はてなキーワード: イギリス人とは
日本人は亡くなった人の遺骨の回収にこだわるという話を聞いたことがある
有名なのが、先の大戦で海外諸国に置き去りになった遺骨を回収して日本に持ち帰って遺族に渡すというやつ
日本は特にこだわると聞いたんだが、日本だけの話なのか本当にそうなのかわからないな
日本の船とアメリカの潜水艦が衝突して日本の船側が沈没して死傷者出た事故
その時に沈没船の引き上げ(≒遺体の回収)をアメリカ側が渋ったけど日本側は強く望んだという話があった
それってつまり、少なくともアメリカ人は遺体の回収にこだわりがないってことじゃないか
その時にこの日本人の遺体へのこだわりというものを初めて認識した記憶がある
というのも、ウクライナとロシアの戦争で赤十字を通じてロシア側に遺体を引き渡す準備があるというニュースを見たからこの疑問を思い出したのだ
え、欧米諸国も遺体の引き渡しにこだわるのか?という驚きがあった
土葬文化だとこだわらなくて火葬文化だとこだわるとかの違いか?
キリスト教文化圏とそれ以外でこだわりに差が出るか?
赤十字という第三者機関を通じて犠牲の数を客観的に計上するためなんだよ、とかそういう話は今は興味なくて
そういう建前があったとしても、遺体や遺骨が返ってきてほしいという感情が普遍的なものなのかどうかが知りたいねんな
海外の人々に聞いてみたいもんだ
the peacemaker: ジョン・シナがポンコツのヒーロー軍団のポンコツヒーローとしてエイリアンの侵略と戦ったり戦わなかったり警察に追い回されたりするヒーローコメディ。オープニングのダンスが馬鹿馬鹿しくてつい毎回見てしまう。話もくだらないコメディかと思いきやなかなか予想外の展開もあり、面白い。MCUから追い出されたジェームズ・ガンが本領発揮している。
this is going to hurt: BBCのNHSの病院もの。くたびれた医者を演じているのはBen Whishaw。制度や病院の疲労を描いているが、基本的には軽いトーンで見られる。イギリス人なら、あー、わかる、みたいなことが多いんだと思うし、40くらいでできることとか責任とかに押し潰されてるサラリーマンとしても、刺さる。
the suspicion: Apple tv オリジナル。NYで発生した大使候補の息子誘拐事件をめぐり、まったく無関係に見えるがたまたまそのホテルにいたイギリス人3人の容疑者をロンドン中のCCTVで追い回す。北アイルランドに上陸した黒幕のテロリストの存在もあり、現代の都市で個人の行動はどれだけ監視できるのか?とかも考えてしまい、引き込まれる。ユマ・サーマンが出てます。
まだ日本で見れないやつもあるけど、Netflixとかアマプラで見れるやつはひとしきりみて飽きてるんだよねと言う方に予告も兼ねておすすめでした。
今やイギリスの国民食と言われているらしい、チキンティッカマサラ。
要は骨なしタンドリーチキンみたいな焼いた鶏を、トマト・クリームベースのカレーソースで煮込んだ料理。
前々から興味があっていつか食べたいと思っていたら、以前大評判になったとかいうイギリス輸入モノの合わせ調味料が地元のKALDIに売っていたので、早速買って作ってみた。
使った肉は鶏もも肉。
本当はチキンティッカもカレーソースもイチから作りたいのだが、インド料理はイタリア料理と同様、旨味を加えることがなかなか難しい(それでもフランス料理よりはマシだが)うえに、色々スパイス買っても使い切れなさそうでスルーしてたと。
なので、こういう美味しくて手軽な合わせ調味料は本当に助かる。
ちなみにこのシリーズでチキンティッカマサラは甘口カレーにあたり、他にイギリスのカレー店やインド料理店の定番とされるローガンジョシュ(中辛)、ジャルフレージ(辛口)をラインナップしている。
こっちもそのうち試すかも。
確かイギリス料理って、イギリス人の国民性なのか塩味と旨味が希薄と聞くし、そもそもイギリスは食品添加物に厳しくて、旨味を増強可能なあれこれを殆ど入れられないんでしょ?
だから実際これの原材料には、それっぽいもの(アミノ酸とかタンパク質加水分解物とか…)が全く見当たらない。
でも、そういう背景があることなんて信じられないくらい、とんでもなく美味しいってヤバくない!?
一体全体どういう魔法を使ったら、こんなに美味しくできるんだろう…。
いつも「油・塩・旨味!」で料理を攻めている(例えば卵かけご飯だったら醤油・オリーブオイルそれぞれ小さじ2、味の素3振り入れたりする)自分としては素直に驚くと同時に、少なからず敗北感を味わったのだった。
でも彼らがアメリカ人という設定ではないし、Jean-Luc Picard 船長はフランス人という設定で Frère Jacques を歌ってたし、あの俳優 Patrick Stewart はアメリカ人ではなくてイギリス人だし、、
イギリス音楽は中世からルネサンス期そしてバロック期もパーセルくらいまでは非常に輝かしいのだけれど。パーセルが若死にしなければ多少は変わっていたのだろうか。というより、バロック期に大陸風の音楽の取り入れに方向転換したということなのだろうか。ロマン派はイギリス人気質に合わなかったのだろうか。古楽復興運動が早くから興って盛んなのもそのせいなのかなぁ。ドルメッチ親子とかダートとかマンローとか。
皇族だって皇族にマナーとか求めないで浮気とかしまくって10人くらい子供作ってくれてれば後継者で悩むこともなかったのに何かあると総叩きするからこれや
国の象徴のティアラ国費から出したの叩くとか恥ずかしくないんか
イギリス人がエリザベス女王がドレス国費で買ったのにキレてたら頭おかしいイギリス人やな…になるやろ
頭おかしいのか?
一般人に言ったら訴えられてるだろ
国家元首じゃなく象徴になったとは言え国民みんな使ってる元号を今でも制定してる存在なわけじゃん
不敬罪は軽めに復活させてもいい気がしてくる
この人は立派だ!という人に会ったことがない。
深く付き合うようになってくると、たいていキャノンのカメラが50万円のものを買いたいだとか、
ドイツ製のクルマは最高で、日本製はほとんど乗られてない、とか誰も聞いてないようなことを楽しそうに語り始める。
ほんとうに、物質的なものしか、評価軸として見えてないんだと思う。
知り合いのイギリス人・台湾人は、動物愛護について非常に詳しかったりしたり、
ホームレスに寄付するのは当たり前のように話していたり、とにかく非物質的なことに評価軸を置いている。
中国人は金持ちも貧しい人間も、眼前にある現象しか見えていなくてひどくつまらない。
アムステルダムでオランダ人、ロシア人、イギリス人とサッカーして、日本人同士の駐在員サッカーは吐くほど嫌いになりましたが
(写真が入れられないのでこちらに書きました情報商材ではないです)
https://note.com/eurogogo/n/n7daf40419633
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まさかNumberもこういう批判をされるとは思いません。こういった文章をかける人って非常にすくないので、
ともすると海外でサッカーをやっていた人の意見を採用しがちです。
でもそんなにかんたんな話ではありません。僕はサッカーはそこまでプロレベルではなくてもやってきました。
海外にいってもずっとサッカーを追っかけてます。なので批判できます。
オランダで駐在員サッカーチームにいてオランダ人サッカーチームとサッカーして思ったが楽しくサッカーをしたら、ミスを恐れずにサッカーをしたらいいってものではない。確かに同意はしたくなる。
自分もオランダに行った時駐在員チームでサッカーをしてめっちゃ怒られてオランダのゴッホ美術館前でオランダ人等とサッカーをしたらミスをおこられない開放感を味わった
でも、どちらかというとそうではない彼らは基本技術がうまい。太ったイタリア人はうまいし、ビールを飲みながらビール腹で70歳のオランダ人はうまい。
パスがうまいキックがうまい。普通にうまい。駐在員の日本人はうまくない。これは原因は文化だ。何十年サッカーをやってきたかだ。
確かに、駐在員チームで初めて怒られた時、「そんなパス、会社だったらクビだよ!」である。だし、ゴッホ美術館前の芝生で一緒にサッカーしたら開放感は半端ない。
でもそこが原因じゃない。基本的に彼らはうまい。元からうまい。イタリア人が何気なくフォンデル公園公園の芝生でサッカーをしていた。適当にやってくそうまい。
めちゃくちゃうまい。スペインのバルセロナで少年がビーチで何気なくしていたエラシコ。オランダではおじいちゃんがおばあちゃんとプレミアリーグを週末にゆっくり観戦しているのである。
これは文化の差だ。そんな批判文化レベルの浅い差ではないと思う。
彼らはずっとサッカーをやってきた。
だから強いのであって、そこはこんな批判文化の有無ではでは埋められない差だと思う。日本だってこれからはそういう国になっていく
ちょこちょこ大阪弁だけ東京に来ても直さないと苦情を散見するので、
関西弁について、ただの一方言として理解している人に伝えておきたい。
もちろんジモン寺門や上島竜兵のように完全に東京に染まる人もいる。
まず反感を持たれるかもしれないが、上方の言葉は100年前までこの国の中心の言葉だった。
なので今でもなんで東京の言葉を喋らないとあかんのやという感覚はある。
都市化されているので標準語にカッコいいとかスタイリッシュ、都会風というイメージがそもそもない。
イギリス人にアメリカ英語がグローバルスタンダードだから話せというバカはあまりいないのではないだろうか。
もう一つ、ほとんど知られていないかもしれないのだが、関西弁はもう実は標準語化されているという事実がある。
これは浜村淳という神様のような人がいて、その人が完成させた技術なのだが、
浜村淳が確立した技術というのが、標準語の文章をネイティブな関西弁で話すという技である。
どういうことかというと、関西人は標準語で書かれたすべての文章を関西弁で読むことができる。
逆に筆記すれば標準語なのにリスニングでは関西弁にしか聞こえないという双方向性が存在する。
この技術のおかげで関西弁をどこで話しても通じないという問題が発生しない。
それは当然で、関西弁に聞こえる方言は実は標準語を話しているからである。
この技術を多くの関西人は幼少のころから毎朝インストールされていた。
国語の本読みでも標準語のイントネーションなんて教育されることもない。
そんなことはおらが村の言葉でも同じだと思うかもしれないが、文字起こしして標準語なら伝わるはずだし、
書いてる私も、それくらい全国で出来る簡単なことのようにも思うが、浜村淳がこのスキルを完成されることに
大変な苦労を要したと語っているので、その言葉を信じるなら関西弁の特殊性のひとつとしていいだろう。
もちろん、~や、という語尾は話し言葉では出てくるので訛っているだろと感じる人もいると思うが、
ちゃんと喋ろうとしたらですます調で関西弁で標準語をもうすでに話している。
だから関西人は東京風のイントネーションに直す必要がないのである。
不快に感じている人は、ただただ嫉妬か妬みか、自分の方言は恥ずかしくてないことが悔しいか、地元愛がない自分を認めたくないか、
ごく一部の本当に通じない地方の方なのだと思う(そういう人は関西弁直せなんて怒らないと思うけど)
しかし、古い大阪弁を話せる人は年々減っており、老人の話す言葉がわからないという子供は少ないが、
高度成長期以前の大阪弁の映画を子供に見せて、何を言っているのか理解できるのかはかなり疑問が残るし、
おおきに、ですら老人が日常使いするくらいで、あとは商売人のクリシェでしかなくっている。
火垂るの墓で節子がナチュラルにおおきに、と話している姿はおばあさんに育てられているような家でしか見られないだろうし、
学校に通いだすと恥ずかしくて子供がおおきに、も言えない世の中になっている。