はてなキーワード: 西武線とは
3歳の息子が電車にハマってしまいことあるごとに電車を見たいとせがむようになったので、朝夕2回散歩がてら電車を見にいっている
幸いなことに我が家は西武新宿線沿線にあり、歩いて8分ほどのところに踏切があるのでここが毎日の観測ポイントとなっている
以前は通過する電車を見るだけで満足していたのだが、息子が日に日に面倒くさい要求を出すようになってきた
最近は4種類の車両全てを見るまで帰ろうとしない(銀色に青と白のライン、銀色に青と緑のライン、黄色い車両、レッドアローの4種類)
運が良いときには10分ほどで全ての車両が通過してくれるのだが、その日は運悪く通過するのは黄色い車両ばかり
そうするうちに息子と喧嘩になり息子が泣き出してしまったので、「じゃあ駅員さんに聞いてみよう」と息子を宥めて駅へ向かうことにした
駅員さんに聞いてもどんな車両がいつ通過するかは分かるわけもないが、これで息子が納得するだろうと思って駅へ行き、改札の駅員さんに
質問してみたところ、「西武鉄道のHPからアプリをダウンロードしてもらえば車両の種類が分かりますよ」との回答
よりによってなんで生活費引き落とした直後に財布を落としたのか
しかも品川駅の改札に入ったまでは確実に手元にあったから、むしろどこで落としたのか一切見当がつかない
唯一考えられるのは金網の上に荷物置いた時にその拍子で外に財布が飛び出したぐらいなんだけど、普通そんな落とし方するか????
しかも赤だから普通気づくだろアホかよアホですあ〜〜〜死にてえ
気づいたのは高田馬場から西武線に変えようとした時 まさか8万入ってる財布無くすとは思わないじゃん
財布見つけてくれた人が良心に従ってそのまま駅員さんに届けてくれたらいいけど
でも財布中身見て8万入ってたら欲しくなるよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
中身ちょろまかしてもいいかなって思っちゃうよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それは私の生活費で〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜す死んでくれ〜〜〜〜〜〜〜
せめてもうキャッシュカードとSUICAだけは無事でいてくれ 現金は死んだ もういない
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28186.html
不審な男が現れたのは、今月9日午後6時40分ごろ、西武線「東大和駅」の駅前にある「東大和スケートセンター」周辺を歩いていた男子学生を呼び止め、「性に興味があるなら、そういう動画を見せてあげる」と持ちかけた。
先を急いでいた男子学生は「結構です」と断ったが、男の言動を気味悪く思ったことから、帰宅後に警察に通報した。不審な男の年齢は40歳前後、身長170センチくらい、中肉体型でカーキ色のジャンパーを着ていて、髪の毛は白髪交じりだったという。
車両のドアから少し離れた場所に、人波に揉まれながら立っていたら、脇腹に強い痛みを感じて跳び上がった。
思わず「いてーな!何すんだ!」と叫びながら振り向くと、20代くらいの会社員風の女が、手に持ったスマホをこちらの脇腹にゴリゴリねじ込んでいる。女はこちらに目も合わさず、「通してくださ〜い」と言いながら、やはり強引に肘で私の体を押しのけて車両の奥に分け入って行った。
次の駅で少し人が降り、私も車両の奥に進んだのだが、例の女の背後を通った瞬間、今度は背中に強烈な肘打ちである。まったくわけがわからない。
実はこういう経験は初めてではない。以前にも、自分のポジションを取れなかった腹いせか、やはり若い女性からカバンを体に叩きつけられたりということがあった。女性の車内暴力は意外に多い。
こちら側に何か、彼女らの暴力性を引き出すような行動があったのかどうかはわからない。ただ、よくわからない理由で一方的に暴力を振るわれたというのが事実だ。
こういうとき、どう対処すればいいものだろうか。立派な暴行罪ではあるはずだが、こちらが怪我でもしていない限り立件は難しいだろう。取り押さえて駅員や警察に突き出すにも、男性対女性の関係では分が悪い。
乗る時間帯や車両を変えればよい、という意見もあろうが、理不尽な暴力に無言で屈するのはどうにも納得がいかない。そもそも、逃げた先に同じような野蛮人がいないという保障はない。
突き詰めれば満員電車という理不尽な環境が諸悪の根源であるのは承知のうえだが、自分の身を当座どう守れば良いか、悩ましいところだ。
女性の車内暴力にどう対処するか
車両のドアから少し離れた場所に、人波に揉まれながら立っていたら、脇腹に強い痛みを感じて跳び上がった。
思わず「いてーな!何すんだ!」と叫びながら振り向くと、20代くらいの会社員風の女が、手に持ったスマホをこちらの脇腹にゴリゴリねじ込んでいる。女はこちらに目も合わさず、「通してくださ〜い」と言いながら、やはり強引に肘で私の体を押しのけて車両の奥に分け入って行った。
次の駅で少し人が降り、私も車両の奥に進んだのだが、例の女の背後を通った瞬間、今度は背中に強烈な肘打ちである。まったくわけがわからない。
実はこういう経験は初めてではない。以前にも、自分のポジションを取れなかった腹いせか、やはり若い女性からカバンを体に叩きつけられたりということがあった。女性の車内暴力は意外に多い。
こちら側に何か、彼女らの暴力性を引き出すような行動があったのかどうかはわからない。ただ、よくわからない理由で一方的に暴力を振るわれたというのが事実だ。
こういうとき、どう対処すればいいものだろうか。立派な暴行罪ではあるはずだが、こちらが怪我でもしていない限り立件は難しいだろう。取り押さえて駅員や警察に突き出すにも、男性対女性の関係では分が悪い。
乗る時間帯や車両を変えればよい、という意見もあろうが、理不尽な暴力に無言で屈するのはどうにも納得がいかない。そもそも、逃げた先に同じような野蛮人がいないという保障はない。
突き詰めれば満員電車という理不尽な環境が諸悪の根源であるのは承知のうえだが、自分の身を当座どう守れば良いか、悩ましいところだ。
数年前の話。
あの花の影響で、明らかに地元民じゃない若者(=聖地巡礼者)がやたらいっぱいいたことより、秩父鉄道とつながっていたことより、東急の車両が走っていることより、都内が高架複々線化されていたことよりも何よりも、飯能まで複線になっていたことが凄まじい驚きだった。
「もうすぐ飯能かあ…直前の信号所から単線になって、いよいよ都会を離れてしまった感が出てくるんだよな…って、あれ?複線のまま右手から単線が…え、飯能?え?複線化されてた!?マジ?うそでしょ!?」
文章化すると実に頭の悪い感想で恐縮だが、一人でパニクって言葉を失った。
実に30年ぶりに乗るまで、自分にとっての西武線は小学校上がる前の記憶で止まっていたので、そりゃもう心底驚愕した。
一応あの花・秩父鉄道・東急・高架複々線の話は情報として知っていたので、そんな大きな驚きはなかったけど、それ以上新しい情報なんて無いと思っていたのが間違いだった。
そんな筆者の幼少の記憶に必ず出てくるのは、5000系レッドアローである。でも何故か行きしか使わなくて、帰りは黄色い普通電車だった。
まさに行きはよいよい帰りは…を地で行く行旅で、帰りは山間の単線で延々揺られるのが超退屈で嫌だった。
でも飯能からちょっと行って複線になると、ようやく都会に戻ってきた→家が近い!と少しだけホッとした。
だから単線→複線という儀式(?)は、忘れたくても忘れられない記憶になってしまった。
ちなみに30年前を最後に秩父行きで西武線を使わなくなったのは、熊谷から荒川沿いのアプローチで秩父に行くようになったから。
更に、今世紀に入ってからは秩父行きそのものがご無沙汰になっていたと。
いや、幼心にすごく不思議だったんだよね。
飯能から池袋方面に出発する時は単線なのに、隣の元加治に着いた時は複線。なんで???という感じ。
それで一回、子供だったら必ずやる、かぶりつき前面展望をやってみて謎が解けた。
駅も何もない所にポイントが有って、そこで複線になるんだ!!
信号所などという存在を知らない当時の自分にとって、これまた「いつの間にか複線」を上回る衝撃だった。
この時点で一生忘れられない記憶として確定したと言っていい。
それなのに、飯能まで複線になっていた。
都会が更に伸びた!くらいのインパクトだった(飯能市の人ごめんなさい)。
それで帰宅して早速調べてみたら、こういうことだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E7%B8%AB%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%89%80
なんと、敵は八高線だったのだ!
昔絵本で、単線非電化ローカル線のガーターの下を黄色い西武電車がくぐる絵があったけど、それか!!
あの本、なんて本だったか全く覚えてないけど、wikipedia読んだらその絵だけ記憶から蘇ってきたとか、一体どうなってんだ。
余談その1
初代5000系の美化された記憶込みだけど、あんまり魅力的には思えなかった。
まあ、新幹線で東京から近くなったことだし、なるべく早く富山まで乗りに行こうと思っている。
余談その2
秩父は第二の故郷だけど、上に書いた経緯から、飯能にもお世話になっている。
なのでお礼に天覧山には登るつもり。
余談その3
良し悪しなど無くてただ好き嫌いがあるだけだと思う。音楽、と言ってもここで話題になっているのはクラシックや現代音楽などではなくていわゆる歌手やバンドの邦楽や洋楽で、そういうものに関しての音楽ならば。服や食べ物と一緒。みんなが言う「この曲いい」は「好き」って意味だけ。反対は悪ではなくて嫌い。それを前提に書く。
歌詞がいいと思うこともあるし、リズム、メロディー、楽器の音とかが綺麗と思うこともある。元増田の友人の「歌詞なんて気にしたことがない、曲がいいかどうかだ」っていうのはきっとこういう意味だよね。
それに加えて、映画のような場所を固定されて鑑賞するものと違って
音楽というのはそれが流れるまわりの環境が鑑賞に関わってくるものだと思ってる。(鑑賞というふうに書いたけど普通に聴いて楽しむくらいの意味でとってください)
たとえば、夜道を歩きながら聴くと気持ちいい曲とか、カーステレオで流すと気分が上がる曲とか。
それは何も夏だからサザンを聴けとかクリスマスだから山下達郎を聴けとかいうことではない。
最初はそういうふうに聴いてもいいけど、CMやなにかの主題歌みたいなメディアが提示した文脈に関係なく自分が自分で「良い」と発見できると楽しいと思う。(私は、昼間の人気のない商店街で聴く尾崎豊、西武線に乗りながら聴くシンディローパーがなどが好き)
だからもちろん、元増田の『親が好きで車でよく流していた曲、』だから好きっていうのもいいと思う。めっちゃいい。
音楽そのものを味わうのもいいけど、音楽が流れている環境に身を委ねてそれごと好きになって楽しむっていうのもいいんじゃないかな。
これを音楽そのものを味わっていないから不純、みたいに言い切るのはつまらないよ。
同じ曲が好きな人にどういうところが好きか聞いてみる。自分もなるべく言語化できるように努める。
うまく言語化できなかったり、この曲についてもっと知りたいと思ったらその歌手が出てる音楽雑誌のインタビューを読んでみる。
そうすると、少なからず作者の意図とかも見えてくるし、全く音楽の知識がなくてもこの曲にはこういう楽器が使われてるのか、この音はこういう名前があるのだな、みたいなことが少しずつわかってくる。
そうすると、好きな音楽の好きな理由が言語化できてくるという良いスパイラル。
言語化できるようになると理屈っぽくなってしまうということは無くて、むしろ「良い」と感じる感度が上がってくるよ。
量を聴くより先に一度は質で聴いてみるのがいいのかも。
こんなん面倒くせえやってらんねえよって言う人はセックスした相手の好きな音楽を聴いてください。そういうのも良いよね。エモい。
都道府県魅力度ランキングで、毎度ワースト争いをするのも致し方ないといえる程度にはダサい。
そもそも、律令国の時代には「武蔵国」として、埼玉県は東京都と一体だったのだ。
で、武蔵国から東京を分離した「あまりの部分」が現在の埼玉県なのだから、これがダサくなくてなんであろう。
(余談ながら、ことあるごとに埼玉はおろか、東京すらも下に見る、あの鼻持ちならない「横浜」という地域の大半も、
かつては「武蔵国」であって、そういう意味では、横浜と埼玉は兄弟であって、ペリーの来航による開港がなければ、
かつての城跡あたりに県庁やら市役所やらNHKやらが集まっている地域が多い。
そこには、それぞれに領主がいて、城下を繁栄させ独自の文化や産業をはぐくんでいたのだろうが、
さしたる文化的な蓄積がない。
そもそも幕府の直轄領だったらしいから、まあ、東京(江戸)の一部みたいなもので、独自性もへったくれもない。
実際、小江戸と言われたこの街には、日本百名城の一つがあるし、寺社仏閣や蔵造の街並みが観光資源として使える程度には残っている。
にもかかわらず、今一つ存在感が薄いのは、この地をがっちりと育ててきた大名が存在しないからではないか。
大坂の陣で江戸留守居役を務めた酒井重忠とか、家光・家綱に仕えた酒井忠勝とか、
知恵伊豆こと松平信綱とか、綱吉の寵愛を受けた大老の柳沢吉保とか
これは要するに、徳川政権の高級官僚が、江戸の手近のところに領地を与えられたという話であって、
「優秀な人ほど、東京に通勤していて、地元にそんなに愛着がない」という
西武線沿線、東武東上線沿線、JR東北・高崎線沿線、東武伊勢崎線沿線と、
東京と各地を結ぶ鉄道沿線沿いに都市圏が発達し、住民はなにかと東京のほうを向いていて
県内の各地域の「横の連携」が弱く、それ故に県としての一体感が弱いのも埼玉県の特徴だ。
たとえば「埼玉西武ライオンズ」といっても、さいたま市あたりの住民などは、ほとんど愛着がない。
なにしろ、ライオンズの本拠地たる所沢に行こうにも、鉄道で行くとなると、
いったん、池袋(埼玉県であるとの説もあるが、行政区画としては東京都)に出なければならないのだ。
愛着なぞ沸くはずもない。
なぜなら、各地域の基盤となっている前述の鉄道路線が、おおむねかつての街道筋に沿っているからである。