はてなキーワード: アルファベットとは
頭文字4文字 → 繋げて読める場合は単語風に読む。読めない場合はアルファベットそのまま読む。
らしいよ(今調べたらウィキペディアにも載ってんだね https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%96%87%E5%AD%97%E9%A0%AD%E5%AD%97%E8%AA%9E)。
後者はNASAとかSWATとかは繋げて読むけど、IAEAとかIEEEとかは繋げて読まない。
時々当てはまらない(オレゴンでMAX(Metropolitan Area Express) ライトレールに乗ったとき現地人が「マックス」って発音していた)けど、概ねこのルールなんだと思う。
なろう系のテンプレが本当にテンプレ通りなのか知りたい気持ちがあったので、Twitterの広告で紹介されてるコミカライズのやつ、だいたいなろうが原作だから、なろうの原作を読んでみた感想と傾向を淡々と書いてみる。
いわゆる「ととモノ」というか、すべての作品が剣!魔法!冒険!みたいなファンタジーだった。ちょっと前までは禁書から始まり魔法科やら禁呪詠唱やら、現代か近未来の日本が舞台だったしアニメもそんな感じの学園モノばっかりだったけど、今のトレンドはずっと異世界だった。
なろう系といえば意世界転生だけど、意外と主人公は転生しない。召喚はあるけど。最初から異世界の住人が結構多い。
これは読んだ作品のすべてに当てはまった。バリエーションはあるけどパーティ内とか国とかで冷遇されてる。でも実は超すごいスキルの持ち主だった、っていう流れが確かに王道になってる。最近思うんだけど、さすおにや右手の人も「実はスゲー能力を持ってるけど学校のなかじゃ成績最下位」っていう立ち位置だけどそもそもなんであいつらそんな学校に入学したんだろう。そばアレルギーのひとがそば打ちの専門学校に行くようなもんじゃね。
これはたまにある。勇者は「神様のきまぐれで選ばれただけのただ一般人」的な扱いで増長してゲスな性格の方々が多く、主人公を冷遇するもんだから他のメンバーもそれに同調してゲス化して冷遇する。そしてたいてい死ぬ(後述)
これもたまにある。魔装機神みたいに国王に高い魔力だか人徳だか英知が求められているわけではないしそんなのあっても作劇的にしょうがなさそうなので、勇者や他のゲス王族の傀儡として登場するからたいていゲス。そして死ぬ。ゲスは死ぬ(後述)
ハーレム専門家の立花オミナ先生の意見がほしいけど、とりあえず男1にたいして女3以上がハーレムとしてしっくりくると思うが、ヒロインに相当する人物は一人か二人だった。
いない場合もあるけど、とりあえず異世界なのをアピールしたいのだろう。たいていケモミミヒロインがいて、彼女らの種族はひとくくりに「亜人」と呼ばれがち。エルフは意外と出ない。ダークエルフはもっと出ない。何の獣かは結構ばらつきがある。
これもゲーマーな方々向けの配慮だろうけど、アルファベットのランクなだけのこともあれば細かくパラメーターが設定されてることもあり、登場人物(主人公)もたいていスキルでステータスを知ることができるようになってる。でもあんまり細かくパラメーターが設定されても読まないし読んでなくても理解できる親切設計である。
最初に読者を苛つかせて、あとでスカッとさせる。2chでも使われた伝統芸能の一種だけども、なろうでもよく使われる。小説が100P更新されていたとして、たいてい10-20Pの序盤で主人公を虐げてきたゲスが主に主人公に制裁を受けるかたちで死ぬので、割と早めにカタルシスは解放される。つまりそこまで読んで満足しちゃえばたいていのなろうは攻略出来るのだ。本やアニメのような区切りがあって、1冊もしくは1話読んだらもういいかなって区切りがなろうにもある。逆に言えば区切らせないような展開にすれば続きが読みたくなるんだね。
そうして放課後。
俺は足早に家に帰ると、すぐさま自分の部屋に向かった。
パソコンで“M”について調べるためだ。
「……ギリシャ文字?」
ひらがな、カタカナ、アルファベットなど、色々と変えて検索してみたけどカスりもしなかった。
なんだよ、最近の検索機能はすごいって話を聞くけど、全然そんなことないじゃないか。
それどころか段々と脇道に逸れていき、求めていない知識ばかり増えていく。
「へえー、M表記ってこんなにたくさんあるんだなあ」
同時に、俺の中で“M”に対する興味も薄まっていくようだった。
なるほど、誰も足取りをつかめないわけだ。
正直、“M”がネットにいるのかすら怪しいと思えてくる。
「珍しいな、お前がパソコンで調べ物とは」
俺はそれに気づかないほど熱中していたらしい。
「1024×1024……算数の予習か?」
「違うよ。“M”っていうインフルエンザのこと調べてるんだ」
我ながら意味不明なことを言っていたと思う。
「インフルエンザって、そんな型があったのか? というか、それで何で算数の計算……はーん、なるほどな」
それでもさすが兄弟というべきか、すぐに状況を察したようだった。
「代われ。こういうのを調べる時はコツがあるんだ」
兄貴がパソコンを使い始めると、たちまち画面にそれらしい情報が並ぶ。
俺が1時間近くやっても出なかったのに、人が違えば1分もかからないのか。
「おおー、すげえ」
「いや、関連するキーワードを複数検索しただけだぞ。パソコンの授業とかで習わなかったのか?」
「トランプゲームしかやらねえもん。テストも宿題もないような科目を真面目にやる気しないし」
まあ、こういうことになるなら、ちゃんと勉強すべきだったと思わなくもないけど。
「とりあえず、そうだな……騒ぎの発端になった、『Mの告白』とやらを読んでみるか」
『Mの告白』はざっくりといえば、こんな感じだ。
“M”は『ラボハテ』の関係者であることを自称し、社内での事情を色々と羅列している。
とにかく『ラボハテ』には様々な問題がある、ということが伝わってくる内容だ。
「お前、マジで言ってんのか。こんな怪文書をよく鵜呑みにできるな」
「え? かいぶんしょ?」
「お前には説明する気も起きない。餅を食べない人間に、餅が危険な食べ物だと分からせるために原材料から解説するようなものだ」
「はあ?」
その日は結局、兄貴が意味不明な例えをして“M”の話は終わりとなった。
「ますます分からん。こんな内容で、何であそこまで騒ぎになってんだ」
「……“インフルエンザ”じゃなくて、“インフルエンサー”な」
タピオカミルクティーの最後飲み干す寸前の残ったタピオカをずずずっぼぼぼっと吸っていいものか迷います。
お友だちと街に出たとき、
タピオカ飲みたい~と言うので私も便乗して、
タピオカ屋さんについて行ったんだけど、
そのお店は食券制で、
へーなるほどねーっていろいろメニューがあって見てたのね。
私必殺技があるのよ!
先に頼んで飲んでてって言って戻ってきたら、
ぜんぜんタピオカじゃないなんかモコモコの生クリームがのりに乗った井戸田さんもお惣菜の名前を大声で言ってる場合じゃないぐらい甘~いやつ飲んでたのね。
私はタピオカ大盛りにして
問題なく食券機のタピオカのボタンをおしてナッツミルク味にしてもらって、
ゴクゴクとそりゃ飲むわけよ。
頼んだんだし、
そしたら、
一緒に行った人たちが、
いいなタピオカ!って言うじゃない、
え?タピオカ頼めば良いじゃない?って私が言うと
食券機でタピオカが見つけられなくて違うを頼んでしまったんだって。
タピオカ飲みたいからタピオカ屋さんに行ったのにタピオカ飲まないんだなんてどんだけ玄人かよって一瞬思ったけど、
あなたたち何やってるのよっ!って思っちゃったわ。
私だけタピオカ。
食券機はアルファベットでだけど確かにtapiocaって書いてあったから
こ、これが読めなかったんじゃって訳じゃないわよね?
うふふ。
何食べたっけ?
朝何か飲んだんだけど何か一瞬思い出せなかった。
それとトマトジュース。
たぷたぷには気を付けないと。
夏にってまだ盛夏ではないけどストロベリーとか珍しくない?と思って、
ミントも添えると一気に夏らしいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
かと思えば、スッと有用なURLを提示したりもしており、仕事ができそう。
(yは母音なんだっけ?)
この人の1stブクマに勝てそうになくてネタコメを付けるのを断念することが多々ある。
なんか漫画すごい読んでる。
増田ピッカー。
vtuber好きなのかな。
「俺だった」の人。
どれも詳しくないからよく分かんないけど。
だいたい何言ってるのか理解できないんだけど、そういう人をお気に入りに入れておくのも楽しい。
今後はスターを狙いに行くのか行かないのか。
ダジャレの人。
あとは、牛の人とか、月の人とか、斧の人とか、黄色い背景の人とか、昔の人物写真?の人とか、アルファベットの人とか、ぐにゃぐにゃしてる人とか、デフォルトアイコンの人とか(雑
3. 別の意味を持っていることを表す
もっと平和的な例で言えば「モッタイナイ」とか「スキヤキ」とか。
これはアルファベットで書かれることも多い。
などと書くことで後者が「総理大臣」という言葉を知らないことを示す。
「ニッポン」だとか「セカイ」といった書き方をすると、実体から切り離されてシンボリックな扱いになる。
「安倍」ではなく「アベ」と書くと、一人の人間としての安倍晋三ではなく、安倍体制のシンボルとしての「アベ」、みたいな印象になる。
3は「括弧書き」と同じで、本来の意味とは異なる「含み」を持たせて強調する。
まあ1も2も、広く言えばこの3の派生と言えるだろうが。
「文系の学問における注と参考文献の話、補遺」(anond:20190511125053)への反応見ていて、ブコメだけじゃなくtwitterでも「author-date方式でいいじゃん」という声がたくさんあり、やっぱり伝わりにくいものなんだなぁと思いました。
author-date方式、私もそれで論文書いたことあります。とても便利なやり方です。引用するのが学術論文や書籍だけなら。
ところで、次のような文献はどうやってauthor-date方式で引用すべきでしょうか(手持ちの英語文献から引っ張ってきた例です)。
RGASPI, f.89, op.8, d.1016, l.1.
最初のアルファベット数文字は公文書館の略号、それに続いているのは公文書館に所蔵されている史料(つまり公文書)の整理番号です。
もういっこ例を挙げておくと、日本の公的なデジタルアーカイブであるアジア歴史資料センターが推奨している史料の引用方式はこのようなものです。
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02030938800(第58画像目から)、共産党宣伝関係雑件/対日宣伝関係 第三巻(A.3.4)(外務省外交史料館)
(https://www.jacar.archives.go.jp/aj/www/doc/before_browse.html)
公文書館って、こういう史料がたくさんあるわけですよ。これをどうやってauthor-dateで引用しろと。
また、無記名の新聞記事を大量に引用するような場合、どうすればいいでしょうか。たとえば、1919年における『ホゲホゲタイムズ』の紙面からホゲホゲ国のナショナリズムを読み解く、みたいな研究は普通にあるわけですが、いちいち引用文献リストに
『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(Anonymous 1919a)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(Anonymous 1919b)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(Anonymous 1919z)と主張した。さて、27日の記事では……あっ、もうアルファベットがない!
引用文献一覧
Anonymous. 1919a. “Column.” Hogehoge Times, 1st January, p.1.
Anonymous. 1919b. “Column.” Hogehoge Times, 2nd January, p.1.
Anonymous. 1919z. “Column.” Hogehoge Times, 26th January, p.1.
って書くんですか? めんどくさくねえ? それだったら普通に、
『ホゲホゲタイムズ』は、新年を祝う記事において、「あけおめことよろ!」(注1)と書いた。翌日の記事では、「謹賀新年!」(注2)と述べた。……26日の記事では、「昨年は世話になったな!」(注3)と主張した。さて、27日の記事では「今年もよろしく!」(注4)と宣言されているが、これはどういう意味だろうか。
注
注1 “Column,” Hogehoge Times, 1st January 1919, p.1.
注2 “Column,” Hogehoge Times, 2nd January 1919, p.1.
もちろん、工夫すれば上で挙げたような文献もauthor-date方式で引用できます。できるんですが、簡便で伝統的な書き方があるのにわざわざ不向きなauthor-date方式を使わなきゃいけない理由がわからない。
なのでまあ、何が言いたいかというと、
……という感じですかね。author-date方式は便利だから先行研究の整理とかするときには愛用してるけど上で挙げたようなやつまでauthor-dateで書けとか言われたら「ああん?」ってなります。
author-date方式って大嫌い。(シェイクスピア2019)とか(アリストテレス2018)みたいな意味不明の注ができるし、ページ数が書いてなかったりするし、あと私は年号がない文献も使うから。
さえぼー先生からこういうブコメいただけてもうなんか満足です。書いてよかった。あ、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』むっちゃ面白かったです。
で、私はauthor-date方式はどちらかといえば好きなんですが、さえぼー先生が「大嫌い」とおっしゃるのもわかります。
好きじゃないなら単に使わなければいいのに何で「大嫌い」って思うかといえば、頓珍漢な推測だったら申し訳ないんですけど、「author-dateを使うべきだ! author-dateじゃないとおかしい!」って押し付けてくる他分野の人がウザいというのが理由として大きいと思うんですよね。
私もとある機会に全部author-dateで書け、注で出典表示するのはいっさい認められん、と言われて、ふざけんなこんなのどうやってauthor-dateで引用するんだよと食って掛かったことがあります。もうほんとね、他分野の人がどんな資料を引用してるのかについて想像力を持ってほしいですわ。
というか人文系の人が理系や社会科学系の人がauthor-date方式使ってるのに文句を言っている場面はまず見ないのに対して、人文系の引用方式に文句をつける理系や社会科学系の人をそれなりに見かけるのはいったい何なの? って思います(あ、でも、『史学雑誌』の書評でauthor-dateに文句つけられてるのは見たことあるかも)。このへんの憤懣があるんですよね。