はてなキーワード: 本質とは
神話の時代、静かなブルーピークの地には、SCMという神秘的な力がひっそりと眠っていた。この奥深い力は、風のように潜んでいる物流の神、ロジスティクスによって代々管理され、彼の気紛れによってその存在が霞んでいた。人々は、物流という名前の下でSCMの真実をぼやけさせてしまい、その本質を忘れていた。
ある冷たい朝、賢明で尊敬されている古代の賢者、ASCMが町に現れた。彼の目は知識に満ち、その姿には千の物語が隠されていた。彼は町の中心に立ち、「真のSCMとは何か」という問いを人々に投げかけた。
「真のSCMは、空から深い地下、原材料の供給者の手から最終需要者の家まで、すべての生き物や物を繋ぐ究極の力であり、それを使うことで全体のバランスと調和を最適化することができる」と彼は力強く宣言した。
しかし、彼の声は多くの人々に届かなかった。彼らの心はユニクロ物流の神話に捉われ、SCMを単なる物流の道具としてしか見ることができなかった。
賢者ASCMは深くため息をつきながら、町の喧騒の中で解決策を考えた。彼は「SCMの真の力を明らかにし、それを利用して人々の生活を豊かにする方法はないか」と考えた。そして、彼は答えを見つけた。
彼が提案したのは、SCMの真の力を探るためのツールの導入と、その後に戦略的な要素を明確にすること、さらにS&OPの業務プロセスを深く理解することだった。
しかし、その翌日、町の役員たちが集まり、予想外の新しい戦略を提示した。それは、現状維持の考えを肯定するもので、賢者の提案とは異なる方向性を持っていた。
賢者は失望し、深く心を痛めた。彼の目からは悲しみの涙が滴り落ち、ブルーピークの未来が暗く感じられた。しかし、その中で彼は新しい気づきを得た。それは、真のSCMの力を理解する鍵が、これまでの混乱に隠れていたことだった。
彼は大きな声で町の人々に告げた。「私たちがこれまで見逃してきた真の力、それが我々の最大の強みであり、あるいは弱みになるかもしれません。しかし、今後は真のSCMの力を完全に理解し、それを最大限に活用するための道を見つけ出し、追求し続ける義務があります。」
そして、ブルーピークの人々は、真のSCMの力を探るための新しい冒険を始めた。彼らの心には希望の光が灯り、新しい明日に向けての旅が始まったのだった。
【追記】
別にそのBさんが俺の思ってるのと同じとは限らないけど、こういう責任転嫁する発達障害的な人はある程度共感できる部分がある
例えばこんな例もあるだろう
みんなは「なんでやばい案件をここまで放置したの」「なんで肝心なことを聞かないのか」と思ったことはないだろうか?
実際、本人が忘れていたり理解していないことが殆どなんだが、その処世術として発達障碍者は「他人にミスを発覚させる」という姑息な手を使いたがる
自分にとって難しかったり理解できなかったり、面倒くさいものは後回しにしたりテキトーに放置するか、勝手に進めてしまう
そうすると誰かがそのミスに気付く
で、ここで本人はまた時間稼ぎをするか「ごめん、できてなかったね。てへぺろ」でごまかしたり他人のせいにする
そうこうしていると責任感ある人は見つけてしまったがためにミスをカバーせざるを得ない
結果、本人は相対的に労せず相談せず何もせず仕事を一つやり終える
Bさんはしょっちゅう嘘をつくらしいが、この傾向あるかもしれないね
もしBさんをどなっても、今はパワハラが抑制される時代だからBさんにとっては相手が悪いことの補完になりやすく、逆効果
いやいやそんな子供じみたことをなんでするんだ、うまくいくわけないだろって思うでしょ?
当然全くと言っていいほど通用しないんだが、たまーにそれでなんとなかるんだよね
なんでって、他人からアドバイスされたことではなく「自分が考えたちょっと頭いい方法」に思えてしまうからだよ
普通の人は「報告相談連絡」をして問題解決を図るが、発達はそもそもそれができない
ならできないことを利用してミスを誰かに押し付けることを覚える
自分がやらなくてもできる人がやってくれるし、何かあったら誰かがフォローや指摘をしてくれるから自分から何かする必要もない
というのが発達が陥りやすい状況だと思うよ
そしてこういうのが一番厄介なのは、本文でも言ったけど身近に接していないと本当に気づきにくいことなんだよ
管理職みたいな少し俯瞰してみるだけだと結構判断が鈍るんじゃないかな?
Bさんに対して未だに回答がでていないのがその答えだと思うよ
もちろん管理職だってそれなりの教育は受けているだろうが、こんな風に部下を疑うということをしたがる人ってどれだけいるんだろうか
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読んでいて自分のことを言われている気がしてきた
Bさんはなぜか緊急性もなく初歩的かつ低レベルなことを質問するけど、重要案件は先延ばしにするよね?
これってBさん自身もわかっているんだろうけど、質問したら自分の責任になることを回避したがってるだけなんだよ
その代わり「こんなに質問している自分はえらいでしょ」「いっぱいした質問の後で重要なものも伝える気でした」みたいなアリバイ工作を自分の中でしているんだよ
何も質問しない無能もいるだろうが、そういう無駄話をすることが仕事していると思い込んでいるってのがBさんの特徴なんだよな(※A→Bに直しました)
質問している最中はほかのことを考えなくてもいいし、答えてくれることを自分への好意として受け取っているのかもね
というか下手したら相手に自分の時間を取らせることが当然という考えがあるのかもしれない
Bさんからしたら「こっちが頑張って質問しているのに、あなたは何も答えないのですか?それって仕事を放棄していませんか」という理屈だろう
俺が思うBさんの印象は
こんなところだろうか
責任転嫁の一形態だけど、これは管理職の立場からでは理解ができないかもしれないね
が、さすがにBさんの態度はやばすぎだろうね
どうも増田です。
以前鬱状態で死をも考えた中、独り言が言いたくて【スタートアップという蟻地獄で死にゆくザマ】を書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20230515224250
その後、生きてんのかどうなったのかわからんままだとちょっと後味悪いなと思って続報を書きます。
会社は亡くなりました。俺の財産は全く無かったのですが自己破産になりました。
重度の鬱と自律神経失調になったんですが生きました。
なんか最後の方はVC担当の論点のすり替えと業界構造の話してんのに人間性云々になってたのでイラッとして「あの、それって論点ズレていませんか。まずこの件に関しては」と虚無で反論した結果ブチ切れられたけど淡々と「落ち着いて下さい、まずここの論点をクリアにしてそこからです。俺の人間性はまず置いて、物事についてを語らないとどうしようもないでしょう」と伝えたらブチ切れられちった⭐︎
そういえば他の会社が例のVCと揉めて色々あったらしいのですが内部で揉み消そうとしてたので証拠も丁寧に集めて親切心でLP殿達にこっそり遠回しに教えてあげました。
何故か俺は事業会社の方々とは仲良くしてもらう事が多かったんで、GP(つまりVCにお金出す会社)とは繋がりがあったんですよね。
もうお分かりでしょうが、少しでも煙が立つ所にはお金出したくないんですよね。特に偉い人はね。
胡座をかきすぎると何が起こるか、モラハラパワハラしすぎると巡り巡って自分の首を絞めるんだなと思って俺は頑張って生きることにしました。
俺自体の責任もあったけど、VCとかスタートアップとかいう奴らの「お前…それはだめなやつだ…」という事を見てきてしまった事もあり離れました。
ストックオプション()とか IPOガー()とか頭の中ディズニーランドかよと最近では思ってます。
キッシーはスタンスとしてスタートアップ()とか言ってますが日本の市場なんぞ知れてて、しかもこのグロース市場とかの市況で IPOとかどう考えても…
役員報酬10万で24時間労働でIPO IPO!!!みたいなトチ狂った世界よりも遥かに中小企業や大企業の中を少しでもどうにかした方がまだ日本の為になると思ったので違う場所にいます。
やっぱり零細ビジネスをマーケ回しながら計算してやってくのは楽しいぜ!会社勤めしながら、そこでは今までの経験を活かせる仕事に就いてるよ。
雇われたくないから起業したとか言う人じゃないのと、昔から株主がほぼ上司かよって感じだから違和感ない。
あと、はっきり言って経営者はサイコパスとかだからお前は社長に向いてないみたいなこと言う人も沢山居たけど、親兄弟親類が中小零細経営者なんだが別にサイコパスだから成功したわけではないと思うぞ。
みんな愚直で真面目で本質を捉えて実直かつ戦略的だったから成功してるよ。スタートアップは知らないけど。だったら俺はスタートアップよりは中小企業になりたいよ。
何が言いたいかっていうと、VCから投資受けて諸々あって失敗したやつの顛末は寧ろ明るい未来でした。破産したけど⭐︎って言う話。
色々と相談に乗られる事はまだ多いんだが、ありのままのことを伝えてるよ。
起業したい、お金が必要、VCが出資する事が必要、VCに入りたい…諸々相談に乗るのだが、「本当にVCからの出資が必要か?VCから出資を受けずにやれる方法を考えてみないか?」と結構ちゃんと親身にやってると思う。
ちなみにヤミ金で資金作ってくるのを提案したVCさんよ、お前はなんだよ…牛島くんかよ…
最後に、みんなコメントしてくれて生きていていいって言ってくれてありがとうな。
無価値で、ショボくて、最悪で、終わってからも地獄だと思ってたけどんなこた無かったような気もする。本当にありがとう。では。
これはもう間違いないことなんだよ。
たとえば俺が「俺は生後1日なんです!」と言って、それを「生後1日でタイピングが出来るなんて凄い!」と評価されたとしよう。
でもそれは偽りの評価だと思うんだよな。
大事なのは出力されたもののクオリティであって、誰が出力したのかは重要じゃないわけだよ。
本質は「穢れ」であって科学的に安全かどうかは関係ないってのはそりゃそうなんだけど、「穢れ」を取り除く方法なんていくらでもあるのでそっちを考えていくべきだろうね。
東京人の定義が金満家的に秀でた資本力だとすれば、「東京人な買い方」とはどういうものなのでしょうか?
また、東京人が必ずしも金満家であるとは限らないが、東京人はほぼ東京でしか買わないという意味で金満家と言えるというようなことを閃いたのですが、その場合金満家でない東京人は金満家に比べて商品やその内容、あるいは理解できる買い手が高級、金満家の方はカネにあかせて買い占める下衆というということになってしまうのでしょうか?
このようなことを言っている人がいました。
「「東京人」「けったくそわるい地方差別者」は似ていますが、「東京人」であってもとくに差別的にコメントしていなければ、「けったくそわるい地方差別者」とは言いません。
たとえばフランス料理とかイングリッシュ・ガーデンについて、ものすごく詳しく書かれてはいるけれど、著者が学者ではなく書き方も学術的でないような場合です。」ヨクワカンネーナー
この文章にならっていうなら、たとえば(フランス)料理のレシピ・製法についてけったくそわるい地方差別者の体裁で書くことは可能なのかということです。
もちろん元増田のエントリへの反応など差別臭を正義感的な立場で捉えることはできるでしょう。
でも一流のレスバトル人同士で情報を共有する方法として「差別的に書かれる」というのは共有することができるのかが疑問です。
そこにはきっと東京人だからこそ納得できる経験的な記述や精神論的なけったくそわるい気構えも書かれていると思うのですが、少なくともこれらはどうやっても東京人以外には書きようがないものな気がするのです。また全体として紳士的に書いても、私のイメージとしてはいたずらに小難しくさせるだけであって、かえって地方在住者にとってのけったくそわるい東京人の本質を伝えることの妨げににしかならないように思えるのです。
改めて質問ですが、「東京人でありながら紳士的に書く」とは具体的にどのような書き方なのでしょうか?一流の料理のレシピ製法などといった類の題材にも馴染みうるフォーマットなのでしょうか?またありとあらゆる分野において、金満家ではないが詳しく書かれたものより、学術的に詳しく書かれたものの方が高度な内容ということになるのでしょうか?
料理人もそうですが職人の世界において、いかに真髄に近いものが書かれているかということに高度かどうかの基準を置くなら、必ずしも学術的な書き方のほうがそうでない書き方よりも真髄に近いものを伝えられるとは思えないのです。ナニユウトルカモウワカラヘンデー
学術書の定義が学術的に書かれた本だとすれば、「学術的な書き方」とはどういうものなのでしょうか?
また、専門書が必ずしも学術書であるとは限らないが、学術書はほぼ専門家しか読まないという意味で専門書と言えるというようなことを聞いたのですが、その場合学術書でない専門書は学術書に比べて書き手やその内容、あるいは理解できる読者が低級、学術書の方が高度というということになってしまうのでしょうか?
このようなことを言っている人がいました。
「「専門書」「学術書」は似ていますが、「専門書」であってもとくに学術的に書かれていなければ、「学術書」とは言いません。
たとえばフランス料理とかイングリッシュ・ガーデンについて、ものすごく詳しく書かれてはいるけれど、著者が学者ではなく書き方も学術的でないような場合です。」
この文章にならっていうなら、たとえば(フランス)料理のレシピ・製法について学術書の体裁で書くことは可能なのかということです。
もちろんメイラード反応など料理を化学的な立場で捉えることはできるでしょう。
でも一流の料理人同士で情報を共有する方法として「学術的に書かれる」というのは想定することができるのかが疑問です。
そこにはきっと料理人だからこそ納得できる経験的な記述や精神論的な気構えも書かれていると思うのですが、少なくともこれらはどうやっても学術的には書きようがないものな気がするのです。また全体として学術的に書いても、私のイメージとしてはいたずらに小難しくさせるだけであって、かえって両人にとっての料理の本質を伝えることの妨げににしかならないように思えるのです。
改めて質問ですが、「学術的に書く」とは具体的にどのような書き方なのでしょうか?一流の料理のレシピ製法などといった類の題材にも馴染みうるフォーマットなのでしょうか?またありとあらゆる分野において、学術的ではないが詳しく書かれたものより、学術的に詳しく書かれたものの方が高度な内容ということになるのでしょうか?
料理人もそうですが職人の世界において、いかに真髄に近いものが書かれているかということに高度かどうかの基準を置くなら、必ずしも学術的な書き方のほうがそうでない書き方よりも真髄に近いものを伝えられるとは思えないのです。
相手をわざと怒らせる為なのか、それとも本気なのかは分からないけど、文から相手の意図を汲み取って考える力、想像力が全く無い人がネットには多いんだけど、多分自分の主張を証明したかったり、正しさだけを見せびらかしたい人にとっては前者なんだろうなぁ。
「科学が万能でない」という事実を広げることには意味があるんですが、
汚染水の排出が科学的に本当に安全かどうかの「議論をすること」には意味がないという感じですね(もちろん科学的調査には意味があります)。
反対派は「自分の利権を守りたい」とかいう結論が先にあって、でも本音を言えないので口実として「科学的に安全か」という議論を持ち出すことになりますが
目的は自分の利権を守ることなので、もし科学的に 100 % 安全ということが証明されたら今度は別の反対の理由を探し始めるでしょう。
科学が正しいかを議論しても結論ありきなので、話が進まないという意味での「時間の無駄になる」という話です。
まとめると、今回の話は私にはこんな風に見えてます。
反対派「(本心では思ってないけど、利権を守りたいと本音が言えないので)科学の理論が間違ってる可能性がある!」
賛成派「かなり安全と考えられるエビデンスが揃ってきている!科学的には安全と証明されている!」(事実は証明されているわけではないが、IAEA がお墨付きを与えるレベルには安全)
科学者「ちょっと待って、確かに反対派の意見も一理ある。科学の正しさについて議論してみよう」
賛成派「(ややこしくなるだけなのに、今その話する??)」
反対派「(援護射撃は嬉しいけど、科学的に正しいかはどうでもいい。もし科学的に安全と証明されても自分の主張は曲げないからな!)」
私「科学が正しいかの議論って問題の本質じゃないので、もし結論が出たとしても話は何も進まないですよ?」
菌が死ぬほどまくと人体に有害で、人体に害がないほど減らすと効果がない、わけなんだけど、それのちょうどいい塩梅が見つかったとか、人が常駐せず入れ替わる待合室に短期間の吸入程度ならギリセーフくらいの高濃度をまいているか、なんらかの技術的進歩があったのかもしれない
そもそもおっぱいとは、視覚的には尻の擬態という話もあってだな
というのは、ヒトと近縁のサルたちはみんなバックから交尾をするし、サルのメスなんかは発情すると尻が赤くなったりする
交尾器のそばの肉のふくらみや色がオスの発情を刺激する仕組みなわけじゃ
バランスがとれた顔立ちの方が遺伝的にも栄養的も安定しているサインだとかなんとかそんな話もあるな
そしてオスが顔か尻かで悩む中、顔の下に尻みたいなの作れば両方見れていいんじゃね?とひらめいた天才的なメスがいてな
なので、おっぱいが大きいか小さいか、それが性的に魅力的か、というのは顔とのバランスで決まるものだとワシは思っておる
「童顔巨乳」「清楚巨乳」「貧乳ギャル」など、顔立ちと乳の状態をセットにする言葉も多いことからわかろうもの
つまりじゃ
おっぱいは男を発情させるツールの一部なだけで、いざセックスする関係性になればいよいよ尻の出番なんじゃ
最終的には尻がよくて顔が可愛くて元気な子をたくさん産む女が好かれる
よくできておる
魅力的な男は未婚であっても必ず子を産ませとるものな
ではそのような器官に相当するものが男にあるか?というとじゃな
それは筋肉であろうな
総合的には強い体で、健康で、いい遺伝子を持つ屈強な男が好まれるわけじゃが、アイキャッチとしてそれを端的に伝えるのは筋肉なんじゃ
特に脱いだ時の胸板、胸の筋肉、これがいいと大体の女は、かっこいいというわな
つまりじゃ
女もおっぱいが好きなんじゃ