はてなキーワード: 相続放棄とは
「そう・・・」ぐらいのもので、帰る実家がなくなるとかそういう感覚もないしこのあと二人と連絡を取るのかすら怪しい。
自分は所謂「長女様」ってタイプの人間で、末っ子両親の間に生まれ二人姉妹の上、「下の子供の気持ちがわかってない」と怒鳴られて以降、
家族全員を弟や妹として捉える事で精神の均衡をなんとか保ってきた。
なるべく連絡も取らず、相続放棄・喪主の果てまで娘たる妹に丸投げしようと心に固く誓っていた。
それがあっけなく離婚した。おそらく最近の情勢でずっと二人が家にいるようだったから、見えなかったものが見えてしまったんだろう。
「寂しい」だの「心配」だの、綺麗な言葉を並べてくる厄介極まりない元カノみたいな連絡のとり方をしてきた母親に対しても、
今更甘えてくるのか、とかそういう気持ちしかわかず、父親も「母親が最近おかしい」というし、
何なら二人は夫の出来ること・妻の出来ることに限界を覚えたのか、「すべてを解決できるのは娘であるお前だ」と家族の大黒柱にする始末である。家族ごっこってめっちゃ疲れる。
今思えばSOSだったのかも知れないけど、今までのことを考え直すとここで娘が解決してくれると私を頼るのはナンセンスなんじゃないかなって思ってしまった。
不思議なことに申し訳無さもまったくないし、「私があの時連絡を取っていれば」みたいな後悔や自責の念が一切ない!面白いぐらいにない!!
いや本当に。きっと育ててくれた恩とかないのかって思うかも知れないけど、困ったことにそれを差し引きマイナスに出来るレベルのあーだこーだがあったので親子の情ってものがない。
家族愛って二次元やドラマの中にしかないんじゃないかなって思ってるし、母親と旅行に行ったとかって話す人は随分幸せな人生歩んでるんだな・・って別次元の人として見てしまうし。
本当に困ったことに、やっと自分の人生始められる気がしてきて将来の展望どうしようかなって前向きな発想しか湧いてこないんだなこれが。
結局私に兄や姉が出来ても、末っ子ではない私はあの家の家族には一生なれないし、末っ子っていう家族を作るためのゴミみたいな感覚で生まれてきたんじゃないかなって思えば
人生も多少楽になるんじゃないかって思ってたら家族がなくなっちゃったよ。最初からきっと家族じゃなかったんだろうけど。
これからも誰かを頼って生きていくんだろうけど頑張ってくれ。私は父と母のお姉ちゃんでいることにもう疲れた。
私も人間になりたい。お姉ちゃんって生き物じゃないんだ。適当な概念姉でも見つけてくれ。もう知らん。
ここまで五体満足で育ててくれた事には感謝しますが、歪んでしまったものを直し、欲しかったものを手にするために親は不要でした。
お世話になりました。さようなら。
そんなこと言うなら相続放棄すればええやんけ
(追記)
色んな人に「良かったね」と行って貰えて嬉しい。ありがとう。
「相続放棄はしっかりと」「死後三ヶ月以内」ってのは肝に銘じます。
毒親が無理して組んだ実家のローンがあと2000万くらい残ってること、毒親の定年が12年しか無いこと、実家の年収は精々500万ってことを踏まえると、放棄すべきなんでしょうね。
連絡は年に2回くらい来るのでそれは応じてます。帰ってはいませんし帰る気も無いです。
「×出る杭は打たれる ○空気が読めなくていじめられてた」とコメントした方、そうだようるせーな。この場合同じことだろうが。クソみてーなケチ付けてくんな。
(以下本文)
小学生の頃は生意気な態度と貧乏がバレて虐められ孤立し、出る杭は打たれるを身を以て学んだので周囲に合わせる癖が付いた。
それが社会人になって5年も経ってみると、とりあえず仕事ができて飲み会にも参加さえしとけば何の問題もなくなった。
昼休みにゲームやってても良いし、間食にサラダチキンとか食べてても何も言われない。
裏で何か言われてる可能性はあるけど、俺の耳には何も入らないし、オタクな同期と馬鹿話するのは楽しい。
見た目は終わってるけど収入だけは良いので月20万くらい勝手に貯まってるから独身ジジイになっても問題なし。
実家は宗教にハマった毒親、借金4桁万円の屑男と結婚した精神病の姉が日々大乱闘スマッシュブラザーズらしいけど殆ど縁切れてるから無関係。
社会人になって本当に良かったと思う。
前回の日記 → 結婚して妻の姓になり7年がたった
僕は前回が初増田だったのですが、予想以上にバズってびっくりしてます。今見たらトラバもまたすごいブコメ数だし……。
生天目(ナバタメ)家の長男だった増田は靏岡(ツルオカ)姓の女性と結婚し、増田の方が名字を変えてツルオカになりました。養子縁組はまだなので、純粋に名字だけです。例によって固有名詞は全て仮名です。
今回は前回の続編と言えばそうですが、名字やら手続きマニアとは関係ないつまらない話です。こういう他でできない自分語りができるのが増田の醍醐味ですよね? 使い方あってる?
なんやかんやあってその後母も亡くなりました(父はこの10年以上前に他界)。これはその時起きたエピソード。父が死んだ時には茫然自失で何も記憶がない僕ですが、母が死んだ時にもやはりだいぶ参っていたようで、以下の話は後から聞いて知ったのでした。
通夜の席でのことです。母は近隣の八木(ヤギ)家の出身でしたのでその場にはヤギ家の面々が勢揃い。遠方のナバタメ家はちらほら。妻のツルオカ家はもっと遠方でしたのでその時には妻以外おりません。そこでナバタメ家のミキコ叔母さん(父のすぐ下の妹。長女)が発言したのです。
「ショウコさん(僕の母)はナバタメのお墓に入るのだけど、私の代はともかく、息子の代になってもお墓がきちんと管理できるかわからないの。だからしばらくしたらキョウイチ兄さん(僕の父)共々別にお墓を作って移って欲しいわね」
その場で僕は生来の暢気な気質からなのかあるいは精神が参ってどうでもよくなっていたのか「へえ。それは大変ですね。そうしましょう」と答えたのです。
しかしこれにはヤギ家の面々が激昂。「ふざけるな!葬式前から墓を出ろとはなんという言い草だ!」いやあ、これはもっともですね。ミキコ叔母さんも流石に空気が読めなさすぎです。
ナバタメ家は結構大きく、正月には一族の女性が作ったおせちを大広間で食べ、子供たちは当主である祖父から順にお屠蘇とお年玉ををもらうような家でした。僕の父は当主である祖父の長男だったのです。でもなぜか父は家を出て若くして死に、祖父が死んだ時には僕は母に相続放棄をさせられました。何があったんでしょうね? 母はナバタメ家に隔意を抱いていたみたいだし、僕の改姓にあんなに反対しなくっても、ねえ?
さて、その通夜の場は無事に終わった(らしい)のですが、結局お墓は移ることになりました。とはいえ、昨今そんな簡単に墓地は買えませんし、墓石を建てるお金もありません。
ここで非常に運が良かったのは、ナバタメ家とヤギ家のそれぞれの菩提寺、大妙寺と寂光寺は宗派が同じであることでした。寂光寺にはヤギ家の納骨堂があり、そこに骨壷を移すことを両寺の和尚様に了承していただけたのです。
大妙寺の和尚様の立会いでナバタメ家の墓から父と母の骨壷を取り出しました。墓石の下部には蓋のついた空間があり、そこに骨壷を入れることができるのです。知ってました? 僕はてっきりスコップで土から掘り出すのかと思ってましたよ。
そして骨壷を抱えて母の地元にある寂光寺に向かいました。人生経験豊富なはてなー諸氏におかれましても、両親の骨壺を持って旅をした人はなかなかおりますまい。割れたらえらいことになりますからね。緊張しました。
この後も納骨堂追い出され未遂やら遺産相続争いなどの面白イベントがあるのですがそれはまた別稿に譲りましょう。最終的には、数年後にナバタメの叔父から連絡があり、この問題は解決しました。
「ミキコ姉さんがそんなことを言ったのだとは知らなかった(叔父は通夜の席におりませんでした)。ナバタメ家の墓はこれを機に姉さんではなく自分が管理するようにしたから問題ない。もしそちらが望むなら、キョウイチ兄さんもショウコさんも戻ってきて構わないよ。」
一体姉弟間で何があったんでしょうね? 僕はあんなこと言われましたが、ミキコ叔母さんのことはさっぱりして好きなんですよね。空気の読めないところとか僕も似てますし。まあ母はそういうところが苦手だったんだろうな、とは思いますが。
骨壺どうしましょうかね? とりあえず、いざというときに行き場がないということだけは避けられたようです。よかったよかった。
逆だぞ。マンションは売る時が大変なんだぞ
もっともファミリー向けならどうにかなるという話でもないけれど
(駅前のファミマー賃貸は不人気区で15〜20万、人気区は天井知らずなことからお察しください)
買っちゃったら誰かがまた買ってくれるまでババを持ち続けなければいけない
Googleで “相続放棄 マンション” や “ 所有権放棄 マンション” や “マンション終末期” で検索するのだよ
有名なのは某リゾートマンションだけどこういうマンションの事例もでてくる
[幻冬舎]年40万円が飛んでいく…相続放棄できない古マンションの悪夢
https://gentosha-go.com/articles/-/23073
Mさんが相続したのは、広島県内にある築37年の分譲マンション。子供の頃、Mさんが暮らした家です。
ところが、いざ売りに出そうと地元の不動産業者に相談すると驚愕の事実が判明します。Mさんと同様に、売却を希望している同じマンションの物件が他に3軒あり、中には、180万円という破格で出しているものがあるにもかかわらずどれも全く売れる気配がないというのです。
売却は諦め、安く賃貸に出すことも考えましたが、古い物件ゆえに給湯器等の設備の老朽化もひどく、そのためにはリフォームが必要です。それには当然お金が必要で、その費用だけでも200万円以上はかかるそうです。
- マンションの所有権は放棄出来ない
- 修繕、建て替え、自主的な解消のいずれも困難な事例があとを絶たない
- プレミアム物件以外で管理費が高い物件は売りにくい
- 住宅ローン控除で戻る税金が少ないか適用外になるかも
- 中古の場合、価格が適正でも買い手がつかない場合がある
自演なら要約させても意味なくない?個人特定できない増田で互助会ってのもよくわからん
記憶だけで書く
昔父親が不倫、自分は不倫相手の子供に家庭教師、イミフ、その後離婚、父大病、連絡してくるイミフ、おばの葬式呼ばれてない、父から自分を切った、そっちから切った、金に困ってる?連絡するのイミフ、父の死、10年で自分の中の父は既に死んでた、相続放棄手続きで役所?の人に褒められた
元増田はおばの葬式は後で知ったけど何年もたった現在もこだわってんだな〜、とか、はじめに出てきた家庭教師のエピソードはインパクトあるけどその後は子供のことを少し思い出すだけで特段の伏線でもないのはリアルだな、フィクションなら狙ってるのかな、とか思って読んだ。
フィクションでもそうでなくても。
私が30歳の時に両親が離婚した。
その10年後、夫の後妻から連絡がきた。脳出血で倒れ、高次脳機能障害と静脈瘤を患い、あなたに会いたいと言っているから来てくれないか。
両親は長いこと仲が悪かった。あとから振り返れば「仲が悪かった」の一言で済むが、私が10歳の時から30歳になるまで、子供の前ではまともに口をきいていなかった。年金や借家の更新手続きなどはすべて娘を介してやりとりが行われた。娘の立場としては別れて当然だと思っていたが、よくある「妻が働くことをよしとしない夫」と「専業主婦を望まれて家庭に入り、まともに職歴のない妻」の組み合わせが崩壊すると、子供を養ってはいけなかったのだろう。
そして父には恋人がいた。愛人と称するべきなのだろうが、どうもなじまないので恋人とさせていただく。母によれば、口を利かなくなる前に、離婚歴があり一人で子供を養っていて立派だと、よく話していたそうだ。となると私が10歳の頃くらいには関係があったのだろう。私の前ではその人の話はしなかったから。
私が大学に入ると、恋人の子供の家庭教師というアルバイトの口があてがわれた。子供は親同士の関係を知ってか知らずか、どの教科を教えても手応えはなく、頭がいいのか悪いのかもわからなかった。家庭教師として恋人の自宅にお邪魔すると、その両親が出迎えてくれる。おやつと飲み物と軽い雑談、成立しない家庭教師役、私はうっすらと事情を察した。恋人の両親はよく父を褒めていた。頭が良くて、気が回って、本当に立派な人だ。どこの世界の人だろう、と思った。家では無口で、たまに自分を連れてファミリーレストランに行って。もっと小さい頃の思い出はたくさんあるが、10歳以降の思い出は数えるほどしかない。思えば自宅で風呂に入らないのが不思議だった。そうか、この家で風呂に入っているのか、と考えた。もちろんラブホテルの時もあっただろう。私は当時、まるで子供だった。母はアルバイトに対していい顔をしなかったし、その家で食事を勧められることをいやがっていた。今考えれば当然だと思うが、私は両親の中が悪いことは知ってはいても、両親の心境にはとんと疎かった。考えるのをシャットアウトしていたのではないかと今なら思えるが、何を考えているのかわからなかった、不可解だったというのが正直なところだ。
大人同士の機微を読むのが面倒になって、勉強が忙しいからという理由でアルバイトを辞めた。
就職し、家にお金を入れ始めるようになった頃、父親が月に1回手渡してくる生活費の額ががくんと減った。バブル期でも不景気な時でもあまり額の変動はないようだったが、バブル期にはかなり儲かっていたらしく、自分の親戚にみかんを送る箱の数を間違えて発注し、4箱のはずが14箱届いたという電話を受けたことがある。父は子供に話すわけにもいかず、ましてや母に話せるわけもなく、一人でぷりぷり怒っていた。かなり面白かった。そんな状態だったから、額が増えても減っても母と私にはどうすることもできなかった。生活費がない月もあった。その頃から、父は何を思ったか、子供がいない時に外から家によく電話をかけていたという。私は母の証言しか聞いていないが、母に働けと言ったり、お前が浮気をしているのは知っているんだと怒鳴ったり、大変そうではあった。母は事態をかいつまんで話してはくれたが、父は何も言わなかった。ますます、何を考えているかわからない両親だなとしか思えなかった。母が浮気をしていたかどうかは私にはわからないが、一度ぶっちゃけどうなの、と聞いた時には、本当に父親一人しか知らない、他の人に好意を抱いたことはあったが子供が生まれる前だった、と言っていた。真偽はどうでもよかった。なぜか父の恋人が家を訪ねてきて「あなたも働いたらどうですか」と母に説教してきたそうだ。私から見れば、母の化粧や外出、外で働くことの検討を嫌がっていたのは父の方だった。私にとってはすべてが藪の中だった。ただ、このままの両親が年を重ねていくのなら、私がずっと生活の面倒を見るんだろうという覚悟だけがあった。
私が30歳になる頃、父母の電話での言い争いは激しくなったそうだ。どこまでも伝聞だ。母は不毛な言い争いに疲れ、離婚届を準備していた。証人欄ふたつのうちひとつには私がサインした。特に感想はなかったが、これで父が恋人と再婚すれば、将来の面倒を見るのは母一人でいいのか、助かった、と思った。
父は離婚届にサインして、いくつかのアルバムだけ持って家を去った。私への連絡はなかった。携帯の電話版号も、メールアドレスも知っていたのに、特に娘に伝えたいことはなかったのかと、不思議だった。不思議ではあったが、謎の両親の電話――本当にそういうやりとりがあったのか、私は知らない――で二人で決めたのなら、私は意見も文句も言うまい、夫と妻の間の話だ、と思っていた。
それから10年間、父からの連絡はなかった。戸籍謄本から辿れば現住所が分かることは知っていたが、特に話したいことはなかったし、非常時にはいくらなんでも連絡くらい来るだろうとたかをくくっていた。結婚した時も報告しなかった。子供ができていたら連絡しただろうか?幸か不幸か、子供はできなかった。「仲の良い夫婦とその子供」というサンプルを知らない私には子供を持つのは厳しいだろうと思っていたが、ごく自然にできないままだった。
10年経って、父が脳出血で倒れたという連絡をよこしてきたのは、一度だけ親族の葬儀で顔を合わせた父方のいとこと、父の恋人の兄だった。Facebookで探し当て、メッセージを送ってきたそうだが、Facebookのメッセージを受け取る範囲を絞っていたので、気づいたのは倒れてから約半年後だった。死んでいればさすがに親族から母に連絡があってもよさそうなものだったが、そういう話は聞いていなかったので、母には何も言わずにメッセージに返信した。手間をかけてすまない、父の具合はどうか、非常時にはこの電話番号とメールアドレスに連絡をくれ、いざとなったら先方に伝えてもらっても構わない。それくらいの簡単なものだった。
ところが、携帯電話にかけてきたのは父の恋人だった。私は瞬時に、失敗を悟った。留守番電話に残されていた最初のメッセージは「連帯保証人になってくれ」だった。SMSには再婚したこと、病状、娘に会いたいと言っていることなどが断片的に送られてきていた。どう出ればいいか迷い、しばらく自分からコンタクトを取るのは控えておこうと思った。
次の日、会社の始業時間から終業時間まで、というのは単なる偶然だったのだが、1時間おきに着信があった。これを書くのは本当に恥ずかしいが、狼狽した私は電話と留守番電話の通知が恐ろしくなり、不安障害を発症して心療内科に通うようになった。簡単に連絡先を教える自分がばかだったし、想定できたはずだったのだ。1日考えて、父の後妻(結婚したことがわかったのでこう書く)の番号を着信拒否にした。着信拒否にすることで逆上されかねないとも考えたが、このままでは自分の生活が壊れると思った。夫には全部ひとりで決着をつけたいと言った。
次は父の携帯電話から着信と留守番電話があった。さすがに1時間おきではなかった。留守番電話を聞くのに心の準備が必要だった。何を言われるんだろう、何をふっかけられるんだろう、本当に怖かった。父よりも後妻の方が怖かった。留守番電話は2件あり、1件目は「ほら、◯◯ちゃんよ」という後妻の声の後に父が「◯◯◯◯(父のフルネーム)です、こんにちは、どなたですか」と言った後に電話が切れた。2件目は直接父が発言したようで、「◯◯、元気か。会いたいな。子供はいますか、元気ですか。連絡くれるとうれしいです」という、私の主観では「何かを読み上げた」ような内容だった。
2件目を聞いた時に、高次脳機能障害というのはこういうことなのかと腑に落ちた。私のことがわからない父も、私に会いたいという父も両方混じっている。人前でしか出さない、機嫌のよい時の父の声で「どなたですか」と言われたこと。この10年一度も親から子への連絡をしなかった父が、私の10年を何も知らずに「子供はいますか」と無邪気に尋ねること。一瞬気が遠くなった気がした。そして私のことをきちんと認識している父はもういない。いなくて当たり前だ、10年かけて私の中でゆっくり父の不在から父の死へ変化していったのだから。私の中で既に父は死んでいた。正確には「死んでいたということがわかった」。私はもう父の家族に、といっても後妻しかいないけれど、一切関わるまい。そういう決心をしながら、そういえば私が家庭教師をしたあの子供はどうしたんだろう、という思いがちらりとよぎった。
父の番号を着信拒否してから、1年に1回ほど、後妻からメールが届いた。「賢くて頼りになるお父さんのことを思い出します」。頼りになる? あなたにはそうだったんだろう、私にとっては違ったけれど。いとこからもメールがきた。「今度静脈瘤の手術をするので連絡してあげてください。私の母が死んだ時にお世話になったから、恩返しをしたい」。つまり私にとってのおばがこの10年の間に死んでいて、私に連絡がこなかったのだから、親族扱いされていなかったのは私の方では? 誰も彼も何を言っているんだろうと思った。怒りはなく、ただ不可解さだけがあった。両親がなぜか電話で意思疎通(といっても口げんかだったそうだけど、私は聞いていないからよくわからないままだ)していたこと。すべてにおいて排除されていたのは私ではなかったのか。そして父が死にそうな時にだけ連絡が来る。不可解だった。どのメールにも返事をしなかった。
最初のコンタクトがあってから4年後、おそらく戸籍の附票からたどったと思われる封書が後妻から届いた。ざっくり言えばもうそろそろ死にそうだから、面会に来てほしい。相談したいこともあるから連絡してほしい。会っていなかった10年を埋めることもなく、ただ死にそうだという連絡だけが来る、それがなんだかおかしかった。
そのさらに1ヶ月後、今度はいとこから、父が死んだこと、告別式の日時と場所の連絡があった。私は即座に相続放棄の手続きを開始した。お金について計画性があったとは思えないので、相続手続きをしたところでたかが知れている。相続手続きには相続人全員の承諾が要る――つまり後妻と私は何らかのコンタクトを取る必要性があるだろう。弁護士を挟むにしても。私は一切後妻と連絡を取りたくなかった。分かり合える何かがあるとも思えなかった。年を取ってからの再婚なんだからそういうこともあるだろうに、なぜ死んだからといって関係性が生まれるのか。丁寧に必要な書類を集めて回り、家庭裁判所の相談員の人と会話をして、「よくご存じですね」と言われた。そのことだけが、この一連の騒動の中で、本当に感情を動かされた。つまり、うれしかった。誰も彼もが私を都合良く(といってもきっと善意なんだろうけど。地獄への道は善意で舗装されているのだった)使おうとする中で、事務手続きを挟んだ人だけが、私のことを褒めてくれた。
父の名に大きく×がつけられた、後妻の名前も入っている住民票を見て考える。父にとって私はなんだったのか。かわいがってもらった記憶も、愛情をかけてもらった記憶もあるにはあるけど、空白の10年間、私が気を遣って父にコンタクトを取るべきだったのだろうか。いやそんなことはないはずだ。父は父の意思で私を家族から外したのだと思いたい。私が一連の話の中で一番ショックだったのは、面識があったはずのおばの葬式に呼ばれなかったことだったのだから。
父と母と私の欄に「除籍」と書かれ、後妻の名前が連なっている戸籍謄本を見て考える。一番コンタクトを取りたくない相手の名前が、同じ書類の中におさまっている。後妻の生まれた日も、両親の名前も、続柄も、再婚した日も書かれている。そういえば再婚したという報告すら父からはこなかった、それは当たり前だろうと思う。別の誰かとの再婚ならともかく、母との婚姻の継続中に家族の中に割って入った人。割って入ったことすら気づくのが遅れた人。
家庭裁判所から送られてきた「相続放棄申述受理通知書」と「相続放棄申述受理証明書」だけが、私にとっての宝物だ。家庭裁判所の人はやさしかった。見知らぬ私のために、書類についてあれこれ教えてくれて、印紙が売られている一番近いコンビニエンスストアまで紹介してくれた。人のやさしさってあるんだなと思えた。
長くなりました。読んでくださってありがとうございます。
築40年?50年?くらいの一軒家。
私は諸事情から、両親が亡くなったら相続放棄しようと思ってる。
つい最近まで、相続放棄すればなーんにも面倒なことなんてないと思っていた。
私を含めた相続人たちが全員相続放棄をした場合、実家は空き家になるんだけど、そうなると相続財産管理人なる人を選任してその人が管理をしてくれるまでは相続人が家を管理する責任が発生するらしい。(ネットで見ただけだから間違ってるかも)
相続財産管理人に諸々をお願いする場合には、100万円くらいかかることも多いみたい。
ど田舎の古い家なんて誰もいらないだろうなー。
それでも親子は親子だし、私が一番上の子だから何かあれば影響がある。
父にはほんとに、私以外の人たちに財産分与を進めておいてほしい。
私の結婚を祝ってくれなかったことも、母にDVしてたことも、不倫しまくりなことも、死んだらチャラにしてあげるから、死んだ後に私が面倒なことをしなくて済むようにだけしておいてほしい。
一時期、ファミコンはテレビゲームの代名詞となって一般名詞のように、自分の親世代は何でもかんでもテレビゲームをファミコンと言っていた。
違いはわかっていても「ファミコン(のようなもの)」というように、心の中で注釈をつけて話していたのかもしれない。
もちろんファミコンはテレビゲームの総称ではなく、任天堂が出したコンシューマ機の略称で正式名称はファミリーコンピューターだ。
AndroidもiPhoneも全部「アイフォーン」っていう人がいたとして、それで何か使い方に困っているときに質問された時、当然回答する人はiPhone向けの回答を考えてしまう。
噛み合わない話を何度かやったあと「ああ、Androidのこともアイフォーンって言ってるんだこの人」って気づいて、ようやくスタート地点に立てる。
デジタルガジェットなら良いけれど、法律に関することだったらもっとめんどくさいことになる。
たとえば相続放棄という言葉にはちゃんとした定義がある。でも、『次男は親の土地を受け繋がないで、現金だけ相続する』というパターンでも、長男が「次男は(土地を)相続放棄した」と言っちゃった。すると話が「現金は相続したら相続放棄できないぞ」みたいな話になって、「え?そうなの?どうなの?どうするの?」と親族会議がわけわからない展開を見せることになる。
つまりだ。
頭を使って言葉を選べ
きょう、父が死んだという報せが来た。
わたしが中学生の頃、修学旅行に出かけるのを見送ってくれたのを最後に姿を消した父だった。
父が姿を消して以降当時住んでいた土地を離れるまでの約2ヶ月間(その後もだけど)、母が大層苦労していたのはなんとなく覚えている。どうやら父は働いていた会社にさまざまな迷惑をかけていたようで、会社の人が行方を探していたのだ。(母は捜索願を出すよう強く頼まれていたし、引っ越したあとお世話になった不動産屋さんに父の会社から私たちの転居先を訪ねる連絡が何度もあったと聞いた)
その後両親は無事に離婚をし、そこにいたる過程でとある土地に住んでいることを知った。会いたいという気持ちが湧くことは当然なく、どこかで生きているのだろうとだけ思って過ごしていた。
当時未成年だった私は父の戸籍から抜けることが難しく(家庭裁判所に申請が必要だった)、急がなければならぬことでもないとそのままにしていたけれどそれが今回報せがくるきっかけになったのだろうと思う。成人してからさっさと抜いておけばよかったと今は後悔している。
役所から来た手紙には父が死んだこと、独居で身寄りがなく、すでに火葬が終わっているので期日までに遺骨と家財の引き取りをするか否かの申し出をし、残った財産等で葬儀をあげて良いか答えて欲しいという旨が書いてあった。
遺骨の引き取りをするつもりはもちろんないし、家財など送られてきても困るので拒否をしようと思っている。相続についても書かれていたので、もしかすると借金などあるかもしれないし放棄するに限るなと一枚の紙を見ながらぼんやりと思った。
住居の所在地が書いてあったので、なんとなく調べて察しがついたことがあった。
おそらく父は、その土地の福祉関連にお世話になっていたのだろう。大層ご迷惑をかけてしまったに違いない。これからさらにご迷惑をかけてしまうのだな、と申し訳なく思ったが正直もう関わりたくないので早めに返事を出さねばならない。重ね重ね自治体の皆様申し訳ない。
身寄りもなくたった1人で死ぬとはこういうことなんだなということを突きつけられた気がした。いつかは私にも同じことが起こるだろう。独り身で一生を終える可能性が高いわたしは、どれだけ周りに迷惑をかけずに死ぬことができるのだろうか。
Googleで “相続放棄 マンション” や “ 所有権放棄 マンション” や “マンション終末期” で検索するのだよ
有名なのは某リゾートマンションだけどこういうマンションの事例もでてくる
[幻冬舎]年40万円が飛んでいく…相続放棄できない古マンションの悪夢
https://gentosha-go.com/articles/-/23073
Mさんが相続したのは、広島県内にある築37年の分譲マンション。子供の頃、Mさんが暮らした家です。
ところが、いざ売りに出そうと地元の不動産業者に相談すると驚愕の事実が判明します。Mさんと同様に、売却を希望している同じマンションの物件が他に3軒あり、中には、180万円という破格で出しているものがあるにもかかわらずどれも全く売れる気配がないというのです。
売却は諦め、安く賃貸に出すことも考えましたが、古い物件ゆえに給湯器等の設備の老朽化もひどく、そのためにはリフォームが必要です。それには当然お金が必要で、その費用だけでも200万円以上はかかるそうです。
○ 中古マンション購入時に気にしておくこと