はてなキーワード: 男性限定とは
めちゃめちゃ語られてるし、めちゃめちゃ内部対立している。
理論的整合性重視のアカデミ系フェミは、MTFトランスジェンダーに対して基本的に理解が深い。というか「MTFトランスジェンダー」という概念自体、そうしたアカデミ系フェミと諸セクマイとの相互作用の中で練り上げられてきた経緯がある。ノンバイナリーも同様。
それに対して、「女性の感覚」の根幹に生得的女性性を置く在野のフェミの多くは、MTFトランスジェンダーに対して基本的に敵対的で、MTFトランスジェンダーやノンバイナリーについては沈黙しがち。
FTMトランスジェンダーについては、「女性自認から離脱した存在」で女性表象をめぐる闘争との直接の関わりが薄くなるため、どちらの陣営からもMTFトランスジェンダーほどには言及されない。あえて言えば、アカデミ系フェミの方が理論的にそれを位置づけようとする意欲が強く、彼らの主張の中にはちゃんとFTMトランスジェンダーの居場所がある。
一方で「女性トイレはシス女性のみがアクセスできる空間にすべきだ」と主張するタイプの反トランス寄りの在野フェミは、FTMトランスジェンダーの扱いについては基本的に無関心か、意図的に言及を避ける傾向がある。「FTMトランスジェンダーは男性トイレを使うべきだ」と言うことも「FTMトランスジェンダーは女性トイレを使ってよい」と言うことも、彼らのMTFトランスジェンダー排斥の主張との間で矛盾や摩擦を生むため。
もう少し具体的に言うと、「FTMトランスジェンダーは男性トイレを使うべきだ」と主張することは、彼らの立場で言う『生物学的女性』をシス男性限定の空間に放り込み、男性による性被害のリスクに無理矢理直面させることになる。一方で「FTMトランスジェンダーは女性トイレを使ってもよい」という主張は、「男性的外見を持ち、女性を性的対象とするトランスヘテロFTMがシス女性限定の空間にアクセスすることは(彼らの立場ではトランスヘテロFTMも『生物学的女性』であるにも関わらず)シス女性にとって性的脅威になりうる」という自明の現実と矛盾する。だから反MTFトランス派は、FTMについては明確な立場を示しにくい。
一般的に反MTFトランス派の論理は、FTMトランスジェンダーに対してそのロジックを反転適用した時に、いろいろとボロが出がちです。
認知のゆがみ。
叩きは正当化してはいけないよ。おまえ自身叩きに参加したの?なら話す価値もないクソじゃん。
参加してないとして、ちんぴくしてれば相手がだれかに叩かれてようが好きな女優のドラマは見るしひいきしてる女優のAVだって買うでしょ。ひいきしてるよね。みとめなよ。
結局ちんぴくしても手が届かなくて悔しいから叩いて見せてるだけで、
もし付き合えるとなったら鼻の下のばして「君は悪いことをしてない」とかいいまくる同一人物だとおもってるけどね。
https://twitter.com/cnntnst/status/1575907385440636929/retweets/with_comments
ここをみるかぎり男の「ひいき」って「身の回りの女性への見境のない迷惑行為」なんだから女性が「アイドルなど人気商売男性限定のひいき」程度で済んでるのほんと理性あるよね
好きに警戒しろ。こっちも好きにムッとしたり不愉快に感じたりネタにしたりするから。
ソロキャンくらい好きにしろ。一人前の大人だろ。自分の行動は自分で決めるんだよ。
ジェンダーに基づく差別はなくすべきなのだから、そんな施設を使ったら男性差別への加担と言われて当然。女性お断りの居酒屋やら男性限定のゴルフクラブやらに行く連中が女性差別に加担してるのと同じだよ。差別はしたいが差別主義者と罵られたくない、ってどういう神経してれば言えるんだ?
結婚をせっつかれるのが嫌なのはわかるし、職場とかだとハラスメントになるだろうが、私的な関係で他人の生活に口を出すのを禁じることはできない(誰だって、家族や友人の私生活に余計な口を出したことの一度や二度はあるだろう)。諦めるか、せっついてくるやつらから距離を取るか、嫌なことは嫌だと言うかしかない。
同上。
マナーとしてそうすべきでない、なら同意するが、そういう視線をなくすのは無理。女だって見栄えのいい男を見たらきゃあきゃあ言うだろ。お互い様ってやつだ。
直接言ってくるのはセクハラだろうしそういうのはよくないが、ネットで「俺はパイスラが好き」とか言うのを禁じるのは無理。
架空の女がどんなふうに描かれてようがあんたの権利侵害にはならん。それこそ表現の自由だ。だいたい献血ポスターやみかんのポスターといったこれまで騒がれてきた案件のどこが「過剰に性的」なんだか。過剰に潔癖すぎるやつらに配慮してたら何もできんわ。
好きに逃げれば? こちらも好きにムッとしたり以下略。キレて追いかけてくるのはどう考えても異常者だから警察に通報したり悲鳴を上げて周りに知らせたり突き飛ばしたりしろ。
07年には長渕剛が「Lady's Night 2007 -Acoustic-」と題した女性限定のアコースティック・ライブツアーを全国7ヵ所で行った。
また、10年に神奈川・川崎CLUB CITTA'で男性限定ライブ「煌☆雄兎狐塾 ~男尊女秘肌嘩祭~」を開催したGACKTは、水着着用限定ライブや重ね着限定ライブなど、多種多様な限定ライブを開催することでも知られている。
同年には人気グループ「嵐」が、日本テレビ系「Music Lovers」の番組企画ながら男性ファン限定のライブイベントを行っている。
東京五輪が始まり、テレビも新聞もネットメディアも一斉に五輪中継・報道一辺倒になっていて、五輪反対派にとってはメディアから離れて外に出たいところだろう。しかし、コロナ感染拡大を理由に五輪開催反対しているのに、外出して感染拡大に寄与するような行為をするわけにはいかない。もろにダブスタだからだ。つまり五輪反対派はこの連休期間、ステイホームしながら五輪中継や報道から離れなければならないという苦難が待っている。
そんな五輪反対派にお勧めのステイホームコンテンツを紹介しよう。
まず思いつくステイホームのお勧めはこれだ。ゲームは何でも良いが今のご時世スポーツものは避けた方が良いだろう。五輪に繋がってしまうからだ。
これも悪くない。せっかくの連休、本を読んで知見を広めても良い。ただ本を買うために外に出るのはご法度だ。
五輪に関係なく開催されている。NHKBSが放送してくれないのは痛いが、AbemaTVとかなら放送してくれるのでそっちを見るのが良いだろう。大谷翔平は怪我しない限りほぼ毎日出てくる。
ほぼ男性限定だが、せっかくの連休、いままでゆっくり探せなかったエロ動画を漁るのも悪くないだろう。1日3回抜くことで勃起力改善にもつながる。
政治好きには元来男性が多く、従って政治家界隈の代議士にも男性が多い。そこに近年のジェンダーレスの流れが来ており、「男性が多いのは女性差別である」という号令の元、女性優遇文化が跋扈している。
女性というだけで当選されるし、評価も甘い。これは特定の自治体だけでなく普遍的に発生しており、「同じ能力なら男性より女性」という事態が発生している。
当然実害も発生している。有名所では国政政党のうちの一政党が、とある有名第三セクター担当者に女性代議士をアサインした。この女性代議士は政策立案能力は高くないことは国会図書館の憲政資料などから明らかだった。にもかかわらず「我々の政党は女性代議士も活躍しています」というアピールのため有名第三セクターの担当者になり、その第三セクターは目も当てられない品質になった。公に語られることは少ないがこの一件はハイレベルな代議士の中で「性別ではなく能力で優遇すべき」と思わせる一件となった。
「男性限定弁論大会」「男性のためのキャリア相談会」のようなものはまず無いし、そんなものを開催するとなったらバッシングされるだろう。しかしそれらの女性版は実在する。明確な性別による区別が政界には存在している。そのように人を性別で区分けをしていながら、もう一枚の舌で「私たちはジェンダーによる差別が無い世界を目指しています」と言うわけである。何が何やらわからない。
日本のみならず世界的に自由主義陣営はリベラルな思想の人々が多い政界とされている。それは体感的にもその通りなので、ここではこれを真として扱う。だからこの政界は男性含めほとんどの人々は性差別を無くそうと本気で考えている。しかし女性は女性であることの権利を活かし「女性限定○○を開催しよう」と言うし、能力を棚上げして男女比を50:50に持っていくために「女性を採用しよう」と言うし、男性代議士も協力して稼いだお金を「女性支援団体に寄付しよう」と言うわけである。これに反対すると「男性はこれだから」「女性差別主義者」「保守思想」といったレッテルを貼られてしまう。だから誰も女性優遇措置には反対できない状況が続いている。
我々男性代議士が望むのは、性別によって優遇不遇されることが無い世界である。性別に関わらず能力が優れた人が高い給料をもらい、昇進する世界を求めている。しかし実態はその真逆を行っており、ジェンダーギャップの少ない世界にしようと声高に叫ぶ人たちが女性優遇をしているのである。
皮肉ってわかってるか?
コンピュータ好きには元来男性が多く、従ってIT界隈の技術職にも男性が多い。そこに近年のジェンダーレスの流れが来ており、「男性が多いのは女性差別である」という号令の元、女性優遇文化が跋扈している。
女性というだけで採用されるし、評価も甘い。これは特定の企業だけでなく普遍的に発生しており、「同じ能力なら男性より女性」という事態が発生している。
当然実害も発生している。有名所ではGAFAMのうちの一社が、とある有名OSSの担当者に女性エンジニアをアサインした。この女性エンジニアはエンジニアリング能力は高くないことはGitHubの履歴などから明らかだった。にもかかわらず「弊社は女性エンジニアも活躍しています」というアピールのため有名OSSの担当者になり、そのOSSは目も当てられない品質になった。公に語られることは少ないがこの一件はハイレベルなエンジニアの中で「性別ではなく能力で優遇すべき」と思わせる一件となった。
「男性限定プログラミングコンテスト」「男性のためのキャリア相談会」のようなものはまず無いし、そんなものを開催するとなったらバッシングされるだろう。しかしそれらの女性版は実在する。明確な性別による区別がIT業界には存在している。そのように人を性別で区分けをしていながら、もう一枚の舌で「私たちはジェンダーによる差別が無い世界を目指しています」と言うわけである。何が何やらわからない。
日本のみならず世界的にIT業界はリベラルな思想の人々が多い業界とされている。それは体感的にもその通りなので、ここではこれを真として扱う。だからこの業界は男性含めほとんどの人々は性差別を無くそうと本気で考えている。しかし女性は女性であることの権利を活かし「女性限定○○を開催しよう」と言うし、能力を棚上げして男女比を50:50に持っていくために「女性を採用しよう」と言うし、男性エンジニアも協力して稼いだお金を「女性支援団体に寄付しよう」と言うわけである。これに反対すると「男性はこれだから」「女性差別主義者」「保守思想」といったレッテルを貼られてしまう。だから誰も女性優遇措置には反対できない状況が続いている。
我々男性エンジニアが望むのは、性別によって優遇不遇されることが無い世界である。性別に関わらず能力が優れた人が高い給料をもらい、昇進する世界を求めている。しかし実態はその真逆を行っており、ジェンダーギャップの少ない世界にしようと声高に叫ぶ人たちが女性優遇をしているのである。
【追記】
話を理解してない人が多くて困る。男性が優遇されてる会社や時代ではあることは認めるよ。
だからといって男性差別したらダメでしょう。我々は平等な社会を追求すべきであって、
「男性は優遇されてたから不遇な目に遭うべき」のような理屈は通らない。
それは都合が悪いから無視か?弱者男性の声は聞くに値しないのか?
お前らの正義感は歪んでる。
【追記2】
そこで「でも男はそんな奴ほとんどいないでしょ? だいたい自分で何とかできるでしょ? 助ける必要ないよね」って話にしちゃうと「えらいことじゃ…せ、戦争じゃ…」って事にしかならないわけで……
別に女性のシェルターを減らせとか、男女両方が入れる場所にしろとか、絶対同じ数にして平等にしろとか言うわけでなく、ちょっとずつ男性の困ってる人が使える、男性限定の避難施設みたいなのも増やしていけるといいねって話につなげていくのが現実的なのではないかなって思うんですよね。
(あっちなみに自分は女叩きクソ野郎は全員死ねと思ってるにわかオタクのクソフェミです。弱者男性の救済とかメンズリブのことについては全然知識がありません)
(なんか延々トラバしちゃってめんどくさくなっちゃっててごめんなさい、シーライオニングとかじゃないですんでこの辺にしておきます)
フェミニズムが「男女平等」を叫ぶ割には、その主張が女尊男卑であることにずっと疑問を抱いていた。
「女性比率の目標値」、あるいは「女性枠」の存在は認められるのに、男性枠、あるいは男性限定というのはなぜ認められないのだろうか。
例えば、かの RBG 女史は「9人の最高裁判事のうち何人が女性であれば満足するか」という問いに「9人」と答えていたが(https://www.townandcountrymag.com/society/politics/a34081296/ruth-bader-ginsburg-quotes/)、これは女性の権利主張をする上では納得できるものの、これが実現された状態は、平等というより女性優遇ではないか?と感じていた。
私は右利きなので、必ず右手でスポンジを持ち、左手で皿を支える。
洗い流すときも同じく、左手は皿を支え、右手で泡を洗い落とす。
右手と左手に構造上の違いはないはずだが、しかしいつも主導権を握るのは右手であり、左手は右手を支える役割に徹している。
幸い、右手も左手も同じ人間に取り付いているから運命共同体であり、また、それぞれの役回りについて不満を述べられたことはこれまで一度もない。
右手のみが主要な役割をこなす状況を左手がよしとするだろうか。
あるいは、左手が比較的負荷の軽い仕事ばかりしている状況を右手がよしとするだろうか。
右手の方が器用だから仕方がない、と言われても、そもそも右利きが多数派であったからそのようになっただけで、左手だって適切な訓練があれば、実践で鍛えられる環境があれば、右手のように振る舞うことは可能ではないだろうか。
そして、今から左利きを目指そうとするなら、左手を無理矢理にでもメインに据えて使っていく必要がある。
箸を持つのも左手、スポンジを持つのも左手、スマートフォンを操作するのも左手。
こうしなければ、左手は鍛えられず、いつまでたっても利き手の役割を交代することはできない。
この構造はすなわち、現代の男女間の構造と同様であり、真に男女間の格差がなく均衡した状態に持って行くためには、あらゆる役割において女性の占める割合を保証させてでも、男性の社会参加を制限してでも、女性優遇をしなければいけないのかもしれないのかもしれない。