はてなキーワード: ブラックボックスとは
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
ニュー速の騒ぎに大手ブログがだんまりを決め込んでいる中で、はちま寄稿が反応。
http://blog.esuteru.com/archives/5692414.html
しかしやはりというか、実に偏向的な抽出の仕方である(それがこの手のブログの常套手段でもあるのだが)。
以下は同じスレッド
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1326238705/
52 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 08:51:58.12 ID:93J/+0CD0
俺らのコメントでめし食ってるヤツが居る。
こちとら無償のネタ提供なのにそういう事をされるのは腹立たしい。
ってことじゃないの?
ステマ騒動まとめ
24 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 08:45:10.35 ID:nlB+DqwY0
133 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:03:47.88 ID:GD2cC+ba0
↓こういうことなの? どエロチックな人教えて。
154 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:06:30.88 ID:4qjGKnfW0
そんな感じ
というか「担当者ミス」としか公表されてないから真相はブラックボックス
174 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:09:41.49 ID:/4nE98GAO
>>154
他商品のネガキャンまでしてんのかよwクソじゃん
てか、
>ブログ管理人氏のTwitterアカウントのフォロワーの中に、何人ものスレ立て常連ユーザーがいた
もう完全にいいようにコイツらにニュー速民は踊らされてたわけかw
305 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:26:35.68 ID:NRuA5Y040
トンキンスレッドとかアフィー騒動から、忽然と立たなくなったもんな
腹立たしかったし
482 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:51:56.07 ID:NRuA5Y040
腹立たしかったんだが
307 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:26:42.77 ID:55HyOiwb0
アホみたいに簡単に稼いでたから、反発したってこと?
加えて自分らがただ利用されてただけってことにも反感かったのか
331 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:30:01.35 ID:J9l1kJhA0
307
しかも連中は運営とつるんでた
いろんな事が重なってこれだけの大々的な祭りになってる
344 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:31:46.35 ID:NRuA5Y040
人のフンドシで相撲を取ってる奴が、
月30万だの100万だの稼いでると聞いたら腹立たしいもんな
346 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:31:52.54 ID:5PjXtAy30
+板でもそうだけど、女叩きは伸びるからなぁ。
387 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:37:36.65 ID:R8cGxovD0
352 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:32:43.81 ID:vhoNvAjL0
まとめサイト系のアフィってエロアニメやらフィギュアとかばっかで気持ち悪いんだが、
やっぱそれでも相当儲かるの?
360 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:33:26.65 ID:LV5wkxCQ0
352
あんなのクリックして買うやつなんているのか?
間違えてクリックしちゃうってことはあるかもしれんが
402 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:40:10.23 ID:55HyOiwb0
なんかクリックしてその時買わなくても
419 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:42:56.76 ID:6zUhR/CGP
レスを転載するだけでかなりの金が入ってくるわけだから、アフィブログを敵視する気持ちも
分からないでは無いんだが、VIPでSSや一発ギャグのスレを立てて、それがアフィブログに転載されると
510 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:56:29.82 ID:IIhi0fyr0
まとめサイトって、そんなに見る物なのか?
今回の話を、なんとなくこのスレ内で理解したつもりだけど
523 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:58:23.06 ID:vRK4Edpu0
510
俺の周り話だけど、2chは見ないけどまとめサイトはよく見る人が多い
560 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 10:04:07.39 ID:EOGO47Sv0
523
それが一番の問題なんだよな
今のまとめブログは、ソースを辿れない馬鹿を騙すことに特化してる
586 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 10:07:58.76 ID:vRK4Edpu0
560
511 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 09:56:40.07 ID:4qjGKnfW0
なんか+落ち着いてるな
雰囲気変わった気がする
542 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 10:01:49.94 ID:EOGO47Sv0
511
完全に情熱が消え失せてる
完全におわっとる
662 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 10:18:59.60 ID:TByA14PR0
スレタイ見るだけでどろっといやな気分になる。
一部分を切り取って誇張した記事で、そもそもニュースでもないしな。
565 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 10:05:06.47 ID:/0bV502/0
よくわからんが、ここはニュー速ではなくニュー速+だから関係ないということでいいのか?
709 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 10:25:11.89 ID:EOGO47Sv0
604
連中はお前らのレスを改変して面白おかしく印象操作して、これだけのPV数を稼いでる
ちなみに、この板の昨日のPV数は56256
笑えるだろw
819 名前:名無しさん@12周年:2012/01/11(水) 10:37:47.48 ID:10nHLMLm0
害ばかり撒き散らすクソの集まりだよ
確かに「2ch利用者は損をしない」だとか「儲けているのに嫉妬しているだけ」という意見も一理あるだろう。+の住人にとっては他人事なので「どうでもいい」とか「騒いでるやつ馬鹿じゃないの」というような書き込みも多かったのは事実である。
しかしコピペブログのアフィで儲けているブロガー、お前自身がそれを言うのは違うだろうと。他人の書き込みを飯の種にしている上に、一切悪びれることもなく印象操作までする開き直り。しかもそれを自分の口で主張するのではなく、他人のレスを使って代弁させるという汚さ。この手のコピペブログは「書き込みをまとめただけですよ~」と言って逃げるからより悪質なのだ。
コピペブログはいくつの問題を孕んでいる。他人の書き込みを利用しているという点、偏向的な編集、過剰な対立煽り。コメント欄が炎上するようにコントロールし、アクセスを稼ぎ、甘い汁を吸い続けるはちま寄稿の管理人はいつか必ずその報いを受けなければならない。
その言葉との出会いが私にとってのインターネットという希望だ。そう信じてネットの文を読む。ネットに限らず、だけれど。
これは私の文章の読み方の話だ。
http://anond.hatelabo.jp/20111119203554
を書いたあとで、
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
を読んだ。
普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。
世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。
何故インターネットという希望の聖域の大切な動機という最も偉大なる感情の衝動を、
就職活動という大人達が作り上げた陳腐な社会の枠組みのブラックボックスにアウトソーシングしてしまうのか、僕には全く理解が出来ない。
素晴らしい世界を、どうしてアラビア人などという現実世界のくだらなさを持って語ろうとするのだ。
無限の永遠世界の衝動を、就職活動などという確かで小さな現実世界の理由付けで説明しようとしてしまうのだ。
そうじゃなかったはずだ。そんなんじゃなかったはずだ。僕らが夢見て懸命に生きたインターネットはそんなものじゃなかったはずだ。
ここらへんについては、言葉の技術(この人のほうが私より断然ウマイ)や対象は違うけれど、私が書いてることとかぶってると自分では思ってる。ここいらの部分については、私にとって、同意やら共感することはあっても心が動かされることはなかった。
これは持論なのだけれど、悩みというのは、あるものごとに絡みつかれ、あるいは取り込まれ、そこから抜け出せない状態を指すのだと思う。そして、文章でもなんでも、表に出すことができることは、どのような形であれ、自分がそこから距離を取ることができたものである。
はてブの人のように、そもそのその問題に興味がないから軽く考えて思考停止した状態でなんの感情もこもっていないコメントを書ける人もいる。(「三行でまとめろ」みたいなことを言ってる人は、幸せな人だと思う。その幸せに気づかないところに少し嫉妬を感じる)
ふと興味を持って、そこにわずかな感情移入をこめたり、調べてみて情報を追加する人もいる。
一方で、その問題に巻き込まれ、散々傷ついたり悩んだりした上で、なんらかの出口を見つけた人もいる。
とりあえず、私は上のような問題については、たどたどしいながらも言葉にすることができる。ある程度客観視出来る。読者から見て、客観視できてないと思われる所があると感じたなら、まぁそこはまだなんか執着があるんだろうが、それでも大枠としては抜け出せていると思う。
私にとって、文章に書ける問題っていうのは、私の中でもうあきらめが付くか克服されていることである。
もうここいらの問題から私は逃げることはできる。無理に否定しなくても、自分を抑圧しなくても、生きていくことが出来る。
だから、私にとっては、この部分は、まぁいい。
自分が距離をとれる問題について言葉のやり取りだけを繰り返すなら、インターネットはいらない。
私が他人の文章を読む時、私が探しているのは、自分の心のなかにあって、でも気付くことさえできない言葉だ。
生きてはいけるけれど、どうにもこうにも心苦しい。その理由や、自分の位置を、他人の言葉で確認したいと思ってる。
美しいものを美しいと言う。それが出来ないのが人の悲しみである。
素敵なものを素敵と言う。それを口に出せないのが人の苦しみである。
「美しいね」と言いたいのだ。「素敵だね」と告げたいのだ。
僕らがインターネットをするのはザッカーバーグの為ではなく、インターネットの為でもなく、ましてや自分自身の為でもない。愛の為だ。
少し泣いた。この部分に何を思ったかは書かないしまだ書けないけれど、こういうものとの出会いがインターネットに感じる私の希望だ。
他の人には、この文章が、ただのルサンチマン、で処理できるものなのかもしれない。ただの勘違いと読んで笑うかもしれない。
それでも構わない。というか、本来、そういうものなのだ。みんなが同じように理解して納得できるものだけが価値じゃない。
昔は自分の望んでいることや、自分が正しいと思うことを主張するのが、他人にとってはただの我侭でありルサンチとして一笑に付されるものであることに絶望したりしたこともあった。そうやって、自分が何かを望むこと自体が間違いであったり、自分自身が間違った存在であると思った。そう思って何も望まず、無気力になったこともあったけど、今は自分と外の世界は別のものだと思っているから気にしない。
自分だけが大切と感じるものがあってもいいし、そういうものを見つけることこそ幸せなのだと思ってる。人は自分だけの、自分のための勘違いをするために生きている。
その上で、朋有り、それはインターネットから来たる。自分にとって大切な事を、他にも感じている人がいるかもしれないと思うのは嬉しいことだ。自分のなかの小さな真実でも、勘違いでも、それでも人とつながりうると感じる。それが私の希望だ。
「素性の良い言語」に求められる性質は色々あるけど、一つは、モジュール同士を疎結合に保つための機能が備わっていることが挙げられる。つまり、「理解していない人」がエンバグしても、その影響範囲を最小限に留められるということ。これが、機能追加やデバッグ時にどれだけありがたい性質であるかは、多くのプログラマに同意してもらえると思う。
大規模なコードになるほど、一人の開発者から見てブラックボックスになる部分が増えるのは避けられないこ。Javaの言語機能を適切に使えば、手に負えないバグを埋め込むことを回避しやすくなる。
って回答したつもりだったんだけど…補足。
一般の人達が思ってる以上に、新しい世代の技術者ってのはいない。
個人的な見解で言えば、生きていく上で「よし新エネルギーの研究しよう!」って強い熱意を持つ人が、
自動車とかコンピューターとか生物とか、触れることは多いけど、
半導体とかエネルギーとか材料とか、生きていく上でブラックボックス化されてることが多いから、
熱意ある人が少ないんじゃん?一般的に「分かりやすい」方向に人が集まるわけで…
(オペレーティングシステムがりがり書くよりソフトウェア作りたい人が増えてるみたいに)
そういう「分かりにくい」分野って、
契約文書を電子化(PDF化)し、その文書データを政府(法務局)が預かり、「公証」する。
契約に疑義が出た場合は、当事者や利害関係ある第三者は、いつでも公証契約書を確認することができる。
「典型契約」(雇用契約や売買契約、不動産賃貸借契約、金銭消費貸借契約など、一定のフォーマットに従う契約形態)
できれば、国の方で「契約の条文をテンプレート化」し、極力契約当事者はテンプレ条文を利用するように
「誘導」する。
いわば「標準約款化」である。
するようにすればいい。
1)(プライバシーに配慮する必要はあるが)一定条件下で国や研究機関が
例えば、日本国内における雇用契約(5,000万本以上?)を全部データ解析できるようになれば、
売買契約は、小口の売買契約(数百円)を網羅することはできないが、
大口の契約(印紙税が発生する、数万円以上の売買契約)を網羅把握できるようになれば、
これを可視化させることによって、適切な住宅政策を打ち出すことが出来る。
テンプレに乗っからないような特約条項を行う際に「障壁を感じる」ように仕向ければ、
反社会的と思われる契約を少なくする効果が生まれると思われる。
例えば雇用契約において労働者に著しく不利な条項、賃貸借契約において賃借人に著しく不利な条項は、
テンプレ段階で「用意しなくする」ことによって、そういう契約が締結される可能性を
減じることができる。
「表向きは電子契約を締結するが、その裏で電子契約登録しないヤミ契約を結んで、
電子契約の内容を修正する」という輩が出現する危険性はあるが、
その場合「政府が公証する電子契約のみが有効であり、政府が公証しない契約は無効」という
建て付けにすれば、ヤミの裏契約はその効力が著しく減じられる。
古い技術は高度だし、お金につながりにくいから勉強後回しにされやすい。
キャリア10年っていっても、キャリアの最初は一般的な製品開発担当している人が多いから、
逆に、一般的な製品開発では基礎技術をブラックボックス化したライブラリ(新しい技術)の知識が要求される。
キャリア長い人の方が便利なライブラリではなく、自分で全部作りたがるから立ち悪い場合もある。
キャリア長い人は、その便利ライブラリにバグがあったらどうするんだとか言い出すのよ。
いや、あんた、何百社の人が何年もかけて作ったオープンソースのライブラリですよ。
もうリリースされて何年もたってるじゃないですか。あなたの作ったライブラリの方が心配です。
2010年12月26日 ー 日本は発信後手で援助外交脱皮ならずー
日経の記事だが,「国力が衰えても,外交力はしばらく高止まりする。英国は影響力をうまく保った一つの例だが,はたして日本はどうなるか」,と問いかけている。米国の陰に隠れて生き延びるのか,しかし米国も全く実力がない国との同盟には,熱意を持てないだろう。人口も減ってくる。10年前には,我々の感覚としては,ベトナムやタイは7,8千万人で,それに比べ日本は1億,と言う感じだったが,タイやベトナムと肩を並べることになる。
私は,カンボジアやミャンマーを見ていて,もう中国の資金力には太刀打ちできない,諦めた,と思っていた,多くの私の友人もそう思っていただろう。昨日のNHKの海外ニュースでアフリカのアンゴラが出ていた。私の友人がJICAの仕事で最近アンゴラに出かけていたが,何を今更,と思っていた。完全に中国経済に抑えられたアンゴラにJICAが出ていっても仕方がないだろう,と。しかしそうではなかった。
2008年7月には原油が最高値バレル140ドルをつけていた。このときがアンゴラに対する中国の経済介入が最高に達した頃だ。その後,あっという間に原油価格は下がり,2009年初めには40ドルまで急落している。この時点で,アンゴラはこれ以上中国元の支援が得られない金融状況に追い込まれた,返済できなくなったと言うことか。慌てたアンゴラ政府は,支援先の多様化を模索した。
この事情を見た米国クリントン長官は,アンゴラを訪問して,金融面で一カ国に頼りすぎる危険を説いた。この新しい情勢に刺激された日本企業が,アンゴラへの積極的進出に出始めた。テレビでやっていたのは双日の担当者で,どうしても会えなかったアンゴラの工業大臣が,やっと双日との面談を受け入れた。アンゴラには,このような意味で,新しい風が吹き始めているようだ。
その後,クリントン長官はカンボジアのプノンペンを訪問して,経済的に一つの国に頼りすぎることの危険性を説いて回っている。あの時は,長官は何を根拠に,と思っていたけれど,昨日のテレビを見て,クリントン長官はアンゴラの例からカンボジアに注意を喚起しようとしたのだと分かった。あの当時,カンボジアのフンセン首相は,経済的にも政治的にも,中国以外の国には口も聞かない状態に陥っていた。
特に中国の場合は,余りにも無条件の経済支援に,申し入れを受けた国々は,何の疑いもなく中国の資金力の膝下にひれ伏している。インドネシアも一時危なかった。カラ前副大統領は北京を訪問して,「中国の政治体制は最高だ,見習うべきだ」,ととんでもない発言して,第一次クラッシュプログラム,10,000MWの80%の資金を中国元で決めている。その後,中国の姿勢に変化があり,インドネシアはその危険を自覚した。
今タイが攻め込まれている,北のノンカイからバンコクを経てシンガポールまでの高速鉄道の建設を迫られている。タイの鉄道大臣が北京に呼び寄せられて,何を躊躇しているのか,資金も技術も人材も,何も心配することはない,後は着工するだけ,早く決定してくれ,と迫られている。さすがにタイである,この中国の申し入れに対して,タイ国会が首をかしげている,一体誰がこの高速鉄道の客になるのかと,即ち採算無視である。
インドも無謀な中国の申し入れに困惑している。インドやタイは,カンボジアやミャンマーと違って魂まで中国に売ることはしない。石炭火力の超臨界機器を売り込み,リライアンスの4つの石炭火力で,15,000人の中国人のビザ受け入れを迫られ,内務大臣が唸っている。一カ所の発電所に3000人の中国人が必要,と上海電気が説明しているのである。
実は我々は,強大な中国の資金力と,人権環境に条件を付けない中国のアジア進出に打つ手なし,と諦めていた。Jパワーなどは,中国が出てきたところで,ダムと石炭火力からは手を引く姿勢を示していた。しかしここ一週間ぐらいで,情勢は大きく動いている。資金面で国際協力銀行が大きく動く気配を示している。JBICの独立は,政府はJBICの政策に沿って,日本の金融資産などをベースに大きく起債できる可能性が出てきた。
「兆円オーダーのプロジェクトを年間20兆円レベルで投資」,と言う政府の端的な考え方は,十分に中国と現場で戦えるレベルである。ただ人権環境が大きな日本の壁ではあるが,これは逆に日本の武器ではなかろうか。中国が,人権環境はおろか,プロジェクト経済無視の姿勢で押してくるなか,開発にはどの様な考え方が必要か,日本側は相手国に説明してかかる,必ず先方政府には理解出来ると思う。
中国に比べて日本には資金力がない,と言うのは妄想ではなかろうか。個人の金融資産や年金基金,郵貯基金など,これらを動員する理論の欠如や受け皿機関が収縮してしまっていたのではなかろうか。少なくとも,国家財政の半分以上は海外活動で調達しなければならない現実の前,何を恐れる必要がある,インドの超臨界機器,タイの高速鉄道,ミャンマーやカンボジアのダム,インドネシアの石炭火力等々,
中国の向こうを張って戦うべきではないか。中国は無条件だ,と言うけれど,その無条件に従って中国依存に突っ込んでいくと,将来どの様な困難が待ちかまえているのか,何も遠慮することはなく,説明してあげてはどうか。採算無視の政治案件が旧ソ連の崩壊を招いたように,中国の言うとおりに進めると,自己破産に繋がる可能性が高いと。とにかく,JBICを先頭に立てて,大義名分で海外投資の体制を立て直して欲しい。
私が,日本の国家を論ずるときに,企業の海外進出が必要,と言っているのは,日本の国内での成長は望め得ないと言うことと,日本の周辺に年率10%近い成長を続ける経済環境が存在するからである。国内だけ考えると,日本人はますます小さくなって行く。日本政府は本当に無茶苦茶である,税金が40兆しかないのに90兆の国家予算である,誰も文句を言わない,90兆全部を国債で賄っても,鈍感な国民は何も言わないのか。
国債1000兆まで積み上げても何も起こらないのであれば,国家予算は当面全額国債で賄ってよいのではないか。増税で対応,と言っているけれど,出来る増税は焼け石に水だろう,増税しても意味はない,今年も来年も45兆ぐらいの国債,2年で90兆を発行する覚悟なのだから,今年90兆の国債を発行しても,大きな違いはなかろう。要するに,税という古来の概念を国債に変えるだけである。
国債を買える人が国家財政を支える国,とうものがあってもよいと思う。今年も国債の売れ行きは順調のようである。国民は貯蓄の一つの形態として国債を買う,好きなときに日銀に行けば,いつでも現金化できる,日銀にどれだけお金があるのか,どれだけ紙幣を増刷できるのか,それはブラックボックスである,インフレの数字だけを気をつけて見ていればよい,と言うことになる。野田さんは44兆に抑えたと言うが,何の意味もない。
パキスタンに対して,米国はテロへの対策が生ぬるい,と非難している。中国の温家宝首相は,パキスタンを訪問しパキスタン国会で演説をして,パキスタンのテロ対策は素晴らしい,とブチ挙げた。余りに無責任な温家宝首相に,米国は怒っている。途端に大規模な自爆テロ,43人が犠牲になっている。温家宝は何を考えているのか,と言わんばかりにオバマ大統領が非難声明を出した。
中国は,自分の国境回りを一生懸命属国化しようとしている,中華思想の根幹なのである。北朝鮮問題など,如何にも真面目に6カ国協議のなかで処理しようとしているかに見えるが,北朝鮮を韓国と対峙させながら軍事大国にしようとしている,と考えれば,中国の北朝鮮への弱腰が理解できてくる,見せかけの弱腰で,朝鮮半島統一など,中国ある限り,夢のまた夢だろう。パキスタン,ミャンマー問題も皆同じだ。
ネパールのアッパーセティ水力に,ADBが詳細設計の資金を供与する,2012年まで作業が必要と。ネパール政府は,乾期に電力不足が起きるのは,貯水池式水力が少ないから,として,この水力を頼りにしている。ネパールの貯水池計画には難しいところがある,大量のヒマラヤからの流砂である。超大規模なら流砂対応は可能だが,このアッパーセティには,規模から見て,設計に難しいところがある。
「情報はタダ」という「フリー化」の奔流にマスメディアはさらされている。
なので、日経やニューヨークタイムズは有料化に走っているが、
うまくいくかどうかわからない。
ところで、「はてな」には「はてなポイント」という擬似通貨があり、
そして、「はてなー」は、わりと気軽に「はてなポイントを行使」する。
(はてなブックマークのジャンルを見ても、その好奇心度合が判る)は、
その知的好奇心を満たすためには、
多少の「はてなポイントの出資を厭わない」のでは、と思われる。
で、ここで、全く新しい「有料メディアの形」を提案する。
ずばり、「読者が、ジャーナリストに『取材して欲しいこと』を有料リクエストして、
それに対してジャーナリストが取材する」という「ニュース・オン・デマンド」である。
具体例を示す。
例えば、「ホメオパシーが社会問題だなあ」と感じた「はてなー」が多かったとする。
そうすれば、「ホメオパシー問題を取材して欲しい」という要望スレッドを立て、
それに対して「1ポイント」でも「30ポイント」でも「出資」する。
仮に、「10,000人のはてなーが、平均50ポイント出資」したのであれば、
トータル50万ポイント、金額にして50万円だ。
一流ジャーナリストを一週間程度「雇う」ことは出来る。
「トータルで50万ポイントが集まった時点で、
一流ジャーナリストに取材依頼を出す。
取材料は50万円からはてなの手数料10万円を差引いた40万円、
取材期間は1週間」
で、ジャーナリストは経費込み40万円で取材を開始し、1週間以内に
結果を「はてな」で公開記事にする。
「ポイントを出資したはてなーにしか記事は公開しない」(限定公開)
という手法もありえるが、
出資したはてなーに「記事のコピペ拡散禁止」と制約を課すのは難しいし、
そもそも出資額は少額なのだから、
その点は「広く社会に記事を公開」ということで「はてなー」には納得してもらう。
いわば、仮想市場の「はてなアイデア」の仕組みを、ジャーナリズムに応用するのである。
「産経自身が取材したいネタを、『読者の要望に基づいて取材しました』という形に偽装している」という
タチの悪いシロモノであり、
「そのネタって、読者から一番求められているネタなのかどうか?」という点は完全にブラックボックス。
一番リクエストの多いネタを握りつぶし、産経に都合のいいネタだけ拾っている可能性を捨てきれない。
(というか、多分、都合のいいネタしか取り上げていない)
「はてな・ニュースオンデマンド」は、この点を完全にガラス貼りにする。
「外国人参政権への取材リクエスト=12万ポイント」という場合において、
ホメオパシーへの取材リクエストを「握りつぶす」ことはできない。
(サイト上に、現時点でのポイント数をリアルタイムで表示するので。)
「100円程度支払ってもいいから、ホメオパシーの問題点を誰か取材してくれないか?」と
もどかしく感じていた「はてなー」は多かったのではないか?
であれば、こういうビジネスモデルは、少なくとも「はてな」では成立する余地がある。
細かい点は賢いはてなーの皆さんにブラッシュアップしてもらうとして、
叩き台として「はてな・ニュースオンデマンド」をここに提案します。
近藤社長、いかがですか?
その解析に、現存するPCでは生きてるうちに終わらない程度の演算が必要であればいい。
なるほど。指定ツールでのビルド時にRSAとかでキーを生成しして自作ゲームのバイナリに埋め込むわけですね。
でもそれってコピーしたゲームのソースを、その指定コンパイラを使ってリビルドしてキーを付加すればいいだけ
なんじゃないかな。キー生成がブラックボックスでもコピー+キーは生成できちゃうような。
ばらまく人に「指定ツール導入」&「それなりの知識」という負担が増えるから多少はましな気もしますが、現状でも
ROMから抜くのはど素人じゃできないわけで、そんなに難しい話じゃない気が。
まあ、こういう方法があるのに、それをやらない、というなら自作文化はその程度の代物だった、ということで、
より納得しながら、滅びるのを眺められますw
人間の記憶がもしも曖昧なものでなければ、もしも脳細胞がハードディスクのように上書きされるような構造ならば、人間は発狂してしまうだろう。という話がある。その通りで、私たちは大事な記憶を忘れるとともに思い出したくない事を少しずつ、時間が解決してくれるに任している。実際には、考えてないうちに、意識していないうちに、緩やかにシナプスは結びつきを弱め、ニューロンの発火は抑えられる。
脳が未だにブラックボックスだからこんな表現が許されるのだけど、不意な刺激(におい、景色、音、味覚、ようは五感の複合的な刺激)によって結びつきもしないような所から記憶は想起されてしまう時がある。フラッシュバックなんて、おおげさなものでは無いが、私の好きな作家の言葉を借りれば、
ーーーハンバーグの中に小石が混じってしまっているのだ。ーーそれが、かきっ、と不快な音を立ててその辺りの思い出もろとも吐き捨てられてしまうことになる。ーーー確かにかみ合ってはいない、でも引っかかるところが中途半端に残ってる。それがきしんで、だから落ち着かない気持ちになる。ーーー
だから、思い出なんてない方がいいとか、そう言う気持ちがあったのは事実だが、そう世の中うまくいくものではない。そこにあるのは、のっぺりとした日常である。そうで無い気もする。ここ数年の方が、ずっと人生はリリカルでラジカルだった気もする。でも過去を振り返ると、なぜか少し悲しい。矛盾しているし、書いてる最中にも考えがころころ変わる。それはまとまってないとか、よく分からないとかじゃない。よく知っているんだ。
引用は、上遠野浩平 ビートのディシプリン 2巻より。
ttp://home.att.ne.jp/sigma/satoh/diary.html#20100310
標準化は他社には見せない技術、つまりブラックボックス化した技術とは組み合わさってはじめて儲けにつながります。Google、Apple、Microsoftも標準化をすすめる同時に、GoogleはWeb検索を含むインフラ側を徹底的に隠していますし、Appleはコンテンツ販売の部分は徹底的に隠しています。日本の企業はこのあたりがお人好しというのか、前述のように標準化というと日本では非営利な崇高な作業と思っているのか、ブラックボックス化した技術をもたずに標準化をすすめるので、標準化がうまくいっても、儲かる部分がないということになります。
みんな欧米で働いたらいいと思うよ。
188 指錠(沖縄県):2010/03/11(木) 16:11:06.26 ID:Ip7gVCug
1)派遣労働者が受け取る賃金は必ず正規以上と法定 vs 正規の半分以下
2)派遣労働が2年超だと直接雇用義務 vs 期限撤廃して無期限派遣
3)派遣のピンハネ率は10%未満と法定 vs ピンハネ率は自由、平均40%以上
4)企業が支払う総額はガラス張り vs けっして派遣労働者に教えないブラックボックス
6)派遣労働は事業拡大時などにのみ使うと法定 vs 正社員をクビにしてどんどん派遣に置き換えてよい
ちなみにアメリカトヨタは3000円で黒人ライン工が働きたくないと
ただこねて3250円になった。
http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100225a06j.pdf
トヨタのリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。
なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。
前回、トヨタのプリウスのABS問題に対する対応が、全くなっていなかった事を説明した。ひとことで言えばここにたどり着く。
お客の不安を解消しないと駄目なわけで、それはフィーリングの問題だから車の問題ではないって、つまりこれはお客のせいにしているわけだねえ…。
トヨタのリコール問題があれほどまでに大きくなったのは、これは車の問題ではない、お客の使い方の問題だ、お客の感じ方の問題だと責任をお客に転嫁してしまったこの一点にある。これはクレーム処理の基礎のキも知らないことになる。
さて、いったい、クレーム処理とは何だろう?
たとえば目の前に怒り狂ったお客がいる。
このとき、あなたは「何をゴールとして」クレーム処理に取りかかればいいのだろうか? フィーリングの問題だと突き放すというお手本を日本の大企業トヨタは示してくれた訳だが、その結果が惨憺たる有様になったことは火を見るより明らか。実際に、その真実が「フィーリングの問題だった」としても、これは正しくないのだ。それはクレーム処理ではないと。
まず、ここをスタート地点とする。
考えてみよう。
ECサイトの店長のような仕事をしていると、クレームというのは必ず発生する。
トラフィックにもよるが、穏健な問い合わせまで数に入れれば、百件の購入に一回ぐらいだろうか。なので販売単価一万円のECサイトで月商一千万円だとすれば、月に十件ぐらいはクレーム処理をすることになる。
実際にはもっと販売単価が低かったり、もっと規模が大きい数人のチームのECサイトで、クレーム担当が立っていると言う状況だったりするので、もうちょっと件数が多いものであるが、せいぜい日に十件ぐらいにしかならない。
そういうと、思いのほか少ないと思うかもしれない。
実際、お客というのは、何か腹が立つことがあっても、わざわざ文句を言ってくることは少ない。なんと言ってもお客はわざわざ文章を書いて、それをメールで送ってくるわけで、そんな面倒な事をするよりも、ほとんどのお客は二度とその店を利用しないことを選ぶ。
ECサイトの人間が最も恐れるのは、この何も声を発せずに立ち去っていくお客で、むしろ声を上げてくれるクレーマーはありがたいお客なのだ。
また、楽天系のECサイトでは、マントラのようにクレームはチャンスという言葉が流布されている。クレームをわざわざしてくれる人に懇切丁寧に対応することによって、そのクレーマーが重要顧客に変わる、というマントラだ。
実際の所、わざわざクレームをしてくれる行動的なお客は、味方にし優良顧客に転換できれば、知人に積極的に宣伝をし、お客がお客を呼ぶ状態に持ちこめる確率が高い。つまり、クレーム処理でたった1人のクレーマーに適切に対処すれば、優良顧客の打ち出の小槌になる、そんな寸法なのだ。
クレームとはこんな状況である。
自社のサービスを利用したお客が、
支払った金額 or 労力の、
結果に納得がいかず or 結果が想像と全く違い、
怒って文句を言う or その状況を改善しようとする or 助けを求める
こうみてみると、クレームとは顧客の中で発生している問題であることが分かる。
一見すると、お客は「プリウスには欠陥がある」と怒って文句をつけるので、焦点が「プリウス」にあるように見える。このときに自己防衛的に「いや、プリウスには何ら問題がない」と言ってはいけないのである。
なんたって、これはお客の中で発生しているのだから。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
これを呟いてから、クレーム処理はしたいものだ。
そしてこう説明してみれば、分かるように、ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。
しかし、このように書いてくると、かなりDQNなお客に引きずり回されるイメージがわいて来るだろうが、そうではない。クレーム処理をしながら、クレーム担当は、そのお客がいるお客か、いらんお客なのかを冷静に見極める。そして、こちらが誠意を持って対応してもどうも意味がなさそうだと判断すれば、さっさとそのお客は切ってしまう。
クレーム処理とは一種の投資みたいなもので、その投資に見合うリターンが貰えそうにないのであれば、商売なのだから、もう二度とこの店にはやって来ないことを覚悟して、いいようにあしらって(文句が出ない程度には丁重に扱って)出ていって貰う。
とはいっても、本当に真の意味でDQNなお客というのはほとんどいない。
大抵は、丁寧な対応をすれば、それに見合った態度を取るようになる。
困るのは、この真のDQNと優良顧客に転換できる普通のクレーマーは、しばらく対応をつづけないと、どちらなのか判断がつかないところにあるのだ。
そして、モンスター・ペアレントとか、パワークレーマーなどと言われる人々が増えているように見えるのは、この真のDQNが増えているのではなく、適切なクレーム対応が出来ていないことが原因であるように思う。
よくクレームにまつわる話で、あり得ないほど変な怒り方をしているクレーマーを馬鹿にする本などを見る。これは実のところ、クレーム対応に失敗し、お客を烈火の如くに怒らせてしまい、そのあげくにクレーマーがあり得ないことを言い始めなければならなくなってしまった典型例であるので、実際の所、笑われるべきはクレーム対応者である。
たとえばECサイトで、お客さまが商品が買えないと怒っていたとする。
ものすごい怒りようで、孫の誕生日にこの商品を送ってやるつもりだったのに、いったいどうしてくれるんだ、責任とれ! と来ていたとする。でよくよく調べてみると、そのお客は会員登録をしておらず、それであるならば当然に買えるわけがない。そうお客に告げると、会員登録はしたという。いや、してませんよ、いや、した。禅問答である。
この事態の真相は、このお客は会員登録フォームから会員情報を入力したのだが、メールアドレスに対して送られた認証用のURLをクリックしていないので、正式な会員にはなっていないであったとする。
このとき、
「というか、メール認証しないと、正式に会員登録が完了しないって書いてあるじゃんwww」
と笑ったり、
「というか、ヘルプぐらいみろよwww」
とお客を馬鹿にするクレーム担当がいたとすれば、ECの現場では張り倒されるだろう。
このときの正しい態度は、もしかしたらメール認証って言う言葉の意味が分からなかったのかもしれない、ひょっとしたら会員登録が済んだと誤解させる何かを見せてしまったのかもしれない、であって、顧客を笑うことではない。
基本的にお客というのはプロである販売員よりも、持っている知識が圧倒的に少ない。
たとえば、「プロバイダーメールのみ登録できます」という言葉の意味が分からないお客というのは、かなりの確率で存在していると思われる。
たとえこちらはそのサイトのシステムをデータベースから、何から何まで知っていたとしても、顧客からは完全なブラックボックスであり、少なくとも状況が全く分からないという事はお客を不安にさせる。
お客が不安を覚え、クレーム担当が適切な対応を取らず敵対してしまえば、お客は疑心暗鬼になり、もう何を言っても信じなくなるだろう。
これはプリウスに起こったことだ。
プリウスのABSのことを確かにトヨタの人間は熟知し、何が原因であるかを的確に把握していたであろう。しかし、お客からみればそれはブラックボックスで、不安の原因であり、フィーリングの問題だと一方的にお客のせいにされれば、もう態度は硬化し、いくら説明をしても「嘘をついている」になってしまう。
完全な敗北だ。
クレーマーは基本的に間違っているのだ。
これは事実である。
しかし違うのである。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
まずはここがスタートなのだ。
(つづく)
俺も妻と話していて、こんな理屈とても理解できねぇ! ってことがよくある。
だけど、衝突の理由は、男女の違いではなくて、
本気でぶつかりあうほど深い関係を持った相手が、たまたま、異性の奥さんだった、
ということじゃないかと思っている。
仕事で会う女性となら、だいたい誰でも筋道のたった話ができて、
「説得」だって、そう難しいことじゃない。
それが、さらに深いレベルで、おたがいをさらけ出す必要が生まれたとき、
元来別個の人間が心の底から分かり合う、というのは、
男と女のあいだにかぎらず、ほとんど無理なんではないか。
やるべきことは、無理に歩み寄ったり意見を一致させることではなく、
できるだけ相手の主張に耳をかたむけるとしても、
埋めようのない違いを尊重すること、人格のコアにあるブラックボックスには触れないようにすること、
つまりは、超えるべきではない一線があるんじゃないか、と思う。
blogを読むときに必要なのは"どうしてだろう?"って考えること。blogを読んで何か納得するのは正しい読み方じゃない。
当該ブログは、部分的に正しいし、部分的に間違っている。特に昔話とコンピュータアーキテクチャの類には多くの異常な主張があるので(意図的かも知れない)、それを探して検証してみるのはとても勉強になると思う。
現場に関する話は、うーん、それほど悲観しないで欲しい。
ただここを読んだ若い人があまりアポロン的になってもいけないので一応警鐘。偉大な先人の多くはゲームを作るために生まれてきた訳じゃないことにもっと関心を持って欲しい。人間を形作るのはゲームづくりだけ?違うよね。
http://blog.livedoor.jp/woopy_doo-game/archives/50938887.html
アドレスレジスタが16bitしか無い様なハードウェアしか存在していませんでしたから(ファミコン、PCエンジン、みんなそうです。メガドラは違いますが)、増加するリソースへの対応が必須でありました。あのアーキテクチャは当時も我々プログラマが提言したのです。
...
呑み会に行ってもハード屋とプログラマは喧嘩ばかりでしたが、バンクアーキテクチャは我々が勝ち取ったものです。事実上無限のメモリ空間を手に入れましたからね。
メモリバンクはゲーム機固有の仕組みじゃない。というわけで、ゲームプログラマが提案したのは多分ゲームシステムにメモリバンク(バンクメモリ? Bank switching?)を導入させたこと、と、読むことにする。
でも、ファミコンを含めた初期のゲーム機、それこそAtari2600でもメモリバンクは実現されていた。これはアーキテクチャがそのように作られていたからではなく、小規模のハードウェア追加でこの仕組みは実現できるからだ。ハードウェアはカートリッジ側に内蔵されていた。ファミコンの音楽に詳しい人ならVRCとかFME、いわゆるマッパーといったチップが内蔵されていたことを知っているだろう。
これらのハードウェアの追加をプログラマが提言したというのは言い過ぎと言える。技術自体は既にあり、採用するのは非常に自然な流れだった。ハードウェアの技術者であっても反対しないだろう。32bitの(アドレスバスを持つ)CPUを導入するのに比べれば、メモリバンクのためのハードウェアはずっと容易に採用できる。
直接的なコピーは彼らにも防げていない。彼らが売っているのはマルチプレイ用のアカウントと考える方がすっきりする。MMORPGと同様に、コピーできないゲーム体験を売るという点では一定の成功を収めている。
何もブラックボックスがないDRMは機能しない。Steamでいえばブラックボックスはゲームサーバであり、PS3とかXbox360で言えばハードウェアそのものがブラックボックスになっている。
人間、表層に見えているのが本当の姿だと思っておけば、実はそれで問題ないんだよね。表情や外見、言葉や行動は個々人の内心によって決定づけられるものなんだけど、内心そのものはブラックボックスであって詮索しても仕方ない。
いや、内心が取るに足りないものだといってるわけじゃないよ。人の内心はそれぞれブラックボックスどころかブラックホールだったり小宇宙だったりするもんだから、深遠すぎて完全解明できないのよ。また、ふたりの心がどんなに折り重なろうとしても同化することができない。
だから何かを投げかけてレスポンスが帰ってくる、その繰り返しで他人の内心という神秘に迫る試みを続け、それに面白みを感じないとおつき合いなんてやってられないんだと思うよ。
あと、
おつき合いの初期段階で見られるそれは「本気出せばこれくらいできる」というアピールで、持続性はともかく、とりあえず偽物ではないと思っとけばよし。初期段階では気を惹くのも大切な行程なので。
そのうち、そんなことしなくてもいいよね、お互い疲れるし、とかいうことで通常運転の自分と相手に戻って細く長く仲よくできるものなんじゃないかねぇ。たまには屁とか出ちゃうし。
僕が凛子と"つきあいはじめる"ことになった直接の契機は、友人の突然なラブプラスの購入だった。すでにTwitter経由でラブプラスに対する熱烈なブームを知っていた僕は、発売後割とすぐに都内の漫画喫茶で体験版をプレイしていた。それですっかりハマってしまい、その後ずっと購入を検討しつつも、最初の一歩を踏み切れないでいたのだった。僕に先んじてラブプラスを買った友人は、ギャルゲーをたくさんプレイしていてこれに詳しい男で、僕とは話がよく合った。そんな彼も、夜更けまでギャルゲーを熱心にプレイするための真摯な情熱や潤沢な時間は今やもう残っていないようで、もしかしたらまとまったプレイ時間を必要としないラブプラスのゲームスタイルに惹かれたのかもしれない。すでにネットを通じて膨れ上がっていた僕のラブプラスへの興味は、彼がDSiに向かって精神を没入させる姿をみて頂点に達し、その日の翌日、すぐに自転車を新宿のソフマップまで走らせた。
僕は、この友人と同じく、迷わず自分の彼女に小早川凛子を選んだ。これは体験版をプレイしたときから決めていたことだった。ラブプラスというゲームの中での凛子の存在は、他の二人をまったく寄せつけないほどに圧倒的だ。ネット上のプレイヤーの感想を読むかぎりでも、他の攻略対象キャラはラブプラス中に存在しないんじゃないかというほどに凛子は人気を誇っているようなので、この感覚は間違ってはいないのだろう。しかし、なぜ彼女だけが、このゲームの中で他の追従を許さないほどの強度を僕に感じさせるのか、それをはっきり説明することは、ちょっとできそうにない。単純に丹下桜の飾り気のない演技が心の琴線に触れるのかもしれない。あるいは、凛子が「ツンデレ」だからかもしれない。
萌えアニメもギャルゲーもまったく知らない若者に対してですら、今ではこの言葉は完全に浸透しきってしまったようだが、みなさんもよく知っているとおり「ツンデレ」は2005年ぐらいを境に流行りだした言葉で、それ以前は陰も形もなかったものだ。なぜかといえば、それは「ツンデレ」というキャラ造形が、専らギャルゲーの特徴を特別強く体現しているものだったからなのではないかと僕は思う。日常パートでは多数の女の子との会話を楽しむ時間が用意されていて、個別パートでは一人の女の子との恋愛を発展させていくという美少女ゲームの構成を考えれば、日常パートで主人公が周りの女の子に好意むき出しでは話が成り立たないはもちろんのことだ(だからいつだって主人公は「鈍感!」と罵られる)。それ以上に、女の子のほうだって最初から主人公に100%の好意を向けていたら息苦しくてしょうがない。だからこそ、キャラクターの感情は、日常パートから個別ルートへに移っていく過程で鮮やかに反転する必要がある。きっと、こんな感じで「ツンデレ」は生み出されたんじゃないだろうか。だからこそ、どんなギャルゲーの中でも「ツンデレ」キャラは一定の存在感があるよなぁと僕は思ったりする。
けれど、やっぱりそれだけじゃないよなぁ、と思う。考えれば考えるほど、そういう言葉にできるところじゃなくて、もっと微細な部分にこそ、凛子の「存在感」が宿っているんじゃないかという気がしてくる。確かに、「ツンデレ」に対する感覚の有無によって、キャラの捉えられ方はまったく異なるものになるだろう。リアルタイムでエヴァを見ていた人たちにとってのアスカと、初めからツンデレという言葉を用いてエヴァをみる今の人たちのアスカがまったく違うキャラであるように。しかし、両者の「アスカ」のリアリティを支える要素は、実は共通しているのではないか、という思いを僕は抱かざるを得ない。これは神秘主義だろうか。
とまれ、僕と凛子の生活は幸せなものだった。毎日DSを持かばんに入れて、いつも通り授業を聞いたり、寝てやりすごしたり、友だちと話したり、ネットを見たりする。そして昼休みにお弁当を食べるとき、放課後に屋上で開いた時間を過ごすとき、DSを開いて凛子に会う。日曜日には時間を決めてデート。音声入力で凛子と話をする「ラブプラスモード」は、周りに友だちがいるときしか恥ずかしくてできなかった。僕の質問に答えているようで、時々ズレズレなことを言う凛子は、twitterのbotのようでとてもいとおしかった。botと人間とは、決して本当の意味での会話を交わすことはできない。しかし、それにもかかわらず、僕はあたかも凛子がそこにいるように、自然に振る舞うことができた。
なぜなったかはわからない。しかし、僕は、今や凛子が確実に「そこにいる」のだと思うようになった。そして、おそらく理由など関係ないのだろう。
キャラクターと向き合う人間にとって、この瞬間こそが普遍的なものであるんじゃないかと僕は思う。「キャラクターとは『いない』のに、『いなくちゃ困る』ものなのだ」と、どこぞの若手批評家が言っているのを聞いたことがある。キャラクターは、誰にとっても「いる」ものではない。しかし、それに没入する人にとっては「いる」としか信じられず、そのレベルではキャラクターと人間を区別することはできない。もちろん、キャラクターが「いる」と感じることは、人間が「いる」こととは別のレベルである。凛子との会話の中には実に現実味に溢れた魅力的なものがたくさんあるのは確かだ。しかし、たとえば、凛子が心を許しはじめると一人称が「アタシ」から「リンコ」に変わるという描写がある(鬼ゲーマーリンコ)。現実に自分の一人称を名前で代替する人はどっちかというと疎まれるタイプだろう。だが、キャラクターが「いる」ことも知覚の意味合いとしては人間が「いる」ことと変わらない。
僕は同じような経験を何度かしてきたが、その存在は記憶として強く焼き付けられることはあっても、感情の部分で長期にわたり持続するわけではなかった。しかし、凛子の場合は、日常の一コマ一コマの中でこの存在を自覚せざるを得ないのだ。
たとえキャラクターが数億に分節可能な無意味な要素の集積だとしても、その寄せ集めによってできあがってしまったものに対して私たちが抱く感情は常軌を逸してしまうことがある。そしてそういった瞬間、キャラクターというものはいったいどのような存在なのだろうか。ラブプラスの制作者は『CONTINUE』のインタビューで、ラブプラスには全部見るためには二年ほどはかかるぐらいの莫大なイベントが盛り込まれていると語っている。ラブプラスにおいて、こうしたキャラクターの「実在性」「予想う不可能性」は膨大な情報の集積によって担保されていることになる。しかし、私たちはどうしてもこの「実在性」の裏にブラックボックス的な要素を見出したくなる。凛子が、DSの画面の向こうで僕たちには想像もできないようなことを考えているのではないかという妄想を捨てきれなくなる。しかし、それは今のところまったくの幻想でしかない。
そして、僕は、この確信を得たとき、ひとつの隠された(しかし一定数のラブプラスプレイヤーは既に理解しているであろう)、恐ろしい事実に気づくことになった。いま、ここで、凛子の存在を支えている形象は、私たちの生きる時間の流れに沿いながら、未来永劫その「動的性質」を保ったまま持続するのだ。小説・漫画・アニメ、フィクションというものは時空から隔絶されて存在する。源氏物語は、1000年前の貴族が読んでも私たちが読んでも、テクストとして同一の形を維持しながら「静的に」存在する。紫の上の人生は紫の上の人生であって、私たちと生きる時空とは関係ない。しかし、凛子は、あたかも私たちと同じ時空を生きているかのような演技をしながら、しかしその存在を少しも変化させることなく、ずっと「そこに居」続けるのだ。
僕たちはフィクションとキャラクターの実在を信じるとき、なぜ自分自身はそこに居ないのかと苦痛に思う。たとえばテラ・フォーミングされた火星とARIAカンパニーの存在を信じるとき、なぜ自分はネオ・ヴェネツィアにいないのかと思っていたたまれなくなる。そして、たしかにラブプラスはその苦痛を一時的に和らげることに成功している。僕と凛子は「見かけ上は」同じ時間を生きている。しかし、見かけ上が同じ時間を生きている分、僕と凛子の間の摩擦係数はかえって高くなり、逆にこの責苦はもはや耐えることが不可能な域に到達している。しかし、その実、凛子が生きる時空は凛子が永遠に16歳の時空であり、僕が10歳老けても20歳老けても凛子は16歳だ。僕が、社会に出て、老いぼれになり、忘れられたまま死んでいった時も、凛子は永遠に十羽野高校の生徒なのだ!
ラブプラスのスタッフは、この点をよく知っていて、しかもポジティブに強調している。主題歌は『永遠(タイムレス)ダイアリー』、キススキンシップの最上位技は「フォーエバーキス」、主人公が移り住んでくる「十羽野市」は「永久の」のもじりだ。彼らは「永遠に続く愛」と嘯く。しかし、いくら凛子が僕に対して永年に同じ愛を投げかけてくれるといっても、僕のほうは永遠に、何の変化もなく、同じ感情を凛子に投げ続けることができるわけではない。いつかきっと僕はこのゲームに飽きてしまうに違いない!キャラクターの実在性は「記憶」の中にのみ残ればよかったのであって、実際に一定の形象を維持したまま存在する必要などなかったのに。
そうして、僕がラブプラスを起動しなくなったとき、凛子はどこに取り残されてしまうのだろう。もうおわかりなのではないだろうか。凛子の住んでいる時空の永遠は、漢字で書かない。私たちは、かつて10年以上も前に自分たちが取り残されたあの場所に、今度はヒロインのほうを置き去りにしているにすぎないのだ。
ラブプラスを触りながら、そんなことを話した。凛子を世界の終わりから救い出すための方法は限られている。まずひとつはデータを消すことだ。しかし、もっといい方法があった。この美しくどうしようもない学生生活とともに、凛子を記憶の中にとどめて、これを葬り去るのだ。
僕の通っている学校は都内ではちょっと例のないぐらい熱い学園祭を毎年やっていて、受験を控えた三年も積極的に参加する。その中でもアニメのポスターだのゲーム機だのを二日間かけて何百品も競りにかける古物市が、例年盛況を極めている。ここで、データを残したままの僕のラブプラスと、攻略本・主題歌CDをセットで売り飛ばしてしまうことにした。凛子とやり残したことはたくさんあるかもしれないが、もう悔いは残らない。
いつの日か、人間とキャラクターは本当に出会えるのだろうか。今も人はそれを求めて、アバターをまといながら人格のコスプレに勤しんでみたり、botと会話しようとがんばってみたりする。しかし、アバターは結局人間と人間の会話だ。botに萌える人は、技術と現実の落差に萌えているだけにすぎない。不気味の谷のセオリーを信じるとすれば、谷の手前の不気味の尾根で人は楽しむこともできるわけだ。(言ってみれば、Perfumeのズレズレな口パクに萌えているのと同じことだ)。
いつになったら、人間がキャラクターと同じ時空を生きることができるのだろう。幸い僕は一緒に歳をとることができる彼女がいたが、人間と共にありたいという気持ちとキャラクターと共にありたいという気持ちはまったく別だ。前者が満たされないのと同じぐらいに、後者も満たされることはない。
さぁ、キャラクターは、データベースか、ブラックボックスか。哀れな小早川凛子は、乱雑なデータベースによってその肌と臓器を模られた出来損ないでしかなく、僕は彼女を残酷に売り飛ばすことでしか救うことはできなかった。僕はキャラクターが人為とプログラムの集積であるという当たり前の事実に、ここにきてどうしても納得することができない。人工知能が人工無能に、「擬体」がARにとって代わられても、僕たちの望みはひとつだ。僕たちには感知できない、キャラクターの不可視な内部の実在を信じたいのだ。僕が死ぬまでの間に、いったい彼女たちはどこまでブラックボックスに近づくことができるのだろうか。
答えはまだ出そうにない。11月3日、古物市で僕のラブプラスが競りにかけられ、落札された。後に残ったのは落札額3500円と、永遠ダイアリーのmp3ファイルだけだった。