はてなキーワード: 英語圏とは
まず、自分には学問だとか、学ぶことには全く興味はありませんでした。小学校からのんべんだらりエスカレータで高校まで上がってきた、偏差値普通の学校に通う高校生でした。
ですが、高校三年の初めに親から、会社を継ぐにしても四大だけは出ておけと言われ、どうせなら付属の大学ではなく、大学受験というものをしてみて、それなりに有名な評価の高い大学に楽に行きたいと考え、調べた時、慶應のSFCという学部を見つけ、狂喜乱舞しました。
ご存知のかたもいるかと思いますが、慶應SFCというのは入試科目に英語と小論文だけという、超軽量入試を行っている学部です。
幸いなことに、親の自営業の関連で五年間英語圏で過ごす機会があった私は、英語だけはやたらめったら出来たことを理由に慶應SFCを第一志望にすることを決めました。
ここからは早かったです。受験英語とはいえ英語は英語、それなりに英語だけは自分で勉強していたこともあり、初めて受けた駿台模試で、英語の偏差値は65を超えました。
そして、小論文に関しては、親が人づてに聞いて、専門の塾から家庭教師を呼び、徹底的に対策してくれました。(お金かかったと思います。ありがとうございました。)
小論文も英語も勉強はさほど苦ではなかったので、付け焼き刃とはいえ、小論文に関しては家庭教師が太鼓判を押すほど、最後に受けた駿台模試で、英語の偏差値は70を超えていました。
受験日当日も緊張はありませんでした。努力した時間は凄まじく少ないとはいえ、合格できるだけの能力は身につけたと考えていました。
あっさり受かりました。親は喜んでくれました。(二人共成蹊の内部進学だったので、大学受験に関して良く分からなかったようですが)
今自分はSFCの一年生です。幸いにして内部事情を知らない人からは慶應扱いを受けることが出来ます。
一人暮らしも、文系、理系の授業どちらもも楽しいですし、学友も面白い人ばかりです。
日本の英語教育がダメとか言う人って中高の英語まじめにやってきたの?
私は中高まじめにやっただけで普通にコミュニケーション取れるくらいになってたし留学用のテストも一発だったよ
英会話とか通ったことないし、ただ授業(公立校の)まじめに受けてELTに話しかけてただけ
あとはネットでネイティブの友達作ってチャットしたりはしたけど、そのチャット始めるための英語も全部学校で教わったものだし
たまにネットで話題になる「○○と言いたい時に英語でxxと言うのは間違いだった!」みたいな豆知識?見てもいつもこれ高校でやったとこだ〜ってなるし
よほどマニアックな文法とかすごい古い言い方とか、そういうの以外の基礎は中高でちゃんと教えてくれるってこと
だから日本の英語教育クサす前に中高の英語の教科書買ってきてちゃんとやって見たらいいと思う
もちろん極力ネイティブみたいに話したい!とか思うなら最初から英語圏で売られてる英語で書かれた文法書とかのほうがいいけどさ
あと、「女権拡張論者」ってのも辞書に載ってる意味だからね。少なくともここは日本。日本の辞書が優先だろ。
お前の言うようなフェミニストなんか一人たりとも見たことない。
フェミニストの誰が弱者男性のために戦ったんですか?実例上げてみろよ。
フェミニストの誰が女性専用車両の廃止のために戦ったんですか?実例上げてみろよ。
「フェミニスト」が「フェミニストを名乗るテロリスト」を排除しない以上、そいつも「フェミニスト」。
フェミニズムの起源とされるフランスを本拠地とし英語圏でも活動する企業が実際に使っている言葉の意味を貼ってもダメ、
それが日本語「訳」なら良い。
例えばお前がフィリピン人の同僚に「この本に載ってるこのテクええやん?」と言っても、「はぁ?ああそうなんだ、でもすでに同じテーマ扱った別の名著が英語圏にあるしそれには別のことが書いてあるね。つまり傾聴に値しないのでその怪しげな文字で書かれた本は捨てなよ」となるわけだ。
そして今お前が心の中で侮辱したフィリピンと同程度には日本語図書なんてアメリカなどでは怪しげな三流図書だ。
また、本というのはある種の権威であり、人気のある本はそれだけで信用性を上げる。
しかし読めなければその権威も虚しく響くだけだ。むしろ日本でしか人気じゃないというのは危険だ。一種の駄サイクルが働いているのだろうと考えられるからだ。
という事で、技術書書くなら英語版も出してください。特に第一線で頑張ってる人が書いた本が日本という障壁世界で閉じるのはもったいないので。
文学ベスト100と検索すると、国内に限ってもいろいろなランキングが出てくる。英語圏では、ベスト100を選んだときどのような小説がランクインするのか、気になって調べてみた。
そうすると、日本と同様にたくさんの種類のランキングが出てくるが、これらをひとつひとつ紹介するのも退屈だ。
だから、それなりに信頼がありそうないくつかのランキングを選んで、それらにくり返し選出されている作品名をここに挙げてみたいと思う。
なにをもって信頼があるというのかは難しい問題だが、だいたい以下のような基準を満たしているランキングだけを取り上げることにした。
英語で検索しているからには、英語で書かれた小説が多くランクインするのは当然なのだが、英語圏に限らず、世界の文学を選出の対象にしていることを条件とした。なので英米文学オンリーとかなのは避けた。
2000年以降に発表された小説の割合が高すぎたり、「ハリー・ポッターシリーズ」のような、あまりにエンタメ寄りの小説を選出しているものは除外した。
「ハリー・ポッター」が文学かどうかは知らないが、それが文学ベスト100に選ばれているランキングが参考になるかというと、あまりならないんじゃないかな。
どのランキングにしても19世紀以降の西洋文学に偏りすぎなのだが、そこはもう仕方がない。
このような基準で選んだランキングは以下の4つ。検索すればソースはすぐ出てくると思う。
・ガーディアン誌による「The 100 greatest novels of all time」(いつ誌上に掲載されたのかはわからなかった)
・Goodreadsによる 「Top 100 Literary Novels of All Time」(国内でいうと読書メーターや読書ログみたいな位置づけのサイト。ユーザーが投票して選出している)
・Modern Library(アメリカの出版社)による「100 best novels」
・アメリカの文学者Daniel S. Burtによる「the Novel 100: A Ranking of the Greatest Novels of All Time」(同タイトルの書籍がある。Burtは英文学の講師をしていたらしい)
4つのランキングのうちすべてに選出された作品は、ナボコフの「ロリータ」と、ジョイスの「ユリシーズ」の2つだった。ロリータすごい。
4つのランキングのうち3つに選出されたのは、以下の28作品。
このうち22作品はすでに読んでいた。
けっこうそれっぽいタイトルが並んでいるように見えるが、日本ではほとんどなじみのない作家も中にはいる。ジョセフ・ヘラーとかフォード・マドックス・フォードとか。
フォードの「善良な軍人」が翻訳されているかはわからなかったが、これを除けばすべて翻訳で読むことができる。すばらしい。
ブコメの指摘から、フォードの"The Good Soldier"(上では「善良な軍人」と訳した)は、「かくも悲しい話を…」という邦題で翻訳されていることがわかった。ありがとう。
ちょっと話はズレるけど、授業で英語を話しやすいのはどっちのクラスか。
いやどっちも笑うなよ、という話ではあるが、どちらかというとAではないだろうか。日本人ならジャパニーズアクセントは(話したくなくても)話せるし、むしろ発音が苦手な人はその方が話しやすい。まあそれでいいから、とにかく英語を話すようにしよう!ジャパニーズアクセントも悪くないよ!というのは、今の学校英語教育の方向性でもある。
話を戻すと、「英語の授業で発音が良いとネタにされる風潮」は確かによくない。よくないが、そう意見した同じ口であなたはジャパニーズアクセントを笑っていないだろうか?
この話で一番問題なのは、ちゃんと英語を話したい生徒がその絶好の機会であるはずの授業中に話せないという点だ。これはよくない。しかし、英語を話せないことの、何がよくないんだろうか?
C. 発音が上達しないこと
増田やブコメで問題にしていたように見受けられたのはCの方だが、平均的な日本人にとってより深刻な問題なのは、明らかにDだ。つまり、英語の授業で発音が「良い」かどうかを気にしすぎる視線が、そもそもの弊害なのだ。私には基本的に増田やブコメには同意する気持ちがある一方で、それぞれの意見に見え隠れするネイティブアクセント信仰のようなものには、やはり引っかかるものを感じる。そこじゃないんだよ、と思う。
もちろん、英語を話すことと発音は切り離せない。わかる。ネイティブの発音ができればネイティブが話す英語のリスニングも上達するし、あとスペルも覚えやすくなる。わかる。しかし、インドやシンガポール、フィリピンの英語を考えれば、日本人が英語を話すために必要なのは「良い発音」ではないことも明白だろう。英語を「話す」能力を身に付けるために、発音を強調しすぎるのは、本末転倒だ。
ちなみに私は高校で英語を教えているが、生徒の発音をネイティブアクセントにするのは非常に難しいと思う。それに比べて、生徒に(ジャパニーズアクセントでも)英語を話させることは、まだ可能だ。「この授業は英語を話す授業です」ということにして、ちゃんとステップを用意すれば(大変だけど)、生徒は英語を話す。少なくともそういう授業を受けている生徒の間では、「良い発音」がネタになっている様子はない。もしかすると、「誰もが英語を喋らざるを得ない時間」が少ない授業では、「良い発音」はネタにされているのかも知れない。授業中に生徒が英語を話す必要がない場合、例外的なアクセントの英語は「おもしろい」のかも知れない。
ただ難しいのは、誰もが英語を話す状況だと、例外的なアクセントが「おもしろ」くはなくても、「わかりにくい」場合がある。つまり、「良い発音」が「わかりにくい」と、やっぱり生徒はジャパニーズアクセントになる。コミュニケーション上の要請というやつだし、アジア諸国の英語がネイティブアクセントでない理由に相当する何かだろう。かくいう私自身も、職場でジャパニーズアクセントの同僚と英語で話すときは、英語の発音をカタカナ語に近づけることがよくある。恥ずかしさとか、下手に出る的な心情がそうさせる。逆に相手がネイティブアクセントだとリミッターを外して喋るが、こういうリミッターは、コミュニケーションの内容をも規定する。英語の力量に差がある生徒同士で喋るときなど、彼らは極めてシンプルな英語を話している。
まあそういうわけで、私は、日本人が本当に英語を話せるようになるためには、こうした傾向はある程度はしょうがないと思っている。それよりも大切なことがあると思ってやっている。
蛇足を続けると、(矛盾するようだが)私はネイティブアクセントの練習は、英語を英語圏で使いたいなら、必須と言っていいほど大切だと思う。だから、学校でちゃんと教えた方がいいという多くのブコメの指摘には頷く一方で、実感として発音指導は難しいんだよなあとも思う。
まず何より、発音には、スポーツや歌、楽器の練習に似ているところがあって、生徒の適性によって教育効果にものすごく差が出る。私は音声学とかが好きで自分でもアメリカ南西部のアクセントを意識して練習したりもしていたので、教員になりたての頃は生徒にその手法を叩き込んでやろうとフォニックスとか口の形のトレーニングとかをよくやっていた。が、一斉指導ではなかなかどうして生徒の発音はよくならない。もちろん自分の指導力不足によるところが大きいのだが、そうして躍起になっていつも発音にフォーカスしてやっていると、それこそ生徒に英語を話させることが疎かになってしまって、いつの間にか「正しい英語」を押し付けるような授業になってしまっていた……と今になると思う。
おそらく、「発音が良いとネタにされる」ことに嫌悪感を抱く気持ちは、「正しい英語」を追求する「正しさ」を否定された気持ちに近いのだと思うが、日本人の英語に「正しい英語」など、そもそもない。極論だとは思うが、私はむしろ、日本人が喋る英語は、日本人にとってはすべて「正しい」のだと考えている。(ただし、英語圏にはそれぞれに「正しい英語」がある。その人の望む場所における「正しさ」はあると考えた方がよい。)
話が散逸してしまった。まあ言いたいこととしては、少数の事例を除いて、日本人の英語は、今までもこれからも、多かれ少なかれ、良くも悪くも、ジャパニーズアクセントなのだろうから、それを前提として英語を話せるようになることの方が大切だ、というようなことです。
日本人は、発音がよくならないから終わっているのではなくて、英語を話したいのに話せないことの方が終わっていると思うんで、それをなんとかしていこうと思っています。
いま悩み事を抱えている。
けっこう専門的なことも入り、ググって出るようなことでもないので相談相手がほしい。
でもとてもプライベートな話だ。
Twitterや増田には書きたくはないし、書いたとしてまともに取り合われずに終わるととても悲しい。
友人はいるんだけど、彼らは関係を崩さないよう耳あたりの良いことしか言わない。
それでも有用な情報をくれる友達はいるが、やはりもっと数が欲しいのが正直なところだ。
だからそういうコミュニティを得るために名前も出したくないあの実業家のサロンに入ろうか悩んでいる。
本当に胡散臭くて嫌いなんだけど、基本的に秘密を守れて、知的で自分の問題解決に関わってくれる人が多いコミュニティは魅力的だ。
というか今もそうだと思う。
でも読者の意見を全く聞かないってのも流石に難しい。
じゃあどうやって読者の意見を聞くのっていうと
読者コミュニティ内であーだこーだ喋らせてそれを作者が
「神の目線で拾う」
ってのが穏便なやりかたとして通ってきた。
つまり拾ったのを読者に悟らせない。
あるいは昔だと、アンケートを出すけどそのアンケート自体はファンコミュニティに対して隠蔽されていた。
このやりかたのメリットは、選択権はあくまで作者にあってコミュニティは意見をひたすら吐き出し続けるだけだから分断が発生しないという点にあった。ファン側にゆるやかな連帯意識を維持できるメリットがある。
でも、もしこれが読者の意見がダイレクトに届いてそれに対する応答があると思ってしまった場合どうなるのか?
ってことだよね。
そうなると自分の好きなような話の展開にしたいと、物語を操作しようとするグループがでてくるようになる。それに対抗しようとするグループも出てくる。さらにアンチが紛れ込んでお互いの陣営で跳梁跋扈してぐちゃぐちゃになる。
そして最終的には過激化して製作者を脅したりする人が出てくる。
これがゲーム業界が魑魅魍魎が跋扈するようになってしまった理由。
この辺を上手いこと解消しないと漫画やアニメもそのうちゲーム業界のYoutubeのコメント欄みたいになるだろうなぁ。
※日本のゲーム会社はYoutubeの自チャンネルで日本のチャンネルだけコメントを禁止にしている。英語圏のチャンネルは普通にコメントできる。