はてなキーワード: ラッキーとは
地方はUターンやIターンで帰ってきたエンジニアが中堅どころ。
この中堅は家庭の維持だけが大事なので上に上がる気もないし下を育てる気もない(自分のポジションが危ぶまれるから)
中堅はジュニアクラスのエンジニアに対しては「能力がないからジュニアクラス、一生それやってたら?」というスタンスであり、ジュニアクラスとかシニアクラスは流動性のあるポジションではなく身分固定制
上司にもそれを報告する。仕事ができてイケてる若者でも関係ない。
ちなみに上司も「若い人間に安く働いてもらえてラッキー、40ぐらいまでこの値段で働いてくれないかな(その後はクビ)。」ぐらいしか思ってない。
優秀な人間がいたらとりあえず上に上がってもらった方が仕事も多く受けられるし儲かるわけだが
地方の中堅エンジニアは現状維持だけが大事でそんなこと一切考えてないので
具体的に、詳細に、ありがとう。
一通りこのかたちで述べられるように言語化はしてある。
実際の選考では文字を読んでもらうのではなく口頭だから、非言語の部分を加味して何がどこまでどう伝わるか。
本当の部分での現職に対する不満や不安
とは、「新しく赴任してきた経営者や部門長の人柄や方針をどうしても好きになれない、理解できない」ことだけなので、正直転職理由としてはあまり相応しくないって自分でも思ってしまうところはあるが…嫌いな人間や苦手な人間なんて、どこに行っても必ずいるものだから。
(それでもなお「この人たちにはもうついていけない」と思うところがあるからこその転職検討だけど)
たぶん似たような年代で似たような業務経験ぽいけど、氷河期世代のバックオフィス系って手薄なとこが多いから、そんくらいの年代の似たような業務経験者を補充したいって需要あるみたいよ。
俺らみたいなビミョーな歳の転職活動って、書類通った時点でかなり好意的な評価してくれてるとこ多いよ。
経歴を膨らませ過ぎて「詳しく聞いてみたらこいつ全然ダメじゃん」てパターンと、あとライバルが単に自分より強かったパターンにハマらなければ意外とサクッと決まるよ(実体験)。
ちなみに私は40代男、バックオフィス系の経験はまあまああるし、現在もそういった役割が7割以上を占めるが、「一貫して○年間これ!!」というものがなく、色々やってはきたが、逆に色々やりすぎて何者にもなれなかった感満載、といった経歴。
転職回数は3回、経験者数は4社、特に根拠はなく主観だが「多い」のだろうな。
マネジメント経験もあるにはあるが、現在はマネジメントを少し離れており、特定の業務を単独で遂行または(後輩たちに対して)指導・監督するような立ち位置で、リーダーというよりもサブリーダーの立場だから、本格的なマネジメントはまだまだこれからといったところだし、業務内容も希望する方向性とはちょっとズレている(と感じている)ので、この機会に希望する方向性に修正(=転職)した上で、そこでマネジメントを目指す…という「建前」で転職しようと思い立った。
そんな曖昧な理由や動機しかないまま、とりあえず書類選考が通ったのは本当にラッキー。
あまり気負いすぎずに臨みたい。
踏んでもタマゴが割れないクッションとかってテレビでみるじゃない。
あれって本当なのかしら?って
実際タマゴで試してみたいけど、
そのクッション腰をいたわってね!っていただいたのよ。
ラッキーじゃない?
で、
私がたまたまそのタマゴが割れないシーンを見ちゃったもんだから試してみたいけど、
てーか
勇気が無くて、
出来かねるんだけど、
なら、
汚れないようにビニール袋にいれてタマゴが割れても中のビニール袋の中でセーフ!ってことだったらオーケーじゃない?
でもわざわざ割れるの分かっていて、
そんなことしないわよね。
なんかああいうテレビ番組のシーンってある程度ファンタジー要素盛ってるところがあるので、
そう思うわ。
換気扇の汚れだってあれガンコな油汚れじゃなくて絵の具汚れだって言うじゃない!
どう使ったらあんな換気扇が絵の具で汚れるのかしらって思うと同時に、
もの凄くぎゅーって強い押しつけの力で通販特殊スポンジでこそぎ取ってるでしょ!って思うのよ。
あれもファンタジー要素加えがちだし、
よく切れ味の良い包丁で、
電線を切る、
ダイハードとかランボー怒りのなんとかでしか見たことないわよ!
あれだって
ファンタジーだし、
日常でピンチになって電線を切らなくてはいけないシチュエーションって
なにそれ珍景をも上回る
ピンチなシーンじゃない?
どうせなら、
同じお値段で
今なら期間限定同じ包丁をもう1本!合計2本!ってするなら1本で半額にして欲しいわよ。
たぶん、
あと
お後がよろしいのかよろしくないのか、
分からないけど、
ケツマツはこんな感じでどうかしら?って言いたいところよ。
うふふ。
もしかしてお昼食べ損なったときのピンチをチャンスに変えるために
まだ冷えてなかったので、
字面的にはグレープフルーツを炭酸で挟むようにお気に入りなんだけど
暑いので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分は高校を卒業するまで、女性と付き合うどころか、話をすることすら稀な、今でいう非モテだった。趣味はマンガやゲーム。オタクというほどに極めていたわけではないが、陰キャか陽キャでいえば陰キャであったことは間違いない。なので、恋愛に関する知識は、基本的にマンガかアニメで得たものしかなかった。
さて、そんな自分も大学になんとか合格した。地方から関東の大学に進学したため、知り合いは誰もいない。人間関係はまっさらな状態で大学生活をスタートした。
入学式の日、サークルの勧誘のなかを一人でうろうろしていた。80年代末、いま話題の宗教系の勧誘も多かったが、どれが宗教系でどれがそうでないのかは当然わからない。変なのにひっかからなかったのはラッキーというよりほかない。たまたま声をかけてきてくれたのが、いまでいうオールラウンド系のサークルで、居心地がよかったことから、すんなりとそこに居つくことになった。女性も多く、男しかいない中高で辛い記憶しかない自分には、突然、異世界に放り込まれたかのようだった。
そんなわけで、すっかりのぼせ上った自分は、すぐに同じ学年の女性を好きになった。今考えても性格の良い女性だったのだが、いかんせん恋愛についてフィクションで得た知識しかないので、かなり歪んだ恋愛感情だった。自分で勝手に相手のイメージを作り上げて、そのイメージを好きになっているという感じだろうか。リアルな女性を相手にしているはずなのに、アニメキャラと話をしているかのようにふるまってしまう。当然、会話は空回りするし、うまくいきようがない。結局、その女性と付き合うには至らなかった。
そこからしばらくは、ずっと彼女いない歴=年齢を更新しつづけた。サークルでも人間関係がうまくいなかくなり、他のメンバーともギクシャクするようになった。ただ、ごくわずかではあったが、仲のよい女性もいた。恋愛感情はまったくなく、話をしていて楽しいというだけ。ところがあるとき、その女性の横顔をみて唐突に「あれ、可愛いんじゃない?」と思った。客観的にみれば、それほどでもないと思うし、それまでは自分もそういうふうに見ていなかった。でも、世間的な基準とは別のかわいさというのがあるんだと知った。
そこでやっと、イメージではなく、ちゃんと相手をみなくてはならないことに気づいたように思う。優しそうだとか、お嬢様っぽいとかそういうのではなく、話が合う、一緒にいて楽しい、そういう感覚を大事にしたほうがいいということだ。そこからちょっとずつ間を詰めていって、数か月後にようやく付き合うことができた。
ただ、非モテなので、やはりイメージ的なものからは逃れられない。漫画だと相手と結ばれればそれでハッピーエンドなのだが、人間関係はそれからも続く。誰かと付き合えば、ずっと幸せな毎日が続くと思いきや、とにかく口喧嘩が絶えない。自分が持つフィクション的な恋愛観だと、どうしても相手を束縛しすぎてしまうので、すぐにギクシャクする。付き合ってからのほうが落ち込むことが多かったように思う。ただ、そういうしているうちに、だんだんと慣れていって、相手を縛らなくても気にならなくなった。
結局、何が言いたいのかというと、事前に変なイメージを詰め込みすぎると、相手をまともに見れなくなって、人間関係をつくるのがとても難しくなるということだ。
最近のネットでは、女性一般にネガティブなイメージを膨らませている人をよくみるけど、あれも具体的な人間というよりイメージを相手に戦っているようにみえる。それをずっとやっていると、パートナーをつくるのはますます難しくなりそう。余計なお世話だと思うけど。
説教くさくなるが、他人と一緒にいるということは、思い通りにいかないことの連続だし、逆に思いもよらない楽しさがある。そこがイメージとの最大の違い。赤の他人と一緒にいるということはそういうことだ。
自分はそのマンガやアニメを現実と区別して大人が楽しむ分にはいいというスタンスではあるけど…
男性主人公vs女性登場人物の構図でセクハラがないというのは、ちょっととぼけてない?って思うわ。
そっちじゃなくて、作者という神vs女性登場人物の間にセクハラめいたものがあるということでしょ?
ラッキースケベとかって結局そのラッキー起こしてんの作者じゃん。
それに、そのラッキーを見ることで享受してんの主人公というより読者なんだよね。(主人公は別にラッキーと思ってないまである)
読者をたくさん味方につけるのが神である作者で、そのためにラッキーを起こしまくってる図って、まぁ強権的だよね。
あ、女性登場人物は非実在存在だからセクハラには当たらないとか言われそうだけど、元増田がセクハラって使ってたらからその流れでワードを使ってます。
もし女性登場人物が生きている存在であったら、強い風が吹く度にパンチラさせられて、傍で男子が転ぶたびに胸に突っ込んできて…ってしてたらもう神によるセクハラじゃん…。
うちの子の学校で数年前にほぼほぼToLOVEるの真似とされるトラブルがあったので書いておくわ。
転んだふりして女子の胸や尻、からだを触る、すれ違おうとして体を触るなどをする→女子怒る→ごめんごめん、わざとじゃないんだってと言う。ここで「ごめんごめん」と一応謝るのがミソ→被害側、見てた側からすればわざとなのは明らかなので女子は怒る→怒る女子に対して「謝ってるしわざとじゃないのに怒るのは心が狭い、自意識過剰」と女子を責めて被害申告しづらくさせる。(リトはこんなこと言わねぇだろと思う)
これを元増田にあるように数人の男子でやっていて、わざとじゃないごめんごめん!で済めばラッキー、同じ女子に何回やったwと自慢したり女子に怒られたりしたらうまくやれよwwと言い合うチキンレースみたいなことをしていた。
うちの息子は「あいつらいつもToLOVEるの話してたし真似してたんじゃないの」と言ってた。まぁ加害者本人たちの話を聞いたわけではないのでなんとも…だけど。
息子と同じ習い事してる女子の親がそのトラブルのあったクラスだったけど、翌年からその加害者男子たちと同じクラスにしないでくれって先生に頼んだと言ってたわ。
誰かが○○したら良いと言うなら、たぶん従ってしまう。
そして、上記の「誰か」に「占い」という言葉を当てはめてみよう。
すなわち、自分の行動選択に価値を見出だしていないから、占いに従って行動してみてもいいかなと思ってしまう。
どうでもいい選択ばかりだから、占いの提示する「ラッキー」な行動に心動かされる、というわけだ。
ちなみに、占いで「ラッキー」とされる行動をしたところで、得られる「ラッキー」なんて微細、もしくは皆無でしょ、
そんなんで、よく占いなんて信じられるなと思う人も居るかもしれない。
しかし、これについても、次のように考えてみよう。
すなわち、占いに従わなかったことで得られる利益も無いわけだから、占いに従うことはノーリスクだ、と。
リスクが無いのであれば、「ラッキー」な要素がほぼ皆無だとしたって従ってみても良くなる。
無料で引けるくじが手元にあれば、ハズレを引く確率が高いとしたって、リスクは無いのだから、引きに行きたくなるでしょう。
占いに従って行動したくなる気持ちとは、まさにそういうことなのだ。
手軽なノーリスクさと、「ラッキー」のもたらす期待感が原因なのだ。
また、個人的には、占いに従って行動するその様子は「ポイ活」に似ているとも思う。
「ポイ活」では、カードを出すなど、日常の些末な行動をわずかに変容させることで、ごく微妙な「ポイント」が得られる。
そして、占いでは、その「ポイント」が「ラッキー」と呼称されていると考えれば、
占いに従って行動するのも、まさに、運勢に対する「ポイ活」なのだ。
つまり、ポイントカードの代わりに、ラッキーアイテムを持ち歩いているという感じであるわけだ。
すなわち、占いというアドバイスに従って生活すれば、自分の人生にあるリスク(アンラッキー)を回避できるかもしれない。
その点では、占いはポイントカードどころか、保険にさえ似ている。
保険というのは、保険加入者の得られる期待値が非加入者のそれを上回ることはない。
そうだとしても、保険で人生の不安をハンドリングできているという安心感には変えることができないので、みんな加入する。
占いに従うことで安心を得る。そして、その「保険金」は自分の行動の自由度だけだ。
「新型コロナワクチンはビルゲイツの人口削減計画で……ウクライナにディープステートの生物兵器工場があって……トランプとプーチンは世界的陰謀と戦う光の勢力で……」
僕にとって「占いで~と出たから~」とその日やるべき事やってはいけない事を決めたりラッキーアイテムを身に着けていたりする女は、陰謀論者の男と同じぐらい嫌悪感を抱かせる存在だ。
昔の彼女がホロスコープと風水が趣味で(西洋と東洋の占いが合わさることで最強になると思ったのだろうか?)「勉強」を重ねるにつれて、ただの遊びやファッションを越えて僕の行動に注文を付けてくるようになったので耐えられなくなって別れてしまった。
今は占い全般を「アホくさ」と嘲笑う女性を妻にして幸せに暮らしてる。結婚は同じ物が好きな相手よりも、同じ物を嫌い蔑んでいる相手とした方が良いのかも知れない。
男の人ってなんで占い嫌いなんだろ