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2022-07-21

ここ10年で「滅茶苦茶面白いな!」って自分が感じたコンテンツを思い出してみる。の続き。2

anond:20220721070123の続き。

西尾維新作品2013年以降)

初めて触れた西尾維新作品ジャンプでやってためだかボックスだったけど、それが妙に自分に合ったのかとにかく当時のジャンプ作品で一番好きだった。連載終了後にはファンブックも買ったけど実に読み応えがある物だった。

めだかボックスがこんなに自分に合うんだから他の作品もそうじゃないか?と次に手を出したのは所謂戯言シリーズで、こっちも面白くて西尾維新自分に合う作家なんだなと思った。モヤモヤする要素も多いけどそういうのも込みで。

戯言の次は人間シリーズ人間シリーズの次は化物語化物語の次は刀語シリーズ…と言った感じにハマったり飽きたりを繰り返しながらコツコツ西尾維新作品を読んでいった。

これ明らかに手を抜いて書いてるな…とかこれ自分には合わなかったな…とか好きな作家だけど割と本によって好みが別れる感じだったけど、それでも大体の本は自分にとっては面白いので読んでいて楽しめる作家さんだった。

2015年ドラマをやっていた掟上今日子の備忘録2017年アニメをやっていた十二大戦2021年アニメをやっていた美少年探偵団など、この人の本を読まなくなってからも定期的にこの人の作品に楽しませてもらってる。

ファンの間で未完で終わるのではないか?と言われていた新本格魔法少女りすかが数年前に完結したと最近知ってめでたいなと思った。ちなみにこの人が書いたジョジョノベライズ所謂DIO日記個人的には結構面白かった。

上遠野浩平作品2019年以前?)

奈須きのこ西尾維新に多大な影響を与えた事で有名な作家さん。西尾維新曰く「作家の間で一番ジョジョ好きな人」らしく、確かにこの人が書いた恥知らずのパープルヘイズは本当に面白かった。

この人の作品ブギーポップは笑わない一作目と恥知らずのパープルヘイズしか読んだ事が無かったけど、何かの拍子にブギーポップの二作目VSイマジネーターを読んだらそれが滅茶苦茶面白くてドハマリした覚えがある。

そこからペパーミント魔術師まで一気読みして、他にも講談社ノベルス事件シリーズ徳間デュアル文庫ナイトウォッチシリーズノン・ノベルソウルドロップシリーズなどを読んだ。どれも面白かった。

そこから改めてブギーポップの続刊を読み始めたけど、ペパーミント魔術師までと比べるとどうだろう…と思いながらもこれはこれでやっぱり面白かったんじゃないかと思う。面白い本でなければ何冊も読まないし。

2019年ブギーポップが再アニメ化して、これが昔からファンには賛否両論な感じの作品なんだけど個人的には大好きだった。VSイマジネーター・歪曲王・夜明けのブギーポップなど好きなエピソードアニメになったのはたまらない。

一作目のラスボス早乙女君の声が今アニメやってるジョジョフーゴと同じ人なのが奇遇だな、と思ったり。ビートのディシプリンにも出てくるモ・マーダーの叔父貴カッコ良すぎだろ!とTVの前で大興奮したり。

名前だけとはいえブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラに出てくる人気キャラユージンが一瞬出演してくれたのは原作通りとは言えニヤリと出来た。その興奮で上遠野作品を全作読み返したりもした。あの時は結構熱量あったなあ…。

鬼畜王ランス(2018~2019年?)

アリスソフトフリー配布している名作シミュレーションゲーム1996年作品だけど自分が実際にプレイしたのは今から数年前だったと思う。

これがもう本当に面白くて、PCの前にしがみついてぶっ通しで何時間も遊んでいた。自分がこうなんだからこれを発売当時にプレイしていた人のハマり具合とか本当に凄い物だったろうな、と思う。

所謂エロゲーはこれ以外は同じアリスソフトのしまいま。しかプレイした事無かったけど、何故アリスソフトランスシリーズが高い人気を誇りファンが多いのかこの二作をプレイしただけでもこれでもかと分からされた。

クレイモア八木教広作品2014年以降)

月刊少年ジャンプジャンプSQで連載されていたダークファンタジー少年漫画自分SQ以降の読者なので月ジャン時代はどんな作品だったのか知らなかった。

2014年に連載が終わってハッピーエンドで良い話だったなあ…と途中からしか知らない自分でも思ったけど、ある時「そういえばクレイモアってSQ連載前はどんな漫画だったんだろう?」と急に思い単行本を買い始めていた。

正直SQで連載していた時期はやたらテンポが悪くてキャラは多い漫画だな…としか思っていなかったけど、月ジャン連載時代の頃の話を読むとこりゃおもしれえ!と思った。おねショタ好きだったので主人公二人に凄く惹かれた。

月ジャン掲載分の単行本を全て集めると、今度は家の倉庫に置いてあるジャンプSQを全部引っ張り出してクレイモアを読み始めた。大まかな流れを理解してから読むとこんなに面白かったのか…と思わされた。

数年分のジャンプSQクレイモアやそれ以外の漫画も含めてクレイモア最終回分まで読むのは中々楽しかった。単行本の巻数的にはそんな長い漫画では無いけど、読み終えた後は実に満足していた。

クレイモアとどっちが先だったかは忘れたけど、自分は平行して八木教広先生の前作エンジェル伝説単行本も集めていた。これが面白ギャグ漫画で、これ本当にクレイモア描いてるのと同じ人の作品なの!?と思った。

エンジェル伝説の頃からクレイモアのような漫画おねショタが描きたいんだろうな…と感じられる要素が終盤あったので、クレイモアでそれを実現したんだと思う。今サンデー移籍して描いてる作品も、いつか読めたら良いな。

小説ガンダム2016年

ある時「劇場版逆襲のシャアとは違う展開が描かれる」という言葉に惹かれてベルトーチカ・チルドレンを読んだのが小説ガンダムに触れるようになる入り口だったと思う。

所謂アニメガンダム結構見てる方だったんだけど、富野監督の書く小説ガンダムは…何というか文章の癖が強くて、でも原作者が直々に描いてるだけあって自分が求めてるガンダムでもあるのが何ともたまらない物だった。

ベルトーチカ・チルドレンを読み終えた次はアムロ死ぬと言われている小説版初代ガンダム、その次はZガンダム…と言った感じでどんどんガンダム関係小説を読んでいった。

文章で読むガンダム面白いな、と思えたお陰で小説媒体という事で触れる事は無いと思っていたガンダムUCにも手を出したけど、これがプロ作家さんが描いた作品だけあって本当に面白かった。

自分OVA版に完全ノータッチだったのもあるだろうけど、逆襲のシャアF91の間を描く完全新作ガンダムとして面白くて面白くて続きが読みたくてたまらん!といった感じで貪るように読んでいた。

UCを読み終えた後も完全に「小説として読むガンダム」の面白さに惚れ込んでいたから、とにかく「ガンダム」が題材の小説は入手出来る範囲なら何でも買っては読んでいたと思う。

そのお陰で自分は実機でプレイした事が無いドリームキャストゲームコロニーの落ちた地で…」の大まかなストーリー林譲治先生小説版のお陰で知る事が出来た。ガンダム小説は本当に良い媒体だと思う。

この時期はこれと並行して漫画ガンダムにもハマっていた気がする。アストレイや00Fなどアニメになっていないオリジナル外伝作品がその入り口だったと思う。この頃は本当にガンダム全般を楽しめていた。

ゲームだとGCソフト戦士達の軌跡にドハマリしていたのもこの頃だった覚えがある。初代ガンダムキャラゲーかと思いきや08MS小隊ポケットの中の戦争0083MSVの要素までガッツリあったのは良い意味で裏切られた。

龍狼伝(2016年くらい?)

修羅の門シリーズを読み終えた後月刊少年マガジン漫画って面白いなーと思っていた頃に出会った作品コータローまかりとおる!とは多分同時期くらいに読んでいた気がする。

三国志知識三國無双くらいしか無いけど歴史ロマンス物として滅茶苦茶楽しめた。と言うか、三国志好きの友人に読んでもらったらこんなの三国志じゃねえ!と半分冗談だろうけど怒っていた。

三国志+北斗の拳というか、主人公志狼くんが明らかに中~高校生じゃない戦闘力の持ち主なのが半分ギャグ漫画みたいだった気がする。それはそれとして北斗の拳っぽい格闘漫画として滅茶苦茶面白かった。

城平京作品2015年以降?)

スパイラル~推理の絆~ヴァンパイア十字界絶園のテンペストなどの原作を手掛けているここ20年ほどのガンガン作品に触れてる人にはある意味お馴染みの作家さんではないだろうか。

自分がいつこの人の作品にハマったかは正確な時期は覚えていないけど、アルスラーン戦記ハガレンガンガン作品という順番で触れた筈だから恐らく2015年以降、だと思う。確かスパイラルから読み始めた。

とにかく真相が気になる事件を描かせるとこの人に敵う作家さんは居ないのではないだろうか?と思う。一見ファンタジー要素のあるバトル物に見せかけて、結局この根幹にある物は推理物のノリだった、という作品が多い。

個人的漫画作品での最高傑作ヴァンパイア十字界で、それ以外だと小説スパイラルが非常に面白かった。二年ほど前にアニメ化された虚構推理もトンチと屁理屈ロジックが実にいつもの城平京作品といった感じで良かった。

アイアムアヒーロー2017年以降)

大泉洋が主演で映画化された事でも有名なサバイバルホラー漫画。後にレンタルで借りて見たけどネットの高評価通り滅茶苦茶面白かった。

この作品を読むようになったのは完結して終盤の展開があまりよろしくない事を知った後の事だったから、少なくとも完結した後の事だったと思う。

普段この手の青年漫画はあまり読まない方だったんだけど、これは本当に面白かった。実力のある作家さんが日本舞台ゾンビ物を描いたらこうなる、という感じでゾンビ物が好きな人ならまず間違いなく楽しめる傑作だと思う。

作中に登場するゾンビに噛まれるか引っかかればその時点で感染してアウト、という緊張感が凄まじかった。終盤の展開は確かにネットの評判通りこれはどうなんだろうな…って感じだったけど、そこまでは滅茶苦茶楽しめたから良し!

銀河旋風ブライガー銀河烈風バクシンガー銀河疾風サスライガーJ9シリーズ2015年

スーパーロボット大戦にも時々参戦しているロボットアニメ。この時期にニコニコ動画で大ヒットしていて、それに釣られて自分も楽しんでいるニコ厨の一人だった。

どの作品キャラクター、ストーリー音楽が魅力的でたまらないぜハニハニ。一作目のブライガーなんかはこれまんまロボアニメ版SFルパンでは?って感じの作風だったけど、面白いんだからとにかく良しと思うべきだと思う。

J9シリーズロボットキャラを使いたいがためにスパロボα外伝を再プレイしたりスパロボGCを買うくらいにはハマっていた。個人的にはロボアニメ版「燃えよ剣」な銀河烈風バクシンガーが一番面白かったかもしれない。本当名作。

機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ2015~2017年

まれて初めてリアルタイム放送を追ったガンダム。これ以前のガンダムは全てレンタルDVDを借りて見ていたので、先の展開が一切分からないガンダムに触れるのは今作が初めてだった。

正直な所自分は一期の時はこの作品に対してあまり良い感情を持っておらずアンチ気味だった。自分が好きだったキャラ達が次々惨死し、嫌いだった側のキャラクターが大した損害も無く大勝利!という見たくない展開だったからだ。

この作品に対する好感度が逆転したのは二期の後半、2017年に入ってからだったと思う。それまでプロットアーマーにでも守られていたかと思っていた陣営キャラクターが、ある回で戦いの果てに戦死してしまったのだ。

その回以降「あれ?マジでこの作品どうなんの!?」と先が気になって仕方なくなった。ネットでの評判はあまり宜しくなかったけれど、その回以降最終回まで自分はずっと楽しんで見ていた。先の展開が全く読めなかったから。

最後の方はもう次回の放送を一週間待つ事が出来なくて、最新話を見たら一期の一話からまた最新話まで見返す、という事までしていた。今なら到底こんな事やれないと思う。

この作品の結末は個人的には「なるべくしてなった」感じでそんなに悪い物だとは思わなかった。それでも個人的にずっと推していたあるキャラがとても無残な最期を遂げた時は本当に体の力が抜けてしまった。一ヶ月くらい引き摺った。

終盤から荒れ気味だったのもあって放送終了後はこんなにも凄まじいのか…と思うほど荒れていた。5年経った今は多少収まった気もするけど、それでも未だに鉄血の話題になるとピリピリしている人をコミュニティでよく見かける。

放送終了からしばらく立って、この作品プラモデルセールになっていたのを見かけて自分ガンプラデビューを果たした。好きなキャラの乗っていた好きな機体の立体を手にするのってこんな感覚なんだ!ってこれも本当に楽しかった。

書店ホビージャパンやグレートメカニック、メカニックワールドなど鉄血について語られた書籍を読むのも楽しかった。所謂アナザーガンダムの中でも鉄血のオルフェンズはTOP3に入るほど好きな作品であり好きな世界だった。

先日放送されていた鉄血のオルフェンズ特別編を見て、流石に5年も経てば自分の鉄血熱も少しは冷めたかな?と思ったら5年前と同じように楽しめていて、何年経っても好きって気持ちが冷めないくらい好きだったんだと自覚した。

まりに入れ込み過ぎたからか、ガンダムとして次回作にあたるビルドダイバーズやビルドダイバーリライズは鉄血ほどの熱量を持って見れなかった。これはビルド系があくまガンプラを題材にした作品なのもあるかもしれないけれど。

今年の秋にガンダムシリーズの新作水星魔女放送がついに始まる。果たして自分は鉄血の時と同じ熱量水星魔女を楽しむ事が出来るだろうか。期待と不安が半々、楽しめたらそれに越した事は無いなあと思っている。

ガンプラ2018年)

鉄血のオルフェンズの影響でガンプラに触れるようになってから一時ガンプラを集めるのが趣味になっていた。組む方はヘタクソだけど、それでも100円均一ショップで何かプラモデル作りに仕えそうな物とか色々漁っていた。楽しかった。

鉄血シリーズHGを始め、この時新商品が展開していたビルドダイバーズ、HGUCGのレコンギスタとかちびちび買っていた。SEEDの1/144シリーズなんかも安価だったので好きだった機体のキットを少々買った。

プラモデルを触っていて思ったのは、海老川兼武氏がデザインしたMSは本当にどれも良いな!という事だった。グレイズゲイレールグリムゲルデダブルオーダイバー等々海老川デザインMSのキットはどれも最高だった。

このガンプラという趣味ビルドダイバー放送終了後には自然と冷めてしまった、というか懐事情関係で続けられなかったけど…不器用なヘタクソなりにプラモデルをパチパチと組み立てていくのは面倒でもあり中々楽しかった。

最近エントリーグレードというワンコイン価格で発売されているガンプラがあるので、それを手に取って遊んでみたいな…という気持ちはある。またお金に余裕が出来たら手を出してみたいと思っている。

とりあえず思い出せる物を思い出せる限り書いてみた。他にもあるだろうけど忘れていて思い出せないのが残念。また思い出したら書いてみよう。

追記】誤字を直した

追記2】誤字を直した

追記3】

トラバブコメでこの日記に対して色んな事を言ってくれる人達が居て嬉しい。昔の作品も今の作品面白いよね!続きが気になってたまらいくらいハマれる物に出会えたら、それは本当に最高だと思う。

自分の好きな作品に対して何かを言ってくれる人やこの日記に対して何かを言ってくれる人が居る事がとにかく嬉しい。ありがとうございました。記憶から抜けてる好きだった物についてもいつか何か書けたら良いなぁ…

追記4】anond:20220722013251に続く。

2019-01-05

anond:20181225224942

よくできたまとめ。

かくいう自分はロストメビウスあたりで離れた組(※と、いいつつ結局今でもどこか目の端で作品群を追いかけている)

このあたりの解説もまさに増田の言うとおりで、作品テーマが難解になって、作者の言わんとしているところと作品読了後の自分の得たいカタルシスが一致しなくなったため。

自分ブギーポップに求めていたのは第一に『笑わない』のような多重構造ミステリーを通して語られる世界というものの複雑さと適当さに圧倒される閉塞感。

第二に『パンドラ』『ホーリィ&ゴースト』『冥王と獣のダンス』『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』で示されるような、閉塞的な世界において個々の人生という名の運命=<試練に立ち向かう戦士>の話。

第三に、前項ふたつの要素が組み合わさって終幕を迎えた物語におけるカタルシス

初期作品は間違いなくこの三つの要素で形作られていたといっても過言ではない。

そして著者のあとがきで語られる分析考察独白みたいな結論通称上遠野節と言われる)がこのカタルシス絶妙な味を与えてくれて、二週目以降の読破にも興が乗る。

このカタルシスだが、二期後半以降かなり薄れる、

具体的にはまさに増田が触れているとおりで、ロストメビウスとそれ以降の作品群。

世界の謎要素』が強くなった二期以降のブギーポップにおいて、ロストメビウスは作品群として重要位置づけにはなりえても『戦士』よりも『世界の謎』を優先したために作品単体としての完成度が低い。

そのわりにロストメビウス以降も大筋でブギーポップ世界観に進行があったということはないので、かなり肩透かし感がある。

そして二期作品以降はこの傾向が加速して、世界観に一切進行のない肩透かし感(「結局あれはなんだったのか」)が続く。

その原因について、ブギーポップを含む作品群についてを含めてこのblogがすばらしい考察を書いているのでリンクを張っておく。

http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2019/01/03/135038

もともと上遠野氏の作風ストーリー自体がもともとスタンドアローンで、ストーリー同士をつなぎあわせることで全体が見えてくるというミステリーみたいなスタンスだった。

まり最初期における『笑わない』で用いられていた手法が、今度は作品群全体において用いられるというスケールアップが面白かった。

したがって、巻が進むごとに世界の謎が徐々に解き明かされるというミステリーっぽさが熱狂的なファンを生んだ。

しかし二期後半くらいから過剰になってきたために、年単位放置されてきた伏線が増えてきたことで、作者の中でネタ賞味期限が切れてきた、というのが正直なところではないだろうか。

この賞味期限の切れ具合から起こったネタ在庫整理が、そのまま上遠野氏における二期、三期の切り替えの時期に一致している感じがある。

したがってこの賞味期限切れの結果、世界の謎要素は徐々に手仕舞いしなければならなくなる。この手仕舞いが「ヴァルプルギスの後悔である

ではそれ以降のブギーポップはどうなるのかというと、作品全体を覆う世界の謎がなくなってしまったので、あとにはスタンドアローンになったストーリーしか残らない。

筆者が特にこの傾向を感じたのは「沈黙ピラミッド」あたりであり、確信したのが「化け猫めまいスキャット」あたりである

この辺になってくると、もはや世界に謎がないのでスタンドアローン作品を見ていく以外に楽しみ方がない。

もともと外伝作品スピンオフのかたまりだけで構成されていたブギーポップシリーズが、それでもシリーズの体を保っていたのはブギーポップ存在世界の謎だったのだが

世界の謎がなくなったことで(※まぁ、振り返ってみるともともとそうではあったのだが)ブギーポップシリーズが明確に単純なスピンオフの塊シリーズとなった。

類似作品としては「地獄少女」みたいなものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。

ブギーポップの魅力が一番詰まっているのはやっぱり原点である「笑わない」とそこに連なる初期9作品、ロストメビウス手前までの二期前半だと思う。筆が載ってた時期が一番面白かった。

個人的には「ビートのディシプリンシリーズこそ真骨頂だと思っている。<世界>と<戦士>の構図をカタルシスと共に描くことにかけては著者の作品でいまだ右にでるものがない。

時系列的にも世界の謎がもっとも沸騰していた頃だったので、ここまでは大きな流れが見えて面白かったように思う。

二期後半以降から作者はたぶんブギーポップ関係とは別作品を書き始めて、ブギーポップ位置けが自分の中で変わってしまったんだと思う。

やりたいことをやるために別の枠が用意されているなら、ブギーポップではもはやそれをやる必要はない。特にヴァルプルギスの後悔>という大仕事を終えてからはそれが顕著である

したがって初期作品に見られたカタルシス二期作品と並行で書かれた著者の別作品できちんと得ることができる。

たとえば<戦士>と<世界>の構図の代表作であれば『冥王と獣のダンス』や『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ

そして<世界の謎>=ミステリーであれば『しずるさん』『ソウルドロップ』があげられる。

まりこの辺から上遠野さんは、やりたいことがいろいろとできちまってブギーポップについてはとっちらかし始めた感じがあり、最終的にもともとそうであったようにスピンオフスタンドアローンストーリーの寄せ集めに落ち着いた感じがある。




アニメ化について

すでに二話まで見てみたが、まぁこんなもんなのか?という感じ。

個人的演出が惜しい。

もっとカットを多様してキーワードとなる台詞にはキャラクターの口元を映したり、必要なシーンを瞬間的な回想で一瞬だけ挿入させるなど、雰囲気を出すためにシャフト演出必要なのではないか

シーンごとのつながりは見た人に分かりやすいつくりにはなっていると思う。

ただ木村君を出さないのはどうかと思う。「笑わない」を読んだことがある人にはわかると思うが、通しで読むと途中までは単なる青春ストーリーしかなかったもの

木村君のチャプターから徐々にストーリーの肝へと近づいていく、いわば切り返しのチャプターなのだ

というよりそもそも三話か四話程度で「笑わない」をやってしまう今回の計画自体に無理があると思うのだがどうなのか。

聞くところによると中盤から後半は「vsイマジネーター」をやる予定らしい。

上遠野氏にとって間違いなく重要存在だったイマジネーターだが、多分筆者の雑感ではおそらくまだこのテーマは著者の中ですっきり終わってないまま放置されている。

原作がまだすっきりと終えていないものアニメ化したところで面白い話になるはずもない。

個人的監督に対する批判としては、アニメ化するなら上遠野氏の作品のなかでもスタンドアローンできれいに完結しているものを選ぶべきだった、と言いたい。

何かと話題になる『笑わない』とか『イマジネーター』ばかりに目をやるのではなく、形としてワンクールに綺麗に収めやすい初期の作品なら

ペパーミント魔術師』『ホーリィ&ゴースト』『エンブリオ侵食炎上』『パンドラ』があったではないか

初期作品の趣を正当に継承しつつ、ワンクールという短い話数でまとめやすくきちんとカタルシスを与えられるストーリー強度を持っているのは間違いなくこの四作品だ。

監督はこの中から映像化する作品を選ぶべきだった。

■三期以降の作品ブギーポップシリーズについて

三期以降の著者の作品は手にとっていないので分からないというのが正直な感想だが

懸念していることとして何点かあげておきたい。

第一に、90年代の閉塞感というものはもはやない。

少なくとも現代ジュブナイルにそういう感情はない。

成熟期~衰退期にある現在日本は、当時の熱狂からの急速の冷却時期をある種越えて、落ち着いた感じがある。

またITの広がりを受けて知識を得ることが一般かつ容易になったために、今まで知らなかった社会の謎や不満、不安が解き明かされつつある。

少なくとも「自分の感じていること」が何なのかを社会的な構造論理できちんと説明できるようになった。「何がなんだか分からなかったものから、少なくとも「原因はこれなんじゃねえか」と言えるような、手触りのあるものにまで落ち着いてきた。

そしてエヴァで示されるような自分自身の心理的問題や、ガンダムのような社会自分との対決ではなく、もっと普遍的なある種受け入れざるをえないような構造上の問題として理解されつつある。

働き方も人生に対する考え方も将来に対する展望も、今の若い人たちはよりリアル現実的だ。

自己実現の形も身近で多様になってきた今、閉塞感を主要な題材として手探りで作品を作る事は普遍的とはいえやや共感が難しい。

ある種のカウンターカルチャーから始まっているとはいえストーリー路線もっと王道的なもの回帰する必要があるのではないか

■第二に、<世界>と<戦士>の関わり方もまた時代を経て変わってきたように思う。

いまの若い子たちのほとんどは迷いがない。情報がたくさんあり、そのことに慣れているので、彼らのほとんどは過去90年代存在していたような迷いや苛立ち、先行きの見えなさというものからきちんと卒業している。

先行きが見えないレールとして見るのではなく、多くはレールを立派に相対化して統合評価し、少ない選択肢のレールの中から自分の納得のいく選択を手にして自分人生を生きている。

平凡ではあるが、意思ある存在としてその平凡さを選んでいるのだ。わけもわから梯子を登り続けた90年代を背後から俯瞰して「だいたいこんなものだ」という感覚を肌で分かっているのが00年代だ。

したがって、振り落とされて振り回される世代ではない。また将来に対する不安はあれど、道しるべや指標、解析ツールは探せば手に入る時代に、無理をして多くを手に入れようとはしない。

したがって、ピート・ビートが感じていたような不安感は、物語の没入のためには役立つが、そこに共感を感じさせる要素は見つけにくいだろう。

過去SF現実社会を映すものであり、社会の謎を解き明かす鍵があると考える読者も多かった。それがカルト信者を生んでいた一面もあった。

しか現在の若年層にとって、SF提供する社会の謎はエンターテイメントの一部でしかない。

したがって<世界>と<戦士>の構図も同様に、エンターテイメントとしての構図に終始するか、あるいはこの時代における新たな<世界>と<戦士>の構図を再度見つけなおさなければならないだろう。

一言で言ってしまえば、セカイケイはもう終わってしまって古くなった。

人々は自意識というものについての興味を、以前ほどにはもっていない、ということだ。

したがって、意識というもののあり方が大きく変わってしまった以上、<世界>と<戦士>のあり方も本質は変わらずともあり方を変えて描かざるを得ないのではないか

第三に、引用するサブカルチャーの変遷である

知っての通り、上遠野氏はジョジョ熱狂的なファンであると同時に、洋楽から多数の引用を行う。

これはあとがきに書かれている通りだ。

これはこれで悪くない選択だとは思うし、古典に学ぶことが創作の近道なのだが、現代サブカルチャーとその源流についてももう少し学んでいいのではないか

現代っ子が引用するサブカルチャーほとんどはpixivニコニコ動画が主流である

そして引用のされ方にも傾向がある。

売れ筋に寄せろといいたいわけではないが、そもそも戦場ライトノベルであるからハードな戦い方(※つまり正統的なSFミステリ)をしていても遠巻きに眺められる終わるのがオチではないか

たまにはもうすこしライトなことをやってもいいのではないか

もう立派な大御所なのだから売れるための本を書く必要はないのかもしれないが、もっとキャラクターがきちんと動くストーリーを書いてくれたっていいのではないか

ファンサービスのありかたも商業小説のあり方も変化してきたのだから、もうちょっと寄せてくれてもいいのではないか

そんな気がする。

2018-12-26

[]上遠野浩平 anond:20181225224942

つの間にか統和機構崩壊してたとか聞いてなんじゃそりゃ~と思ったわ

友達ペパーミントやたら好きだったな

自分社会科見学かなんかのバスの中で友達が歪曲王面白いと言ったのがはじめての出会いでそれきっかけにはじめて読んだのも歪曲王だったなあ

ガキにとってはイマジネーターは長い割にわけわかんなくてつまんなかった

ガキにとってはエンブリオがやっぱ最高!って感じだったな

んでエンブリオの興奮からハートレス出たとしってそっこー読んだら、う~ん・・・・ってなって、

ホーリーゴーストジンクスショップハートレスよりはマシだけどいまいちつまんない・・・と思ってロス目日以降はまったくよんでねーわ

ビートのディシプリンも1だけ読んでいまいちで読むのやめたし

あでもナイトウォッチは1がめっちゃ好きで2の月に聴く意味不すぎてつまんなくて3でよーやく1回帰路線っぽくそこそこ楽しめた

冥王と獣のダンスも好きだったなあアクション系が好き

あとはーしずるさんは1だけ読んでつまんねと判断

事件シリーズ市街上とさつりゅうだけ読んでつまらん割にながくて苦痛で読まなくなった

パープル・ヘイズはよかった

ソウルドロップは買ったけど読まずに売った気がする

2018-12-25

アニメ化直前ブギーポップシリーズ現状報告(ある程度の既読者向け)

(全て個人的見解です)

アニメの開始で、ブギーポップ懐かしい!原作いまどうなってるの?ていうかまだ続いてるの?という人々も少なからずいると思われるので、シリーズを振り返りつつ現在の大まかな状況を説明する。

今のところ明確にブギーポップシリーズとして刊行されているのは以下の22作。

  1. ブギーポップは笑わない
  2. ブギーポップリターンズ VSイマジネーター PART 1
  3. ブギーポップリターンズ VSイマジネーター PART 2
  4. ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ
  5. ブギーポップオーバードライブ 歪曲王
  6. 夜明けのブギーポップ
  7. ブギーポップミッシング ペパーミント魔術師
  8. ブギーポップカウントダウン エンブリオ浸蝕
  9. ブギーポップウィキッド エンブリオ炎生
  10. ブギーポップパラドックス ハートレスレッド
  11. ブギーポップアンバランス ホーリィ&ゴースト
  12. ブギーポップスタッカート ジンクスショップへようこそ
  13. ブギーポップバウンディング ロスト・メビウス
  14. ブギーポップイントレランス オルフェの方舟
  15. ブギーポップクエスチョン 沈黙ピラミッド
  16. ブギーポップ・ダークリー 化け猫めまいスキャット
  17. ブギーポップアンノウン 壊れかけのムーンライト
  18. ブギーポップウィズイン さびまみれのバビロン
  19. ブギーポップチェンジリング 溶暗のデカダント・ブラック
  20. ブギーポップアンチテーゼ オルタナティヴエゴの乱逆
  21. ブギーポップダウトフル 不可抗力ラビット・ラン
  22. ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学

(新作「ブギーポップオールマイティ(仮)」来春発売予定)

電子書籍ストアなどでは、作者本人が執筆イラストレーター共通しているスピンオフビートのディシプリン』『ヴァルプルギスの後悔』各4巻もブギーポップシリーズとして扱われているが、ここでは除外する。

ブギーポップシリーズは、刊行順の並びで大雑把に三つに区切ることができる。

12/26追記:この区切り自分個人的勝手にそう思ってるだけの便宜的なものです)

第一期(98年〜00年)
1.笑わない〜9.エンブリオ炎生

第二期(01年〜13年)
10.ハートレスレッド〜18.さびまみれのバビロン

第三期(14年〜)
19.デカダント・ブラック

各時期の特徴を見ていこう。

ブギーポップ第一期(笑わない〜エンブリオ

一般的な「ブギーポップ」のイメージを形作った初期作品群。

一見ありふれた現代日本日常の背後で、巨大な組織が絶えず暗躍し異能者が世界を変革するべく活動する、謀略論世界観。

思春期不安定な心と世界危機がいっとき交差する、叙情的・詩的な青春小説としての側面。

五人の主人公視点による五つの章で一つの事件を立体的に語る、という第一作の笑わないに代表される、トリッキー構成

ごく一部の準レギュラー的な存在を除いて、基本的新規キャラクターもしくは既存の脇役が主人公となって毎回半ば独立した物語が展開される、いわば全ての巻がお互いの「外伝であるようなシリーズの組み立て。

緒方剛志の洗練されたイラストと、鎌部善彦によるシンプルかつ洒脱なブックデザイン

少女達の間でささやかれる都市伝説であり、普通女子高生の別人格?として現れ黒づくめの格好で口笛を吹きワイヤーを操る死神もしくは世界の敵の敵……という、その他の世界設定からは遊離しているとしか思えない謎の、しかビジュアルデザインも含めて圧倒的に魅力的な存在ブギーポップ

などの点が読者から評価され、人気を呼んだ。

ラノベ流行TRPGベース異世界ファンタジーから現代ものに塗り変えただとか、現在大人気のあの作家やこのゲームライターも影響を受けただとか、当時の存在感については既に色んなところで言われているので各自Wikipediaなどを参照のこと(大げさだったり紛らわしかったりする情報もあるので眉に唾をつけながら)

ブギーポップシリーズ - Wikipedia

具体的なデータは分からないが、売り上げ的にも恐らくこの時期が絶頂だったのではないか。今回アニメ化の対象となるエピソードも、ほぼこの範囲からと見ていいだろう。

この時期で注目すべき巻、という話になると、一作目の笑わないはもちろんのこと、それ以外も全部と言うほかない。

王道ボーイミーツガールを軸に、前後編同時発売というボリューム作品世界が大きく広がった、リターンズ1・2。

予知能力者の少年少女によるささやかコミュニティがたどる儚い運命を描く、もしかしたら謎部活もの残念系の先駆と言えるかもしれない?パンドラ

閉ざされた高層建築というアクション映画を思わせる派手な舞台設定で、最終巻となる可能性もあったためか一旦シリーズを総括するような大団円が心地良い、歪曲王。

笑わないに近い連作短編構成で、シリーズ重要キャラクター炎の魔女」とブギーポップ誕生を描く、ブギーポップオリジンとも言える、夜明け。

ジレンマを抱えた創作者の心をアイスクリームに託した、ペパーミント魔術師

屈指の人気キャラクターの登場巻であり、二人の男が巡り会い激突する、シリーズ中では比較ストレートに「熱い」展開が見られる、エンブリオ二作。

以上の9巻はわずか二年の間に刊行されている。ほとんど月刊ペースで新刊を出すような恐るべき速筆ラノベ作家存在する現在ではさほど目を引く数字でもないが、当時としては驚異的なスピードだった。それが一世を風靡する大人シリーズであればなおさらだ

次に述べる第二期では、複数の他シリーズと平行して執筆していたとはいえ一期と同じ巻数を出すまでに十年以上かかっていることと比べると、初期はどれだけ筆が乗っていたのかよく分かるだろう。

ブギーポップ第二期(ハートレスレッドさびまみれのバビロン

ちょうど一度目のアニメ化、実写映画化の時期を境にして、やや作風に変化が見られた。

異能による戦闘の重視

能力存在のものは以前からさほど珍しいものではなかったが、それまでは物語の中の一つの要素でしかなかった戦闘に、武器として用いるのが半ば当たり前となった。

各巻の主人公格にはたいてい非能力者も一人は配されているし、エンブリオのような異能者対異能者の直接的な戦いがそんなに多いわけではないが、それでもいわゆる「能力バトルもの」という印象はかなり強まった。これを理由作品から離れた読者も多い、らしい

かい部分だが、能力に(多くの場合洋楽由来の)名前がはっきり設定されることが多くなったのもこのあたりからだ(言うまでもないがブギーポップジョジョの影響を大いに受けている)

・「敵」の扱いの変化

世界の敵、もしくは敵候補側の視点が薄くなり、一期のように主人公の一人として扱われることが少なくなった。これと同時に、世界の敵の動機に世直しというか率直に表現すると「人類補完計画」に類するものがほぼ見られなくなった。

異能バトル化の進行と併せて、表面的には「邪悪敵役主人公たちが討ち滅ぼす物語」という単純な構図にやや接近することになる。

構成の素直さ

多くの場合複数視点で展開されること自体は変わらないが、各視点をそれぞれ一つの章(短編)にしたり、時間を大きく前後させたりというような凝った構成はあまり見られなくなった。

霧間凪の(一時)退場

数少ないレギュラーキャラである霧間凪が、二期半ばの13作目のオルフェの方舟以降、ブギーポップ本編に登場しなくなる。恐らくは、凪が主人公スピンオフヴァルプルギスの後悔』との兼ね合いによるものだと思われる。この不在は、21作目のラビット・ランで再登場するまで長く続いた。

テーマの複雑化

言葉にしにくい部分だが、一期においてはまだ、各巻が主に何を題材にしているのかが、なんとなくではあるが伝わるという印象だった。それが二期では、テーマ的により込み入った話が多くなり、分かりやす共感や盛り上がりからは遠ざかった感がある。そのぶん作家性がより強まった、とも言えるが。

第二期の注目作としては、

霧間凪ライバル?的な存在が初登場する(以降の出番はほぼスピンオフ)、ハートレスレッド

設定上最大に近い「大物」の登場巻であり、以後、他シリーズも含めて作中世界に大きな影響を及ぼす出来事が語られる、ジンクスショップ

暗い森の中を延々と歩き回る閉塞感と晦渋さのせいか読者の賛否が極端な、ある意味で二期らしさを象徴する作品といえる、ロスト・メビウス

本当に大事なことは既に終わっているという、これまでもシリーズに見え隠れしてきたもの見方が改めてテーマとして大きく扱われ、青春とバトルのバランスの良さから?二期の中では読者の評価も高い、沈黙ピラミッド(沈ピラの愛称で親しまれている)

などがある。

ブギーポップ第三期(デカダント・ブラック〜)

現行の作品群。

近刊の最も目立つ特徴として、主に第一作品主人公格だったキャラたちが、再びメインを張っていることが挙げられる。

基本的には新規登場人物もしくは既巻でのサブキャラ主人公となることが多かったものの、かつての主役がメイン級として再登板という展開自体は一期でも二期でも存在した。たとえば、歪曲王の新刻敬、ロスト・メビウスの織機綺、化け猫フォルテッシモなど。しかし、デカダント・ブラック以降はそのようなキャラクター配置が今のところ全ての巻で一貫して見られる。

三期各巻で主人公格として再登場した既存キャラは以下の通り(カッコ内は過去の主演巻)

これらのキャラは初期作品評価に比例して人気が高く、シリーズ上でも重要人物と見られているが、彼らが登場しているからといって、いわゆる「本筋」が大きく進展するだとか、シリーズを畳みにかかっているといった気配はあまりない。相変わらず核心の周囲をぐるぐると周るような展開が続いている。

また、こうしたキャラクター配置がテーマから導かれたものなのか、それともある種の商業上の要請によるもの(早い話がテコ入れ)なのかどうかも不明

それ以外の傾向としては、概ね第二期のそれを継承した形になっている。ただ個人的に一つ気になる点として、新規キャラクターの「格」の低下ということがある。

あくま作品から受ける印象だが、三期で初登場した新キャラ達には、作者の思い入れというものがあまり感じられない。戦闘能力の強弱などの問題ではなく、良くも悪くも人格的な面で個性が薄く、その内面に寄り添い掘り下げるような視点も弱くなっている。

特に世界の敵もしくは世界の敵に至らない程度の「悪役」の造形はこの傾向が強い。あからさまに傲慢だったりするいけ好かない人間として登場して、実際にいけ好かない人格のまま説教されたり死んだりして退場する、というケースがほとんどを占めている。

また、主人公視点人物として再登場している一期のメインキャラ達はたいてい洞察力に優れ、過去の巻で既に何事かを成したいわばひとかどの人物であるため、彼らの視点で描かれる新キャラはいっそう底の浅さが浮き彫りになってしまうというキャラ格差問題もある。

世界中の誰しもが、たとえ一見取るに足りない存在であっても世界の敵になり得る、というようなテーマの反映なのかとも思うが、それにしてもクソ雑魚ナメクジに過ぎるし、そういう「敵」ばかりではさすがに辟易してしまう。なにより、たとえばあのスプーキーEですら持っていた、人格の複雑さ・意外性というものほとんど感じられないのは寂しい。

悪役なら悪役でいいので、せめて初登場時点では、恐ろしさや底の知れなさをもう少し演出してくれないものだろうか。あるいはいっそ、無理に毎回新規キャラを多数登場させることを控えて、ほぼ既存キャラだけで話を回し始めてもいい頃合いではないかと思うのだが……ムーンライトに一度だけ登場したカレー屋など、もっと掘り下げてほしい旧キャラも既に十分以上に存在することだし。

というかいい加減ストレンジ書いてくれ。

まとめ

自分の目から見たブギーポップシリーズのこれまでと現状は、こんな感じだ。

結果的に後半はほとんどネガキャンのような書き方になってしまったが、そういう意図は毛頭ない。むしろ、こんな風に不満を持ちながらもなんだかんだで楽しく追い続けている読者もいるぐらいには今も魅力的なシリーズなんだよ、ということが言いたかった。信じてほしい。

今回のアニメ化の影響で原作が売れたり読まれたりするとしても、そのほとんどはアニメ化の範囲であり新装版も出る第一期、それも前半に集中することだろう。だが、これを機会に未読の二期・三期作品にも手を伸ばしてくれる元読者がたとえ一人でも現れてくれるなら、非常に嬉しい。読んだら一緒に文句を言おう(文句言う前提)

この増田への批判反論は大いに歓迎する。内容が何であれ、ブギーポップへの言及は増えれば増えるだけありがたい。

2018-03-17

上遠野浩平オタが非オタ彼女上遠野世界を軽く紹介するための10

まあ、どのくらいの数の上遠野オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

世界の敵ではまったくないんだが、しか自分のMPLS能力肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない統和機構世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、スキャッターブレインの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、上遠野のことを紹介するために読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「VSイマジネーター」の正反対版だな。「恋をするのは人の勝手だ。私としてはそれが互いの精神の潰しあいになることを祈るだけだ」)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う30巻、40巻のシリーズは避けたい。

できれば単発として読める作品、長くても4巻にとどめたい。

あと、いくら上遠野的に重要といっても捻りを感じすぎるものは避けたい。

伊福部昭好きが『サロメ』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

ラノベ知識はいわゆる「ライト文芸」的なものを除けば、西尾維新程度は読んでいる

クラスもC9だが、階級あくまでも目的を分けるためのもので、下は上に絶対服従というわけじゃねえ!

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

ブギーポップは笑わない電撃文庫

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ブギポ以前」を濃縮しきっていて、「ブギポ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも283ページだし。

ただ、ここでブギトーク・ポップライフ全開にしてしまうと、彼女との関係崩壊ビートかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて――我が身を必要最小限の“情報”に変えて、今、彼女に“報告”を送れる!かということは、上遠野オタ側の「真の俯瞰認識者(オーバースケール)」の試験としてはいタスクだろうと思う。

殺竜事件講談社ノベルス)、ソウルドロップの幽体研究ノン・ノベル

アレって典型的な「上遠野オタクが考える一般人に受け入れられそうな上遠野(そう上遠野オタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

上遠野オタとしてはこの二つは“ミステリ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

冥王と獣のダンス電撃文庫

ある種のSFラノベオタが持ってるポストアポカリプスへの憧憬と、戦場ロミジュリ的なボーイミーツガールへのこだわりを彼女に紹介するという意味はいいなと思うのと、それに加えていかにも上遠野浩平な

童貞的な鈍感ハーレム主人公」を体現するトモル

童貞的に好みな無口ツンデレ女」を体現する夢幻

の二人をはじめとして、上遠野オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由

ぼくらは虚空に夜を視る(徳間デュアル文庫

たぶんこれを見た彼女は「ゼーガペインだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜作品が『虚人』のその後続いていないこと、これが星海社から再版されたこと、徳間レーベルなら劇場アニメになって、それが日本全国で公開されてもおかしくはなさそうなのに、2018年でもこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

酸素は鏡に映らない(講談社ミステリーランド)

「やっぱり上遠野子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「はりねずみチクタ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このレーベルにかける宇山日出臣の思いが好きだから

断腸の思いで削りに削ってそれでも2000円(税別)、っていう定価が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「箱入り・クロス装」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから

ミステリーランドの価格を俺自身は高いとは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが角川や富士見だったらきっちり1400円にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2000円で作ってしまう、というあたり、どうしても「かつて子どもだったあなた」としては、たとえ宇山がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを、彼女に、話してみたい――と思うか……?

しずるさんと偏屈な死者たち(富士見ミステリー文庫)

今の若年層で富士ミスたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

星海社版よりも前の段階で、しずるさんのトンデモ推理とかよーちゃんL・O・V・E!とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの「とってもミステリーで、ちょっぴり百合。」が富士見ミステリー文庫でこの時代に出ていたんだよ、というのは、別に自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく富士ミス好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる国道12号版でしかしずよーを知らない彼女には読ませてあげたいなと思う。

ビートディシプリン電撃文庫

フォルテッシモの「能力」あるいは「クレープ好き」を上遠野オタとして教えたい、というお節介焼きから読ませる、ということではなくて。

「この厳しい試練(ディシプリン)に死神ブギーポップ)は現れない」的な感覚上遠野オタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアニメ版『ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom最終話浪人決定の卒業式以外ではあり得なかったとも思う。

能力バトル化したブギポを読む」という上遠野オタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「バトル寄せ」の源はディシプリンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

戦車のような彼女たち(講談社

これは主砲だよなあ。主砲が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうファウスト系風味の恋愛をこういうかたちで単行本化して、それが非上遠野オタに受け入れられるか「太田が悪い」を誘発するか、というのを見てみたい。

涼宮ハルヒの憂鬱角川スニーカー文庫

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。

ブギポから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、このラノ以降のラノベ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。

「……なァにが“上遠野オタ軽10”だ! そんなものはオレの増田で上書きしてやる!」という炎の増田は大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたらまあいいじゃん。

2010-04-28

ずっと昔のことを覚えているのはずっとこわい。

 人間記憶がもしも曖昧なものでなければ、もしも脳細胞ハードディスクのように上書きされるような構造ならば、人間発狂してしまうだろう。という話がある。その通りで、私たちは大事な記憶を忘れるとともに思い出したくない事を少しずつ、時間が解決してくれるに任している。実際には、考えてないうちに、意識していないうちに、緩やかにシナプスは結びつきを弱め、ニューロンの発火は抑えられる。

 脳が未だにブラックボックスだからこんな表現が許されるのだけど、不意な刺激(におい、景色、音、味覚、ようは五感の複合的な刺激)によって結びつきもしないような所から記憶は想起されてしまう時がある。フラッシュバックなんて、おおげさなものでは無いが、私の好きな作家言葉を借りれば、

ーーーハンバーグの中に小石が混じってしまっているのだ。ーーそれが、かきっ、と不快な音を立ててその辺りの思い出もろとも吐き捨てられてしまうことになる。ーーー確かにかみ合ってはいない、でも引っかかるところが中途半端に残ってる。それがきしんで、だから落ち着かない気持ちになる。ーーー

 

 だから、思い出なんてない方がいいとか、そう言う気持ちがあったのは事実だが、そう世の中うまくいくものではない。そこにあるのは、のっぺりとした日常である。そうで無い気もする。ここ数年の方が、ずっと人生リリカルでラジカルだった気もする。でも過去を振り返ると、なぜか少し悲しい。矛盾しているし、書いてる最中にも考えがころころ変わる。それはまとまってないとか、よく分からないとかじゃない。よく知っているんだ。

引用は、上遠野浩平 ビートのディシプリン 2巻より。

 

 
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