はてなキーワード: 楽天的とは
自分も全く同じ感性なので、全国に1000人くらい(厳密な)同志はいるでしょう。
FGOに27祖が無いと今回知ってショックだったけど、FGO側を独立させて今後の物語の陳腐化(放っておいてもカルデアが解決してくれる)を防いでいると考えるのは楽天的すぎるのだろうか。
ガラケーコンテンツのシナリオブックも出てたし、今EXTRAだかのシナリオブックも出てるので、あと20年もすればFGOのシナリオブックも出てるのでは。
HFの映画をやってくれるだけで僥倖なので、それ以上は望みすぎと思っています。
私は、月リメよりは2(the dark six)の方が楽しみです。
"I feel Coke"は1987年から89年にかけて展開されたコカコーラ社のキャンペーンで、CMにはたくさんのバリエーションがある。映像はYouTubeにまとめて上がっている。
1つ目は、松本孝美、ケン・ブレニスらのモデルが出演する20代後半くらいの、都会の会社員の男女の生活を書いたもの。
2つ目は、一般人が登場し、日本らしい日常生活の風景を描いたもの。
とくに1つ目の系統の映像は、何度見ても目が離せない。これは日本が舞台なのだろうかと、いぶかしく思ってしまうほど、垢ぬけている。
出演しているのが美男美女のモデルだということもあるのだけれど、描かれている日本の会社の風景が、あまりにもパワフルで、アメリカンで、楽天的なのだ。
今から30年前、日本がもっとも経済的に自信にあふれていた時代につくられた映像であるせいか、東京にある日本の会社はこのようにとにかくカッコいいものというイメージで徹底して作り込まれていることが、衝撃的ですらある。
こんなふうに楽天的に青春を謳歌できる時代に生まれたかった、と氷河期世代の自分は思う。
I feel Cokeで検索してネットサーフィンしているうちに、このCMを作っていたらしい人のブログを見つけてしまった。
その人によれば、「このキャンペーンは、日本人の普通の暮らしの中に入り込んだコカコーラの世界を描こうという企画だった。だから、今までのような美しいモデルは使わず、できるだけ素人っぽい人をキャスティングした。全員素人だと緊張してしまうので、ところどころにモデルを配して撮影する。モデルの演技や笑顔に、いつのまにか素人の人たちも撮影の雰囲気をつかんでいく。キャメラは、モデルを撮影していると思わせて実際は素人の表情を狙うという作戦」だったそうだ。
函館で1か月間のロケが行われ、運動会のシーンは、実際に、このCMの撮影のためだけに本物の運動会を開催したらしい。
このCMの世界観が普通にあったらしい時代と同じような日本を、自分は生きたいが、生きることができるのだろうかと思う。
訂正:88年→89年
「この手の人ってワンパターンしかないけど、どっかにマニュアルがあるの?」→煽り
「安倍ちゃん信者ってこんなのばっかだって思われるよ。」→煽り
「すごく特殊な日本語の使い方だね。特殊すぎて読解できなかったわ。」→煽りの上に勘違い
「いいんじゃね?精神病者だろうが、実感してるのは本当だし。君の中では自分と違う感覚の人を異常者扱いするのが安心なんでしょ?
じゃ、いいんじゃないの?ミサイル落ちてきても「これは異常だ!おかしい!」と思ってそのまま死ねたら幸せだね。」→煽り
「それが実感できないならよほど鈍感か楽天的なんでしょうね。いいんじゃね、自分のおきゅうりょうたんまりでうれちいでちゅねー」→煽り
煽りばっかじゃねーか
先日、沖縄にあるチビチリガマ内で遺品が壊されたり千羽鶴が千切られてたりしたらしい。
やはり事が事だけに、政治的な背景があって犯行に及んだのではないか、というものが多かった。
バッッッッッッカじゃねーの???
そんなことあるわけないじゃん?笑
ヤンキーがやったに決まっているだろ笑
まあ、直感的にこう感じた。
政治的背景が絡んでいるとするなら、バレたの時のめちゃくちゃリスクが高いだろう。
まあ、犯行に及んだとされる団体や所属を晒されて、一括りにされて叩かれたりすることは自明だろうな〜(それ以上は過激派ではないので想像がつかない)
案の定、その後の報道で少年4人が「肝試し」という動機で犯行に及んだということが分かった。
まあ逮捕された方々は、無職とか型枠工だったりしたので、やはりそれなりにヤンキーだったりDQNであったことほぼ間違いないだろう。
自称知識人の方々は、沖縄という地域が、どれだけ底辺を産みやすい環境であるかを知らない。
まあ成人式の様子であったり、離婚率は軒並み全国1位、そのくせ出生率も高いという統計をみたりすると、何となく「あっ…(察し」と大方の想像はつくかもしれないが。
俺の中学校では、昼休みにクラスの男子ほぼ全員を巻き込んで、取っ組み合いをする「戦争」という遊びが流行ってた。
「えー(方言で「おい」の意味)、戦争しよーぜ!!はい、ピー(開始の笛)」
とか言って。
暗黙のルールはやりすぎないこと(極端な多対1の取っ組み合いなど)、殴るのは禁止など。バレると続かなくなっちゃうからね。
なので大体は羽交い締めにするような形になって、相手がそれに屈したら負け、みたいな感じだった。
そして、また次の相手と取っ組み合う。
書いてみて思ったが、これの何が「戦争」なのかワケわからなさ過ぎて笑う。
ちなみにこれでも沖縄戦で最も激しい戦闘があり、集団自決を数多く生み出した地域の中学校での話です。慰霊碑だって数多く建立されている。
まあ、沖縄ってこんなもんです。
もちろん優秀な人もたくさんいるよ!!(申し訳程度にもならない沖縄擁護)
ナイチャー差別が根強い地域もあり、閉鎖的なイメージもあるかもしれないが、基本的には県民の気質は楽天的かつ享楽的。
まあ皆さんどう思うかは自由です。
まもなく2歳。
以前は自分の感情が抑えきれず、感情的に叱り、怒鳴り、時には手をあげることもあった。
子供が言葉を話すようになりコミニュケーションが取りやすくなったのが大きいように思う。
怒鳴り散らす事は減り、きちんと言い聞かせてあげられるようになった。
どんなに抵抗されても、感情的にならず冷静に対応出来るようになった。
今もまだ解消された訳ではないが、1人でもほとんどの不安は無くなった。
子が必ず言うことを聞くように仕向けてしまう所は、またまだ未熟なんだろうなと思うけれど。
こうでなければという理想を追い求めるのではなく、我が子が求める母親になろうと努力している。
以前より、たくさん抱きしめて、日に何度も可愛いねとつぶやいて、どこでもキスをしてしまう姿は端から見ればただの親バカなのかもしれない。
でもそれは私にとっての成長である。
どこかで見かけてもバカにしないで欲しい。
出来れば素敵な親子だね、と微笑んで欲しい。
ビジョンミッションが大切ですとどこぞの戦略コンサルタントがしたり顔してありがたいお言葉をくれるたびに、んなものどーでもいいじゃないかと本気で取り合ってこなかったけれど、いま目の前に広がる組織を構成する人の繋がりのこんがらがった状態を見てはじめてビジョンミッションは意味があるモノなんだなと納得してきた。いや、正しくは今じゃないな。少しずつもう以前から分かっていたのだけれども、何とかなるだろう的な超楽天的な考え方にぶらさがり見ないようにしていたかも知れない。
あなたは人を殺せと言われて、殺すことができるだろうか?そんなことを実際にいう組織はそうそうないと思うけれど、要は自分が今まで培ってきたいまさら変えられようもない価値観を壊すことができますか?という話。組織が崩壊するのは決定的に価値観が合わない人同士が同じ組織の中に存在する場合に起こりやすいのではないかと最近考えるようになってきた。価値観が根本的に合わない組織に人が投げ込まれてしまった場合どうなるか。その人はほぼほぼ間違いなく鬱状態に陥る。考えてみて欲しい。人を殺したくないのに周りからは人を殺してこい簡単だやってみろ人殺すことにより人が評価される社会ではそれが当たり前のように話されているのだ。思えば、前の会社はそれに近い状態だった(決して人殺しを強要した会社ではなかった。比喩だ)。恐ろしいのはひな鳥のうちから企業としては一般的でなく平均的にもならないほどのあり得ない価値観をすり込んでいるので「会社とはそうゆうものなのだ」と納得して仕事をしている歯車が大量生産されている会社だった。ひな鳥たちはその会社をブラック企業とは思わずに自ら進んで喜んで残業をする。もちろんサービスだ。社員の平均給与は募集時の提示金額は嘘っぱちで実際は業界平均よりも低かった。自我があり、自ら考えておかしいのではないか?と疑問を持つモノほど心がやられて病気になり会社を去って行った。心がやられないのは疑問を持たずに目の前に提示されたことを黙々とこなす社員のみ。社長はそれを望み社員もそれを望むというお互いの利害関係が一致する関係が築かれていた。表面上は平和だ。表面的には。そんな会社にも「世のため人のため」を謳ったビジョンミッションは提示されていた(そのためにはお前ら馬車馬のように働けと圧力がかかっていた状態だったためか、そのビジョンミッションを空で暗唱できる人はだれもいなかったが)。だからビジョンミッションなんてものは何一つ有用じゃないんじゃないかと考えていた。ビジョンミッションで価値観の共有なんてできやしないんだと。でもそれは今所属している企業を見ていると間違っていたのかもしれないと考えるようになった。いまの会社は人を殺してこい!なんて酷いことは言わない。むしろ隣人を愛しなさいと説く。価値観は合っていると思っていたのだったが、なにぶん困っているのは「隣人を愛しなさい」というビジョンミッションに対してとりうる手段が個々人で異なりすぎるのだ。人を愛すためにという大命題のもと私は1日6時間だけ働きますという人。1日8時間は働きますという人。7日で25時間だけ働きますという人。すべて人を愛すためなのですと理由をつける。うちの会社が隣人を愛し続けるために、競合の会社を破壊してきますという人もいるのを見るにつけ、それでいいのだろうか?と旗と考える事態になった。やっかいなことに、その行動がもたらす影響を横に置いて考えてしまうと、その行動を引き起こしている動機は皆善意なのだ。人を愛したい。隣人を愛すために愛すために愛すためになのだ。そう、ばっちりとビジョンミッションが効果的に効いているわけなのだ。ということで、改めてビジョンミッションは、達成に向けた手段の粒度も併せてすりあわせをしておくことの大切さを最近実感している。何より、組織の途中からビジョンミッションを作るのではなく、一番最初に作っておかないと行けないのではないかと思うに至った。ある程度人が集まった状態でビジョンミッションとその達成手段の手段の方向性までを再構築すると確実に組織がいったんは崩壊する。いまの組織ではこれから改めてビジョンミッションを提示することになるので、どんなにお互いに対話を重ねても重ねても価値観が合わない人は離脱するだろう。いやすべきだ。その人が鬱病になってしまっては不幸なのでしかるべきところで離脱してもらわないといけないのだ。
正直、契約終わるの見えてたし、年齢も高いから苦戦も見えていたので、ここ2年ほど下準備をすることを勧めていたが、何を根拠にかはわからないが、なんの支度もせず、なぜか自信満々だった。
そんなこんなでいよいよ契約を切られて転職活動をするが、上手くいかない。なんの支度もせず、対策もせず。行き当たりばったり。完全に就活舐めてる。
それでいて、「あれは条件悪いから嫌だ」とか「こんなんでは仕事のために仕事をするようなものだ」とか煩い。
選り好みできるような努力も投資もしてこなかったでしょうよ。なんでまだ余裕がコケるのか、意味不明だ。側から見たら、明らかにあなたは「選別される側」で、「選別する側」じゃない。
挙句、進展しない愚痴と、選り好みの結果逃した獲物の愚痴を延々と垂れ流してくる。垂れ流される未来も予想できてたから、早く準備しろといったのに。聞いてるこっちは怒りどころか呆れるばかりだよ。他人に呆れるってなかなかないよ?他人を貶める系の嫌な感情が湧いてきて自己嫌悪するからやめて欲しい。
しかし先日、とうとう「なんでもお見通しみたいでウザい」とキレられた。
でも、多分世の中の大多数の人が予測可能だと思うよ。誰もがなんの考えもなく、日々楽天的に享楽的に刹那的に生きてるわけじゃない。
いつもしたり顔で上から目線で高説垂れてたけどね、ニートが部屋の中で背中丸めて掲示板にヘイトな文章をドヤ顔で書き込むのに似てるんだよ、痛々しい。
2017.4.28
探しても出てくるはずの無い答えを探し続けている。将来のことだ。絶対に失いたく無いものは何か。何も持っていないはずなのに、踏み切れず、勉学に励めば何とかなるだろうという安定的・楽天的思考の現実。それに対し非営利法人で働き、国連という最高峰に登り詰める偶像が時を経る毎に乖離していく。現実を見つめれば見つめる程、答えのない解が遠ざかっていく、答えなどないのに。自分の主義が徐々に侵食されるのが分かる。枠の中でもがけばもがくほど、その早さは増す。後戻りはできない。明日という積み重ねが恐怖になる。考えない事が唯一の解なのであろうか。踏み出すしか希望の路は無い。私は非確定的な将来を極度に恐れ、安定的思考に走る典型的な人間であるから迷う。自分は俗世に塗れた汚い人間という事が今証明された。主義が曖昧な人間にとって挑戦とは恐怖であり、安定的思考に走るという”慣れ”が人を幸せにするのであろう。永遠に自分には分からないであろう不幸という慣れを幸せに感じて生きる。人生とは妥協であろうか。真の幸福な人生とは成功者の特権であろうか。あゝ結果論哉。迷いが決断を鈍らせる。永遠のジレンマの深淵を覗き続ける。未来が絶望的だ。
会員に書かせたりWikipediaコピペしたりして作成した内容の薄いキーワードページを大量のダイアリーにリンクさせてSEO対策した結果、
検索すると必ず出てくるけど見に行ってもメリットのないあのサイトなんなの?変な会社じゃない?お茶も出してくれ無さそう。ぶぶ漬けは出そう。
と噂されていた会社がかつてあったことを歴史から消し去るつもりですか!
Wikipediaコピペで水増しって楽天的な会社の電子書籍と似てますね。変な会社のブログでも批判記事上がっていたのは同族嫌悪だったのかしら?
内容が薄いだけならまだしもWikipediaのコピペをやめた後は未作成キーワードページに誘導して編集しませんか?と言われるガチスパム状態。
調べたいワードで検索してその情報があるんだろうなあと思ってクリックしたら白紙原稿わたされて「お前が筆者になるんだよ」って言われるんだぞ。
本当にひどい会社だと思いました。だが、はてなあ名前が思い出せない。
とにかくそんな会社のサービスで書かれていることは信用してはあきまへんえ。
http://anond.hatelabo.jp/20161129225450
追記
ほんと人間性を疑うよねー
楽天的な性格と自認しているんだけど、このひと月くらい、いろいろ思い通りにいかなかったり先行きが不透明だったり無能さを思い知らされるような出来事があったりで、普段それほど感じることがない(感じても なんとかなるさ で済ませてきた)いろいろな負の感情が同時に襲ってきて、上手く対処できずにいる。
冷静に考えればどれもそんなに大したことじゃないのはわかるんだけど、それでも不安だし怖いし悔しい。
何もする気力が起きないし、腹は減るけど飯を食っても味がしない。一日中猛烈な眠気に襲われるのにいざ布団に入っても熟睡できない。
「公園でひなたぼっこでもしたら少しは気が晴れるんじゃない」とか言われるし、自分なりのストレス発散のしかたもあるんだけれど、それすらする気力がない。歩いて5分の公園に行く気力もない。
もう少しで、意味のある言葉を発するかもしれない時分の子を持つ。
かわいい。なにを欲しているかわからない泣き声をあげても、笑顔を見せても。
しかし自分自身には、子孫を残さなければという本能的な感情はなかった。
それでいて収入や環境、親となる自分たちの健康状態といった不安要素があった。
あまつさえ、これから生まれてくる子にとって、明るい将来・未来がある社会だとは思えない。
こうした思いは、今も変わらない。
それでも子を作るのに踏み切ったのは、妻に年齢的な出産のリミットが迫っていたからだ。
妻の希望を叶えられないことも善しとは思えなかった。
作らないでチャレンジしなかったことに後悔させたくない、したくないと思った。
日本死ねという思いには至らず、保育園に預けて共働きできていることも幸運だと思う。
本当にこれでよかったのかという疑問は晴れない。
楽天的にはなれない。
どうにかなるよ、どうにかするんだよ。という人は、どうにかならなかったときの責任を負わないのだ。
だが不安のないレールを敷いてやれたとしても、それが子ども本人にとって幸福であるとは限らないのではないか。
ということを誰にも、妻にも、言えずに、日々仕事と子育てでいっぱいいっぱいになっている。
妻は、二人目も望んでいる。
第二子、第三子をもつなら、あまり間をおかないほうが経済的負担が軽くなる仕組みもある。
だとしてもためらう。
大丈夫だから自信を持って。19の時から4年くらいうつ病でろくな生活を送ってなかったけれど、今は普通に稼いでるし、結婚もしてる。
うつ状態から上がってくる(しかも、その短期間で自分を律して)てのは凄いことだと思う。
ある意味、自分の心身と対話して、完璧にではないにせよコントロールできる状態になっているんじゃないかな。そんなあなたにはいい仕事ができるはず。
自信を持つことに根拠なんてあまりないけれど、自信を無くす理由ならいっぱいあるもの。根拠のない(もしくは、うつから自分で上がってきたことを根拠にして)自信を持って行けばオッケーだよ。
あと、その思考回路的にまだうつから抜けきっていないような気がする。抜けきっちゃえば、もっと楽天的になれるかもしれないし、思い悩まなくても大丈夫。
昨日、TLにて紛糾した話題を改めてまとめたいと思ったのでここに記す。
「夜廻り猫114」
https://twitter.com/fukaya91/status/702078119272779776
この44才男の言動に対し
そして夜廻り猫に対し
という意見が出ていた。
1~3の非難へのレスポンスは次に公開された続きを読むとこうやって出来上がったのだなというのはわかる。
「夜廻り猫115」
https://twitter.com/fukaya91/status/702442532576350209
経験がないなら気持ちの悪い行動をしてもいいか、といえばそうではないが、あくまで背景として理解はできまいか。
今回の漫画に強く憤っている方々は、実際に過去似たような経験をし、その際に不快な思いをした人達が多いようである。
「通っていた場所で挨拶程度の付き合いの人に告白され断り、行きづらくなって通うのを諦めた」
「職場で仕事のこと以外交流のない同僚に好意を示され、その気がないので事務的な対応をしていたら逆恨みされ、
仕事に支障が出るようになり辞めることになった」
etc...
気の毒としか言い様がない。
「44才男側の視点だから描写されなかっただけで、大学の時の女性も喫茶店の奥さんも身の危険を感じて
男から逃げ回らざるを得なくなったはずだ」
と断定するのは少々飛躍し過ぎなのではないか。
楽天的すぎると思われるかもしれないが
「大学の時の女性はその時は不審に思うもののすぐ彼の存在を忘れ、彼とは無関係な場所で楽しい大学生活をエンジョイし卒業した」
とか、
「喫茶店の奥さんとはこれを機会に軽い世間話をする関係になり、彼のコミュ症を軽減する大きなきっかけとなる」
とか考えることも出来るのではないか。
それはシュレーディンガーの猫のようなものであり、この漫画には
「見ず知らずの女性を無神経に傷つけたにも関わらず、被害者面して反省もせずに女性を非難するクズ男」と
「女性たちに歯牙にも掛けられず、自信が持てないまま歳を重ねてしまったコミュ症で無害で哀れな男」が同時に存在している。
どちらを感じ取ったかでこの漫画への評価は真っ二つに分かれそうだ。
さて、猫への意見。
もし傷ついた女性がいるのであれば、それを作者が描くかはわからないが、いずれ夜廻り猫は訪れるのではないかと思われる。
そして何故この男を慰めるのか、という点。
傷ついた女性がいないのであれば、この男が成長するための一歩を踏み出した勇気への慰めと受け取ることが出来る。
もし傷ついた女性がいるとしたら。
(教誨師…https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E8%AA%A8%E5%B8%AB-52465)
罪を犯し、刑に服役しても、己の罪を振り返り繰り返さないと誓わなければきっとまた罪を犯してしまう。
しかしそこでじっくりと話を聞き、自問自答の手助けをし、心から罪を償い過ちを繰り返さないという結論へ導くのが彼らの仕事と聞く。
改心したとしても傷つけられた人たちから許されることはないかもしれないが、
更に誰かを傷つける事のないように残りの人生を全うするための大きな力だと思う。
男が一人だった場合、上手くいかなかったことへの憤りから自分の行動を振り返ることをせず、
またいつか同じことを繰り返すかもしれない。
そうすれば、傷つく女性は増えるであろう。
だが、猫と話すことで彼は「親切と好意は別である」と知り、世の中にはいろんな女性がいることを知り、
相手に自分のことを知ってもらったり、相手のことを知ってからでなければ先に進むのは難しいことを知り、
「自分が誰かに求められる存在になるには手遅れ」ではないことを知る。
今後、彼が傷つけるかもしれなかった女性は、猫のおかげでいなくなるかもしれない。
それでも、猫がこの男の元に訪れ、話を聞いたことは批難されるだろうか。
視点を変えればなんとでも読める作品というのは脳みそが揉まれるようで面白い。
この話を読んで男の言動や猫の行動に憤り、作品から離れる人がいたとしたら、それはもったいないことではないだろうか。
長ぇよオイ。
自分はかつて、「お前は悩みがなさそうでいいね」と茶化されるような、そして実際たいした悩みなどないような、楽天的な人間だった。が、近頃、少し感情が不安定になってきた。
症状としては、気が短くなる(パソコンが少し固まるだけで舌打ちが止められないときがある)、不安感に襲われる(胸がぎゅーっとなる。ああ、だから心臓は心臓って言うんだ)、無気力(飯食わなきゃ、と思ってから実際飯を食うまでに半日かかったりする)、などである。
ここでは、どんな生活を送れば、精神が不安定になるのかを紹介したい。僕と同じ轍を踏まずに、皆さんが生活できることを願って。
これは大事。人と暫く会話しないと、脳のどこかが壊死したような感覚に陥る。会話といっても、コンビニの店員レベルじゃダメで、友人や家族などと他愛のない会話をすることでしかメンタルは回復しない。ネット上でコミュニケーションをとるのも悪くはないが、逆に精神をやられることも多々。最近では独り言で寂しさを紛らわすことも多いが、「死にたい」とか「頑張らなくちゃ」とか自分を追い込む言葉を掛けがちなので注意。
たとえどんなに面倒くさくても、なんでも良いから家を出たほうがいい。外に出て辺りを散歩すると、「そうか。そういや自分って生きているんだな」という心持ちになる。これは何時間ネットサーフィンしようと、得られないものだ。
起きている間、一秒も太陽を見れないのは堪える。生活リズムが狂うと、不眠と過眠がおまけでついてくる。眠りたいときに眠れない、これほど辛いものはない。
これを書いていたらなんだか気分が楽になってきた。上の文章を見る限りでは悲惨な感じだが、案外そうでもなく、生きていて楽しいこともある。
面白い増田とか見て、声出して笑ったりもするし、大学も、必修の授業はなんとか行けている(それ以外は全滅だが)。
上の条件をコンプリートしているのに、この程度の辛さでなんとかなっているのって、我ながらすごいんじゃないか、と思ったり。
来期はきちんと社会復帰できるよう、無理せず頑張っていきたいですね。
安保法案や北関東の大雨、ヨーロッパのシリア難民、秋の5連休など、次々に印象的な出来事が起きる中、あまり注目されず、日本国内では静かに始まったラグビーW杯。
イングランドのジョニー・ウィルキンソンが大活躍した2003年大会に、この競技に魅せられたが、それ以降、トップリーグを追った訳でなく、秩父宮に代表戦を1度見にいっただけだ。
しかし、今回は連休に大きな予定が無かったこともあり、見れるだけ見る気だった。
いざ始まってみると、ジャパンが優勝候補、南アフリカを破るという大事件が起き、静かに始まったはずのW杯が一気に世間の耳目を集めたのはご存知の通りである。
Twitterで、ディティール好きのラグビーファンや、元ラガーマンが小声で絶叫していた#ラグビーは一気に盛り上がり、戦後には「ラグビールールわからん、アイシールド21見直すわ」という定番のツッコミ待ちや、「ラグビ―女子急増♡」などの宣伝ボットのアカウントがワラワラわいた。
TVワイドショーでも、コメンテーターが「ラグビーは場狂わせが起きづらいんでしょ?じゃあランクが上の日本は格下のスコットランドに楽勝って事ですか?」とこれまた「そんなこと無いです」のツッコミ待ち。
オンラインでもリアルでも、ラグビー周りはフワフワした熱狂の巷となった。
そんななか行われた第2線、日本×スコットランドだが、盛り上がりに氷水を一気にぶっかけるような42-10の大差敗戦。
昨日まで、「ラグビー、超熱い!感動した!」という声が流れたタイムラインは、「もう勝てないじゃん。日本弱いんじゃね。まじくそ。寝るわ」という冷めたつぶやきが流れるに至った。
しかし、このスコットランド戦、ラグビー半可通からすれば、楽しい訳ではなかったものの、非常に「ラグビーらしさ」に溢れた面白い試合であったように思う。
「まじくそ。寝るわ」で終わらすには勿体ないので、この試合、どのように面白かったか頑張って見方を解説しようと思う。
これを読んだ人が、ラグビーの楽しみ方の深さに触れられたら幸いである。
さて、ここでまず、楽しむための基本知識で、日本代表、ジャパンがどういったチームであるかを知っておきたい。
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体格で劣り、守りきれないからこそ。
http://number.bunshun.jp/articles/-/824168
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フレームが標準的に大きい欧米人や、太平洋の島々のラガーと1対1で戦えば圧倒されてしまう。
また、大男相手に守勢に回って80分守りきるのも不可能だ。
守れない、だから、リンク記事にあるように、「ひたすら集団で攻め続けて、相手に攻撃をさせない」という戦術をとりたいのだ。
「超攻撃型ラグビー、ジャパン」の響きは、他のスポーツの楽天的な響きとはまるで違う、「攻撃できなかったら即敗戦」という、細い綱の上を歩く時の緊張を伴ったものなのだ。
南アフリカ戦で巨人に刺さったその戦術が、スコットランドに何故通用しなかったのか?
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戦前、スコットランドはフィットネスに不安があるとされていた。
日本は世界一と誇る練習量が作った体力を武器に、後半、勝負をかけると盛んに喧伝した。
・押し勝つ
日本がやりたいことを潰す。
そして、驚くべきことに、自分たちが不利とか言われてた、フィットネスを戦術に組み込んでいた。
試合を見ていこう。
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まず、前半、30秒でこの日のスコットランドの嫌らしさを象徴するようなプレーが出る。
この、「前にボールを高く蹴り上げる」というプレー、一般的には「持って走る攻撃」より確実性は低く、相手にボールを渡す可能性もあるプレーだ。
しかし、上背におとるジャパンにとって、「持って走る攻撃」をタックルするより、確実性の面で嫌らしい。
落下点では組織もへったくれもない、個のボール争奪戦となってしまう。
よしんばボールを取れてもそこから組織の作り直し、とられれば、ロクに組織も無い中で急いで守らないといけない。
おまけに取れずに落とす可能性もあって、そうなれば場は一気に大混乱だ。
タイムラインの「どこ見てんだ勢」に髪型が関口メンディーに似ていることを発見されてしまった、ウイング松島にボールが飛んだ。
蹴るより、「持って走る攻撃」の方がそれに近いのだ。
これである。
このプレーから、日本は反則を献上、スコットランドのSH、クレイグ・レイドローが先制のペナルティーゴール・3点を挙げた。
スクラムだ。
元々、小兵の日本はスクラムが不得意だが、南ア戦では、自ボールのときは、すぐボールを出して、短時間で打ち切ることで上手く対抗していた。
南アもちょっとこの早いペースに呑まれてボールを出させてしまっていた。
組んだ時点でいきなり大圧力をかけた。
同じ「潰す」でも、走っているうちにタックルで「潰される」のと違い、スクラムを「圧力に耐えられず潰してしまう」のは反則だ。
この反則で、日本は相手にボールを献上、またもやレイドローのキックで加点されてしまった。
・押し勝つ
である。
ジャパンはタックルから倒れての密集、ラックでミスを頻発した。
「組織的に連続に攻めたい」ジャパンは、攻めにおいてはボールを早く出したい。
守りにおいては、ちょっとでも相手を送らせて、守備陣形を整えてのタックルからのボール奪取を狙いたい。
ここを、スコットランドは強く行った。
なのである。
ではジャパンは前半何も出来なかったか?というと、「何も」では無かった。
五郎丸の正確なタッチキックで、陣地を大きく前進、モールからトライを決めた。
また、30分〜35分まで、ついにやりたかった「連続攻撃」でトライに迫った。
いいときに出たミスで攻めきれなかったのは、純粋にジャパンの責任だ。
また、ゴールを決めまくるレイドローと対照的に、五郎丸は折角獲得したペナルティーキックを何本か外した。
ここが一つの山だったように思う。
その後のスコットランドの連続攻撃を、五郎丸がなんとかぶっ飛ばして止め、前半は12-5のロースコアで折り返した。
点差は開いていない。
日テレの実況が「後半勝負の日本の狙い通りですね!」と浮かれる中、裏のJスポで清宮パパは「ジャパンは前半悪かった」と切り捨てた。
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日テレ実況が、スコットランドのフィットネスが落ちるはずという根拠の薄い期待を叫ぶ中、後半が始まった。
そんなことはなかった。
まず、前半のプレーは、最後の連続攻撃以外、スコットランドは蹴って蹴って蹴りまくった。
そして押して押して押しまくった。
さらに、事前に注目された、2mの巨漢イケメン、リッチー・グレイを前線に投入した。
このことは顕著に効果を発揮する。
まず、密集で、ジャパンはまるっきり押せなくなった。
ラグビーで「押せない」のは、攻守にわたって不具合なんである。
ちょっとでも前進しながらから攻めたいし、下がりながら守りたくないのだ。
さらに、ポイントでは脚を貯めていたバックスがここぞとばかりに走る。
あるという話だった。
しかし、中3日の試合日程は、「スコットランドはフィットネスが落ちるらしい」という根拠の薄い期待より、確実にジャパンの体力を奪っていた。
そして、「あ」っと驚くような場面が訪れる。
ジャパンのパスをインターセプトしたバックスが、ロケットのように加速してトライ。
なので「持って走る」、裏を返せば、「自分たちの裏に、虚をついて突破しようとしない」
なので、もう一度見れる人は見てほしい。
スコットランドのディフェンスは、ジャパンに触らんばかりに近く、高い。
複雑なパス交換は、距離があれば手が出せない。デイフェンスも振られるかもしれない。
しかし、目の前なら、交換が多い分、取れるチャンスも多いのだ。
ジャパンはそれでも、前半にはマフィが縦に突破し、攻撃にアクセントを付けていたが、彼が脚を痛めて退場すると、攻撃が横一列になってしまっていた。
「攻めこそ最大の防御」のジャパンにとって彼の退場は、防御面でも「痛かった」のだ。
対して、スコットランドは、ジャパンのお株を奪うような複雑なパス交換でトライを重ねた。
終わってみれば、42-10。
ジャパンは、対策を練りに練ったスコットランドに、やりたいことをことごとく潰されて負けたのだ。
よく、戦後インタビューで「プランが実行できなかった」とか、「プラン通りにやれた」と声があるのはこういうこと。
ラグビーは作戦で一気に旗色が傾く、そして傾き始めたら止められない、インテリジェンスで残酷なスポーツなのだ。
今回、スコットランドでその作戦を冷徹に実行したのが、SHクレイグ・レイドローである。
彼は良く蹴り、良くチームを組織した。
ジャパンはこの、マッチョで薬漬けでないロバート・ダウニーJrに、嫌な戦いを押し付けられ続けたのだった。
ちなみに、彼は英語がわからない半可通から見ても、多分かなりきつく英語が訛ってる。
どうです?出来る人?訛ってませんでした?
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さてさて、ラグビーの知的残酷さを堪能できたスコットランド戦だが、負けた試合を気にしていても仕方ない。
ジャパンは今度はどう戦うのか。
苦手を押し付けてきたスコットランドのように、今度はサモアに対してやれるのか。
「彼らは規律に劣る」だ。
だが、先日行われたサモア×アメリカ戦を半可通が見た限り、そんな「わがままで青いチーム」には見えなかった。
前半こそ、どいつもこいつもヒーローになりたいアメリカ代表と、個人勝負のバタバタしたラグビーを展開したが、後半になれば、守備を整え、キラキラ迫るアメリカ代表を落ち着いて止めていた。
そして、前評判通り、脚は爆発的に速かった。
4歩走らせたらもうトップスピード、力士見たいのが、とんでもないスピードですっ飛んでくるのだ。
ジャパンは、まず、リスク覚悟の高いディフェンスで、「4歩」の前に止める必要があると見る。
そして、走るのが大好きな彼らが、如何に「走れないゲーム」を展開するか。
策で負けたジャパンが、今度は策で勝てるのか。