はてなキーワード: 甲斐とは
信濃の戦国大名・村上義清の家臣である楽巌寺右馬助には更科姫という娘がいた。
彼女は絶世の美女でありながら武勇の誉れ高く、また年頃の十七歳となれば縁談が絶えないが、
「私の夫となるからには剛勇の士でなければ」と全て断っていた。
当年二十一歳、家中随一の美男であり争いを好まず、といって惰弱というわけでもない。
武芸指南役の井上九郎が「彼こそ信州第一の豪傑」と褒め称えるのを聞いた更科姫は、
彼の姿を見るやたちまち惚れ込んで、すぐさま九郎に取り持ちを頼み、めでたく二人は夫婦と相成った。
彼は常から更科姫に懸想しており、彼女の夫となった森之助に恨みを募らせながら、しつこく更科姫を付け狙っていた。
ある日、更科姫の外出を狙って大九郎は二十人ばかりで彼女を襲ったが、更科姫はそれらをことごとく打ち伏せてしまった。
恨み骨髄に徹した大九郎は、かねてより内通していた武田家の長坂長閑・跡部大炊から百名ほどを借りて、
巧みに誘い出した更科姫を取り囲んだが、それでも彼女を取り押さえられない。
それどころか計略を察した森之助まで駆けつけて、武田家の百名は残らず斬り伏せられ、大九郎も討ち取られてしまった。
しかし事情はどうあれ武田家の家臣を斬ってしまったということで、森之助の身柄は武田に送られた。
武田信玄はその武勇豪胆を惜しんだものの、長坂・跡部の讒言もあり、森之助は馬場美濃守の預かりで切腹となった。
詳しくは割愛するが、日々の努力の甲斐あってこの1年でCカップ→Fカップまでサイズアップした。
いやいやいや!誰より自分のおっぱいのサイズを知ってるのは、わたしだし!?!
ドセクハラを愛想笑いで流しながら、心の中で何度そう叫んだことか。
そんなモヤモヤも忘れかけていた今日、ダラダラと仕事を続けた徹夜明けの朝、
―そうか、男どもは本当のCカップを知らないのだ―と。
繰り返すがこの1年間、バストアップのことばかり考えていたわたしは、
日々、グラビアアイドルの美しい乳を眺めてモチベーションにしたり、
おっぱいに関するネット記事や掲示板を読み漁ることを日常的にしてきた。
グラドルの乳は、当然ながらため息が出るほど美しい。
ようやく大きくなってきたのに、どうしてー!?(泣)
「乳盛り職人」と呼ばれる方々の見えない努力があることを知った。
ヌーブラやガムテープ、パッドなどを駆使し、美しく撮影できるように、
とにかくグラドルの乳を盛って盛って盛りまくる。
だから、グラビアで見ている乳は、実際のサイズとは到底異なるそうだ。
さて、活躍中の多くのグラビアアイドルは、大体がEカップ以上。
中途半端なCカップのグラドルというと、ほぼ存在しないに等しい。
グラビアでつくられた幻想のEカップを、本物のEカップと思い込む。
「彼女にするなら、こんなEカップが良いなんて贅沢は言わない。
実際のCカップを見たことがない癖に、頭の中で勝手にCカップをイメージし、
なんとも捻くれた事実。
これが、バストサイズに関する男女間の価値観相違のねじれの正体だ。
「実は日本人の平均サイズであるCカップが、最も理想とされているんです!」
わたしは改めて聞きたい。
何故だか、最近ものすごく暇だ。19時前後が。でも21時くらいになると普通の混み具合になる。通勤途中に寄る人が減っているのかもしれない。常連客は一人除いて普通に来る。
「お願いします!」の一言で私に全部の注文を出させることに執着していた常連の人はパッタリと来なくなった。まあ、この人、コンビニに従業員かまいに来てるみたいなところがあったので、たぶん他の店にもっとかまい甲斐のある店員を見つけたのだろう。私、何度「お願いします」言われても、一言も喋んないし。
タバコの取り扱い銘柄が増えすぎて(プルームテックが……)陳列する場所がなくなり、レンジの上にまで陳列する有様。しかも何でかそこそこ売れるやつがレンジの上にはみ出ている。
週に一度くらい来る若いお客様がいる。その人が、ある日例の「お願いします!」なお客様のあとに並んでいたことがあって、目の前でお願いします!で私がホイホイと注文を全部揃えることができるというのを学習したのか、
「あの、レンジの上の左から二番目くらいにある灰色のあれ、お願いします……。番号ないので、覚えてくれると、ありがたいです……」
と言ってきた。なので覚えた。ただし、その人は買い物に来るとき必ずタバコを買うというのでもないらしく、
という手間がかかるのであった。
ところが、お客様!喜んで!!レジ上のタバコにも!!!番号つきましたよ!!!!!
そんな日に限って、お客様は来ない。
エロ本が合った頃は、エロ本を立ち読みしてその場で股間をスリスリする人、トイレにエロ本大量に持ち込んで長時間居座る人(しかも会計前に)、というのがいた。今はそんな人はいないはずだ。
はずなんだけど、昨日はなんか、一体どうしたんだっていうくらいに、おズボンの前がシティーハンターしたまま店内をひたすら歩き回っている、謎なお客様がいらしたけど、何も買わずに帰って行かれた。
エロ本で思い出したけど、前勤めていたお店に、熟女もののエロ本買うとき必ず私のレジの方に来て会計してくお客様いたけど、元気かな。
「旅の恥はかき捨て」とは言うが、出張先でデリヘルを呼ぶときは、解放感と寂しさが同居する言うなれば旅情ともいうべき感情を覚えることがある。
その当時、私は首都圏の零細編プロに勤めるしがないライターだった。出張先が能登半島と決まった時には、久しぶりの遠征に心躍る反面、アクセスの悪さにやや辟易したことを覚えている。何を隠そう、その当時、私は素人童貞であった。肩書きの解説は他の文献に譲るとして、端的に言えば、ごくありふれた、さえない彼女なしの三十路前の男であった。
無事現地でクライアントと合流後、取材自体は滞りなく進んだ。関係者と軽い打ち上げをした後、事前に予約してもらっていた七尾市のホテルに泊まることとになった。七尾市は和倉温泉という高級温泉街を有し、バブル経済華やかなりし頃は北陸有数の歓楽地であったそうだが、少なくとも駅前の景色からはその面影は全く感じられなかった。
ホテル備えつけの温泉に浸かった後、外気にあたりたくなり外へ出る。能登の地酒と熱い湯にあてられ、火照った身体に冬の外気が心地よい。時間はちょうど0時を回ったところ。ポケットの煙草を取り出そうとしたところで、ふと、デリヘルを呼んでみようかと思い立った。
旅先の開放感と、久々の出張先で仕事を全うしたことへの安堵感がそうさせたのか。気づけば私はgoogleではじめにヒットしたお店に電話をかけていた。
すぐにボーイと思しき男性が電話口に出た。七尾市のホテルにいることを伝えると、10分ほどでやってくるという。慌てて財布を取り出すと、諭吉がたったの一枚寂しそうにこちらを見ている。速やかに嬢の派遣を依頼すると同時に、最寄りのコンビニまで走る。現金を調達して帰ってくると、ホテルの前には既に一台の黒いセダンが停まっていた。
近づいていくと、「〇〇さんですか?」と声をかけられ、車の中から二十代と思しき可愛らしい女性が現れた。彼女は、自分のことを『春華』と名乗った。連れ立って足早にホテルに入る。クライアントに鉢合わせしたら最悪首が飛ぶなーと考えつつ、フロント男の若干の視線を感じながらそそくさとエレベーターに乗りこんだ。
無事に何事もなく部屋へ入って安堵する。春華が時間を確認しタイマーをセットする。素人童貞とは言え、私はどんな時にも紳士さを忘れない男だ。ホテルの一室で、互いに知らない者同士が邂逅するとき特有の気まずさのなか、精一杯何かしてあげようと彼女のコートをかけようとしたが無難に断られる。間を持て余した私は、無意味に自分の荷物を移動したりバッグの中身を整頓したりした。そんなことをしている間に春華は速やかに全裸になりユニットバスへと消えていった。
程なくして「どうぞ~」という声が聞こえ、そこではじめて、私は思い出したように全裸になり、ユニットバスの扉を開けると、そこには全裸の春華がいた。
バスの中で体を洗ってもらう。特に、愚息の洗い方は丁寧だった。年齢を聞くと「二十歳です。」短く答える。実際には22,3だろうと思ったが、それ以上の詮索をしないのが紳士たるもの。
さて、ベッドに身体を仰向けによこたえ、非常にスムースな流れで、春華は私の愚息を口に含んだ。極めてスタンダードなフェラチオである。愚息がぬらぬらとしたあたたかいものに包まれ、大変に心地が良い。ただ、少々打ち上げで飲みすぎてしまったようだ。それなりの硬度には至るものの、一向に射精する前兆・気配がない。春華も焦りを感じはじめたのか、次第にストロークが大きくなり、それに伴い彼女の歯が軽く当たるようになったことで、愚息はいっそう前立腺の門番を奥へと押しやってしまうのであった。
体勢に限界を感じた私は、体を横に倒し、極めて紳士的な態度で自分の手のひらに春華の頭をのせてやった。そうすることで、彼女がよりリラックスした体勢で愛撫に集中することができ、私も腰を動かすことで刺激をコントロールできる、一石二鳥の策略である。これで多少はマシになったものの、射精の神様はまだ一向に降りてくる気配がない。
すでに彼女が口淫をはじめてから体感でおおよそ15分が経とうとしていた。それが意味することをデリヘル未経験の諸兄姉にもわかりやすく説明するのも紳士たる者の務めである。今回のプレイ時間は契約上60分間の予定だが、実際のプレイ時間はその半分がせいぜいといったところ。タイマーは部屋に入った瞬間からスタートし、そこから互いの身を清め、ベッドインするのにおよそ15分、終了15分前にはタイマーが鳴り延長の是非を判断するので、実際のプレイ時間は30分にも満たないことも多い。したがって、その時点ですでにプレイ時間の半分が経過しようとしてた。
このまま続けてもらって射精できる可能性は低い。おそらくはやってできないことはないのだが、万が一逝けなかったときに、嬢の自尊心を著しく棄損してしまったり、自分の心に黒部の峡谷ばりに深いわだかまりを残すことになる。そんな未来は絶対に避けたかった。
果たして私はそれを打破するイデアを持っていた。そして恥甲斐もなく、それを言葉にする軽薄さをも持ち合わせていたのだった。
「あの、、ちなみに、お金積んだら挿れさせてくれるとかってあります?」
彼女は即答した。
「ゴムありなら一万でいいですよー」
「あ、それじゃ、お願いしまーす」
かくして私は令和はじめのセックスを七尾のデリヘル嬢と修めることとなったのである。なぜ私がコンドームを持参していたのかという点についてここでは触れないが、プレイの内容自体は、とりたてて特筆すべきことはなかったということを書き添えておく。
正常位で射精にいたり、そのままゆっくりと倒れ込む。いくばくかの満足感と虚脱感に身を委ねたのも束の間、終了のアラームが鋭く鳴り響いた。
「すごいタイミングですね。」と笑いながらユニットバスへ導かれ、再び火照った身体と愚息を丹念に洗ってもらう。ふと、春華の首元に光るネックレスが目に入った。無事に時間内に射精に至った達成感と、形だけとはいえ、挿入事後の妙な連帯感も手伝い、バスの中で少し雑談をした。以前は新宿のソープランドで働いていたこと。昨日に初めて七尾で出勤したが指名が一件も入らず店のボーイにめっちゃ謝られたこと。
そこで私には不覚にも、邪な思いが芽生えたのだった。それはすなわち、春華が七尾にきて初めてセックスした相手が私だったのはないかと。
恥を忍んで聞いてみた。
「もしかして、七尾にきてから初めてのセックスだったりします?」
「いや、はじめてではないですね。」
と言った。
なんと。ということは本日すでに同様のケースが少なくとも1回はあったということか。内心動揺を隠せず、「そっか~。そうだよね〜」といった感じのとりあえずのリアクションを返しながら、どう繕ったものかと必死に思案していたところ、彼女は少しの沈黙の後、くしゃっと表情を崩して、こう言った。
「私、素直だから言っちゃうんですよねー。お店の人には、必ずそういう時は”はじめて”って答えた方がお客様は喜ぶからって言われてるのに。風俗嬢向いてないんだわー」
そのあけすけな笑顔に一瞬で引き込まれ、あまりの可笑しさに思わず、私はユニットバスはおろか部屋の外まで響き渡ろうかという声で大笑いしてしまった。彼女も「そんなに笑うことありますかー!?」と気恥ずかしそうに笑ってくれた。その時たしかに、彼女はどこにでもいる二十歳前後の女の子の顔に戻っていた。
それからいろんな話をした。家族のこと、5人兄弟の長女であること。首のネックレスは二十歳の誕生日に弟からプレゼントされたものであること。以前は飲食店で働いていたこと。好きな音楽のこと。
彼女がback numberが好きと言ったので、Spotifyで人気順に再生した。まったく聞かない流行りの曲も、嘘をついて一緒に聞いて、いいねと言って笑った。
2回目の終了アラームが鳴り、春華を外まで送る。送迎の車がきていることを確認し、手を振った。
30になった今も素人童貞の肩書きは消えないが、確かにあの瞬間彼女はどこにでもいる二十歳の女の子だったし、いち素人女性と一緒に体を洗い、身体を拭き合い、家族の話や好きな音楽の話をして一緒に笑った経験は、確かな現実のものとして記憶に刻まれている。
俺は幼い頃から自己主張が下手くそで、他人に歯向かうことができない内向的な性格だった。
まあ、そういう性格だったからか、案の定イジメの標的にされて、同級生からよく馬鹿にされていた。
俺が何も言い返さんから、コイツにだったら何を言っても大丈夫と思われていたんだろうな。
小学生の高学年の頃だったか、なぜか知らんけど、同級生からイタズラをされた拍子に面白いリアクションを取ってみようと思い立った。
どうしてだろうなー。イジメの標的にされているという構図を変えたかったのかもしれない。
その間に消しカス(というかほとんど消しゴムだなw)を鼻にいっぱい詰め込んで後ろを振り返ってみたら、まーそれが大層ウケた。
それから「面白い奴」と認識されるようになって、クラスの人気者グループの輪の中にも入れてもらえるようになった。
そのときの俺は、面白いことをやると、クラスのDQNたちが腹を抱えて笑ってくれたり、時には俺の言うことにも素直に従ってくれるようになったのが嬉しくてたまらなかった。
関西地方だったから、「面白い奴が偉い」という風潮もどこかにあって、俺は「面白い奴」をどんどん演じるようになっていった。
俺は私立の中高一貫の学校に進学したんだけど、そこでも面白い奴を演じていると「調子に乗ってる奴」「変な奴」と認識されるようになって、ここでもイジメられるようになった。
別に面白い奴でも何でもなくて、中身はただの陰キャだからね。そういうところも透けて見えたんだろうな。
「リアクションが面白いからちょっと弄ってやろう」とかじゃない。「こいつムカつくからイジメてやろう」だった。
年頃の中坊がやることだからイジメも結構激しくて、あいつら、通学カバンや制服をビリビリに破いたり、首を思い切り締めて落としてきたりしやがる。
財布から金を抜き取られることなんて日常茶飯事だったし、心臓を抉るような暴言や罵倒なんて毎日のように浴びた。
それでも、何か面白いリアクションを取らなきゃと思っていたんだからもう病気だよね。演技性パーソナリティ障害とかいうやつかな。
この頃、唯一仲良くしていた友人も決して対等関係なんかじゃなくて、俺がピエロを演じていたからこそ維持できていたような関係性の奴だった。
そんなことをずーっと続けているうちに、俺の精神状態はズタボロになっていたらしく、大学1回生の頃にうつ病と診断された。
そのとき、俺を担当してくださっていたお医者さんがかなり勘の鋭い人で、「ピエロを演じるのはやめなさい」と初めて言ってくれた。
情けない話だけど、そのときやっと俺は自分が無理をしていたということに気が付くことができた。
それから約10年間、俺はうつ病の治療をしながら、ありのままの自分を認めようと努力を続けた。
ピエロを演じなくても済むように。自分に嘘をつかなくても済むように。自分を傷つけなくても済むように。
その甲斐もあってか、今となってはピエロを演じることはなくなったし、うつ病もほぼ克服した。
今から振り返ると、他人のご機嫌を取るために自分を犠牲にするなんて、本当に馬鹿なことをやっていたなと思う。
やっと人間らしさを取り戻すことができたというべきか。
ただ、その一方で、人間関係に途方もない虚しさを感じるようになった。
あの頃の友人の中には、30を過ぎても未だに子どものような精神年齢の奴もいて、
久しぶりに会ったときに、そいつから度を超えた悪ふざけをされたので、
自分でも驚くほど感情的な態度で対応したことが、ここ最近2回ほどあった。
友人間でも最低限の礼儀は必要だという当たり前のことを態度で示しただけだ。
だけど、そいつから突き付けられた答えは「友人関係を切る」だった。
そいつからしたら、俺が反抗的な態度をとったことが心底気に入らなかったんだろう。
そんなこと知ったこっちゃないし、それで友人関係が終わるんだったら仕方ない。
俺もそいつとの関係性を修復したいとも思わんし、何の後腐れもない。
ただ、その一方で、「人間なんて、多かれ少なかれ、こいつとそれほど大差ない」という虚しさを覚えるようになった。
思えば、俺に近づいてきた奴は、「こいつだったらイジメられる」と思ってたような奴ばっかりで、
俺がピエロを演じていたから付き合っていただけで、素の自分を出した途端に離れていくようなクソ野郎だろ?という目でしか見れない。