はてなキーワード: ヒトラーとは
良く「靖国参拝は、ヒトラーの墓に参るのと同じ」というのが中国人や韓国人、そしてニッポンのサヨクの言い分だけど、本当にその認識が世界でまかり通ってるなら、「失望」や「批判」程度で済むわけ無いんだよね。
靖国参拝が批判されてるのは事実だけど、サヨクが言うほど批判されてるわけでもない。そのあたりを見誤って、下手に火種を恐れて卑屈になったり、逆に下手に意固地になって外交を完全無視になるのが一番怖い。
まあ、今後、「靖国=ヒトラーの墓」みたいな認識が世界に広まるのもやばいので、その辺りはきちんと説明していく必要はあるけどな。
昨日今日に始まったことではありませんが、靖国神社のことがいろいろと問題になっています。
私は、日本の首相が靖国神社に参拝することは当然だと思っています。
ですが、それに反対する人もいることはもちろん知っていますし、そういう意見も少しは理解できます。
ただここで考えてみたいのは、首相が参拝することではなく、海外からの評価についてです。
靖国神社は海外でよく「戦争神社(war shrine)」「軍事神社(military shrine)」と言われます。
このような評価がまかり通っていることには、たとえ首相の参拝に反対する人でも抗議すべきだと思いますが、そういう抗議をほとんど耳にしたことがありません。
私にとって本当に不思議なことです。
何が不思議かというと、もし「靖国神社は戦争神社」ということになれば、日本人は年間のべ600万人が戦争神社に参拝していることになるからです。
もちろんこれは初詣でや夏祭り、七五三、結婚式、それにいろいろな祈願のための参拝者を含んだ数字です。
ですが、そんなことを外国人に説明しても、「のべ600万の日本人は戦争神社で新年を祝ったり結婚式を挙げたりしている」と思われるだけです。
最近では、靖国神社を「ヒトラーの墓」になぞらえる声も海外から聞こえてきます。
「初詣では日本の風習だから深い意味はない」と言っても、ドイツ人に「われわれはどんな理由があろうとヒトラーの墓参りなんてしない。日本人は間違っている」と言われればそれまででしょう。
確かに靖国神社は戦争や軍事と深い関係があるので、「戦争神社」「軍事神社」という評価が間違いとも言い切れないところはあります。
ですが、このような理解を聞き流していれば、日本人は「戦争神社」「軍事神社」が大好きな、つまり戦争や軍事を崇め讃えることが大好きな国民ということになってしまいます。
果たしてそれでよいのでしょうか。
以上のことから私は、たとえ首相の靖国神社参拝に反対の人でも(靖国神社を潰せとか誰も参拝させるなとかいう極端な意見の持ち主でなければ)、「靖国神社は戦争神社」という悪しざまな評価には反対すべきだろうと思っています。
ですが、何故かそういう意見はほとんど聞いたことがありません。
もしかして、私の考えがどこか間違っているのでしょうか。
~捕鯨問題編~
欧米人「高度な知性を持ち、可愛らしいイルカやクジラを食べるなんて日本人は野蛮だ」
国際派「世界からのイメージが悪くなる。日本は捕鯨を止めるべきだ」
国粋主義者「は? かつて鯨油を取るためだけにクジラ獲って肉は海に捨ててた欧米人に言われたくないんですけど」
際「過去の話と現在起こっている問題は切り分けて考えるべきだ。いたずらに過去を掘り返すのは相手に悪い印象を与える」
粋「日本人は獲ったクジラを隅から隅まで使い尽くすようにしているし、クジラを神社で祀ったりもしている。相当にクジラは尊重している」
欧「何? その”日本の文化”とやらを世界中が理解しないといけないわけ? お前ら日本人って何様?」
際「イルカ・クジラ漁はいくら日本が理屈を主張しても国際社会からの理解は得られない。止めるべき」
粋「ぐぬぬ」
~靖国参拝編~
欧「太平洋戦争を起こす原因を作った靖国神社を参拝するべきではない。ドイツの首相がヒトラーの墓の前で不戦の誓いをするような物だ。おかしい」
際「世界からのイメージが悪くなる。日本は首相や閣僚の靖国参拝を止めるべきだ」
欧「今はやってないし」
際「過去の話と現在起こっている問題は切り分けて考えるべきだ。いたずらに過去を掘り返すのは相手に悪い印象を与える」
粋「死んだ人は神として祀るのが日本の文化だ。責任を追及することとは別だ」
欧「何? その”日本の文化”とやらを世界中が理解しないといけないわけ? お前ら日本人って何様?」
際「首相や閣僚の靖国参拝はいくら日本が理屈を主張しても国際社会からの理解は得られない。止めるべき」
粋「ぐぬぬ」
差別であり、名誉毀損でもあるということも成り立つだろ? 俺は誰かをヒトラーと例えることは明らかな差別だと思っているので、これからも「誰かをヒトラーと呼ぶ人間」は差別主義者だと定義して意見を述べる。もちろん、この意見にあなたが賛同する必要はない。反対するのも自由。これは俺個人の意見なのでね。俺は誰かの反論されても、納得出来る意見に出会わなければ、今後も、これを差別と定義していくまで。
個人的に、単に嫌いな人間というだけで、歴史的犯罪者に例える人間こそ、まさにヒトラーだと思ってる。こういうメンタリティを持った人間が力を持ったら、まず真っ先に気に入らない人間を大量虐殺する、文化大革命とか大粛清みたいな行為に走ると思うので。
佐野眞一の「ハシシタ」の件だが、事実を不可視化する方が有害だ - kojitakenの日記
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20121018/1350496488
左翼は、気に入らない政治家をヒトラーと例えることが多いけど、これを「差別ではない」と本気で考えてるんだろうか。ユダヤ人数百万人を虐殺した人間に例えるなんて、名誉毀損なんてレベルではないと思うが。批判するにしても、やり方はあると思う。
私はというと、他国との関係はそんなことよりも、オリンピックやら国際試合なんかで日本とアツイ試合が出来たら何とも言い難い感情が湧いて出て、ただただ感動している。
応援するのは当然のように日本だけど、感動したら勝つとうが負けようが相手も讃える。
それが私の当たり前だ。
逆に今でも戦争がどうのこうのと、60年以上も昔の話を引っ張り出されても、何も感じない。
いや、一転して鬱陶しい。
んなもん手持ち無沙汰な爺婆に任せとけと心底思う。
罪だ罪だと言い聞かせて、一体何世代引き継ぐつもりですか?
仮に自分たちの世代で何かあったとしても、こんな鬱陶しいものを子や孫に引き継ぐのはよそうと思う。
たった一つの発見であらゆるものがひっくり返るくらい、信用がおけない。
ましてやよく言われる戦争は何カ国もの思惑が未だ渦巻いていて、人数単位で言えば億の単位で渦巻いていて、
歴史が見る人によって、視点によって違うのであれば、そんな億単位の戦争の真実なんてもはや図り知れるものでもない。
ただ勝者が指標として真実を定めるだけだ。
だから、趣味として、一つの学説として歴史と言うものを振り返ってみたりするのはありだと思う。
ただ、この歴史が真実だとか、特定の人を歴史修正主義呼ばわりするのは、私は戴けないし、この上なく胡散臭い。
少なくとも先の戦争の真実なんて、今の有象無象の思惑せめぎ合う時代より何百年かして冷めた頃に、つまり完全に中立な時代に定めてくれたらそれでいいと思う。
それでも収まりがつかないという人達は、先にも言ったとおり当事者同士、その世代同士で喧嘩させてどうぞと言う感じです。
靖国神社だって、その出来た意味や経緯がどうあれ、現代において参拝する意味は先の大戦があって今があるということから、先人への感謝や慰霊に過ぎないということで十分じゃないんでしょうか。
先の戦争を肯定やら英霊を肯定やら、仮にそれが本当だとしてもそれは日本の、靖国の立場的なもので、別にいいんじゃないんですかね。
どの国でも軍人の慰霊施設ならあるだろうし、命を賭して現代の礎になった人々に、あんたらは間違ってたと言って聞かせるのが子孫のすることですかね。
別にアメリカがエノラゲイを祀っても、北の将軍が北で祀られても、ドイツがヒトラー祀っても構いません。
その慰霊が=軍国主義の肯定だなんてどう考えても頭がおかしいので。
そんな人は参拝する人に少しいるかもしれませんが、反対してる人の中でそう繋がっちゃってる人よりは少ないんじゃないですかね。
靖国がどこかの新興宗教のごとく戦争や混乱を奉って信者を増やしているというのなら話は別ですが。
というわけで私はとにかく現代人として60年以上も昔の古臭いものに振り回されるのにうんざりしていて、現代は現代の価値観で友好なりなんなりと楽しいことをやって行きたいと思うのですが、この古臭い価値観を嫌悪して新しい価値観でやって行こうとする様は、あれ?もしかして左翼じゃね?と気づいてしまったわけです。
http://togetter.com/li/605410 コメント欄より
「不謹慎だ」と怒っていらっしゃる方々は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。社主が大人しくなったら「ザマァ」とか言って笑うんですかね?それこそ不謹慎なんだけど、ブーメランの自覚ないんですかね。
namihei_twit 6 hours ago 4
(´-`).。oO(つまり、というか、むしろ、というべきか、言い訳、開き直り、をしているのは、組織票で真っ赤な人達の方、であろう、と。)
namihei_twit 2 hours ago
ツイッターのTLを見てみると、どういう性質の人が虚構新聞を支持しているのかよく分かる
https://twitter.com/namihei_twit
@namihei_twit
対処療法より体質改善。今、何をすべきか考えるのが好き。悪「者」
捜しは嫌い。■フォローはお気軽に。アンフォローもご自由に。こちら
も気分でフォローさせてもらってます。●固い呟きが多いですが、ユル
くお付き合いください。★突然のリプご容赦ください。
【@kyoko_np の件に思ったこと】「不謹慎だ」といつも何かに怒っていらっしゃる人達は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
言葉の怖さを知ったこと、と、言葉を発することを怖がること、は、くっつけたらイカンよ。ヽ(´ー`)ノ10;皆が思い思いに好き勝手に発した言葉で、皆、日々、励まされたり、傷ついたりしてるんだからさ。10;10;RT @harukazechan いまは文章をつづることも、こわくなってしまった— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 23
「レイシストを許さない」で、いいの?10;10;「レイシストにはならない」10;「レイシズムを許さない、認めない」じゃないの?10;10;すごく細かいことを言っているのは重々承知なんだけど、違いが分からん、とか言われたら物凄く恐ろしいことなので。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
レイシズムは嫌いだし、レイシズムに反対だけど、レイシスト差別はよくないと思うわけ。10;10;貼りつけられたレッテルが「レイシスト」なら、差別していいの?10;10;それ、自己矛盾で自己崩壊しない?— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 21
@namihei_twitがRT
マスコミが猪瀬さんを執拗に叩くってのはマスコミにとって「邪魔者」かもしくは金を貰ってやってるってに決まっている。そこには正義などないよ。— ヒトラー総統 (@hitler_soto) 2013, 12月 18
@namihei_twitがRT
私は猪瀬知事の続投を支持します。10;10;なぜなら10;都議員の民主をはじめ無能議員が知事を責めあげ、10;マスコミが相乗りで猪瀬知事を攻撃しているから。10;10;これは10;「自分たちに都合の悪い人物を潰したい」という意図。10;10;この現象は10;マスコミと朝鮮の癒着という10;「暗黒の民主政権で学んだ」からです— sakuhana (@mina005) 2013, 12月 17
@namihei_twitがRT
結局のとこ、マスコミと我々民衆が都知事をやめさせるわけでしょ。で、たかだか5千万円の事で、都知事選で50億円使うと。— 金本茂 Shigeru KANEMOTO (@ssci) 2013, 12月 18
自己暗示をかけて殻に閉じ籠る、浮世離れしてるたぐいの方々が、ネットというツールのおかげで、あちらこちらで殻から漏れ出している、という。これも、可視化?見える化?みたいに呼んでいいのでしょうか?ヽ(´.. http://t.co/H0Snoq4suq— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 16
誰にも負けない強さを持ち、あらゆる相手を打ち負かす人など何処にも居ないと思う。10;10;全てに万能な人間など非現実的だから。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
しかし、あらゆる人から味方をして貰える人に成れたなら、どうだろう。10;誰にも太刀打ち出来なくてもいいのだ。10;10;勝負にならなくたって「敵無し」なわけで。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
相手を打ち負かし屈服させる力とは、自分を蝕んでいく負の力だ。 反撃に怯え、近づく者を拒み、敵を作り続け、自らを孤立させる力だと思う。10;10;適材適所で適度に使う分には構わないだろうが、自らの強さを誇示するため、敵を作っては打ち負かす、というのは愚かと言う他ない。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 15
メモ(一人言)10;10;性善説、性悪説、「性弱説」10;10;「状況の奴隷」10;10;発想の冒険10;10;未知への挑戦10;10;好奇心10;10;可能性— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
イイワケの域を出ていない。自分を奮い立たせるのは良いけれど、自分をよく見せるため自分が満足するためで、お客に満足してもらうためお客に喜んでもらうため、じゃないよねソレ。満足する部分もあればこそまぁ仕.. http://t.co/kbIAOQLbwZ— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
「こんな思いをしてまで自分では望んでない者になってるのに、アイツ等あんなに好き勝手にやりやがって、ムキー」10;10;(´-`).。oO(望んでないモノかもしれないが、あなたが選んだモノだよ。選ばせてくれなかった?今はもう選んで選り好みしても良いものだと認識してるよね)— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
https://twitter.com/namihei_twit/status/411692962871910400から
だから、人の目が怖くなるんだよ。 10;だから、面と向かって目を見て人と話せなくなるんだよ。 10;だから、相手の話に耳を貸さず、ひたすらまくしたてて逃げるんだよ。10;10;さらには、自分自身すら誤魔化すために「勝ち名乗り」とかあげちゃったりしてな。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 14
自分が「変な人ですね」って言われることが最高の褒め言葉だなんて思っているようなヤツだから、こんな変なヤツを好きだなんてどんな変なヤツだよ、と好感度が上がってしまうのだが。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
(コメ欄が本題からどんどん遠ざかっていってるけど、遠ざけようとしているのは誰か、遠ざかりたがっているのは誰なのか、目を背けているのは誰か、読んでる人達はちゃぁんと生暖かく観てますからね。シメシメとか.. http://t.co/nnug16JB0L— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 9
@azukiglg 誰も真相を知らないことをいいことに、見てきたかのようにデタラメを垂れ流す人には、どのように不幸が訪れるのでしょうか。知らないフリをしてはいるけれど、ソイツの言葉に根も葉もないことを知っている人は、しらを切り続ける以外無いのでしょうか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
検証ができずホラ吹きの暴走が止められないと、何も知らない人は成す術なく間違った情報を植え付けられてしまう(信じる信じないはともかく)。秘密になっている情報が、過小評価や過大評価をして勝手に右往左往してくれるのは大歓迎、という類であればそれも良しなんですが。 @azukiglg— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
世界と繋がれない人、が居る。10;誰かの言葉にただひたすら従う人。自分で考えようとしない人、自分の考えで動くことに戸惑う人。10;一見、指示をする誰かの手足になることで繋がっているように誤解されるが、そこに自分という実体が存在していない、つまり、世界の中に自分は居ない、ということ。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 7
指示に忠実に動いても、自分の考えを挟むことをためらうことがあっても、自分の意志行動の決定を自分でしたうえでなら、そこに自分は存在している。10;自分の考えとして取り込み、自分の意志として行動する限り、私は私であり、私はここに存在している。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
「~してくれない」って騒ぐこと、騒ぐ人に付き合うことの、空虚さは、「~してくれない」と騒いでいる人の空虚さ、自分の無さや希薄さに通じていると思う。10;10;そこに自分が存在していれば「~してほしい」と言い替えれられる。10;10;そこに他人しか存在していないから「~してくれない」になる。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
誰かが相手をしてくれている間だけ、いや、誰かが自分の望む通りの相手をしてくれている間だけ、心が安らぐ。10;常に、自分に目を向け自分に対して時間を割き続けることを、誰かに求めているわけで、そこに際限は無い。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 8
保身に走って、自分が痛くならないうちに切り捨てよう、とか、この痛みを押し付けよう、ってするから、反発を受けるんだよねぇ。10;10;自分が相手にそんなことをされたら当然の如く反発し抵抗するのに、自分がそれをするときは反発するな抵抗するなと?10;10;どの口が言うか。— なみへい (@namihei_twit) 2013, 12月 6
「以前の日本はこんなにすごかった」とか
一般の方々だけでなく、国家運営に携わる人たちもだ。
A級戦犯が合祀されている靖国神社を参拝することに関する議論は様々ある。
某東アジア諸国らの物言いは限度を超えたものではあろうが、その主張には理解できるところだってある。
最近も死者の埋葬ができない云々でニュースになっていたけど、戦争責任は明確であり、現政府とは明確に区別されている。
当時の「ナチス」が戦争の責任をとるものであるとして、現在でもナチスに対する厳格な法令が存在している。(ハイルヒトラーのポーズをすれば逮捕)
清算が済んでいるからこそ、今のイタリアやドイツに対して「謝罪と賠償を」だなんていうことはないわけだ。
A級戦犯だといいつつも、国家の代表(近年は自粛もあるが)だけでなく、公務員である議員らが公務として参拝しているという事実だったり、
当時の軍部が象徴としていた旭日期をサッカーなどの国際試合で使用していたり…という状況である。
これでは、戦争責任がどこにあるのか、明確ではない。
http://www.snoopy-exhibition.jp/
まあ、日本ではキャッチ―なのでスヌーピーの名前を付けたんだろうけど実際は作者であるシュルツ展。原画がたっぷり堪能できて、ペンのタッチやベタ塗の筆遣いがダイレクトに伝わる美術展だった。僕にとって一番の驚きは初期の作品だ。1950年代のものが初期にあたるっぽい。この初期のピーナッツの良さに気付いたのは実はつい数か月前。まさにこのスヌーピー展の告知がきっかけだった。
チャーリーブラウンにしろスヌーピーにしろ、晩年のスタイルとはまったく異なる初期のデザインは、かわいらしさが前面に押し出されつつもところどころ写実的で、バランスがちょうどいい。この一連のスタイルを目の当たりにして思い出したのは鳥山明。もちろんシュルツが先だけど。家に戻ってからシュルツと鳥山明の関連性に言及したものはないかと調べてみたものの見当たらなかった。デフォルメと写実の丁度良い塩梅。パースは明らかに歪んでいるにもかかわらず、この世界にはしっくりきている。ロゴのデザイン。手書きのフォントのタッチ。背景の書き込み。そして子供の表情。僕にはすべてが共通しているように思えた。
展示の初めのコーナーにはピーナッツ以外の作品の原画がいくつかあり、子供ばかりを描くピーナッツとは違い、大人が登場している作品もあった。おそらくこれも初期の作品。頭の禿げた太っちょのおじさんは2.5頭身くらいなのに、着ているシャツや背景の小物がしっかり書き込まれてる。薄い影の描写はできるだけ避けているようで無駄のない線とベタのコントラストが余計に写実的な印象を与える。
雨の表現もすごかった。子供がでたらめに書くような斜めの線だけでどしゃぶりの雨を表現してて、キャラクターにもその雨の線はかかってる。でも、その表情はしっかり読み手が受け取れるように配慮されてる。これは百聞は一見にしかず。実際に見て唸ってもらう以外はないように思う。
展示を進んでいくと1960年ごろから僕らが記憶にしまっているいつものチャーリーブラウン、スヌーピーに落ち着いてゆくのがわかる。本音を言わせてもらうとすでに初期のピーナッツに魅了されてしまっている身としては正直面白みにかけるものだった。あの1952年のチャーリーブラウンをもっと見せて!と思ってしまう。
ただ、シュルツが鉛筆でキャラクターを書いてゆく動画の展示には時間を忘れて見入ってしまった。あれだけキャラクターを書き続けているだけあって、まっさらな紙にさらさらと命を吹き込んでいく様は線一本一本に無駄がなく所作すべてが美しい。動画自体が一つの作品のようだった。
http://www.youtube.com/watch?v=dS0vUbWdNxg
http://www.youtube.com/watch?v=ZFbVrzl69dM
そして晩年のコーナーで楽しめたのはくしゃくしゃのメモパッドに描かれたらくがき。シュルツはウォーミングアップとしていたずら書きをしてから作品制作に入る人で、描いてはゴミ箱に捨てていたらしい。それを秘書かお手伝いさんか誰かが捨てずに保管していた。とてもリラックスした状態で描かれたスヌーピーは今までみたことのないタッチで、ピーナッツのテーマとなっているハピネスが一番伝わるコーナーだったように思う。
最後に、このスヌーピー展に足を運ばないと楽しめない作品があったので紹介。それはあまりにも小さく、鉛筆で書かれている地味な作品。でも強烈なインパクトを僕に与えてくれた。それは初期のコーナーに展示されている「高校時代に描いた3つ1組のデッサン」。いろいろなものが3つずつ描かれていて箱、帽子、顔、支離滅裂に思うがまま描かれている。その中にヒゲをはやしたかわいらしいキャラクターの顔と添えられたハーケンクロイツがあるのに気付く。
ヒトラーだ。
なのにかわいい。
こんなにかわいいヒトラーはみたことがない。このシュルツという人のデフォルメのセンスが好きだ。入ってすぐのコーナーにもかかわらず、このヒトラーを見つけた時この展示会は自分にとって特別なものになることがわかった。
もしこれから行こうと思ってる人はこのデッサンをチェックしてほしい。
今回の鑑賞はあくまで美術としてのアプローチ。チャーリーブラウンの台詞と谷川俊太郎の絶妙な翻訳を味わうためにもう一回行かなきゃ。
ライナス「What's the cure for disillusionment, Charlie Brown?」悲しみを癒してくれる薬ってどんなものかなぁ
チャーリー・ブラウン「A chocolate-cream and a friendly pat on the back」一粒のチョコレートと、背中を友達がポンと叩いてくれることだよ
じゃあね!