はてなキーワード: ナイナイとは
昔の伊集院のラジオ聞いてて、ナイナイアルアルおもしろいなーって思ってたんだけど、なんで同じコーナーを使いまわさないんだろうか。
あるいは、他の番組でパクっちゃえばいいのに、とか。
法的なルールがあるわけではないが、暗黙的に許されてない。
でも、良い子悪い子普通の子とかって、けっこうオマージュされてるよね。
でもラジオ作家はよくプライドを犬に食わせているイメージなので、そういうのは無さそう。
コーナーは生ものなので、パーソナリティとリスナーが変わると全然別物になってしまのがわかっている。
ん。だったら逆にもっとハネる可能性もあるんじゃないの?とか思う。
あの番組の作家とパーソナリティ、パクりやがった!殺せ!となる。
面白ければ許されると思うけど。というかコーナー以外ではパクりだのオマージュはよくあるでしょ。
増田がたまたま耳にしていないだけで、実はけっこうパクリパクられている?
誰か真実を教えてください。
今、診断が下るかどうか、心療内科(精神科)で幾つものテストを一ヶ月ぐらい掛けてしている。
実際に、ADHDだと10年ぐらい前だと私自身で、考えていたが、
町医者で、診断してくれるとは、考えていなかった。
そもそも、コミュニケーションに支障があって、本人ですら、自分の気持ちを把握できていないのに、
更に、言語障害ではないのだが、超絶的な天然なので、自分の考えが伝わらない。
ところで、発達障害持ちの人間のコミュニケーションというと、最近、テレビで面白いものを観た。
この間、マツコデラックスとナイナイの矢部っちがMCの番組で、ふかわりょうのこれまでの歩みを示していた。なんとかOutって番組。
ふかわりょう本人としては、インテリ的なハクをつけると考えて慶応を出たとか、
いじられキャラとして絶対的なポジションにいたのに、それを避けた。
周りからは、
「粋がってるから、逃げたんだろ」と、考えてられていた。
でも、本人のふかわは、真逆で「出川哲朗のようには、なれない。自分には、恐れ多くて出来ない」
と、考えて、今に、至るってところが秀逸だった。
周りと本人の考えとのギャップが大きすぎると言う話だった。
セルフプロデュースが下手な人間は、どうも、そういう感じだろう。
でも、普通ではないことに対して、出し過ぎるとうまくいかない。
考えたことを、そのまま話すと「余計なことを言うな」と言われて、発言権が、なくなり、
こんな時には、こんな風に答えるのが世間の常識だと考えて、気を遣って生きてきた。
それにしても、自己診断であっても、結局は、自分の気持ちを語ることで、問診がされていくのだから、
大変だよなー。
臨床心理士によるカウンセリングを10ヶ月ほど、したのだが、仕事のストレスから適応障害を発症した。
結局の所、幾つかのテストを受けることになった。
何回目かのテストを受ける前に受付で、ADHDの簡易テストを渡された。
カウンセリングをすることで、自分の感覚が変でないことや、この診療所の人たちは、信頼できるという気持ちもあって、私は自分で「ADHDだと思っています」と言えた。
ふう。
コミュニケーション能力を上げるって大変だよな。
ほんとに、泣きたいぐらいに大変なんだよね。
深刻なのであるが、「何を大げさな」と言われて傷つきたくないので、気持ちを隠していた。
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追記: 2015-06-05,
亀レスですが、ブックマークにコメントして下さった方ありがとうございます。
つたない文章でも、通じたようで、うれしいです。
上で、ふかわりょうさんについて、書いたことは、ライブドアのネットニュースで、まとめてありました。
『マツコ・デラックスが誤解され続けるふかわりょうを擁護「それでいいじゃない」』
http://news.livedoor.com/article/detail/10171452/
発達障害の診断が下るまで、について、ぐぐってみると、ヤフー知恵袋なんかでは、既に質問や回答が幾つかあるみたいですね。
グレーゾーンな人間ほど、診断にも時間が掛かってしまうようですね...。
軽度~中度(グレーゾーンではない)とのことです。』
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14134843234
増田の傷の深さを理解できそうならトコトン話し合うかってなるけど
そんなの大したことナイナイ、とか言われたら「あ、こいつ無理だわ」ってなるな
フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。
文字起こしではなくライブで関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院のラジオを聴きスタッフの馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。
「笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からのお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともはアングラ芸人タモリを始めとする監督や芸術家、作家、アナウンサーら文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタをタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家はダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。
鶴瓶のヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーのハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野、スタッフの死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんまの毒舌というより真正面からの他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族にとんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりおは石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋が関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体がお笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本が配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。
太田は談志の後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリ、さんま、石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人」なのだろうが、もしも浜田のツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田も東野も宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長が吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相で事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子の水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。
たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月のフジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリの集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下や赤塚、浅井慎平や高平哲郎に比べ高田文夫やテリー、高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆はタモリを小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌の二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。
ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台や漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人にダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまのスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部、いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二、現在の爆笑太田。
鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。
タイトルにした香取慎吾のスピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。
駆け足が長くなった。ここでおわり。
お笑い界には、約10年毎に「エース」と言われる存在が出現した。
これは業界内でも割と常識で、普段から使われている言葉でもある。
https://twitter.com/s_hakase/status/8555903607382016
この定義に照らすと、残念ながら、さまぁ~ず、雨上がり決死隊、くりいむしちゅー、ネプチューンなどは入らない。
具体的には、以下のような人たちだ。
(テレビ世代以降のタレントに限定し、落語家や噺家は含めないこととする)
比較的近い世代に固まることもあるが、おおよそ10年に一組は「エース」が出現する。
一時期は、ロンドンブーツ1号2号が最も近くにおり、特に田村淳の才能はエースたちと肩を並べるほどであったが、いかんせん芸を磨くことをしなかったために、中途半端にまとまりすぎてしまった。
そして、数年前にこのポジションに立たされようとしていたのがオリエンタルラジオだったが、実力を伴わず、本人たちも認めるように、それは作為的なトレンドであった。
今一番近いところにいるのはタカアンドトシかなと思うが、少なくとも現在のところ、ナインティナインほどの爆発的な人気とは言いがたい。
そのナインティナインもすでに40歳を過ぎ、次代のエースが待たれるところだが、ここ数年その気配を感じることはできなかったし、今後も疑わしい。
これは俗にいうテレビの衰退が原因だろうか。
趣味の関係で、女が圧倒的多数という大所帯のグループに、かれこれ10年近く所属しているおっさんの一人語りです。
自分は元々アニメが好きなキモヲタでコミュ障のぼっちだったが、人間は環境によって強く左右されるというか、意外と馴染んでしまうもので。
もちろんコミュ障なのは相変わらずで、個人的に連絡取るほど親しい女の知り合いは未だに一人もいないが、女性に嫌がられない態度は否応なく身に付いた。
要するに「節度ある大人の紳士」としての嗜みを学習したといったところ(でなきゃ追い出されるし)。
後述する男同士の付き合いとともに、満更でもない経験だったと思うし、女性が強い集団特有の柔らかくクリーンな(?)空気は、それはそれで馴染めば楽しいもので。
しかし副作用というのだろうか、グループに入る以前、本当に文字通りぼっちだった頃に、満面下卑た笑顔で食い入るように見ていたハーレム系アニメを、ここ5・6年、殆ど見なくなってしまった。四半期毎に恒例の新番チェックの機会に見ても、全く面白いと思えなくなった。
男の欲望願望丸出しで、夢と妄想がはちきれんばかりに詰まっているネバーランドなのは頭で理解できても、「(ヾノ・∀・`)ナイナイ」というのが先に立ってしまい、気持ちが盛り上がるどころか猛烈に冷めてしまうのだ。
作品によっては「え・・・なんでこの子ら、最初から主人公にやたら本気なの?逆に怖いわー」と背筋が寒くなるし、さらに凄いのになると「この女ども、絶対視聴者が見てないとこで主人公のチ○コしゃぶってるだろマジやべー」という感じで苦笑してしまう。
まあ、真の上級者は「ほぼ女子校」みたいな場所を満喫しつつ、こういうのもフィクションとして楽しめるんだろうから、それに比べたら自分が中途半端なだけかも知れない。
他に収穫だったのが、グループにおいて少数派である男同士の交流。
よく「ほぼ女子校」な場所に置かれた男子は男子同士で超仲良くなると言われるが、それを身を以て体験することになった。
まさかこんな所でぼっちの自分が「素晴らしい男の友情」というやつを経験するとは思わなかった。
いやもう本当に面白い。他愛のない話でさえも必要以上に盛り上がる。マニアックな話や濃い話だったり、アルコールが入ったりすれば尚更。
最後に余談だが、最近、自分が所属するグループのジャンルをベースに、同好の士で数人の小グループを結成したのだが、今のところ男女比は半々。
一応オレ的裏テーマの「今からでも遅くないから原隊に、いや自然に帰れ」が上手く行っている感じ。
こちらもまた今後が楽しみ。