はてなキーワード: 局アナとは
贔屓にしているラジオ局に出てる女性フリーアナウンサーが4月から自分の番組を持つようになった。
3月まではいくつかの他の番組のアシスタントをやっていたんだが、単独で担当する番組を2つ持った形だ。
そのフリーアナウンサーは声や喋り方のかわいさで人気があったんだが、この頃、喋り方がだんだん落ち着いてきている。
リスナーとしては情報が聞きやすくなったのでアシスタント時代のいかにもかわいいっていう喋り方より長時間の番組では助かると感じる。
局アナだと最初から落ち着いた口調でだんだんはっちゃけ方を覚えていくという感じなんだが、フリーアナウンサーは逆の方向をたどるように思える。
この辺はフリーランスと社員という立場の違いによるものなんだろうか。
ちなみにそのラジオ局、男性局アナが自分の番組を持つと「それ、大丈夫なのか?」ってくらいはっちゃける人が多い。
日頃の不摂生に加えてクーラーをつけていなかったのが仇になった。
買い物に行ってくると同居の親に断り、少し離れた場所まで足を伸ばした。離れていたのは2・3時間程度だろう。
帰宅途中に親からLINEがきたので確認をすると、たすけて、てがしびれる、めまいなどとひらがなオンリーの誤字まみれの短文が次々と届いた。
まずい状況なのではないかと慌てて帰ると、親はリビングで倒れていた。そばにはかろうじて飲んだのか経口補水液が半分飲まれて置いてあった。
LINEが送られてきていたし、まだ意識はあると症状の確認をすると、か細い声でLINEと同じ答えが返ってきた。
状況からして熱中症だろうと辺りをつけ、Xで得ていた知識をもとに脇や首などを冷やしつつ、聞かれそうなことを親に尋ねてから119番通報した。
救急隊員には、住所・親の名前・症状・症状が出始めたのはいつからなのか聞かれたのでわかる範囲で答えていく。内心パニックだったが、まだ親の意識はあったし来てもらえたらなんとかなると思い、頑張って答えた。
救急車が来るまでに、保険証とお薬手帳を探し出し、もしかしたら入院になるかもとバスタオルと下着・歯ブラシを袋に詰めた。後は、かかりつけ医と持病などを答えられるようにした。本当ならもっと持っていくものがあるのだろうがパニックで思い出せなかった。とりあえず何か持っていかなければならないと思うことができたのはネットのおかげだ。
救急車の音が外から聞こえた時は安堵した。親は後で長い時間がかかったように感じたと答えていたが、実際のところは10分ほどで来てくれていた。親の意識があってよかった。意識がなかったら、この10分は地獄だっただろう。
救急隊員が来てからは親に質問されることが多かったため、出番はあまりなかった。横で時たま補足するくらいだったのは本人の病状確認もあるのだろう。
搬送が決定してからは火元の確認や戸締りなどをするように指示された。玄関の施錠も頼まれた後に、親の靴を持ってくるように言われて、気遣いができる人だなと感心した。確かに靴がないと帰れない。
救急車に乗ってからも搬送先が決まらずやきもきした。15分ほどあちこちの病院に電話をしてやっと決まったので出発すると言われた時はこれまた安堵した。
コロナの予防のため、念のためマスクを親にしていいか確認した後マスクをしたが、しばらくして酸素濃度が下がったのが警告音が鳴り響いた時は心臓が飛び跳ねた。意識があるから大丈夫、血圧も測っているし大丈夫、何かあったら救急隊員がなんとかしてくれる、すぐに病院だと自分に言い聞かせた。
快晴の土日だったので出かける人々が多かったのか道が混み、避けようにも避けられなかったのかもしれない。結局アナウンスを行い真ん中を通行した。
交差点に突入する時も、どんどん車が曲がってきて救急車が通りにくそうだった。
今回親は軽度の熱中症で意識があったからよかった。でもこれが熱中症でも重度の人や事故にあった人、一分一秒を争う人だったらどうなるかをすごく考えた。
高齢者1人亡くなったんだねで終わることが怖かった。
この増田を書こうと思ったのは、熱中症は怖いから気をつけてくれっていうのと救急車が来たらすぐに道を開けて欲しかったからだ。
寄りにくい道もあるだろうが、救急車が見えたり音が聞こえたなら気にかけて欲しい
交差点も曲がる前に止まってくれ。
歩行者も横断をやめよう。
道を開けてくれた車は本当にありがとう。
車乗りの義務だけど、ぐんぐん走れるようになった時は嬉しかった。
あとやっぱり救急隊員って運転上手いんだな。揺れますよとか言ってたけど道路の舗装の関係の揺れとかそのぐらいだしアクセルのかかり方とか上手かった。訓練して事態に備えてくれてるの分かって良かった。金持ちだったら寄付したかった。差し入れもダメだし、金ないから手紙書くぐらいしかできない。
病院に搬送された後は、点滴打って少し休んだら帰れたのでもうそんなに書くことがない。
やったことといえば、カルテに必要事項を書いてスマホでもう1人の親に連絡したぐらいだ。
仕事を切り上げて車で迎えに来てくれたのは帰宅の面で助かった。倒れた親は帰りの車で戻したのでタクシーだったらタクシーの人が困ったと思う。看護師が気を利かせて袋をくれていたのもファインプレーだった。
そんなわけで親はいろんな人のおかげで無事に助かったし、学びを得た。
病院代は9000円ぐらいかかったから親にはケチケチしないでクーラーをつけろ、寝ろ、飲め、食え!ときつく言い聞かせた。
親の言い分としてはクーラーの清掃をしていない状況で埃まみれのクーラーを使うのが嫌だったらしい。そんなわけで清掃業者を手配した。近いうちにくるがそれまでは我慢して埃まみれのクーラーで過ごすように伝えた。
・睡眠不足
・水不足
・食事不足
親は全て当てはまった役満だったので当然といえば当然の結果だった。
帰宅途中でよかったし、同居してて親の保険証やかかりつけ医を知っていたのもよかった。
これを読んだ増田達には、熱中症に気をつけることと、救急車の道を開けることを強くお願いしたい。
救急車の道が開かないのは友人の医療関係者も同乗する時に本当に困るよと言っていたので地域が変わっても困ってるんだなと思った。
本当に頼むぞ!それで助かる命があるかも!
松本人志の「性加害」疑惑をめぐる問題は、いろいろ論点はあるのだろうが、やはり最も重要で深刻だと感じるのは「報道の自由」の問題だ。あまり言っている人がないので、ここで強調しておきたい。
アイドルや芸人が情報番組・ワイドショーのMCやコメンテーターとして大挙出演するようになったのは、2000年代半ばくらいからだと思う。これを問題視していない人少ないのが、昔から大きな疑問だった。
そもそも芸能人は、報道に関わるには利害関係があまりに多すぎる。所属芸能事務所だけではなく、仕事で関係のあるメディア企業、出演しているCMの企業、アンバサダーを務めている政府・自治体などなど。多方面から仕事を得るのが芸能人の本業だから、これ自体は当然のことであり、そうあるべきことでもある。問題は、そうした立場の人物が、報道に関わる番組の重要なポジションを務めていることなのだ。
その問題が象徴されたのが、ジャニー喜多川問題の時の櫻井翔の立場である。昔から「アフラックに大きな不祥事があったら櫻井翔はどう報道するのかな?」と漠然と思っていたが、実際は足元の事務所が大炎上して、もっと悲惨な結果になってしまった。
芸能人が出ているのは報道バラエティに過ぎない、という人もいるだろう。しかし「過ぎない」のであれば、面白ニュースだけを扱うべきであり、政治経済のような公共的な話題や、「被害者」がいる社会問題のような、笑いの文脈に載せるべきではない話題を扱うべきではない。またバラエティであっても内閣支持率に影響を与え、政治の動向を左右することは普通にあり得るのであり、「バラエティに過ぎない」というのは詭弁である。
職業ジャーナリストや局アナや学者は確かに語り口が堅い。それに対してアイドルや芸人などの芸能人は、話術のプロでもあり、語り口がざっくばらんである。これを日本のテレビ視聴者は、「ジャーナリストや学者よりも、アイドルや芸人のほうが忖度なしで本音で自由な報道をしている」と勘違いしてしまった。当たり前だが、現実は全くの逆である。ジャニーズ問題や松本人志問題で、忖度なしに自由に発言できていたのは職業ジャーナリストや学者であって、芸能人はほとんど沈黙を強いられ、せいぜい奥歯にものが挟まったようなコメントしかできていない。
現在爆笑問題・太田の株が若干上がっている。自分も松本に比べればはるかにまともで知性のある人間だとは思っているが、彼が同じ事務所に所属している橋下徹についてほとんど言及しておらず、維新の会についてもほとんど批判的なコメントしていないことは、強調されなければならない。「身内のことは報道できない」という普遍的な力学からは、太田のような人間であっても決して自由ではない。
結局のところ報道番組はMCやコメンテーターは、バラエティ的なものも含めて、多方面に利害関係を持たない局アナや職業ジャーナリスト、学者が中心になるべきである、という大原則を取り戻す必要がある。松本がいなくなった後、芸人がそのポジションに座るなら同じ問題の繰り返しだろう。
「テレ東『アド街』で局アナが「サンタいない」発言、家族で見ていた視聴者から大ブーイング」というニュースを読んだ。
→https://www.cyzo.com/2023/12/post_360904_entry.html
こういったサンタクロースの存在可否について思い返してみると、90年代はそこまで世間は熱心ではなかったと思う。
精々「いい子にしてるとサンタさんがプレゼントくれるよ」程度であり、本気で信じ込ませる気概のようなものは無く、あくまでそういうイベント設定を楽しむような物であった。
00年代に入るとノリが変わってきて、大人が本気を出すようになっていった。
ベランダに足跡を付けて「サンタさん来てたよ!」と言ったり、正体を父と疑う子供のために太った友達にサンタコスで登場させたり、
といった話が「子供のために奮闘する大人って良いよね」という流れで消費されるようになってきていた。
それでもバレる時はバレるが、その時は「あちゃーバレちゃったw」と笑い話になるような緩さがあり、そういう雰囲気も含めて楽しんでいた。
「サンタは子供の夢であり、疑わせる行動を取るべきではない」 「子供にサンタの存在を信じ込ませることは大人の義務」
といった妙にクソ真面目な考え方を持つ大人が増えてきて、やたら息苦しくなってきたように思う。
そしてうっかり「サンタはいない」とでも言おうものなら子供の夢を壊したな!と怒り狂うのである。
何というか道徳の領域に足を突っ込み始めて異様さを感じるようになったのがこの辺りだ。
「サンタが居ないと知って悲しむ子供」という構図が「子供の成長過程あるある」ではなく「可哀想、同情すべき悲劇」として大袈裟に使われるようになり、ますます狂気じみてきた。
親戚の爺婆が悪気なく「正体はパパだよ」口を滑らせたりしただけで制裁として出禁にしたという話を聞いた時は驚いた。
正体バラしたら絶対に許さないというのは明らかにやり過ぎである。
最早そこにサンタクロースのイメージにあるような寛容で慈悲深い精神などどこにも無い。
そもそもサンタの存在などちょっと油断すればすぐバレる雑な嘘である。
真実を知って傷付く事がわかってるなら最初から嘘をつかなければ良い。
嘘が明らかになる前提なら、軽いノリでやればよい。
しかし近年のサンタ信じこませ界隈はどうもその辺分かっていないようであり
「サンタは信じ込ませるモノ」という目的不明の原理主義のようなものに従い脳死で動いているように感じる。
率直に言って最近のこの風潮は気味が悪く受け入れられなくなってきている。
自分はいわゆるコンピュータ世代なんだが、仕事の関係でアナログ回路について学んでいる。大人になってからマイコンボードやセンサを趣味でいじったことはあったのだけど、痒い所に手が届く制御回路を作成する必要があったので腹を決めて勉強し始めた。だいぶわかるようになってきたんだが、勉強した内容を振り返ってみるとその大半が(AM)ラジオに入っていることに気づいて少し感動した。知っている人には「何をいまさら」なんだと思うけれど、ラジオの構成要素であるアンテナ、共振回路(フィルタ)、増幅回路、検波など、どれをとっても今日のアナログ技術の基本中の基本になっているんだよ。基本原理をシンプルに組み合わせて実用的な技術になっているラジオというものの凄さというか美しさを感じるね。
昔は「ラジオ少年」という言葉があったそうだが、ラジオがわかればアナログ回路のことがだいぶわかるようになるのでエンジニアへの良い入り口だっただろうと思う。いまだってみんなコンピュータばかりいじってないで、もう少しくらいラジオをやっても良いんじゃないかなと思うよ。楽しいし、実世界を制御するには結局アナログ回路に頼らざるを得ないからな。
自分が勉強する中で、電子回路にちょっとでも興味を持っている人におすすめできる記事を見つけたので共有したい。RFワールドが無料で公開している「ラジオで学ぶ電子回路」というコンテンツなんだけどこれがとても良い。第一部だけでも、実践的な考え方を学べる。
https://www.rf-world.jp/bn/RFW07/index.shtml
GWにどうせなら何か一つ学んでやろうという気がある人がいたら、超おすすめです。
・コメントに難しすぎるとの指摘が。ごめん、確かに万人向けではないし文もちょっとクセがある。もし肌に合えばおすすめ、くらいでお願いします。
・2028年(AM)ラジオ終了はよく知らなかった。代わりにFM放送に移行するラジオ局が多いみたいだね。回路的に単純で親しみやすいAMラジオが消えていくことに寂しさを覚えるよ…
どんなに浣腸を繰り返したってアナルでセックスしている時点でキレイではないだろ。
家でオナニーをするたびにアナルに浣腸を入れて弄っていると思うとゾットするだろう。
それどころか単なる前戯で終わらせるつもりで浣腸もロクにしてないアナルに指ぐらい入れているかも知れない。
BLがデートしてる最中にふとしたときにアナルが疼いていると思うとサブイボが立ちそうだ。
浣腸をしようとしまいと結局アナルを使っている時点でそれは抗いようもなく醜悪なのだ。
蒸れ蒸れ金玉とカピカピ経血のどちらが不浄かなどは論じる必要はない。
セックスのたびにアナルを使っているという時点でもう終わっているのだ。
ラブホの清掃員から見て百合とヘテロのどちらがまだマシなのかは本人たちの価値観次第だが、尻穴に肉棒をのたくらせあったあとの汁を始末するのがそのどちらよりも最悪であると証言するのは疑いようもないだろう。