はてなキーワード: 福岡市とは
私は「65歳以上」は、免許を一律返納すべきという立場を取りたい。
なぜ65歳かというと、年金を貰えるのが65歳だから、定年退職する年齢を65歳と仮定しての線引きである。
例えば、トラックやバスの運転手などの職業ドライバーも、定年で「引退」すると考える。
再雇用云々……は今は置いておいて、例えばバス会社が運転手を雇うのは「65歳の定年まで」とすれば、それが運転を引退する年齢にすべきだと思うのだ。
よって、この年金を貰うラインを、一応「現役」か「引退」かの無慈悲に引くラインとして採用したい。
だから、トラックやバスなど、プロ運転手に給料を払う企業に対して、厳密にその「現役」と「引退」の年齢ラインをしっかり決めて欲しい。
安心して雇い、安心して給料を払えるのは、何歳の運転手までか。
職業運転手は、人命や大切な荷を運ぶプロだ。事故を起こされたら会社もたまったものじゃない。
なぜなら、高齢者はどうしても、認知・判断・操作能力が、衰えていくからだ。
60歳から65歳になって、年齢が若返ることはもうない。時間は過ぎる。
池袋の暴走事故の遺族は「少しでも運転に不安のある人は免許を返納してほしい」と訴えた。
私もそう思う。
足が衰え、ガニ股になり、バックなどで腰をひねった際、身体の柔らかさが衰えた身体では足の位置がずれてしまい、
その甘い感覚のまま、ブレーキに添えていたはずの足はアクセルにずれ、思い切りアクセルを踏んでしまう。
なぜなら「ブレーキを踏んだのに進んでいる」→「アクセルと踏み間違えている」→「ブレーキを踏みなおそう」という、
むしろ「ブレーキを踏んでるのにどうして進むの?」とパニックになり、踏み間違えたアクセルを踏み続ける。
その間も、轢いた歩行者を踏み続けていることになる。無慈悲だ。これは殺人と等しい。
「年を取っても元気に運転できる人がいる」とか「田舎では移動手段がない」とか、しまいには「生き甲斐」とか言い出す始末。
要は車を取ったら不便になるから、ギリギリまで運転したいということ。
そして「家族が顔色を窺って、免許返納を遠回しに勧めて」ほしいとか言っている。
なぜそこまで気遣いをしなければならないのか。
であれば、「一律」に「平等」に免許返納の年齢上限を設けるべきだ。
18歳未満は運転できないのと同じだ。
福岡市逆走暴走事故は、事故のほんの十分前はまともに運転をしていたそうだ。
もしかしたら当時意識を失っていた(突然体調不良になった?)のかもしれないと、事故の原因を調査中だ。
高齢者は、いつどうなるかわからないから、運転はやめるべきだという事実が露呈したと言える。
ほんの十分前まともに運転していた人が、一瞬でまともな運転ができなくなったのだ。
それが「年を取る」……ということなのだ。
これが一番言いたいことだが。
「歩行者の命」に関わることだ。
健康寿命の長い、特異な人に合わせないでほしい。
平均点以下……むしろ運動神経の悪くおぼつかなくなってきた人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
運転偏差値なるものがあるなら、30とか20とかの人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。
車は、踏んだら動く。
座ってるだけで移動できる。
けれども、最低限「安全な操作」ができる「身体能力」が必要だ。
それは、高齢になるとどうしても不足してくる。スポーツと同じだ。
プロであればあるほど、自分が全盛期の動きができなくなったとすぐに気付く。
自動車の運転にも、職業運転手の定年退職と同様に、年齢に上限を決める。
どうか、運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい。
私はペーパードライバーだ。
45歳までに車を買えなかったら、返納しようと思っている。
45歳以上になったら、ペーパードライバー講習を受けても無理だろうと思っているからだ。
21歳で免許取得したのに、自動車そのものも維持費も高く、いまだに持つことができない。給料が低いのだ。
だからどこにでも歩いていく。汽車に乗っていく。バスに乗っていく。そして歩く。
齢90の祖母、65の父もそうだ。
祖母は免許を持っていない。運転できる祖父が亡くなってからは、ずっと歩いている。バスに乗ったり、バスがなければ歩いている。
祖母のような高齢者でも、車がなければないでなんとかやっている。
父は車の維持費が大変で、55歳ごろ車を手放した。
車を手放したらタクシー代が…という人は、車のほうが金食い虫と言えないだろうか。
父は、バスの通る場所に引っ越したし、祖母は、生協の宅配を利用して日々の買い物は賄っている。
車って、一度持ってしまうと手放せないんだなと、高齢者の誤操作による事故のニュースを見ていて、日々思っている。
そして不思議だ。
実家には車のある時期もあったが、私自身は車を持ったことがない。
そういう人間からしてみれば、なぜそこまで車に固執するのか不思議でならない。
事故のニュースだって、決して交通の便が悪くなさそうなところで起きている。本当に不思議だ。
おまけに、高齢者が若かったころ、そもそも車なんか発明されて間もなく高価で手が出せなかったのではなかろうか。
便利なものはなかなか手放せない。仕方ない。踏めば走る。便利だ。
あるエリアが、「クルマが無くても生活できる」か、「クルマがないと生活ムリなのか」
人口密度とか、人口集中地区とかの指標はあるが、平成合併で水ぶくれした行政区で計算しても、あまりアテにならない。
で気付いたのだが、「タイムズカーシェアのステーションが出店してるか、否か」が、そのエリアの公共交通機関の発展度
、そして「都会か、田舎か」の度合と、多分に相関してるのだ。
首都圏で確認してみると、概ね16号以内にステーション多数エリアがあることが可視化されてるし、鉄道沿いにステーション密集エリアがあることが可視化されてる
地方都市でもステーションの多い都市、少ない都市があって、ステーション少ない都市は、やはりスプロールの都市。
過密な那覇市は70ステーションあるのに、スプロール都市の浜松市は10しかステーションが無かったりする。
名古屋市と福岡市でステーション数は大差ない。つまり公共交通の発展度は名古屋市は福岡市程度でしかなく、大阪市とは段違いであることが判る
横浜市は日本第二の人口だが、ステーション数では大阪市の半分でしかなく、都市公共交通の利便性では「大阪市の半分」であり、「実質的には、日本第二の都市は大阪市である」ことが可視化される
東日本の県庁所在都市と西日本の県庁所在都市を比較すると、相対的に西日本の方がステーションか多い、つまり「西日本の県庁所在都市の方が、クルマ無しでも住みやすい」ことが可視化される
地方都市に移住する際に、「タイムズカーシェアが、それなりに存在してるところ」という基準で街選びしたら、交通難民にならないし、そういうエリアは住民マインドも都市的だから、「田舎の人間関係が大変。地方移住するんじゃなかった」という不幸も防げるんじゃないか?
ちなみに自分は福岡なのですが、福岡 ドナー 助成でググるとこんな状態でした。
福岡市 骨髄バンクドナー登録者への助成制度について | 寄せられた市民の声
割と大きな政令指定都市であるはずの福岡市ですらこうですから、国や県などはなかなか当てにできないのがやはり現実のようです
しかもその一方で
骨髄バンク事業にご協力をお願いします - 福岡県庁ホームページ
こんなお願いをしちゃうみたいなんで、ほんとドナーとかって善意のたまものなんだなあと悪い意味でしみじみしました・・・
自分は貧血気味で献血も一度もしたことないくらいなので、そもそも無理っぽいのもありますが
ただ、罪滅ぼしではありませんが、こんな不肖の体でよければと、免許証更新したら真っ先に裏の臓器提供オールオッケーにマルをつけてます
という記事を読んで、北九州市出身者として引っかかりを覚えた部分がある。
落ちていない。福岡市近辺の人間にそう言うと、治安が悪いのは北九州とか筑豊の話だと返ってくる。 確かに福岡市でそういう危険を感じたことはない。そういう人を見かけたこともない。その点では前に住んでいた西新宿の方が良くなかった。
(中略)
とは言え、福岡市について言えば「修羅の国」というレッテルはだいぶ煽りすぎていて、普通の東京の都心部と同じ感覚で過ごせる。要は治安のいい場所と悪い場所があって、悪い場所は避けましょう、そうすれば大抵安全ですという感じ。
北九州市出身で福岡市にも長いこと住んでいたけど、いずれも同じように普通に暮らしていたし、危ない目にあったとかいうこともない。はっきり言って北九州市に関してもだいぶ煽り過ぎだと思いますけどね。一部のまとめブログとかの、面白おかしく話題集めできればなんでも良いみたいな人間たちのせいで、あまりにも雑で偏ったイメージが広まりすぎててなんだかなという気持ち。
あと「危ないのは福岡市じゃなくて北九州市や筑豊のほう」みたいな文言は、こういう話題になるとネットでもそれなりに見かけるけど、失礼なこと言ってるなと思う。無意識で言ってるのか何のかはわからないけど、実際の街をみてきた身からするとすごく風評を煽っているように見えるし、あまりにも風評が現実を塗りつぶしているようにも思う。
「福岡はすごく治安が悪い」というような事をあなたが東京で聞いていて、でも実際は違ったというのなら、北九州や筑豊に関しても同じである可能性があるとは思わなかったんだろうか。移住によってその土地の悪い印象がある程度払拭されたというのは伝わってきたけど、結局は風評に流されていることに変わりはないように感じた。
@moonpand あまり大きな声で言えないんですが、topisyuとはHagexの別アカウントなので、どちらにたれ込んでもたどり着く先は同じです。
https://twitter.com/topisyu/status/441154248143687680
現時点でのトピシュさんの最後のツイートは 20:28 - 2018年6月24日。
@topisyuさん
はじめまして、突然のご連絡を失礼致します。福岡のRKB毎日放送報道部です。きのう福岡市で起きた殺人事件について取材をしております。
ネット、ブログの反応などに関して知りたいことがあります。相互フォローのうえDMをやり取りをお願い出来ないでしょうか?どうぞよろしくお願いします。
人脈づくり
ですよ。興味のある分野の学問なら勝手にゼミにもぐり込んで講師と個人的に知り合いになったり、面白そうな学術イベントなら片っ端から頭を突っ込んで、同じような興味を持ってる学生を見つけて情報交換したり、知らない本とか良さげな学者とか教えてもらうと楽しいこともあるぞ
大学てのはあちこちの地方から人が来るし、学生の年齢幅も結構ある(地方大学でも、たとえば福岡市の大学なら九州全県から学生が集まる)。意識的に人脈を広げようとすれば、確実に地方高卒在住で人生終わる奴よりも広い世界が見られる。
それが直接役に立つかは知らん
ただ、1990年代当時の話だが、俺の場合はそうやって自分より学歴が高い友人を何人か作った結果、そのおこぼれ(人脈つながりの紹介)で、ド零細ながらも人文系でメシが食えるようになった
福岡県内の、福岡市の通勤圏からは外れた所の出身の私にとって、福岡市というのは幼少のころから「都会を求めて」向かう場所だった。
県内の似たような地域出身の人とか、九州内の他県出身の人が福岡市近郊には多く住んでいる。理由は仕事を求めてだったり、憧れだったりと人それぞれではありつつも、彼らは「都会に出てきた」感覚で生活している。
一方で、東京から「都会が嫌になって」移住してきた人もいる。東京や大阪から転勤でやって来た人は「別の都市にやって来た」感覚の人もいるが「地方へやって来た」感覚の人も多くいる。
「博多・天神は人多すぎ」と思う人がいる一方で、「人との距離に余裕がある」と感じる人もいる。
都会ならではの刺激を多いと感じる人と、少ないと感じる人が混在している。