2021-02-23

左手フェミニズム

フェミニズムが「男女平等」を叫ぶ割には、その主張が女尊男卑であることにずっと疑問を抱いていた。

女性比率目標値」、あるいは「女性枠」の存在は認められるのに、男性枠、あるいは男性限定というのはなぜ認められないのだろうか。

例えば、かの RBG 女史は「9人の最高裁判事のうち何人が女性であれば満足するか」という問いに「9人」と答えていたが(https://www.townandcountrymag.com/society/politics/a34081296/ruth-bader-ginsburg-quotes/)、これは女性の権利主張をする上では納得できるものの、これが実現された状態は、平等というより女性優遇ではないか?と感じていた。

しかしこの間、食器を洗っている際にふと考えた。

私は右利きなので、必ず右手でスポンジを持ち、左手で皿を支える。

洗い流すときも同じく、左手は皿を支え、右手で泡を洗い落とす。

右手左手構造上の違いはないはずだが、しかしいつも主導権を握るのは右手であり、左手右手を支える役割に徹している。

幸い、右手左手も同じ人間に取り付いているか運命共同体であり、また、それぞれの役回りについて不満を述べられたことはこれまで一度もない。

ここで、もし左手右手が別の人格であったらどうだろうか。

右手のみが主要な役割をこなす状況を左手がよしとするだろうか。

あるいは、左手比較的負荷の軽い仕事ばかりしている状況を右手がよしとするだろうか。

右手の方が器用だから仕方がない、と言われても、そもそも右利きが多数派であったからそのようになっただけで、左手だって適切な訓練があれば、実践で鍛えられる環境があれば、右手のように振る舞うことは可能ではないだろうか。

そして、今から左利きを目指そうとするなら、左手を無理矢理にでもメインに据えて使っていく必要がある。

箸を持つの左手、スポンジを持つの左手スマートフォン操作するのも左手

こうしなければ、左手は鍛えられず、いつまでたっても利き手役割を交代することはできない。

この構造はすなわち、現代の男女間の構造と同様であり、真に男女間の格差がなく均衡した状態に持って行くためには、あらゆる役割において女性の占める割合保証させてでも、男性社会参加を制限してでも、女性優遇をしなければいけないのかもしれないのかもしれない。

そのような背景があるのなら、女性優遇を唱えるフェミニストの考えも、理解できるのかもしれないなあ、と思った。

  • ぜーんぶ女性で良くない? ワイはのんびりするやで〜

  • 男性看護師や保育士、そして専業主夫も増やさなければ、真の男女平等ではないと思う。 とりあえず、男性の被扶養者に限定で配偶者控除を復活するべきだよね。

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