「能力主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 能力主義とは

2021-04-15

anond:20210415201414

上野千鶴子のアレなんか能力主義批判なんかじゃなく単に下駄履いた男に対する皮肉しかなくて、だからこそお前らあん必死に持ち上げたんだろうっていうね

未だに自分達は能力主義批判してると思っててワロタ

はてサはまだわかってないのか(笑)

自分達は能力主義批判している。自己責任論の能力主義者はネオリベだろ」

とか馬鹿みたいだ。

能力主義批判しているが、実態リベラル無意識能力主義にズブズブ」ってのが最大の問題点だろ。

さらネオリベがーとかいってもアホにしか見えんよ。

anond:20210414171850

ネットトレンドはよく知らんが「学歴差別差別ではない」なんて理論は聞いたことないな。そもそも能力主義批判なんて左右ともにほとんどやってなくて、極レベルの低いものか、極レベルの高いものが散発的に現れてるだけだと思う。

自分の知っているもので言うとイヴァンイリイチの『脱学校社会』が1971年に出てる。「階級社会放擲するために制度としての学校排除せよ」という主張はあまりにラディカルすぎて、この議論はそれほど発展しなかった。もちろんイリイチゴリゴリ左翼

最近でも、中学生YouTuber登校拒否宣言して、批判したのは左右に限らなかったと思うので、状況はそれほど変わっていないんじゃないだろか。どちらかと言うと保守系の方が批判苛烈だった気さえする。

2021-04-14

anond:20210414171850

リベラル能力主義を礼賛なんてしてないでしょ。お前の言う「リベラル勢」はどこにいるんだ。

サンデルアンチリベラルに追いついたわけではないよ

サンデル教授新刊は、能力主義批判

学歴など能力に基づく格差に対して、批判するものだ。

Twitter上では、アンチリベラル勢が、「サンデルが俺らに追いついた」と声を大きくしている。

かに最近アンチリベラル勢は、学歴などの能力主義に基づく格差階層について、リベラル勢が当然視し、懐疑の念すら持たないことを批判してきた。

だが、能力主義批判のものは、教育学障害者についての社会学のなかで、数十年前から行われてきたことだ。

能力主義検索すると、それらの書籍論文がいくつもヒットする。

から能力主義批判は、実はオールドな左翼的言説であるとすら言える。

しかし、ヘイトスピーチに対抗する過程で、リベラル勢が、国籍民族人種についての差別差別だが、学歴は持って生まれものではなく後から変えられるので、学歴差別差別ではない、との理論採用した。

以後、インターネット上で、能力主義批判するのはアンチリベラル勢ばかりになる。

敵味方の敵対関係のみがあるインターネット政治言説が、能力主義批判アンチリベラル勢の手柄に変えてしまったのだ。

2021-04-12

anond:20210412190202

学生が書いたっぽいな。

大学までなら勉強の成績だけでなんとかなるだろう。

だけど、社会に出ると良くて「売上に貢献したか」悪いと本当に何を指標にしたらいいかもわからなくなる。

なおかつ、能力主義トップは今までと同じぐらいで、残りは能力が悪いからとコストを削減する餌として使われることがある。

評価指標がまともに作れないというのはそうなんだが、それにしてはあまりにも「能力が定規で図れる」みたいな幻想に囚われてる感じがするな。

能力主義批判は、機会の不平等が問題なのではない。

能力主義に対する批判について、ネット上では

能力を得る機会が平等ではないか問題(どの家で生まれかによって、受ける教育が変わってくるなど)

能力を正しく公平に測れないか問題仕事の成果を上司評価してくれないなど)

というように、能力による差別肯定した上で、能力を得る機会やその評価が正しくないか問題なのだと読み直す人が多い。

能力主義に対する批判については、障害者に関わる福祉の分野や教育の分野などで昔から言われていることで、

そこでの論点は、

能力が高い者が富を独占してもいいのか?

ということだ。

しか教育の機会均等とか、仕事の成果に対する公正な評価とかは、それ自体としては大切ではあるが、

じゃあ、機会や評価が公正・公平なら、

能力の高い者がより富み、能力の低い者がいっそう貧しくなる社会でいいのか?

という問題がある。

障害者差別とは本質において、能力による差別であり、

障害者に対する偏見が一切なくなった社会においても、存在しうる。

知的障害者は、どれだけ教育の機会が均等になり、障害者への偏見がなくなったとしても、

東京大学合格することはない。

高い教育を受けることはできず、高い技能を得ることも難しい。

よって、低賃金仕事に就くのがせいぜいで、貧しい生活を強いられる。

障害者雇用という制度日本実施されているのも、

公正・公平な採用活動企業がしていたとしても、

障害者絶対に健常者に負けてしまうからだ。

なぜなら、障害者を雇うと、健常者を雇った場合にはかからなかったコストが発生するから

障害者に対する偏見ゼロ企業であっても、わざわざ障害者を雇うメリットがないからだ。

障害者という例を出さなくても、人間能力が高い人から低い人までいろいろあり、

・じゃあ、能力が低い人は貧しい生活でもいいのか?

・いや、良くない、社会から発生した富は、能力の高低によらずに、なるべく平等に分配しましょう。

それが能力主義批判

共産主義社会主義のリアリティがあった世界においては、結果の平等を求めることはそんなに変なことではなかったが、

資本主義オンリー世界においては、機会の平等けが重要であり、結果の平等は悪、低脳が貧しいのは自己責任

そんな考えをナチュラルに持っている人が多い。

から能力主義批判について、そもそも何を言っているか理解できないし、

今度出るサンデルの本についても、

能力を得る過程における機会の不平等

能力の測定に関わる不公正

の2点に矮小化した理解ネット上に広まると予言する。

anond:20210412101552

もし能力のある個人もその補助具を使って能力が向上してしまうなら、企業は変わらず能力のある人を選ぶ

企業には効率的に、より安く製品を作る使命があるのだから能力主義資本主義に組み込まれシステムだと思う

あとは、全人類が「俺、あの時怠けたから成果が落ちたな」という経験をしていると思うから低能力者も含めて能力主義というか努力主義否定しにくいんだと思う

2021-03-17

anond:20210316235147

覚えてないかもだけど、俺パブリックエネミー自己責任論者の人やで。

本当にKKO問題はどうすればいいんだろうな。

KKO絶対的問題じゃなくて相対的ものから根深い。どんな社会デザインをしても資本主義能力主義から抜け出せない限りKKO問題はなくならない。

能力主義優生思想と食い合せが良すぎるからどうにかしようがあるかもしれんが、資本主義に代わる社会システムがどうにも思いつかない。

今のところの俺にはただ一緒にしんどがることしか出来そうにない。すまない。

2021-03-14

anond:20210313131806

真の能力主義社会とはどのような社ッ会か

顔がぐちゃぐちゃな東大医学部卒の人

ルクセンブルクトップモデルで最重度知的障害の人

この二人が応募してきた場合ちゃんと前者を採用する

2021-02-26

弱者男性は可愛くなるべき

可愛さは従順さや支配やすさも意味するけど、無垢で無害であることも意味する

無垢で無害なものはみんな大好きだ

可愛ければ可愛がられる

顔のキモさは関係ない

可愛ければ可愛がられる

どうせ能力主義においても上に立てない存在なら、権力など放棄して可愛くなることに切り替えたほうがいい

可愛くなろう可愛く

2021-02-21

anond:20210220164152

弱いもの虐げられたものが一致団結して、一部の搾取する横暴なものを倒す。人類はそれを大昔からやってきた。

資本主義自由主義が今ほどない時代でも、いつでも自然格差は生まれ搾取が生まれ闘争があった。

その結果、あまりに横暴なものやズルをするものは殺され、公正さや規範意識進化させてきた。人類不公平に対してなによりも敏感になった。

いま、すさまじい格差があるのにそれが機能しないのはなぜだろう?

能力主義個人主義によって、「自分が割りを食っているのは自分のせい」という考えが広まりすぎたのだろうか。

現在ネオリベ的な社会状況は良くない。だけどそれをひっくり返すもっといい仕組みを思いつかない。共産主義は失敗に終わった(かのように見える)。

2021-02-17

老人から若者への搾取はいずれ問題になるよ

だって才能とやる気のあふれる誠実な若者よりも、森元みたいな実績()とコネのある老人が権力を握ってるけどさ。

これから若者はどんどんマイノリティになっていくから搾取は免れられないよ。2人の同じ実力の人間ポストを争えば「あん若造には無理」と若い方が退けられるよ。

例えば朝のニュース。老人コメンテーター意見を若手アナウンサーたちがはいはいとうなづいてるでしょ。若くて爽やかで真面目な人たちが聞き役やらされる。あれは老人の欲望なんだよね。

女が「お淑やかで従順」に押し込められていたみたいに、若者も押し込められるよ。老人の欲望押し付けられるよ。老人のポルノ(若者説教をして威張り散らす)を見せられ、ポルノの真似っこ自慰に使われるよ。

だって高校生なんかは「高校生らしい格好をしろ」とかい意味不明大人欲望押し付けられてるけど、あれは20代30代にまで拡大するよ。爽やかな若手像、従順な若手像、老人を慕う若手像を押し付けられるよ。レジ打ちの若者年金暮らしの老人が罵倒する時代だよ。

年功序列がなくなって、能力主義に移り変わってるから大丈夫、なんてことないよ。むしろ能力主義が進めば進むほど、能力主義のはずなのに年齢によって差別していることが問題になるんだよ。

エイジズム、老人差別けが問題になるけど、実際には若者の方が搾取されてるよ。これからどんどん搾取は酷くなるだろうね。

anond:20210217164611

それはアルフォート精神性に反する。

アルフォートチョコ表面に印刷されている帆船のことは知っているね?

あれは16世紀初頭、大航海時代フランスから出港した「アルフォート号」をモチーフにしている。アルフォート号は当時としてはとても変わった主義を掲げていることで知られていた。「海の上の平等」、つまり船に乗るものは、出自はどうあれ航海に出た後はそれらを忘れ、各自役割のみを全うするとした、早すぎた民主的能力主義的な思想だ。

からアルフォートは食べる人を選ばない。全ての人にその甲板を開くべきであろう。

2021-02-05

ファイト!』、ネオリベソングで嫌だなあ

かつて聴いてそれなりに感動した覚えがあるんだけど、今聴くとけっこうヤな感じがする

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく

光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから

いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね

このくだりとか割と最悪なんだよな

努力をやめて転落するのは"楽"だ」というメッセージ、超ネオリベなんすよね

例えで言うなら、流れに任せて流れ落ちたらふつうにその辺にぶつかりまくって苦しんで死ぬだろというのがまずある

努力、やめても別に苦しいままなんだよな

努力をし続けるのは苦しく、しないとしないで苦しいという構造になってるのが現代社会なので、「努力をやめると楽になるのに頑張ってるやつは偉い(=努力してないやつは楽してるし偉くない)」ってのはカスすぎる

ファイトし続けるやつと流れ落ちるやつの違いが何かって言ったら、まあ脳でしょ

報酬系だかセロトニン受容体だか知らんけど、そういう生まれ持ったものにかなり影響を受けてるのは間違いない 苦境に耐え抜く才能があって偉い・苦痛に耐え抜く才能がないお前はクズで死んだ方がいい、そういう考え方はホント酷いですよ

薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ

出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ

うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこ切符

あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき

東京に出るやつはファイトしていて偉い

田舎者は「敵」として辺縁化されている

こういう考え方がいまの東京一極集中を生んでんだろうな

俺もさすがにこんなひでえことはしないけど、地方を捨てて東京に出ることをただ賛美するのは良くねえよなとは思う

じゃあどうすりゃいいのかはわからないが、この田舎ヘイトを煽るようなやり方が間違っているとは思う

 

なーにが戦わない奴らじゃ、という気持ちはかなりあります

ファイト報酬系に恵まれた君の歌を

報酬系に恵まれなかったクズが笑うだろう」

そういうことなんですよね

努力ができるか否かって完全に才能だから

能力主義クズ死ねソングなんだよなこれ

嫌すぎる

2021-01-31

anond:20210130145642

ところで、なぜサルのメスは「猿山ボス猿争い」に加わらないんでしょうか。

トップ層にならないと生殖できない寄生生物であるオスと違って、生産手段を所有しているから、無駄サバイバル競争から自由からじゃないんでしょうか。

現代経済社会自由競争能力主義持たざる者である寄生生物生殖競争本能をハックして出来上がってる。

一部の男女平等論はそんなもの過大評価しすぎ、寄生生物価値観内面化して拘り過ぎじゃないですかね。

2020-12-07

anond:20201206124449

私は能力主義ネオリベの傾向があるから、この恋愛格差は受け入れるべきだと思うが、いつも自助って言葉に突っかかってるはてさがこれに罵詈雑言なのが面白い🤣

自己矛盾に気づかないのかな

2020-12-06

無能

anond:20201204182616

最初に、この文章を書けている時点で、今のところまだ先にいってないと思う。死というのはいざ向き合うとあまりに恐ろしくて通常の精神では選択したりできない。

自死した者たちはショックや高揚感で頭が一杯になるからそれを克服できてる。愚痴を装って助けを求めたりは一切しない。

準備している間も感情が薄れるからもたもたしていると直前に怖くなってしまう。ここらへんは安楽死複数回出てきてるからもうわかってるかもしれないが。

そして私もこれとよく似た状況にある。無能であることが、他人に憐れまれることが、有能でないとそこ(社会職場)にいてはいけないという思いを強くさせる。

この感情の正体は不安であり、無能が原因で集団からリジェクトされるのではないかという恐怖心でもある。こう考えるに至った経緯は幼少期の体験かもしれないし、親の態度かもしれないし、読んだ物語友達の態度かもしれない。

私については何となくこれだと言えるのは小学校の頃いじめられていたときに、マンガの貸し借りというギブアンドテイクのような形で少数の仲間を無理に獲得したことだ。こちから差し出すものがなければ、集団はいられないという刷り込みが発生したのかもしれない。また中学時代父親能力主義的なところがあり、自分が指示したこと能力を発揮できなければそもそも相手をしないような人であった。単に不器用な人だったのかもしれないが、無視されるのが成人まで長く続いた。これもおそらく原因の一つなんだろうなと思う。

そして今30代、もう上記性格を治すことは不可能だと気づきつつある。もしこの性格でも有能であればなにも問題はなかったと思う。単に傲慢くそやろうとして生きていたと思う。

しかし私は無能だった。有能を望む無能がどうなるかというのは増田にあるとおりだ。自分の心の中でギャップが発生して多分に死にたくなる。これが反対であればよかった。無能を望む有能であれば朴訥とした気持ちの良い人間になれたかもしれない。

本当は天秤の、そこに居ていい権利の片側に乗せるべき、能力といったおもりなど必要ないのは心の奥底ではわかっている。無能ならば開き直り誰かをヨイショしたり踏石になったりゴマをすって生きればいいのだ。

でもそれができない。私の心の中の屈辱心がそれを許さない。前述のいじめの話には続きがあり、一度だけそのいじめ集団が私に仲直りをしてくるような素振りを見せた。しかしそれは非常に屈辱的な行為とともに行われ、私はそれに対して何の疑問持たず受け入れた。その後それが教師によってなされた一時的なたわむれだったことが判明し、私はまた集団から省かれるようになった。その時初めて自分が惨めだったことを理解した。一度屈服するといかにしてもそこを抜け出せないというのが私の頭の中から取れない。

ぐちゃぐちゃ書いたがねじ曲がった人生はその後もねじ曲がった人生しか歩めない。元増田も「生きてて辛いことばっかだったな」とあるからそうなるまでになにかあったのかもしれない。

死が救いに慣れば幸いであ

2020-12-05

anond:20201205200923

どちらかというと、そういう方に近いかなとは思います

非正規雇用障害者外国人などが結婚という市場から社会的排除され社会的孤立やす問題伝統的な問題だとは思います

そこを中年男性というマジョリティ属性に対するかつてのはてな村でいうネットみのもんたネット細木数子的な説教をもてはやすように反応する姿勢はまさに、能力主義自己責任論に還元する話だと思います。その結果、菅政権のようなものを日頃批判非難しているような人達説得力を失わせる言動ではないかと私は思います

とはいえ中年女性が似たような高望みを話したらやはりバカにする人は出てくるので、それもまた当然に問題だと思います

2020-11-29

ピーターの法則ダニング・クルーガー効果=どんな有能な新卒無能上司になり他者能力を正しく推定できないオッサンになる

ピーターの法則

能力主義階層社会では、人間能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能中間管理職になる」

ダニング=クルーガー効果の特徴の1つ

他者能力を正確に推定できない」

2020-11-09

anond:20201109212314

能力主義競争社会だけでなく国際化も格差が広がる原因になってるとは思うよ。

というか国際化で確実に戦争の数と規模が減ったか資産戦火収奪されたり破壊されることなく蓄積され続けるようになったやろ。

r>gみたいなのが機能している限りこういう時代は元々資産持ってる奴がずっと強いし、より強くなり続ける状況が続く。

一代で富を築くような起業家もいるけどそういうのは金融資本主義をフルに活用して他人資本を集めて使えるからであって、元々社会に存在する資産さらに増やすことで利益を得ているのは変わらない。

anond:20201109190124

グローバリズム勝ち組負け組格差が広がってるのが、ことの本質ってことかな?

グローバリズム=「国際化」+「競争社会能力主義)」のミックスだと思うけど、格差の原因の根っこは「国際化」じゃなくて「能力主義」の方が問題なんじゃないかと思ってる。

けど、能力主義って簡単にやめられるものなんかな。「能力によらず公平」って。

そもそも動物本能的にも、能力主義の方が本質に近いのかもしれんし。

障害者支援で例えれば、本能とは別の”理性”で配慮してやっと公平にできるもので、自然にしてたら能力主義なっちまうよね。

じゃあどうすりゃいい?

地方には「地方交付税」、個人には「ベーシックインカム」をバリバリに効かせて、再配分すればいい?それこそバイデンよりサンダースに近い話だけど。

けどそれって、エリートも納得しないだろうけど、元増田も納得するんかな。cf. 内閣府 https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je07/07b03040.html

あと、国の単位で再配分しすぎたら、国際競争には勝てない方向に働くよね。それやったのが旧共産圏なわけで。

結局、再配分で是正しつつ、「動物として能力主義の悲哀と同居して生きくしかない」というのが俺の現時点の結論かな。悲しいけど。

ちなみに、トランプのやってたリアリティショーは思い切り能力主義だよね。https://www.wowow.co.jp/extra/apprentice2/intro/

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん