はてなキーワード: オリンピックとは
で?お前は今までの選挙はどこに入れてて今度の衆院選はどこに入れるんだ?
オリンピックやってる→だから帰省していいだろ自粛もしない ←筋通ってるよね?ロードバイクの沿道観客やばかったけど
日本に一定数「○○君も走ってたも~ん」って言ってたタイプがいることを見越した上で五輪を開催したのは自民ね。それとも何もわからなかったのか?
二階もこのあいだ会食してたけど。黙食(笑)とか言ってたけどお前が断言する以上普通に会食だろうね
もう無理だ。正直に自粛してる人が馬鹿をみる世の中すぎるだろ。そのうえ正直者が頭の悪い馬鹿の面倒を見るはめになってるよ。もうだめだ日本は馬鹿ばっか。
これの趣旨はねぇ、感染の他地域への拡大の予防なのよ。具体的には東京とかの大都市圏(すでに流行)から地方へとウィルスを持ち込まないようにすることが目的なの。
当たり前だけど、移動だけで他人と物理的な接触をしなければ移動先にウィルスを持ち込むことはないい。
けど普通帰省したら君ら地元の友達と飲んだり、親戚で集まったりするでしょ?だからもう帰省とかはやめてねって言ってるの。
→他人と物理的な接触をしなければ持ち込むことはないけど、そんな旅行はほぼ不可能なのでは…?旅行に行けば宿の人とか、現地のお店の人とかと多少なりとも接触するでしょ。
だからインスタにたのしそーなご旅行の様子を挙げてる君もその地域にウィルスをもたらしてます。人殺しの顔をしやがれ!
こちらの趣旨は、もう少しミクロな感染拡大の防止。要は人と会ってマスクせずにおしゃべりしたらうつるからやめようねーって感じ。
「黙食ならうつらない」っていうのはたぶん正しそうだけど、この時期にわざわざ人と会ってご飯を食べるような人は黙食もできません。(断言)
場所が問題なわけじゃないのよ。そんなこともわからんか?宅飲みしてる君やカラオケで爆飲みしてる君や河川敷でBBQしてる君のことですよ~。
オリンピックで外国から人がいっぱい来る→新しいコロナの変異株が国内に持ち込まれるリスクが高くなる
これはわかる。今のご時世に世界中から人を集める必要あったか?と思う。
は?何言ってるの?
とくに今回は無観客なので正直地球の裏側でやってようと東京でやってようと関係ないでしょ?
あれか、ひょっとして廊下を走ってるの咎められたら「○○君も走ってたも~ん」って言ってたタイプ?
そう思ったらなんか納得いくな。日本中の小学校に絶対一定数いたもんね。
結局マスクしてる同士が一定の空間にいてうつるリスクはどのくらいあるの?
「満員電車でのクラスターは確認されていない」って、確認のしようがないじゃないの。アホか。
でも逆に誰もしゃべってもない満員電車でもうつるの?それでうつるなら正直もっとどうしようもないことになってるのでは?って気がする。
デルタ株は従来の対策では足りないとか言ってるけど、そもそも単純に自粛してない人が増えてるだけじゃないのかっていう気がしてならないんですけど!
某電通じゃないけど、世の中には信じられないバカがいてしかもそれがマジョリティなんだからそのバカが自粛できるようにしないとダメなんだよな。
こんな言い方して当事者にはほんとに申し訳ないんだけど、自分がオリンピック開催の準備をする仕事や
千葉でコロナ罹患した妊婦さんの受け入れ先が見つからず、自宅で産まれてしまった新生児がそのまま亡くなったニュース、なぜこんなことに。
妊娠8ヶ月なら現代医療なら普通は助けられた命だった。救急車を呼んでも自宅にいるしかできなかった、お母さんはどれだけ恐怖と絶望したか。
助かるはずの命がむごい形で奪われた。私はずっと医療崩壊で、政治のツケをなんの罪もない運の悪い人が払わされることになるのを恐れていたけど、それが起きたと思う。だから少しでも医療の負担と悲劇の可能性を高めるオリンピックに反対していたし、期間中も暗澹とした気持ちでいたが、政府に声は届かず、赤ちゃんが亡くなったことに今悲しい気持ちでいる。ずっと自粛している、医療に貢献したい、しかし菅や丸川や二階は狂った嘘ばかりつき続けてまともな対策をとらない。政府はおかしい、マスコミに報道精神は無い、憤りを感じる。
女性総理だから総選挙で勝てるとかどこだけガバガバ脳内妄想だっての。
しかも表現規制派だわ、消費税に触れてないわ、右翼臭い行動するわ。
つか、消費税増税派だからなアイツ。経済云々言ってるが、ちょっと景気良くなったら消費税上げて墜落させることが目に見えてる。
https://www.sanae.gr.jp/kaiken_detail9.html
野党の中心も批判ばかりしてりゃ勝てるというあまちゃん臭い。それでも原口とか馬渕あたりはMMTに基づいた消費税減税や財政出動を訴えてる。
次の総選挙では与野党両方新自由主義、消費税増税の連中が落ちることが第一だろう。まあ、それ以前に官邸の友達のオリンピックのためにコロナ感染爆発させたことのケリをつける必要はある。
今留守にしていることをブログに書くのはリスクがあるので、帰国までは匿名ダイアリーに書いておく。
W陰性証明の為、PCR検査と抗体検査とを受ける。3万円也。鼻に綿棒を突っ込む例のヤツ、噂通り痛い。
W陰性だった。1年半に及ぶ自粛生活が少し報われた気がする。証明書類を中国大使館のサイトにアップロード。住民票もULしろと書かれていたので少し戸惑うが、1年ほど前に取ったものをULしても通った。というか、ULしたあとの確認ページには「住民票(あれば)」と中国語で書いてあった。ULページに書けよ…。
奇しくも東京でオリンピックが開幕する日、東京を出て中国は杭州へ経つ。
到着し、入国時にPCR検査。日本でやった時よりも痛かった。その後、バスに乗せられ移動すること2時間強。某「国際飯店」に着く。いや、最後に外国人泊ったのいつよここ、と言った感じのローカル感溢れるホテル。
このところ常に死にたいとうっすら考えているような感覚で生きている
楽しいことがあってもふと「そういや死にてえな」と思い返して楽しさが冷めていく感覚。
そしてそれは大体みんな同じような感覚を抱いているんだろう、死にたいと思っていない奴はむしろ相当の楽天家か馬鹿の少数だけと思っていたが、どうやらむしろ死にたいと思っている人の方が少数派らしい。
別にいじめられているとかブラック労働がとかじゃない。それなら別にそうじゃない人は死にたいと思わないだろう。理由はSNSを始めとする社会に蔓延する憎悪があまりに重苦しく苦痛だからだ。
最初に断っておくとこれから出てくる加害者たちを擁護する気は無い。
もちろん悪い事をした人が悪いのだが、ことある事に槍玉にあげてその都度完膚なきまでに叩く多数をみて「ああ嫌だな」と何となく感じた。
スキャンダルに対してその当事者がネットで槍玉に上がったことはそれまでにもいくらでもあった。
思い返せば小保方氏や野々村議員もその例だろう。ただ彼らは音MADにされたりクソコラを作られたりと、もちろん本人してはたまったもんじゃないだろうが、スキャンダルをコメディとして消化しようとするものだった。
もちろん、ひき逃げの加害者を音MADにしろという訳では無い。こちらは明確に被害者がいる以上そんなことが許されるわけが無い。
それでも、一人の人間が憎悪の対象として消費されるのを見て擁護はなくても同情はしてしまう。
あまつさえ、上級国民とかいうこれまでなかった言葉まで使って高齢者富裕層まで主語を広げて叩く日には、「フランス革命でラボアジェを処刑した国民はこういう人達だったのかな」と思った。
オリンピックの諸問題の方々、金メダルを噛んだ市長それがし、不倫した芸人なにがしや声優なにがし等々。取っかえ引っかえの回転寿司状態だ。そしてその度に地獄のようなコメントが溢れる。これを書いてる途中に声優それがしが死にかけているらしい。書いている途中に知ってめちゃくちゃ偶然だが、遅かれ早かれそういうことが起きるのは明白だっただろう。
なぜそんなことになったかといえば、これらの人達は「わかりやすい自分と関係ない悪」だからだ。
家族や上司などといといった簡単には解決できない問題、更にはウイルスなどといった実体のない敵によるストレスは人類全体に重くのしかかってくる。「正義をもって悪を誅す」というのはそのはけ口としてとてもよく働く。自分のストレスや不安から目をそらすことに精一杯な人達はますます想像力が欠如して盲目になり、ましてや、加害者の心情なんて想像しない。
要はストレス解消のために叩いてもいい大義名分を持った人が求められているのだ。
こういう人達が活動を自粛したり降板したり表舞台から退いたり、ましてや自殺したら「責任を果たせ」だとか「逃げるな」だとか言われる。
そして決まって「被害者を思うと…裏切られたファンを思うと…」とかがくっついている。その綺麗事、大義名分になんの意味があるのか。
「次の悪者が現れるまで後腐れなく叩かせ続けろ」って言え
大体そういう人たちは何を以て責任を果たしたと認めるのだろうか。謝罪しても当事者でもないのに「誠意が足りない」だの「被害者には許さない権利もある」とかいうくせに。じゃあ目に見えればいいかといえば「金で解決しようとしてる」とか「上級国民が」とか言い出すくせに。
そして死んだら「責任から逃げるな」とかいう。むしろ自分が死の遠因になったという責任から逃げているのはそっちだろう。
開会式のいじめがどうとかいうミュージシャンそれがしを集団で叩くといういじめの構図をもって成敗した気になっているのは、悪趣味すぎるコメディかと思った。
もちろん自分が知らないずっと前からこういうことはネット、リアル問わずあっただろう。でもそれはメインストリームではない。
しかし、一億総発信社会/コロナ禍となってユーザーが生成するメインコンテンツが憎悪になってしまった。
そこに需要が存在すれば当然供給も発生する。メディアも問題があった人たちが如何に極悪人であったかを強調するために過去を漁って露悪的な記事を量産する。
もう現代においてピカソやワーグナーのような人はもう出てこないんだろうな。そして悪事はバレたら社会的に抹殺されるのだからますます陰湿になるか一撃必殺になるかのどちらかだろう。
膨れ上がった憎悪は関係ない人をも蝕むようになる。こんな社会に耐えるくらいなら消えた方がいい。いわんや当事者にしては想像を絶するものだろう。
こういうことを言うと起こりそうな意見に先に返しておく
・「悪いことをしたのは向こうなのだから当然だろう」「報いは受けるべき」
別に自分は「誹謗中傷はやめよう」とか「加害者にも人権はある」とか道徳の先生みたいなことを言うつもりは無い。これは絶望の言語化であって啓蒙ではない。
そもそもそんなことずっと言われ続けているのに悪くなる一方なのだから無理なのだろう
個人的にその原因は、歴史的に人類は「罰する」と「赦す」を神に丸投げしてきたからじゃないかと思う。
シャリーアを引き合いに出すまでもなく、法とは神が定めた道徳を人間にわかりやすくしたものだ。神の代弁者・執行者として悪人は裁かれ断罪された。逆に言えば、刑期を終えるとは「神が赦したのだから私達も赦そう」という理屈だろう。私刑が許されないのは、同じ理性の範疇内の人間が人間を捌くこと自体傲慢で歯止めが聞かないからだろう。
それが現代になって神が死に、ネットによって「罰する」と「赦す」が急に個人個人の人間の与えられたら上手く使いこなせるはずがない。何を以て許せば良いのかも分からない。だからこそ憎悪はどこまでも増幅し、終わりがないのだろう。
・「確かにクソなことはあるがネットにもリアルにも善意や楽しいことだってあるだろう」
それは確かにそう。実際自分もある程度いわゆるオタクなので「次のイベントが生きる糧」だの「2期を見るまで死ねない」だの思っていた。
でも最近ふと、なぜそれらが好きか理由を考えたら、自分は死にたいという感情を麻痺させる麻薬に過ぎないと思っていたことを悟った。一回そう思ってしまったらもうその麻薬は直ぐに効き目が切れるようになった。
これも確かにそう。ジャコモ・レオパルディという人も「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人どもの同盟、あるいは寛容な人たちに対立する卑怯者どもの集まりだということである。」とか言っている。その通りだと思う。でもネットをやめたとてこの社会に逃げ場なんてあるのか。分断と対立・不寛容が加速するこの世界でネットのような憎悪が現実にも染み出していることはキャンセルカルチャーなんかを見るまでもなく明らかだろう。情報自体から隔絶された世界で仙人のように生きればいいのか。そうしたら確かに死ななくても良いかもしれないが、憎悪を撒き散らす人達が野放図に暮らして、そうでない人が隠れていきなければいけない世界ならますますこの社会はクソだろう。
・「この恨みにまみれた投稿だって憎悪を増やしているだろうブーメランじゃないのか」
その通り。だけど今更ネットにデブリがひとつ増えたとて誤差だろう。
繰り返すがこれは現実への諦念であって啓蒙ではない。だからこそ聞きたいのは、どうやってこの憎悪の中死にたいとも思わずに生きていられるのだろう?
それとは関係なく感染者が増えるなか緊急事態宣言ガン無視で普通に遊び歩いてる国民の方がおおいに問題だった
ここらへんを深刻にとらえて意識改革を訴える政治家でもいたら本物だったのにな
結局、あまり関係ない党派性むき出しのオリンピックに焦点当てることで現実的な問題を棚上げした
これに反論出来るやつおらんだろ
「もう自粛いいや。どうせオリンピックをするんでしょ」 ←この思考が浸透してしまった事だよな。オリンピックそのものは時期が少しズレてる。
ネット上でもそうだし、討論番組の類でも「国民には自粛を求めている一方でオリンピックを強行している。これでは国民の理解を得られないのではないか」とか偉そうなこと言ってるアホは絶えなかった。論理的には感染抑制と経済効果はトレードオフの関係にあり、どちらを優先するか個別に判断するというのは何もおかしくない。もし一貫性を求めたら完全なロックダウンorノーガードの両極の選択肢しかとれなくなるからな。このことは内心分かってる人も多いだろうけど、まぁ結局は言い訳としてこの誤ったロジックに飛びついてしまった。
冷静な分析助かる。
すげー気になったのが、五輪側で人流を抑える努力をほとんどしていなかったのが気になる。
ロードレースやマラソンの応援しかり、会場前のオリンピックシンボル記念撮影スペース無制限開放とか。
政府からのお願いは聞く努力をするのが重要なのはわかるし従っていたが、モノが有る限り出歩くバカが出てくるのはわかっていた事なんだから、
今回の新型コロナウイルスは、マクロで言えば人と人の接触でしか感染しない。
よって、人と人との接触を少なくすることが一番の抑止策になる。
極論誰とも接触しなければ、ウイルスに感染することは絶対にないのです。
新型コロナ抑止という公衆衛生政策の観点だけで言えば、人と人の接触を最小化するのがベストとなる。
しかし、現実には人と一切接触しないで社会生活は成り立たない。
経済活動、スポーツ振興策、諸々を総合的に判断して決まるものです。
現実に人と接触せざるを得ない場面では、ウイルスをできるだけ回避する工夫をすることが奨励される。
マスクの着用、手指の消毒、ソーシャルディスタンスの確保、三密の回避、会食時の感染防止策など。
(1)不要な人との接触を極力減らす、(2)人と接触しなければならない場面では感染防止策を工夫する。
国民がこのことの意味を十分に理解して実践することが、社会全体としても感染を封じ込めることにつながるわけです。
以上を前提に、仮にオリンピック期間の人流が減少していたとしても、それは(1)は満たしていたというに過ぎない。
活発に出歩いていた人たちの間で(2)の意識が低下していたら、感染拡大の原因となる。
人流が100万人から50万人に半減しても、その50万人が感染防止策を軽視して行動するようになったらダメなのです。
実際に、オリンピックを開催するため、さらには有観客開催するため、種々の無責任な言説が5月6月ごろからまき散らされたのは周知のとおり。
オリンピック期間に重なった感染爆発は、ラムダ株ではなくデルタ株によるもの。
ラムダ株の日本初検出(7月20日)はオリンピック村開設(7月13日)後、五輪関係者の入国が増えて以降の話。
ラムダ株を持ち込んだのは五輪関係者と報道されています(8月13日付共同通信)。
あと基本的な事柄ですが、統計的な相関関係と因果関係は別の話です。
ただし、どこまでいっても、「オリンピック期間中に出歩いていた人たちの感染防止策に対する意識の変化」などといった調査データは示せないのだから、確定することは不可能ですがね。