はてなキーワード: 弁当とは
ランチも引き続きミーティングならぬランチミーティングはさすがのさすがにお断りよ。
それまた持って帰って処理するのもどうよ?って感じだし、
あなたたちはランチミーティング行っておいでなさいという感じよ。
事前準備ぐらいはして欲しいものよ。
まあ午後からもこれで時間潰れちゃうのは勘弁願い隊の承知の助だわ。
そんでさ、
今日のメインは茹で鶏よ。
やっぱり鶏肉の分厚いところは火が通って無かったりしない気もしないこともないから大丈夫だったけど、
とりあえずの彩りには
茹で鶏がメインってことで、
鶏すでに遅し!って訳で茶色系が多いのよ。
ご飯も健康的に発芽玄米と押し麦を惜しげもなくふんだんに使った分量通りの2対1の割合で炊くと絶品よ。
半信半疑で炊いてみたけど、
やっぱりふっくらとは伊佐坂先生もいささか美味しいとは頷かない感じの炊き上がりなのね。
トータルテンボスの忍びねぇって言う人も言いそうなほど
よしとするしかないわ。
スープーとかもあったらよかったわね!
茹で鶏のそのゆで汁もひと手間加えて玉子なぞ落としたら
きっと、
もうちょっと鶏から美味しいスープが出てもいいとコロナんだけどね。
そうこう言ってる間に、
その意気込みは一丁前よ!
うふふ。
ないときはないけど!
珍しく林檎率高めで且つ林檎なんて使うのも珍しいわねって思うほど、
そのリンゴウォーターはやっぱり白湯に勝るとも劣らない薄味の微か遙かなる向こう彼方にリンゴがいる感じがまたいいです。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
と思いつつ、不安だったので先週末に特売のパスタをまとめて買った。
さっき弁当を買いにスーパーに行ったら、パスタが品薄になってたわ。
「たまたま?それとも俺と同じようなことを考えてる人が増えてるの?」とよけい不安になったから、また買ってしまった。
こうやって買い占めが起きるのかな。
いよいよ子供の学校が始まりそうだ。休校延長の連絡はない。少し焦る。
職場のテレワークなんぞよりも教育現場こそ授業のオンライン化をすすめるべきだ。
ところで休日の朝、妻は昼近くまで寝室にこもる。
朝食など用意して待っていても絶対に口にしない。
私は副鼻腔炎は投薬のおかげで顔面の疼痛はかなりマシな状態になっていた。
洗濯物を取り込み、昨日の疼痛のせいでシンクに放り出されていた食器洗いをした。
妻と寝室で一緒に寝ている子供が起きてくる。
朝ごはんを一緒に作って、遊んであげる。
久方ぶりに両親が喧嘩ばかりしている形見の狭い子供の笑い声を聞いた。
買い物リストをつくっていると一緒に行きたいという。
それならば髪をといて一本にしばってあげた。
不機嫌そうな声でコロナがあるから、公園ならいってもいいが買い物はついていくのをやめろと言われた。
じゃあ、先に公園に連れて行くよ、買い物は車で待っていればいいんじゃないと子供にいうとキックボードやバドミントンセットをもってついてきた。
結局買い物は、車の中で待たず、一緒に買物をした。
終えて帰る途中で、助手席に乗り込んだ末娘がパパとママはもっと仲良くすればいいのにな。とつぶやくように言う。
ママはパパが気に入らないんだから全部パパに来るから大丈夫だよ。と話した。
家の玄関を開けると末娘は腕にしがみついて、もうママは(寝室から)起きてると思うよ。といった。
それでもカチコチだ。怖いんだな。かわいそうに。
リビングに入るとソファーに座ってテレビを見ていた妻は昼食を用意しようとした。
米を炊いていないので、先日買ってきたレトルトでいいかと納戸に向かうと開口一番「米は買ってきたの?米!」
「いや、買ってきてない」というなり、「米びつに米がないの知らないの?なんで買ってこねえの?レトルトなんか非常食で、今食うもんじゃ意味ね―し」といった。
昨晩は疼痛でそこまで気が回らなかった。
米びつをみると、3~4合程度の米があったので夕方に炊きあがるよう予約した。
昼はカレーに買ってきた肉を焼いた。サラダと食パンをつけた。妻の分も作ってご飯だよと呼んでもテレビを向いたままソファーに座ったまま食卓にはつこうとしない。
気に入らないという意味合いの入ったパフォーマンスだ。もうそのまま構わず食べることにした。
食器をすべて洗い終え、出かけることにした。さっき行ったス―パーに米を買いに。
戻ると、子どもたちが近づいていう、ママの機嫌は最高潮に悪いよ。
大丈夫だよ。ぜんぶパパに来るから。勉強を見てあげる。洗濯物も全部たたむ。
トイレに入ると、廊下をスタスタと歩いてくる音がしてトイレの前で停まり、パチっと音がして換気扇のファンが回りだす。
おめえ臭えよということをいいたいのだと思う。ちなみに大をしているわけではない。。
夕方、急に顔を洗い出す。ドアがガチャンとなって不意にでかけた。ママはどこへいったの?こどもが不安がる。さあ、こっちが聞きたい。いったいどこへでかけたのやら。
夕食の直前に戻ってきた。時刻は19時を回っている。
娘が食べたいといったステーキを焼いたが、妻は納豆を冷蔵庫から取り出してボクの出すおかずには一切手を付けないというパフォーマンスをする。
なにかいわれのないような気持ちになってしまう。そのうちこういうのにも慣れるんだろうな。こういう仕打ちに無頓着でいられる自分になりたい。
本日、妻の二言目は「あーフックがない。ゴミ袋をかけるフック捨てたろ。」であった。
なにそれ。フックを捨てるわけないと言うと、そんなことをするのはアンタしかいないと断じる妻。なぜ?
紙の資源ゴミ袋が満杯になっていたのを片付けたのは確かに私。フックはすでになかったので新しいゴミ袋は床に置いた。
通常はフックに掛かっていて変だなと思っていたが、ゴミ袋は片付け当時は床に置いてあるような状態ですでにフックはなかった。
私がフックを捨ててさあ、どんな得がある?と叫ぶ。もちろん心のなかで。
アンタしかそんなことをするやつはいないと言われたが、こどものために喧嘩をするわけにはいかない。
結局、フックは私が捨てたと、彼女の中で決めつけられて終了した。
去年は池袋で桜を眺め、来年の自分はどこにいるか考えながら、ぼんやり米をほうばっていた。
それがまさか在宅勤務になって、マンションの桜を見ながら弁当を食べてるとは思わなかった。
マンションの桜はいつも子供が遊んでいる広場に咲いていてやや近寄り難く、いつも気がついたら散っている存在だった。
在宅勤務の昼休憩は12時からと決まっている。チャットで休憩に入りますと伝えるのもルール。
いつもの弁当箱じゃなくて、洗いやすいタッパーに米と昨日の残りの春巻きと卵焼きだけつめて階段を降りると、マンションの広場にはそこそこ人がいた。みんなそれなりの距離を保っている。
同年代の夫婦はシートを敷いてお弁当を広げ、老夫婦はベンチに座ってパンを食べて、子供と母親はサッカーをしていた。
わたしも空いていたベンチに座って、秒で作った雑弁当を食べ始めた。見た目は最悪だけど美味しい。
こんな真っ昼間から、後ろめたさもなく、堂々と当たり前にマンションの敷地内にいるのに不思議な気持ちになった。
桜を楽しみながらタッパーの中身を食べて、お茶を忘れたことに気がついて部屋に戻った。
さっきまでいた広場を見下ろすと、サッカーをしていた子供と母親の輪に父親が増えていた。平日の昼間から家族3人でサッカー。父親も在宅勤務で昼休みなのだろうか。いい光景だ。
少し昼寝をして、チャットで戻りましたと言ってまた仕事に取り掛かった。
在宅勤務になってパワハラめいてる上司への緊張と萎縮がなくなった。画面に資料が映ると声だけになって圧が減る。バンバンと机を叩くマウスの音が聞こえないから資料に集中できる。資料が映ってない時は上司のウインドウを小さくしてしまえばよかった。小さい画面の中で動く上司はいかつい顔をしていても怖くない。愉快。
仕事が終わった後は、凝り固まった体をどうにかしたくて、そして少しでも運動不足が解消されるように沢山の家事をする。
食器を洗い、ご飯を作り、ルンバとクイックルワイパーかけて、洗濯とトイレ掃除をする。
今まで平日夜に家事をすることなんてほとんどなかった。かろうじて弁当箱だけ洗って他は放置していた。
ご飯を作り出すと匂いにつられたパートナーが、休憩がてら部屋から出てくる。
一緒にごはんを作ったり、やることがなければ他の家事をしてくれる。
パートナーは週の半分は会社に泊まり、もう半分は終電という働き方をしている激務の人だった。平日はおろか、土日でも会えない期間があった。
それが4月になった途端、突然今までの倍以上の時間を一緒に過ごせるようになった。
昨日は引っ越し2年目にしてはじめて魚を焼いた。魚焼きグリルの使い方がわからなくて二人で調べながら頑張った。
冷蔵庫をあけて食材がぎっしり詰まってる光景もはじめてでわくわくする。今まではコンビニかマクドか外食だった。
パートナーの集中力が切れて深夜休憩にはいるタイミングで、少し歩いて二人でスーパーに行く。
年末に買った米3キロがようやく無くなった。元々少なくなってたけど毎日食べてるとあっという間で驚いた。
肉や野菜をエコバッグに詰める。腐らすことなく干からびさせることなく使い切れる確信を持てて嬉しい。満ち足りた気持ちで帰り道を歩いた。米は重いから交代で持って、Amazon使えばよかったのになんで買ったんだと笑った。多分ふたりともこの非日常に浮かれていた。
すっかりコートのいらない気温になっている。
夜桜が綺麗だった。
月も霞がかって風情があった。自然の美しさをそのまめ受け止められる心の余裕がある。
夜桜を見上げながらずっとこんな生活をしてみたかったと気がついた。
夢が叶った気分でいる。
実際に似たような生活をしていた期間もあったけど、それは無職の時はだった。焦燥感と自罰感情で自暴自棄だった。
ていねいな生活ってこういうのを言うのかな。心のゆとりをもって生活する日々がこんなに幸せなんて知らなかった。
状況が悪化したら心のゆとりなんて無くなるかもしれない。自分や大切な人が死ぬかもしれない、この局面を乗り越えても不況がきて失業するかもしれない。
夫がどこにも行けないとかぶつぶつ言う。
どこにもって、お弁当持ってサイクリングや公園だって行けるドライブしてもいい。
どのみち運転しないで後ろの席に居るし、三十分出ただけでも疲れた疲れたで一人さっさと先に行くし帰るなり無言で寝に入る人が行かない方が疲れないからいいんじゃないか。
楽しかったね、疲れたかなと家族で和やかにお茶しながら休憩とかほとんどしたこと無い。予定が無い日は明け方より早く起きてゲームして朝ご飯食べたら寝る。昼御飯ができてないか正午に様子を見に来る。食べたらまた寝る。子供を遊びに連れ出しても遊ばせるのは一時間未満。帰ってきたら即寝る。予定がある日は遅くまで寝ている。準備を一緒にする気持ちはない。車に荷物を運び入れる、玄関の鍵を閉める開けるのでサービスしてやってる義務を果たしてる感を出す。
疲れた。
イタリアには手を洗う習慣がないって話に驚いてる人がいたけど、
日本にもそんな習慣ないよね??
中高生だった頃、弁当や給食を食べるとき誰も手を洗いに行ってなかった。
大人になってからも飯屋で食事前に手を洗ってる人なんて見たことない。
(おしぼりで手を拭くのは洗うに含まないよね?)
在宅勤務の何が良いって、満員電車に乗らずに済んで通勤の時間を節約できて、おふとぅんで昼寝できる上に手間暇かけて弁当作らなくても自炊できるから昼食代を浮かせられる点なので、此度の武漢肺炎が落ち着いたとしても積極的におうちで仕事したい。
設備が必要だったり現場での作業が必要な人や店舗スタッフで通勤が必要な人も、電車と昼のコンビニが空くだけでかなりストレス減るでしょうよ。
自分はかれこれ1ヶ月前頃から在宅勤務を続けてて、この1ヶ月で出社したのはせいぜい4時間くらい
ここ2週間は完全にリモートワーク
家族構成は5歳児のいる3人家族で、幸いなことに幼稚園(保育園)は休園していないのだけど
起床→子供を幼稚園に連れて行く→スーパーで昼ご飯や夕食の食材の買い込み→帰宅→仕事(夫婦はそれぞれ別室で作業)→買ってきた弁当を食べる→仕事→夕方子供を迎えに行く→直帰して夕ご飯の準備→夕食→子供がテレビ見てる間、家事やったりなんやり→風呂入って就寝
...の流れで生活が固定化されてる。もちろん休日も極力外出せず、家の中でテレビ見たりしてる(おもちゃはすぐ飽きる)
コロナの影響で収入を失ったりしている人がいる中で、リスクに晒されることなく日常を続けられているのだから呑気なもんだとは思うけど
これが1ヶ月も続くと、流石にストレスがたまっているのか夫婦の諍いが増えたり子供にも厳しく接したり、子供も子供で頻繁に不安定になったりと、ややほころびが見え始めてる
こちらは自粛要請に真面目に従ってるのに、買い物とかでいざ外に出ると街は人であふれているのも不満を冗長してる
さっさと緊急事態宣言でも出て誰もが同じ状況になれば多少は気が楽になるのかもしれない
とはいえ根本的な問題は全然解消されてないわけで、今後ストレスが決壊してしまわないかが大変心配
在宅勤務&外出自粛してる人って、みんな家で何してるの?
心穏やかに過ごせてる人の話はぜひ聞いてみたい
買い物のときにちょうどいい冷凍食品を買っておくこと、晩御飯のメニューを決めるときに一品を弁当に入れれるものにすること、晩の米を余分にもう1合炊いておくこと。
そういうことをやっておいてはじめて、朝は3分でできる、が成り立つわけ。
メールに目を通すのは返信は明日の朝でいいや、今日の晩はめんどくせぇから鍋とかパスタでいいや~、とやった瞬間に次の日の崩壊は始まっているのだ。
前触れなく一斉休校が決まったとき、一番に頭に浮かんだことは「弁当」。
いつもより早起きし、弁当をつくって長男に渡し学童に向かわせ、下の子供を保育園に送って、
出社した瞬間から仕事モードに切り替える器用なことはできない。
弁当のネタは尽き、冷食、前夜に買った惣菜・揚げ物の詰め合わせは当たり前。
「●●くんは、おじいちゃん家に行ってるんだよー」
ウチは、夫婦で弁当づくりを分担しているから、まだマシなのかもしれない。
Y市は、中学校から毎日弁当なのだから、それに比べればマシなのかのもしれない。
隣の区は学童で仕出し弁当が注文できる。しかし、子どもは嫌がるそうだ。
増田は言う。「パンとミルクとフルーツで良いんだよ」ここは欧米じゃない。
「子供の弁当なんて3分でできる」そうか、お前は3分で米を炊いて片付けられるのか。
「毎日、インスタにアップすると励みになるよ」ストレスでハゲるわ。
来年、妹が入学する。女の子はもっと弁当に気を使わなければならないのだろうか・・・
#bentoo
主婦前提の制度や社会設計に直面するたびに感じる辛さ。そして怒り。
私は、何を守るために今の生活をしているのだろうか。
弁当が辛くない世の中を。
何人も無理なく生きられる社会を。