はてなキーワード: 有性生殖とは
ググれば秒でわかるかと思いますが日本で振り回されがちなマズロー・フロイト・ユングなど 大昔の方々 が唱えたことは
既に化石になっていたりします。一部取り入れられいることも科学的な補強が入ってます
たとえば脳科学とかですね
(なお、いまは局在論ではなく全体論だと思います。また脳腸相関など単一でどうこうではないです。とりあえずヤクルト飲もう)
ストレスを感じる状況・幸福を感じる状況に対し脳がなんらかの反応を示している点については
もちろんそんなことはなくて、脊椎動物の脳や構造、遺伝子を調べると、人間も含めて、共通なものがあることがわかっています
そこで 行動神経科学 (Behavioral neuroscience)、生物的心理学 (biopsychology または psychobiology) なんて視点があったりします
日本でも もちろん様々な研究をやっているので 学生さんや親御さんなら目にする機会くらいはありそうな気がします
そのへんに転がっている科学読み物なんかでもよく出てくる視点ですね
彼ら(動物たち)は 親や同種から称賛を受けなければ 自分 や 行動 を肯定出来ないと考えますか?
あるいはアクション毎に自分自身のことを否定してる個体がいると考えますか?
そもそも彼らが “その瞬間、自分がしたいこと” をするのにそれらは必要になると考えますか?
セックス(性別) に進化の過程で有性生殖になった以上の深〜〜い意味を寄せがちな人がなぞ過ぎる増田でも書いたのですが、
世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあると思うんです
たとえば、負の経験の学習 (動物が嫌なことを避ける学習・死の危険を避ける学習) ですね
負の経験の学習についてはみんな経験して知っていると思うので、実は記憶って遺伝するらしいですよとだけ補足して、
まとめたいと思います
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200210094026
有性生殖によって意図的に個体差を作り出しているにも関わらず、個体差を無視し同一存在(クローン)として扱うことは明確に誤りである。
当然ながら個体差を理由として他者の生命財産を脅かすことも法治国家においては明確に誤りである。
当初は増太/増子としていましたが、このデフォルトネームは政治的に正しくないとツッコミが入ったので増田A、増田Bとしました
■自己肯定感を分解する
> 自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。
> とき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。
> 相互に作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。
> 私はもともと自分を自己肯定感の高い人だと思っていたのですが、最近自信がなくなってきました。
> あなたが自己肯定感の低い人間だと自分を認識してしまっているとしたら、自分を嫌いになれることは素晴らしい才能で、自己愛と共感力の豊かな人間であること。
単なる趣味だから自由でいいんですけど、“人間は動物である” という当たり前の視点があってもいいのではと思いました
増田が行いたいことが「マーケティング」や「自身の印象管理」であるなら、“人間は動物である” という視点は不要で、
人間の文化・社会を眺め、ある程度 確立されている手法に従えば、プロでなくとも限定的な効果は得られるとは思います
パソコンの仕組みを理解していなくてもパソコンを使えるのといっしょですね
しかし、実際的な手法についてはとくに記載はされていないかったので このトラバ 以外もつけてみることにしました
ググれば秒でわかるかと思いますが日本で振り回されがちなマズロー・フロイト・ユングなど 大昔の方々 が唱えたことは
既に化石になっていたりします。一部取り入れられいることも科学的な補強が入ってます
たとえば脳科学とかですね
(なお、いまは局在論ではなく全体論だと思います。また脳腸相関など単一でどうこうではないです。とりあえずヤクルト飲もう)
ストレスを感じる状況・幸福を感じる状況に対し脳がなんらかの反応を示している点については
もちろんそんなことはなくて、脊椎動物の脳や構造、遺伝子を調べると、人間も含めて、共通なものがあることがわかっています
そこで 行動神経科学 (Behavioral neuroscience)、生物的心理学 (biopsychology または psychobiology) なんて視点があったりします
日本でも もちろん様々な研究をやっているので 学生さんや親御さんなら目にする機会くらいはありそうな気がします
そのへんに転がっている科学読み物なんかでもよく出てくる視点ですね
彼ら(動物たち)は 親や同種から称賛を受けなければ 自分 や 行動 を肯定出来ないと考えますか?
あるいはアクション毎に自分自身のことを否定してる個体がいると考えますか?
そもそも彼らが “その瞬間、自分がしたいこと” をするのにそれらは必要になると考えますか?
セックス(性別) に進化の過程で有性生殖になった以上の深〜〜い意味を寄せがちな人がなぞ過ぎる増田でも書いたのですが、
世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあると思うんです
たとえば、負の経験の学習 (動物が嫌なことを避ける学習・死の危険を避ける学習) ですね
負の経験の学習についてはみんな経験して知っていると思うので、実は記憶って遺伝するらしいですよとだけ補足して、
まとめたいと思います
○ 関連増田
年間定額を国に納めてでも子供を生みたくありません。
家族が、というより周りの人間ほとんどが子供を持つことで人生が豊かになると考えていますが、私は全くそう思いません。子供が無条件に好きだったり老後の面倒を見てもらいたかったりと、様々な理由があることは分かっていますので、この考え方自体を根こそぎ否定する気はありませんが、私は無理です。心から子供が苦手なのです。
突然意味の分からない行動をする、言葉が通じない、四六時中意識を子供に向けていないと危ないことをしてしまったり、人に迷惑を掛けてしまったりします。
悪阻は苦痛ですし出産自体は痛いに決まっていますし、お金が掛かります。大学時代に奨学金を借りているので、それの返済もあります。休職・離職していつ戻れるか分からない状況が続くなんて、考えるだけで不安が凄いです。
育児体験の漫画やエッセイを読んでも、夜中は寝られず、お風呂にもゆっくり入れず、買い物に一人で行くのも困難、落ち着ける時間がないと苦しかった話しか見たことがありません。
苦しくなかった話として挙げられるのは決まって「子供が自分の指を握ってくれたときは幸せだった」とか「初めて言葉を話したときは感動で涙が出た」とかだけじゃないですか。その幸せに対して苦痛の割合が大きすぎませんか、と毎回思います。
あと何より子供が苦手だからと断っているのに「自分の子供だったら可愛いと思えるに決まっている」と押し付けてくる恋人と家族に嫌気がさしています。
生むのも育てるのも私なのに、何故私の意見は有耶無耶にしてしまえるのか。もしも本当に生んで、可愛いと思えなかったら?むしろ逃げ出したいとすら思ってしまったら?怖くて仕方がないんです。子とはいえ人は人。人の人生を支えることに自信がありません。
少なくとも私は嫌な育て方をされた覚えしかありません。いつも姉と比べられては努力が足りないからと言われて、やりたくもないことを姉がやりたいと言っているからやらされて、早く両親から解放されたいと思うばかりの人生でした。
それなのに子供にとって良い育て方が出来る自信などあるはずがありません。子供に、子供時代の私と同じ思いをさせてしまったらどうしようと考えてしまいます。
子供を生まず老後の面倒は誰に看てもらうんだ、と言われるとゾッとします。皆自分の老後のために子供を生むんですか、と。私は貴方の老後の世話をするために生まれてきたんですか、と。
子供がいないと老後は生きていけないなんてことはありません。そもそも介護が必要になる歳まで生きる気もありませんし、万一生き延びてしまったとしても、介護施設を利用します。そこで働いている人も誰かの子供なんだぞと言われたら、ぐうの音も出ません。ですがそれは仕事ですので、「生んでやったんだから介護をしろ」というのとは違いますから…。
ここまでお読みくださった方には分かる通り、私は子育てに向いていません。生むべきではない人間です。
それを妊娠・出産の良さを語ってくる人に分かってもらうにはどうしたらいいんでしょう……。
皆様のご意見をひとつひとつ拝見しました。個別にお返事ができず申し訳ありませんが、こちらの追記を持ってお返事とさせていただきます。
まず、優しい反応がたくさんあり、とてもほっとしました。嬉しかった、とはまた違いますが、否定しないでくださったことがすごくありがたかったです。
また、何度もコメント等で申し上げている通り、子供自体が嫌いなわけではありません。「心から子供が苦手」とだけ書いてしまったからか誤解されているようなのですが、正しくは「心から子供と接するのが苦手」です。分かりにくい書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。
例えば、ファミレスやスーパーで子供が泣いていたり叫んでいたりするところを見ても、大変そうだなとは思いますが迷惑だとは思いません。(親が怒鳴り付けて怒っている場合などは少し迷惑と思ってしまいますが、そうしなければならないんだろうな、という理解もあります)
ただ、その短い間に見ただけでも「大変そうだな」と思ってしまうようなことが、毎日朝から晩まで続くと考えると、どうしても私には耐えきれないと思います。「母親になれば耐えられるよ!」と言われても、自分のことだから分かるんです。
それから、分かってもらいたいと思うのは傲慢だという指摘をいただきました。それについては仰る通りだと思いますし、恋人とは次に会ったときに話し合い、お別れをしてきます。(大切なことは面と向かって話したいので。いつになるか分かりませんが…)
両親からは、そこそこの愛は貰っていると思います。ただ愛情の向け方が私には合わなかっただけです。勉強も運動も出来ず取り柄がなかった私に、諦めるのでなく厳しく接することが正解だと思っていたと言われたことがあります。確かに、両親が諦めないでくれたおかげで、当時行ける高校がないと担任に言われたことのある私なのに、そこそこ名の知れている大学まで通えて、就職も出来ました。それは感謝しています。
けれど、いつも両親を怒らせないようにと張り詰めながら過ごしていた子供時代は、愛など微塵も感じたことがありません。両親は私のことが嫌いなんだと思っていた時期もあります。
正しい子育てなんてないのでしょう。大体の流れは同じでも、性質や物の見方・考え方は子供であっても「人それぞれ」です。
私の育て方ひとつで、子供は幸せにも不幸せにもなります。そんな風に他人の人生を背負うなんて、到底私には不可能です。度胸も覚悟もありません。
生んでみればわかるなど言われても。もし子供を生んで「子育てが辛い、やめたい」などと言えば、「母親失格」や「じゃあ何で生んだんだ」と責められるのでしょう。やるせない思いでいっぱいになります。
案ずるより産むが易しと言われても、私は身長が低く、母曰く出産にリスクがある体型ですし、慢性疾患もあり毎日薬を呑まなければなりません。出産は皆同じ条件ではないのに、易しと言われても、不安なものは不安です。
「子供がいれば一人前になれる、生まなければ一人前になれない」とのコメントもいただきました。本当にそうでしょうか。生んだだけで一人前ならば、虐待で子供を殺した親ですら一人前になってしまいます。けれど、世の中的には、そうではないですよね。
正しくは「子供を生み、きちんと育てて、ちゃんとした大人にすることで一人前になれる」じゃないでしょうか。(私はそうは思いませんが、一人前になれると主張したい人は、です)
「子供がいれば幸せになれる」なんて考えも、きっとこれから先持たないと思います。子供は親を幸せにするための道具ではありませんし、子供がいなくても幸せな過ごし方だっていくらでもあります。
妊娠・出産・子育てで何年も辛い思いをするのが嫌なだけでなく、子供に辛い思いをさせかねないことも嫌なのです。無条件に幸せになる親も子もいません。親だけが幸せでも、意味はありませんし。
女性として生まれてきたからといって、子供を生まなければならないという考えは人間が有性生殖をする生物である限りなくならないと思います。
ですが、自分の人生を決められるのは結局自分自身だけです。他人に従わなければならない義務などありません。「女として失格」でも「人間として失格」でもいいです。私のせいで不幸になる可能性のある人はいない方がいいんです。
子供が好きで、生みたいと思う人は生めばいい。生みたくない人は生まなければいい。どちらも個人の選択で、誰かに強制される必要はないです。
自分でも何を書いているか分からなくなってきました…。長文・駄文で申し訳ございません、お読みいただいた方には心より感謝申し上げます。
(お金貰ってでも、では? という指摘をいくつか受け取りました。書いた当初は「子供を持っていない女性からお金を取るという制度ができても」という意味でした。勢いで書いてしまったことと、二度書き直したことにより、本来の意味を失っておりました。申し訳ございません。)
職場で『性自認が女性』だという男性(生物学的分類による男性)が来た。性的指向は知らん。曰く、男性恐怖症なので全て女性スタッフに対応してほしいとのことだった。幸い(?)大人しくこちらの指示に従っていたし、何かするわけでもなくスムーズに事は済んだ。あくまでこの人は。
今回は何もなかったが、もし万が一にも同僚である女性スタッフに危害を加えるようなことがあったら…と思うとモヤモヤするので書こうと思った。(女性であると主張する男性に限らずありとあらゆる人間は他人に危害を加えてはならないのは勿論である)
そしてタイトル通り。
性的指向と性自認と肉体的・生物学的な性別は分けて考えるべきだ。
これを聞いてお怒りになる方々もいるかとは思うが、少なくとも自分はそう思う。
性的指向と性自認については、はっきりと分類できるようなものではないと考えている。それらは連続性があり、兼ねることが可能であり、境界は極めて曖昧だ。他人が誰をどんな風に愛し、もしくは愛さなくても、どんな体になりたいと思おうとも、それは全て自由であるべきで侵害されることはあってはならないと思う。
でも、肉体の話になればそうはいかない。外科的に加工をしてどんなに顔や体を変えたところで遺伝子そのものを変える事は不可能である。はっきり言えば(これは変わりたいと願う人には申し訳ない気持ちもあるが)、最初に生まれついた性別からは逃れないという事だ。最後の染色体によって性別は決定され、これを覆すすべはない。来世については信じていないため除外する。
『どちらもある/ない』という方たちが存在するが、その場合は第三となる性別もしくは呼称が必要になるのだろう。男女の欄で悩むとすれば、そういう方たちなのではと考えている。
人間含めた有性生殖によって子孫を残す生態を持つ生き物は全て、肉体の性別からは逃れられない。そういう風に生まれてきてしまったのだから仕方がない。
単細胞生物は『母細胞』と『娘細胞』という風に呼称されているが性別の概念などない。『コピー元』と『その新しいコピー』に、有性生殖をする人間が名前をつけてしまっただけで。
任意のアンケート等に自分が思う性別を書くのも自由だ。書かないという選択も自由。ただし、公的な場ではどちらかに従って欲しい。それはあなたのパーソナルな部分など反映していない。生まれた時の入れ物の話だ。
入れ物を変えたいなら正式な手続きを踏んでからにしてほしい。元の入れ物の特性、もっというならば固有の臓器あるいは器官とそれに付随する機能を持ったまま、入れ物の変更はできないのだ。
少なくとも我々が有性生殖という方法を用いて繁殖を続ける限りは。
もし遙か未来、人類が有性生殖という手段を捨てた時、そこで初めて人類に対する性別の概念は消えるだろう。そんな未来が来たら面白いと思う。まあそんな頃まで生きてないし、子孫も残さないつもりだから関係ないけど。
これをだらだらと書いていて思ったのが、古(?)の腐女子のいう「生物学的には女」という表現が案外的を得ているのでは???ということだ。
オチはない。すまん。
○ ダウン症でがんが少ないのは、血管新生の制御遺伝子がカギになっている
ダウン症候群の患者では多くのタイプのガンの罹患率が有意に低く、この広範ながんに対する抵抗性は、1コピー余分に多い21番染色体上にある231個の遺伝子のうちの少なくとも1つが発現亢進することにより与えられていると考えられる。このような遺伝子の1つにDSCR1(Down's syndrome candidate region-1、RCAN1としても知られる)があり、血管内皮増殖因子(VEGF)による血管新生シグナルをカルシニューリン経路を介して抑制するタンパク質をコードしている。
今回我々は、DSCR1がダウン症候群患者の組織およびダウン症候群モデルマウスで増加していることを示す。
さらに、Dscr1遺伝子を1コピー導入することによる適度な発現の増加が、マウスにおいて腫瘍増殖を有意に抑制するのに十分であり、この抵抗性がカルシニューリン経路の抑制に起因する腫瘍血管新生が不足した結果であることを明らかにする。
我々はまた、DSCR1と別の21番染色体上の遺伝子Dyrk1aによるカルシニューリン活性の低下が、血管新生を顕著に抑制するのに十分であると考えられる根拠を示す。これらのデータは、ダウン症候群の患者においてがんの罹患率が低下するメカニズムを提唱し、カルシニューリン経路、その調節因子である DSCR1 と DYRK1a がヒトにおける多くのがんにおいて有望な治療標的になりえることを示唆している。
[nature] Down's syndrome suppression of tumour growth and the role of the calcineurin inhibitor DSCR1
世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあるよね
双子やクローンなんかもそのひとつで、物理的に2つの肉体を持ち、それぞれが個として動いていれば、
別の存在になることをワイたちは “経験として知っている“ (街は死にますか?(2) 〜 自己連続性の否定〜)
ただ、古典的な四原因説のうちせいぜい質料因だけが異なる双子やクローンを別の存在と見做すのであれば、
すべての人間は連続していない存在 (過去と今と未来では完全に別の存在) になるよね
だって、過去と今と未来では身体の組織は物理的に異なるのだから
人間の記憶は同じだから連続した存在(同じ存在)とするのもだいぶ無理があるよね
記憶だって五感を伴うものであり、身体の組織が違っていれば、思い出しても当然感じ方は違うし、
(似たような環境で育てたとしても完全に同じ個体にならない理由がまさにこれ)
そもそも記憶のインディックスを失い、正しく記憶を読み取れなくなるかもしれない
(いわゆる“忘れる”)
まぁ早い話が人間は、身体も記憶も連続していないのだ。少なくとも、連続性を保証するものは何も無い
しかしワイたちは、それでもなお “自分を同じもの(連続するのも)” と主張するよね、“単なるお気持ち”で
進化の過程で有性生殖になった以上の深い深い深い深い深〜〜い意味をセックス・ジェンダーに寄せがちな
男ガー、女ガー、第三の性ガー 及び 宗教を持つ みな様にとって、
『過去の自分と今の自分は別人ではなく同じ人間である』という“お気持ち”は、
男である、女である、第三の性である、の前に来るの?それとも後ろ?
疑問形にしてはみたが、男ガー、女ガー、第三の性ガーの人たちは、いつでも『前』にくると主張するよね?
セックスがすべてを決めると、服装をふくめたすべての好み思考などを決めるとね(自由意志のある無しもすっ飛ばす)
宗教や文化がルーツになっているのならその教えを冒涜するつもりはないのだけど、
あまりその考えに拘泥しない方がいいんじゃないかな。増田は悪い人じゃないと思うから、あまり強い言葉は使いたくないけど、「時間の無駄だよ!」
もっと楽しいこと考えようよ。街中で咲いているあの黄色い花の名前は何だろう、とか。
この花は誰かが植えてくれたのかな、それとも、どこから飛んできて自生したのかしら、とか。
ちなみにミジンコの世界は、メスだけしかいない女性社会なんだけど、環境が変わるとメスがオスになり、有性生殖すると言われている。
有性生殖すると環境変化に対応した世代が生まれる可能性があるからね。
つまり、ミジンコが生き延びていくのに、オスは必要なんだよね。
人間社会だって同じ。凶悪犯罪は確かに男が多いのだけど、みんながみんな凶悪なわけではない。社会を裏で支え、女性を守っている男もいる。
とかいう謎の勢力がいがちなので、じゃあワイが適当に答え出したるわがこの増田シリーズやで
増田(anond:20200701094430) の記載内容についてはほぼ同じ認識なので、
しかし、その前にサラッと振り返ってみよう
世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあるよね
双子やクローンなんかもそのひとつで、物理的に2つの肉体を持ち、それぞれが個として動いていれば、
別の存在になることをワイたちは “経験として知っている“ (街は死にますか?(2) 〜 自己連続性の否定〜)
ただ、古典的な四原因説のうちせいぜい質料因だけが異なる双子やクローンを別の存在と見做すのであれば、
すべての人間は連続していない存在 (過去と今と未来では完全に別の存在) になるよね
だって、過去と今と未来では身体の組織は物理的に異なるのだから
人間の記憶は同じだから連続した存在(同じ存在)とするのもだいぶ無理があるよね
記憶だって五感を伴うものであり、身体の組織が違っていれば、思い出しても当然感じ方は違うし、
(似たような環境で育てたとしても完全に同じ個体にならない理由がまさにこれ)
そもそも記憶のインディックスを失い、正しく記憶を読み取れなくなるかもしれない
(いわゆる“忘れる”)
まぁ早い話が人間は、身体も記憶も連続していないのだ。少なくとも、連続性を保証するものは何も無い
しかしワイたちは、それでもなお “自分を同じもの(連続するのも)” と主張するよね、単なるお気持ちで
ここで SEX・ジェンダー !!!!!!!!でございます!!!!!!!!!!!!
進化の過程で有性生殖になった以上の深い深い深い深い深〜〜い意味をSEX・ジェンダーに寄せがちな
男ガー、女ガー、第三の性ガー 及び 宗教を持つ みな様にとって、
『過去の自分と今の自分は別人ではなく同じ人間である』というお気持ちは、
男である、女である、第三の性である、の前に来るの?それとも後ろ?
疑問形にはしてみたが、答えは分かりきっていて、彼・彼女らの主張はいつでも『前』である
なにせセックスがすべてを決めるのだ、服装をふくめたすべての好み思考などをね(自由意志のある無しもすっ飛ばす)
宗教的な文化的な伝統であればそれを尊重したいとは思うけれど、
もしそれらにルーツを持たないのであれば、何がどうしてそんな発想になったのか、
結構、興味深い話だと思いませんか?
少なくともどういう理屈でそういう発言をしているのかワイトは興味があります