はてなキーワード: モニタとは
目の前のモニタ、辺りを囲う壁、外界を隔てる窓枠が。
恐ろしかったのだ
人間は恐ろしかったのだ。ジャングルの中でどこまでも続く木々のうねり、水溜りの淵、豪雨をもたらす雲の不定形。流れを変える川の濁流、無限に広がるような海の波。曲線に支配されたカオスの世界が。
そしてまた、人間自身が恐ろしかったのだ。身体の曲線、それに誘われ導かれ、半ば半強制的に繁殖を行ってしまう自分たち自身の本能、野生。曲線に支配されてしまう動物としての宿命が、ただただ恐ろしかったのだ。
そうしてそれを克服するために、何千年にも渡って身の回りの環境、すなわち住居、装飾品、道具に直線を持ち込み、磨き上げたのだ。野生的な曲線から、理性的な直線への脱却を目指して懸命に。成長と死を意味する山なりの曲線からの脱出、永遠の成長を意味する直線への渇望。それがきみの目の前にある直線の理由なのだ。
韓国についての印象の変遷について書きます。東京在住の30台前半の男です。韓国語はわかりません。
外国全般に対して興味がなかった。韓国に対しても何の印象もなかった
学校教育で日韓が竹島やら慰安婦問題で揉めてるということは認識した
テレビや、今ほどコピペブログがなかった頃のインターネットの影響で韓国に対して若干悪いイメージを持つようになった。この頃は中国に対する印象も悪かった。2つ並べると
在宅で最低限の仕事は進めてきたが、
リモート会議では存在感を消してできるだけ新しい仕事がふってこないようになりをひそめ、
すぐ終わることを上手に延期させながら『延期させるという作業』を仕事にしてきた。
PCだけは常にONの状態でオンラインでのやり取りには速やかに反応することでどうにでも誤魔化せた。
6/1の出勤は憂鬱以外の何物でもなかったが、
初日は多くの人が集まることでややお祭り感もあり、そこまで切迫して仕事をする感じでもなかったが
『出社した』という行動だけ疲れ果てた。
あけて二日目の今日、
リモートでの業務の許されているが、クライアントとの打ち合わせもあったため朝から出社した。
社員の半分以上はリモートで仕事をしているようで、人は少ない。
打合せだけはこなすつもりだったが、やる気は全くない。
『最低限これだけは』と思ったものを一つずつ片づけていくと、意外と仕事が進んでいく。
『職場』という環境で刷り込まれた思考と行動が、徐々に加速をつけながら自分を動かしているのがわかる
それでも息切れをする感じはあるが、自宅にいるよりもはるかに集中して仕事ができている自分がいた。
このまま1週間ぐらい出勤を継続していれば、元のペースに戻れそうな感覚はある。
職場は仕事をするための環境になっているということをあらためて実感した。
リモートに合わせて机やモニタなどいろいろな機器をそろえたが、遊びにフル活用している感じだ。
何にせよ、今日がんばったことで仕事の感覚は取り戻せそうなことが分かった。
直近の片付けるべき作業も目処がついた。
人に依頼することも依頼がすんだ。
デュアルディスプレイ、もしくは液晶タブレットや板タブを使ってる人間で、モニターアームを使ってないやつは馬鹿だ。今すぐ買え。
分かる。ちょっと前までは、まともに使えるモニターアームと言えば4、5万はするし、ごつくて重くて一人で設置するのは大仕事だった。
しかし、今は不良品ガチャさえクリアできれば、Amazonの中華製5000円程度でまともなものが来るし、クイックリリースなら10分もかからないし、腰も痛くならない(クイックリリース対応でないものには2000円程度の追加部品が必要だが、その価値はある機能だ)。
「机にクランプが挟まらない」というなら、もう穴開けちゃえ。どうせハードオフで500円で売れるかどうかも怪しい机だろう。粗大ゴミで1000円払う羽目になるんだから、穴なんかいくらでも開けるべきだ。ホームセンターの1500円の電動ドライバーと10mmのドリルピットでいい。ずぶっと開けちまえ。
それだけで、「自分の思うところにスイスイ動くモニタ」が手に入るのだ。ケーブルの配線も楽ちんだぞ、回るから。
モニタがスイスイ動くと何が良いかって、細かいストレスが減る。
動画見てる時は、ハイバックに寄りかかって目線上にした方が楽。なのでモニタを高くする。
資料を並べながら作業する時は二枚横に並んでると楽。なのでぐいっと横に回す。
リングフィットアドベンチャーやりたいが、机の前にスペースがない。しかし、裏にはある。裏側に向ける。
それが、くいくいっとモニタの端っこ持つだけで動き回るんだから、QOL上昇半端ない。中華アーム最高。
壊れたって5000円くらいだし、壊れた頃には手放せなくなってるから、お高い信頼と安定のエルゴなんとかとか買えばいいのだ。
自分は、テレビとソファでゲームするより、ゲームに合わせて視線を変えられるモニターアームの方が圧倒的に楽なので、HDMI切り替え機も買いました。というか、テレビもモニターアームにしたい。するか。
それは接続機器側のOSのスケーリング機能の質に依存することだからだろう。
今のWindowsなどのスケーリング品質は十分高いと思うよ。4K(3840x2160)の150%スケーリングと2K(2560x1440)を比較したらどうかまではしらんけど美観的には問題なかろう。ただスケーリングに対応していない古いアプリケーションを使う人は、スケーリングを常用するのがストレスになるかもしれない。そのへんは現環境でも試せるだろう。
テレビ用途的な、視聴専用のモニタにするくらいの気持ちであれば4Kでいいのだろうが、
PCモニタとしても使う4Kは多分CADとかクリエイティブな仕事する人でないと微妙だろう。
視聴、事務、ゲームも考慮した大画面モニタを選ぶのなら、UWQHD(3440x1440)くらいの解像度の曲面モニタでいいのではないか。
4KモニタはフルHD(2K)よりも高画質だと言うので購入を検討しているがわからないことがある。4Kモニタをそのまま使うとアプリのメニューが小さくなり使いづらくなる。そのため解像度を2Kにしなければならない。しかしそれだと最初から安い2Kモニタを買ったほうが良い。
問題は4Kモニタを擬似的に2Kにしたときに、2Kモニタを使うよりも文字や画像が美しくなるかどうかということだ。4Kモニタの画素数は2Kモニタの画素数の4倍だから同じサイズのモニタを買えば表示領域は同じでも文字が画像が美しく(細かく)表示されるはずである。ところがその情報がメーカーのサイトにも載っていない。重要なことなのになぜ説明しないのか。
居間の37インチテレビにPC、PS4、SWITCH、HDDレコーダーを繋げてたけど、やっぱり画面を増やしたくてモニターアームと24インチスピーカー付きモニター(合計3.5万)を購入した。
メタルラックをテレビ台にしてるので、板をあててモニターアームを挟む。
テレビはPC、PS4、SWITCH、モニターはPC、HDDレコーダーを繋ぐ。
良いところ
PCがデュアルディスプレイになった。
HDDレコーダーはテレビチューナーがあるので、モニターでテレビも見れる。
モニターアームが画面を回転させられるので、寝ころんだ状態でもちゃんとテレビやビデオが見れる。
使うときは前に引き出せて、使わない時は壁際の邪魔にならないところに収納できる。
こどもがパソコンを使いたいときはノートPC(8インチUMPC)をモニタ―に繋げて並んで使える。
悪いところ
PCモニターなのでリモコンはついていない。入力切替や音量調節は本体のボタンでやるので少し面倒。入力元の電源とは連動しているので、毎回操作することはない。
もう1万だしてモニターをテレビにしたほうが使い勝手は良かった。
私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする
末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った
昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た
誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう
徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた
総入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね
誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中
掌の中で命が消えていく哀しい時間
段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった
その時を迎えた父は、寝た様に見えた
ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに
だけど、違う
腹膜が1mmも動いてない
それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した
開いた口と閉じた瞼
苦悶さは一切見えない
モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ
まるで着くの待っててくれたみたいだ
昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?
それぐらい不思議な早さだった
末期がんの診断出て2年
思っていたよりも長く父は生きた
その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて
末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホや家事や料理を始めた
引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネットで競馬したりLINEやyoutube視聴やポケモンGOもしだした
炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った
庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい
あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった
今回は自宅で看取れたので良かったと思う
祖父の時は病院で心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う
お医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う
今コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た
って母がずっと言っていた
…お父さん
私もありがとうって思ってるよ
朝が来た
真っ白な光の風景
暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た
父がいなくなってから初めての一日が始まる
しっかり務めるよ
一日後に見た父はダブルのスーツ着せてもらえてて安置してもらってた
顔は一日前に見たままだった
胸には花束が載っていた
父が庭で育ててた花で作った花束
ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ
もう一度、声をかける
訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった
出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった
線香をあげてから、頭を撫でる
暖かかった頭
髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体
変わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった
斎場へ
先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた
車はクラウン
ああ、トヨタなんだ
父はレンタカーはトヨタって決めてるぐらいトヨタに絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった
(偶然なのか帰りに捕まえたタクシーもトヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)
白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた
ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた
庭いじりが好きで実家も深い山の中の人だから、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく
注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく
ダブルのスーツをパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった
余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった
知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った
粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる
みんなで父にお礼を言った
泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり
各々の別れ方だった
そして、横、縦と閉まっていく扉
その時は終わった
それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった
物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える
ようやく終わったなー。そんな感じ
真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった
三週間前ホスピスに入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父
整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送しやすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分の意識で切り替えたとも聞いた
二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事
祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う
言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う
私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした
モルヒネで意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました