はてなキーワード: ビーフシチューとは
俺の田舎にロシアのテーマパークがあって、それの思い出がとてもきらきらしいのに何で今こんなことになっちまってるんだろうという懐古話だ。
ググればWikipediaは出てくるが、写真が既に潰れたあとの廃墟画像でしかない。
でもあそこはとてもきれいな、光り輝くような場所だった。少なくとも俺の脳内では。
新潟なんて、特に冬は、毎日たいていどんより暗い。雪降るし雨降るしみぞれも降る。
関東から嫁いできた俺の母親は俺の幼少期のころからうんざりしていたようで未だに愚痴る。晴れの日が本当に少ない、寒くて暗くて気が滅入ると。
でもロシア村ではそれが反転する。
あそこでは雪が降ってる方がいい。明かりをたくさん灯すので、暗い方が映える。暗い中に白いものが舞っているのが照らされて見えるのも美しいが、施設そのものがとてもきらきらしく作られていたので明かりが灯るとそこらじゅう何もかもが輝き出しているように見えた。
教会のあのタマネギみたいなかたちの屋根、ステンドグラス、当時の俺の身長の何倍くらいあったのか、大人でも見上げるような高さの大きなクリスマスツリーに飾られた玉飾り。
反射された光が雪の地面に落ちて、なお光っている、その光景。
ロシアの伝統衣装で着飾った、完全にスラブ系の顔立ちのスタッフたち。
明るく照らされた館内に敷かれていたカーペット。
土産物のマトリョーシカの、俺の小指の一関節分くらいしかない一番小さいやつに至るまでに手描きで施された繊細な模様。
全部、とても、きらきらして綺麗だった。
ハスキー犬かひょっとしてマラミュートだったのか、でかい犬が何頭か飼われていて犬ぞり体験とかやっていた。乗りたかったが乗れなかった。時間がなくてだったか、それとも犬ぞりやるには雪が足らなかったんだったか。
マトリョーシカと、あとサンタクロースのガラス細工を買ったはずだ。ロシアのサンタは青いのだと紹介されてて、青いサンタのガラスの人形を買ったはず。深い濃い青のサンタ。どこ行っちまったかなあれは。
それと、アライグマの尻尾のついた、毛皮の帽子。子どもに買い与えられたものだから流石にマジモンの毛皮ではなかったはずだが、いかにもそれっぽいかたちの、そして実際ちゃんと暖かい帽子。めちゃめちゃ気に入って何年かかぶっていた。本物の毛皮のマフとかも売っていて、とても手触りが良かった。
あとなんか、キャビアとか食べた気がする。三代珍味だつって親が食わしてくれたのだが、そもそも当時えらい偏食だった俺には何がそんなに評価されている旨さなのかよくわからなかった。あんまりしょっぱくもなくて、なんかこう、変な味だったような、「なんじゃこりゃ」ってなった記憶だけがある。ボルシチも食べたんだろうが、ちょっと変わったビーフシチューみたいな感じだったような。あんまり記憶にない。
記憶にあるのは子ども3人連れでヘトヘトで食堂の長椅子(俺の向かい)に腰掛け、子どもに何か食わせながら父を待っている厚着した母親。
あとはとにかく、きらきらしてきれいな建物と土産物屋とスタッフたちの姿ばかりだ。
寒くても暗くても何も気にならなかった。毛皮は暖かく、建物は照らされ、ステンドグラスは色とりどりで輝くようだった。
電気の明かりも当然あったが雰囲気出すためかガチのロウソクも随所にけっこうあって、その小さな火の灯りがものを照らすさまが美しかった。
Wikipediaの写真は閉園後の廃墟だし、検索キーワードのサジェストは心霊がどうのこうのとかだし、今のロシアとくりゃご覧の有り様だが、
俺にとっては寒くて薄暗い中できらきら輝いている、青いサンタとアライグマの尻尾の帽子の国だったんだ。
どうしてこんなことになっちまったんだろう。
俺ヴィーガンじゃないし今日はビーフシチュー煮込んだけど、少なくとも植物と動物を同等に捉えてる奴って少数だよね。
ヴィーガンでもヴィーガンじゃなくても、生きてる鶏の首を落とすかカボチャを包丁で真っ二つにしろってって言われたら肉食う奴でも前者は抵抗あるから後者選ぶと思うんだわ。
ヴィーガンがヴィーガンじゃない人間にヴィーガン活動を押し付けるのはエゴだけど、ヴィーガンの動物を殺す事に対する抵抗感っていうのは普通に生活してたら正しい感覚だと思うんだよな。
肉食ってて屠畜に携わってない人間が動物の殺し方に文句を言うべきじゃないのと同様に、ヴィーガンが動物を殺すことに強い抵抗を覚えて肉を食べないことに文句は言うべきじゃないんだよなぁ。
みんな0か100かで考えすぎぃ。
冷食の台湾まぜそばをつくって食べた。美味かった。
生卵を投入してたので皿にタレがけっこう残っている。もったいない。
ところが白ごはんがない。このままなめるのももったいないし困った。
と、もしかしたらビーフシチューにパンのようなノリで食パンがいけるのではないかと試した。
これが美味くない。
ごはんもパンもあらゆるものに合ってるのがそのメリットでシェアを拡大してきたんだと思われる。
しかもお互いに合うものがダブっている。切磋琢磨し共存しているなと。
ここしばらくラーメンには必ず白ごはんを合わせることを推奨している。実際美味い。
と、考えてみると、ラーメンのスープに食パンは合わないなと気づく。
豚骨系のスープにパンを浸して食べても美味しくはないだろうなと。
そのまま考えるとホワジャオ(花山椒)を使ってる料理とパンは愛称が良くないなと気づく。麻婆飯はアリだが麻婆パンはいまいちに思われる。
麻婆豆腐も作り方次第じゃありだと思われるが花山椒とパンが合わない気はする。
逆にローストビーフは微妙ではあるが、パストラミビーフ、パストラミポークなどのパストラミはごはんにあまり合わないような気がする。
海外の住所とかさ、
ガチガチに桁数とかを守りに守らないとこの先には進めないフォームになってるから
これ以上先には行けないときがあって、
攻めるも守るもうまく行かないときがあるのよね。
特定の国だけのやり取りがあってそれを覚えろって話もあるかも知れないけど、
だいたいは初めての国だったりするパターンが多いので、
これが都市名?州?なにそれ?美味しいの?ってレヴェル。
普通あると思うちゅーの。
でも最初に一番困るのは、
住所や郵便番号を見てもどこの国からかのってのが分からないのよね。
だから
そこから国を割り出すのよ。
グーグルマップでその時に表示された
違う違う、
全世界電話番号桁数選手権での第1回戦ぐらいは突破できるのよね。
あと、
その国は何語なの?ってことも意外と困るのよね。
基本やっぱり英語で事欠かない暮らしを過ごせる翻訳サービスがあるように、
すさの凄まじいものねって
とても有り難く思うのよ。
あとこれあったら私絶対買うんだけど、
せいぜい
この国の郵便番号は何桁、
その桁数目安辞典が欲しいのよね。
そういうの手探りでやってると1日が終わってしまうと言えば言いすぎの過言なんだけど、
これさー
全部調べて全部送料も見積もりして、
って感じになるのよ。
いかに国内流通のシステムの料金が離島遠方を除く一括したほぼ同一のシステム料金になっているのは、
そこの考える手間や時間や暇をかけて煮込んだ
美味しいビーフシチューのように
冬に温まれる美味しくてハッピーなレシィピと同じようなのかも知れないわ。
問屋さんが卸してくれないわけよ。
あー海外発送とかドイメンがくさいけど
しかたないわね。
海外に思いを馳せ参じて頑張るわ。
うふふ。
よくみたら真ん中のハムサンドのゾーンのハムがやっぱり厚くなってたみたいで
気が付かないところのバージョンアップに
私気が付いちゃったわ。
美味しいわ。
日々の気付きって大事よね。
髪切って短くなってたので、
私はここぞとばかりに
タモさんのズラとタモさんのマイクをもって髪切った?ってリアルに聞いてみたら、
そうですね!ってなかなか100点な返しに
仕掛けた私が笑ってしまったわ。
私も髪切ろうかなーって言う人ほど切らないわよね
あのコアラの1トンの握力で記が見つかれたら、
なかなかコアラさんは力加減手加減してくれる優しい動物さんなんだわ。
なんだっけ、
そうそう、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最近、自分の父親のクズっぷりの一部を端的に表す言葉を知って感心している。「食い尽くし系」というらしい。説明するのも面倒だから詳しくはググってくれ。
夫が食い尽くし系の妻の話はよく見るけど、親が食い尽くし系だった子どもの話はあんまり聞かないので書いておく。
うちは父が食い尽くし系だった。過去形なのは食い尽くしが改善されたからではなく、子どもが全員実家を出て両親も離婚し、たまには父と会うけれど今も食い尽くし系なのかは知らないから。
うちは両親が共働きで、母の方が帰りが遅かった。母の帰宅が20時を過ぎることもある。父は家事を一切しないので、子がある程度大きくなってからは母が子どもの分の夕食を用意してから出掛けることが多かった。
ある日、仕事を終えた母が帰宅したのが21時前。父は夕飯を平らげて大きなペットボトル入りの焼酎を片手に晩酌をしていた。母が帰るなり部活帰りの中学生の兄がつぶやく。
「オレの飯がない」
父は早々に帰宅して私と一緒に夕飯を食べたが、兄がまだ部活で帰宅しておらず夕飯を食べていないことには思い当たらなかったのか、父が兄と母の分まで食べてしまった。
別の日、父が先に夕飯のビーフシチューの大鍋に手をつけた日のこと。塾から帰宅した妹がビーフシチューを温めたら、ビーフシチューの肉がほとんどない。父を問い詰めると、「そんなつもりはなかった」と。
野菜炒めの肉だけを全て食べるとか、食べ盛りの子どもたちに負けじと物凄い勢いで大皿からおかずを持っていくとか、他にもまあ色々あった。
母はある日は子どもに謝り、ある日は閉店直前のスーパーに駆け込み、またある日は冷蔵庫のストックから追加でおかずを作った。時々、母は聞くに堪えない汚い言葉を発していた。
ネットでも見たが、食べ物を1人分に分ける、食べ物に名前を書くのはうちでもやった。あとは、大皿料理は2つに分けて、1皿は父専用、もう1皿は父以外の家族が分け合って食べるシステムになった。あとは父のモラルの問題だと思うが、そこは子どもが精神的に父より大人になったり子ども自身が料理を覚えて解決した。
ネットでは食い尽くし系は治療を受けるべきという意見を多く見た。当時は私も子どもだったし、治療なんて思いもよらなかった。でもうちの場合、食い尽くしをしているのはモラハラアル中で気に入らないことがあると大暴れをする成人男性だ。家族全員から軽蔑されているのに、本人は家族の頂点に立っていると思い込んでいる。もしあの時父に支援を切り出したとして、治療にたどり着くまでに家族がどれほど傷つけられただろう。
食い尽くす親は子どもを軽く見ているか、馬鹿にしているか、子どもに関心がないのか。いまさら本人に確認する気もないので分からないけれど、私から見た父は子どもの空腹に関心が無く、子どもは肉を食べなくても野菜で腹を満たしていれば良いような存在だったのだろう。そうでなければあの行為の説明がつかない。
また、父は母の家事労働をなぜだか下に見ていた。労働時間は母の方が長く、給料ももしかしたらダブルワークの母の方が高かったかもしれない。母が短い時間をやりくりして家事育児仕事をこなしていたが、そのことに感謝も関心もないから、自分が夕飯を全部食べた後、子どもが空腹を訴えても動じず酒を飲んでいたんだろう。
子どもは馬鹿じゃないし、家族は奴隷ではない。食い尽くしをする親は尊敬されないどころか、成人した子どもから必要最低限の連絡しか来なくなるよ。結婚式でお決まりの両親への手紙を書こうとした娘から「父に何を感謝すれば良いのか」と思われたくないなら、子どもの食事を食い尽くすのはやめるべきだと私は思う。
好きな食べ物はなんですか?と聞かれ、即答できる人が心底うらやましい。
どうでもいいことじゃないか。とか、好きな食べ物くらいすぐ思いつくだろうと感じていると思うが、
好きな食べ物を即答できる人は、世の中にほとんどいないのではないかと思うほど難しい質問だと感じている。
自分に好きな食べ物がないと実感したのは、結婚後に配偶者の実家に泊まった時だ。
当たり前のように問いかけてきた。
「好きな食べ物はなに?」
この一瞬で私の頭の中では様々な思考が巡っていた。
当たり前のように食べたい物を探した。”寿司”、”焼肉”、”アイス”、”コーラ”、”ビッグマック”、”梨”、"餃子"、"ビーフシチュー"・・・
好きな食べ物はたくさんある。だが、これといって特別好きな食べ物はない。今食べたいものが何かと考えてもまったく響かないのだ。
また、おそらく義母が想定している食べ物は、”ビッグマック”のようなジャンクフードや"梨"という果物ではなく、手料理のことを想定していると思う。
ここで私がジャンクフードを答えることは想定にないはずだし、材料の制限だってあるはずだ。
一般的に牛肉の塊が常備されている家はほとんどないはずで、材料をどうするか困らせてしまう可能性が高い。
そしてなにより、私は中が赤くレアになっている柔らかい"ローストビーフ"が好きなのであって、
硬くなってしまった"ローストビーフ"はどちらかというと嫌いだ。自分のわがままであるのはわかってるが、
初めて夕食を共にするのに作り笑顔で「美味しいです」という未来を想像したくない。
"寿司"と答えた時はどうだろう。
大トロ、いくらは苦手だし、アジやイワシなどの光物系もあまり得意ではないので、鮮度がいいものではないと食べられない。
これを踏まえると、私がする回答は、「寿司が好きですが、大トロ、いくらは食べられません。アジやイワシは好きなのですが、鮮度がいいものしか食べられないです。」
と答えることになる。
ほぼ初対面の状態でこの回答は難しい。
"カレー"であれば、材料に特殊なものはないし、作成難易度も高くない。
あえてデメリットをあげるとしたら、面白くない人間だなと思われるだけである。
適当に答えたとしても、この先長い付き合いになるはずだ。どこかで矛盾が生じると困る。
本当に好きな食べ物であれば、「好きな食べ物はなに?」と聞かれたタイミングで、小難しく考えなくても即答できるはずだ。
どんな結果になったとしても後悔しない結果になるはずだ。
クリスマスだから豪勢にシャレこもうかと思い、セブンの金のビーフシチューと金のハンバーグを食卓に並べ(クリスマスなので金で攻めてみた)、デザートのチョコケーキもそっと並べ、よーしメリークリスマス!!と思ったその瞬間だった。
唐突に痛み出す右奥歯。
その段階ではまだ痛みレベル2(※最高の痛みを10とした場合)だったのでなんとか耐えられた。
この痛みは気のせいだと何度も自分に言い聞かせ、痛みに耐えながら晩餐を完食。
そして私は風呂場へと向かう。
今日のためにと用意しておいた森の香りのバスボムを風呂に投入し、僅かな歯の痛みを抱えつつ入浴。
すると風呂入ってるうちにじわっじわと歯の痛みが増してきた。もう森の香りとかどうでもいいくらい歯が痛い。バスボム結構高かったのにもったいない。
その頃には愚かな私も気付いていた。
これは気のせいではない。虫歯だということに。
歯の痛みでなんかもう風呂とかどうでも良くなってしまったのでさっさと風呂から上がり、せっかくのクリスマスだけど早く寝ようと思った私は22時前だけど早々に布団に入った。
布団に入るや否や、歯の痛みレベルが急に7〜8ぐらいまで跳ね上がったのである。
風呂で温まった体…良好になる血流…
思えば全てが必然のことだったのかもしれない…
普段は「薬など極力飲まないに限る」という方向性で生きている私だが、たまらずカロナールを飲んだ。ロキソニンでないのは薬嫌いによるせめてもの抵抗のつもりであったのだ。
カロナールは一向に効く気配を見せない。
痛みレベルは8ぐらいで高止まりし、もう何も考えられない。痛い。歯が痛い。
痛みを紛らわそうとスマホをつけ、ピンを引いてオッサンを助けるアプリゲームとかやってみるけどダメ。ぜんっぜん集中できない。
クリスマスの夜なのに何やってんだろ私…と思ったら痛みと相まって変な涙が出てきた。
私は歯の痛みに負けた。
そして数時間後。
さっきまでの痛みが嘘のように激痛は去り、私は安らかな眠りについた。
大体午前3時〜4時くらいの出来事であった。
私は学んだ。