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はてなキーワード: ラテン語とは

2020-10-15

そしてチンコになる

オチンチンの赤ちゃんポコチン(pocoはラテン語で小さいの意)

大人になるとチンコ(coは共に、の意)

anond:20201015095100

ラテン語にしたらカタカタウイルスに聞こえる

ヴよりウの方が近いように思った

anond:20201015094823

それ言語英語になってね?

ラテン語だとヴィルスに近いと思うんだが

anond:20201015093338

ラテン語のVは濁音じゃない気がするんだが、その大学教授は何語を基準に「ヴ」が近いって言ってたんだろうな

2020-10-09

ホモ」は蔑称なのか

いつだったか忘れたが数年ほど前に、

腐女子が「ホモ」という呼称を使うことに対して

「それは差別的呼称であり、当事者以外の者が謙遜自虐卑下に使うことは適切ではない」

とする意見を見たことがある。

事実、かつて多くの腐女子自分の嗜好について自虐する風潮があり、

自らの趣味謙遜?するつもりで、

あえて乱暴言葉を用いたりしていたと思う。

乱暴な口調=男勝りなキャラ自分カコイイ!!、という中二病も多くいたが)

それを本来当事者であるゲイセクシュアルの方と思われる方の一部が、

「なぜ第三者である人間立場を低く言われなければならないのか」

と憤慨するのは、当然の流れだと思う。

(本当にゲイの方の発言かどうかは置いておく)

しかし、この「ホモ」という言葉蔑称なのだろうか?

wikipediaによると、「同じ、よく似た」という意味ギリシャ語からまれ言葉だそうだ。

(ちなみにホモサピエンスのホモラテン語で「人」を意味するらしい)

まり、「ホモ(セクシュアル)」という言葉あくまで、

「同じ性別恋愛対象とする人」つまり同性愛者」を指すに過ぎないのだ。

近年は、女性同性愛者のことは「レズビアン」、

男性同性愛者のことは「ゲイ」と呼び分けていることが多いが、

そのふたつを総括する言葉が「ホモ(セクシュアル)」なのである

ではなぜ「ホモ」という言葉蔑称とされてしまうのだろうか?

かつては「ゲイ」という言葉すらもしょっちゅう中傷に使われていたと思う。

現在ネットテレビを見る人で、LGBTという言葉を聞いたことが無い人は滅多にいないだろう。

性に対しての世間視野が広がりつつあり、

ゲイ」は差別的ニュアンスで使われることが減ったと言えるだろう。

まり、「分類上の呼称ひとつ」という本来意味で使われるようになってきたということだ。

別の例をあげよう

2chなどで多く見られる「ガイジ」「池沼(ちしょう)」という言葉だ。

これらは「障害児」「知的障がい者」を略したスラングである

2chなどで、と前置いてしまったが、私が小学生の時(10年ほど前)、

ガイジ」は普通に悪口として使われていた。

同じクラス自閉症の子支援学級に入っていた)がいたにも関わらず、だ。

かに自分よりも能力が劣ると思える相手を見下すことは、

この競争社会に生まれ落ちた存在として容易に陥りやす思考である

しかし、「障がい者である」ということそのものは、本当の障がい者にとっては単なる事実に過ぎず、

役所で発行される書類などにも「障害者」という語は見られる。

ではなぜそれが「悪口」「中傷」「蔑称」となってしまうのか?

それはマイノティ差別する集団心理のせいではないだろうか。

マイノリティ」に属すること自体屈辱的、普通よりも劣っていると決めつける集団心理だ。

グループに属せないゆえにマイノリティと呼ばれるのかもしれないが、ここではあえてこう書かせてもらう)

とどのつまりは、「自分(達)よりも能力や数で劣っている人間社会不適合者だ」というレッテルを貼る者達が、

ホモ」を差別用語にしてしまうのではないだろうか。

最後

ここまで色々書き連ねておいてなんだが、

この話は同性愛者について語るものではない。

個人意見としては、ああいもの被差別者差別者達が議論して折り合いをつけていくものだと思っている。

まり特に肩を持つようなことはしないが、一方的攻撃するのはおかしいよね、くらいの認識だ。

しかし、社会本質として「似ている人間同士の集団」こそあれ、

「全く同じ人間集団」は存在しない。

もしもクローンが作られ、同じ生育環境だったとしても、それは同じことだと思う。

同じDNAでも、少なくとも黒子位置とかは違うと思う。

自分と違う存在」「自分より一見劣ると思える存在」を容認し、

それを愛する世の中に住みたい、と私は切に願うばかりだ。

2020-10-05

どうやって息してるかわかんなくない?

呼吸に意識を向けると自動的に(無意識に)息ができなくなる、的な話もそうだけど、それ以前の話としてどこにどう力入れて息吸ってるのか全然わかんなくない?

原理としてはポンプみたいなもんなんでしょ?筋肉でできた部屋を縮ませたら空気が出ていって、膨らませたら空気が入ってくる わかりやすい!

でも感覚はないよね

鼻で息吸うとき主観としてどこに力入れてるかって言うと鼻な気がする

んなはずはない 鼻はあくま空気通り道、呼吸に応じて感覚があるのは確かに鼻だが、実際動いてるのは胸のへんなわけで、そんなとこに力が入るはずがない

かといって胸のへんを意識して息をしてみてもぜんぜん実感がない 呼吸はできるんだけども、何がどうなった結果できてんのか分からない ブラックボックスって感じがする

目に見えず、直接の感覚もないところを操作して息をしている

これすごくねえ?

それ言ったらまあホルモン分泌とか消化とか視覚情報の処理とか、なにもわかんねえまま色々なことをやってるわけだけど、呼吸は意識的に行える操作でありながらどこをどう動かしてんのか分からんって点ですごい気がするよ

つっても指とかだってどうやって動かしてんだって言われたらちょっとよくわかんないけどな!でも少なくともあれは動かす場所感覚がある マインドマップみたいなものと一致するから主観的には思ったところが動いてる感がある

いやでもわかんねえな

身体のどこもどうやって動かしてんのかわからん

ていうか、いまとってる体勢も完全に無意識にとってるな 足を組もうと思った記憶もないし、右足の指を地面に押し付けて曲げるような姿勢を取ろうと思った記憶もない スマホ中指タップしてるのも無意識だな 

そう思うと一体なんなんだ俺って

基本的自分が何やってるかわかってない上に、珍しく意識的に身体を動かすときも具体的にどうやってんのか全然わかんねえのか

ヤベー

コギトエルゴスムとか言ってる場合じゃねえな

いま足解いて人差し指タップに切り替えたのも無意識だしな 

なんだったらどうやって考えてるのかも定かではない というか俺は本当になにか考えてるんですかね

俺は実在しないのではないか

ノン・コギト・エルゴ・ノン・スムか?

ラテン語あってんのか?なにもわかんねー

2020-09-12

タイトルセンスが無ェ

 二次創作小説()書いてるんだけど、くっそだっせぇタイトルしか思いつかない。後から見返して頭を抱えたくなる。

 中学生ときはそれこそラテン語とか花言葉とかわざわざ調べてタイトルにつけてた。久保帯人先生みたいになりたかった。

 それがイタいと気づくと、今度はラノベやなろう系のような説明タイプタイトルをつけるようになった。流石にあそこまでクドくないけど。

 それもダサさの種類が変わっただけだと気づいてからは、「無題」や「習作」とつけて番号をふる路線へ変更。どう足掻いてもダサいなら無理にタイトルをつけなきゃいいんだと思った。

 そんな理由オサレタイトルはもう諦めたけど、せめてシンプルで的確なタイトルがつけられるようになりたい。

2020-09-11

anond:20200911131134

フェミニズムとは、 フェミのための活動であり、

フェミというのはラテン語女性を示す言葉である

女性のための活動が何故、男性被害者を救わなければならないのか。

ブラック・ライブズ・マターが黒人のための活動であって、

差別されているアジア人のための活動ではないのと同じように

フェミニズム女性のための活動であって、男性のための活動ではないのである

2020-08-26

anond:20200826111421

別に無理やりではなく、語尾が女性名詞よりだから、というような理由言語系統的に後ろの時代言語の中で勝手に当てはまっていっただけ(例えばラテン語では中性名詞だったものフランス語では女性名詞だったり、フランス語単語では女性名詞に変わった物がドイツ語単語では男性名詞になっていたりする)なので特に問題にならないよ

2020-08-14

anond:20200814101143

そもそも原義こそ全てと言うなら、claimはラテン語のclamare(叫ぶの意)が元なので、英語も間違ってる事になる。

https://gogen-wisdom.hatenablog.com/entry/2017/02/07/180000

2020-08-13

anond:20200813151416

ちなみにホモソーシャル場合ホモというのは同一、同質の、という意味接頭辞で、ギリシア語のὁμός(英語で言えばsameなんかと語根が同じらしい)が元。

ホモ・サピエンスのホモラテン語人間意味するhomōなので全く意味が違います。語根も違います

許して欲しいのはこっち

まさかギリシア語ラテン語で全く違う言葉だったとは知らなかった…

増田のお陰で勉強になったよ、ありがとう

anond:20200813141641

anond:20200813141253

後半部分についてはここにある通り元々が男性と深く結びついた語彙だからという話に過ぎないよ

女性関係については分析言及が少ない、と思うならご自分でなさればいいと思うよ

本当に全くないのかは謎ですが。



かに、同質性から来る女性への偏見配慮のなさ(≒ミソジニー)はホモソーシャルの側面として槍玉に上がるだろうけど、同性愛差別がどうこうというのはマジで謎だし

そのホモと言えば男性同性愛、ってのが至極浅い理解で、お前がそれに引っ張られてるだけだよねという気しかしないのだけど

ちなみにホモソーシャル場合ホモというのは同一、同質の、という意味接頭辞で、ギリシア語のὁμός(英語で言えばsameなんかと語根が同じらしい)が元。

ホモ・サピエンスのホモラテン語人間意味するhomōなので全く意味が違います。語根も違います

2020-07-28

anond:20200728112958

イソップ寓話ギリシャ語原典は失われている。のちのラテン語の本では狼が食べたのは「羊」であり、ギリシャ語を含めて多くは狼が食べたのは「(羊の)群れ」もしくは「羊」となっている。タウンゼント版、チャーリス版、ヒューストン版などでも喰われたのは「羊」となっている。

日本ではイソップの話であるとして、狼に食べられるのは羊ではなく「羊飼い少年」とする寓話がいくつも存在する。

羊が殺されるのなら村人も罪とそれに対する罰を受けてることになるでしょ。

2020-07-23

anond:20200723132328

Sports」の定義は遊ぶこと、だろ(ラテン語の「deportare(気分転換)」が語源

なんか修行・苦行みたいになってる高校運動競技より、テレビゲームの方がよっぽどスポーツしてると思うがね。

2020-06-28

anond:20200628105425

そりゃ「進化論」の範疇で使うなら問題だろうけどね。日常語なら問題ないよ。

というか、英語ダーウィン母語)で「進化」を意味する「evolution」は、「進化」以外に「発展」「進展」って意味があって、割と古くから使われてる単語日本語の「進化」が、そういう使われ方をしておかしい事もないだろう。

そもそも進化evolution)」って単語自体ダーウィンの「種の起源初版)」ではそんな単語存在しなかったりする。そもそもダーウィンは「進化evolution)」って言葉を使うこと自体をむしろ避けていて、「変換(transmutation)」って言葉を使うことを好んだという。だからそもそもダーウィンが「進化」って単語を使うこと自体が、「なりきり」として、少しズレがある。

(ちなみに、「evolution」の期限は、2世紀には登場していたギリシャ語あるいはラテン語の「evolutio」が由来である

https://blog.oup.com/2015/05/word-evolution-etymology/

2020-06-25

Biggus Dickus をどう訳す

モンティ・パイソンギャグひとつに、ローマ皇帝が友人の名前として”Biggus Dickus”というのを挙げて、思わず吹き出した側近たちに怒るというのがある。

Big dick、デカチンを雑にラテン語っぽくした一見して悪ふざけと分かる名前をクソ真面目な顔で口にする皇帝の姿におかしみがあるんだと思う。

このBiggus Dickus、日本語で分かりやすく訳すならどうなるだろう。

ネットフリックス日本語字幕では「デカ・チン」としてたんだけど、これは意味は分かるんだけどラテン語っぽさは消えてしまっている点が残念だと思う。まあラテン語なんてやってる人はあんまりいないし(俺も知らん)、頑張って訳したところで仕方がないといえば仕方がないんだけど、どうも勿体ない気がするのだ。

デカウス・チンコイウスとか、チンコス・デカスギウスみたいな訳のほうがまだいいんじゃないか?と俺は愚考する。でもこんなん訳者の人もすぐ思いつくだろうし、普通に考えてデカ・チンのほうが面白いんだろうなあ。

悔しいぜ。

中公新書新刊間違い探し

最近出た中公新書について、細かい誤りを見つけたんだけどどうすれば著者に届くかよくわかんなかったのでとりあえず増田に放流してみる。

岡西政典『新種の発見

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/04/102589.html

ラテン語は、現代では使われていない古典死語であり、ギリシャ語ゲルマン語などをはじめとした多くの語派を含有した西洋古典である」(24頁)というのは、ちょっと世界史地理に詳しい人なら容易にツッコめると思う。これを校正さんが見逃したのは本当に謎。

ラテン語ギリシャ語ゲルマン語を含有してない。それらを含有してるのはインド・ヨーロッパ語族だ。つまり、こういうこと。

語族・語派・語ってのは目・科・属みたいなもんだと思ってもらえれば(めちゃくちゃ雑な説明。実際には他の言語との系統関係証明されていないグループを「語族」というので、目というよりは門とか界とかの上位分類に近い)。こう整理すれば上の文のおかしさもわかってもらえると思う。動物の分類に関する本で言語の分類に関する大ポカをやらかすというのはなかなか批評性が高いけど、生物学が専門の人が言語の分類に明るくないのは仕方ないので、校正さんがきちんと拾ってあげるべきだったと思う。日本語いくらでも情報が手に入る話なんだし。

japonicusも「日本産の」の意味であるが、これはJaponJapanラテン語綴り)に“-icus”の接尾辞を加えたものである」(186頁)とあるけど、ラテン語で「日本」はIaponiaである。これはラテン語版Wikipediaを引いてみれば一発でわかる。IとJはもともと同じ文字なので、Japoniaということ。どうもこの著者さんは、形容詞から語尾を引けばもとの名詞になる、あるいは、名詞の後ろに決まった語尾をつければ形容詞形ができると勘違いしているのではなかろうか(「中国」に関する説明からも、そう勘違いしていそうなことがうかがえる)。しかし、英語FranceとFrenchの関係を見ればわかるように、印欧語では名詞のうしろに決まった語をつければ形容詞になるとは限らないのだ。

少なくとも、この本、ラテン語の部分はラテン語がわかるひとにチェックしてもらって大幅に書き直した方がいいと思う。著者さんが、「学名をつけるときの語尾のいじり方」については知っていても、「ラテン語文法」をわかっているようには見えないので(「こういう名前ときはこういう語尾をつける」というのは、経験知であって「文法パターン」[185頁]ではない)。学名をつける側のひとも、-iや-aeといった格変化のうしろにどんな文法規則が隠れているか知ることができたら面白いんじゃないかな。

中谷功治『ビザンツ帝国

https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/06/102595.html

「フォカスという名の下士官将校」(35頁)ってあるけど少なくとも近代以降では下士官将校士官)ははっきり区別される別の身分である日本語Wikipediaでは「下士官」と書かれていて、英語版Wikipediaでは「下級士官low-ranking officer)」と書かれているんだけど、要するにビザンツ帝国軍は近代的な軍組織ではないので、ある階級士官下士官か厳密には決められないってことだと思う(フォカスは百人隊長だったらしい。うーん……)。でも「下士官将校」はおかしい。「下士官」と書くか、「下級将校」と書くかのどちらかにすべき(個人的には、前近代でそのへんの厳密な区分はできないんだから、素直に「百人隊長」と書けばいいと思う。こう書けばどんな地位なのか一発でわかるし)。

セルビア人の有力な領主コンスタンティン・ドラガシュ・デジャノヴィッチ」(275頁)って書いてあるけど、英語版Wikipedia確認するとKonstantin Dejanovićなのでどう見ても「デヤノヴィッチ」です本当にありがとうございましたロシア語綴りはКонстантин Деяновичだけど、これを見れば「デジャノヴィッチ」ではありえないのが一発でわかる(セルビア語jaロシア語のя)。ひょっとしてギリシャ語だとデジャノヴィッチが正しいのかな? って思って現代ギリシャ語版Wikipedia見てみたけどΝτεγιάνοβιτςなので普通に「デヤノヴィッチ」ですね。著者さん、さては西欧語の文献だけチェックしてギリシャ語綴りチェックしてないな?

最後になるけどどっちの本も面白かったです。すごい勉強になりました。上で挙げた点は非常に些細な間違いなので、本全体の価値を貶めはしないことを付け加えておきます

2020-06-16

slave(奴隷)の語源

ギットハブ、「マスター」の用語を変更--BLM運動きっかけに」

https://japan.zdnet.com/article/35155289/

↑を見て「slaveの語源って何かなー?」と何気なく調べてみたらラテン語スラブ人なんか!

なんでも当時奴隷階級スラブ人がいたからとか

これはスラブ人って言葉も使えなくなるなぁー

2020-06-15

リベリアでもマイノリティ権利制限されているらしい

リベリア――肌の色で市民権が決まる国

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-43538302

以下ではチェリーピッキングをする。

リベリアでは肌の色に基づく差別的規則がいまだにまかり通っているという。

しかしヘイジさんは、リベリアでは二級市民だとされている。実際、彼は市民ですらないのだ。肌の色と、家族ルーツレバノンにあるという理由で、リベリア社会正式な一員となることを妨げられている。

数百年後、リベリアの新しい大統領、元サッカー選手ジョージ・ウェア氏は、この規則を「不必要で、人種差別的で、不適切だ」と表現した。

その上ウェア大統領は、人種による差別は、「自由」を意味するラテン語「liber」に由来する「リベリアそもそも定義矛盾する」とも述べた。

リベリアアメリカも肌の色の違いで不利益が生まれない社会になるといいな。

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