はてなキーワード: 官僚とは
それは共産的というより
全体主義的ということかな
日本はアベノミクスで格差を拡大し治安を悪化させ、弱者男性から自衛隊員が増えるよう誘導した
20XX年、域外適用されるAI規制法により生成AI利用企業および個人は賠償責任を負う、既に激しい国際的非難を受けていたAI開発企業および日本政府も幇助犯として巨額の賠償金を負うことになる。
AI開発企業の代表、開発者、およ世界的に悪名高い日本の「著作権法30条の4」の立法に関わった政治家、官僚は、ハーグ国際裁判所にて「人道に対する罪」で裁かれ、厳罰に処される。
なお「人道に対する罪」に時効はなく、国際指名手配された逃亡犯は一生「ハンター」に追われ続けることとなる。
とても巨額の賠償金(まったく正当に被害から算定されたものだが)を支払えない日本政府は破綻し、日本は国連監視下での米、EU、中国の共同統治となり、自民党は犯罪化される。
その頃には既にネトウヨではないクリエイターをはじめとする良心を持った日本人は協力して日本を脱出しており、統治と取り立ては苛烈なものであったが国際世論は「自業自得」と断じるのだった。
選挙が3ヶ月後だったら勝ててたと思う。
ちょうど『自民党あかんなー』という雰囲気が盛り上がったタイミングで投票期間になってしまったというだけの事。
本来の目論見としては、総裁選やって『自民党は新しくなった』みたいな空気だせば勝てるはずだった。
または、裏金問題に国民が飽きるの待ってからやれば、そっちでも勝てるはずだった。
実際、裏金問題なんかより遥かに重大な、公文書改竄指示官僚自殺問題後の選挙で自民党は勝ってるからな。
なのに、総裁選後のハネムーン期間を逃すのが惜しかったのか、3ヶ月も待てない人がいたのか、総裁選直後に解散する事にしてしまったのが悪手だった。
『直前の総裁選で言ってた事と違うじゃん』というのを忘れっぽい国民でも覚えてて『総裁選の頃とは状況が変わったから』とは弁護できないほど近かった。
おまけに選挙期間中も裏金問題の渦中の人達を切り捨てられない事を暗示するニュースが相次いだせいで、本当は『新しく生まれ変わった自民党の今後にご期待下さい』という空気でやりたかったのに、『自民党の体制刷新のためではなく、選挙のための総裁選だった』という状況が露骨になり、『総裁が変わっても自民党は何も変わらんのだな』という印象が強くなってハネムーン期間が成田離婚期間になってしまった。
俺は最近まで熱心な共産党支持者だった。共産主義の理想を信じていたし、マルクス・エンゲルス式の共産主義の理想を先進国で最初に実現できるのは日本共産党だと思っていた。
多くの馬鹿ウヨ・ネトウヨが勘違いしているが、現在のロシア連邦共和国は全く共産主義でも社会主義でもない。与党はプーチン率いる「統一ロシア」であり、ロシア共産党は野党である。プーチン政権のロシアはむしろ右派権威主義体制であり、全く共産主義と関係はない。
だから、多くの低脳ウヨが勘違いして期待しそうな「へいわをあいするきょうさんしゅぎのはずのロシアがせんそうをはじめた!うわーんそんなはずない!」とかいう話ではないよ。問題はそこではないんだわ。
ロシアがウクライナとの国境に軍隊を集結し始めた頃、これはあくまでもウクライナに対する「圧力」であり、実際に軍事的侵攻はしないだろうと多くの人々は考えていた。もちろん、シリアなど中東の開発途上国に軍事的関与をすることは以前からあった。アメリカもそういう事は以前からやっていた。
しかしウクライナといえば東欧の、つまりヨーロッパの一国である。
そんな国を実際にロシアは侵略しちゃったんだわ。そして一時は首都キーウの目前まで迫り、キーウ近郊のブチャで一般市民に対する虐殺を行なっている。
しかしウクライナはその後、西側諸国から武器弾薬、燃料、戦車、軍用機、各種ミサイルの大量支援を受けてロシア軍を押し返した。
ここで痛感したことは、21世紀の現在でも想定外の被侵略はあり得るということであり、日本においても一定の国防力は必要だという事である。
ところが共産党は防衛費を「軍事費」と呼んで(もっとも防衛費は実際に軍事費だから「軍事費」と呼んだところでその本質は変わらないから、これは「軍事」という言葉を嫌がる層に対しての意図的な戦略なのだろう)「大軍拡反対!大軍拡反対!」と選挙カーや街頭演説で呼びかけ続けた。
そんなことで一般の人々の支持を得られるはずが無い。
この点は社民党も同じだ。欧州の社民党は必要な軍事力は認めているのに、日本の社民党は今だに日本共産党と同様に「大軍拡反対!」みたいな主張をしている。
もちろん俺も本当の「大軍拡」には反対だ。しかしロシアは日本の隣国であり、プーチンがウクライナ侵攻に埒があかずとち狂ったら北海道侵攻とか可能性ゼロじゃないだろう。可能性が低くても万が一に備えるのは地震対策でも同じことだ。
朝鮮民主主義人民共和国はミサイルを日本海に落としたり太平洋に落としたりしている。朝鮮民主主義人民共和国の標的は米帝であるが、同時に朝鮮民主主義人民共和国はその気になれば何時でも日本の東京や大阪や名古屋や、日本海沿岸の原発にミサイルを落とせるということだ。
イージスアショアを秋田と山口に置くのは実は米帝を守るためであったことは既に喝破されているが、我が国を朝鮮民主主義人民共和国から守るためには日本海にイージス艦を複数、交代しながら常駐させておくのが有効である。
そういう現実を理解せずに昔ながらの無防備平和主義に立脚して「大軍拡反対!大軍拡反対!」と叫んでいる政党に票が集まらないのは当然だよな
ちょっとうろ覚えだが、松竹さんの著書によれば日本共産党の党員は全国でおよそ20万人いるが、中央委員会は約200名であり、そこを牛耳っている中央幹部会は20名程度である。
有名な共産党員議員、党首の田村さんのほか、小池さんとかがいる訳だが、結局は20名程度の党幹部が決めた方針や政策を20万人近い党員たちが「赤旗」を通じて学習し、忖度して礼賛するのが日本共産党であり、慣例に反して「党首選挙を行うべき」と主張した松竹さんは袋叩きにあって除名された。
この経緯から推察されるのは、日本共産党もソ連共産党や中国共産党と同じ全体主義・スターリニズムの傾向が濃厚に残っているということである。
マルクス・エンゲルス式の共産主義社会が実現できなそうであることも現代では知れ渡っている。
「共産党宣言」で書かれたような、「個人の自由な発展が、そのまま社会の発展となるような、完全に自由な個人の集まりであるような社会」が実現するならもちろん素晴らしいが、マルクス・エンゲルス式の方法ではそれは実現できないことがもはや明らかとなっている。
エンゲルスは生産手段の社会化によって共産主義社会が実現したなら国家は自然と死滅し、人々は法律がなくとも自然と調和し労働に勤しみ犯罪もなくなるであろうと説いた。
しかし釈迦は紀元前に、人間は煩悩に塗れた存在であることを指摘している。他人より楽をしたい、他人より上の立場になって威張りたい、他人から承認され賞賛されたい、という欲求は修行によって悟りを開かなければ消えないだろう。
凡夫たる人民が修行もせずに煩悩を消し去ることは不可能であり、「生産手段の社会化」によって資本主義が消え去ったとしても、犯罪や不正が無くなることはあり得ず、法律と、それを執行する国家が消えることはあり得ないことは現代の人間にとっては自明である。
マックス・ヴェーバーは「生産手段の社会化」自体が極めて困難であることを指摘しているし、それが単なる「共産主義国家による国有化」であれば結果的に国家により権力が集中するであろうし、そうでない場合でも、生産を管理する団体の官僚に権力が集中し、資本主義よりもより強大な官僚権力による支配が起きるであろうことを既に20世紀初頭に予見していた。
そして現実に、マルクス・エンゲルス式の共産主義を目指した国家は大半は全体主義国家へと変容していった。
日本共産党はいまだにマルクス、エンゲンルス、レーニンに基づいた理想の共産主義国家を目指しているが、それが不可能なことは明白である。そんな政党に投票しようとする人が減っていくのは当然である。
完全なる自爆だよな。
バレないように悪事を働くという政治家として当たり前のスキルもない無能な味方をスッパリと切り捨てなかったのが悪い。
国政という舞台をくだらん親分子分ごっこをする場所だと勘違いしたのが全ての間違いだった。
アベがそれを可能にしたのは強烈なバックボーンから産まれる財力と権力があったからであって、それを持ってない奴らのおままごとでは意味がない。
この後に及んで堂々と事務所に金を送りつけて開き直れるという公算自体が甘ったれとも言える。
やるんだったらもっと徹底して裏から個人に金を渡すべきだったのに。
それを知らん顔されたりバラされた時に割り切れないぐらいなら一切何もするべきではなかった。
確証性バイアスに振り回された前例踏襲主義をやるような官僚じみた政治家なんぞになんの価値があるのかという話だ。
官僚に出来ないことをやるのが政治家の役目だということが分からないらしい。
それもこれもアベノムラ社会の中でアベに奉仕することを目的とするシステムに飲まれたのが問題だった。
政治家はそれじゃいけない。
ボス猿の群れでなければ。
高度に組織化されたことで政治家それぞれが自分たちの持つボス猿性を失いただの働き蜂に堕した。
その結果がこの敗北なんだよな。
ルビンスキーと言うかヤンの政治家嫌いに影響され過ぎてたが、ようやくこれは?!と思った候補は何の実績も見せてくれない
https://www.suzukihayato.jp/blog
選挙カーうるさくて仕事の邪魔してくる。名前連呼するだけで意味が無い事で必要十分と見下されてるのが耐えられない。
どうせ誰に入れても組織票で決まってる
20時に確定で集計すらされないで決まる。
どうせパフォーマンスしかしない人達でしょう?官僚様が決めて、体裁だけの審議、それもどうでもいい内容ばかりじゃあないか
昔、農水大臣の事務所でバイトしたが、ろくに仕事してないで業界の人と呑み会ばかり
なんで毎回こんな無力感を味あわせてくるの?
一太郎職人の朝は早い。霞が関のオフィスに朝日が差し込む前、既に彼らはパソコンの前に座り、一太郎の画面と向き合っている。「Ctrl+C」ではなく、謎めいたショートカットキーが指に馴染むまで、幾度となく反復練習を重ねた結果だ。若手官僚たちは「ワードがあれば十分だろう?」と思いながらこの職人芸の道に入るが、彼らを待っているのは表の枠線との果てしない闘いである。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2382M0T20C24A8000000/
「0.5行ずらすか、いや、もう少し微調整か…」と、表の位置をわずかに動かすその姿は、まるで茶道のような静かな緊張感に包まれている。ページをまたいだ表の枠線がずれた瞬間、職人たちは無言でため息をつき、また最初からやり直す。やはり「一太郎」は一筋縄ではいかない。新人官僚が「ググっても答えが出ない!」と嘆く声も、もはやこの職場では日常茶飯事だ。
だが、そんな彼らを支えるのが「一太郎職人組合」。ベテランが蓄積したノウハウを若手に伝授するこの集まりでは、「Ctrl+Aは敵だ」といった、世間では到底理解されない禁じ手も共有される。表を作る秘伝の技やショートカットキーの裏技が飛び交う座談会は、まるで武道の道場のような緊張感を帯びている。
そう、霞が関では、一太郎を制する者が法案を制する。国家の未来は彼らの細やかな表の調整にかかっているのかもしれない。
first published at https://note.com/retail_dx/n/n1bf91289ab5a
俺はマーチと呼ばれる大学の文系学部に1年通って合わなくて辞めて、いわゆる駅弁と呼ばれる国立大に入り直して楽しく卒業できた。
メディアの言説だと卒業生の数やマーケティングの影響で都市部の私大が素晴らしいとなっているが俺にとってはそんな事は無かった。
俺は今で言う陰キャでウェーイ系のノリが苦手だった。大人しめのサークルに入ったが、都内の上流家庭か毎月家賃10万+仕送り10万もらってる地方豪族の末裔みたいな子が多くて、金銭感覚が合わなくて無理だった。
大学は学問する所と勘違いしていたが、都内の私大文系で勉強してるのは士業と官僚目指してる人だけ。ガリ勉ダサいみたいな風潮も有った。