はてなキーワード: 必要悪とは
「今の世界を牛耳ってるのは正義の国家群であって欲しい」という願望に沿った答えを用意することを世界中の人間が同意してるっていうだけなのにね。
アメリカがネイティブインディアンを虐殺した歴史は、アメリカ合衆国が無くなったら悪の歴史となる。
でもアメリカが存続してる限りはせいぜいが必要悪の歴史で留まる。
日本が天皇を崇拝していることは今はまだ正義の歴史だけど、もしも他の国が日本を占領したり、日本人が天皇を必要としなくなったら悪の歴史になる。
纏足をすることが子供への愛だった時代の中国が存在し、長男を敬うことが当たり前だった日本が存在するように、ただその時その時の歴史の最先端で都合がいいように善悪は切り替えられる。
始皇帝は悪だったから負けたわけではなく、キリストは正義だから今でも崇拝されているわけではない。
ネットの炎上は祭と称されてきました。クズの失態に群がるクズ。そんな自覚があったのかもしれません。
最近は炎上という言葉が一般的になりました。いつしかクズは己のことを正義と呼ぶようになりました。クズという自覚なしに叩くクズ。そんなクズが多くなりました。
あたしは、クズはやはりクズに還るべきだと思うのです。「叩かれているのは君が悪いからだ!!」などと声高に話そうが、やはりおまえはクズなのです。今一度、祭に戻そうじゃありませんか。ワッショイワッショイしながら、燃料投下を待ちわびるクズに戻りましょう。
そのためには、マスコミさんが『ネットで炎上』ではなく『ネットで祭』と呼ぶようにしたらいいのです。すると、日頃の行いを棚に上げて「不謹慎だ」と愚痴るクズがゴキブリのように沸いてきます。
最近のクズは正義が大好きなので「人の失態に祭なんて気が狂ってます。このチャンネルは一生見ません」と涙するクズも現れるでしょうが、マスコミさんには必要悪として尽力していただきます。
やがて正義感溢れるクズvs祭大好きなクズで内戦が勃発し、その様子を傍らにあたしたち一般国民は今よりも健やかなインターネットライフを送ることができます。
不動産屋とかの「店」(リアル・ネット問わず)ってのは言ってみれば「必要悪」みたいなもんなんだよね。
もし土地を売りたい時不動産屋が無かったらどうする?その土地に「この土地売ります○○万円連絡先は~」って看板でも立てる?でも人通りの少ない土地だったら効果ないよね?Webサイト作って売り出しても知名度ないから誰も見に来ないよね?
こうやって売りたい人と買いたい人を直接つなげるのは現代では物も人も増えすぎて無理なわけで、そういった時に「店」が必要になってくるんだよね。しかも「店」ってのは類似の商品をたくさん置いているからAが高すぎるならBはどう?って比較もできる。転売にはこれがない(なぜなら買い手が求めてるのはAだけで他の物は求めてないから)。
「店」はお互いリーチしづらい状態にある売り手と買い手を1箇所に集める力がある、だから多少手数料が載っていても有用。
一方PS5の転売とかは元々「店」から買えるものを店→転売屋→買い手と不必要な1アクションを増やしてる。必要ない1行程を増やしているので「必要悪」ではなくただの「悪」。
「貴重な商品が買えるんだから感謝すればいい」って逆、転売屋のせいで買えなかった不幸な人の方が圧倒的に数が多い。足し引きで言えばマイナスの方がでかい。
娯楽品だからセーフみたいなのも無い。それを言うならお前はパンのみで生きてみろと。現代人に娯楽は必要だ。
転売屋が許されるのは例えば山の山頂でしか売ってないお土産を買ってきてネットで転売する、みたいな元々リーチしづらい状態の物をしやすい状態に持っていった時だけ。
好きでもない人と結婚させられることも多かったでしょう、男女ともに。だから、托卵も多かっただろうと思う。千年以上の歴史を持つ見合い婚において、一定数の托卵は必要悪というか、一種の伝統と言っても過言ではないかもしれない。昔ならそれも「可哀想だから」、「事情があるから」と美談になったかもしれない。でも、今は違う。男女とも、一応好きな相手を選べることのほうが多いんだから。
だからこそ、子どものDNA鑑定が広まってほしいと思う。男性にとってもだけど、何より生まれてきた子にとっての権利だと思う、本当の親を知ることは。
他人だと思って付き合っていたら、実は父を同じくするきょうだいだったとか、おじおば、甥姪だったとか、目も当てられないよ。親として無責任すぎる。確率は低いかもしれないけど、少子化なんだし、もう令和なんだから。
寛容であれ、と他人をコントロールすることはできないし、他人をコントロールしようとするのは良いことではない(実際的には必要悪ではあるが)。
単に居心地の良いコミュニティにしたいのであれば、コミュニケーション方法が似ている人を集めることだ。コミュニケーションのコストは高いのである。人間の脳は基本的に怠け者だ。コストが低いほど心地よく感じる。
ただ、同質化をやりすぎると長期的にはコミュニティが発展しなくなり皆で不幸になる。今の日本の企業の大部分のように。長期的、あるいはコミュニティの視点からすれば多様性が有ったほうが望ましいが、短期的な個人の視点からすれば同質的な方が快適だ。
人間、合う合わないはどうしたってある。皆が仲良く幸せに、というのは実現が困難であるからこそ理想として語られる。
不和を為す人がいるのなら互いに物理的に離すことをお勧めする。互いに見えない位置になるだけで平穏はもたらされるであろう。
経験上、物理的に離す以外の方法はうまく機能しなかった。仲裁して一時的に収まっても長期的には無理だった(別の方法があれば教えて欲しい)。
私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。
とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生が放火をし、中学生が喫煙し、高校生がバイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。
私の家は紛うことなきホワイトカラー一家だ。元ボンボン・サラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しかし女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。
そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的はあくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年生から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験は小学校四年生から始まった。それもSAPIXや日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。
しかし、それでも学校の教員からの敵意からは逃れられなかった。
彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。
そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。
まずは保護者会で、担任の教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生の言葉は絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。
休み時間に円周率の計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強をしました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからのいじめが始まった。
帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。
「先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。
おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生」なのだ。クラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは「仲間意識の強い」彼らなのだ。
悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。
また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。
私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子の人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休みも図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校の教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれたメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。
一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこからか漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。
担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。
だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。
真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任に嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。
別の小学校に越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまったからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分の学校に問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。
私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分のオーディションに受かったら、自分の母親と隣のクラスの教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。
話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間に勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。
もし父親に先見の明がなかったか、私が過度のストレスで受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。
数年前の東大の入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生の意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれた人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。
エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実な場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。