はてなキーワード: 廃止論とは
死刑廃止論はそれなりに理のある主張である。もちろん存置論にも理はある。どちらが絶対の正解ということもない。この先変更するもしないも民主的手続きによるのみ。
しかし左翼教条主義的廃止論の立場から、犯罪被害者遺族が応報感情をもつことについて口汚く罵るのはどうだろう。
「存置論者はバカだ」くらいはちょっと勢い余ったんだねで許すけども。
娘を殺された父親が、犯人に(求刑から少々割り引いた)有期刑が言い渡された法廷で「ふざけるな」と叫んだという。
ハテサいわく「死刑以外は処罰と認めないといういつもの感情論。気持ちは分からないでもないですがはっきり言って愚劣。容赦なく強制的に退廷させればいいのに。バカの見本」
とっちゃん坊やがペラペラと。絶対に忘れないよ。いつか間近でツラを拝んでみたいね。
そもそも死刑求刑されてる件でもないのに「侮辱したい」「見下したい」欲が自走しだしてやんの。
自分は「決して左翼ではないリベラル」を自認するものだが左翼の人はみんな嫌いな訳ではない。「困ってる人」がいる現場(災害とか)でゴリゴリ左翼のおっさんが身を粉にしてがんばってるのを見ている。一緒に働く仲間として信頼できる人がたくさんいる。
時と場合によってはそういう素朴な正義感だって恐ろしいものになり得るけどな。ともあれ末端は本当にいい人がいる。
でもちょっと小才が利くつもりで畜生道に落ちてる奴も居る。今更細々批判するつもりもない。ただ忘れない。
あ、星ついてる。ああげにガメか。なるほど。
(某所で)多少の文字数でもって何らかのharmを論証することは不可能であるという術中に嵌まっている者が多い(必要なのは個別の問題であり、ディティールである)。ただ、それ以上に、「自由」至上主義者に、それ以外の価値との調和を求めても無理な話であろう。
憲法21条だとかFirst Amendmentの話をしたいわけでもないくせに「表現の自由」とラベリングして、無用の混乱を捲き起こしているのが本邦Civil Libertalianの一番の害悪ではないだろうか。「表現の自由」の保護は当該表現が持っている価値に依存することになるし、公権力による規制と私人の活動については分けて考えねばならないという、憲法解釈上当然の話が通じないのはそのせいである。
むしろ、あらゆる私生活における放縦に対して公権力による規制も、言論ないし行為による批判も許容されるべきではないというリバタリアンの観点※が背後にあるのだろう。もっとも、たいていの者はここまでラディカルな想定※※はとっておらず、自己にとって好ましい放縦は規制も批判も許容しない、というものであろうが(そこがまた了解困難なところであり、真面目に取り合うべきではない)。
個人的に疑問を感じるのは、真面目に上記のごとき「自由」論に立てこもっても、逆にその価値を共有しない者を説得することが難しいという点にある。現実の規制廃止論として役に立ってくれないのではないかと思うのだが。リバタリアンにあらざる者に、リバタリアニズムを受け入れろと言っても無理な話である。
※リバタリアンといっても色々な考え方や基底となる価値があることは重々承知の上。a libertalian viewという趣旨。
※※たとえば合衆国のリバタリアンは、シートベルトの着用強制も認めないことがある。「馬鹿やって死ぬのも自由」というわけである。そこまで(本気で)突き詰めている者を説得することは難しい。価値観の対立であり、神々の争いだからである。
ただし、その発言は「素晴らしい原案」だ。加筆する必要がある。
発電方法を変えるには大量の評価軸上でのトレードオフを考慮しないといけない。
考えるべき指標は「経済性」「環境負荷」「地政学的リスク(ロシアから天然ガス買いたい?)」「安定性(1時間くらいの停電で数人死んだりする)」「調整力(再エネは急な需要の変化を追えない)」などなど、すべてが誰かの利益を左右する。
さらに経済性ひとつとっても原発には廃炉費用がかかるとか色々考えることがある。
そして誰からも理解されない「調整力」について。1つ覚えてほしいのは「電気は貯められない」ということ。
貯める機構は揚水発電、HEMS(お家に蓄電池を置く)、SMES(地下の超伝導ループに電気を貯める!)とか実在する。しかしコスト面やら耐久性やらで必要な量は生産できていない。だから再エネ発電を新設するなら研究開発大量生産に投資してほしい。不安定な発電機が増えてもそれを上手く消費したり貯めて置くものがないと意味がない。
電力網の需給調整はシビアで、家庭への再エネ導入で予測できない供給が出現したので、クッソ辛くて当初の担当者はキレてたらしい。
貯めるか管理しよう。
そのシビアな需給調整や地政学のバランスを突っつくことになるのが電源構成の変更だ。
…と問われたときに、電気料金の値上げで暗に寿命が縮まった人の顔を想像しながら
「仕方ないですね。トレードオフなので。冬じゃなくて良かったですね。倍は死んでましたよ。福祉でカバーしましょう」
と言うべきなのだ。フリーランチはないので。覚悟を持って決断、発言しましょう。
政治だから、我々は残酷なスライダーを左右に動かすことしかできない。
全員を幸せにできるのは技術革新だけ。それには研究、開発、研究開発に死ぬほど金をかける必要がある。
で、君たちは投資しているか?IEEEで発表しているか?してないよな。しよう。
政治をしよう。浅い知識の押し付け合いではなく。勉強する気もなくて利害調整すらできない人々は、自転車置き場の屋根の色について話そう。
政治の話について例えば、安定度を低くすれば発電効率を上げることができる。けど、電気は止めちゃいけないし脱輪はフツーに事故で効率が悪いのであんまいじりたくないよねみたいな会話があったとする。これはちゃんと政治だ。当たり前なので誰も話さないだけで。
お、男女別廃止論者か?
お、男女別廃止論者か?
↑これをはてなに当てはめると
になるわけです。
「俺たちユーザーはお前のところの商品展開が気に食わないので廃止しろ!」はかなり強めの発言です。
多くのネトゲが通ってきた道ではありますが、大抵の場合は「買いたい奴が買えばいいだけ」で皆が落ち着いてきたと思います(ネトゲのプロじゃないので分かりません。ネトゲに超詳しくて雑談好きな人がインターネットに何人か……あっでもあの人は今お忙しいな……)。
主催者は特定の誰かというより、同じような意見を言っている多くの人たちです。
まあ半分ぐらいは「スターはそのままでいいからスター順表示をなくせ」っぽいですけど。
さてどうなるんでしょうね。
正直私は観戦ムードで、これも備忘録として「はてなスター」という単語がクソほど沢山入った増田を自分の日記に残しておくことであとで日付を検索することだけを目的にしております。
あとになってみると「なんでこの日にこの増田を?」となりそうですね。
でもその辺を補足すると特定のはてなユーザーをウォチしてる感じになるからフィーリングで終わらせましょう。
そもそも、このタイミングで同時多発的に機運が高まっているのは事実ですしね。
確かに動きはありましたが、ソレ以上にもともと何かあったら吹き出すエネルギーが溜まっていた感じです。
膨らんだ水ぶくれが爆発したとして、重要なのは水ぶくれが膨らんでいたことで、そこに加わった衝撃そのものはマクガフィンの如きなわけですね。
いやーどうなるんだろう。
ブクマの方のはてブは儲かってねえから関係ねえって感じもしますけど、ほそぼそとブログの方のはてブでカラースター投げあってイチャイチャしてる人たちがロングテールで最終利益に貢献してる臭いがするのですがね。
最近「性教育YouTuber」を名乗る男性が内診台をセックスマシーンとツイートしたことが発端となり、産婦人科の内診台について様々な内容がよく話題に上がるようになった。
酷く屈辱的であること、海外ではベッドに横になって自分で脚を開くスタイルなので使用されていないこと等の理由で批判が相次いでいる。
経口中絶薬の認可やアフターピルのドラッグストアでの販売が許可されていない、女性の問題であるのに決めるのは男性しかいないという日本の現状も相まって、より一部の界隈では廃止論が白熱しているようだ。
屈辱的と思う人がいるのは事実だし、内診台が嫌いな人や嫌な思いをした人がいるのも事実。
だが同時に、私と同じように屈辱的と感じない人も嫌いではない人もいるだろう。
海外に倣って自分で脚を開くようになると、脚の開き具合が足りないと言われ開き直す手間や、痛みが増えるのではないかという気持ちがある。
その点内診台は座れば勝手に開いてくれて、ただ寝ているだけなのでとても楽に感じる。
道端に落ちている石ころに対して何も思わないように、医者に局部を見られたところで何も思わないので屈辱を味わったこともない。
そもそも内診台が嫌なのであれば、「内診台を廃止した新しいスタイルの産婦人科を設立してくれ」といった主張でいいのではないか?
何故全ての産婦人科から内診台を消そうと思うのか理解ができない。
「女性である私達が気に入らないから無くせ!」はあまりにも自分勝手だと思う。
彼女らはなぜか「全ての女性がそう思っている」という謎の確信を持ってしまっているが、とてつもない誤りである。
そして私のような意見の持ち主は「アンフェ姫」、少し前なら「名誉男性」と揶揄、非難される。
死刑、廃止論と廃止に対して因果応報だから〜といった意見を見た
自分が社会に対して長い期間積もった不満を保持した状態かつ今この瞬間むしゃくしゃしている状態で思いついた
金銭か国民全員参加かなんかで一定数の人間に死刑可否の投票券をもたせて
要件満たせばとか投票数半分超えればとかでコンテンツ化すれば面白そうだなって思った
自分が見た中だと確かデッドマン・ワンダーランドが近かった気がする
それはそれで面白いが、今の気分的には異能なしの数話区切りの形式で見てみたい
そして短文妄想書いて自分を満足させるのは割といいストレス解消かもしれない
初めの方に書いてた短期的むしゃくしゃもきえた
ここまで書いてて気持ちよかった
死刑の存在による犯罪抑止効果なんて本来死刑存続派が示さなければいけないものなのに、廃止論者が率先して「死刑に抑止力なんてない」と声高に叫ぶのなんでなん?
「ない」ことの証明っていわゆる超有名なあれですよね?そうじゃないのかな?
ちなみに自分は死刑に犯罪抑止力があると信じている存続希望派だけど何の知見もないので学術的に示すことは出来ないただの一般市民。
なので、抑止力の話になると分が悪いと感じてはいるけど、なぜか反対派が抑止力などないと言い張ってくれるおかげで死刑反対派ってやっぱ妄言吐きのやべーやつらなんだなと再認識してしまうわけだけど、果たして自分の知らないところで「ないことの証明」が実践されているんだろうか?
今まで何度か現実に死刑存廃の議論したことあるけど一番受け入れられたのがこれだった
凶悪犯罪に対して、懲役刑では軽すぎる。そこから死刑やむ無しとなるひとが多いのだけれど、実際死刑でも刑罰は軽すぎる
目には目をで考えるなら、凶悪犯罪に対する死刑は、目には爪をぐらいの話で全然成立してない
それなら現行法のなかで運用されてる刑罰懲罰をアレンジして妥当な罰を与える続けるしかない
例えば、こんな感じ
無期懲役を完全な終身刑にして、今も運用されてる座らされて壁一点を見つめ続けるという罰を生涯かす
いわば、一生反省させ続ける刑
廃止論者の意見はほとんど被害者を蔑ろにしてることに無自覚だから受け入れられないんだよ