はてなキーワード: アナログとは
多分、授業か何かで書いたんだと思うハガキが家に届いていた。
「成人した私へ
成人おめでとう。
15の私は、まあまあ元気です。
今の猫は2歳です。
7歳くらいになるんだっけ?まだまだ元気だと思うけど、もし地元から離れてるんだったら、そばにはいないんだね。
私のことだから、多分色々悩んでるだろうけど、生きていたら、なんとかなるので、生きて、本読んで、写真撮って、好きなことを好きって言えるのなら、それでよいです。それが全部です。
15の私からしたら、それが全部です。
15の私より」
中3の半ばくらいまで、ほぼ記憶が(多分ストレスか何かで)吹っ飛んでいるので、自分のことなのに又聞きのような状態になっている。
だから、このハガキが来たときに「その時生きてたんだ。」と思った。
過去に自分がいた証拠が、家の外からもたらされたことが、なんだか新鮮だった。
し、嬉しかった。
手紙やメールなどを、意思疎通のためのものという認識しかしていなかったけれど、「自分がそこにいた記録」として手元に来ると、感慨深いものがあった。
先に告げておく。
今は処方中。
処方中においての内の文章だ。
精神科医に掛かるのも今回がはじめてということで、ざっくりとした診断を受けた。
その結果としてとりあえずは投薬によって様子を見ることに。
処方されたのは睡眠導入剤。
就寝前に1錠、飲む。
今まで睡眠障害に対する薬を飲んだことがなかったため、ちょっとした不安があったものの飲むようにしている。
効果はすぐに表れる。
酩酊したような、周りがほんんやりと映りはじめる。
寝ぼけているような…むしろ…夢の中に居るかの追うなぼやけ具合がある。
スマホではなくPCで。目に映る目の前のモニターには増田の日記を書く用の画面が表示しており、ここまでは別段いつもと同じだ。
ただこの薬を飲んで画面を見ると、いつもと異なって目に映るようになった。
それが何なんかを知らしめたいがためにこれを書いている。
はじめてのときは質感だった。
目の前のモニターが表示している文字群がモニターに表示されているのではなく和紙に表示されているような質感があった。
触れば触れられるんじゃないか?ふと手を伸ばしてその和紙を掴みそうになってしまったのは印象深い。
そしてたまに、いや今のそうなのだけどこうして長文を書いていると時に文字のサイズが変わって見えるときがある。
ふとした瞬間、中央部分のみが小さく映るとそこの部分の文字は行動し、それは中央が縮み右側がそのままなことによって遠近感のようなものをもたらし、気を抜いて見ていると折れ曲がっていくように見える。
それでもやはり印象的なのはモニターの感覚。画面はデジタルではなくアナログである、のようなモニターに映る白さが白紙のようにぺらぺらとして感じられる質感。
モニターの中にあるのは、枠の中にある紙。そこにえんぴつかなんかで書き込んでいる。そんな感じに見えてくる。
寝ぼけているというよりは夢の中に居るに近い。
そんな感覚。部屋を消せばスチームが炊かれ、モクモクして見える雲のような陰りがさまざまに形を変えて見せていくサーカス。
幻覚のような作用が強い気がするんですか…と担当医に話すと、最初はみんなそんな感じなので大丈夫ですよ、とのこと。
と言うわけでも今でもこの薬を飲み、飲んだ後は幻覚のようなものに囲まれる。
ただそれは夢の中のようなものなので嫌悪感はなく、寧ろ楽しい。変に気分が良くなってくる感じ。
自分は一錠でこれだが、人によっては平気で二錠らしい。
そして症状が重い人はほかのもっとよく効く薬も処方させるらしい。
質感。とにかく質感なんだ。
それを幾度となく見せてくれるようなそんな薬を睡眠導入剤として飲んでいる。
睡眠は安定している。
年始の暇つぶしにswitchの『やわらかやわらかあたま塾 いっしょにあたまのストレッチ』を買った
脳トレみたいなミニゲームがたくさん入っていて、世界中の人のゴーストと対戦できるみたいなやつ
軽い気持ちで短い時間遊べるゲームが欲しいなと思って買っただけなんだけど、思ったより自分のことが知れている気がして面白く感じた
とくに自分は時計を合わせるゲームがまったく点数が伸びず、自分ってその部分苦手なのかと意外に思った
ゲームとしては①アナログ時計が時間を示す②「10分後にしろ」みたいな指示が出る③針を回して指示された時間に合わせるみたいな単純なもの
他のゲームと違って、スティックを回すことで時計の針を動かすという特殊な操作がそもそも難しいってのはあるとは思うが、自分はこのゲームはいまのところ200点台くらいまでしか行かない
①時計の針を読む
④針を計算結果に合わせる
自分はどうも③が苦手らしく、解くのに時間がかかったり、解けたと思ったら針を動かしている間に計算結果を忘れていたりする
時間のゲームを得意な人は③のステップを飛ばして、今の時間から何度針を回せばいいよなとか考えられるものなんだろうか
時計の針の計算と向き合うのなんて、小学生ぶりだからこの分野が苦手なことに新鮮な驚きを感じた
今更気づいてしまったけど
キャラクターグッズってお店に売ってるじゃん?
テレビ見たり、スマホやらなきゃ獲得できない趣味ってたくさんあるけど
キャラクターはそういうのいらないんだよ
アナログなの
つまり趣味への入り口を制限された結果行き着くのがキャラクターグッズなの
あと服ね
やっとわかった
勝部元気 Katsube Genki
@KatsubeGenki
え、ホワイトボードですか!?いまだにこんなアナログの災害対策をしているとは驚きます…
関係自治体省庁等で共有できる「災害時情報システム」みたいなクラウドツールに情報を集約していれば、情報は格段に早く集まるし、何より貴重な現地スタッフが報告業務に割くリソースが大幅に減るのに。
もちろんリスクはあるけれど、停電しても通信が生きている限り携帯端末は使えるわけで、全部アナログではなく通信まで被災した地域だけをアナログで補えば良いだけ。
日本って兵站ズタボロだった戦前から全然変わっていないんですね…
https://archive.md/2024.01.02-061243/https://twitter.com/KatsubeGenki/status/1741993523317203084
タイトルの通りなのだが、「赤ずきんは眠らない」というボードゲームのイラストが気に入って、他のイラストも見ようと説明欄に書いてあった「152°」をツイッターやpixivで調べたのだが、それらしいアカウントが出てこなかった。
(あと、イラストレーターにとって少々失礼な話かもしれないが、こういう太い線+シンプルな塗りのイラストが好みなので、そういう絵柄の人がいたら152°氏以外でも教えて欲しい)
あと太い線のイラストレーター挙げてくれてる人もありがとうございます。(ちょっと我儘を言うと、アナログよりかは均一な線かつ質感がないような絵柄の方が好きかも。最新作のメイドインワリオとか、ジュリアン・オピーとか、HELLO OSAKAみたいな)
そっちの方面は、掲示板(個人サイト)、ブログ、SNSと流れていく
ブログなら相互リンクから一歩進んで、互いに言及し合うことで客を融通しあって繋がってた
それまでは「ポータルサイト」とかのお世話になることになる
相互リンクからサイトを辿って、掲示板で挨拶から入って、即売会で訪問してオフ会ってな感じ
結構狭い世界だったけど、それまでの雑誌の読者コーナーとかで繋がるよりかは遥かに広くて
mixi発足当時は、招待制により荒れない場として注目され、ログインできることがステータスの時期もあったりした
コンテンツとしての充実は、ネット回線の拡幅とサーバー容量の増大を待つ必要があった
それまではテキストサイトが主流で
Pとか提督とかではなく、普通にボクが話をするってパターンが多かった
思い出すとベッドを転がりたい御仁も多かろう
正直、あの当時のログとか残ってなくて本当に良かったと思う
テキストサイトの延長という訳では無いが
ケータイ小説などで一時期注目もされた
スマホじゃなくケータイでよく書いたよなって今にすると思うけど
インターネットの話をする時に、imodeのことはスコーンって抜ける人いるよね
携帯(imode)で活動してる人と、PCで活動してる人のインターネット観は全然別物なんじゃなかろかって思うんだよな
私はあんまし携帯で活動してないからモバゲタウンとかの内情をしらないんだよね
毛色の違うところでは
番頭ビデオとか、アレ間違いなく中の人の仕業だよなって思う編集だけど
デジタルでないアナログでよくぞあそこまでって出来だったよ(当時は)
ツールがデジタル化されて、ニコニコとかで気楽に(違法)コンテンツがやり取りされるようになって
そこからだよね
ボカロによって、それまでmidi文化に閉じこもっていた音楽界隈が表に出てきて
動画制作が楽になってMAD職人が特別な機材なしに誕生できるようになった
これらは、マネタイズがどうとかそういうことじゃなくて
それは元増田がうだうだ並べてるようなことじゃなくて
単に「新規性がなくなった」だけの話よね
職場の整理整頓できない人、どうやったらすこしでも整理整頓してくれるようになるんだろう。
例えば以下のようなこと。
・紙をホチキス止めするときや穴あけパンチをするときに紙の端を揃えない。
・ファイルは年度ごとに整理しているのに年度のテプラを貼らない。(表題は貼ってくれる)
・所定の場所にファイルを戻さない。(とりあえず空いている場所に入れてるみたい)
・日付順に綴じている書類に、日付を無視して昔の書類を綴じる。
・インデックスを揃えて貼らない。
・年度ごとに作っているフォルダの名前を「30」「令和元年度」「R1」「R2年度」みたいにバラバラにして作成する。
・時系列順にデータを整理しているのに、番号などを振らずデータを保存する。(後から見るといつの何の案件なのかが分からない)
ざっと思い出してみたところこんな感じ。
紙の端を揃えないとかは個人の趣味の問題だから許容しないといけないのかもしれないとは思う。
(きちっとしたい私としてはファイルを開くたびにげんなりしてしまうけど)
ただ、書類やデータの場所なんかは業務に支障を来しかねない状況。
一度、紙のファイルの場所やデータを整理してほしいと上司を通じて言ってみたんだけど、「この場所で覚えているから」「自分にはそこまでする権限はない」と断られてしまったみたいで、メンタル歴があるから上司も強く言えなかったらしい。
それにもうすぐ定年とはいえベテランの正社員なんだから権限がないなんてこともないはずなのに。
ずっとそんな感じで来てたら今さら整理なんてしたくないのかな。
数十歳年下の後輩から今さら整理整頓してとも言えず困っている。
性格もしくは気質に由来するものだったら言っても意味ないような気もしている。
ADHDとかなのかもしれない。
とりあえず最近はこのベテランさんのことは諦めて、自分で気づいたときに書類並べ直したりフォルダの名前を修正したりしています。
3Dプリンタ買うのも良いが、3D CADで自分が作りたい物を作れないと醍醐味が薄い。
Fusion 360ってのをインストールしよう。
ユーザーが多いから困った時にWebに情報が沢山転がってて助かる。
とりあえずモデリングをやってみよう。
買うなら、今は良いマシンが沢山ある。
ボビー向けは光造形とFFF/FDM方式の2種類があるけど、FFF/FDMメインで書く。
ちょっと前の3Dプリンタはデジタルな機械だけどアナログな調整が必要だったのが、Bambu Labはほとんど機械に丸投げ出来る。凄い。
安いやつならCrealityのがユーザー多くて困った時でもなんとかなりがち。
SK本舗のMingdaとかELEGOOのマシンはやめとけ。悪くはないかもしれんが使ってる奴が少なすぎる。
ちなみに中国人と揉める覚悟があるならAliExpressで買うのもアリ。ただし玄人向け。
ただし高い。
安く上げるならJLCPCBがおすすめ。
俺は3Dプリンタを始めたらもう3Dプリンタのない生活には戻れなくなった。
3Dプリント品の販売で副業を始めたら年商350万ほどになりそう。
月の小遣い2.5万円だったのに、利益全部小遣いよ。
約三ヶ月前、社会人生活に区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である。一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。
ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。
書き上げたのは本日12/12だが、推敲の関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。
私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。
あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコンは事務所に1台あるかないかだった。各学校にコピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。
学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言や暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である。
さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記で表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事のひとつである。残念ながら、教育そのものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。
要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員を指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元な行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。
彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議・交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。
本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。
これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。
私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織の迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。
トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員のエピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。
教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体の学校教育に関する意思決定と事務(企画・調整・一般的な管理行為)を行う組織である。
第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育、学術及び文化に関する事務を管理し及びこれを執行する。
教育長が責任者となって所掌事務や教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議(議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。
かつての戦争の折、行政の暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政の主体から教育の機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。
実際のところは、市区町村の本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である。役所の中に多くある部署のひとつとして位置付いている。
(指導課)…都道府県教委が教員の中から高査定者を人事異動させる
(学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム
(学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営
そういうわけで、私の場合は上記でいうところの指導課(各学校の指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒で教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。
それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校の教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。
最後は課長級職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育の仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。
タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校で教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局に課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。
教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスクに腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。
社会教育課の事務スペースで、複数の職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性・女性の職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。
話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後は男性職員が女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばして事務室を出て行った。
『なんだ、こいつらは?』
心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。
社会教育課、という部署名は伝統的である。霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間の無駄であると考えた。
だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長机から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事で問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。
私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区は関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。
・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった
・監視の意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した
といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。
ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。
話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。
(次part)
ここ数日、どうにも空気が乾いてきて、目・のど・鼻などが辛いので、観念して加湿器を使うことにしました。
ところが、その肝心の加湿器たるや、電源ケーブルだけどこを探しても見あたりません。
機械は電流を流さねば動かないので、これではどうしようもありません。
そこで、とりあえずの応急処置として、アナログ式の加湿器を作りました。
作り方は非常に簡素です。
(1)ペットボトルに水を入れる。
(3)タオルのうちペットボトルの外側にある部分を扇形に広げる。※クリップなどでとめる。
しばらく時間が経って、湿度が上がったか否かはわかりませんが、多少のどの痛みが引いてきたような『気がします』。
実際にはあまり湿度に変化がなかったとしても、プラシーボでも乾きのつらさが楽になってるなら作った甲斐がありますね。
2つ、3つと同じ物を作って並べてみたら、体感できるレベルで効果があるのかもしれません。
スーパーマリオRPG ちょい気分悪くなってストップ
調子に乗ってエルデンリング 全く問題なく超楽しい、やった3D酔い克服したぞ~!?
なぜなのか
ちな原神も1年以上前に酔って死んだ
なお
エルデンリングに戻ったらアナログスティックドリフト現象が発生
見事にステータス画面開きながら落下死した
続き
(さらに続く)