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はてなキーワード: 食べ物とは

2024-07-20

自炊しない人って中国産食べ物摂取してる自覚あるの?

365日自炊してる人間なので一般人感覚がよくわからないんだが、そこらのチェーン店外食してる人って質の低い食材を食べてるという自覚あるんだろうか。

いや、月一とか週一で食べてるだけの人はいいんだよ。でもうちの職場だと昼は毎食外食って人がたまにいるんだよね。

そういう人って確実に中国産野菜とかを自炊派の何倍も食べてると思うんだけど、それに同意して食べてるのか、自覚せず食べてるのか、どっちなんだろうって不思議なんだよね。

もし外食派の人がいたらその辺の感覚を教えてほしい。

都内一人暮らししながら1ヶ月20万貯める

なんという無理ゲーなのかと悟ったね

奨学金の返済、スマホ通信料PCのローンは必ず出て行く、これで2.5万

 

あとは食費を2.5万以下にする必要がある

 

食べ物は全部ふるさと納税でもらう

→肉とかフルーツじゃなくて、保存きく米とかパスタとか

レトルトカレーもしくはカレー友達

カレー大量生産せざるを得ない、でもこの時期腐るし量食べないかレトルトカレー

野菜社食補給

→そんなに安くない

クレジットカードポイントを利用

→貯めてたJRE POINTsuicaチャージ

→ひもじいので新しいクレジットカードを作って10000ポイント獲得(1万円相当)

外食は無理

→無理外食できない

遊びに行けない

アマプラ我慢しろ

ボーナスは全部貯金

→かなしい🥲

食べ物の味なんて所詮主観だな

ベトナム料理屋で生のもやしが出てきてそう思ったわ。

でも生のもやしはマズイ。

ファミマ貧困層用のフードポストがある

たまにファミマ貧困層用のフードポストが置いてある

賞味期限2ヶ月以上

生モノでなければそこに食べ物入れとけば

貧困家庭に送られる仕組み

みんなもやってよ

https://www.family.co.jp/sustainability/fooddrive.html

2024-07-19

高齢窃盗団”をネタとして見れない、全然他人事じゃない

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.uhb.jp/news/single.html?id=44082

ガチ弱者男性なんだけど、自分の老後はガチ日本も終わってて、

最悪刑務所入れれば屋根の下で寝れて食べ物も貰える、みたいな理由窃盗してそう

禁煙

禁煙してからもう3か月が経った。最初の1週間は地獄だった。タバコを吸いたい気持ちを抑えることは想像以上につらかった。カフェ・ド・クリエスターバックスのような喫煙可能カフェを避けるために、わざわざ遠回りして帰ることもあった。最寄りのコンビニセブンイレブンファミリーマートに行くたびに、タバコ棚の前を通ると手が震えた。

でも、周りの人たちが禁煙応援してくれたおかげで何とか続けられた。友人AやB、そして職場上司禁煙メリットを語って励ましてくれた。でも、問題自分自身の中にあった。体調は改善されたはずだけど、心は不安定なままだ。

最近は、確かに呼吸が楽になったし、食べ物の味もよく感じるようになった。でも、その代わりなのか、精神的なストレスが増えた気がする。これまでタバコごまかしていたストレスが、全て表面化してきたのかもしれない。職場プロジェクトがうまくいかなかったとき、新しい上司とのコミュニケーションがうまくいかないとき、いつもなら一服して気分を紛らわせていたのに、今はそれができない。

禁煙外来に通ったり、ニコチンガムを試したりもしたけど、どれも効果を感じない。自分意志力が試されているようで、毎日が戦いだ。禁煙成功した友人Cが「最初半年が一番つらい」と言っていたが、その言葉が今の自分には救いだ。

そして禁煙の影響か、眠れない夜が増えた。深夜の2時までスマホの画面を見つめ、SNSスクロールしていると、自分けがこの世界から取り残されているような気分になる。無理に眠ろうとしても、頭の中では次の日の仕事のことや、人間関係の悩みがぐるぐる回るだけだ。

禁煙は確かに健康のためには良い決断だったと思う。でも、その代償として、自分自身に向き合わざるを得ない状況がつらい。毎日が試練の連続だ。これからもこの戦いは続くのだろうか。それとも、いつか楽になる日が来るのだろうか。そう考えると、今夜もまた眠れない夜が続きそうだ。

anond:20240719145008

街を遊び歩いて海外発の流行食べ物食って「これ映える〜」って言ってる層と

家でネットやって真実に気づく層に

同じ年代の中でも分かれていくからなあ

2024-07-18

カンニングした理由からカンニングをやめるまで1

カンニング卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である

長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。

だけどカンニングニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。

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カンニングしたことがある。小学生中学生くらいまで。

私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。

こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。

「なんでこんな低いの?」「なんで勉強もっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。

でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分否定してくるという事は、小学生自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。

そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。

小3くらいの時、学校先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。

また塾で算数範囲簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツ人生で初めてだったからだ。

中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。

親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」

そこからかに質問するのをやめた。

積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。

解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分記憶力はダメなんだ。自分馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段勉強試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。

また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。

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理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科ひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数国語から特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。

父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。

はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子小学生テストすら0点だから別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。

ある時、酷かった国語テストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。

母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味バカにされる。

そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛吐き気がする。

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カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。

でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。

勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たとき理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間自己嫌悪時間になる。

勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙アレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。

「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題したことがある。しか問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説バンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。

でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。

小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会プレッシャーの方が何倍もましだ。

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小学校テストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。

結局、中学受験面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。

他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズバカだ。

親としては微妙ライン学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。

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中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。

そんな中、中学一年先生は優しかった。一年が終わる時の面談勉強が苦しいと相談した時こう言われた。

「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生出会った気がする。

「君の友人の**って子は成績がいいから、その子相談してみたら?」と目から鱗だった。自分小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。

そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。

成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。

追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生バカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生

そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母戦争体験者で父と似ていて「自由笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。

から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。

後半→https://anond.hatelabo.jp/20240718233140

大発見】 食べ物に「信州」をつけると何でもおいしそうに感じると判明

信州マグロ

退院祝いでなにか送りたい

友達退院たから何か食べ物でも贈りたいんだでも、いわゆる「ギフト」系だとお返しを気にしそうなので、適度な値段で身体に良くて向こうが気を遣わないような贈り物ないかな?

無印レトルトカレー詰めあわせて贈るとか良さそうかと思ったけど、退院後に辛いものは体調的に合わなそう

anond:20240718142947

お米たべろ!!!

つか、今どき贈り物に食べ物あかんでしょ、ってもう30年以上前から言われとらん???

anond:20240718134723

不特定多数を集めるようなイベントで客から手土産として食べ物を受け取っても安全性確信できないので捨てられます

差し入れするなら食べ物はやめたほうが良いです。 廃棄の手間をかけるだけの迷惑になります

イベント性質によりますが……金のやり取りがあると課税が発生したり権利関係が面倒になることがあります

無料のつもりでやってるときに金を受け取ったらそれも迷惑になりうるんです。

無料イベントをやるというのはその分野そのもの思い入れがあって界隈を盛り上げるためにやっているのでしょう。

お礼の気持ちを表したいならあなたがすべきはその意図に沿って界隈を盛り上げることが最高のお礼です。

適うなら、次の機会があればあなたイベントを開催してもいいでしょう。

2024-07-17

ねむるとき帽子ってかわいいよ

人生で一度も使ったことないけど

頭のてっぺんチョコンとのせて

ねむりの国へいざなわれるのだ

巨大なもふもふイノシシがふうとやってきて、「どうですか、この国は?緑はゆたかですし、食べ物はおいしいし、お金も一日3万ゼニーが与えられますし、可愛らしい子熊も住んでいます。もちろん快適なベッドがあって、マイナスイオンが発生する小川そばで好きなだけねむっていられるのですよ」と得意げな顔で言う

「この帽子かぶってください」イノシシが手渡したのは、ヒツジの顔が描かれたふわふわナイトキャップで、その帽子を受け取った私は、少し緊張しながらも期待に胸を膨らませていた

朝がくると、窓から差し込む柔らかな光に目を覚まし、新鮮な果物で朝食をとりながら、今日は何を発見しようかとワクワクする…

憧れるなあ

炭水化物ばかり食べるなって言うけど

炭水化物以外の食べ物って何だ?と調べたら

クルミ納豆チーズマヨネーズエビとか。

バカか、こんな小動物のエサみてぇの食ってられるか。

アル中カラカラ系の人間食べ物をわざわざ残飯にして食べる系の動画チャンネルを紹介してってCopilot君に打ち込みかけたけど、さすがに人としての良心が純朴なCopilot君にあんな汚い世界を知らせてはいけないと思いとどまった。だからお前らが見てる残飯動画リストをさっさとだすんだよぉ

anond:20240716155929

人間産物としての文化の極みの一つだよ

未だ食べ物ひとつにしても他生物の営みに頼らなければならない人類だけど仮想定義だけは堆く積み上げてきたそのひとつ

2024-07-16

anond:20240716233326

ワイは声が父さんそっくりからどう転んでも父さんの子供やで。

ここ数年は好きな食べ物も似てきたやで。

極端に辛い食べ物自主規制の方向に向かってしまうのだろうか

…まあいいか食わないし

トランス女性ミソジニー

https://x.com/6wQC4HBl1f19712/status/1812625258559762541

 

・いちとせしをり「女をめった刺しにしたい」

・ひなとっと「女性を犯して人生終わらせたい」

ラミー女性食べ物女性マークを書く」

増田トランスヘイター女性が性被害に遭うのって天罰だよな」

2024-07-14

anond:20240714140614

犬と鳥は飼ってたことがある

鳥はもちろん犬は雑種小型犬だったから戦いにおいては何の戦力にもならず

猿は食べ物がかかるとかなり凶暴なのでパートナーは猿だけでいいのかも

2024-07-13

anond:20240713113839

歯磨き

ちゃんと磨かないと虫歯になる」というプレッシャー食べ物じゃない異物(しかも一度口に入れたもの)を口に入れるのが嫌すぎてなかなか習慣づかなかった

毎日寝る前に磨けるようになったのは30代後半になってから

anond:20240713061152

2に近いけど3も全くないわけではないと思う。

ステーキだと素材がいいか料理の上手い下手関係なく最終的な出来栄えが良いっていう点で2に近い。

一方で子供の頃から外食はハレの日と刷り込まれてて、ステーキがそれを呼び起こす作用はあると思うから3もなくはない。

あと外食基本的に客の健康度外視で味付けを濃くしたり化学調味料たっぷり使って中毒性を上げてるせいで、外食=旨いって刷り込まれてる可能性もある。

からプロ手料理を食べる前は自分も3に近い考えだったんだけど、プロ手料理を食べたら2側に傾いてきた。

以前は家庭料理外食回転寿司と回らない寿司くらい別の食べ物という認識だったけど、普通食材普通調理器具でも外食かそれ以上のクオリティが出せることが分かって外食の美味しさのレンジ手料理の美味しさのレンジが重なってきた感じ。

ステーキ外食っぽさや豪華さは一種香辛料として手料理への忌避感を誤魔化す役割になってるかもしれないけど、豪華さはなくても満足できる手料理はあり得る(少なくとも自分は)。

瑠奈被告の話聞くと影羅のコピペを思い出す

中学生の頃、妹は二重人格だった。

なんでも、火を見ると「影羅(エイラ)」という魔族の人格が現れるそうで、真っ暗な部屋の中で唐突マッチを擦っては、

「……ヘヘ、久しぶりに外に出られた。この小娘は意思が強すぎて困るぜ(笑」

などと乱暴な口調で叫んだりしていた。

ある日、夕食の時に「影羅」が出たことがある。

突然おかずの春巻きを手掴みでムシャムシャと食べ始めて、「久々の飯だぜ(笑」と言った。

食べ物関係ジョークを一切許さない母が、影羅の頭にゲンコツ振り落とすと影羅は涙目になっておとなしくなった。

それ以来、食事時に影羅が出たことは無い。

そして別人格とやらは、妹が高校に入った辺りでパタリと出なくなった。

最近になって、大学生になった妹にその頃のことを尋ねたら、クッションに顔を埋めて、手足をバタバタさせてのた打ち回っていた。

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