はてなキーワード: もてない男とは
喪女板に入り浸っている私はネット上の喪女に対する高評価に心を踊らせた!
何故かと言えば、正直ねほりんはほりんでイメージされたような喪女像なんてものはこの板にはないのである。
ネ喪(独女板から移民してきた住人)や女叩きにくるジジイ共も生息しており、人に言えない好き嫌い話で盛り上がりマウントを取り合あったり愚痴ったり慰め合ったり...etc
しかしそれなりの節度もあり、喪女板は喪女にとって居心地のいいものなのだ!
喪女のイメージを上手くパッケージにして商品化してくれた出演者のお三方には拍手を送りたい!
これは棚からぼたもちが落ちてくるぞと拳を握りしめ天に突き上げた!
しかし喪女の高評価の中、はてぶコメントでちらほら目に止まったのはもてない男=喪男への言及である。
喪女に対する評価とは違い、所謂キモ金おっさんの看板を背負った彼らはなんとも言えない評価をされている。
喪女板の生息するジジイ共のイメージもあったので、さぞかし地獄のような板なのだろうと思っていた喪男板…
喪男とはどういったモノなのだろうかと…この目で見てやろうと思ったからである!
私は喪男板!いや!魔の巣に行くのだ!
そして実際に喪男板を覗いてみると…
しかも奴らは遊んでやがる!
スレにはAAが飛び交い、小学生の如き馴れ合い、特定スレでは日常のあれこれをまったり語っている!
しかも女の話題が出るやいなや自治警報が鳴り、鯛男板(もてたい男板)に行けと袋叩きにされ強制送還される!
奴らは心のちんぽを引きちぎったのではないだろうか!?
そして驚くべきことに!!!!!
昔ながらのDQNをやるには、DQN社会の先輩後輩関係や互助のなかでうまくやっていくスキルが必要なんだけどな
体力とか、プライバシー皆無の人間関係への耐性とか、子供や老人へのやたらと深い愛情とか、義理人情とか
学歴・実家の資産といった都会的なものとは別の種類の価値・能力をDQN社会は必要とする
DQN社会の中で仕事を紹介しあったり、家での集まりがなんとなく合コン的に機能していて出会いを産んだり
あと割とDQN社会の男は失恋して泣いて酔っぱらって男友達に慰めてもらったりしている
男にしては弱弱しい感情を否認しておらず男同士認めあっているというか、
他者攻撃やニヒリズムに走らないでリア充的・女性的な共感コミュニケーションをとっている
DQNワナビのオタクはそういうコミュニティから明らかに零れ落ちていて、しかも昔ながらのオタクのような学歴も無いんだよな
少数の「高学歴なのに女にもてない男」と、多数の「全部の価値や社会から零れ落ちたカス」がTwitterアニメアイコンになっているように見える
米山知事が“買春”報道で辞職した。しかしあれは本当に“買春”だったのか。決まった相手とお金を払って(もらって)肉体関係を結ぶという意味ではあれは“愛人”ではなかったのか。そしてそういう関係の女でも、知事当選におめでとうとメールが来れば愛人が本命になってもおかしくない。お金を払わなければ女性に振り向いてもらえない男ならそう思ってもおかしくない。たとえお金を払っていても、彼女がそれをもらってくれて逢瀬を重ねてくれるなら、それはいくらかでも自分のことを気にしてくれている、少なくとも拒まれてないと思ってもしようがないではないか。お金を払わなければ女性に振り向いてもらえない男とはそういうものだ。そういう関係の中で、針の穴に糸を通すような希望を持って、彼女がいつか自分のことを愛してくれるのではないかと思うことは、やむをえないというよりそうならざるをえない。人並みの青春を過ごし同世代の女性と愛を紡ぎ体を交わしてきたような恋愛健常者にはわかるまい。私は彼がどのような想いで彼女に三万円渡していたかと想像すると胸が詰まる。ほんのわずかな時間。体だけの関係。それでも彼女が喜んでくれるなら金も払う。彼女の笑顔が見れるなら、彼女のぬくもりが感じられるなら、それが全てなのだ。心無い人は言う。今まで人生生きてきて金を払うことでしか女性と関係を築けないのは人として大事な何かが欠けているからだ、と。おそらくその指摘は正しい。だからどうだというのだ。人生を成り直すことなどできない。青春時代をやり直すことなどできはしない。お金を払わなければ女性に振り向いてもらえない男になってしまったら、それはそのまま生きていかなければならないのだ。そういう人間に、いわば不具者に、一生女のぬくもりもキスの味も自分だけに向けられる笑顔も知らずに生きてそして死ねというのか。自分の金で好きな女に金を渡して何が悪い。たとえそれが商売女であってもだ。まして今回はしろうとである。出会い系サイトで知り合ったと言うが、彼にとってはまさしく“出会い”だったのであろう。相手ははじめから金を要求しいわばワリキリだ。そりゃ払うさ。それでぬくもりが手に入れられるなら払うさ。相手では成人女性である。何が悪い。売春防止法?だから売買春じゃないって言ってるだろ。恋愛不具者にとってはお金を払うことが唯一の手段なのだ。恋愛健常者はそれを奪うのか。責めるのか。ひどいじゃないか。お前らは幸せなんだろう。なんで不具者にやさしくしてやれんのだ。女と交わる方法を知らない男にとって、女に(肉体的にも精神的にも)受け入れてもらうことがどれほどの救いになるかわからんのか。わからんのだろうな。きっと恋愛健常者どもは自分の幸せを当たり前と思い、そして他人も当たり前に手に入れてると思い、それができないものを劣ったものとして嘲笑し一時の享楽にしてそしてすぐ忘れてしまうのだろうな。彼は人生を棒に振ったのだぞ。スーパーエリートの彼があのような行為でしか女性を関係を持てなかったのだとしたら、自業自得などととても言えない。しかし市井の人々には理解してもらえぬのだろうな。私はそれが悲しい。
あー、すんません。4とか時々やるわ。山本一郎ではないのだけれど。 で、質問なんだけど
いやさ、「モテない」とか愚痴ってる段階で、女性への未練を断ち切れてないんじゃないかな。別に2次と仲良しならそれでいいんだよね。
既婚者だけど、Gatebox( https://gateboxlab.com/ )みたいな試みは社会全体の幸せを増やすんじゃないかな、と思ってる。ただそこまで踏み切れない人には、こういうケースもあるよ、って話はいいんじゃないかなぁ、と思ったりもするんだよね。
私のようなもてない男だらけの環境で育った、純正培養の僻み非モテ童貞にとって、恋愛は遠すぎる存在だ。
なので私のような弱者はどのように恋愛をしているのかを調べる為にコンテンツを探していたのだが、男むけ・童貞非モテ向けのコンテンツを
見つけることができなかった。もちろん私の検索力の低さもある。
けれど相談でもなく仮想非モテや自身の過去の体験をもんによりとした書き方でやっているだけのブログなどは見つかったのだが
そこまで多くは見つけることはできなかったのだ。
かたや女性向けは、はてぶにのってるだけでも、アルなんとかとかぱぷなんとかとかトイアなんとかとか割りと声の大きい人が多い。
声が大きいのはほぼほぼ悪いことが多いが、恋愛情弱にも届く可能性があるということで接点は多くなると思う。
もちろん仮想非モテを相手にしていたり、相談相手に作家がついてるんか?と思うことも多かったが、私は男性なのでわからないし
長年の友人(男性)は、生まれてから30年近く付き合った経験が一度もない。
彼女が欲しいと度々口にするので、不特定多数の人が集まる飲み会に参加する際に誘うことにした。彼は、すぐに承諾してくれた。
当日、待ち合わせ場所には彼なりの最大限のおしゃれをしてきていた。
まず、髪が茶色く染まっていた。社会人が白髪染め以外で髪を染めるのはどうなのだろうかと思ったが触れないでおいた。
また、彼は眉毛を毛抜きで抜き、髭を剃り身嗜みを整えたと自信満々に言った。
私は普段の彼を知っていたから、この変化は彼が前進したということだと少し嬉しかった。
早速会場へ行こうと歩き出した彼の頭に、たくさんのフケがついているのを見るまでは。
付き合い始めた切欠けは、告白したでもされたでもなく、あるとき「結婚しない?」と言われたことだった。10年来の知人である。後になって訊いてみたら、その当時つきあっていた彼女にふられて挙句、相続関係で実家で問題が起こり、絶縁状態になっていて、何となく言い出したものの「ここで断られたら一生一人で生きていこう」と思っていたとか何とか。私は男性と恋をしたいとはそこまで強烈に思っていなかったのだけれど、ただ家庭を持ちたい気持ちはうっすら存在していて、以前から、どう生きても×2歳あたりまでにはそのへん、やってみるか諦めるか決めなきゃと思っていた。そのとき先方×0歳、当方×9歳。2年前の話。
話を戻したところ、先方が「せっかくだから恋人関係からやってみたい」と言い出して今に至る。数ヶ月前の話である。
付き合い始めて真っ先に認識したのは、自分には「男性が男性であるというだけで欲情するという感覚がない」ということだった。気づいたときはちょっと悩んだ。女性の魅力についてだったらまぁノンストップで三時間くらいは語れる。男性に関していうと、性的にはそこまで強烈に希求してこない。SNSで百合の話ばっかりしていると友人に笑われたことがあるし、しょっちゅう男性向けのエロ同人だとか百合系のテキストだとかイラストを漁っているのだけれど、そこは二次元の趣味で、「性癖」だとは思ってなかったのだけれど、どうももっと根本的な部分で「女性が好き」だった節がある。そういえば人生で最初に好きになった相手は女の子だった。
とはいえ、自分の性向について深いこだわりはない。世間的によくある程度の倒錯だ。
恋人について。ある種切実な話として、彼には女装歴がある(私はその頃のことを知っている)。とはいえ、付き合い始めた理由に特にそこは関係ない。現在はフツーにどっからどう見ても「男性」だし、本人曰く「女装してた頃より10kgは太った」ということだし、まぁ(格好によっては)男前ではあるのかなと思うけれど、典型的なフォーマットとして、中性的とかそういうことはない。私は「視覚的に興奮を得るのは女性」という話だけれど、かといって別に男性嫌悪者でもないので、一緒にいたり視界に存在していても、その人が傍にいる、という感覚しかない。「異性への」、というか、セクシャルな高揚、みたいなのは、最初から今に至るまで、あまり実感がない。
つきあいはじめ、相手が性的に興奮していることに対して、嫌悪や重さを感じることが多かった。性嫌悪的な傾向はとくにないじゃないんだけど、自分がどうこうする話となると話は別だ。その上で許容できていたのは、相手が「話せる」他者だったのと、この人とパートナーシップを構築するのは楽しいかもしれない、という単純な予感があったことがひとつ。もうひとつは、そのひとが単純に「触られても平気な相手」だったからだ。理由はいろいろあるのだと思う。この葛藤をどうにかする価値はある、というおかしな決意みたいなものがあった。
段々と距離感を調節できるようになって、「自分が受容できる/尊敬できる相手に、自分の存在を求められている」ということによる承認欲求が充足される感覚、とか、他者を承認し承認される快感(性的快感とはちがう)、みたいなのを感じられるようになったのはごく最近だ。大きく変わったんは、意外なことに、セックスをするようになってからだった。どうもスキンシップの欲求自体はちゃんと存在していたようで、思いの他セックスは楽しいのだけれど、「違う体を持った、受容できて話の通じる他者とあれこれ試すのが楽しい」といった部分が強くて、欲しい、みたいなのは今のところ思ったことはない。今後もないんじゃないかと思う。セックスをしていてたまに、この人が男性で私が女性でよかったのかもしれない、と思うときもある。この人が女だったら別の楽しさがあったのかなと思うこともある。
男性女性を問わず、わりと惚れっぽいというか、「いいな」と思いやすい性分だった。貞淑であるのは気が多いことに等しい。それでも「恋愛をする」コストが賄いきれなくて、長い間恋をせずにやってきた。処女だったことに、周囲とか世間が言うほどには抵抗はなくて(むしろ、例えば童貞であることをアイデンティティの欠陥であるかのように悩む人々を見て不思議にすら思っていた)、相手を選んだいちばんの理由は、たぶん単純に、「一番最初に話を持ちかけてきたのがその人だったから」だった。
選択は間違えていなかったと思うけれど、決めた相手が女性だったとして、それでもそれなりに必死になれた自信みたいなものはある。必死になる、というか、おそらくそれが「愛する」という感覚で、でも、それを知ったのはこの人のお陰で、仮に今後、分かれることになったとしても(だってこの先何があるかなんてわからない)、この感謝だけは絶対に忘れないはずだ。私は人を愛することができる。それは現在で、どのように生きるにせよ、一秒一秒、つねに過去になる。それは刻々と更新されている。その事実が、どれだけ嬉しいことか。
この社会で男である女である、というのは、ある種とても辛いことなのだと思う。自分が「もてない男」であることに悩んでいた知人が、30代を過ぎて、どんどん偏屈になっていったのを見ていた(なお、私は縁を切られた)。同世代の女の子たちは、自分が女としての生を生きなければならないことにその都度悩みを抱えていた。恋人は、(私の見ている範囲では)社会においてそれなりに有能な人だけれど、折に触れて当時「女の子になりたい」と言っていたのを見ている。私は、外見は紛れもなく女だけれど、ジェンダーロールとしての「女らしさ」をそつなくこなすことに色々な局面で駄目出しをされてきたし、今でもコンプレックスがある。
初回のデートの行き先を提案したのは私だった(そして彼は財布を忘れた)。現在のところ私のほうが収入が低いのと、けっこうすぐ困窮するので、わりとよく奢ってもらっていて(競争で財布を出しているけれど、私は人に奢るのも好きなので偏るのは不本意ではある)、あと、料理は好きなので、それぞれの家に行くことがあったら材料はこっちで用意して作ったりはする。ときどき普通の男女カップルらしい趣になっていて、ときどき、一般的に見たらおかしなことになっていて、それも特に「そうであってはいけない」とも思っていない。それなりに面白い。それは、私のコンプレックスとは無関係に。
付き合っていて感じるのは、「こうすべき」ではなくて、「こうして欲しい」「こうしたい」を相互に伝え合うことの重要性だ。一般的な男だとか女だとかのあれに結果的に近いこともあるし、遠いこともある。けれど、何より、それはとても楽しい遊びだ。遊び、だと思う。意見の相違はたびたび起きているけれど、基本的には、それを調整することもすごく楽しい。怒ってみせる(「みせる」であって、別に本気で怒っているわけじゃないけれど)こともある。情に訴えることもある。でも、そういった駆け引きも遊びの一環で、相手の根本を否定しないスタンスというのか、その上でやいのやいのやるのは本当に楽しい。この点については、彼氏のほうも同様なのではないかと思う。この遊びができる、ということはとても楽しい。逆に、「こうしてくれるはず」と思って漫然と待ちの姿勢になると何となくうまくいかない。
現実的な問題は常に起こる。お金の問題とか健康問題とか、これは各自ずっと努力していかなきゃいけないことだと思っている。けれど、男である女であるという重さより前に、「何かが起こる」「何かができる」ということが、ただただ楽しい。男だから女だから、ではなくて、恋人がいるから、でもなくて、ただ楽しい。配偶者がいる、ということに社会的なステータスが付加される風潮に疑問を感じていたし、今でも好きではない。可能なら、一緒にいてくれる人をそんな風に何かの道具にしたくはない、と思っている。一方で、ふたりで、今の自分たちは事実上のリア充だよねという話をたまにするのだけれど、でも、「恋人がいるから」楽しいわけではなくて、ただ自分たちのしていることが楽しい、という感覚は丁寧に捕まえていたいなと思う。
ろくでもない時間を生きてきて、長いことネット界隈にいると、不幸な話のほうが身近であるように感じてしまうというのか、「楽しい」というのがなんとなく釈然としないのだけれど、ある場所にはあるのだなと思ったりもする。身近な他人の、そういうような話をきいたときと同じように。遠い世界の話のように。
「らしい」愛情表現ができるほうではなくて、「好き、でいいんだよな?」と、よく確認される。
「好きだよ」と答えるけれど、いかにも恋人がいますというような、どきどきした感じは未だにない。好き、ということに、実はちょっと自信がない。先日母と電話で話したとき、同じことを話したら「つまらないんじゃないの」と言われた。どきどきしたりせつなくなったりしない恋は退屈ではないのかと。
そんな恋はそんな恋で魅力的かもしれないけれど、今の楽しさと天秤に掛けて、そちらを取れる自身はない。
恋をしている、実感は、今でもあまりない。でも、選んだのがあなたで良かったし、それぞれ負担にならない範囲を模索しつつ、楽しくやるための労を惜しまずにいたい、とは思っている。
小学6年生のときに毎朝一緒に通学してたサッカー部の男の子が居た。色黒で背が小さくて目が大きくてクラスの中心人物だった。俺は当時からゲイやらBLやらの世界に興味津々だったのだが、彼と毎朝話すうちに、もしかしたら俺もそっちのケがあるのかも、と思い始めた。しばらくしてのち、俺は彼のことを考えながらオナニーをするようになった。正直、自分がそっちの人間であると受け入れるのは抵抗があった。まずは母親に相談した。すると、お前は女の子からもてないから、男の子で気を紛らわそうとしてるんだろう、と言われた。12歳の俺でも、流石にこの言葉にはがっかりした。これはダメだと思い、クラスの担任に相談したら、相手が誰であろうと思いやりを持つことだよ、と言われた。これにはなるほど、と感心し、しかし彼には何も言うことがないまま、小学校での生活が終わった。
中学生のときは女の子が普通に好きになった。2回恋をしたが、2回失敗した。2回失敗して、女はクソだな、と思った。本当は自分が一番クソなのだが。
高校は男子校に入った。勿論周りは男だらけで、クラスメイトや部活の友人は文化祭で彼女作りてーな、とか、この間TwitterのDMであの娘のLINE聞いちゃった、みたいな話で盛り上がるのはまあ当然、でやっぱり俺はこの男に囲まれる状況に満足してしまった。バドミントン部の同級生、口を利いたこともない他クラスのサッカー部、自涜の材料を挙げれば枚挙に暇がない。特にバドミントン部の同級生は身体は比較的大きく、しかし童顔で声が高く、今ではあまり使わない言葉を使えば「紅顔の美少年」という言葉が相応しい見た目だった。彼と一緒に帰ることが出来た日なんかは気が狂いそうなぐらい嬉しかった。しかし、林間学校の宿泊先で彼と同じ部屋になりすっかり有頂天だった俺は散々彼に絡んでいたのだが、当時俺は「それ」のケがあるんだよねとネタ半分に吹聴していたのもあってか旅行の前日に「キスとかしないでね、本当に」とわざわざ個人LINEが来た。キスはおろか、過度なスキンシップは避けていたつもりだったが、やはり疚しい気持ちというのはそれとなく出ているのかもしれない。俺は深く反省すると共に、俺はネタでああいうことを言っているのであって真面目ではないよ、と、彼を安心させようと思う故の姑息な嘘をついた。12歳のときに両親に言われたことを殆ど同じように自分に言ってるじゃないか、という気分にもなった。また、同性から寄せられる性的好意の目はこんなに嫌悪されるのか、ということも学んだ。
そのうち部活で後輩が出来た。後輩は素直だし、何より見た目がドンピシャだった。とはいえ少し幼過ぎたので、最初はなんとも思っていなかったのだが、諸事情で1対1で面倒を見たりしていると単に後輩をかわいがるとかそういう感じでもなくなってくる。俺を信頼し慕ってくれている。根がどうにもアホなので人の態度をすぐ信じてしまうのだが、割とあっさり彼のことを本当に好きになってしまった。同級生はついぞそういうリスペクトの交換みたいなものはないし、そうなると承認欲求オバケである俺は後輩に自分のプライドとかアイデンティティを思い切り仮託して、それを受け止めてくれていると錯覚することによって好きになっている気がする。あと、女子に2回無碍にされたり母親に心ないことを言われたりしたせいなのかそうでないのか、ともかく俺は女が嫌いになっていた。全ての女はアホだと思うようになっていた。事実関係として女がアホかどうかは別として、というかそんなことは俺からすればどうでもよいのだが、ともかく俺の目からはそういう風に世界が映るようになってしまったということだ。しかしそのように自分のことを輪切りにしてみたつもりになってもどうにも授業中や部活をやっている最中も彼のことは頭を離れてくれなかった。なんとしてでも彼をどうにかしたい、だがどうにもならない。挙げ句の果てに俺は彼女の一人も居たことがなく告白のコの字とも縁がなかった、要するに全くもてない男だし、女に好かれようともしない男をどうして女が好きで当たり前の男がまかり間違って好きになることが出来るだろうか?ふと、林間学校前日に同級生から届いたLINEが頭を過る。男が男に好かれるのは、そんなに身の毛のよだつことなのか。そういえば俺の好きな後輩も「最近、○○先輩(俺)が僕を見るときの目と他の後輩を見るときの目が違う気がする」と同期に漏らしていたらしい(林間学校の件で学んだ俺はセクハラじみたことをできるだけしないように気をつけているつもりだった)。でも、それでも俺は君のことを心から愛しているんだ。例え気持ち悪がられたって構わないじゃないか、とヒロイズムに浸ってみれば、見た目へのコンプレックスが俺のヒロイズムをバカじゃねえの、身の程をわきまえろこのクソが、と蔑み、そしてそのように卑屈になって自己憐憫に陶酔している自分をバカにする視点があって、さらにその視点は…と、俺の劣等感と後輩への歪み切った愛情は無限後退を繰り返す。でも俺は本当に彼のことが好きだ。好きで好きでたまらない。どうにかして彼とどうにかなりたい。
俺は来年の4月で大学生になる。青すぎると笑いたければ笑って欲しい。でも俺はこの増田という場で恥部を文章にすることでしか自分を慰めることができない。好きな男の子のことを考えながらチンポを握るのってめちゃくちゃ虚しくて悲しくなってくるからな。この文章は俺が最高に気持ちよくなれるオナニーだ。皆、俺のオナニーを見てくれ。
女。28歳独身。
都内在住実家住み。仕事はIT企業広報。S女子大英文科卒。中高は神戸の女子校
愛読書はFitzgeraldの「Tender Is the Night」、
Calvin Tomkinsの「Living Well Is the Best Revenge」
容姿は三十路近いというのにノースリーブのワンピースを気張って
武装してまんねん。
ほんでな、職場の仲間と一緒に、バーベキューか何かをしている写真を撮ってやな、
たとえばWantedlyにでも上げれば、リア充女子やんか思われて、高学歴エンジニア氏や
渋谷、六本木のIT業界界隈で有名な営業マン氏からのつながりコンタクトが
あったりなかったりする今日この頃やで。
すまん。標準語に戻す。
んで、ある知人男性がいるのだけれども。まあ元彼というやつだ。
この男、東大出の金融関係勤務で3年前に半年ぐらいセックスする関係があり、
彼の海外赴任とともに別れたが、1ヶ月ほどまえに東京に帰ってきており、
それで連絡が復活した。一度会って当然のようにセックスに誘われたがそのときは断った。
しかしまた会うことになっていて、今度強引に誘われたらわからん。
あて、意志弱いし快楽に流されるタイプやもん、やってしまうかもしれへん。
あ、すまん、標準語に戻す。
ところで主題の件。
「ぼくは愛を証明しようと思う。」
という本が出ていて、藤沢数希という方がお書きになったご本である。
面白いよと、その男性から教えてもらった。職場の同期入社の女子(コンサバ女性雑誌で、
それなりに有名な読モだった女だ)に話したら彼女も知っていて、
その本を持っているというので借りてみた。
尼のレビューをざっと読んでみた。あと、この本の感想を書いてる
が。
つまらない。
レビューには恋愛工学信者による賛美か、恋愛工学を批判するdisしかない。
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/money/1403901468/l50
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94 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:31:10.79 0
>昔からヤリ手の男は日替わりでハイレベルな女を運用しまくってたし、ヤリ手の女も男を運用しまくってたしね。
まあ、それは正しいんだろうけど。
どんどん逸れていくリスクがあると俺は思う。
自分、知り合いを介しての知り合いで、何度かお会いしたことがある。仕事がらみで。
で、俺にとって、実際に会ったことのある「いい男」の象徴ってヒデなんだ。
で、会社の同僚(男)の匿名ブログで恋愛工学なるものを知り、ぼく愛っていう本の
存在を知って、その知り合いの男が傾倒して実際にナンパもしているというので
興味があり本屋で立ち読みしたんだけど。最初の数ページで棚に戻したよ。
ヒデさんは、イタリアで、いい女たちと無数につきあったかもしれないが、
こういう手法で女と仲良くなっただろうか?そんなはずがない。
俺はこの本を最初の数ページだけ読んで「自分には無関係」と無視する
ことができた。
だが他人のことは知らない。なぜなら、
「いい男」と聞いて具体的に誰をイメージできて、そのイメージから
どのように情報を取捨選択できるかというスキルには個人差があるからだ。
95 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:45:33.10 0
お前わかってないな。
そりゃ中田はかっこいいよ。あたりまえだろう。
自分から物欲しげに女に近づくようなナンパなんかするはずもない。
といったところで誰もくいつかない。
でも
「(ぼく愛に出てくる)永沢みたいなのを目指そう」
といえば大衆はついてくるんだよ。
これは自分を傷つける可能性がある
つまり「男ならヒデを目指せよ」的なメッセージは今の時代売れない。
お前らもセックスにありつけるぞ
と言って彼らに寄り添ってくれ、彼らのコンプレックスを癒してくれる。
だから売れるんだよ。
この本が売れたらいいなと思っているし、実際に売れている。
96 :名無しさん:2015/07/17(金) 07:54:17.65 0
94だけど。
===
引用は以上。
ちなみに、私の今所属している会社は、ある有名IT企業が出資していて
めざせIPOで勝ち組万歳モードでやっているんだが、その有名IT企業の
って、そんなことはどうでもえーねん
私が快適に生きていければ、それでえーのや。
とりあえず会社を上場させたい。そしたらウチもプチ成金やでえ。
ほなな。
もちろんフェミニズムと新自由主義という思想は非常に親和性が高く、互いが互いの考えに片足ずつ突っ込んでるという感じで切っても切り離せないのは周知の事実ではある。
しかし、決定的に相容れない部分があるのもまた事実。新自由主義というのを単純化して少々乱暴にいえば弱肉強食の理論なわけで、性差別の撤廃や男女同権をかかげるフェミニズムとは目指すべき世界観が理想郷が根本で違っている。
新自由主義者たちが推し進めた既得権益の打破、抜本的改革、岩盤規制の破壊、構造改革、民営化、規制緩和、国家戦略特区、道州制、小泉フィーバー、自民党をぶっ壊す、これらの政策にフェミニズムは利用された。女性の社会進出、男性社会の破壊。確かにフェミニストの掲げる目標の一部分は達成したのかもしれない。
みんなで貧乏になれば平等という話だ。世の中のイケメンを全員抹殺すれば相対的に顔面偏差値が上がってハーレムなのにと、妄言を吐くもてない男の与太話と大差ないが、それがまかり通るのが平成である。
あの竹中先生もおっしゃっていた。日本の最大の既得権益は正規労働者だと。彼ら正社員は非正規から搾取している悪人だと、だから全員非正規にすればみんなハッピーで世の中うまくいくとかなんとか。
真の狙いは不明だが、もしかしたら1%の金持ちに批判がいかないように正社員と非正規の対立を煽っているのかもしれない? もしそうだとしたらとんでもない策士であり。陰謀である。パソナの陰謀でしかない。
そんな巨悪があるかないか知ったことではないが、俺としては日本中の俺より幸せな人間が不幸になることを止める理由がないので、構造改革も規制緩和もどんどんすすめてくれてかまわない。みんなで不幸になろう。この日本という泥舟にのって、夜の国道を無灯火で爆走し、赤信号をわたりまくるのだ。
しかし、弱者男性とか言うゾンビよりも厄介で醜い死んでるのか生きてるのかわからない、燃えるゴミと燃えないゴミの間に生まれたような人間たちがフェミニスト連中を攻撃しているのは喜劇としかいえない。
たしかにフェミニストと聞くと三角めがねをかけて語尾がざますで田島なんたらみたいなのを想像しまいがちではあり、あのような人間なら傷口に塩を練りこんで、永眠する呪いのをかけたくなる気持ちが理解できなくもない。
が、それは罠だ。だれが仕掛けたかはしらん。しかし間違いなく弱者男性とフェミニストが対立しているのを見て爆笑しているやつがいる。弱者を生み出した黒幕が囁いているのだ。女を叩けと公務員を叩けと正社員を叩けと若者を年寄りを、地方を叩けと。
そんな黒幕が本当にいるのかは知らん。しかし弱者を生み出したのはフェミニズムなんていう軟弱で被害者面した奴らの思想ではない。弱者を追い詰めるのはいつだって強者の理論に決まっている。
そもそもこの新自由主義的政策を行ってきた政党が保守政党を名乗る自民党だということを考えてくれ。
ネオリベは保守と手を組みフェミニズムとも手を組み、巧みに姿かたちを変え、鵺のような立ち振る舞いであらゆる人間あらゆるす思想を取り込み吸収していく、よく乾いたスポンジのように。どんな考えを取り入れても新自由主義は歪まない、曲がらない、へこまない。矛盾を起こさない。きっちり辻褄を合わせてみせる、合わせたように振舞える。どんな角度から批判されても、するりとかわしてみせる、それはしなやかな柳をを連想させる。柔軟である。どんな相容れない存在も許容し、あるいはこちら側の色に染めるのだ。
そんな詐欺師のような理論は世界中であらゆる政治的な場面で大活躍だ。八面六臂とはこのことか。
まさに最強の理論。弱肉強食の理論こそが、この複雑な世界をもっともシンプルで、なんの矛盾も間違いもなく見渡せるのだ。誰だって弱肉強食を否定できない。
多面的なあらゆる関係性のなかに生きている俺らが一番最初に気づく真理がこれだ。
これに一枚かまない理由はない。俺もこの理不尽なゼロサムゲームに勝ちのころるために、弱者どもを言葉巧みに操り、被害者のふりをしながら一人ひとり地獄へ突き落としてやろう、そうしよう。
強者に媚びへつらい寄生し弱者からは搾取する。現実をとことんネガティブに捉えれば所詮こんなもんなのだ。開き直って詐欺師にでもなったほうが美味しい飯を食いながら人の不幸でおかわり三杯はいけるだろう。
右翼も左翼も利用して、男と女を対立させ、若者と年寄りを対立させ、日本人と外国人を対立させ、不毛な殴り合いを遥か高みから見下ろすのだ。膝に猫を抱えながら。
そしてどの勢力にも関わり、裏から扇動し、洗脳する。しかしどいつも俺らを批判できない。なぜならどいつもこいつも新自由主義に片足、いや両足つっこんでいるのだから。
フェミニストと新自由主義者が目指す理想郷はまったくの別世界であるが、これからもフェミニズムは利用され。新自由主義のピエロ、もしくはパンダとして消費されるだろう。
安部首相のいう女性の活用とかいう政策はまさにフェミニストと新自由主義者のねじれが引き起こした暗黒面だ。女も男も幸せにならないのだろう。いい気味である。
女は、美人だと口説かれるし、普通でも口説かれるし、ブスでもイジられたり痴漢には遭ったりする。
良くも悪くも純粋な無視を受けることは少ないし、「嫌な構われ方をするのが辛い」というのがメインの悩みだ。
でも、もてない男は本当に、本当に無視されている!いじめられる以前に、存在を認識されていない。
セクハラ、性犯罪が悩みの女にとって、純粋な無視というのはピンと来ない問題で、そこに関心も無いからこそ、
もてない男の現状というものが本当にわからないのだろうと思う。
もてない男が唯一女に認識されるのは、酷い内容の主張をしたときで、
たとえば恋愛工学のような「女性の人格をないがしろにする系」の言説をして、女を怒らせたときだけだ。
無力な男にとって、唯一女に構って貰う方法が、女を侮蔑して怒らせることなので、辞めることはないと思う。
容姿を磨き、金を稼ぐことで美女に構ってもらうという方向に動ける男なら、既にそうしているはず。
女を侮蔑して構って貰おうとする男はそれが出来なくてそうしているのだろうし、やめろと言っても無駄。
相手にせず、自分の時間のロスを最低限に抑えるのが最善策だと思う。
賢い女は無視の純度を上げる。
どこでつっかえているかで説明できる。
多分恋愛する気がない。悩みも無いので本人にとっては快適な状態。
こういう人に恋愛しろと干渉するのは、ちょっと頭のおかしい人だ。人の勝手です。
恋愛についての妄想だけ脳内で繰り広げて、行動には全く移さないというありがちな状態。
大半のもてない男女はここに当てはまる。
妄想エネルギーが強いので、ラブコメやハーレムものみたいな創作を生み出すのには向いていると思う。
自分の行動に対して相手がどんなリアクションをしているか、わからない、あるいは興味がないので見てない。
「勘助」「ストーカー」などと言われがちな人々。ロックオンされると酷い目に遭う。
生きてるだけで加害しまくるモンスター性質だが、男性とは限らない。女性でも全然居るから男女論にはするなよ!
多くの既婚者はこの辺に何十年間も留まっている。
夫も妻も、問題は認識しているのに改善がダルいのでしない。で、同じネタで何度もケンカになる。
「お互い様」だったら離婚せずケンカを続けるし、片方だけが改善志向になったら離婚しやすい。
揉め事が起こりにくい状態。
恋愛だけでなく友達との関係も、部下の育成も、子育ても、全体的に上手く行きやすい状態だと思う。
周囲では、②や④の状態に居る人が多いように感じる。
まともな教育を受けていれば、『事実と意見を分ける』というのはレポートなり論文なりで指導されてことがあるだろう。
が、増田かぎらず、SNSでもなんでもいいが、ナチュラルにこれが出来ない人がほとんど。
「女性専用車両はラッシュの時に空いてたりして不合理だ」→「もてない男のひがみだな」。 どー考えても前者は事実を述べただけだが、後者は意見である。意見が事実を否定することがあるんだろうか。
「女はリミットあるから結婚しないとだめだろ、将来の安定もあるしさ」→「ブサメンで女に相手されてない現実みれないゴミ」。 前者は事実だが、後者は意見。
こういうことにナル理由は、「相手にとって都合の悪い事実を示す」時に、受け取り側が「こいつはオレがきらいなんだ!」という反応をしてしまうからだろう。嫌いだからという個人の思いがなぜ事実を変化させるんだろうか、いやさせない。 つまり、感情が発生してしまって論理的に考えられなくなってしまうんだろう。
普通に教育を受けていると、事実と意見を混同するのは、無意識にできないし恥ずかしいしばからしいと感じる。
小学生くらいからずーっと当たり前に思っていた者ができない人がいると「馬鹿」と感じる。さらにこのルールをしらない人も「感情的な意見を理解できない馬鹿」と思い出す。
たった一つのルールを知ってる知らないだけで思いっきり別人種、話が通じ合わない。
自分はずーっと高学歴しか知らないまま27歳になったのでこれはビビる。