はてなキーワード: 公立とは
勉強は学校の宿題と公文、音楽はリコーダー(良くてピアノが弾ければマシ)、運動神経並、公立小のプールは予算不足により廃止され泳げないので川や海で溺れる、英語はアルファベットやローマ字が読めるだけ、パソコンやソフトウェアの簡単な仕組みも知らない
勉強は数学と英語に絞った先取り、音楽はピアノやヴァイオリン(絶対音感あり)、幼児教室により運動神経抜群、水泳も得意、英語は日常会話レベル、パソコンの組み立てや作りたいアプリやゲームのプログラミングもできる
祖父2人
小卒、中卒
祖母2人
中卒、中卒
パッパ
小学校知らん公立 → 中学校知らん公立 → 高校知らん公立 → 関西大学
マッマ
小学校知らん公立 → 中学校知らん公立 → 高校知らん公立 → 近畿大学
俺
地元の公立小学校 → 地元の公立中学 → 地元の公立高校 → 京大 → 京大院(修士) → 東大院(博士) → 京大助教 → 国研准教授
弟
地元の公立小学校 → 地元の公立中学 → 地元の公立高校 → 東大 → 東大院(修士) → 東大院(博士) → 理研ポスドク → 東大助教
妻
地元の公立小学校 → 地元の公立中学 → 地元の公立高校 → 阪大 → 阪大院(法科大学院) → 弁護士
どや
個人的にはちょっと違う感想を持ってて、中学受験組で特に上位校に受かるような奴ってやっぱ載せてる頭のエンジンが違う気がするんだよな
姉の高校入試とか見せてもらったし俺も大学入試は経験したけど、(特に公立)高校と大学の試験って例えば東大ですらどこまで行ってもある意味で教科書的というか勉強の果てにあるものって感じがするけど、
上位の中学入試ってそもそも小学校の授業がどうとか気にしてない感じあるし純粋な地頭的なものの良さを選抜してる気がするんだよね
高校から入ってきた人は、授業を真面目に聞いて先生にも気を使って必死で努力したんやろうなぁっていう真面目な人が多かった気はする ときどきは中学入試に参戦してなかった本物の天才みたいなのも交じってるけど
でも8割中受みたいな地域だと底辺2割しか公立中に入らないわけだし
地価は高い=親の金はそこそこあるはずなのに受験しない・してもどこにも合格出来ない子ってのは
男が人生ですべきことは「良い家柄の娘と結婚する」ことと「陛下から勲章を頂く」こと。
高確率で勲章を貰うには、官僚、学者の2点が固い。定年した地方自治体幹部や定年教員も貰えるが「良い家柄の娘と結婚する」が達成できないので官僚か学者。
地方出身の次官や学者は県立や府立高校卒も多いが都内なら筑駒、開成、麻布がほとんど。公立なら日比谷一択。よって中学受験は必須。
俺は中学受験もさせない田舎の家庭に生まれ、田舎の年寄りには評判のよい自称進学校に進み、質問すると怒鳴り返してくる嘱託の数学教員のせいで国立と理系を諦めなければいけなかった。元増田よりはネームバリューのある都内の私文を出て、コンプレックスを引きずり就活に失敗。ハロワで土木と介護を紹介されて鬱になりそうだったが、法曹になって「上方婚」と「陛下から勲章を頂く」を狙うことにした実家住み込み書生ニート。
僕は明治学院大学というまあまあ頭の悪い大学に通っていて、運良くそこそこの会社に滑り込み、転職して今の職場にたどり着いた。配属された部署は頭のいい人ばかり。たまにMarch卒がいるけれど、麻布から明治に入ってしまった人がいるくらいで、約8割が旧帝大か海外大を出ているようだ。周りを見回すと中学受験組がかなり多く、やれ日能研だのSAPIXだのに小さい頃から通い、一生懸命努力を重ねてこの会社に入ったようだ。
一方の僕はあまり金のない貧乏な家庭に生まれ、高校まで公立に通って明治学院に進んだ。受験のために塾に通い始めたのは中3の夏、それに大学受験では高3の冬期講習からだ。運良く大学では特待生に選ばれて、実質負担額は国立より低いと思う。自分がたまたまラッキーだったのか実は頭が良かったのか、何にせよ周囲と比べても圧倒的に楽にこの会社に入り、まったり働きながらそこそこの金を貰っていることは間違いない(在宅勤務中です)。
しかし息子が小学校に上がり、中学受験がしたいと主張されたらなんと答えればいいのかわからない。僕の例を出して中学受験を止めさせるのも機会損失なようで、かといって多くの金を出して塾へ行かせて私立中に入れるのも金が勿体ない気がする。もちろん進路や就職時の収入だけが私立中へ進むことのメリットじゃないと思う。いい友人を作ったり、社会に出てからも私立中のコミュニティは強いと聞く。実際に中学受験した人の声を聞きたい。中学受験は人生を豊かにしてくれるんだろうか。
三四郎の小宮が中受で私立に入ってからずっと虐められてたと聞いてマジかよってちょっとがっかりしてる。
「私立中学ってやっぱ比較的育ちのいい子供達が集まってるし治安が良いんだろうなー」って思ってたけどよく考えたら公立の動物園みたいな中学よりは少しだけマシってだけか。
京大出身の人に限ってなぜか学歴自慢するけれどそれが違和感というかイライラする節がある
だから東大の中で高校の友人と話していると「あいつ京大だっけか、そんなに馬鹿なイメージなかったのにな」みたいな温度感になっていた。
なのでいざ社会に出てみて京大卒の人がイキりちらしているとすごく違和感を覚える。
タバコ覚えたての中学生がイキってるような、小学生高学年が小学生低学年にイキっているような、そんな感覚に陥る。
実際社会に出てみてもちろん京大が馬鹿だなんて感覚は微塵もないし、すごく優秀な方がいるのはわかっているんだけど、自慢するのはちがくねって思っちゃう。
しかも東大卒よりむしろ京大卒の人のほうが学歴自慢したがる傾向にある気がする。それも謎。
自分は日本生まれ日本育ちで、海外へも3か月以上いったことがない人間だが、キリスト教(カトリック)の学校に中高6年間通ったんですよ。キリスト教だと「あらゆる人間は神の計画のもとに生まれてくる」と教える。だから、神父はどんなにむかつく人間、犯罪者、他人の足手まといになる基礎疾患者や障碍者がいても「お前には生きる価値がない」という発言はしない。
神は何らかの計画に基づいて、そうした、迷惑だったり社会の役に立たなそうだったりする人間を作られたのだから、そうした人間が生まれてくる価値までを否定することは、神の計画に対する信仰を否定する事になるからだ。仮に神父がそういう発言をされたのだとしても、「それは神の計画をご否定なさることですよ」と示唆すれば、自分の方に正義があることを示せる。
が、日本では普通の中高はカトリックではない。普通の中高では、犯罪者や障碍者など、社会にとって「迷惑な存在」とふつう思われている人間の「生きる価値」についてどのように教えているの?多分、何も教えてないんですよね、きっと。とすると、「社会のために、迷惑な犯罪者・障碍者を抹殺する!」というような人間が出てきたとしても、それが「憲法に反してます」ぐらいのことしか言えなくて、なぜ悪いことなのか説明できないですよね。日本国憲法は、歴史的に、日本人の合意で作ったとは言えない憲法で、アメリカから押し付けられた部分があるのは否めないわけだ。そうすると、日本人が自分で決めたわけでもない憲法になぜ従わなければならないのか!日本にはそういう弱いやつはいらない!みたいな意見の人が、普通にたくさん出てきますよね。そして、「表現の自由」で、そういう意見を普通に言っていいことになっているんですよね。
ものすごく怖いですよ。公立中、公立高の出身者は、「迷惑な人間」の生きる価値をどうやって認めてるの?社会に要らない人間を排除しようという考え方をどうやって否定してるの?
下の子は上の体たらくを見て早いうちから塾に入れてたのに万年1番下のクラス
12月に入塾して下のクラスから上のクラスに駆け上がるような同級生もいるようだが、うちのには無理
家でも勉強を見たり、夏休みは親戚の大学生をカテキョに雇ったりと手は尽くしたが偏差値は一向に上がらない
発達も疑って相談したりもしたが、発達は正常
ただの「馬鹿」らしい
うちの親族は皆当たり前のように公立から塾なしでストレート難関大コースで
まあそれなりに努力すればどんな奴でも平均は超えるよね、という考えで生きてきたが
考えてみれば、ガリ勉の馬鹿(運動神経も酷い)みたいな子が小中学生の頃のクラスにはいたわけで
そんな奴がいること自体は知ってたはずなんだが
こんなことなら小学校の時点でお受験させときゃよかったが後の祭り
勉強や学歴が全てだとはまったく思わないが子供が自分の子供がここまで頭悪いと流石に凹む
かなりの下方婚(相手はFラン大中退・ブルーカラー)した15年前の自分に、ほんの、ほんの僅かだが後悔を感じる
配偶者の性格や容姿は今でも大好きだし、幸せではあるんだけどね
でもやっぱ心のどこかで期待してたんだろうな
配偶者親族は中卒高卒が当たり前だが、それなりに生きてるしめちゃくちゃ人生楽しんでるし、うちの子らもああなればいいんだろうけどさ
ここでぐらい言いたい
あーあ、だよ
ほんと
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
一つの例を挙げれば、「人権 ほんものはやたらにいわない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
極端な例えをしてみれば「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなのでもいい。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど当時の環境も添えてほしい。
田舎で、そもそも公立の中高しかない地域、私立はあっても1-2校だけだったりすると、
だけど、私立の中学が大量にある都会では、まともな子はみんな私立中学にゆくので、
公立中学はゴミカスしかいない掃きだめ状態というか、学校崩壊してたじゃん。一時期。
そういう時代と地域に育つと、公立中なんて絶対あり得ないって思っちゃうわけよ。
それでどうせ私立中にいくなら、なるべくいい所にって考える訳。
最近SAPIXに廃課金して子どもに難関中学受験させる親たち、という話題をよく見かける。しかし自分が小学校から高校までずっと公立だったため、なぜ中学受験が勝ち組への最短ルートみたいな扱いをされているのかわからない。
高校でそこそこの進学校に行って勉強を続けていれば、指定校推薦で早慶上智ぐらい入れるし、予備校に通ってしっかり対策すれば、東大や医学部だって不可能ではないと思う。
地頭がいいから公立のペースは遅すぎて苦痛という子が、少し試験対策して身の丈にあった私立中学に進学するのはわかる。
でも大切な子ども時代を犠牲にして勉強してまで、難関中学に行くメリットってなんなの?中学によってはエスカレーター式で大学進学できる、親のステータス、他にある?