はてなキーワード: 生物とは
>まともな知能なら教わらなくても知ってるのか。
> 健常者ってすげーわ
冗談抜きにそうなるね
ドラマとか週刊誌でよく一般的に取り上げられるネタなので、下記に通じる話やね
常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、引火点・発火点を知らない or 忘却していても
『サラダ油を炒め物・揚げ物に使う=燃えにくい(引火しにくい)』を理解できるんだ
常人は全力で理科の勉強を拒否 or 忘却していて、化学熱傷を知らない or 忘却していても
パイプ掃除に使う強力洗剤の働き(タンパク質が溶ける)とはつまりどういうことなのかを理解できるんだ
常人は全力で保健体育や生物の勉強を拒否 or 忘却していて、熱産生の仕組みを知らない or 忘却していても
女性作家が書いた海外翻訳SFで男子がオナホ生物をペットにしてるのを看破する女子という問題作があり、それにベテランのウヨ男性作家が嫌悪感丸出しで噛み付いた出来事をおもいだした
なんつーか、そういう奴って協力的じゃないし協調性もないんだよな。
「協」という文字を知らずに生きてきたのか?という
基本的にオスが貢ぎ、メスがオスを選ぶというのは生物界の殆どがそうらしい
どこからそれが発生しているかと言えば、精子の数と卵子の数の差から来ているとのこと
精子は圧倒的に多いから、とにかくばらまくのが戦略として正しく
卵子は圧倒的に少ないから、とにかく1個を大事にするため良いオスを選ぶのが戦略として正しい
結果、精子(オス)は卵子(メス)に選んでもらうためあれこれするわけだけど、その中に貢ぐという行為も入ってくる
だからどれだけ社会が平等になって、年収が男女で同じになっても、恋愛市場では「男が奢る」という構図は発生する
とりあえず食えるものだとわかったなら好事家が試すのはわからんでもない。
たとえ風味が極端だったりまずくても。
やべぇと思うのは死につながるレベルの毒だと思う。 フグとか。
この部位は食えるやろ → あかんかった
みたいなのを何度かやらないと正確な調理法は確立できないわけで。
食って死んだやつがいることを知ってて次に続くってかなりの蛮勇やぞ。
マジレスすると3周くらいした
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じゃあ校則で髪染められない子はどうすんの?心はギャルなのにひどくね?
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黒髪や暗い茶髪でも本人にギャルの気持ちがあるならギャルと認められるように(精神)
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そのうちメイクの濃いV系や青文字系と混同されるようになり、本来のギャルから一緒にするな、こっちは気合いがちげえんだよと文句が出る
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再び、メイク濃くて金髪で服装もギャルギャルしい人がギャルということに(見た目)
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時代が流れ元来のギャルが希少生物になったため基準を下げざるを得なくなり、いわゆる白ギャル(肌を焼いてないギャル)もギャル認定されるようになりその流れでメイク薄い人もギャルということになる(精神寄り)
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ぜんっぜんギャルじゃない、むしろナチュラル系の人までギャルを自称しだし、ギャルやギャル好きの人たちから文句が出てなんか急に元祖ギャルが持ち上げられだす(見た目)
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かつて批判の対象だったギャルがいいものとみなされ始めてから、いつのまにかギャルの概念が一人歩きし始め
ナチュラル系やストリート系までもが精神的な意味でのギャルを自称しだす(精神?)
みたいな…
自分は環境に配慮して行動に移せるる高等な生物であると思いたいさもしい虚栄心。
分けないと近所のおばはんが煩い。説教されたり晒し者にされたりは嫌。
そんなとこじゃね。
自慰に使うのは、もっぱら異性愛用の雑誌や映像であり、使用比率は異性愛用8:同性愛用2って感じ。
世間がバイセクシャルにどういうイメージが抱いているか知らないが、だから私は、どちらかというと「薄い」バイセクシャルって感じだ。
ただ、性行為は未経験だけど、誰とでも自由に性行為できるという条件でなら、同性としてみたい。
それはやっぱり、本当は同性が好きだからだと思う。
素敵な身体を持つ人に、私の好きな格好をしてもらって結ばれてみたい。
生で裸を見たいと思うのは、やっぱり同性なんだよな。
そこは異性愛と変わらない。
そういえば言ってなかったけど、私の性自認は自分の生物性別のまま。トランスではない。
ちなみに恋愛自体は、異性愛としても同性愛としても、したくはない。
性行為には興味があるが、人間関係に及ぶのは面倒臭いので、恋愛もしたくはない。
それは良い質問ですね。
これはただの事実。
それを「エロを愛好しないようにしよう」というのは、ヒトのヒト性を憎んでいると言うことなんだ。人間を人間でなくロボットか何かにしようとする行為だ。
犯罪者を罰したり、警戒したりも、好きにすればいい。というかしたほうがいい。
でも「漫画を無くしてそもそもエロが好きにならないようにしよう」だぞ。は? 何言ってんの? そもそも無理だし、それ以上に他者の人間性への攻撃じゃんそれは。オナラしないアイドルを現実に作ろうとするようなもん。
20世紀の人文学には、そういうところがあった。「子供は真っ白なキャンパス」と言い放って、どんな無茶でも矯正して実現できる。理性だけの存在になるのが正しく、野蛮な本能は全て消し去るべきだ、という考えが通底していた。
フェミニズムも20世紀発祥だから、この誤りを内包している。その表れが、「ゾーニング」「フィクションの影響」論だね。影響がなければ悪の本能は無いって発想だ。そんなわけないんだよな。
宇宙について、情報の意味を重視しない方法論がある。ビッグバンから始まり量子場が形成される。それぞれの場は量子粒子と関連している。宇宙が膨張し冷えるにつれて、これらの粒子は結合したりしなかったりして、陽子、中性子、電子、光子が残る。そして銀河、星、惑星といったより大きな物理的構造へとつながっていく。そのうちの少なくとも地球では、生物が進化している。そしてその世界とある種の生物の頭の中で、神経活動が行われ、思考が可能になる。思考が可能になった時点で意味が出現した、とこの方法論は言いたいのである。
情報の記述について明確に欠落しているのは、意味である。シャノンは、記号の列がどのように通信路を伝わっていくのかを理解するという目的のために、意図的に目的論を排除した。しかし、生活経験では、情報を直感的に意味と結びつけている。情報が重要なのは、何かを意味するからである。
意味情報とは一体何か。意味情報を定量化できる数学的な基礎とはなにか。どういう状況にどれだけの意味情報が存在し、それがどのように発生し、システムが使用するためにどれだけのコストがかかるかを理解することはできるだろうか。
「システムと環境を区別する」という発想がある。システムとは、細胞であったり、動物であったり、あるいは動物の社会的集団であったり都市や国家と考えることもできる。環境は、システムの存続を維持するために資源が引き出される「場」である。定式化するにあたって、意味情報はシステムと環境の区別に関係するだろうか。生命の起源を探る場合、創発を引き起こすなにかがある。
細胞と化学物質の区別が生じるのは、細胞膜が情報を使って、何を入れて、何を入れないかを決めているからではないか。そうやって自己と外界を区別しているのでは。細胞が化学物質の中で生きるなら、細胞はシステムで、化学物質は環境ということになるのか。そしてシステムと環境の出現を可能にするために、何かが存在しなければならない。
科学する世界は、決して人間から切り離すことはできない、とするならば、科学の背後のシステム・環境を理解することが肝心なのではないか。
生命が他の物理的システムと異なるのは、時間を超えて情報を利用することかもしれない。この情報アーキテクチャは発展し続け、進化における淘汰が機能した結果である。「生物においては、経路依存性と歴史の混在が新しい形態を生み出す。進化はそれぞれ、それ以前のものを基礎としており、しばしばこ時間を超えて相互作用し、より古い形態とより現代的なものとが相互作用する」 といったことを言う人もいる。
物質から生命に至るまで、創造物は私たち一人ひとりの中にあり、その構造に関与しているのかもしれない。物質の中に潜む意味は、それを支えているのではないか。
物事を類型化したり法則を見出しする事は、それをコントロールする事に繋がる。それは未知のものに対して抱く恐怖が薄れるという事でもある。
この痛みヤバい奴じゃね…?と思って症状をググってみて、それっぽい固有名詞が出てくる。なんだ、ナントカ症なのか〜と思って安心してタブを閉じるという事はままあると思う。別に何も解決してないけど、よくある、普遍的なものなんだという安心を得られる。
じゃあ「死」という概念が無かった時って、滅茶苦茶怖かったんじゃないかと思う。ウワ、こいつ動かなくなった。なんか定期的にこういう奴現れるよな。この現象なんなんだろ。コワ〜とか思ってたのかな。
生きてる時間を人間の感覚でいうところの幸せで過ごさせようっていうのが目的だろうからね
命の数や時間でいえば命がない状態のもののほうが圧倒的に多いわけだから命になったものより命になるものと命だったものについて慮るべきだと思うんだけどね
命ってものが存在するわけじゃないしそれも永遠じゃなくて一時的な状態なわけだから 命そのものより命を形成するものとか命だったものの記録が命の価値を決めると思うんだわ
幸せって状態は生きてる状態そのもの自体を感じることだと思うので生きるためにほかの生命の状態に干渉したり命になる前のものとか命だったものの扱いについてかかわりのない状態のことなんじゃないかな
それって生きてるって状態自体を示して意義をなしてるっぽいけど命はないところからあったということへ移っていくことだという意味を失ってるよね
面倒で苦しいってこととか生きてたことがだれかの生きる事になるのを命あるうちに経験するのは苦しみってことになると思うんだけど
大昔の宗教でもそれは否定してなかったりむしろ推奨してたように感じるね
なんのために生きるかってことにたどり着いちゃうと特に意味がないというか生きてるから生きるってゆう「死を選ばない理由」が体感できる大前提としてあるのにそれを生きてる意味だと感じない人も多いもんね
生物から生きる意味を奪って生きてるってこと自体の人間の定めた意味である幸福という「生命の否定」を押し付けることが動物にとってしあわせだろうって思う事は かなりエゴいね
わたしは性転換を半年後に受けるトランスジェンダー当事者なので、TSものの作品が苦しくて見られない
いやもちろんTSものの作品を発表する自由も楽しむ自由も全員に当たり前にあるわけで(どのような主張・思想のもとの作品でもそう)、それを侵害しようとしているわけでは決してないんだけど
実際の性転換って寝て起きたら美少女に!なんてものじゃなくて、性ホルモンを毎週注射して、日本だとまだ高度な手術が受けられないからタイに渡航して性器周りの手術を受けて(望む性の性器を移植できるわけじゃないから、機能は当然自然の性器に劣る)、顔や声の手術で見た目もなんとかそれっぽくして、周囲にトランスジェンダーだとバレないように必死に過去を隠して(トランスジェンダー差別はかなりある)、それで副作用、生殖機能、金銭、時間なんかの犠牲を払ってようやく心の性別と体の性別が一致するってもので(機能や見た目もギリギリ)
そもそもの性同一性障害だってぼんやり○性になりたいな~って思い始めました!みたいな軽い気持ちのものでは決してなくて、ほとんどが物心がついたころから○性であること、自分の体、○性として扱われることへの違和感を抱えていてそれが社会的・生物的性差が明らかになってくる小学校高学年ごろからはっきりとした「苦しみ」になって、それでも性転換を受けられるまで耐えなきゃいけないっていうすごく苦しい状態で それでほんとの性別として生きていきたいだけなのにトイレや銭湯の話題で叩かれたり「○性であることから逃げた負け組」「周りにいると考えたら恐ろしい」なんて存在を否定され続けて
だから、トランスジェンダーなんて誰もなりたくないデメリットだらけの存在だから、TSものの作品が流行って「漏れも女の子になって○○したいンゴね~笑」「寝て起きたら美少女になってないかな」「人生ヌルゲーで草」みたいな発言が散見されるようになると、(もちろん現実のトランスと魔法・創作としてのTSは全く別物だしそういうことを言うのは全くの自由なんだけど!)そんなことないのにな、ってちょっとだけ思ってしまう
いやまあそれだけの話なんだけどね もちろんこういった作品が先行して性転換って概念を広めてくれるおかげでトランスジェンダー理解が深まるという側面もあるけど、やっぱりトランスってまだまだ無理解と偏見が多い世界だから、みんながあと少しだけでもトランスのことを知ってもらえたらなあと...
※いわゆるスポーツ大会へのトランスジェンダー出場問題は批判されてしかるべきだと思うし(ホル注はドーピングなのではないかと思う)、お風呂やトイレに元○性が入ってきてほしくない...という気持ちもわかります。でも、それはあくまでトランスジェンダーの仕組みを悪用してスポーツ大会に出場したり心と体の性別がもともと一致しているのにトイレやお風呂のために性転換したりトランスであることを主張したりする「制度の穴」による問題なので、心と体の性が一致しないことへのせめてもの救済として性転換手術を受けているわたしたちが生きること自体を否定しないでほしいな...って思います。生きるのって難しいね
※わたしは少しでもトランスのことを知ってほしいという立場なので、失礼じゃないかな...とか考えずになんでも質問していいからネ!性転換の仕組みのことでもわたしの現状のことでも、個人の特定に繋がりそうなこと以外はなんでも答えるぞ!
彼の名前は、健太。彼は普通の男子高校生であり、特別な能力も才能も持っていないように見えます。しかし、彼は父親の死という大きなトラウマを抱えており、それが彼を内面的に苦しめていました。
健太は突然、異世界に転移してしまいます。そこは魔法や珍しい生物、不思議な文化が溢れる異世界でした。健太はこの世界で彼にとって素晴らしい力を手に入れますが、その力を持つことによって大きな責任が課せられます。
彼は新たな仲間たちと出会い、彼らと共に様々な困難を克服しなければならない旅に出ます。健太はまた、彼の背後にいる敵役との戦いも繰り広げなければなりません。彼は彼の能力を向上させるためにトレーニングを重ねますが、彼の正体や過去が明らかになることで、彼はさらなるジレンマに直面します。
このストーリーは、健太が自分自身と向き合い、自分の運命を決定すること、また、彼が抱えるトラウマと向き合うことを通して、成長していく様子を描いています。読者は、健太の背後に隠された真実や彼が直面する難問に興味を持つことでしょう。さらに、健太と彼の仲間たちが共に旅をすることで繰り広げられるアクションシーンや、健太が成長する様子も見どころの一つです。