はてなキーワード: 焦燥感とは
就活が上手く行かず、焦燥感が半端ない。こんなこと報告している場合ではないが
そこで「絶対に飲まないでおこう」と思っていた酒に手を出してみた。お神酒以外での初アルコールである。
逃げる気持ちと、実験的な気持ちがちょうど吊り合ってしまったのだ。
私は「酒で変貌」する人が嫌いで酒と煙草には飲まれまい!と決心していたのだがすぐに揺らぐ。
そんなことはどうでもよくて、結果的に言うと「逃げることはできなかった」
なぜなら「ビール一缶」で酔えてすべてを忘れて睡眠できると思っていたが、全く酔えない。
なるほど、神様的なアレに逃げることも許されていないのだと口直しのファンタを飲みながら気がついた。
美味しくないし酔えないし高いし二度と飲みたくない。
軽度メンヘラ(笑)というか、ただのストレス解消程度で、アムカを5年以上してて途中母親にばれて大泣きされて
しばらくかなりの頻度で腕を確認されて、ストレスの対象だった親も、少しだけ前よりマシになって、
傷を人に見られるのも嫌だし目の前で親に泣かれるのも嫌で、
数ヶ月に数回程度に収まった。
それから2、3年経って、ストレスの原因も、減って二十歳になった。
数ヶ月前にアムカしたい死にたい無理って感じな焦燥感あって、気分向上効果があるハーブティーを飲み始めてみた。
普段からお茶が好きなので、ハーブティーはまったのか。程度の親の認識が助かる。
調べてみると、漢方みたいな独特な味だけど、確かに落ち着くし、焦燥感も収まるハーブティー見つけた。
その名も「セントジョーンズワート」本当に効く。
焦燥感無くなる。アムカとかより良い。大泣きしながら腕切るとかしない!
お茶飲むだけ!わーい
つい最近、なんの結果も出なければ2年後くらいに自殺は決定と思ってたら、
ちょっとした結果が出て、頑張りどきじゃん???と、かなり気分が向上していた。
母親はかなり過保護なので、私に、酒もタバコもさせたくないようで、隠れて中学生のごとく時々吸ってみていたりする
しかしやっぱりタバコは肌に合わないのか、3箱目でも吸った直後はクラクラする。
高校の頃、カゼ薬など8錠ほど(笑)オーディーした次の日のようなクラクラフラフラ感を、短時間味わえる。
ちなみに、オーディーは、やめといたほうがいい。
二度目の時、カフェイン剤とか10錠以上飲んだら次の日から二日間ゲロし続けたので。
私は今、吸うのが少し美味しい、しかし半分くらいは自傷行為の一貫みたく吸ってる節がある。あはは
でもコスパ悪いし、この頑張りどきに頭回らないのは致命的だから、ほどほどにしようかと思う。
今のところ、今の所は、死ぬつもりはちょっとない。よかったことだ、
でもいまの目標に近づいてるのを見捨てられてしまったらまた、カウントダウンですよ。
何が言いたいのか私もワカンネ
遠距離恋愛してた彼女に振られ、何でも相談に乗ってくれてた女友達に彼氏ができ、病気で仕事も辞め、絶望と焦燥感に駆られた日々。
そんな中、俺の生を繋いでくれたのが灰原さんだ。見た目は幼く実年齢も年下だが、なぜか姉さん女房に甘えてる感覚に包まれる。一見クールで冷たく刺々しいが、その実は優しさで溢れている。献身を厭わず、いつも傍にいてくれて、自分以上に自分のことを理解してくれている。俺は抱え込むタイプなのだが、哀ちゃんは抱え込む前に気付いて助けてくれる最高の相棒だ。それに可愛くて綺麗で、デレた時の破壊力は……///
そんな彼女は、最近どこか儚げで消えてしまいそうな雰囲気が漂ってきている。守ってあげたい気持ちにもさせられるのだが、俺のスペックで彼女の信頼を勝ち取れるのだろうか。
不安要素は他にもある。ふとした瞬間に、昔の男のことを想っているような、そんな感じを受ける。話を聞けども「あなたが思うような、そんなロマンチックな関係ではないわ」とはぐらかされるだけ。
このままの距離感を保つべきなのだろうか。でもそうすると、いつか彼女は知らない誰かにさらわれてしまう。俺はどうすればよいのだろうか。彼女の幸せに俺は必要ないのだろうか。苦しくて夜も眠れない。
私は、つまらない女。
飲み会では端の席に座りよほどのことがなければ席移動はせず、
会話では基本的に聞き役に回り、それでいて打っても響かず愛想笑いもかなり下手。
大人っぽいと言われ、家族構成を聞かれ答えると末っ子であることに驚かれ、
オモシロのノリで渾身のツッコミを入れたつもりがなぜか怒っていると誤解され全くウケない。
痛々しいことこのうえない。
基本的に冷めていて、別に頭なんて良くないのに他人を見下している。
なのに一人前に恋愛はしたいと思っているから、厄介な女である。
こんな調子では、きっと誰からも必要とされないままただ死んでいくだけ。
独りで生き死んでいく未来を思うと涙が出そうになる。
あなたの良さをわかってくれる人は必ず現れるよと慰めてくれたりする友達もいるが、
そんな悠長な構えでいいのか。
変わらなければ、適応しなければ。
散々言い古されてきたことだけど、この焦燥感はやっぱり就活と似ている。
相手と自分がうまくマッチしていないことをひしひしと感じるその空間の居心地の悪さったらない。
よく笑い目を見開いて頷きながら話を聞いたらもっと構ってもらえるのかな。
内向的な自分を少しでも変えたいから、飲み会は基本的に断らないし、よく足を運ぶ。
でも結局失敗して残るのはうまく立ち回れなかった自分への情けなさと対人スキルほぼゼロの状態、丸腰で戦いに臨んでしまった後悔だけ。
土曜の朝はいつもこんな感じ。
というか、自分にとって感想文や作文というのはむしろ会話より楽なものだったのだ。
誰にも邪魔されずに、自分の言いたいことを一通り書ける。このことは何よりも自分を自由にさせた。
普段から会話が得意な方ではない。人と会話している時の、「お前より優れている」感が苦手なのだ。
会話の先には理解を深め合ったらいだとか何かしらの解決があってしかりだと思っている。
それなのに、やれ「自分はこんなことを知ってる」だの「その考えよりもこっちの考えのほうがすぐれている」だのばかりを返してくる人間が多すぎる。
ちがう。大切なのは考え方の是非よりも、その仮定を持ってして何に挑んだかなのだ。
結果が想定と違えば、その時はじめて理論を見なおせばいい。
大概そうしたポジションを取りたがる相手は、実践が足りてないし根拠が足りてない。
ただ、相手は自分より立場を上に保ちたいがためにコミュニケーションを消費していくのだ。
そんな人間に消費されるのはごめんだし、そんな無駄な時間を過ごしたくない。
そういう議論にならないように気を使いながら話をしなくてはいけないからこそ自分は会話が苦手だし、最後まで言いたいことを書ける文章が好きだった。
ところが最近になって、自分がメールやらLINEやらが苦手なことに気がついたのだ。
なぜなら、相手の反応を考えて文章を組み立てる必要があるからだ。
まるで既読後にすぐに返事をしなくてはいけない焦燥感に駆られるのだ。
時に、スマホ片手に1時間近く返事を書いては消してを繰り返すことがある。
そこで先程の話に戻るわけだが、自分が文章を書くときになぜ自由だと感じていたのかといえば、そこに相手の反応を期待していないからなのだ。
読書感想文や作文は、自分にとって投げっぱなしでいいものだった。
特定の相手を意識するのではなく、自分の考えたことをただまとめてアウトプットするだけの作業なのだ。
ところがメールやらは違う。
その先にあいてのリアクションがある。そんなつまらないことに神経をすり減らす必要があるのだ。
あぁそうか。
錠剤で一気に400mgくらいのODすると、焦燥感がひどくなる。
それ以上は飲んだことないので知らない。
面倒だから詳しくは書かないけど、自分が受け取る情報量と幸福感の度合いは反比例するみたいだね。ここ半年の生活感の変化に非常に感動したので、この場でシェアしたいと思う。
これは厳密な心理学の研究結果なんかでは全くなくて、単に半年間(無理のない範囲で)ネットとテレビから離れた自分の実感だから、効果には個人差があるのかもしれない。とはいえ、少なくとも長年悩まされてきた抑うつ感、不安感、焦燥感のようなネガティブな感覚は日常から消え去ってしまったし、以前はリアルでの人付き合いが嫌いで仕方なかったけど、最近はわりと楽しめるようになってきた。あと、何かをやる前から怖気づくことも少なくなったし、そもそも何かをしようとする気持ち自体が増してきた印象すらある。
その代わり、当然、世の中の動きとか政治問題には疎くなってしまう。しばらくぶりに増田をのぞいたらどこか遠い国の出来事に感じてしまうくらい、かつての情報に対する感度、皮膚感覚はなくなってしまったようだ。むしろ最近は人に何かを話すよりも、人の話を聞きたいという気持ちの方が強くなってきた。
たった半年でこれほど精神面での違いを実感できるとは意外だった。この実感から自然と思いついたのは、自分を苦しめ続けてきたのは、世間を騒がせる問題や自分の不甲斐なさ、能力不足ではなくて、単純に多すぎる情報だったのではないか、ということ。
ただ、これは「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い」という価値観を真っ向から否定する生き方なので、知的で思慮深い増田ユーザーの多くに反感を買う考え方かもしれない。
また、これはSNSで見られるような「リア充」とは何か違う感じがする。肩の力が抜けて毎日を楽しめるものの、他人に自慢できるほどのことは何もしてない。自慢するために何か変わったことをしたい、という気持ちもあまりなくなってしまった。楽しければベタでも別にいいじゃん、ってノリで満足できる。
とはいえ、日常が満ち足りていて、朝起きることが楽しみで仕方ないという生活は、現代的な情報収集&情報発信に余念のない生活と比べても、それほど悪いものではないと思う。日常に何か変化を起こしたいな、と思う人がいたら、暇つぶしに試してみる、実験してみるくらいの気持ちが試してみて。経験上、3週間くらいで変化が出てくるはず。効果が出るまでは禁断症状がやばいけどね(笑)
食品だって食べ過ぎても、食べなすぎても健康を害すように、情報も不足すれば生活に支障をきたすけど、過剰でも(特にそれを処理する脳、ひいては精神機能に)問題が起きるのかもしれないね。
手順は全て書き出してから作業にあたっているというのに、予期していなかった事態やミスが無くならない。
ミスの生じるところは「ここまでだったら大丈夫」というような境界が明確でなく、作業者の勘に依存するするところが大きい箇所であることが多い。そして自分にはその勘が備わっていないことはこれまで何度も思い知らされてきた。本当にただ「気をつける」くらいしか解決策が無いのが辛い。気をつける対象は明確に決まっているわけではない。そして失敗による工程の遅れを取り戻すために更に急いだ結果、これまでだったら問題なく進めていたところまで失敗するようになってしまった。
また、意図的かどうかに関わらず横槍が入ることもいつもの事のようになってしまっている。
昔からそういう体質なのか、所属する組織における面倒事の解決に当たらざるを得なくなることが多かった。その度に問題に対して真っ向から勝負を挑み、精神をすり減らしてきた。
それらを解決したからといって特別なスキルが身についたわけではない。日々の生活や立場を維持するために、多大な労力を支払ってきただけだ。他のことでもそうだが、そうすることでしか道は拓けないという脅迫観念が染み付いてしまっているのだ。やれるかやれないかではなく、やれたかやれなかったか。やれなかったらそこでおしまいという焦燥感が頭から離れない。それでもここまで何とかしてきた自分に自信を持つべきなのだろうが、次も何とかできるとは限らないという思いが心を支配している。
失敗や面倒事に巻き込まれる度に襲ってくる焦り、悲しみ、絶望感といった余計な感情を自己暗示と薬で何とか抑えこみ、心を鎮めて目の前の仕事に集中する。そんな毎日を繰り返している。いつも期限に追われており、仕事を追うということが出来ていない。
気がつけば日付が変わってから帰宅するのが当たり前になってしまった。
それでも、諦めたくない。諦められない。諦めたら今よりも更に辛く、苦しく、惨めな生活が待っているから。
諦めたくない。諦められない。
早く楽になりたい。
この憂鬱な気分を少しでも吐き出したいと考えてここに書き込んだ。
後になってからこれを見て「そういやこんな時期もあったなぁ」と思える日が来ることを祈る。
正確にいうとアーマードコア3シリーズのラストレイヴンまでが好きで好きでたまらなかった。
(4系のfAまでは楽しめたが、正直V系を見る限り今後のアーマードコアには期待していない、残念だ)
学校での嫌なことも荒廃した大地やディストピアな未来で繰り広げられる、
退廃的でスケールが大きい、各々が自分の確固たる信念の元に戦い、
ある者は勝利を勝ち取り、ある者は力の前に無情にも敗れ、死んでいく…。
そしてそれを強く刻み付ける激しかったり、憂いを感じさせたり、静かな湖畔を思わせるような魅力的なテクノの数々。
傭兵という立場でありながら戦況を大きく左右するパワーを持つ主人公、
権力争いや陰謀、謎に巻き込まれながら様々な勢力を渡り歩き活躍し、解き明かしていく…。
毎度やってることは同じだが、登場人物に魅力が強く、今でも印象に残るキャラが多い。ここでは深くは語らないが…
1人でも作品に没頭しやすく楽しむことができたし、もちろん友達同士でも対戦して遊ぶことができた。
オンライン対戦なんて贅沢な環境が無かったときは小規模ながらもたまに開催される公式予選に出ては
上手い人のプレイをみて感心するばかりだった。
とにかく、アーマードコア旧作には沢山の思い出があった。
登場するキャラクターたちの声が聞こえるような気がした。
行ったことも無いようなレイヤードのことをゲームをしていないときも思い、浸った。
個人サイトのSSも見て回った、どんどん広がる自分の中のACの世界と夢が快感だった。
どうしようもなく、それでも抗い続けるような人間の生きざまとドラマがそこに感じられた。
けれど、今はもう、感じなくなった。
いや、感じていた心がなくなってしまった。そう思う。
あの時の興奮と
高揚感と
焦燥感と
力が漲る感覚は
二度と取り戻せない。きっと。