はてなキーワード: 中間層とは
トヨタ系に限らず、大企業の「ちょっと下」に位置する子会社はブラックな事が多いね。中間層が一番つらい。
日本に限らず、どこもそうだよ。大企業の人は優秀だから勝手に働くけど、中間層は尻叩いて一致団結させないと効率が悪い。
大規模な企業体系の中間管理職てき立ち位置の企業にはそれなりの金は与える分それなりに働いてもらわないと、
下層まで指示が行かず共倒れになる。
ここで言う"上"というのは「平均より上」とかでなく「上位10%」とかそういうのを指してるだろうから、下x下が多くなるのは当然だと思う。中間層は減ってるわけだし。
てつまよしとう氏「フェミニストの主張が間違っていると批判するのであれば、何故間違った意見に従う日赤のような組織を批判しないのか?」
https://togetter.com/li/1451333
まーた(ヨ)界隈が残念な事をほざいたのか。
フェミもリベラルもいい加減この話題をすればするだけ不利になるだけなのだから、無視すべきなのにプライドが高いからか知らんが、自ら突っ込んで余計に墓穴掘って、世間の印象を悪化させているのだから笑えるよね。
ゴーンの事と言い、彼等自ら率先して、世間に嫌われにわざわざ行っているのだから笑えるよ。
悪い周りの時は自ら率先して悪い方向を選ぶと言うけど、彼等やゴーンを見ているとある意味では納得できるよ。
こいつら見ていると行動が行き当たりばったりで全く計画性がないと言う事が良く判る。
そりゃ元々リベラル寄りの人間や中間層から呆れられ見放されるのも理解できるよ。
先鋭化した人間しか残らないから余計にこの様な行動を無計画に行って、寄り世間から嫌われるパターンに完全に入っているわけだ。
漫画家は漫画家で普段表現の自由を喚いている癖に著作権方面でダブスタかました時点で糞だけど、リベフェミはそれ以上に相変わらず終わっているレベルでの糞なのは事実だとしか言えないよね。
三島由紀夫のエッセイで読んだんですが、我々の人生は薄氷の上で踊っているようなもので、いつ予想外にも氷が割れるか分からない、みたいな話。
そういう災厄は、成功者にも敗残者にもその他の中間層にも一定の確率で平等に降り注ぐのです。
具体例を出して申し訳ないんですが、学歴と仕事の出世では日本一だった農水省の事務次官は家庭が崩壊したし、某農水大臣は汚職を抱え込まされて首を吊ったし、美貌と学歴に恵まれた高橋まつりさんは(穿った見方をすれば、高すぎるプライドが仇となって)悲惨な死に方をしました。
才能とか頭脳とかに恵まれた成功者でも哀れな人生の末路を辿ってしまう人がいる一方で、けして裕福でも突出した能力があるわけでもないから、話題性が無いので表には出ないけど、最愛の人と結婚出来て家庭生活が幸せでしょうがないみたいな人々もたまによくいます。(ソースは増田)
先日「安倍の代わりを見つけるのは国民の仕事じゃない」という趣旨のツイートが盛り上がっていて、ふと思った。
結局、安倍政権は問題が発生するたびに、そこそこアウトな事をしている事がバレる(書類隠匿など)。そしてのんべんくらりとした対応を取っている。
問題が長引くのは安倍首相が辞める気がなく、これが他の大臣ならさっさと更迭しているが、総理大臣の次の担い手がいないので(菅官房長官か、麻生財務大臣くらいか?)自民党としてもなかなか辞めさせられないのではないかと思う。
また、辞めるべきか微妙な問題が多いし。ほぼ進展のない野党が騒ぐだけの構図は安倍政権が望んでいる図だろう。「野党は政策で仕事しろ」ってやつだ。
正直、安倍政権がどんな政治をしているのかよく見えない(最近知った唯一のニュースは英語の民間委託くらいだ)、ただ、政局をうまく転がしてるなぁと思った、今日この頃。
国会議員がほとんど男ばかりなのに疑問を持たないのだろうか。
このアンバランスをなくすためにせめて同数にしましょうっていうのがそんなに理解できないのか。
こんなのばっかりだから男女差別がなくならないし、日本はずっと男社会なんだろうな。— Rikimaru (@Rikimar16753900) 2019年11月15日
そもそもこれを実現するならば、普通に入党あるいは政党結成→立候補→当選をすれば良いだけの話だよ。
元ツイートの在日ウクライナ人のかたの方が余程その点を理解されておられる。
現状が男社会であるのは良くも悪くも有権者にその様な候補が望まれているからに過ぎない。
しかしこの手のフェミ的思考の人はジャンプの時と言い、権利を主張し、特権的に枠組みを要求する人しかいない様に思うね。
だからこそ逆に嫌われるんだよ。
政治家なんて特に論理的な人間が一般的に求められる職業なので、この時点で有権者にはないわと思われるのも必然。
しかしいつもながらこう言うのを見ていて思うけど、フェミ及び一部の団体は自民と組んでいた時に法律に絡んで、好き勝手に感情論で時にはメッセージと称して、自分らの思惑に沿う様な規制をしていた頃が忘れられないのかも知れないね。
恐らくその後状況を見ていて、票にならないからパージされて、野党側に行ったのだろうと推測するけど、フェミさん達はその時の経験があるから、今でも増長して高圧的なんだろうと思う。
ただそのフェミと組んだリベラルや野党側は逆にこの点でもイメージが悪化したのも一因として、更に中間層から嫌われて、投票率低下を引き起こして、勝てなくなり、落ちぶれていっているけどね。
実際今回の参院選でも立憲や国民のフェミ候補が落選しているしな。
特にメインターゲットと本来していた女性票に嫌われたのは致命的だよ。
個人的には男女関係なく、能力のある人間がなりゃいいと思うよ。
ただ言っちゃ悪いけど、日本に限らず、政治家になりたがる女性はそれこそ出しゃばりな人物が多かったから、それで世間的なイメージが悪化しているのも事実だと思うよ。
それと女性の権利関係や男女平等などの政策において、余りにも度の行き過ぎた要求や主張の結果、余計に世間から嫌われたのも事実。
https://anond.hatelabo.jp/20191019021148
を書きました.たくさんのコメントありがとうございます.もう食傷気味かもしれませんが,追記します.
ただ,この追記は基本的にコメントに対するものではなく,前増田が長文になりすぎたために書けなかった部分についてです.論点はここ数日で既出のもの(リンク)に近いかもしれないです.
https://anond.hatelabo.jp/20191018230535
結論は,「フェミニズムが性的な表現を非難する時には,非モテ男性に与える不平等感について自覚・配慮し,主張をするべきである」というものです.いわば,私が前増田で書いた主張と対になる主張をします.
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前増田では,「『公的な場で,女性を男性目線で性的に描くことには,女性の規範に悪影響を与えるリスクがある』という認識が共有されるべき」と主張した.これは,当然,絵のみでなく,コンパニオンや女子アナ,芸能等の実在人物にも平等に主張されるべきだ.一方で,「では,なぜ絵には、とりわけフェミニズム的非難が集中するのか」を疑問視する立場がある.この論点は重要だ.
まず,前増田で説明したフェミニズム的非難の内容を再確認する.公的な場で,男性目線で性的に女性を描くことは「女性は,男性から見て性的な存在であるべき」という社会的な規範を強化する.この規範の例は,
だ.男性目線で性的な存在として女性を繰り返し描くことで,それが『通常』と認識され,規範となる.規範は,そこから逸脱する女性の自由を制約する(例:「女性は皆,お酌をしている.自分もお酌をしなければ,普通じゃない,生意気な女だと思われそうだから,お酌をする」).
規範が特に問題となるのは,相手の男性に性的魅力がない場合である.例えば,「女性は,通常,『好意がある男性には』お酌をする」という規範と,「女性は,通常,『好意がない男性にも』お酌をする」という規範では,後者の方が,女性の意思に反するだろう.このような規範を強化するのは,「性的に魅力のない男性(非モテ男性)目線で,性的に描かれる女性像」である.件の献血の絵の問題点は,前増田で述べた通り,公的な場における性的表現であるため,「女性の存在は(一般に)男性目線で魅力的であることが『通常だ』」という規範を強化することである.しかし,それだけではなく,オタク絵であるために,「女性は,非モテ男性にすら性的に振る舞い,消費されるのが『通常だ』」という規範を強化しうることも問題なのだ.このように,非モテ男性向けの性的表現が,一般向けの性的表現よりも忌避されるのは、感覚として自然である.(これは、「単に非モテ男性や作品自体を嫌っている」のとは似て非なることには注意が必要である)
このため,ある性的な絵がフェミニズム的に非難されるとき,「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけではなく,「画風,タイトル,セリフ,知名度などを総合して,一般人にとって,『非モテ男性向け』なイメージがある絵かどうか」によって非難の程度が変化する.しかも,判断基準は客観的事実(実際に非モテ男性がそれを性的に消費するか)ではなく,主観的事実(一般人にとって,非モテ男性がそれを性的に消費しているイメージが湧くか)である.なぜなら,その社会の誰かが,非モテ男性が女性性を消費するイメージを持った段階で,その人の主観においてその規範が繰り返され,強化されると想定されているからである.峰不二子,セーラームーンや芸能人の有害性よりも,オタク絵の有害性が強調されるのは,一定数の人は,知名度の低いオタク絵に対し「非モテ男性向けの性的表現」というイメージを持つからである.
ここで最も重要なのは,上記のフェミニズム的文脈におかれた,非モテ男性の立場を配慮することである.上記を雑に換言すれば,「モテ男性の好みの女性像は,多少性的に表現されても問題になりにくい」「非モテ男性の好みの女性像は,少しでも性的に表現されれば問題になりやすい」ということだ.しかも,それは,しばしば,事実と異なるイメージにより一方的に判断される(例:「実際にはエロの要素が少ないマンガでも,作品を知らない人から一方的に,絵柄からオタクが性的に消費する姿が想起されるために公的な場には不適切だと判断される」).つまり,男性の間には,女性にモテる/モテないの格差に上乗せして,好みの女性像が持つ市民権にさえ格差がある.非モテ男性の立場からすれば,これは控えめに言って不平等であり,もっと言えば差別的である.社会から女性差別的な規範を排除する試みは,自然に,非モテ男性差別的な側面を持つことを認識するべきである.
フェミニズムがこの差別的側面を無視するのは得策ではない.無視するための手段としてよく見られるのは,性的な表現を非難する際,もっぱら「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけを議論し,「表現の対象(非モテ男性向けか,一般向けか)」の影響は無視するというものだ.一見,これは,非モテ男性だけを問題視しない,公平な態度である.しかし,表現の対象に依らず,同程度に性的な表現の全てを非難するのは現実的でない.なぜなら,主張する本人すら必要性を実感していない様々な対象を非難する必要があるからだ(例:オタク絵への非難を正当化するために,峰不二子も非難する.しかし,本人も実際には,峰不二子には不適切さを感じていない).すると,フェミニズム的非難は無関心層・中間層には実感として理解されにくく,建前や自己目的化、更には単なる嫌悪表現と誤解される.当然,社会から性差別的規範を排除するためには,この無関心層・中間層からの理解が必要である.フェミニズムは,非モテ男性向けの表現を特に問題視するということを認めなければ,社会から女性差別的な規範を排除することは難しい.
以上から,フェミニズムが性的な表現を非難するときには,まず,「非モテ男性向けの性的表現を特に問題視する」という立場を認めるべきである.その上で,非モテ男性に与える不平等感について自覚・配慮し,主張をするべきである.どちらの立場にとっても,一面的な正義を主張することは,火に油を注ぐだけである.
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