はてなキーワード: ラテン語とは
ラテン語は絶対にやっとけ。ラテン語できる大学も限られてるし。やっとけばヨーロッパ系の言語が楽しくなる。イタリア旅行に行った時にあっちこっちに書いてある教会の銘文だの碑文だのも読めるぞ。クラシックの宗教曲とかも楽しく聴けるし、美術館で宗教画にちょこっと書き込まれた文字とかも読める。他人と会話はできないが文化の解像度が上がって楽しい。
イタリア語もラテン語のついでにできる。もっと言えばフランス語もわりとついでにできる。ただ難点はむちゃくちゃ混ざる。
ちなみにイタリアでラテン語喋ってもそこそこ通じたけど、フランスでラテン語は通じなかった。あとラテン語には現代的な語彙がない。一応あるにはあるけど運用しないから覚えない。
まずはこんな若造の話に真面目に答えてくれてありがとう。正直ラテン語の踏み台みたいな扱いで考えていたけれど、イタリア語だって現行使われてるんだからローマ史以上に得られる文化とか教養とかも絶対あるよなと気付かされました。ドイツ語!確かにどのジャンルでも英語の次に文献が出てる言語といえばドイツ語かもしれないね。史学でもドイツ語文献出てるの結構あるし考えてみる!ありがとう!
春から大学生。第二外国語の説明読んでめちゃくちゃ悩んでる。もともとガッツリ史学やるつもりだったからイタリア語(+ラテン語)で古代ローマの研究🎶とか思ってた。だけど史学ガチコースは一握りしか行けないみたいで、だったらイタリア語にこだわる必要ないかなと思ってしまった。これ良かった!みたいな2外あったら教えて欲しいです。英語微妙なのに特攻して合格したから語学系がすっごく不安なんだ。大学の平均くらいの英語レベルではありたいから英語も人の倍勉強しなきゃだし。受験サロン?とか見てもまったく入学後の話してないし親に聞いても2外なんて就職したらまったく頭に残らないから適当でいいよみたいなことしか言われないから本当に本当に教えて欲しい!
-------
【追記】2/26
ブコメ含めて全部読みました!いろんな人の話が聞けて嬉しかったしとっても興味深かったです。本当にありがとう。(フェイクとかぼかしは入ってるけどわりと分かっちゃう感じになっちゃったのは反省してる)何人か書いてくれたけど、いくら一握りとはいえ可能性があるからには史学コース目指すことにします!高校の先生にも助言もらって第一志望はドイツ語にしました。コロナでどうなるかわからないけどずっと憧れてたから大学生活も勉強もがんばるぞ〜!!
あと欧州でも頭の良い学校は全然使わないラテン語とかギリシャ語とかやっているけど古典を原文で理解する価値ってあるんじゃね?
その価値が何かを知りたい。
ラテン語に関して言えば、「ラテン語を修得することは、ラテン語から派生した英語などの様々な言語の修得に有効」で納得。
古典は?
ていうか大人になってから国破れて山河ありですな、とか会話で振られて答えられない奴とかただただバカなのかなって思うし。
技術系でもそんな感じだから文系とかもっとひどい目遭うんじゃねえの。
あと、英語とかにもラテン語ぶっこんでくる人普通にいるから、そういう感じで教養で階層分けするのは普通なんだと思う。バカを見分ける要素は多い方がいい。
わりと真相に迫るような情報が出てきた感じで、中盤〜終盤くさい
クリアすらしてないのに、すでに愛着がけっこうあって、全クリしたらすげー寂しくなるだろうなという予感がすごくある
長く付き合うタイプかつストーリー重視の作品、基本的に終わると胸に穴があいたみたいになるんだよな
ゲームだと10時間なんてショボいけど、読了に10時間以上かかる小説っつったら単巻じゃすまない
そら愛着も湧くわな
タイトル画面の前に出る、
「困難を乗り越えて、星の世界へ」
ってフレーズ!これが既にすげーグッとくる
なんか分からんけど、絶対これエンディング後に見たら100倍くらい響くフレーズでしょ
もう分かってるんだ だって位置が完全にそうだもん エンディング終わって、The End出て、ああ終わったなあと思ってるところでタイトル画面に戻されて…ってタイミングで、
「困難を乗り越えて、星の世界へ」
そして俺は 俺は…… というのが容易に想像できる
嫌だ 殺されたくない 2日くらい放心するだろそんなことされたら
外界から隔絶された清潔な宇宙船のなかで、まあまあワチャワチャ過ごすんだけど、やっぱりどうしようもない孤独感もある、あの感じ
※「Fluctuat nec mergitur」はパリ市の紋章に描かれたラテン語の標語です。
「どんなに揺さぶられ、ふらふら漂っているだけの状態でも、船を沈ませさえしなければまた復活できる」という意味で、
ローマ時代からセーヌ川の舟運で交易を行ってきた船乗り組合の標語です。
神名とか怪物とかの固有名詞で。さすがにロゴスで、なんたらロジーとかポリスで、なんたらポリスとか一般名詞の複合語はなしで。英語読みとかはアリアリで。
ゼウスとか神の名前はそれなりにあるだろうけど、やっぱりミノタウロス、ケルベロス、メデューサ、グリフォンあたりは特にギリシア風でなくてもRPGの敵とかで結構でてくるよね?ペガソスはちょっと微妙かな?
神の名前より英雄たちの方がでてくるかも。オデッセウスのユリシーズはラテン語経由でスペルもかなり変わってるのでセーフかアウトか難しい。ヘラクレスのハーキュリーズやヘルキュールあたりはありかな?
役割を軸にして考えたとき、(コントと比較すると)漫才ではボケとツッコミの役割がはっきり分かれるパターンが多い。
これは、コントでは最初から最後まで「自分以外の役」に入り込んで「演技」をする形態が主であるのに対して、漫才ではあくまでも「自分」が喋っている体で「会話」をする形態が主だからである。
「だったらコント漫才(M-1優勝者ではアンタッチャブルやサンドウィッチマンなどのネタがそれに該当)はどうなの?」という疑問が当然あると思うが、これも基本的にはボケ・ツッコミ共に自分自身を投影した役であることが多く、純粋なコントに比べると言動にパーソナリティが大きく反映されるという点で違いがある。
つまり、漫才には純然たる役割が決められており、M-1が2001年から開催されひとつの「競技」となっても「ボケ担当の人はひたすらボケ続けるし、ツッコミ担当の人はひたすらツッコみ続ける」という形はしばらく変わることがなかった。
漫才における役割を軸にして考えたとき、まず最初に議題に上がるのが笑い飯というコンビである。
彼らは、最初どちらかがボケてそれに対してツッコむというやり取りが終わったあと、ツッコんだ側が「俺にもやらせろ」と言って役割が変わり、それ以降はツッコむごとに役割が交互に変わっていくというスタイルを持つコンビである。
しかし、ネタ全体の構成を見るとボケ・ツッコミの役割がハッキリと別れており、それが入れ替わるというギミックがなければ比較的オーソドックスなネタであるとも言える。
このボケ・ツッコミという役割を曖昧にした上で主要大会を優勝した最初のコンビは、M-1 2005におけるブラックマヨネーズである。
基本的に吉田がボケ・小杉がツッコミの役割を持ったコンビであるが、この年に披露したネタは後半になっていくにつれて小杉が突拍子もないことを言いだし、それに対して吉田が正論でツッコむというパターンが多く見られた。
これは「平場のトーク(ラジオなど)では面白いのにネタがいまいち」というブラマヨ評に対して彼らがたどり着いた一つの回答である。
つまり、漫才だからといって必ずしも役割をハッキリ分けず、普通の会話のようにボケとツッコミがシームレスに入れ替わるパターンがあっても良い、ということが世間にも認められた瞬間であった。
そして、その漫才における役割の曖昧性が頂点に達したのはTHE MANZAI 2012である。
この中で役割がハッキリと別れたネタをする千鳥はさておき(ここもベタとは言えないスタイルを持つコンビではあるのだが…)、注目したいのはハマカーンとアルコ&ピースである。
まず、優勝したハマカーンであるが、2012年以前は浜谷がボケ、神田がツッコミという役割が比較的はっきりと別れた漫才をするコンビであった。
しかし、この前年のTHE MANZAIで(本人曰く)惨敗したあと、スタイルを大きく変える決断をし、役割も主として神田がボケ、浜谷がツッコミという形に変更した。
そして、このスタイルのネタの中で一番特徴的なのは、神田が女子目線で物事を語ったあと、浜谷が著しく感情的に怒り、それに対してさらに神田が理論的に諭すというものである。
抽象的に言い直すと、本来は単なる導入部に過ぎないネタ振りがボケとなり、それに対してボケに限りなく近いツッコミをして、それに対してさらに言い返す、というパターンを構築しているのである。
彼らもやはりブラマヨがネタの構成を変えた理由に近いものがあり、優勝後に記者が彼らに「どっちがボケ・ツッコミって書けばいいですか?」と質問したというエピソードもあるくらい彼らの役割は曖昧であったと言える。
彼らは、漫才の代表作としてラテン語風の架空の言語を駆使して(しかし、よく聞くと日本語が散りばめられており内容がわかる)しゃべくり漫才など、(自分自身を投影した役割ではないという意味で)どちらかと言うと限りなくコントに近い漫才を得意としていた。
この年に披露したネタは、酒井がよくある漫才のネタ振りを平子が真剣に受け取り芸人として苦言を呈していくというものであった。
これは、見ようによっては役割上はツッコミであるはずの酒井がボケっぽく見え、ボケであるはずの平子がツッコミっぽく見えるネタであると言える。
決勝ではハマカーンに敗れてしまったものの、このネタにより一回戦を審査員満票で笑い飯を退け、決勝に勝ち上がったということの意味はとても大きい。
このようにして、漫才における「役割」を軸にして考えると、いろんなことが見えてくる。
つまり、伝統的な漫才とされているものが、役割だけで見ると必ずしもそうとは言えない(またはその逆)ケースが出てくるのだ。
昨年M-1を圧倒的な評価で優勝したミルクボーイであるが、ちゃんとやり取りがあるという点においては比較的ベタなしゃべくり漫才と言えるが、役割を軸にするとどうだろうか。
彼らのネタはボケである駒場が、母親がなかなか思い出せない物事があると語り、それに対してツッコミである内海がヒントを元に推測する、というスタイルになっている。
ここで、内海のツッコミに注目すると「〇〇やないか!」「〇〇ちゃうやないか!」という最初のフレーズを除き、推測対象(コーンフレーク及び最中)に対してやや偏見掛かった持論を語るという形になっており、取りようによっては最初のフレーズ以外はほぼボケとみなすことも出来るだろう。
ボケである駒場も、特に突拍子もないことを言うわけでもなく、ただ淡々と対象を推測しうるヒントとなるワードを言い、それがツッコミによりボケと気付かされるというスタイルになっている。
つまり、ミルクボーイは役割こそ別れているものの、その境界線はかなり曖昧で、実はツッコミがボケをリードする形になっており、しゃべくり漫才における主従関係が逆転したスタイルをもつコンビと言える。
この、ボケと言えるかギリギリのラインを攻めるボケと、それを埋めるように著しく強いツッコミをするというスタイルをもつコンビは、過去にもくりぃむしちゅー(海砂利水魚)などがいるため、前例がないわけではないが、漫才全体の歴史で考えると十分革新的なスタイルであると言えるだろう。
一方、漫才であるかどうかということが槍玉に挙げられたM-1 2020を優勝したマヂカルラブリーであるが、役割だけを見るとかなり保守的であると言えるだろう。
彼らのネタはボケである野田がひたすらボケ続け、ツッコミである村上が外側で解説に近いツッコミをし続ける、というスタイルである。
つまり、やり取りが序盤とオチ以外存在しないという点が従来の漫才から外れているというだけで、それ以外は至極まっとうなスタイルのコント漫才である。
この「やり取りが存在しない」という漫才の最右翼としてあげられるのがナイツだが、彼らが漫才師でないという意見はほぼ皆無であろう。
したがって、ナイツを漫才師であると評価している以上、マヂカルラブリーのネタを漫才でないと評価するのは無理のある議論と言えるのではないだろうか。
その恋愛下手を見て、他人事とは思えず、なんか書こうと思った。
とはいえ、私は、恋愛下手なのはずうっっと今でも変わってない。なので恋愛というものについては言及のしようがない。片思いしかしたことがなく、それは相思相愛の意味での恋愛ではないと思うので。
ただ一応結婚はしているので、結婚に繋がるお付き合いに関しては、何か言えるような気がしたので、書いてみよう。
ゴルフは知ってるだろうか?私もそんなに知ってるわけではないが、要するにクラブで打ってホールに入れればいいゲームだ。ゴルフはOBというのがある。つまり「強くたたき過ぎると先に進めない」ゲームだ。
結婚(恋愛)への道も一緒で「強く叩き過ぎると先に進めない」。まさにその例が「現金5万円あげるから付き合ってくれ」ってのがOBの好例と言える。いきなり先に長距離に叩き過ぎたのでOBによりゲームオーバー。
基本女性にOBを打ったら、それで終わりだと思った方がいい。そこから逆転、、というのは恋愛下手にはつらすぎる。それ以上やるとストーカーだ。次にいこう。女性はたくさんいる。
男性はたくさんのOBを打って成長するともいえる。どこまで叩き過ぎるとOBなのか、体感するわけだ。
そして、ゴール(ホール)まで、うまく刻むゲームなわけだ。「少しづつ」距離を近づけていく。まぁ結局のところ、それは「女性に優しく接する」ということになる。事実上は。
なお、恋愛がうまい人はその近づき(刻み)方がとても速い。私は「速い言葉」と言ってる。口説くにも「速い」のと「遅い」のがある。そこらへんは恋愛工学の方が詳しいのだろう。私は恋愛工学嫌いだが。
そして、まず女性に慣れておこう。女性は、恋愛以前に人間なので、普通に話せばいいだけ。恋愛は一回置いておこう。
人によっては女性を敵視しているような人もいるようだが、まずはニュートラルにしていこう。そして落ち着こう。女性っても人間には違いない。私のような恋愛下手の場合、女性を前にすると緊張して話せなかったりする。でもそれ自体はしょうがない。
段々慣れるようにすればいい。自分的におどおどしてても特に問題ない。「ああ、女性っても自分とあまり変わらないんだな」と思えるぐらいまでニュートラルに話せるようになればこの段階は卒業か。
なお、友達になりすぎると、特に女性の場合、そういう関係にはならないのは確かだが、焦ってもしょうがない。
ここからやっと口説く方法。口説くというより、自分を理解してもらうために、自分の強みを相手にアピールする内容が何か、ということになる。
なので、結局のところ「人による」というところにしかならない。まぁ当然だが。どの恋愛術も、ここら辺は適当としかいいようがない。なので無意味に見えるだろう。本当にその通りだと思う。
ここで間違ってはいけないのは「自慢」してはいけないこと。自分を知ってもらうための手段に過ぎないので、特段優れている必要はない。自分の好きなこと、得意なことがこんな感じ~で十分。
私の場合は頭の良さにしたのだが、むしろその方が少数派だろう。この方法はあまり確率が高くない。頭がいい人が好きと言う女性はそんなに多くないからだ。
例えば普通の人が知らない、ラテン語の話とか、教養をさりげなく披露できるようにしておくことした。そのためには、いろいろな人の話を聞き、さも教養があるようなふりが出来るようにした。そういうことは自分の人生の豊かさにも通じる。
ここら辺は、自分できめるしかない。無責任だって?だから恋愛術の話じゃないんで。。
ただ、女性に優しく接して、フラットに話せて、自分の良さを適切にアピールすれば、理解してくれる女性との恋愛確率が高くなるのは間違いない。私は恋愛は敗北しかないので自信がないが。
で、恋愛にはならないかもか知れないが、結婚には役立つことは保証できる。