はてなキーワード: 冠婚葬祭とは
結婚式?
なんで祝わなきゃいけないんだよ。
大体結婚がめでたいなんて誰が決めたんだよ。
なのになんでおめでとうおめでとう言わなきゃなんねーのか。あほくさ。
私も結婚した時におめでとうとか言われたけど、めでたいかどうかなんてうん十年たたないとわかりもしないのに、安易に言ってこられて馬鹿じゃないかって思ったわ。
葬式?
これもホントアホくさい。
人間死んだら肉の塊、さっさと鉄板の上で焼いてカルシウムの塊にして土に埋めとけよ。
親の葬式はでろ?
親はできれば看取れ?
できればおみまいにいけ?
お見舞い行けば治るわけじゃない。私医者じゃないし。
看取ろうとしたら死なないわけじゃない。私不老不死の薬とか持ってないし。
葬式?最もバカバカしい。線香あげたら生き返んの?死んでるじゃん、それ。私復活の呪文とか唱えられないし。
みんな心の中ではわかってるんでしょ?
やる価値ないって。
あー主語は娘ね
それをふつうはお母さんが買ってあげるのだけど
そういう、高くてよいものをお父さんが買ってあげたらいいって言ってるわけ
数ヶ月前、産院で取り違えられ、数十年ぶりに本当の家族と再会を果たしたと言うニュースがあった。
自分も「お前は橋の下で拾った」という言葉を一時期本当に信じてしまっていた。
実際には血はつながっているのは確かなのだが(骨や目の形が父親そっくり)、実際色々な考えや価値観が違う。
というか取扱が他のきょうだいと違う。
幾つか決定的なことがあり、早く家をでようと思った。
幸い勉強を続けられる環境にあったし、金については問題なかった。
「そこに合格したら行かないのはもったいないし、通うには家を出る必要がある」大学に合格した。
家を出たらほっとした。
緊張しなくていい人生は素晴らしい。
大学卒業しても、実家の近くには就職せず、都合半分近くは海外で過ごしている。
大学に入ってから、平均して2,3年に1度しか家族に会っていない。
冠婚葬祭は付き合う、孫も見せる、それだけと割り切っている。
この程度なら実害はほとんどない。
うまく接することができるのか、不安だった。
ところが出来たらそんな不安どころじゃなく、「わー」「ぎゃー」っとやっているうちに、
今でも、出来る限り寝かしつけるときに本を読んであげている。
子供は半分話を聞いて、半分はおしゃべりをしている。幸せそうにしてくれている。
そういう時間が最高に幸せだ。ああ、こういうのが欲しかったんだと思う。
多分母は父のことが好きでなく、本当は、今は先生としてやっている木工をもっと前から本格的にやりたかったんだろう、と思う。
姉たちの手がかからなくなって、再開しようとした先にでできてしまったのが自分。
また、父にしてみれば「跡継ぎ」が欲しかったのだがその期待を破り(でもいったい何を継ぐのだろう?)、
姉たちにとっては両親、特に母親の手をかけさせる「悪い子」だったのだろう。
・・・そう考えるといろいろなことが全てつじつまがつくと気付いたのは本当につい最近のことだ。
子供に「おいしい?」と聞き、「おいしい」と帰ってくる。
「寒いねえ」「暑いねえ」と言って、服を一緒に着たり、脱いだりする。
そろそろ初期の反抗期の傾向もでてきた。自分もそろそろだろうね、と自然に思える。
ああ、こういうものだったんだね、とつくづく思う。
当方30代前半。どうでもいいことかもしれないが、先日同級生の結婚式で驚いたことがあった。
それは小さい子供を抱きしめたりじゃれあったりする同級生が多かったということ。皆10年位ぶりに会ったので、小さい子供と接する同級生の姿なんて初めて見たが、こんなベタベタ触れ合うのかとちょっとビックリしてしまった。
出席してた同級生は皆高卒で働いてすぐに結婚し、子供もいる。大卒で独身は俺一人だけだった。
俺は子供の頃に親にも抱きしめられた記憶が無い。じゃれあいなんかほとんど無くて一人でいることが多かった。特に結婚式なんかの冠婚葬祭の場ではしつけが厳しくて、ちょっとでもはしゃごうものなら黙ってじっとしてなさい!とよく怒られたものだった。
みんな結婚式の場なのに自由気ままに走り回る子供をとがめたり怒鳴ったりすること無く、ネコの集まりみたいに子供をひっつかんでギュッと抱きしめたり、撫でたり、優しく話しかけたりしていた。
私は10年以上前に転売から始めた簡単な会社を作った。良いときも悪いときもあったが
特に辞めたいと思ったことはない程度に順調に進んできた。
そんななかで、起業したというエントリーをよく目にするわけだが、その方たちの書く内容の意識の高さに驚く。
自分を高めるために読書に勤しんだり、人脈を作ることに躍起になったり、信念や物づくりに孤軍奮闘する。
私はというと基本的には右から左に流すことで金銭を得て、その金を元に投資で増やしてきた。
投資の勉強もシミュレーションと書籍を利用しただけだ。特に目新しいことはやっていないし
33歳になった今、一生遊んで暮らせるほどの大金は得た。だが、中身は18歳くらいから全く変わっていないわけだ。
なんとなく大人の振る舞いはできるが、いろんなエントリーに見られるような意識の高さは全く持ちあわせていない。
冠婚葬祭のルールなんてほとんどわからないし見よう見まねでやり過ごしている。
ネットの熱心な記事を目にするたびに自分だけが子供のままなのだと思い知らされる。
これからも漫画やテレビのバラエティ番組を見て腹を抱えて笑いながら
10数人の中高年に指示を出して金銭を得るだけだ。大人になんてなれない。
私は、もうすぐ結婚する。相手の女性は田舎の出身でのんびり、おだやかな人だ。
そのうえ物欲があまりなくネットにも疎い。意識高い系とは無縁の人だ。
いつか生まれてくる子供も意識高い人生とは無縁の道を進むのかもしれない。
リスク、メリット・・いろいろ教えてあげなければならないのだろうが、逆に私が教えてほしいくらいだ。
ごめんな、将来の子供よ・・。
ああ、しんどそーだな。
私も男は好きだけど、スカート違和感だし。化粧すりゃ女装してる気がして気持ち悪いし、ヒールも拷問でしかないし。
開き直るまで、あーだこだ言われたけど、今は化粧は冠婚葬祭だけ、好きな服装してるし、海外にも一人でどんどん行く。
女らしくしろとメチャ叩かれるし、実際、危険もデカイけど、今の日本社会じゃ、女の方が「男装」やりやすいんだろうな。
ひとりで甘い物食べてる男子見るの、個人的に大好きなんだけど、気になるなら、スイーツ友達、作れないかな。
一緒に気軽に甘い物食べに行ったりできる女友達。仕事のしやすい同僚か学生時代の友人にいないかなあ?
(男の可愛らしさを嗤うヤツなんかいたら、何度でも呪われればいいんだ!)
でなけりゃ、相撲の芝田山親方みたいに、スイーツブログをやってます!ってお菓子研究グルメを装ってみるとか?
……そういうことじゃないか。
男子を女装コスプレさせたい女子も、フェミニンな男子大好きな女も、実は沢山いるんだけど、まあ……<普通>がいいんだよね、きっと。
でも、無理しても、いや一人で無理は出来るけど、無理した自分を好きになる異性を愛するのもしんどいよー。
わかってると思うけど、一度の人生、好きなことやってくれ!
言いたいことすごい分かるよ。私もそうだった。
それでも、どうしても一生一人なのは寂しすぎるから、超頑張った。
そしたら良い人できたんだよ。嘘みたいでしょ?
他の人の婚活体験談って参考になるんだけど、みんな身バレが怖いのか参考になる情報が意外と少ない。。
・冠婚葬祭@2ch掲示板 http://wc2014.2ch.net/sousai/
・アメブロの婚活ランキング(※ほぼ女性) http://ranking.ameba.jp/gr_konkatsu
・婚活体験談の口コミサイト「Conshare」 http://conshare.net/
・婚活 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/topic/1HipD
増田の皆さんが知っている、婚活に参考になるサイトがあれば教えてよ。
ホッテントリーで婚活に関する話題を見たことがないので、そもそも増田の皆さんにとって興味ない話題なのかもしれないけど…。
よろしくお願いいたします m(_ _)m
1冊だけ薦めるなら「100万円超えの高級時計を買う男ってバカなの? 」って漫画がオススメ。安いし。
機械式腕時計のうんちくを学びながら、何故に高くなるのかが読めて楽しいよ。
(100万円超えに限らず、機械式腕時計全般の理解が進むと思う)
車好きなら、腕時計も車と靴の間くらいのイメージで選ぶと良いよ。
例えば、いくら車好きでも、営業先にレクサスで乗り付けないでしょ。感じ悪く無い?
逆に、保険の営業に軽自動車で回っても馬鹿にはされないけど、デートに軽トラでは行かなくない?
とは言え、ポルシェで葬式に乗り付けても、そこまで非礼では無い、くらいの感じ。
で、車と同じで時計もメンテが居るんだけど、部品点数とか耐久性で違いがあって、
この順番で、メンテが頻繁になって、オーバーホールが必要になる。
ざっくりクォーツデジタルなら2~5年に一回電池交換、10年に一度修理で使えるけど、
機械式アナログだと、3~5年でメンテ、10年に一度はオーバーホール必要な感じ。
(ソーラー電波みたいのでも、二次電池って充電池が10年位でヘタる)
なので、初心者が腕時計を買うなら、TPOに合わせて好きなのを買うと良いよ。
できればクォーツアナログで、盤面は白か青か黒系、ステンレスケース、メタルバンド。
2本目は、同じくクォーツアナログで、盤面白系、黒か茶の革ベルト。
冠婚葬祭時には革ベルトしていけば、後はまあ気分でどっちをつけてても大丈夫だよ。
セイコー、シチズン、カシオなんかは、丁寧に探すと、激安(5000円以下)で、まあまあ普通に見えるやつある。
(ソーラーとか電波とかついてなくてその値段ね。なお、頑丈で安い実用時計なら現状ほぼG-SHOCK一択)
機械式腕時計が良いんだ!だったら、国産で5万前後の探すのが良いと思うなあ。質感も満足できるレベルであるよ。
気持ちはわかる。自分も、全くそう感じない訳じゃない。だけど、我々が「これが普通」と思っている冠婚葬祭の作法、儀式、もちろん墓の形式なんかを含めて、歴史から断絶された、一時の流行でしかないのも、また事実なんだよ。もしかしたら、これが定着するかも知れない。
斎藤 美奈子の冠婚葬祭のひみつ って本にも、そのへん色々書いてあって面白いからお勧めだけど。買う必要は無い。図書館で借りて読めばいいよ。途中から著者の専門で著者にとっては本題であるフェミニズムの話になって、ウンザリさせられるしね。ただ、途中まではすごく面白いから。
http://anond.hatelabo.jp/20150330001506
http://anond.hatelabo.jp/20150330162001
という反論を書いた増田がいるわけだが。うーん、なんかめんどくさい。僕は最初の記事に割と近い考えを持っている。反論の方は「真の無宗教とはなんぞや、本当に宗教や信仰を知れば選ぶのは難しくない」と言って批判してるわけだけど、それはどうだろう。
増田Aのような考えはそもそも宗教は人間の発明であるという前提がある。歴史上幾多の宗教があり、それらは神の性格も教義もバラバラである。つまり世界そのものや、人間の存在、理不尽な運命などを説明し、安心するために人が創りだしたものであろうと考える。もちろんそれこそ死の恐怖などに対しても多くの宗教は解決策、あるいは恐怖を幾らかでもやわらげる答えを出している。従ってそれらを「信仰」すれば死の恐怖を和らげることはできるだろうことは無宗教の人間にも理解できる。しかしそのためには、本当にその答えが正しいと信じなければならない。
「昔の人が考えた事で、なんの証拠もないけど死んだらあの世に行けるってよ」とか「昔の人が考えたことで何の証拠もないけど死んだら生まれ変われるってよ」と考えたとしてもそれは信仰たりえず、死の恐怖を和らげることもできないだろう。
もちろん、強い意志で「昔の人が考えた根拠ない仮説ではない!真実だ!」と思い込むことが可能なら真の信仰に辿り着けるのかもしれないが、それは増田Aにも僕にも無理だと思う。
初詣や冠婚葬祭で宗教の手を借りるのは、まるで信じていなくても別にできるし、例えば特定宗教の聖域でしてはいけないことなどは、信じてる人をいたずらに刺激しても何もいいことはないと思うのでやらない。盆に墓参りをするのは親や親戚に対して喧嘩売りたくはないからで、手を合わせている時も別に南無阿弥陀仏と唱えれば死者が成仏するともなんとも思ってはいない。こういうのはたとえ寺の檀家の人間であってもシンプルに無宗教と言ってもいいのではないだろうか。
無宗教者にとって死とは文字通り自分の消滅でしかないので、これを恐怖するかどうかはその人次第としか言い様がない。人が死を恐れるのは、自分の死というものが、思考上どこまで近づいても超えられない壁の向こうにあるからだ。必死に死について考えている自分、自分という存在、思考し行動するモノが、死というものをまたぐと永遠に存在しなくなる。考えれば考えるほど「永久に考えない状態」が怖くなるのだろう。
でも実は「見も聞きも考えもしない状態」を人間はほとんど毎日経験している。寝るとき人は意識を失う。眠りが深くなれば夢も見ない。その状態を恐れる人はあまりいない。睡眠中に突然死する人も結構いるが、そういう人も寝るときに恐怖に震えたわけではあるまい。ということは、死というのは当人にとって、眠りから目覚めないこととあんまし変わらないのだと思う。もちろん「永遠に目覚めない眠り」というのも怖いと思う気持ちはあるだろうが、「いつものアレと意識の有り様は変わらない」と思えばそう怖がる必要もないんじゃないかなあ。通常の眠りでも、眠ってしまった後は起きるか起きないか心配する「意識」「自我」は機能しなくなるわけだし。死ぬのも寝るのも似たようなものだと思う。
そう思うようになって、僕は「死ぬ前にエロ動画フォルダを処分しなければ」みたいなことも考えなくていいと思うようになった。死後それがバレて家族に軽蔑されたり、よしんば世間に公表されてより多くの人の笑いものになったりした所で、それが「僕にとって問題になる」ためには僕が存在していないといけない。恥じたり怒ったりする自分がその時もういないのなら、どーでもいいことだ。