はてなキーワード: 永田町とは
東京・永田町の議員会館でも河井夫妻の事務所の家宅捜索が6時間半にわたって行われた。その後、夫妻は「桜を見る会」前夜祭の舞台となったホテルニューオータニ東京のガーデンタワー棟に移動したが、
その深夜に検察官10数人が令状を持って室内に入り、携帯電話を押収した。
克行は「弁護士に相談したい」と言ったが、「裁判所からの差し押さえ令状があるから、その必要はない」
109議席から96議席に減ったと言われるけど、そもそも109議席というのは永田町の離散合流の結果であって、選挙で得た議席でない事をみんな忘れていると思う。
2017年の選挙結果は、立憲民主党55議席、希望の党50議席であって、それに元民主党で無所属だった人を差し引きしての109議席なんだよね。
そして、元希望の党のスタンスとしては、立憲民主党よりは維新の方に近かったわけで、そこを支持していた票がどちらに流れるかと言えば、維新や国民民主側に流れるに決まってる。そりゃ当然だよ。立憲民主党に入れる人なら、2017年の時点で立憲民主党に入れるはずだもの。
維新と国民民主党をセットで考えると、2017年で61議席だったのが、2021年で52議席。じつは躍進していない。
個人的には応援してる国民民主党がもう少し伸びる余地があってもよかったと思うけど、そもそもの候補者が少ないので仕方がない面もある。
一方で立憲民主党に無所属組を合わせた65議席ぐらいから、96議席ぐらいになってるわけでこれを躍進と言わなくて何なのかって話よ。
実際に野党共闘で候補者を一本化して議席の上積みができたと評価するべきだと思う。
俺は立憲民主党を応援していないし、共産党は嫌いというスタンスだけど、今回立憲民主党が大敗したって言う人は、元の議席数が信任された結果だと過大評価しすぎだと思うよ。
むしろ、着実に足元が固まってきてるんだから、与党消極支持層を引きつける態度や発信ができるようになったら今後怖いよな。と思う。
こんなん書きたくないけど、いや無理だよ。
そっち関連の票は今回諦めた方がいいよ。
Q&Aが出たから、なおさら無理だよ。とどめどころかこれが決め手だよ。
都条例の時はお世話になった議員の人たちもいるし、身近な人が共産党と関わっていたりするけど、色々あるんだろうなあと想像はしても、やっぱり無理だよ。
もちろん擁護のしようはあるよ。解釈次第では、というところもあるし、細かく見ればそこまで行っていないのもわかるし、その程度には、なんとかしているのもわかるよ。
でも無理だよ。
だってこれが例えば憲法関連で同じように取り扱ったらアウトでしょ。
女性の権利問題でこんな誤解もできるような文面だしたらより炎上するよ。
わかる。わかるよ。
多分、そういう議員とかが頑張って、議論が錯綜して、落としどころの文面だったんだろうなあとかいろいろ考えるよ。
そういう議員は別に共産党だけでなく、どこの政党にもいるし、方向性は違えども自民党の方が多いだろうなあというのも理解するよ。
またそういう議員にとっても、いろんなことがあって、頑張らざるを得ないというか、ここで頑張らないといけないというのもあるだろうなとか想像するよ。
でもだめだよ。
それは霞が関の論理だとか、永田町の摂理だとか、派閥政治だとかとおんなじだよ。
内部でいろいろ議論したんだろうとか、今回はこうしないと収まらないだとか、さまざまあるだろうと思うけどさ。
そんなん知らんがな。
別に共産党支持者じゃないし、引っ越した先での自治体選挙で自民党と共産党しか選択肢がなかったら、議員の内容を見た上だけどそれでも共産党に比重が強い程度のものだけどさ。
ぶっちゃけ表現規制関連では自民党の山田議員を最初っから信用してない(どっちかというと、彼の場合は本人の資質ではなく、所属している政党の力関係で無理だと思っているけど)んだけど。
今回の件はどうにもできないよ。
むしろ過去の頑張りとかを帳消しにしかねない話で、今後のことを考えて行動した方がいいと思うよ。
まず、日本の国会の仕組みは、行政のパワーを驚くほど削る内容になっている。
会期中は各役所が国会対応に追われるため、その他の実務をやる余裕がない。
今国会を開けば政権が打撃を受けるだけでなく、コロナ対応に必要な行政機能が止まる。
これは長く続いた慣習で、国会が与野党の政治闘争の場になっているため。
確実に国民に悪影響が出る。
国会開いたとして、法案提出者と質問者が議員同士で議論するならいいけど
大抵は役人や大臣が呼びつけられて、長時間質問受けて、その答弁書や資料作成やレクにめちゃくちゃ時間を取られる。
これは自民党が悪くて、野党に見せ場を与えることで、自分たちの通したい法律を通したりとか
自民党も民主党政権時代に国会対応で負担与えて足を引っ張ったりとか
色々やってきた。
そもそも議論や審議の重要なところは与野党の国対会談や理事会(非公開)で決まるから、実際に国民が観る国会審議の場は既にシナリオが出来上がってる。
仮に立憲民主党政権が出来たら、民主党政権政権の時のように国会対応で相当足引っ張られると思う。
だけど国会開かないのは憲法違反だと主張した手前、安倍菅と違って開かないわけにはいかない。
政権交代したとき、きちんと政権運営できるように、国会の仕組みを野党のうちに変えたほうが良いんだけど
野党のうちは政権にダメージを与えることが得点になり、それ以外でアピールできないから、自民党も野党時代はそうやってきたし、結局政権を攻撃するための国会になる。
で、野党議員も、元官僚の議員がいるから、国会開くとどれだけ霞が関に負担がかかるか分かってる。
今臨時国会は開けないと分かりつつも、開け開けと言ってる人もいる。
何で野党が閉会中審査じゃ納得しないかというと、法案や予算を通したい訳じゃなく、臨時国会招集して予算委開けば総理が出てくるから。
閉会中審査で担当大臣の西村や田村に質問してもなかなかニュースにならないので、やっぱり総理に質問したい。
総理は担当大臣と違って各政策の細かい部分まで把握してないので、総理がすぐに答えられないことを聞けばダメージが与えられる。
そういった政党と政党の政局のせいで行政がまともに機能しない。
本当は野党議員にも法案や政策を作ったりまともに仕事したい人はいるけど
野党の議員立法や政策は与党にならないと実現できないし、そういった目立たない活動をやってもアピールできないから選挙で不利になる。
自民党も同じで、真面目に政策に取り組んでる非世襲議員が選挙で落ちる。
ずっと地元に帰って、ひたすら地元の支援者の話を聞く人とか、緊急事態宣言中にパーティ開いたりとか、世襲議員とか、そういう人が受かる。
昔は自民党と民主党の若手が国会改革議連を作って、国会を変えよう!みたいなことやってたけど
かつてはそこにいた議員も、今はそれぞれの政党で重役についてしまったし
昔と違って安倍政権で与野党の分断が深まったし、若手は昔みたいに元気ないし
どんどん悪い方向にいってる
朝日新聞の値上げ記事に対するはてなのブコメにすごく悲しい気持ちにされた。
先に言うと私は産経の方が論調は合うし、朝日の姿勢には冷めて見てしまう側だ。それでもあの記事に寄せられたコメントには朝日に対して同情的にさせられた。
購読料が高すぎるとの意見が多数だった。それ自体は自分も同じく高いなと感じてるんだけどその理由が違うことに正直打ちのめされた。
私は自身の家計能力から高いなと感じているのであって、新聞というか報道記事自体には決して高すぎる値段とは思えなかった。
しかしながら多数のコメントで新聞や記事自体の価値を低く捉えていた。
質が悪かったり興味がない記事と広告が合わせて掲載されていることの不満や電子版での単独記事の購入が求めているコメントは納得出来る面もありビジネスモデルの転換が必要と思う。
それでも。
あまりに報道に対して、自分では集めることのできない情報を取材する記者に対して敬意を持たなさすぎると思ってしまった。
そして情報に対して対価を払おうという意志を全く持たない人が無邪気でいることに私はすごく傷ついた。
千代田区永田町のビルの一室で官房長官や政府閣僚が話した内容を知れるのも、
どこかの企業が自分にとって見ず知らずの他人へ不当に圧力をかけたことを知れるのも、
外国人が知らぬ間に名古屋市で治療を受けさせてもらえずに亡くなったことを知れるのも、
知る権利は私たちが国民主権を維持するためにとても重要な権利だ。しかしその権利を一般生活で行使することはとても難しい。
仮に永田町の一室で政府が毎日発信していて国民なら誰でも見に行けるとしても、私は生活を放り出して見に行くことはできない。
この国の行動を決める一票を私たちは持っている。この国の主権内にいる全ての人に権力を行使するとても強力な力だ。
私たちが運営を委任した政府が恣意的に運用されないように監視しなければならない。
その責任を代わりに果たしてくれるのが報道の持つ役割の一つだ。
有権者が、各々が望んだ形で権力を行使する政府を選ぶために、取捨選択するための判断材料に情報がいる。
自力ではアクセスできない情報にアクセスさせてくれるのが報道機関だ。
新聞の購読料は、情報にアクセスする価値に対して払う対価であり、新聞社が用意したビジネスモデルだ。
前述の通りこのビジネスモデルへの批判は分かる。新聞社は情報に対して対価を支払う方法を幅広く用意してほしい。そうすれば私の家計能力でも払えるから。
各々の新聞社の姿勢への批判に関してはここでは言及しない。それは当然あってしかるべきだから。
私たちに必要な報道をしてもらわなければならないのもまた事実だから。
私がすごく残念だったのは、はてなにはネットリテラシーが高く情報の真贋や価値を評価している人が多いというのは単なる思い込みにすぎなかったことだ。
ネットや図書館で記事が見れるというのは、新聞社がなくなれば記事が見れなくなってしまうことを忘れないでほしい。
テレビといった代替手段があるのも分かる。それでも情報を得るために自分で対価を払う重要性を認識してほしい。
最後にそれぞれのweb記事の有料会員の一カ月会員の最安値を掲載する。
毎日 980円
以下に述べることは政治家とか新聞記者の回顧録によく書いてあることで、昭和〜平成の政治ウォッチャーにはおそらく常識的な話。今は意外に知らない人が多いようなので書く。
端的にいうと、これは「記者会見やぶら下がりではなく、内輪の懇談で取材した」という意味である。
要職にある政治家は、担当の記者を集めた内輪の懇談をよくやっている。そこで喋る内容については名前を出さず、「自民党幹部」「政府首脳」などとぼかして記事にするのが暗黙のルール。また、記者とのちょっとした雑談などにも同じルールが適用される。名前を出さないかわりに、政治家がざっくばらんに「本音」で話してくれるという仕組み。
記者側のメリットはもちろん独自の取材源で記事を書けることだが、政治家の側には「名前を出さずに観測気球を上げられる」というメリットがある。世間一般に対しての観測気球という意味もあるが、永田町の住人(同僚の政治家、秘書、各省庁の上層部など)に向けている面も大きい。
というのも、永田町の住人というのは一般人よりも新聞を熱心に読んでおり、かつ「政府首脳」などといった新聞記法にも通じているため、「これは誰それが言った」「誰それは、こういう意図で発言している」と即座に文脈を理解できるのである。要は、学校裏サイトを新聞にアウトソースしているようなものだ。
懇談は、政治家による記者へのサービスの意味合いを持つ。「忙しいのに時間を取ってくれた」「言いにくいことを言ってくれた」という恩義には人は弱いものである。有能な政治家はこの「持ちつ持たれつ」の関係を利用し、マスメディアに出る情報をコントロールする。
このインナーサークルに独立系メディア、フリーランスは立ち入ることができない。よく言われる記者クラブの弊害というやつ。
オフレコでの発言は、誰が言ったのか明示されない。よって誰も発言の責任を取らない。これは裏を返せば、記者の匙加減で発言を誇張・歪曲しても厳しく追求されないということでもある。せいぜい次の懇談で「俺、あんなこと言ってないよ」と苦笑される程度だろう。つまり記者がその気になれば、フェイクニュースに限りなく近いものを流すこともできる(この意味で石平氏の指摘は正しい)。
懇談などの「裏」で情報を取れるのであれば、「表」の記者会見で政治家を鋭く追及する必要はない。首相や大臣の記者会見で大手メディアの記者に的外れな質問が多いことと、この問題は根底でつながっている。
偉い人の「お気持ち」を忖度して政治が動く傾向を助長する。今回の件でいえば、もしかすると尾身会長は自民党幹部から直接何も言われず、周りの人から「幹事長(政調会長/総務会長)、怒ってるらしいよ」と伝えられているかもしれない。いや直接言えよ。
こういった諸々の問題があるので、この取材スタイルは手放しに褒めてよいものではない。今の時代に合うとも思えないし、そろそろ廃れていってくれないものかと思うが、どうなんだろうね。
教員:週末は原則半分程潰れる(一部部署除く)。大会が連続すると一ヶ月の休日がゼロになることもある。
文部科学省:残業代がフルに出ることはない。状況によっては全残業時間の2割程度しか支給対象にならない。文部科学省は他省と比較しても少ない。
教員:残業代は一切出ない。いくら働いても教職調整額4%しか支給されない。他地方公務員と比較しても少ない。
文部科学省:ニュースで自身の仕事が報道されると大きなやりがいを感じる。
教員:ニュースで教員不祥事が報道されると大きな失望を感じる。
文部科学省:上司が黒と言えば、白でも黒。永田町が赤と言えば、上司は赤に変更するので、そうですね、赤ですと言える度量が必要。
文部科学省:プロパー職員もだいたい2年ごとに部署異動があるため、専門的な知識の蓄積がしにくい。
文部科学省:都道府県により教育にも特色があってよい。国は最低限のルールと必要な行政指導を行えばよいと思っている。
教員:学習機会の差が生じないようにできるだけ国で統一してほしいと思っている。
さっき夜道を歩きながら思ったのですが、コンスタンティノープルって名前としてあまりにカッコ良すぎるだろ
俺が住んでる街なんて「池田」だぜ
池と田ってなんだよ ナメてんのか?
イケダって響きもダセー 終わっとる
コンスタンティノープルはすごいよ
これから調べて、どうせカッコいい意味で、さらにカッコよくなっちゃうんだよ
コンスタントに何々、っていうと大体'継続的に"って感じのニュアンスになるけど、それとは関係あんのかな
映画コンスタンティンとかも関係ありそう あれはキリスト教ベースの悪魔退治映画っぽいから、キリスト教用語だったりするんだろうか
調べてみると、コンスタンティヌス帝の名前+「都市」みたいな意味の「ノープル」部分らしい ノープルはポリスとほぼおんなじものだとか
あー、人名かあ!しかし、じゃあコンスタンティヌスはなんなんだろう?
この際、皇帝の名前を経由してたことは忘れて、「不変」にだけ注目したいね
「不変なる街、コンスタンティノープル!」
あまりにカッコ良すぎるだろ
永田町なんかと若干かぶるところはあるが、田が漂わせる生活感がなくて、響きもカッコいいのでやはり格が違うな
コンスタンティノープルに生まれたかった