はてなキーワード: 理解力とは
巷で話題のブックマークサイト『はてなブックマーク』についだ。
最初に言っておくと、あれだけ話題になるサイトを作り上げた株式会社はてなはすごい。そしてその会社に出資している株主を責めたいわけではない。
ただ、俺には本当に合わないし、「だったら見なければいいでしょ」とか言い出すしたり顔のクソトラバとケンカしてもしゃーないのでこの文章をいている。
つまり、「ネットの使い方なんて人それぞれ」という前提のもと、それでも「こんなコメントが増えるサイトじゃねえだろ」という嫌悪感を言語化し、満足したらアカウントを削除することで救われたい。
俺はバズった自分の記事のブコメを読んでキレたし、その後話題になる度にブコメを読んで、読む度にキレてる。
なんでキレてるかって、はてなーの言いたいことが「おれの考えた最強の袋田叩きチャンスをお届け」だと思ったから。
「無知なネット住民に本当の知識を与える」とか「建設的な議論による多文化の交流でアウフヘーベンを生み出す」とかじゃないわけ。
テンプレも風潮も、全部袋叩きに出来るチャンスを作る装置なんだよ。ポリコレ意識も、政治への問題提議も、全部リンチ装置。
ちょっと前に、不幸なおじさんを暴走させて人殺しにまで発展したなんてニュースがあったけど、リンチを繰り返すだけのサイトなんだからそりゃそういうこと起きるよ。
言ってみりゃ、メンヘラ病院なんだよな。ネットモラルの限界に挑みますってか。
で、それ自体はいいわけ。人間が狂って事件が起きるなんてよくあることだし、そういういことが起きる程度の人口は十分なほどあるから。
だけどさあ、それ見てキャッキャしてるブクマがクズすぎて辛い。
マスコミがオブラートに包んで散りばめた趣味の悪い個人情報を拾ってキャッキャッキャと考察まつり。
なぁ~にが「瞑想運動野菜の足りてないものの末路は悲惨だ。恐ろしい恐ろしい」だよ。人が死んでるんだぞ?
上のコメントが書き込まれてたかは覚えてないけど探すのも面倒だ検証はお前らがやれ。
毎秒毎秒いい年齢の大人が寄ってたかって揚げ足取りしあってバカ騒ぎしてるのが本当にキツくて無理。
そりゃバズりまくっている話題なら皆一緒になって叩いてるから安全ですよ?1VS1000とかなんで。
だけどクズ民度のエコチェン脳どもさ、その醜悪なムラの陰湿さを直視できてるの?自殺者を生み出す学校の教室になっていることに。
本当はもっと文章力高くして褒められたかったのだが、そもそも文章力褒められてもしゃーないのでこんなもんだろう。
で、俺の主張を読んだ上で「イジメが生まれるのは当たり前じゃん面白いんだから」っていう開き直った露悪趣味のバカはしょうがない。
サカナくんもそんな話してたしな。
ただ、「インターネットは始めてか?こういったリンチが楽しいから何十年もかけて発展したんでしょっw」みたいな老人会自慢のクソ古参気取りだけは許さん。
俺は「ポリコレ意識あるふりしてるいじめっ子」が死ぬほど嫌いなんだよ。面白くねえっつか見飽きてんだよそういう振る舞い。
次にお前が何て言うか当ててやるよ
「わかる」だ
わかる
https://anond.hatelabo.jp/20220304184302
オッケー。
まずは予想通りの反応をありがとう。
・袋田叩き
・つまり好きなんだろ?
・他でやれ
・つまんない/わからない
ああ見事だ。
そして見事にその8割9割が予想通りのテンプレだ。
実に建設的だ。ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ
自分にしか見えないものが見えている自称エスパーもいるのはちょっとサービスが良すぎるぐらいだな。
今ハッキリ分かった。
俺はやっぱりはてなが嫌いなんだ。
露骨な釣り針だろうと喰らいついけっていう義務感に満ちた姿勢も
誤字脱字弄るのが楽しいって信じ切ってるオヤジギャグなセンスも
自ら自分らの評価を下げることで批判をウヤムヤにしようって態度も
とにかく相手が自分に感情を揺らがせばそれが愛だと信じるストーカー気質も
自分らで自分らを下げておいてそこを必死に守ろうとする帰属意識も
やたらメンヘラだのADHDだの精神病院系の話題が好きなところも
気に入らない話が飛んできたら理解力を急に下げるところも
つまんねつまんね言ってれば封殺出来るっていういじめっ子のキモイ連呼みたいな思考回路も
全部本当にいい加減もう見飽きたんだわ。
そしてそういうった気持ちで見るとよ。
いい大人がやるようなことじゃないなって気づいちまったんだよな。
するともう、ここには居られないかなってな。
最後に
このコメントは実に的確だった。
俺もお前も打たれ弱い。
打たれ弱いからこんなネットの隅っこの陰口の言い合いに必死になっちゃってるんだ。
そしてその弱さを認められないから、感覚を麻痺させていつまでも同じことを繰り返すことをやめられないんだ。
『テスカトリポカ』の佐藤究がどういう作家なのかを知るための入門書として一部じゃ扱われている作品なんだが。
この作品でギャンブルにのめり込んで身を持ち崩した青年がその事実から逃げ続けるために更にギャンブルにのめり込む情景が描かれるんだがこれが実にいいいんだな。
なんで急にこんな話をしたのかっていうと俺はまさに俺たちのインターネット観がそうだと思うからだ。
自分のプライドを配当率スーパーウンコのレスバギャンブルに描け続けてはすり減らし続けるその姿だ。
『サージウスの死神』の主人公は、ギャンブルに勝つたびに気が狂っていき負けても気が狂っていき最後まで気が狂い続けるのさ。
俺たちだってまさにそうだ。
でも俺はこんなので行く所まで行こうなんて思っちゃいないんだわ。
そろそろ何個目かの崖が見えてきたしいい加減ブレーキ踏んでチキンレースからサヨナラバイバイって気分なのよ。
ひとまず足を洗っておきたいんだ。
そのためには、自分は愚かなことに自分から突っ込んでいくことで自分を麻痺させ続けているんだって現実をまずは認めないといけない。
チャチな揚げ足取り、効いてないよアピールのための「つまんねー」、ここは場末の便所の落書きだぞ、なに必死になっちゃってんの、オウム返し、オヤジギャグ、謎の決め台詞、界隈定番の決り文句、お前らが今回したコメントの中で、俺が今まで似たようなことをしたことがないものはないよ。
全部クッソくだらねえと思うが、俺はそのくっだらねえことを間違いなく何度となく書き込んできた。
それが心底面白いと思ってたこともあるし、つまんねえけど馴れ合いたいから付き合ったこともある。
伸びそうなブクマを急いで見つけて、テンプレの言い回しを早めに書き込んでトップコメになってスターを貰うのが大事だって本気で信じてたときもあったよ。
今俺のことをバカにしてるお前らだって心当たりがあるはずなんだ。
はてブのコメント欄見て「さて、どうすればスターがもらえるだろう?」って一瞬でも首を捻ったことがあったらもう同類なんだ。
沼に浸かった深みは違っても同じ水源の水に身体が触れたのは変わらねえんだ。
科学的に考えると比重やなんやらで実際の沼は成分が違うってことぐらい俺も知ってるよいちいちそういうツッコミを思いつくこと自体が気持ち悪いなあ自分で自分が。
成分の違いとかじゃなくて呪術的に同じってことだよ。
一部の宗教じゃ水に身体が触れたら清められると言うが、その逆で触れたら汚れる水があるってことだ。
そこに全身を浸してたっぷり飲み込んでいる俺たちは救いようがないんだけどな。
ガンジス川で沐浴を繰り返してガンジス川の水を飲む奴らが全身寄生虫まみれなようにこの身体は毒への免疫に覆われすぎて穢らわしすぎると俺自身が知っている。
そこからいい加減足を洗うって話なんだよ。
宗教的な洗礼に使えるようなキレイな水なんてぶっちゃけこの世界のどこにもないと思うが、せめてこの沼からは身体を引っ張り上げて別の場所で暮らそうってことだ。
そんでまあ最後にこんな話をしたってことだよ。
また明日な、ってことだな。
よく分かってんじゃねえか。
でも今回こそは最後のアバヨだ。
実際俺はこれでいくつか辞めてるからな。
古くはラグオル・FF11・VIP・ふたばちゃんねる・売りスレ・Tor・Xvideosいい加減辞めなきゃいけねえと思ったものを何度も辞めてきた。
その一つを今回もするってことだよ。
どうせすぐに別の穢に染まるんだろうな。
まあ結局の所は飽きたんだな。
そして、飽きたって気持ちで眺めてみるとだ。
ここはもうここに所属していることが誇れるような場所じゃなくなってたんだな。
はてなブログに書くだけ書いてブクマはしないとかならまだしも、ブクマカなんてもう辞めた方がいいんだってつくづく感じてんだ最近。
はてブじゃ増田の方がはてブより酷いって風潮あるけどよ、ぶっちゃけ増田なんてもうとっくに目じゃないぐらい今のブクマカはキッツいんだわ。
こりゃよくねえなって。
あばよ。
お前らと遊んでるがのそれなりに楽しかった時期はあったぜ。
ニュースの副読資料を探すのに役立つサイトだって信じられた時期もな。
そもそもそれが間違ってたのかもだけどな。
日本人の読解力が下がっているらしい。原因はインターネット、特にTwitterにあると思う。
例えばTwitterでバカが偉そうに発言している。すると、あまりに偉そうなので読む者はその言葉を一瞬疑いなく信じてしまう。2chにはバカとクズばかりだから真に受けてはいけないという暗黙の了解がある。しかしTwitterにはそれがない。自分を半分さらけ出してるから信用を置いてしまう。これが良くない。読む者はバカを信じてしまう。
バカは恐ろしいほどに前後の文脈を読めず、感情だけで偉そうに語る。現実ならバカそうに見えるので聞き入れずに済むが、文面だと一見マトモそうなので聞き入れてしまう。バカの話を聞いていると次第に自分自身もバカになっていく。理解力をバカに合わせないといけないからだ。
増田にもバカは多いがレスバという思考の殴り合いが起こるだけまだマシだ。バカが淘汰される可能性がある。Twitterは引リツで物申す。リプ来てもレスバせずに放置。遠い所からバカが偉そうに物申す。そしてバカが蔓延っていく。Twitterはとんでもないサイトだ。頭悪くなりたくないならTwitterやらない方がいいと思う。
理解力を試される、彼くん ← new!
うちの父は75歳。ここ数年殊更に理解力が低下しているように感じる。
例えば雨の日に「傘どうした?」と訊いてきたから「コンビニで買ったよ」と答えたら、「買った」という言葉を理解できず、「コンビニで…何?」「カッタって…何?」という反応をしてきたり、孫がお爺ちゃんに会いたがってるという話題に「愛されてるね」と言ったら、「愛されてるって、誰が誰を?」と首をかしげていたり。
自分の声が小さく発音などが悪いせいもあるかもしれないけれど、同じテレビを見ていても全く理解できておらず、今日も「なんだ、旦那のほうは中国人か。だから何言ってるのかわからなかったんだ」とか言ってたから「いや、中国人は奥さんの方で、旦那さんの言葉が分からないのは津軽弁で話してたからだよ」と訂正したりもした。
元々頭のいいほうではないのだけれど、それでも一応大学も出て宅建なんかも持ってるし、やはり初期の認知症を疑ってしまう。そう言うと「まだ大丈夫!」と本人は胸を張っているのだが、無理にでも動き出したほうが良いのだろうか
私は内容によって「できます。」または「できません、理由は××です。」と答える。
できるかどうかを尋ねられたのだから、答えは「できる」「できない」(条件次第ってところもあるかな)のいずれかしかない。
「○○できますか?」という字面でありながら、実際には「○○してくれ」「○○せよ」という一方的な指示命令の意図だったようだ。
前後の文脈を含めても、この字面だけからはそのような一方的な指示命令の意図とは読み取れなかった。
単に私の理解力が乏しいだけか。
"想像力"の欠如ともいえるかもしれないが、想像は所詮私が主観的に内面的に好き勝手都合よくするだけのこと。
少し前に流行った"忖度"なんてのも、する側がする側の主観に基づいて内面的に勝手な解釈で行うもので、それが真に相手の望むものであるかどうかは相手にしか判断できない性質のものである。
話がそれたが、いずれにしても自らの意思や意図が固まっているのであれば、「○○してくれ」「○○せよ」と述べたほうが明解であり、前述のような無用の齟齬を生むことがないことは明らかである。
それにもかかわらず、あえてこのような体裁を取りたがるのには、やはり私ごときでは到底及びもつかないような深い深い理由があるのだろうか。
プラネテスをめぐる騒動が完結してしばらく経ったが、いまだ心に残るコメントがある。
こんな意見を何人かが言っていて、それなりに人気になっていた。だが私にはわからない。
もしそこに込められた意味が、「感想は自由だが、ただし悪いことを言うと徹底的に袋叩きにされてしまう」だったなら、それはもう自由とは言えない。ゆえに何も言っていないに等しい。だから、「感想への批判はやめよう」が正しい解釈だろう。
さらに、人種や性別への偏見を「個人的には奴らはクソだと感じる」と表立ってタレ流したらやはり総バッシングを受けるから、対象にはフィクションへの、という限定がつくはずだ。
「全部ちゃんと観てから言って」とか全部観ても「理解力がない」とか「フィクションを視聴する素養がないだけだろ」とか、肯定的な感想にしても「XXX が個人的に好き? お前は見る目がないんだな」とか「正気を疑う」とか、悪くすると「XXX がヘイト創作だって解ってて言ってる?」みたいに言われることさえある。何なんだよヘイト創作って。
現代社会では、ネットに表出されたあらゆるすべては批判される。フィクションへの感想も例外ではない。
加えてこのモラルには、表現の自由を抑圧している、という問題がある。フィクションへの感想の批判を控えれば控えるほど、感想や、フィクションの創作は活性化するのか? そういうエビデンスってあるのか?
理解力はどうやって磨くのですか?
理解力はどうやって磨くのですか?
精神科でwaisを請けたら平均的な知能指数だったが、俺は理解力と説明能力が壊滅的に低い。
相手が何言ってるのか理解ができなかったり意図が汲みきれなので頭の中がしっちゃかめっちゃかになる。
学生時代から全体に向けての指示を自分一人だけ理解できなくて周りに聞き直したりと、社会生活に支障が出る。
自分なりに噛み砕いて聞き直しても「そうじゃない」といわれて説明しなおして貰うが、結局理解できなくて頭がごちゃごちゃするだけなのだ。
俺がいることで人を怒らせてしまうのは辛い。何よりも俺が所属することで周りに迷惑をかけるのが本当に辛い。
人となるべく話さない仕事をするために工場や農作業をやったが、物覚えの悪さとミスの多さで結局居づらくなってしまった。
セカンドオピニオンで再び検査を受けたがやっぱり動作性と言語性に差がなくてなんならIQが90から110にあがっていた。
最近とりわけボーッとすることが多くなった。
もっと自信もって良いと思うけどね。
面接でのやりとりって、相手の意図を正確に把握してキチンと返せるかというビジネスでのコミュニケーションが
できるかどうかを見ているのであって、友達や同級生なんかとの会話をうまく盛り上げる能力が問われている
のではないってこと。
また、勉強内容については基本関心ないけれど、学んだことを通じてどんな能力を身に着けたのかってのが
大事。例えば、資料などから仮説を立てて、それが正しいかどうかをどう検証するのかってのがきちんと勉強
していれば身につくはずなんだよね。つまり与えられた情報をもとに、仮説をたててるってのが得意な人って
なかなかいないよ。根拠をもった仮説をどう立てるのか、そのプロセスを周りに説明できる人が、今度はその
また、相手の立場からすると、どんなものが求められているのか?ってのを踏まえて行動できるかってことも
大事。
企業からすると法学部も経済学部も文学部も使えないって意味ではほとんど同じ。研究内容が直接
貢献できるってのは、理系の特定分野とかに限られるよね。大体、大学教育にそこまで期待していないし。
まぁ、がくちかなんかに頼ってる企業や面接官は大したことねーよ。
面接していて、そんなの緊張をほぐすための質問ってだけで使えないよ。