生きてる時間を人間の感覚でいうところの幸せで過ごさせようっていうのが目的だろうからね
命の数や時間でいえば命がない状態のもののほうが圧倒的に多いわけだから命になったものより命になるものと命だったものについて慮るべきだと思うんだけどね
命ってものが存在するわけじゃないしそれも永遠じゃなくて一時的な状態なわけだから 命そのものより命を形成するものとか命だったものの記録が命の価値を決めると思うんだわ
幸せって状態は生きてる状態そのもの自体を感じることだと思うので生きるためにほかの生命の状態に干渉したり命になる前のものとか命だったものの扱いについてかかわりのない状態のことなんじゃないかな
それって生きてるって状態自体を示して意義をなしてるっぽいけど命はないところからあったということへ移っていくことだという意味を失ってるよね
面倒で苦しいってこととか生きてたことがだれかの生きる事になるのを命あるうちに経験するのは苦しみってことになると思うんだけど
大昔の宗教でもそれは否定してなかったりむしろ推奨してたように感じるね
なんのために生きるかってことにたどり着いちゃうと特に意味がないというか生きてるから生きるってゆう「死を選ばない理由」が体感できる大前提としてあるのにそれを生きてる意味だと感じない人も多いもんね
生物から生きる意味を奪って生きてるってこと自体の人間の定めた意味である幸福という「生命の否定」を押し付けることが動物にとってしあわせだろうって思う事は かなりエゴいね