はてなキーワード: あのころとは
1/4まで無料一挙公開されてるって知って慌てて一気読みした
ADHDっぽさ重視なのかなと思ったらそうでもなかった
それが特徴のマンガだと思ってたからだんだんそれっぽさが薄くなっていって、良くも悪くも普通のマンガになっていくのは個人的にはさびしかった
つまらなかったわけじゃないけど
生きづらさを感じる人間と、底抜けに「大丈夫」な人間とかもいたりして
あとから知ったけど春のムショクの作者だったんだね
あのころに比べたらめちゃくちゃ絵もマンガもうまくなっててめっちゃびっくりした
よくダダンダンが週一更新すごい書き込みっていわれるけどこっちも負けてない
これで単行本でてないのはやっぱり掲載メディアの問題なのかなあ
人の絵柄、主人公以外の顔の表情とかの書き方が、すんごく「来世は他人がいい」に似てるなと思った
だんだんとお話は進んでる気はするけど、いつ終わっても不思議じゃない感じもする
うーん手元においときたいがいまんとこは無料期間おわったら1日4話限定でこのサイトで読むしかないらしーしなあ
まあ1日に4話もよめればいいか
とも思うが、いつ公開終了になってもおかしくないと思うとなあ・・・
うーんどうにかしたいが
自分のこれまでの学生生活を振り返ると、間違いなく中学時代が一番楽しかったと思う
けどなんか今中学の同窓会があったとしても、悲しいことにそこまで参加したいって気持ちにならない
理由としては思い出は思い出のままにしておきたいってとこもあるだろうし、今の自分に自信がないってとこもあるだろう
今は難しいかもしれないけど社会に出て、少しでも自分に自信が持てたらその時はぜひ参加したいが、果たして自分がそうなっているかなんてわからないし、もしかしたら仲良かったあの人が参加できない状態にいるかもしれない
成長するにつれて、みんながある程度希望を持ってたあのころには戻れないことを痛感する
こういうことを考え出すと魯迅の「故郷」とoasisの「fade away」がすごく胸に刺さる
とまあつらつら胸中の思いを吐き出したので再び課題に戻る
「この世はほんとうの現実じゃない」というアイデアは大昔からあったかもしれない。
でも、それがコンピュータによって近いうちに実現されうるかもしれない。と、リアルに感じ始めたのは、ちょうどあのころじゃないだろうか。
もしかしたら、当時としては斬新な発想でもなかったもだけど、
ほとんどすべての人類が架空の世界で暮らしていてコンピュータによって支配されているかも。
という「マトリックスのような世界」を完成度高く表現したのは始めてなんだろう。
攻殻機動隊は、脳以外がすべてサイボーグ(コンピュータ)だったら。脳をコンピュータにつないでネットワークを通して現実を操作できたら。
という世界になれば、もはや「自分」のよりどころがわからなくなるんじゃないか。というテーマであって、系列は同じでもマトリックスとは別の話と思う。
アニメのサイコパスも同じ系列に入るよね。コンピュータによる支配の話でいうと、ターミネータもそうだよね。アトムや火の鳥未来編なんかも。。
数年前に見つけたADHDの女性のブログに勝手に同士のような感情を持っていた。そのブログは日々の生活の愚痴やライフハックをつぶやくブログで、ブログ主は新卒で就職した会社をやめたあとは、アルバイトや単発の仕事で食べていた。収入は10万前後で食べるものにも困っていて、医療費(薬代)の高さを嘆いたり、ものをなくしたり、ミスをしたりといったこともよく書いていた。正社員は諦めているようだった。
俺がそのブログを見つけたのは自分がADHDだという診断が下り、自分の生活や生き方に困っていたときのことだった。そのときの俺は収入10万円未満で実家ぐらし、親とは衝突してばかりだった。障害や新卒で入った会社をやめたことによる親との軋轢で一人暮らしをしたいと思っていた俺は、同年代で収入は同程度だが一人暮らしゆえ苦しい生活のうちなどを書いたブログ主のことを応援していた。彼女はADHDの診断を受けてから長いらしく、投薬や暮らしの工夫などはADHD新米の自分には読んでいて勉強になった。
2年くらい前からブログの更新が途絶え、最初のうちは頻繁に更新を確認しにいっていた自分もそのうち存在そのものを忘れていた。今日、ふと思い出してブラウザのお気に入りからそのブログを訪ねてみると、ブログの記事は更新されていなかった。ブログにはツイッターアカウントが載っておりそちらを見てみると今も稼働していた。前はほとんど見ていなかったが、ブログ主は元気にしていただろうかと思い、ツイートを少しずつ読んでいくと、あるツイートで彼女が結婚したと書いていた。お相手は婚活アプリで見つけたらしかった。結婚後のツイートは惚気も愚痴もなく淡々としていてそこから結婚生活への彼女の感情は読み取れなかった。けれど一言、自分が結婚できたことが意外だと書いてあった。
30歳、障害持ちの非正規社員、既婚。きっともう、彼女は賞味期限の切れたキットカットで空腹を凌ぐことも将来の収入を気にして夜、滅入ることもないのだろうなと思った。コンサータとストラテラの高さを悩む記事も収入を増やしたいけど働く気力がでないという記事を書くこともないのだろうなと思った。
一方で、自分はあのころの念願だった一人暮らしをしている。資格を取得してなんとかオープンで仕事に就いた。けれど仕事は大変で料理をする気力もなく毎日サプリと炭水化物で腹を膨らましている。部屋は通販のダンボールとゴミで荒れて、体質ゆえADHD薬を飲めない代わりに抗うつ薬を飲みながら生活している。当然、恋人はいない。仕事を長く続けられそうはないので今も暖房代をケチってフリースにウルトラライトダウンを着てこれを書いている。
もし自分がブログ主のスペックだったら、30歳、ADHD、非正規で月収10万円だったら、恋人はできるだろうか?結婚できるだろうか?そう考えると気持ち悪くなってツイッターを閉じてブックマークを解除した。
嫉妬ではなく、ある時点において同様のステータスだったはずなのに現在ではまったく違う境遇にいることにめまいがしている。
気持ちはわかる。
だけど、ロスジェネのひとりとして言わせてもらいたい。
ロスジェネ冷遇の被害者はロスジェネだけじゃなく、この国全体に及ぶということを。
なぜって、単純な話で、ロスジェネは数が多いから。団塊に次ぐ人口のボリュームゾーンだ。
生まれてくる子どもの数は、出産可能年齢にある女性の数と不可分であり、ロスジェネが次のボリュームゾーンを作らなかったら何が起こるか、予測するのは何も難しいことではない。
それがわかっていた当時の厚生労働大臣が「産む機械」発言で理不尽に吊し上げられたのが2007年。
既に数年遅いが、そのころならまだギリギリ間に合っただろう。しかしながら、結局のところ何ら積極的な策は打たれず、日本の崩壊は決定されてしまった。
その結果、これから何が起こるか。
これから20年で、かつてない勢いで人口が減る。一方で、介護や医療が必要な人は大幅に増える。
今当たり前のことの多くが、当たり前ではなくなってしまう。
これはもう決まっていることであり、首相が誰かとか与党がどうとかでなんとかなる程度の話ではない。
移民で解決という人もいるが、衰退する国にどんな移民が来るだろうか。
われわれロスジェネは、薄給で団塊世代を支え続け、支え抜いた後に振り返ると自分たちを支えてくれる世代はなく、逆にロスジェネのせいでこんなことになったのだと罵られながら、死ぬまで薄給で自分自身を支え続ける運命にある。
これはもう決まっていること。どうすることもできない。
あのころ本気で子育て支援策に取り組み、ロスジェネの就業支援をしてさえいれば、状況は違ったかもしれないのだから、ロスジェネが恨み言を言うのくらい許してほしい。
・"歴史は韻を踏む"、"類似している"と表現し、共通点も具体的に述べ、その上で今後起こるであろうことを類推したまで。安易な"同一視"ではないことが分かるよう、こうして慎重に言葉を選んで筋道立てて書いたつもりだが、伝わらなくて残念だ。
・面白がっているのではなく、今の政権の言動に危機感を抱きつつも、長い目で見た時の社会の良識や自浄作用のようなものをある程度は信じているんだよ。
・とはいえ、日本ほどの高齢化社会は人類史上初の事態だ。ピラミッドどころか肩の張りだした壺のような形になった人口構成は、日本社会が危機に対応する力、危機から立ち直る力を急速に奪っていく。中国の覇権主義も日本にとって脅威となる。内憂外患は当分晴れそうもない。四半世紀単位で見れば、最悪の場合、日本では財政危機が起きたり、民主制が消滅したり、戦争や内乱で国家が分裂したり消滅したりする事態もあり得ると自分は思っている。もっとマイルドな未来が実現してほしいと願っているが、高度経済成長期のような右肩上がりではなく、最善でもどちらかといえば右肩下がりの時期が続くことはまず間違いない。
日本人が一個人として出来ることは限られていると自覚した上で、個々人は身の振り方をよく考えるべきだろう。ミクロな現象はマクロな現象に対して正面からぶつかったら勝てないのだから。政府の馬鹿げた言動には可能な限り掣肘を入れていく一方で、いざという時にどこでも暮らしていけるような備えと強かさが欲しい。
【同一視】
《名・ス他》差があると考えず、おなじと見なして取り扱うこと。
Oxford Languagesの定義
【類推】
《名・ス他》一方が他方と似る(幾つかの)点に基づいて、(既知の一方から)他方の有様を全体的に推し測ること。類比⑵。アナロジー。
「―解釈」
Oxford Languagesの定義
なんか事あるごとに旧日本軍の失敗事例持ち出すのってどうなんですかね。右も左も日本はあのころから何も変わってないみたいなことばっかり言って、政府批判して面白がってる。インパールがどうのとか言うのって聞き飽きてきたな。安易にあの時代を現在と同一視していいのかな。
瀬尾公治のマンガを雑誌で読んでたら、なんかすごい強キャラがでてきた
誰だ?と思ったら正体は涼風だった
中学生のときにお色気目的でコミックス集めてたけど今見るとマンガとしてはクソだった
まず、今回の件は文脈がどうあれ、知らない女の人のパンツに手を突っ込んでマンコ触っちゃったくらいのヤバさであって、アウト中のアウトだと思う。今日中になんらかの対応があるのでしょう。
あのころのコバケンの頭の中にあったのはテレビへの決別、まったく新しい芸人モデルを築くこと、ラーメンズのブランディングというものであって、そういう中で必要以上に露悪的なネタをやっていた印象だった。そこまでやらなくても普通にネタを作っているだけで独自のスタンスを表現できる才能を備えていたのに、自信がなかったんだろうな、あんな風に決意を表明しないと、不安だったんだろうなと思う。結果的に、才能を、低めに勘違いしていたんだと思う。
なんでそこまで、あれほどの才能ある人が勘違いをしていたのか、思い当たるのは同時代に少し前を走っていた人の存在で。
強く強く憧れたその人と、ユニットコントをして、打ちのめされたり、実力を認められて浮足立ったり、そういうことがあったわけで。
その人がテレビに適応できないのを横目に、自分はテレビに別れを告げて、カリスマになって、信者も増えて。
一時は、抜いたと思ったその人が、テレビに完璧に適応して、また嫉妬心がうずいたんじゃないかな。
オリンピックの開会式なんて似合わない仕事を受けたのも、それはもうワイドショーの司会なんかより格上だろって、思い上がったんじゃないかな。
皮肉だし、大河だなと感じます。余談というかウワサだけど、あのころのラーメンズのギャラって片桐1、コバケン9だって言われてた。