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2016-12-21

ブリン・フリストフ・ペトコフ(ブルガリア語: Добрин Христов Петков, ラテン文字転写例: Dobrin Khristov Petkov, 1923年8月24日 - 1987年2月10日)は、ドイツ出身ブルガリアを中心に活躍した指揮者ヴァイオリニスト

2016-02-15

おっさん流行りのゲームをやってみた結果

当方アラフォーおっさん

ゲーム好きが多そうなインターネット関連の仕事をしているが、社会人になってから自分ではほとんどテレビゲームには触れていない。今となっては、子供たちがたまに遊んでいるのを眺める程度のものだ。

そんな俺だけど、最近、ひどいソシャゲ課金問題ニュースになったり、実況動画ユーチューバー扇動されるキッズたちがそんなゲームにハマっていたり、息子の3DS発狂して叩き割るヴァイオリニストがいたり、そういうニュースを見て大人が眉を顰めていたりするのを見て、そういうのはものづくりとしてなんか残念だなぁって思い、ふと思い立ってこれを書いている。

俺は本当は元々ゲームが大好きだった。どうしようもなく好きだった。たぶんここでマニアを名乗れるほどでは無いけれど、ファミコン世代ど真ん中で、小学生時代任天堂に憧れ、ファミコンディスクシステムに埋もれて育った。反抗期メガドライブで道を踏み外し、幾多の良ゲークソゲーにまみれてサターン遊んだ(結局スーファミプレステも持ってたけど)。この世代によくいるエンジニアの例に漏れず、ゲーム好きをこじらせた結果、IT関連の仕事に進んだ。

社会人になってからは大好きなゲームで遊ぶ機会は徐々に減り、いつしかまったく触れることも無くなった。

興味が無かったわけじゃないけれど、ネットWebコミュニティ関連の仕事をしていたら、やたら忙しくて使える時間は限られたものになり、そのうち自分の家庭を持つようになり、結果として一見何も生産されない(ように感じる)ゲームにひとりで貴重な時間を費やすのは勿体無いと割りきって考えるようになったのだ。

仕事でもプライベートでも、どうせディスプレイに向かうのなら何か成果物を残せるか、実際に人との繋がりを作れる仕組みに力を入れようと考えるようになった。それはクラシックホームページだったりECサイトだったり、ブログだったりSNSだったりしたのだけれど、いずれにしても「俺たちのインターネット」は今までと違う新しい世界を作るんだ、という気概のようなもの勝手に持っていたような気がする。つまりゲームを作る側でも無い普通人間にとって、「ゲームで遊ぶ」という行為クリエイティブな行動とは考えなかったのだと思う。

そのうち自分の子も大きくなり、人並みにDSWiiで遊ぶようになった。

でも、うちの子たちがそこまでゲームに熱中しているほうでもなく、妻がゲーム嫌いなこともあって、それほど家庭の中でゲーム話題になることはなかった。俺自身Wiiを見たときに、すごいユーザフレンドリーで簡単に遊べて任天堂はすごいなーって思ったり、子供たちとちょっと遊んだスマブラ面白いなーと感じたりしたことはあったけれど、基本的には世代を超えてマリオに親しむ子供たちの姿を見て微笑ましく思ったり、良い物は良いねって言ってみたり、つまりは親として、第三者的感想を述べるという以上に自分自身がのめり込むような体験が再来するようなことはなく、ああ、やっぱり自分少年の頃感じたあの感動や興奮は、あの時期特有のものだったんだろうなあ、子供たちが今のゲームに同じように感じることはあったとしても、自分自身がもう一度あの感覚体験することは無いんだろうなあ、などと悟ったようなことをちょっと寂しく勝手に考えていた。

我が家はそんな、ゲームにそれほど熱くなっていない一家なので、最新のゲーム機ゲームがすぐ家にやってくるというようなこともなく、WiiUも発売から3年経ってようやく我が家にやってきた。息子のクリスマスプレゼントということで、義母が買って送ってくれたのだ。正直随分とリッチクリスマスプレゼントだと思う。

その半年ほど前、なんかイカがインクを塗るゲームが発売されて話題になっているということは知っていた。俺はホッテントリにそのゲームがしばしば上がるのを面白そうだなーと思いながら眺めていたし、息子もそれが欲しかったのだろうということはなんとなくわかった。

かくして、流行から半年ちょっと遅れて我が家にもWiiUとイカのゲームがやってきたのである

すっかりゲームに興味が薄れてしまったおやじである俺は、息子が喜び勇んでイカのゲームで遊ぶのを温かい目で後で眺めていた。とても面白そうだった。

一台のWiiUでは基本的にはひとりずつしか遊べないので、パパにやらせろよと言うでもなく、オシャレでいいなこれ、っていう程度のことを思っていた。

その穏やかな認識が一変するのは、その一週間後の大晦日のことだった。

12月31日仕事やら親戚の都合やらなんやらで予定が合わず、年越しは妻と子供たちだけが実家に帰り、俺はひとり寂しく自宅に帰って新年を迎えることになった。やり残した掃除を済ませて一息つき、ひとりで年末番組を見る気にもならずビールを飲んでだらだらしていたが、すぐ退屈になってしまった。そこで、なんとなく一週間前にやってきたWiiUの電源を入れ、自分ID登録して息子が遊んでいるイカのゲームをやってみたのだ。

ほうほうどれどれ、操作は複雑そうだが簡単に覚えられそうだ、とりあえずバトルに参加してみるか、しかしこれ音楽カッケーな、と……

かくしてイカを操作し始めた俺は、すぐにとんでもない衝撃を受けることになる。なんせ、俺はゲーム体験歴史が軽く15年は飛んでいる老帰還兵なのだ

操作に慣れるまでのタイムは僅か0.05秒にすぎない、とまではイカないが、少なくとも開始30秒後には俺はなんかすごいものに触っているぞという気になりはじめ、思った方向に画面が動き、自分が向いた方に画面が回り、目の前の画面に映るイカが自分と一体化した気分になり、それを気持ちいいと感じるまでに実に1分もかからなかった。大げさでなく、これはすごいことだ。ものすごいUIだ。

正直、まるでダイナモローラーで全力でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。

なんだこれは。

気持ち良すぎる。楽しすぎる。

気が付くと、がむしゃらにわけもわからインクを塗っているだけであっという間に1ゲーム終わっていた。

一体、なんなんだこれは……!!

何も考えず次のバトルに参加し、無我夢中インクを塗った。

3戦、4戦と繰り返しあっという間に30分くらい過ぎてしまった。

なんだか涙が出てきた。ていうか、恥ずかしいことにおっさんの俺はひとりでゲームをやりながらボロボロと涙が止まらなくなってしまった。

別に大晦日にひとりでゲームをやっていたのが虚しくて涙が出てきたわけじゃなかった。自由に軽快に動くイカのキャラを見て、夢中で空間を走り回っていたら、子供の頃、家にやってきたファミコンで初めてスーパーマリオを動かしてまるで自分の思いのままにマリオが走ったときの感動や、自分お年玉を貯めて買った発売されたてのメガドラ似非3Dのスペハリ2がぬるぬる動くところを見たときのことや、ゲーセンで「自分の思うままに3D対戦できるゲーム現実になるなんて!」とバーチャロン100円玉を積んだ思い出なんかが次々蘇ってきた。

とんでもないものを作る人がいる。

任天堂はすごい。このゲームを作った人達はすごい。

素直に尊敬するしかない。すごいものを作るなあ、と。

そうだ、楽しいゲームプレイしたとき体験と感動っていうのはこういうものだ。ありがとう、それを思い出したし、世界過去より進化している。

未来だ。これは未来だ。

かつて夢に見た未来がここにある、そんなことを思った。

だってフィールドを思い通りに走り回り、リアル人間同士がスポーツのように対戦でき、公平で、平等で、みんなが活躍できる。

去年の5月から遊んでいる人達にとっては超今さらな話なんだと思うけど、これってとんでもないデザインじゃなイカ

俺は止まった時間から未来たる現代に帰還したのだ。

良かった、どうやら俺が枯れてしまったわけではなかったようだ。だってゲームで遊んで猛烈に感動したもの。良い物は良い、ていうのはこういうことを言うんだろう。

気が付くと、外は元旦の日が昇っていた。

信じられないことに、どハマりしすぎて正月になってしまったのだ。その時にはその日フク屋にあったギアは全部買い、その時持っていたギアの中で一番イカす組み合わせをコーディネートする程度にはインクの沼に溺れきっていた。ちょっと妻と子供たちには言えないが、ひどい年明けだけどどうしてなかなか気持ち良かった。

大人も子供もおねーさんも同じように熱中するのもよく分かる。

すさまじいゲームバランス運営で成り立っている世界だ。幾多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦のスナイパーみたいなマニアと、たかしくん5歳(推定)やさくらちゃん4歳(推定)が同じ世界の上で楽しくワイワイとインクを塗って遊んでいるのだ。よくできたレベルごとのマッチングもあるにせよ、殺イカ鬼みたいなプレーヤー前線で戦っている後方で、たかしくん5歳(推定)がコロコロローラーでインクを塗って喜んでいるフィールド。みんなそれぞれ楽しい世界だ。任天堂からできるっていうことはあるにせよ、ゲームで楽しませるんだ、新しい世界を見せるんだという思いがビシバシと伝わってくる。ガチャですり減るばかりのソシャゲのようなものとは本質的に違う。すごいゲームを作るものだと感心しながら家族の待つ実家に向かった。1月1日、俺の頭の中はカラフルインクでいっぱいで、なぜだか不思議クリエイティブな気分だった。

ところで、上の方にインターネットに関わる仕事をしていると書いたけど、もはや「俺たちのインターネット」的なコミュニケーション特別な思いを抱く時代では無いんだなあ、っていうことを改めてしみじみと思った。

普段仕事でわりと年配の方も使うWebサービスに関わっているんだけど、残念ながら2016年現在の今なお、インターネット特別もの得体の知れない不穏なもの敬遠する層があり、そういう世界がある。世代ギャップだけの問題だけではなく、サービスの内容にもよって向き不向きもある。流通業なんかだと、いまだに「リアルネットの戦い」だとか、「紙媒体Webメディア二項対立」なんていうものがあり、「オムニチャネル」なんていう言葉が持て囃されたりする。

仕方ないんだけど相変わらず、クラシックな層に対して「インターネットの普及」を懸命にやらなければならなかったりする(だいたいインフラの話とアプリケーションの話がごっちゃになっている)。正直ウンザリすることもあるけれど、それが現実だと受け止めている。

しかし一方で、イカのゲームで遊ぶ子供たちを見てつくづく考えさせられるのは、もはやこの世界で成長して大人になっていく今の子供たちにとってはインターネットがそこにあるかどうかなんてことは考えることすら無いし、我々が90年代後半から00年台にかけて見てきたような「俺たちのインターネット」としてネットの場を特別視するようなことも無いのだ。彼らにとって、ネット電気水道と同じようにあたりまえにそこにあって、ゲームをやろうとスイッチを入れれば、仲間や対戦相手が生身の人間であることがあたりまえなのだ

既に、テレビゲームで遊んでいてそれがリアルバーチャルかなんていう議論ももうあまり意味が無いんだろうなあ。それはバーチャルな場を使用したリアルであって、線引き自体がよくわからない。近い将来親になる世代に対してはネットは「普及」するものですらなく、このコミュニケーションスタート地点ですらある世界がいよいよ本当にやってくるのだ。

思うがままに書いたけど、たぶん、ずっとゲームをやり続けてきた人から見たら何年も前から当然のようなことなのかもしれないね

対人で対戦できるFPSTPSだってオンラインRPGだって20年くらい前にはあったし、上に書いたようなネットゲーム体験それからずっと培われてきた技術によって成り立っているんだろうなって思った。

でも、そうやって新しい物好きやマニアの層が開拓してきた技術経験がいよいよ一般層にまで展開されて、子供たちが何も考えずにその世界の上で育っていくという現実に、なんだかもううかうかしてられない危機感と楽しみみたいなものを感じずにはいられない今日この頃

任天堂さんありがとうございます。教えてくれたはてなーのみんなもありがとうスプラトゥーン面白いです。

2015-11-07

テンション高い人(ミュージシャン)たち

たまにはがっつりハイテンション音楽もってことで。



Pharoah Sanders - Africa - You've Got to Have Freedom

https://www.youtube.com/watch?v=bV5ObaaQCV0

歪んだ音で突き抜けたブロウを繰り返すテーマもつファラオの超有名曲Journey To The One に入ってる方より この africa に入ってるほうが断然ハイテンション。ただ、この曲は他のアルバム収録もあるらしい。おれはファラオオタじゃないので、Journey~ と africa のバージョンしか知らない。ゴメン。突き抜けたテーマに対して、ジョン・ヒックスピアノが負けてないところが素晴らしい。

いまさらこんな超有名曲を取り上げなくてもと思ったんだけど、クラブジャズのキラーチューンとしてこの曲が持ち上げられたのもだいぶ過去の話になりつつあり、良い曲は何度でも取り上げられて良いと思うので。




Brian Blade - Solo

https://www.youtube.com/watch?v=8VdtC9WhnCg

人類史上最も進化した個体ブライアン・ブレイドジョシュアの曲におけるソロ

もう、何度見ても笑う(ほめてます)。おかしいだろ(ほめてます)。あり得ない(ほめてます)。

この人は基本的にかなり内向的ドラムを叩く人だと思うんだけど、その内向きのエネルギーが積みあがって行ってあふれ出た時に、誰も見たことのない新しい世界が創出されたのがこのソロなんだろうと思う。

曲の本編はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=1ICJUFOJa2g





OCEANUS - RALPH TOWNER(SOLISTICE) Saxophone: JAN GARBAREΚ.

https://www.youtube.com/watch?v=AG5zs4Xd_kg

テンション高いと一言で言っても、外向きにガーっと行く高さと、張り詰めた静的なテンションの高さがあると思うんだけど、この曲は後者ecm の重鎮、ラルフ・タウナーの74年(75?)の作品、SOLISTICE のオープニングとなった曲。

このアルバム名盤中の名盤なので、上記の曲以外もぜひ聴いてほしいです。

この曲はヨン・クリステンセンドラムが主役。張り詰めたリズムを刻み続けるライドと、その合間に散文的に入るキックスネアにドキドします。これだけ人をつかんで離さなドラムはなかなか無いと思う。12弦に続いてライドフェイドインしてくるところで胸をつかんでうずくまりたい感覚になります。曲は上がったり下がったりしますが、張り詰めたドラム最初から最後まで貫かれていて、その集中力というかひたむきな在り様に胸を打たれますドラム以外の楽器の素晴らしさも言うまでもなく。





13th International Henryk Wieniawski Violin Competition - 2006 - Gala Concert

https://www.youtube.com/watch?v=RPb1X6Rqd40#t=54m

まさかクラシック日本人ヴァイオリニスト鈴木愛理2006コンクールでの演奏(と言っても評価後のエキシビジョンらしい)。

尋常じゃない集中力熱量オーバークロックオーバークロックを重ねた CPU みたいな状態(機械的って意味じゃないよ!)。

クラシック全然知らないおれ(この曲が誰の曲なのかもわからない)が、最初の1フレーズでつかまれ最後まで目(耳)を離せなかった。何度見てもドキドします。

クラシックを見に行ったことが無いんだけど、10回行って1回このレベル演奏が聴けるならクラシックコンサートに通うのも良いなあ。

2013-05-28

女王様楽器関係

楽器王様ピアノなら、楽器女王ヴァイオリンと、昔から言われてきた。

しか楽器女王なら、弾く方だって女王様だったりする。

即ち幼少の頃から人生の一部としてヴァイオリンに打ち込んでいる人は、プロアマわず我侭キャラなのだ

少なくとも自分も含め、知り合いのヴァイオリン弾きは全員そうだ。


具体例を出そう。

例えば合奏練習で自分以外の奏者の音程について指摘する時。

ヴァイオリン奏者だったら最大限丁寧な言い方でも「そこ音程悪いですね」と大概に横柄だし、相手が目下だと「音全然違うじゃん何調だよ」となり、挙句ちょっとそれ何とかしてくれる?」と非難混じりがデフォだったり。

これがヴィオラだったら「んと・・・ちょっとそこの音程・・・」と非常に控え目だし、チェロだったら「そこの音程、確認のためにもう一回やろっか」と実にフレンドリーだったりするのだが、こういう対応ヴァイオリン弾きにはまず期待できない。

全くもって「お前何様のつもりだよ」と思われても仕方ない態度だが、そう反発されても「ヴァイオリニスト様ですが何か?」と平然と言ってのけるのがヴァイオリン弾きなのだ

もちろん、その台詞の裏に込められた「だってキミ下手なんだもん」というメッセージを隠すそぶりは皆無である


というわけで、何事も一番じゃないと気が済まないエエカッコしい人間に付き合う方は本当にお気の毒様という感じだが、なんでこうもヴァイオリン弾く人ばっかりが横柄になるのだろうか。

楽器人格を変えてしまうのか、元々そういう性格人間じゃないと投げ出さずに続けられない楽器なのか・・・謎だ。

2013-01-11

東大院卒就職率56%、はある意味、当たり前の話だということ

ホッテントリにこんなのが入ってた。

高学歴ワーキングプア問題・・・東大院卒就職率56%、京大院卒は非常勤講師ゴミ収集バイトを掛持ちしている現実

http://hamusoku.com/archives/7674931.html

学歴武器、どころか足かせとなった。名だたる大学院を出ても非正規雇用、あるいは無職となってしまう者たちが続々と生まれている。京都大学大学院博士号を取得したAさん。30代前半で他の大学の授業を週に2科目担当する非常勤講師だが、同時に毎朝の「ゴミ収集アルバイト」も続けている。生活を維持できないからだ。」

元ネタSAPIOだし、マジレスするのもあれなんだけど、当事者としては「当たり前の話じゃん」というのが感想

東大京大さら博士号なんだから、超高学歴じゃん」と人は言う。

 けれど、それは大きな誤解だ。日本企業における高学歴は「受験歴」、院卒で得られるのは「研究歴」なんだから受験歴っていうのは高校までのお勉強がそつなくこなせることの証明で、研究歴っていうのは問題を発見し、情報を集め、新しい知見を得る能力証明だ。終身雇用を前提とした日本企業が求めているのは前者だけ。読み書きソロバンの能力が高ければ、それでよし。あとは入社してから育てるから、というのが日本企業採用方針。というか社畜には「問題を発見し、情報を集め、新しい知見を得」たりされちゃ困るのかもしれない。

 研究者っていうのはある意味音楽家なんかに似ている。その分野でしか通用しないスキルをコツコツと磨き続けるという意味で。企業からしたら、大学卒業して何年も音楽活動だけに没頭していた人間を、普通の職種で採用する理由がないのと同じように、大学研究を続けていた人間採用する理由もないのである企業からみたら、そういう人たちは、無駄に年をとっているだけだ。

 たとえばヴァイオリニストが、オーケストラでの職を得るまでは、フリーターとして食いつないで行かなければいけないのと同じように、研究者だってごみ収集のバイトをしながらでも食いつないでいくしかない。博士号をとったらすぐ大学先生になれるかっていうと、そうではなくて「教歴」というもの必要になる。いわゆる「助教」のポストがどんどん経済的な理由で減らされている今、記事にあるみたいに、非常勤を掛け持ちして、バイトしながら「教歴」をつけていくしかない。学振とかの援助をもらえない場合ね。こういう、「博士をとって教歴をつけている途中の人」というのは統計上「無職」になるので、就職率56%というのは決して低い数字ではないと思う。(まあ、理系が押し上げているんだろうけど)

 「博士100人いる村」というのが出ていたけれど、「音大出のヴァイオリニスト100人いる村」でも似たような結果になるんじゃないか。16人がソリストになって、14人はオーケストラ就職、20人はバイオリン先生…といった具合に。ヴァイオリニストに対する社会需要は、もちろんないとは言えない。でも医師に対する需要よりはきっと少ない。研究者だっておなじくらい需要の少ないところで、戦わなきゃいけない。

 数年間、ワープアして耐え忍んで、その先に大学教授ポストがあればいいけど、運がなければ一生ワープアなので、どこまでしがみつくかは、とても慎重な判断を要するところだ。この0か100かっていう感じはすごいよね。ギャンブルのものだ。でも、まあそれは研究者に限った話ではなくて、音楽家でも、美術家でも、俳優でも、なんにせよ専門性をもとめられるプロフェッショナルになる場合には似たようなものなんだと思う。

 研究者っていうのはそれだけリスキーな商売で、社会からもそんなに必要とされていないんだっていう認識を、学生に持たせることは必要かもしれない。あとから「こんなはずじゃなかった」ってならないように。

2012-08-19

友人女性の育ちがいいんです家が金持ちですアピールがだんだんうざくなってきた。

すげーセレブなアピールじゃなくて、平均的リーマン家庭との微妙なラインで上から目線なんだよな。

たとえば「弟が16万のホルン彼女に貢いでたwww」みたいなのに

「16万のホルンwwww安いw ヴァイオリンもっとお金かかるからこの彼女ヴァイオリニストじゃなくてよかったねw」

「あーわたしもホルンやってればもっとお金のかからない女の子だっのになーヴァイオリンは成長に合わせて買い換えなきゃだし……」

自分楽器やってたんで、たぶんこれが初心者~中級者向けのやつだって分かるんだけど、なんだこのうざさ。わざわざ言って何が言いたいんだよ。

あとさりげなくホルンdisってんじゃねーぞごら

実家保守的金持ちアピールもしてるんだけど妙にしょぼい。その程度で何が言いたいんだって思う。

夏休みに一回アジア海外旅行したらそんなにすごいのか。プレミアムエコノミーにしたらそんなにすごいのか。なら俺もすごいんだな!やったねたえちゃん!

知り合いの金持ちは自前のヨット家族パーティーしてたりマイアミの別荘で犬と遊んでる様子をさらっとFBにあげるだけだぞ。

しかもたまに俺らも誘ってくれて一緒に楽しさをシェアしようぜ!って感じ。そいつは自慢だけで、いつも文句ばかり。

2009-11-24

ビジュアル系

こないだ、とあるヴァイオリニスト演奏TVで聞いた。

綺麗な人だなーとは思っていたけど、

この音ダメだなぁ、と思った。

力の入った右手で音が響かない。みんな殺してしまっている。

耳のいい知り合いに聞くと、「彼女は1曲すら音程きっちりまともに弾けないよ、ビジュアル系だよ」という。

セント以下の違いを的確に聞き分ける人なのでその通りなのだろうと思う。

音程のことは私にはまだわからないが、とりあえずあの音はないだろ・・・

そこらへんのアマチュアのほうが良く響くいい音出すのではと思う。

彼女はとても綺麗な人だし「今話題の」らしく、ぐぐるとたくさん出てくる。

それがみんな「美音!」のオンパレードなので、自分がおかしいのだろうか、みんな変だよ、と思う。

要するに、綺麗というだけで技量もすくない人が持て囃されるのが嫌なのだろうな、私は。

バイオリン裾野を広げる、クラシック人口を増やす、クラシックリスナーを増やすという意味では

いい人なんだと分かるんだけど、

でももっと音の素敵な人はたくさんいるのに、顔がいいというだけでCDが売れるのがおかしいと思うんだろうな。

なんでCDを顔で選ぶんだろ。みんな変だよ。

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