問題発言”も「撤回しませんね、当然です」としたが「『クソ』は撤回してもいいかな」と“譲歩”した。
コメンテーターの「ダウンタウン」松本人志(50)は番組の準レギュラー・百田氏について「言ってることの大枠は間違ってはいない。ただ、伝え方がぞんざいというか…」とフォローした。
上記引用文を読めば明らかであるが、大阪ローカルの番組でクレームが出ないということは、その関西弁話者も差別的思想に染まっている可能性があり、これは百田個人の問題ではなく、関西弁話者共通の性質として考慮されるべき問題なのである。
関西弁が侵略的外来種であり、その話者がキャリアーであることは、これまでで明らかになった。当然だが、悪いのは侵略的な関西弁であり、話者ではない。
地域性豊かな方言を守ることは多様性の上で急務であるから、その一歩として、まずは関西弁を侵略的外来種として登録することで、その話者に関西弁の使用を控えていただくことが望ましい。
我々としても、自分たちの郷土の言葉を大事にし、地元ではたくさん郷土の言葉を使うことで、ふるさとの言葉の保全に貢献しようではないか。
津田大介と岡田惠和がどちらも自分のラジオ番組を持っていて、たまに聞くことがあるんだが、両者に共通する
話し方の癖があってすごく気になる。
自分の言葉で語ってるときは出ないのだけど、台本を読むときだけ、イントネーションが妙に幼児っぽくなる。
「今日のゲストは、三年前の、なんとかというドラマで、主人公を演じていた、俳優の、なんとかさんで、」
という文章の読点の前(は、の、で、のところ)にいちいち強いアクセントを持ってきて、ぶちぶちと文章を区切り
ながら間をあけ間をあけ読んでいる。
津田大介も番組のテーマとか台本に書かれたものを読む時だけこういう話し方になる。
まるで幼稚園児が先生に渡された手本の文章をたどたどしく読んでるかのようで、いい大人がこれやってるのは
かなり幼い印象。
もしかして、最近の男性の幼稚化の兆候とかだったりしないだろうか。
まあまだこの2人でしか確認できてない兆候なわけだけども。
ネイティブとは程遠い、日本イントネーションばりばりな英語だけど
それでも通じてるからすごい。それ見せてそれぐらいでいいんだよって教えてやって。
塾で英語教えてるんだけど、発音良くしようとするのが恥ずかしいって空気がやばい。
いま自分でも英語やってて、特に発音とイントネーションの大事さが身にしみてるだけに、13とか14のうちでそんな発音意識じゃヤバイぞ!って感じなんだよ。
自分が通ってきて激しく後悔しているだけに。
どうにかしてわざと日本語っぽく読むのを辞めてもらいたい。一旦癖ついちゃったことを忘れて矯正するのがどんだけ大変か!
ってなことを言ってるんだけど、いまいち響かないっぽいのと、やっぱり恥ずかしさには勝てなくて、から回ってる。
ネイティブではない自分が発音やイントネーションといった所で…なのかもしれないけど。
所詮一バイトだし、苦労するってわかってても放ったらかしとくのもありかもしれないけど、今苦労してるだけに、とてもできないわ……。
このくらいの年の子どもなら、センスのあるやつなら、かなりいいレベルまで発音もイントネーションもできるようになるから、歯がゆくて仕方ない。
昨日某所で他人が話している時の様子を見て、自分も気をつけなきゃな…
と気づいた点があったので記録しておく。
一言に「オタクっぽい話し方」っと言ったらアニメとかゲームとか2chとか、そういった
マニアックな話題を好むという印象が多いように思う。
けど実際は話題の方はそれほど重要じゃなくて、
が大切じゃないかなあと思った。
どれも基本的な事だけど、その基本的な事をきちんと理解できてないから失敗するわけで。