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はてなキーワード: パンタロンとは

2023-12-29

ユニクロでとっくりと襟巻きを買った

大安売りしてたからお得だったよ

他にもチョッキももひきも買った

コール天ズボンも買ったか

でもチャックが開けにくいから返品した

あとは背広と、耳当ても買ったよ

寝巻き用のトレーナーも買った

あとはGパンランニングも購入

パンタロンジーンズのつなぎも買った

吊りバンドも買ったよ

首飾りや耳飾りも売ってたし買った

うそう、ジャンパーも買ったよ

たくさん買ったかナウい人になれるかな

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2022-10-18

Pixelの録音アプリヒトカラ文字起こししてみた・回答編!!!

はてな匿名ダイアリーをご利用の皆さん、お久しぶりです!

anond:20220904042641

↑の元増田です!

皆さんお待ちかね!「Pixelの録音アプリヒトカラ文字起こししてみた」の回答編をお送りしまぁす!

(ワー)

(パチパチパチ)

(マッチャンカッコイー)

ありがとー!みんなありがとー!

えー、記事投稿の直後から今日までですね、霊界・神界・魔界・並行宇宙情報統合思念体などなど、各方面から大変たくさんの反響を頂きましてですね、今回めでたく、回答編をお送りできる運びとなりました!

本当に、本当にありがとー!みんな拍手ー!

(パチパチパチ!!)

(マッチャンダイスキー!!)

俺もみんなのこと大好きーー!!!

(ギャアアアアアア!!!!!)

(ウルセエエエエエエ!!!!!)

まだ問題を読んでない人は、ぜひ読んでみてねー!

じゃあ早速いっちゃうぞー!

心構えはー!?

(アノォーニマァースユゥーーニヴァーーース!!!!)

オッケーいってみよー!!

回答だァ!!!

Q1

Official髭男dism - Pretender

Q2

BUMP OF CHICKEN - 天体観測

Q3

ONE OK ROCK - Wherever you are

Q4

スーパーカー - YUMEGIWA LAST BOY

Q5

Neil Young - After the Gold Rush

Q6

ゆらゆら帝国 - ラメパンタロン

みんな分かったかなー!?

ハローベイビー。

ちなみに、地球の人たちは誰も答えてくれなかったよ。

俺は今を愛してる。

バーイ。

2022-07-04

お前ら・・・パンタロンってのはな・・・

30年前には既に

「白い~パンタロン~今時売ってない~♪」

ネタにされてたもの・・・

現代人が知ってるわけがないだろ・・・

2021-12-29

やっと読み終えた(非)BL

『白昼堂々』(長野まゆみ

 昭和ジャパン耽美系。BLでないのは、BLレーベル作品ではないから。

あらすじ

 原岡凜一(はるおか りんいち)は華道家元の跡取り息子で、中高一貫の名門男子校に通う中学三年生だ。虚弱体質な彼は、よりによって高等部への進級判定がかかる期末考査試験の時期に高熱を出してしまった。

 凜一が寝込んでいる間に、祖母勝手に凜一の従姉 省子に、凜一の替え玉として期末考査の追試を受けるよう命じてしまう。

 回復後、凜一は省子から恩を着せられ、厄介事を押し付けられる。それは省子の服を着て彼女なりすまし美術館監視係を勤める、というもの。だがそれは罠だった。省子のボーイフレンド 氷川美術館まで会いに来たのだ。凜一を省子と勘違いしたまま、待ち合わせをすっぽかしたことを詰る氷川。凜一は人違いだと明かそうとするが、その時、氷川は思いもよらぬ行動に出て……。


増田感想

 ふぅ、そんなに長い小説ではないのだが、読了するのにかなり時間がかかったぁー。というのも、長野まゆみ作品四季折々の花鳥風月描写がただでさえ多いというのに、本作は主人公華道師匠であるために、やたらめったら沢山の花の名前が出てくるからだ。

 そういう物を全く気にせずに生きてきた私には、あれもこれも知らない花。一々調べることもないような……と思いつつも、全部読み飛ばそうとすると却って眠くなってしまうので、特に気になるものだけをググってみた。それでも一頁読む間に数回スマホを手に取る羽目になるくらいの、花の名地獄だったのだ。はぁー。その時は「なるほどこういう花なのね」と思うんだけど、まるで覚えられなかった……。幸か不幸か、長野まゆみ作品では花の名前は多く出ても花言葉には拘りがなさそうなので、花言葉調べ地獄にハマらずには済むのだけど、花言葉と関連づかないだけにむしろ記憶に残りづらいというのはある。

 『左近の桜』シリーズ茶道の話がよく出るけど、この凜一シリーズ華道なわけね……。私にはよく分からない世界だ。分からなさすぎて、どう想像したらいいものやら。

 なお、時代1976年の冬から1977年の夏! 私、生まれてない……! なおさら想像がし難い。時代微妙に近いだけ余計に。私の父がロン毛でパンタロン履いてたような時代だろうか。江戸時代とかよりイメージしづらい気がする。

 想像力の翼を折られそうになりながらも頑張って読んだ。ちょっと甘酸っぱい感じの耽美調のBLだった。なかなか距離感の縮まらない恋……。こういうのもたまにはいいな。

 最初の方は、凜一は病弱で可憐名前通りに凜としていて、他の長野まゆみ作品にはあまりいない感じのタイプ主人公かなと思ったら、ストーリーが進むにつれて、安定の例のメンタルがいやに太くて小賢しい性格だというのがわかった。期待を裏切らない! そしてやはり、そんなちょっとスレ性格の凜一を構う年長者たちは、やはり意地悪キャラばかりなのだった。長野先生定番だなぁ。

 凜一の叔父しかも凜一にとっては初めての男であるらしい千尋の意地悪具合がいい味を出している。『左近の桜』シリーズに登場する柾を幼くしたようなキャラだなあ。昔の恋人面影をいまだ追ってるところといい。

 凜一の想い人の氷川長野まゆみ作品登場人物とは思えないほどの健全スポーツマンタイプなために、すごく爽やかな恋愛模様だった。なんか、凜一シリーズ好きな人が『左近の桜』シリーズを嫌うの、ちょっとわかった。


こんな人におすすめ

2021-04-08

パンツ語源について調べてきたので報告しますね。

パンツ語源パンタロンで、パンタロンてのはもともとイタリア喜劇に出てくるキャラクター名前から来てるそうです。

どう言うキャラかと言うとストッキング靴下)が長くてくるぶしあたりにでろーんと堕ちて蟠ってる?みたいなキャラだったそうです。

2009-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20090123123048

(´・ω・)?

リンク先の記事や各校の事例を読んでもらえばわかりますけど、

全面的なスカート廃止、ズボン採用を前提とした話じゃないだろ?

選択肢としてのズボンの導入の話が出てもいいんじゃないかって話のはず。


って話の例として挙げたんですが、認識が違ってますか?

さっき挙げた例の中だと、新潟の事例に関しては冬季限定でズボン義務づけですけど、

それ以外は基本的に選択性としてのズボンパンタロン採用事例です。

 
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