はてなキーワード: ヒトラーとは
中学、高校時代アニメとかほとんど見なかったし、中二的なものにも一切関心が無かった。今、大学生なんだが、中二病を拗らせている。人前で「I am the bone of my sword」とか「タイムアルター・スクエアアクセル」とか叫びたい欲求が出てきたし、lineのトプ画をハーケンクロイツ、ひとことをハイル・ヒトラーにしたくなってきた。流石に大学生にもなってそんなことしたら余りにも痛々しすぎて見ていられないのは分かる。だから、そういう欲求を抑えている。マジでこういう痛い経験を中学か高校の間にしておけば良かった。その頃なら黒歴史で済むから、本当もったいなかったなって思う。やはり中二病はなるべく若い内に発症すべきだとつくづく思う。
この前AI婚活が一時話題になったけどさ。正直就職先も全部AIが決めて欲しい。
正直言ってもう僕は疲れたんだ。コロナの中何社も何社も、本当に行きたいかどうかもわからないのに就職したいと言って、結局落とされて。
もう自分で自分がわからない。自由ってこんなにも苦しかったんだ。
昔ドイツでヒトラーが民主的に選ばれたと聞いて何で?って思ったけど今ならヒトラー政権が誕生した理由分かるわ。
正直もう疲れた。自分で自分の責任取りたくない。全部AIに決めて欲しい。
多分どうせそれでも文句を垂れることぐらいも分かってる。僕を含め大抵の人間はそこまで出来ていない。
それでも、AIを恨むのと自分自身を恨むのとでは精神的ダメージが違う。頼むから自分以外に文句を言わせてくれ。楽にさせてくれ。
要するに何が言いたかったというと、近代に入るまでずっと職業も結婚相手も選べなかったのは、その方が楽だったからだということ。
そして、人間は思うより強くないってことだ。
目の前には赤子のヒトラーが寝ている。
いったい俺に何をさせようとしているのか?
いったい俺に何をさせようとしているのか?
毛布がはだけていたので、そっと掛けなおすと静かに俺はその場を立ち去った。
押し寄せる不法「移民」や中国製品にEUやアメリカ経済が押されている所に米トランプ大統領の登場、イギリスのEU離脱、反グローバリズム、保護主義(排外主義)の盛り上がり
そして軍拡する中国へ反感の機運が盛り上がり掛けていた矢先に中国発のコロナウイルス登場
反中の右派はすかさず事態の原因は「中国の武漢ウイルス」と宣伝する。コロナ騒動の開始だ
移民とか政敵を感染症や病原体になぞらえる修辞の(右派的な)排外主義との親和性はナチスを引き合いに出すまでもなく既知のものだ
当初左派は差別の比喩としての「ウイルス」が持つ意味に反応し批判していたように(少なくとも自分には)思えた
もしトランプが外国から持ち込まれた「チャイナ・ウイルス」の脅威を目ざとく反グローバリズムに利用し感染症の脅威を誇張し不法移民をウイルスになぞらえマスクの着用推進など「社会統制」を強める方に向かえば
反トランプの左派は立場上「トランプ=ナチスからの自由のため」に右派のコロナウイルスの脅威の誇張を指摘し騒動を納める方に向かっただろう
しかしリバタリアニズムの影響かまたは一貫性の欠如の故かトランプはじめ右派はマスクを拒否し統制からの自由を求める
中国のウイルスを強烈に敵視する一方で国内ではウイルスなんてただの風邪だとうそぶき統制を嫌う。
外国からの移民に不寛容な右派が外国からのウイルスには寛容になると言うパラドックス(そしてこれはトランプとナチスとの違いでもある。トランプは快楽主義者であってヒトラーのような禁欲主義者ではないのだ)
このパラドクシカルな状況で、状況を俯瞰するだけの視野を欠いたまま反トランプのスタンスを愚直に貫き論陣を張った左派
いきおいコロナの脅威を誇張する事でトランプの感染対策の無策過失を強調する方向に向かう事になってしまった
右派に加えて左派もトランプ叩きや政権批判のためコロナの脅威を叫ぶようになった
こうして右も左もコロナの恐ろしさを叫びパニックが扇動される結果になった
このパニックを納めようとしているように見えなくもない勢力はホリエモンのようないかにも感じの悪い経済系ネオリベを除きもはやいない
まず最初に存在するのはこれである。死の受容3/5段階の「契約・取引」と原理は同じだ。絶対的な不運を前にして、人はただ祈ることしか出来なくなることがある。コロナが蔓延してしまっているという災害に対して、個々人が出来る感染予防策を終えたあとに残る最後の手段が祈りなのだ。
「神様、私はいい子ですので、どうか私に不幸を齎さないでください」と神に祈り、それと同時に、「どうか人類に罰をお与えになるのでしたら、あの不信心者達にしてください」と信仰の異なる物を生贄として差し出すのだ。今回はそれが「コロナにかかるのは遊んだ結果」という形で表出し、その信仰を口にすることで、自分たちは神(ここではキリスト教や日本神道のような具体的な神のみでなく、「この世界に秩序をもたらすシステム」として人が信じるあらゆるもの(公正世界仮説など)も含まれる)に守られると信じているのである。
「コロナにかかるのは遊んでいる人間である」という言葉は「遊んでいなければ、コロナにかからないはずであって欲しい」という願望の裏返しである。コロナにかからない根拠として、信仰ではなく論理的な根拠を求めるべきと考える人々であっても、心の中にある何かに縋り付きたい思いは一緒なのだ。
彼らは、データや統計を都合よく解釈し「感染は繁華街で起きているらしい」⇨「私達は繁華街に近づかないから大丈夫」 「感染はエッチなお店や飲み屋で起きているらしい」⇨「なら私達は安心だ」という形で、「自分たちは大丈夫」と必死に語るのである。いわば彼らにとっての信仰の対象がデータであるというだけで、本質は神への祈りと大差はない。
「コロナにかかる理由は、これこれこういった問題があったからだ!改善する責任がある!」と言われたくない者たちが、「コロナにかかるのは遊んでいたからです。それは我々が改善できることではありません」と口にしているのだ。
これは実際にニュースにおける政治家の言動を見れば明らかだ。彼らは自分たちは必死にやっているがそれを邪魔する人間がいるとして、遊んでいる(とラベルを貼った)人間たちを攻撃することで自分たちの批判を逸らそうとしている。ヒトラーがこの世すべての悪の根源はユダヤ人だから奴らのせいだよと言いはったのと同じである。
気をつけなければいけないのは、我々も同じように「でも私たちは出来ることを十分にやっているから、それでも感染拡大するのは、あの人達のせいだよ」という自己弁護のために、「遊んでいる人がコロナにかかる」という言葉を使ってしまいがちなことだ。単にそれで気を休めるのならいいが、そこで満足して感染防止の手を緩めながら、「頑張っても無駄だよ。どうせ遊んでる人はいるから。だから私達も手を抜いていいでしょ?」というのでは、結局私達もヒトラーと同じことをする政治家の仲間入りをすることになる。
武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方が話題になっている。「ディストピア文学を自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家が北村紗衣先生の教えに反しているためである。
フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説や絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションのディストピアが未来の現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著)
自分が今いる良いところの再確認(「日本はディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品が自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である。
「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラーやスターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想)
フランスの作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在のアメリカ、あるいはアメリカに象徴される利潤追求第一の物質的競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評)
(小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子、リボン、小鳥、様々なものが消滅していく島で、秘密警察が消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。
日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実が作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載(ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補)
イギリスの文学賞選考委員であるが、ディストピア作品をアメリカと関連付けている。
身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間の文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別や偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感)
日本を舞台としたディストピア作品をアメリカと結び付けている。
果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。)
ディストピア作品を世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。
トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民やイスラム圏からの入国制限など過激な政策を進めているが、「独裁者を彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説を連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で)
文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)
批評家の佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体が戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実がフィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)
(北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈や浅薄な解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品の解釈は、学生だけではなく、書評の専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカはディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄な解釈が、日本のみならず、イギリスの文学賞選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学と北村紗衣先生に感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。
24: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:36:44 ID:BAY
(帰ってきたヒトラーは)笑えるけど全然笑いごとじゃないからな
尊師(麻原彰晃のこと)も最初は皆ネタキャラやと思ってた本邦は特に
26: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:37:01 ID:43r
>>24
でも街中では笑ってる人多かったやん
28: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:37:15 ID:iqN
>>26
30: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:37:43 ID:43r
>>28
どゆこと
33: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:38:07 ID:hMM
>>30
気づいた頃には笑い事じゃすまんくなるってことや
35: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:38:29 ID:43r
>>33
なにが?
38: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:39:28 ID:vRE
>>35
ヒトラーの行った移民に対する政策に対して否定的な人が減っててヒトラーの純血主義にも一理あるって考える人が増えてるってことや
39: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:39:34 ID:hMM
>>35
本当はヤバいやつを軽く見て適当に放置しとった結果権力持っちゃって気がついたらシャレにならんことになるっていうことや
58: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:41:54 ID:43r
>>39
70: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:43:03 ID:hMM
>>58
たがたが70年前におった独裁者になんの抵抗も抱いてない時点でそういうやつが育つ土壌はじゅうぶん整っとるやろ
78: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:44:19 ID:vRE
>>70
たかが70年とはいうけど70年前のこと知らない人からしたらそいつが何やったかよくわからないし知ってたとて実感がないからなぁ
79: 名無しさん@おーぷん 20/12/08(火)17:44:41 ID:hMM
>>78
やからそれが危ないんやって
やっぱ国語っているんだなあ