はてなキーワード: 柔道部とは
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
その時言われたのが「女と男は骨格自体違うからマトモにやり合ったら絶対勝てない。
有効なのは『痛い思いをさせる→こいつは一筋縄じゃいかないと思わせる』、『倒す・転ばせるなどに特化しその隙に逃げる』」
「残りの仕返しは逃げてからやればいい」
先生の家は柔道一家で、妹さんも柔道やってたのにDV夫と結婚しちゃったらしい。
ガーリーな女の子を装いたくて柔道部だったことも夫に言ってなかった。
足払いして逃げるくらいはいつでもできたけど「技をこんなことに使っていいのか」と迷ってるうち
でもある日、すごく理不尽なことでボコられ、カっとなって双手がりで夫を倒した。
夫は背後の棚に頭をぶつけて失神。その隙に逃げた。
後日夫に訴えられそうになった時に、先生も話し合いに同席。
妹さんが「素人相手に技はかけられないので、倒すだけで我慢した。弱い者いじめはできなかった」
と言ったら、DV夫は「ウッ」と言ったきり真っ赤になったって。
結局夫の親がまともな人で、慰謝料200万と言ってくれたけど
「私も素人相手に大人げなかった。弱い者いじめしてしまったので減額でいいです」
と言ったらDV夫は死ぬんじゃないかってくらい真っ赤になって部屋を出て行ってしまったそうな。
「残りの仕返しは後でできる」
個人的には双方が納得して勝手にやってりゃいいと思ってるんだけど、虐待を肯定しているキチガイが多いから書きたくなった。
今日本に蔓延っているひたすら人件費を削ることで成り立つブラック企業の会社員やコンビニオーナー。半分以上搾取されてる派遣社員なんかの奴隷が何時までもいなくならない土壌が、
こういう日本古来から脈々と続く勘違い精神論による教育なのだろう。土人国家の面目躍如というところか。日本が近代的国家として発展するにはこういう害悪を垂れ流す連中を一掃するしかないだろう。
一応書いておくけど叩かなきゃ分からない、出来ない奴というのは存在する。叩くことで出来るようになる一人二人の為に体罰を肯定するか、体罰を辞めてその裏に隠れている死亡者を救うかどうかと言う話だ。
スポーツジムに通っている。運動後に風呂に入る。だいたいどこのジムも同じようなもんだと思うが小規模なスーパー銭湯のように風呂には炭酸なんとか風呂だとかジェットなんとかバスだとか複数の浴槽がある。
広告記事の話題で有名な銭湯神ヨッピーの記事でサウナと水風呂の往復はすばらしいと書いてたのでそれに倣ってサウナと水風呂を往復する事も多い。
サウナに入るといつも見る人がいる。小太りで太く黒々とした角刈りのアラサー男。目はパッチリとはしておらずいかにも熊さんタイプ。パッと見の容貌は柔道部的でもあるがそんなに体育会チックな体つきではない。
熊さんはサウナと水風呂だけを往復する。自分が風呂エリアに入る前から往復していて自分が風呂エリアを出てもまだ往復を続けている。
「ゲイっぽい人がいるな。」程度には思ってた。熊さんはジムエリアで見かける事はない。風呂だけに入りに来てるのかもしれない。まあそういう人もいるだろう。自分が見てないだけで運動もしてるのかも知れないし。と考えていた。
しかし何カ月経っても熊さんはサウナと水風呂にしかいない。ガラガラのサウナに自分が一人で座っていた時は妙に近くに陣取りに来た時はなんか異様で少し距離を離して座り直した。サウナに出入りする人をその細い目でバレないようにチェックしてるようにも思える。
ゲイなのかも知れないと思った。
ゲイの人は男性に性的な興味を持つのだろ?特定のパートナー相手やゲイの社交場において彼らの性的嗜好を発揮するのは一切構わない。結婚だってすればいい。
しかし公共の風呂でその欲望を抑えられないならばなんらかの規制は必要だろう。混浴風呂は特殊な場なのでタオルや水着の着用を許されるし、露天温泉などの雰囲気を味わう事が目的だがジムの風呂は運動後の汗を流し疲れを癒す場だ。異性や自分を性的な目で見る人間がいることが想定される場ではない。
「ゲイの疑いのある方の入浴を禁ずる」とは言えないのはわかる。ゲイであっても露骨な行動を取らない人は別に害もないので仮にチラッと、内心では性的な目で見てたとしてもそのくらいなら許容する。
しかしあからさまに(浴槽内と違いお湯が無い分オトコのカラダが見やすいという考えで?)サウナに居座り他人をジロジロ見るゲイを野放しにするのは政治的にも正しいのだろうか。
熊さんはじつはゲイではないかも知れないが彼に限らず同じ問題は起きうる。
「同性愛者風呂」を作る?そこに入る男(もしくは女)達はお互いが性の対象という事になるがいわゆるハッテン場にならない?ゲイ証明書でも発行して、ゲイは異性サイドの風呂に入れる?
ゲイの人がジムや銭湯に通う権利を含めて、全てを認めるべきとした上でノンケが被害者にならない方法は何かあるのだろうか?自分の考えとしてはゲイが風呂にいたとしても気にしないからあからさまな行動を取らないで欲しいということなのだが統一的なゲイ団体があるわけではないし、ノンケの男にも痴漢なりレイプなりをして男性側の信用を毀損するヤツがいるぐらいなので良識に任せる系の対策は無意味なのだろうなとも思う。どうすりゃいいんだろうね。
容疑者の母は自らトラックの運転なども行う威勢のいい性格で、恰幅もよかったという。だが、「自分の思い通りにいかないとすぐに怒鳴り散らす。親族や近所の人は露骨に避けていた」(母親の知人)ともいわれる。精神科医の片田珠美氏は、家庭環境に小児性愛の源流があった可能性を指摘する。
「母親に代表される年上の女性に恐怖心を抱いたことで、自分より立場が弱く、絶対的に従属させられる幼い女の子を求めるようになった可能性も否定できません」
「ぱっと思い起こすのは、とにかく体が大きかったということ。横幅もかなりあったから、澁谷とデブを合わせて『澁デブ』って呼ばれてましたね。体形のことをからかう奴もいて、机に突っ伏して泣いているのを見かけたこともあります」
澁谷容疑者のものと思われるSNSには、《いじめにあった為、人間不信なところがある》と綴られていた。
中学校に上がると、最初は野球部に。その後、体格のよさを買われて柔道部に移った。この頃から、容疑者の「嗜好」が少しずつ顔を出すようになる。
「アニメやマンガに没頭することがあって、特に小さい女の子が出てくるのを好んでいました。まだ中学生だったので、周囲は“おまえ、なんだよそれ~”って冷やかしたりしていた程度だったんですが…」(中学の同級生)
「オタクな感じで、同じ趣味を持つようないつも決まった4人くらいで一緒にいました。ロリータ系とか、小さい女の子が出てくるロリコンっぽいマンガを読んで盛り上がっていて、クラスの女子のほとんどが“気持ち悪い。かかわりたくない”と感じていたと思います」(高校の同級生)
仲のよかった野球部の友達と遊ぶ約束をして、そいつの家に行ったんだ。
僕はかなりおとなしめなオタクを自負しているのだけど、高校時代は柔道部で重量級、県大会では個人戦2位とかになる、スポーツマンでもあった。
それで、肉量的にぴたっとしたズボンも履けないし、オシャレなシャツは細身に作ってあるから、太いジーンズとアロハシャツを着て行った。
合流した友人とカラオケに向かう道中「親や近所の人に心配されるからそんな格好で来るなよ」と言われた。
それが多分十五年くらい前の話。
先日、盆の帰省で妻の実家に行くことになり、それじゃ行くかとアロハシャツに手を伸ばした瞬間「アロハシャツはやめて」と妻に言われた。
さま~ずはルックは何歳なら許されるんだ?
ちがうよ、全然違うよ。あんたの服選びじゃ救われない人が多すぎる。本当に服装で悩んで試行錯誤したことがあるやつなら絶対そんな答えは出てこない。元記事の最大の欠点、それは「標準よりやせ形であまり汗をかかない」人しか想定していないこと。ここ10年くらい、日本の男性ファッションは『細身できれいめ』のトレンドに縛られている。だから初対面の人から、「柔道部かアメフト部、それとも砲丸投げとかやっていた?」と聞かれる俺みたいながっちり目で汗かきな人間には選択肢がなかった。元記事のような格好をしよものなら、ピチピチの服が汗でビショビショになってすごく悲惨だった。じゃあどうすればいいかって?答えはこうだ。
「ユナイテッドアローズ」や「ジャーナルスタンダード」のスーツを買う金があれば「麻布テーラー」で仕立てられる。費用を抑えたければ「PSFA」のイージーオーダーもあり。
伊勢丹や高島屋に入っているようなメンズブランドは大抵サイズ直しのサービスをやっている。肩幅や手の長さに合わせてサイズを直しても、2〜3000の出費で収まる。サイズが合うものを探して何軒もさまようよりも選択肢が一気に増える。ゆったりサイズと揶揄されるユニクロだって、洋服のお直し屋さん的な店でで直せば驚くほど見栄えが良くなる。
3) 髪型
くせ毛だったり、汗っかきだったらワックスつけてセットしても、溶けたり崩れたりするので基本短髪に保つ。店は1000円カットでいいから最低月一通うこと。気になるなら2週間に1度でも良い。
4) 汗対策
下着は綿一択。ユニクロのAIRismみたいな化繊だと大量に汗をかいた時に吸収しなくて臭いの元になる。あとは腋にはデオナチュレつけとけ。まじこれ最強。
以上、元記事で救われない人向けの修正版を書いてみたが、いかがだろうか。特に、サイズをなんとかするには仕立てるか、直すしかない。今の日本のメンズファッションはマジで細身が多すぎるから。
■追記
元記事に違和感を覚えたので少し気合い入れて書いたら何人かからブコメをもらえてうれしい。
いろいろ思うところがあるのでいくつか返信を書いてみる。
・悲しいけど、標準体重まで痩せるのは前提条件だと思うんだよね。綿素材最高なのは完全に同意だが、そんなに元増田と違うこと言ってる?
サイズが重要だっていうのは元増田に同意。ただし、努力で何とかなる部分(腹をへこめるとか)とどうにもならない部分(骨格や汗かき、くせ毛等の体質)は分けて考えないといけない。どうにもならない部分が足を引っ張ってる人にはなんで最低限のことすらやらないのと小ばかにするのではなくて、別の解決策を提示することが必要なんじゃなかろうか?
そう、それこそが問題。平均からやや痩せ気味の人なら10の労力で手に入る清潔感も、標準から外れた体型、体質だと100の労力が必要だったりする。そして平均的な人から見れば必要な労力が全く見えないので無邪気な悪意をガンガンぶつけられる。そんなのおかしいと思わないかい?
ダサい人たちを救うべく脱オタテクニックが提唱されてから10年超。それからというもの、元記事のように数か月周期でわいてくるどこかで見た上から目線のファッション指南。そろそろ俺たちはこのループを抜けて次の段階へ進むべきじゃないのだろうか?
中高一環の男子校だったため、同じ人物に中高イジメられていた。
当時からチビでナヨナヨしてた僕は、なんていうか典型的なイジメの標的にされやすいタイプだったのだと思う。
反撃もできなかったし、先生や親に相談することもしなかったため、どんどんイジメはエスカレートしていった。
最初のうちは肩を殴られたり、文房具や教科書を奪われたりしていた。
その頃はなんていうか、薄く広くイジメられていて、クラスの半分ぐらいが僕に対して危害を加え、もう半分ぐらいが静観していた。
しかし、だんだんと暴力の内容がエスカレートするにつれて、狭く深くイジメられるようになった。
そうして、中学三年に進級する頃には、一人のイジメっ子だけが残った。
まず中三になって彼が行ったのは、僕の服を着る権利を奪うことだった。
最初は休み時間に何度も殴られながら無理矢理制服を脱がされた。
それも毎時間。
制服はもちろん下着まで脱がされ、よくわからない踊りを踊らさせられた。
言葉にするのは難しいのだけれど、みんなが服を着てるのに、自分だけ服を着ていないことは、とても惨めだった。
恥ずかしくて局部を隠そうとすると、腹や顔を殴られるのも辛かった。
一学期の終わり頃には、もう全裸はルーチンワークになっていて、彼が「おい!」と大声をあげるだけで、僕は黙々と全裸になっていた。
夏休みがあけ、二学期に入ると、彼は放課後に新聞部の部室にたむろするようになった。
新聞部は高等部の部員が三年生一人しかいなかったらしく、二学期からは、彼と彼の後輩たちだけの部屋になっただからだ。
僕は無理矢理そこに連れて行かれ、そこでもイジメられることになった。
そこで行われたのは、イジメというカテゴリというよりは、レイプに近かったのだと思う。
彼が男が好きなゲイなのか、それともバイなのか、はたまた誰かをイジメるのが好きなだけなのかは、よくわからないが、
とにかく彼は僕に対して性欲をぶつけてきた。
日々の暴力と全裸強制ですっかり反抗する気がなくなっていた僕は、黙々と彼の命令に従っていた。
最初はフェラチオから始まり、最終的にはアナルセックスまで行った。
誰にも相談できなかった。
全裸で授業を受ける僕を見て何も言わない教師に期待する方が難しい。
親は平日は夜遅くまで仕事で家にいなかったたし、休日は一日中眠っていて、まともに会話が出来なかった。
まだインターネットは普及していなかったし、個人の携帯電話なんてもちろん持っていなかった。
どうすればいいかわからなかった。
クラスの面子は変わっていたものの、僕の扱いは学年中に知れ渡っていたため、特に変化はなかった。
優しくなった。
顕著だったのは、暴力だ。
昔は僕が反抗的な態度をとろうがとらまいが、関係なく殴ってきたのだが、
その頃の彼は僕が従順にしていれば、あまり暴力をふるわなくなっていた。
学校外で会うのは始めてだったし、休日もレイプされるのか、と思うと、とても気が重かったが、
その日は普通にゲームセンターに行って、本屋に行って、ファミレスに行って、終わりだった。
そして何より世間話をするようになった。
昨日みたテレビの話や、授業の話、そんな普通の友達がするような会話を、
たびたび僕に振るようになっていた。
とは言っても、全裸を強制することや、無理矢理アナルセックスをさせられる点は変わりなく、
キッカケは「B君」だ。
B君とは始めて同じクラスになった。
まず何より体が縦にも横にも大きいため目立つ。
そしてB君は柔道がとても強かったらしい。
二年生に進級し、イジメっ子がいつものように「おい!」と叫び、僕を呼ぶ。
B君があらわれた。
B君はイジメっ子に対して「辞める気はないのか?」という感じのことを聞いた。
僕がイジメっ子にイジメられていることは学年中のみんなが知っていたため、B君も知っていたのだろう。
イジメっ子が返事をした途端、僕はB君に引っ張られ、服を着させてもらった。
それから、B君は僕を守ってくれるようになった。
授業も制服で受けられるようになり、
放課後のおぞましい性行為もB君が柔道部に匿ってくれるようになったおかげで治まった。
僕はB君と一緒に過ごすようになった。
楽しかった。
正直、僕の「自我」は中学二年生で失われ、この高校二年生になるまでずっと無かったのだと思う。
B君が体育会のわりにアニメが好きで、特にガンダムシリーズが好きだったこと。
格闘ゲームはギルティギアよりもストリートファイターやKOFの方が好きなことも。
B君は優しくて、強くて、格好よかった。
全部、全部、覚えている。
B君との繋がりで、ほかにも友達ができた。
みんな優しかった。
けど、やっぱりB君は特別だった。
僕はB君のことが好きになっていた。
同時にB君とも別の教室になってしまったけれど、お昼休みは一緒にご飯を食べたし、
このB君のことが好きだという気持ちを、どうやって処理すればいいのか悩んでいた。
まずもちろん、B君が男性が好きな男性なのか? という疑問を解決しないといけない。
そして、さらにその先にある
「責任感の強いB君にそこまで求めても良いのか?」という疑問が一番大きかった。
好きなら好き、嫌いなら嫌いだろ? と簡単に割り切れればいいのだけれど、
なんていうかB君と僕の関係はとても危ういように感じていた。
ハッキリ言って、B君の方が立場が上のようで、ある意味では下になる。
所謂「助けるなら最後まで面倒みろよ」的な論調で、B君の自由意志が反映されない気がしていた。
仮に僕とB君が相思相愛だったとしても、
B君の無条件の信頼と好意によりかかった、僕にとって都合が良すぎる関係なんじゃないだろうか。
つまり
『あのイジメっ子が僕に関係を強要したことと、上からと下からという違いがあるだけで、実質同じなんじゃないろうか?』
という悩みだった。
力の暴力とはまた違った、関係の暴力みたいなことを、B君に押し付けることになるんじゃないか?
僕はB君によりかかりすぎて、これ以上を求めちゃいけないんじゃないか。
僕もB君に対して同じことをしようとしてるんじゃないか。
彼は県内の大学に、僕は県外の大学にそれぞれ通うことになった。
たらればを言ってもしょうがないのだけれど。
イジメっ子が僕をイジメてなかったら、僕とB君は友達になっていなかった?
イジメっ子が僕に性的行為を強要しなければ、そもそも僕は男性に性的な魅力を感じなかった?
もちろん、イジメっ子のしたことを肯定する気はさらさら無いし、合法的に殺せるなら殺してやりたいとすら思う。
けれど、あの地獄が無ければB君とは出会えなかったし、あの地獄があったから僕はB君を好きになれたのかもしれない。
僕は彼を好きになったのだろうか?
彼は僕を好きになってくれるのだろうか?
僕は今でもB君のことが好きです。
あと大槻っちに声かけて気絶したところを拉致してハイエース的な。
1年の島ちゃんには前衛書をエサに人気のないところに連れ込んでやっちまいましょう。
(どーでもいいが、勅使河原なんて苗字、GTOぶりに見たわ。冬月ちゃーん)
宮田ちゃんもユカリに片思いしてるからユカリを人質にするって体でいくか。
涙目で気丈に振る舞ってるの考えるだけで勃起がおさまらんわ。うぇひひひ
あとはそうだなー
百合でな。
ああ忘れてた、柔道部のあいつに望月がレイプされる展開もいるな。
いろんなとこで顰蹙かってそうだからな。
街で下手に正義感出したのが運の尽きで、多人数相手にはどうしようもなく、みたいな展開。
服装はあれだな。。。制服も水着もいいけど、作中でよく出てきたのと言えば、スパッツいいよね・・・
ふすまの向こうでめっちゃたくさん女子が寝てるとかね。たまりませんわ。
とりあえずこのあたりにしておくか。
モンキーターンよりおもろかった。
ぶっちゃけ最初はノリが古すぎて微妙かなと思ったけど、だんだんノリに慣れてからは普通に楽しめた。
展開が早いのもよかった。
桜子かわいすぎ。
はじめの一歩で言う宮田との戦いを全然もったいぶらないところもすごくよかった。
さすがに?最後らへんは打ち切り気味の駆け足だった気もするけど、とりあえず結果さえわかれば十分なレベルの内容をそれまでちゃんと読ませてもらってたから十分満足できた。
卒業式で柔道部のほかのメンツがお互いに内緒でみんなこっそり告白してそう。
そんで結局それがお互いにばれて誰とも付き合わないみたいになりそう。
桜子がこっちを好きになる前に片思いで桜子をすきになるようなタイプの男はまず付き合えないと思う。
あー桜子と付き合いたい。
この春顧問の割り当てがあり、なんと私の名前が空手部の顧問のところに入っていた。正直死にたい。
私は根っからのスポーツ嫌いである。どのくらい嫌いかというと、オリンピックや野球、サッカーなどのスポーツ中継は一度も見たことがなく、テレビで見かけようものなら一目散にチャンネルを変え、オリンピックの時期に盛り上がろうものなら新聞のオリンピックの記事を破り捨て泣きじゃくるぐらいに嫌いである。
なぜこのようになったのか。私は予定よりだいぶ早く生まれ、かつ、早生まれだったので、小さいときはまわりと比較して体の成長が遅かった。故にスポーツは苦手であった。ここまでは、ただのスポーツ嫌いで済んだのだが、ここにいくつもの事象が根っからのスポーツ嫌いに仕立てあげた。
夏休みになると、ABC放送ではパーマンなどのアニメがやっていた。ところが高校野球のシーズンになると、これがやらなくなる。高校野球は、私から好きなものを奪う最悪なものだと認識した。
中学校に入ると、科学部に入ろうと心に決めていた私に体育の女の先生が厳しい顔をして言った一言がコレである。「男子の人は基本的には体育会系クラブに入ってください」。中学生なりになぜ一覧にあがっている科学部に入るのはだめなのかと疑問を持ち担任に聞いたところ、科学部で構わないということだったが、なぜこんな事をいうのか意味がわからなかった。
中学校のとき、クラスのF君はサッカー部だったが、私から50円を借り返さなかった。ほかの連中も俺をからかってきてばかりでゴミクズみたいな奴ばかりだった。サッカー部の連中は人間性が下劣なことが圧倒的に多い。
中学校のとき、野球部の山本君は、圧倒的体力で、暴力を使って私にイタズラをしてきた。同じく、柔道部のI君は技をかけてきた。
高校は工業高校だった。工業高校に入って体罰を生徒らに加えてきた体育の先生が豹変し、おとなしくなったと思ったら言った一言がこれである「機械が好きで入って来ているような奴はおらへん。だから、俺と、サッカーやろう。」。
別の体育の先生が言った準備運動中、大の字で体育館で寝ているときに言った言葉がこれである。「寝るという行為は大地からエネルギーを吸収する行為なんですよ。」。科学万能主義の私には全く言っている意味が理解できなかった。
先の体罰を加えた先生は、体育の別の女の先生をひっぱたいてたし、バレーボールを土足で蹴ったことが気に入らなかったらしく、生徒が首に巻いていたタオルをつかんで地面に生徒をたたきつけていたし、体育館の入り口に靴が並べられていなかったのが気に入らなかったらしく、焼却炉で靴に火をつけたりしてた。
そんなこんなで、私は体育が完全に嫌いになった。
大学に入ってスポーツ中継が好きな友人に聞いてみたのだ。「スポーツってなにがいいの。なんのためにあるの。」と。すると彼は「スポーツは人々の注意が権力者に向かないようにしておくためにあるんだよ。」と言った。教職を取っていた私は、学習指導要領を確認し教科「保健体育」の目的を確認したのだ。すると「健康を増進することを目的とする」というようなことが書いてあった。ところが、現実には、体育には、ただそれだけではない、日体大の「団体行動」に代表されるような人々の教化する役割が与えられている。
これは、人類の歴史を紐解けばある意味当然なのである。お殿様が領内の体力のある者からクーデターを起されないためには、体力のある者をみつけだして褒美を与えて見方につけて置かなければならなかったのである。これは、憲法が制定され法治主義になった現代でも、人殺しのための武術だけでなく、「サッカー」「野球」のような新たな発明が導入されるようになった他は、戦国時代と何ら事情はかわらない。スポーツは、権力者が民衆を隷属させるためのツールにすぎないのだ。
おとなになってからもこの事情はかわらない。大好きだった同僚から言われた一言が「(付き合うなら)○○もなんかスポーツをして、さわやかなスポーツマンになってください。」である。付き合うのにスポーツができないとだめなのかよ。。。。。
そんなことを考えているうちに、単なる体育嫌いから、一切、スポーツに手を貸したくないと思うと共に、体育会系クラブの顧問は糞だと思い、これに参加する生徒は可哀想な人だと思うように鳴った。これは、正直私の中では、君が代斉唱よりもはるかに嫌悪感が高い。
こんど高体連の会議がある。民衆を隷属させるためにスポーツに手を貸すのは、心が汚れるようで、空手の技やルールが脳の神経ネットワークに刻み込まれるのは、体が汚されるようで、正直つらい。
SNSに「スポーツは民衆を隷属させるために開発されたツールだ」と正直に書いたら、いろいろな先生からひそひそ、「私はスポーツ観戦が好き」「スポーツはリクリエーション」とかいろいろなことを言われてしまった。そういう一般的な理解をしている人がいることはわかるが、今の自分が理解されないことが、もっと悲しくて辛い。
そんなことを夜な夜な考えていると本当に死にたいと思うようになってきて、ついSNSに書いてしまった、すぐに消したけど。
オートメーション化が進み、パワードスーツが開発され、AIで自動車が走り、グローバル化が進み、法治が進んだ未来においては、体力を持っていることなんて何の意味も持たず、地域で争うこともなく(スポーツは自分が属するチームを応援することなどを通して過当競争を促進する)、スポーツ自体が何の意味も持たなくなってしまうのではなかろうか。
死ぬぐらいならとっとと職業やめたほうがいいって冷静に判断がつくので、もう少し耐えてみようと思うが、スポーツに手を貸すのがつらくてしょうがない毎日。
・アイスを買って食べる時、いちいち俺の分も味見をしたがる。同じ味でも俺の分を舐めにくる
・自分が先におやつを食べ終わった時、まだ俺の分が残っていると、何かしら手を考えて奪いにくる
・ブレア・ウィッチ・プロジェクトを借りてきて、怖いから一緒に見て?と言ってくるかと思いきや、俺一人で観てレポートを書いて提出するよう要求する
・友達には「そんなに怖くなかったよー」とか話している(電話で)
・かわいい
・夜中に「怖いから一緒に寝ない?」とかは残念ながら言いに来ない
・かわいい
・俺の部屋で布団を敷いた後、柔道の真似をして大外刈りとかをかけに来る
・かわいい
・俺も苦手
・だけど俺の部屋にきゃーきゃー言いながら退治するよう命令にくる
・かわいい
・ゴキブリが自分の部屋で出た後見失ったことがあって、俺の部屋で寝る?といったけど残念ながら母の部屋で寝てた
というくらいかわいい。
大学で柔道部やってて、当然不細工とかコミュ障でフツメンは1人もいなかった。人数はプレイヤー10人、マネージャー3人くらい。
で、プレイヤーはマネージャーに対してそんななれなれしい態度取れないキモオタばかりだったんだけど。
俺が主将やってたときはマネージャーは普通にかわいい子2人、普通だけどハーフ補正入ってる子が1人とレベルが高かった。
俺的には、「テニスとかバスケとかそういうイケメンサークルのマネージャーに成りたかったけど漏れたのかなあ?」って感じだったんだけど。主将やってたからできるだけ無駄にしてほしくないから媚売りまくってた。楽しくない時間をできるだけ作らないように媚ていた。
残念ながら部員達はタコ入道とか、丸刈りとか、虐められっこだったけど強くなりたいガリひょろとかで。だいたいホモっぽかった。
全員女が苦手でマネージャーとは最小限の会話しかしない感じで、オタサーの姫の囲いみたいな積極的にかまうとか一切なかった。普通に話したり、同級生と会話したりとかそういう感じ。
こういうの何サーのヒメっていうんだろ?全然ちやほやされてないよ?
多分ヒメ的にも、とりあえずなんかやっておこうみたいな感じで入っただけだろうけどさ。なんとなく続けてる感じだと思うんだけど。
22歳の時に一部上場の自動車部品メーカーに入社し、首都圏で働いている。
「俺」に東京を案内してもらいたいと言って、土曜から今までこっちに来ていたからだ。
日光の温泉旅館に泊まりで出かけて。まあただ泊まっただけなんだけど。
絶対口説けると思って、新幹線の改札前で別れ際に付き合いたいと言った結果が
「そういう対象に見られない」
返事を聞いた瞬間に湧き上がってきたのが、「残念」というよりも、「またか」という感情。
「ドキドキしない」「優しすぎる」「いい人すぎる」「お兄ちゃんみたい」
残業代や住宅補助、出張手当なんかを入れた年収は額面で500万を少し超える。
初対面の人にアメフト部とか柔道部出身とか聞かれるようなガッチリ目の体型で、
野太い声をしているので、外見は非常に男らしいと思う。
学生時代にはフリーペーパーにファッションスナップが載ったこともあるので、
それなりにおしゃれなんだろうとも思う。
18の時に一人暮らしを始めてからというもの、最低でも月に1度は女の子とサシで遊んでいる。
初詣に花見に、ドライブにハイキング。海にプールに冬山でボード。
カフェにバーにイタリアンにフレンチに。スポーツ観戦に花火大会。映画にコンサート。
やることをやるのをのぞいて、おおよそカップルがするような遊びまでは一通り経験できてんだよ。
それなのに、誰とも一線を越えられない。
お断りの理由から察するに、フェロモンが出てないとしか言い様が無い。どうしようもない。
ブザマすぎる。惨め過ぎる。もうどうすりゃいいのコレ。
中学校時代、「デブだから柔道をやれ」と顧問に目を付けられ、親まで巻き込んで柔道部に入れられた。
ランニングだの受け身だのの基礎練習はキツかったが、まあそれはいい。
問題は、その三年間で、柔道を以下のような行為と理解した。せざるを得なかった。
初めての寝技の訓練で、顧問と寝技の乱取りをやっていた時のこと。
講師に抑え込まれて「ぐっ」だか「くっ」だか、悪態めいたうめきが口から出てしまった。
その瞬間、顧問がキレた。「てめー、指導者に向かって何だその口の利き方は!!」
寝技の訓練では抑え込みから逃げ出す練習の筈だったのに、いきなり首を絞められた。
まだ13歳のガキを、柔道経験者の大人が、いきなり絞めに来たんだ。
で、かろうじて絞めをふりほどいたら、「まだ終わってねえぞコラ!」とまた首を絞める。
息はできない、のどは苦しい、顔に血が集まって視界は白く濁り、「死」の文字が頭に浮かぶ。
逃げては絞め、逃げては絞め、ついに俺は、初めての寝技の練習で、逃げ方を習っても居ない絞め技で落とされた。
次に意識を取り戻した時、顧問は俺を睨みつけながらこう言った。
「お前がふざけてるからそうなるんだ。わかったら反省するまで立ってろ馬鹿者!」
その後、絞め技で目に血流が偏り、両目の毛細血管がブチブチ切れて内出血したが、特段休むこともなく練習に放り込まれ続けた。その時わかったよ、部活ってのは恐怖で統治して、相手に憎悪を刷り込んで戦わせるもんだって。柔道ってのは審判が止めるまで戦い続ける、ルールのある殺し合いだって。
そして、その後3年間、「指導」の名の下に、顧問に圧迫されながら柔道と言う牢獄に俺は放り込まれた。
その後、地域でもそこそこ強くなったけど、もう二度と柔道はやりたくなかった。
柔道から解放されて高校に入る時、もう俺は自由なんだ、って叫びそうになったよ。
顧問がビンタしてる動画があったろ? あれに実際にギリギリ絞めるとか寝技で胴体圧迫するとかを加えるのがうち中学における、柔道の一般的な「指導」スタイルだったよ。柔道はルールのある殺人だってことを教えてくれてありがとうT先生、俺はもうやらない。
しかしこうやって柔道部の死亡率みると「多少は」どころじゃないだろー、って思うんだけどねえ
http://www.geocities.jp/rischool_blind/sports/fatal_rate_jr_00to09.png