はてなキーワード: シュレーディンガーとは
(※ 僕個人の感想です)
E=mc^2
運動量 p=0 の時は確かに成り立つので全くの嘘ではないとは言え、なぜこんな中途半端な省略がされたのでしょうね?
略すならいっその事自然単位系を取って E=m でも良かったのではないでしょうか。
『あの星の光は太古の輝き。今見ているのは過去の星の姿なのよ。相対性理論ってロマンチックね』
何か僕が重大な勘違いをしているのかもしれません。
聞いてみたいのですが、聞き返すといろんなフラグをへし折る気がして質問すら出来ません。
僕の部屋が汚れるのはエントロピー増大の法則のせい
「部屋に冷たいビールを置いておくとぬるくなり、部屋の気温はちょっと下がる(熱平衡状態)。その逆は起こらない」くらいの意味です。
それがどうして部屋が散らかる理由になるのかわかりません。
そもそもエントロピー は
で定義されるのですが、部屋の散らかり具合を表すエントロピーなんて何の自由度をどう数えればいいのでしょう?
ひょっとしたら、部屋の散らかっていく様子を空気分子や水中のイオンの拡散する様子に見立てたジョークが一人歩きをしてしまったのかもしれません。
言うまでもなく、部屋が散らかるのはエントロピー増大の法則のせいではなく僕のせいです。
シュレーディンガーの猫とか多世界解釈とか
トンデモさんにも一般のひとにも大人気でものすごく触れにくい話題です。
控えめに言っても、現在の大学では学ばないし教科書にも載っていないとだけ。(コラムとか小話的に載っている事はあるけど)
念のため言っておくと、観測問題自体がトンデモという訳ではなく、それを調べる研究者もいますがそれはネット上で人気のあるものとは別物かと思います。
具体的には 人の精神が〜とか多世界解釈みたいな単語が出てきたらブラウザバックしていいと思います。
ところで、シュレーディンガーの猫はもともとは「波動関数の収束はいつおこるのか?観測装置も含めるべきか?」といった指摘だったようなのですが(知らない)、
といった具合に変質して伝わってしまったようです。重ね合わせなのは確率(状態)であって猫やパンツそれ自体ではないんですけれどね。シュレーディンガーも草葉の陰で泣いている事でしょう。関係ないですがシュレーディンガーはロリコンです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エルヴィン・シュレーディンガー#.E6.80.9D.E6.83.B3] (あれ、リンク貼れないな・・)
引用者注 正しいリンクを貼ります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エルヴィン・シュレーディンガー#.E6.80.9D.E6.83.B3
注ここまで
上記のトピックが哲○ニュースとかカラパイ○などでブックマークを集めていることがあります。
コメントをよく見てみると「角運動量の合成が出来るようになってから言えよ」「井戸型ポテンシャルでも解いてろ」と言ったたぐいのブクマコメントがちらほら見られます。せっかくなのでちょっと解説しておきます。
(高さ無限大の一次元)井戸型ポテンシャルとは量子力学における最も簡単な問題で、物理学科生で解けない人はおそらくいません。
仮にいたとしても落第するでしょう。なぜならば量子力学のテストでそれ以上簡単な問題を作れないからです。
「角運動量の合成も出来ない奴」
これも上記と同様の煽り文句です。足し算も出来ない奴、九九も唱えられない奴、くらいの意味です。物理学科生をガチ切れさせるのでリアルでは使わないように。
トンデモ系サイトにこれらのコメントがつくのは「トンデモさんにはわからない、物理学科生にのみわかる煽り文句」になっているからでしょうね。
偉大なる元増田様
でもコレさすがに釣りかな。。。突っ込んだら負けかな。。。とか思いながらも突っ込まずに居られない
E=mc^2
単に質量をエネルギーに換算する式、というだけ。Eはmの質量を持つ物体の全エネルギーを表しては居ない。
お前の「相対的」ってなんだよ?
見えているものは「現時点」の姿ではない。
「相対的」って、お前は向こうにも人がいたら同じように思ってるだろ?とか言いたいの?
思ってる、とかじゃなくて、事実、そうだけどな?
テレビの中継とかで音声が遅れるの見た事ないの?それから理解できないの。。。?
いや、そうだけどさ。上の2つと意味が違いすぎるんだけど。なんで並列してるの?違いも分からないの?
といった具合に変質して伝わってしまったようです。重ね合わせなのは確率(状態)であって猫やパンツそれ自体ではないんですけれどね。シュレーディンガーも草葉の陰で泣いている事でしょう。関係ないですがシュレーディンガーはロリコンです。
2chとかで出てくるとかってお前が言ってるのは、
お前レベルのバカどもが言葉の意味もわからずに(もしくはわかったと勘違いして)使ってるだけの話だろ。
で、あんたはどこの物理学科なの?進学できんの、そんなんで?何してんの?
相対的でなくて元増田は「相対論的」だから。星の発光は光速で伝播するわけで、相対性理論では光速を時間の基準に取るからこちらで見た光と発光された光は同時刻ということかと。あってると思うが
相対的、と書いてるのは確かにおかしくて「相対論的」のつもりで書いてた。
相対論では高速を時間の基準でとるからこそ、光が放出された時間とその光が補足された時間、その2箇所の距離が0でなければ絶対に一致しない。
見た光と発光された光が「同じもの」ではあるがどう時刻ではない。
最初に鳥山明が悟空という主人公を思いついたとき、それはまだ漠然としたキャラクターでしかなかった。
自らの思いつきに興奮した鳥山明は、熱狂のままにアイディアを生み出したり、没にしたりしていた。
やがて、少し落ち着いた鳥山明は、そこで作品の構想を一気に固めた。
たくさんの脇役を生み出し、様々な設定を付け加えた。
インフレーション理論では、宇宙は誕生直後の10-36秒後から10-34秒後までの間にエネルギーの高い真空(偽の真空)から低い真空(真の真空)に相転移し、この過程で負の圧力を持つ偽の真空のエネルギー密度によって引き起こされた指数関数的な膨張(インフレーション)の時期を経たとする。
古典的な理論における真空は「物質もエネルギーも無い空間」であるが、量子論における真空は仮想粒子の対生成と対消滅が常に発生しており、決してエネルギーがゼロの空間ではない。
つまりこの「真空」ってのは、「無」と言いつつも「何もない」ってわけじゃなくて、なんかエネルギーを持ってるらしい。
高いエネルギーの真空(興奮した鳥山明)から、低いエネルギーの真空(落ち着いた鳥山明)に変わることで、
放出されたエネルギーが宇宙を爆発的に膨張させた(作品の構想を一気に固めた)ということらしい。
もう一度、インフレーションに戻る。
この急激な膨張の直接の結果として、現在我々から観測可能な宇宙全体は因果関係で結び付いた (causally-connected) 小さな領域から始まったこととなる。この微小な領域の中に存在した量子ゆらぎが宇宙サイズにまで引き伸ばされ、現在の宇宙に存在する構造が成長する種となった。
真空の中には「量子揺らぎが存在する微小な領域」があったらしい。
量子揺らぎとは何か?
電子などの位置は(中略)確率で表現される。確率でしか表現できないということは,一点に静止し続けることは不可能であり,常に揺らいでいることを意味する。これを「量子揺らぎ」という。
たとえば、俺の右側に増田が立っている確率が50%、左側に増田が立っている確率が50%だとすると、
「増田は動いてないはずなのに見るたびに右か左か変わる」ことになる。
有名なシュレディンガーの猫ってやつだな。
そういう揺らぎを持った領域(いろんなアイディアが入った構想)が爆発的に膨張したから、いまの宇宙にも揺らぎがある。
揺らぎがあるから、ドラゴンボールの登場人物が全員悟空の顔をしているということもなく、なんか個性があったりするらしい(たくさんの脇役・様々な設定がある)ってことだ。
小さな火の玉が突然爆発してでっかくなって…って、意味わかんねーよ!ってその論文聞いていた人思わなかったの?
どこに何故存在していたんだよ。
そりゃ当然思われた。
そもそも、ビッグバンという単語はまさにその「意味わかんねーよ!」という側の人が言い始めた言葉で、
火の玉が爆発して宇宙になるわけねーだろ馬鹿か、みたいな意味が込められている。
火の玉宇宙論が受け入れられる前は、宇宙は無限の過去から無限の未来までずっと存在し続けるという定常宇宙論が
主流だったので、宇宙は膨張しているという説が出たときはそんなわけねーだろという人も多かった。
宇宙が膨張しているなら、過去の宇宙はもっと狭くてさらに言えば過去のある時点で宇宙は1点になってしまって、
そこから爆発的に生まれたことになるじゃないか、意味わかんねーよ!……というわけだ。
ちなみにシュレーディンガーの猫も経緯が似てる。これは、シュレーディンガーさんが
半導体関連の技術者としてまったく同見解。表面的な原因は開発スピードの遅さにあって、その根本原因は研究に特化した人材を育てない愚かな企業体質にあると思う。
日本の企業の人材育成というのはマルチ指向で、要するに何でも出来る・いろんな事が出来る人材が良い、という風潮がそこらじゅうに見受けられる。これを研究所にまで適用して、やれ5Sだの環境教育だの、会社の経営状態がどうだのこうだの説明してみたり、使いもしない英語の授業だの、社員間の交流活性化だのといった、R&Dと何の関係もない何の意味もないくだらない事に、全工数の3~4割は割かれている。
人材登用のやり方もそういった方針に従っている。潰しの利く、何でも出来そうな学科を出てきた学卒や、せいぜいマスターあたりのみ拾う。機械工学や化学工学あたりの、おおよそ機械は何でも使えていろんなデータが取れて、どこに配属してもそれなりに使えそうな人材に重きを置く。そういう奴等はメカニズムというコトバに弱い。演繹的な発想が出来ない。帰納的な開発しか出来なくて、出てきた結果に適当な理由をくっつけて、こうでした、という報告しか出来ない。データは溜まれど、知恵は貯まらない。
ウチの会社(財閥系でそれなりのところだ)のR&Dには、工学系でマスターのくせに「結晶転移」だとか「エネルギーギャップ」だとか言われて、ナンですか?それ?って奴がゴロゴロしている。高校生レベルの行列の演算も出来なくて、シュレーディンガー式を解ける奴なんていったら確実に1%を切るだろう。
連中は装置は一応使えるよ、熱分析も出来るしSEMもTEMも使えるし、XRDもFT-IRもESCAもNMRも使えるよ、マニュアル通りに。もちろん仕組みは知らないけど。
こういう事がいかにバカかと思ったのは、サムスンに訪問した事が切欠だった。あそこの技術者は末端でも、適当な学会に行って自分の専門分野外で一説ぶってこれるくらいの頭は持っているんじゃないか。とにかく凄いの一言に尽きる。日本の技術者は負けて当然だと思う。科学に対するセンスも桁違いだし、学ぶ事が好きで熱心な連中だと思える。サムスンはマルチな人材は欲していないようで、適材適所。日本の企業とは違う。
まぁ、一番は給料だろうか。日本ってなんで、研究開発部署の奴が、工場労働者と同じ額なの?下手したら「入社以来の年数」の分だけ少ないんだけど。
2011年、夏。
未曾有の災害と共に発生した史上最悪と言われる原子力発電所事故により関東以北では電力危機が生じていた。あらゆる場所で電気が足りないため、経済は縮退し失業率は上昇、被災地復興すらもままならない状況に人々は疲弊し、絶望していた。日本はもう終わコンだ、と誰もが思っていた。
E官房長官は滝のように流れる汗をぬぐいながら、よりいっそうの節電の協力を求める会見を行っていた。
飛んでくる野次。頭を下げるたびにたかれるフラッシュのせいで会見会場には熱がこもり(もちろんクーラーなど不謹慎なのでご法度である)、うだるような暑さに拍車をかけている。
彼とてこれ以上の節電が無理だということは分かっていた。停電が頻繁に発生するせいで製造業は壊滅的なダメージを受け、GDPは10%はおちこんでいた。失業率に至っては15%以上の上昇だ。物価の上昇率も著しい。
「節電してればどうにかなるのかよ! お前がどうにかしろよ!」
Eは汗を拭った。マスコミの記者の態度は日に日に悪化している。それにともなって世論も完全な逆風となり、いまや政府は転覆寸前だった。震災の直前に外務省を辞任したMの運の良さには驚きを通り越して腹立ちさえ覚える。しかもこんな時に限ってHが「放射能はシュレーディンガーの猫のようなもの、見てみるまでは存在しているかどうか分からない」などという素人にも間違いだとわかる迷言をのこしたりなどしている。後ろから味方に撃たれるとはこのことだ。
「まず一点は、首都圏における新規発電方式の、採用で、えー、ございます。本日より、首都圏の主要駅を中心に新方式の発電装置を稼働しております……」
手始めに政府はラッシュ時の駅及び電車に床発電装置を埋め込んだ。発電量は微量で実用的ではないと言われていた床発電だったが、殺人的なラッシュ時の発熱量は彼らの予想を優に越え、鉄道への電力供給を賄うことができたのだった。
人が活動するだけで電力が発生するのだ。しかもこの発電による排出物はせいぜいうんこである。なんというクリーンな発電方法だろう。
はじめは懐疑的な主張が主だった世論はこの実験によって一変し、一挙に床発電装置が首都圏一帯にばらまかれた。道路は瞬く間に敷き替えられ人が歩くだけで発電が行われるようになり、なんと10万キロワットの発電を可能にしたのである。歩くだけで発電ができるという手軽さのためかあるいは通勤ラッシュの激化に嫌気がさしている人が多かったためか、またたくまに通勤、通学は徒歩もしくは自転車に変わった。政府の発表によれば、このことによって肥満人口は27%も減少したという。
この他にも、各産業は人の活動――正確に言えば活動による圧力変化が起こりうる場所を血眼になって探し、研究開発に人材を突っ込んだ。圧、とにかく圧力変化を探せ、何でもいい。特に大きかったのは繊維から電気が取れるようになったことだ。服の伸び縮みだけでなく、その繊維を使った布で作った服を着た人が押されたり押し返したり――要するにまたラッシュである――すると発電が起きる。充電程度の電力なら服からまかなえるようになったことで、電力所からの配分は若干減少した。
この発電方式が予想外の供給を可能にしたことを受け、すべての原発は停止した。原発が停止したことにより25%程供給率が下がったが、人々は不足分を補うために一心に発電に励んだ。停電は頻発したが、それでも原発を使わないことを人々は選択したのだ。原子力発電所をすべて停止するというのはKの思いつきだった。世論もそれを求めていた。一部の識者がわかったような顔で発電所を止めると云々と述べたが、そんな言説は一捻りで闇の中に葬り去られた。
人々は自分たちの使う電力を作るために仕事をし、あえてラッシュの電車に乗り、あるいは車を捨て街を歩き回った。人の活動によって作られる電気は微々たるものではあったが、それでも彼らが活動をやめればとたんに電力不足が発生する。
だから電力を作らない人々は糾弾され、あるいは疎ましがられるのは当然の流れだった。
電気を使う一方の病人、活動量が少ない老人に対する風当たりは日に日に強くなっていたし、さらには引きこもりに対して課税処置――のちに「動かざるもの食うべからず法」として後世に名を残す悪法が満場一致で可決されて以来、彼らはただ風の前の塵の如き存在と成り下がっていった。
そして二年が過ぎた。
電力供給量改善の成果が評価されたのか、あるいは非常時に国のトップがすげ替わることを世間が求めなかったせいなのか、幸いなことにK政権は低空飛行を続ける支持率を保ったまま存続していた。その間に首脳陣が国民を「発電装置」と呼んで批判を受けたり、病床者を「発電能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」と発言して集中砲火を浴びていたりなどしたが概ねしばらくすれば収束する程度の騒ぎだった。
それよりもっと大きな問題が立ちふさがっていた。
「自殺者十万人、過労死が二十万人を超えたことについてどうお考えですかぁ」
頭の中がさぞかし軽そうな女が無表情に近い薄ら笑いを浮かべて彼にマイクを向ける。
Eは汗を拭った。
日本経済は回復している、していたはずだった。だが、圧電装置の運用が開始して以来、過労死の件数は増える一方だった。従来の経済活動を維持しながら、圧倒的に不足している電力供給を補うための活動が必要なのだから過労死もむべなるかなである。加えて効率的な発電を行うために電車の運行時間が制限されたことにより、通勤ラッシュが激化し、三日に一度は圧死者が出ているという報告も受けている。どうって、なにがどうだと言うんだ、と腹の中で毒づきながらEは原稿の文章を噛み砕き、どうとでも取れる無難な回答を続けた。
俺だってこんなことやりたくてやっているわけじゃない、とEは思った。会見中もひっきりなしに足踏みをして会場設備のために発電をする。記者が必死でキーボードを叩いているのだって、キーボードの打鍵で発電をしているからだ。そうでもしないと電力の供給が追いつかないのだから。
新しい代替発電方式を……と頭を抱えながらEは報告資料を読んでいた。震災から二年がたつというのに眠っている時間のほうが少ないのはどういうわけだろう。すっかり頬はこけ、目は落ち窪み、このままではEも過労死するに違いない。そして足元でひっきりなしに点滅するいまいましい電力不足のパネル。
Kがあのとき原子力発電を廃止すると言いさえしなければ! あの男なやることなすことただ人気を取りたいだけなのだ。長期的な視野などあるわけがない。
くそっと彼が声を漏らしたちょうどその時、ふっとすべての電気が消えた。鼻先も見えない暗闇がEを包みこむ。
Eはあたりを見回した。停電だ。停電予報が放送される程度には停電はよくあることだが、議員宿舎での停電は初めてだった。よっぽど電力供給が足りないのだろうか。夜間だから工場の発電がないとしても10%程度の余裕があったはずではないのか。そういえば近々ストライキが起こるう可能性が高まっているという報告はうけていたが、ついに来たのだろうか。ストライキをするのはとても簡単なことだ。活動をやめればいいのだから。プラカードを持って大声を出すよりもずっと簡単にできる、消極的ストライキ。静かな抵抗。それこそがEの最も恐れている事態に他ならない。
Eの考えがまとまる前に、携帯電話が振動を始めた。きっちり五回分のコールを待って――コール五回分の振動で約一分間話すことができる――電話を取る。声を聞いてすぐに分かった。官房副長官のSだ。
「おい、停電しているぞ! 一体これはどういう事なんだ、T社から事前に周知もなかったじゃないか」
ちっと舌を打ちたいのをこらえてEは瞼を押さえた。いくらEの方が年下だとは言っても、長官はEだ。つまり彼はSの上長だ。なぜこの男はせめて丁寧語で話さないのだろうか。苛立たしい。
「いえ、私の方にも報告は――」
「どういう事なんだ!」
「T社に問い合わせてください……」
「なんだと! 俺を誰だと――!」
思わずかちんと来てしまったことは否めない。だがEも限界だったのだ。
「それがあなたの仕事でしょう! 私はT社のスポークスマンでもなければ、カスタマーセンターでもないんだ! 電力不足は官邸で起きてるんじゃない! T社で起きてるんだ!」
怒声が耳に届く前に彼は通話を終了した。携帯電話を机の上に放り出し、ベッドに潜り込む。腹の底からくつくつと笑いが漏れてくる。
彼は笑った。笑いながら眠りに落ちていった。夢は深い眠りの中に現れなかった。
この日記は、http://anond.hatelabo.jp/20100507012152の続きです
受付カウンターのこちら側には説明係
とても丁寧だった
他の客は、入ってきてもすぐに待合室へ連れて行かれるので
「抜きナビ」の割引券を適用させていただきます
その他オプションはよろしいでしょうか?」
そう言ってオプション表を見せてもらう
パンティー持ち帰りや、バイブ、オナニー鑑賞などのひと味違う系(有料)がある
だからパンティー持ち帰りに強く惹かれた
「すみません、この、……Aのこれをお願いします」
「はい、Aのパンティーお持ち帰りですね
その他よろしかったでしょうか」
「はい」
「ではこちらから、お好みのパンティーをお選びください」
小さな多段型引き出しの中に
パンティーがたくさん詰まっていた
僕はロリコンの傾向があった
万が一にも女の子が、黒や赤の大人っぽい下着を着けてこられては
画竜点睛を欠くこと必至であった
僕は白色でピンクのリボンの着いた、子供っぽいパンティーを選択し、受付に渡した
「では全部で17000円です、ホテルの代金は別途2500円必要です」
僕はお金を支払った
「すみません、ユメちゃんですが、少し遅れるとのことです」
「はい、構いません」
「まだお時間もありますが、待合室でお待ちになりますか?
外出されますか?」
「外でブラブラしてます」
「ではこの外出証カードをお持ちください」
「はい」
「遅くとも17時までに、お店にお戻りいただき、カードを受付までお渡しください
お客様ご退店です、行ってらっしゃいませ」
外に出た僕は、近くのゲームセンターに立ち寄った
腕時計を見ると16時30分
UFOキャッチャーコーナーを見ると、アルパカの縫いぐるみが多数
その後ブラブラして16時55分に再度お店へ
お店へ戻りカードを渡すと再び待合室へ通された
待合室はやはり異様な雰囲気で落ち着かない
暫くすると、声をかけられた
準備が整ったので、ホテルへ向かってください、とのこと
再度見送られ、ホテルへ向かう
お店の、まさに目と鼻の先にラブホテルがあった
ラブホテルに入るのは初めてだった
ホテルの人は、チケットを見ただけで、すぐに全てを理解したようだ
部屋の中は、ベッドの上に枕が2つ、暗めの照明
コンドームが置いてあること以外は、ビジネスホテルと変わらない
女の子はいつ頃来るのだろうか
落ち着かず、部屋の中を歩き回ったり、用を足したり、歯磨きをしたり、髪を整えたりした
17時15分
ドアにノックがあった
僕はドアを開けた
「こんにちは、遅れちゃってごめんなさい、ユメです」
黒髪の小柄な細身の子だった
顔は、写真で見たのよりも可愛かった
声もすごく可愛かった
黒髪、黒髪負けしない童顔
これはやばいと思った
「この風俗店の子は、み~んな18歳以上だよ、お兄ちゃん」
という声が、エロゲ「はじめてのおいしゃさん」の、朝倉ゆうなの声で再生される
おそらく、18歳以上なのだろう
公的書類が観測されるまで、
18歳以上なのか未満なのかなんて見た目だけでは分からない
「失礼ですが何歳ですか?」
「19歳です」
「…とても19歳には見えないって」
「もっと年上に見えるんですか?」
「いや中学生ぐらいに見える」
「笑」
スカートの下に少し、ひざが見えた
僕は女子中高生の脚が好きだった
その、いつも憧れているけど
手の届かない/届かなかったひざに、今から触れるんだろうか?
とか、そんなことを考えていた
50:00
「まず一緒にシャワーを浴びよっか」
「うん」
女の子は服を脱ぎ始めた
僕は気恥ずかしかったが、
女の子の裸なんて見慣れてるんだからな!という強がった雰囲気で
必死の澄ました顔で服を脱ぎ始めた
「その…」
「?」
「すごく、かわいいね」
「あ、これかわいいよね」
「いや、君が」
ありがと(笑)」
お湯の入ってない浴槽に、裸の女の子と向きあって立っている
女の子が小柄で、僕は背が高い方だったから
僕は貧乳が好きなロリコンだったので、Bカップの子を選んでいた
今目の前にあるこれが、Bなのか、それときれいな肌
と、固唾を呑んで観察していた
やばい長くなってきたな
また続きます
http://anond.hatelabo.jp/20100509150510
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トラバ返信
なぜ重度のコミュ障・非コミュだったのによりによってCコースを選んだんだ?Aコースにしておけばよかったじゃないか。最初しゃべらずにすむのに。
だって彼女できたことが無いんだもん
非コミュだけど「恋人とニャンニャンしたい」っていう思いの方が勝った
憧れだったんです
値段設定オプション番号なども、少し改変してます、ごめんなさい
何か具体物に引き寄せてイメージするようなやり方は良くないんでしょうか。
良くないっていうか、破綻すると思うんだよね。シュレーディンガーの猫とかパウリの排他原理とか。
大元の「原子核と電子の間」っていうのがそもそも微妙で、電子ってのは(原子核もだろうけど)粒であって粒じゃなく、ハッキリとした境界をもたない、電子の存在と不存在が重なり合った状態を生み出していて、それが他の原子との関係で引力や斥力となって、原子がくっついているともくっついていないともいえない状態で振動していたりするわけで。
で、これを逆に言えば、原子のほとんどは電子の存在と不存在が重なり具合による空間ってことになる。
んですよね?たぶん。
ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。
昔オーディオの新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンのオーディオマニアに向けてこういうことを言った。
完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。
すなわち:
これは明らかにおかしい。
オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている
しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。
これが有名なシュレーディンガーのオーディオシステムというパラドックスだ。
昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験)
その後、1905年にアインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。
数学者だったクルト・ゲーデルはオーディオマニアだったことでも有名だ。
彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデルは自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分の言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。
すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。
日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。
このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニアは市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。
もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。
このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者の名前を取って、フェルミ・ディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。
なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。
同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計も発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニアを想像できなかったことからこの統計は採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。
転機は90年代半ばに訪れた。自分の意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニアが尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験は危険であるとして禁止されている。
やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。
僕はたぶん非モテで非コミュで、それでいて、たぶんとか関係無しに間違いなく童貞である。
だが、生まれてから一度も彼女がいなかったわけではない。相思相愛という関係を体験した事がある点では、彼女いない歴=年齢ではない。つまり中途半端。
その彼女というやつが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女であったかどうかは怪しい。僕にとってその女の子の事を彼女と認識したことはないし、きっと向こうも僕のことを彼氏と認識しては……いや、向こうのことはわからない。女の子は早熟であるし、恋愛というものに憧れるかもしれないので、その子の中では彼氏という言葉を感じていたかもしない。
まず年齢。ガキのお遊びであったとも言いがたいが、思春期という言葉を使うには早すぎるし、当時僕は勃起なんかした事なかったし、性についてはおぼろげにしかしらなかった。そんな年齢だった。
狭い世界で僕らはお互い好きだった。好きという気持ちも、どんな好きだったかはわからない。吊り橋効果に近い、密室効果があっただけなのかもしれない。そんな言葉あんの?でもなんとなくわかるだろ、そんな感じだ。
デートみたいな事はしたかもしれない。プレゼント交換なんてのはした。バレンタインは貰ってない。あとなんかあったっけ?なにもしてない。キスなんて想像も、きっとあの頃の僕にはなかった。あの子にはあったかもしれないけど。もしそうだとしたら、ごめんね。
だから僕はその子のことが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女ってやつであったかどうかはわからない。でも、実際には相思相愛だったわけだから。うーん、わからない。うん、多分何もわからない。これはあれか、シュレーディンガーの彼女か。そういうタイトルのライトノベルとか、あってもおかしくはないかもしれない。つかっていいよ。
1年ほどでその子との関係は自然消滅した。その頃から、全部、全部わかんなくなった。性欲も良くわかんないし、好きとかも良くわかんないし、彼女が欲しい気持ちも生まれたことはなかった。ただそれでも僕は単なるヘテロだし、その辺の大多数の人間と変わりないよ。まーそんなわけで10で神童だった僕は、こんなんが理由ってわけでもないけど、よくわからんうちにただのニートに成り下がった。頭はずっとあの頃のまま変わらなかった。
その自然消滅とやらから15年ぐらい経ち、こんな僕にも、生まれて初めてリアルで本気で好きな女の子が出来た。寝ても冷めてもその子のことしか考えられない。すげぇ、こんな世界があるんだなって思って泣いたりオナニーしたり苦しんだり温かい気持ちになった。非コミュなりに、俺の命!とか思って無理して色々頑張った。就職もした。それだけのパワーが、この恋ってやつにはあった。
でもその子、心が男の子だった。そっか、そうなんだ。彼女がいるらしい。なんかね運命らしいよ。そっかー。んで、良かったね、そういう人がいて。って言ったら、うんっていってた。かわいいなぁ。でも男なのか。そうかー。
僕はその子の幸せを祈る事にした。運命を引き裂くなんてとんでもない。それに、僕は男で、その子は実は男で、僕は女の子が好きで、その子は女の子が好きで、つまり何も噛み合わない。だからどうなんだ、とも思う。もちろん誰が悪いなんてこともない。そして多分これ以上何もないのだ。あの時の彼女のように、何もないのだ。これでいいんだ。このままで。
ただ未来が少しだけ、自分にとって明るいもののような気がしているのは、その恋によって磨かれた自分が、ここにいるからなのだ。思い込みかもしれないけど、そう思い込めるようになっただけでも……いいのかな。
買い物の途中で急激な糞意をもよおした俺は、やっと見つけたトイレに駆け込み、排便を済ませた。
なんの気なしに床に目をやると、なにか白いものが目についた。
よく観察してみると、それが使用済みの生理用ナプキンであるとわかった。
…あれ?ここ、男子トイレ、だよな…?入るときちゃんと確認…あれ?してなかったかも。
あれ?記憶にない。なんで? 男子トイレなら絶対小便器あるよな…?兼用でもあるし。
え?俺間違えて女子トイレ入ったの…?
結局、意を決して個室のドアを開けると、目の前には小便器があった。
ただ急いでたので目に入らなかっただけのこと。
ナプキンが落ちているだけで、自分が男子トイレに入ったかどうか自信がなくなるなんてなんと情けない。
何冊かの本を読んだだけなのであれだが、「猫」は量子論に確率を導入することに疑問を持ったシュレーディンガーが持ち出した話ということで一致してた。
そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?
いやそれは違う。
黒体放射とか原子の安定性とか(詳細は説明しない、ぐぐれ)、古典力学的な理論の帰結と矛盾するような現象が次々と見つかって、個々の現象を説明するためのアドホックな理論がその都度できてきたんだけど、それらをつなぎ合わせたところできたのが「量子力学」という理論体系だった。
で、これが数式レベルではともかく、その解釈としては理解に苦しむ部分があって、今までの物理学のように事前の情報から現象を原理的に確定的に予言できるということがなく、確率的にしかものが言えないということがわかってきた。
だとすると、で、問題はその「確率的」というのが見かけ上のことなのかそうでないか、だ。つまり、情報が不足しているために物事が一見確率的に起こっているか(くじ引きが当たりかはずれか、みたいな話ね)、それとも本当に確率的にランダムにしかものごとが起こっていないのか、ということが議論になった。で、色々試した結果どうも前者の解釈では辻褄のあわないことがいくつもあるだろうということはわかってきたのだが、問題は前者と後者の線引きでこれがそう簡単ではなく、「観測」が混乱の原因だというのはわかってきたんだが、本当に物理的に意味のある「観測」とは一体何か、ということで揉めたわけだ。その話の中で一番極端な例として挙がってきたのが「シュレーディンガーの猫」というわけなんだが、確かにこの解釈を否定する根拠も難しかった。まして実験で確かめるとなると原理的にも装置の制約上も問題が当時はあった(現在でもある)。
実用上の問題としては、こんな細かい話を無視しても「使う」ことは十分可能で、例えば半導体を作ったりするときにはこんなことは気にしなくてもよかった。それで、現在に至るまで大半の物理学者・化学者はこの話を棚上げして理論を「使う」側にまわっているんだが、一部でどうしてもこの問題が気になるという人がいて、本業のかたわら時々手を出したりしているというのが現状なんだよ。
俺もシロウトなんだけどね。
別に、「観測したことが観測対象に影響を与える」なんてことは全然珍しいことでもないんだよね。
というか「観測は必ず観測対象に影響を与える」というのが量子力学なんじゃなかったっけ?
古典力学は観測者を系に含めないけれど、実際には系外から観測することは出来ない。
そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?
でもって、シュレーディンガーの猫なんだけれど、結局あれは一番わかりやすく真っ当な見方、解釈の仕方はどれか、って話だよね。
鉛筆に重さを感じるのは、地球と鉛筆に引き合う力が働くから、と考えるのか、地球に向かって落ち込む空間に抗い加速させてるから、と考えるのか、そんな話じゃないのか?
申し訳ないが俺も情報系だよ。ただし、近所に量子コンピュータやってた人間がいたから門前の小僧式に知ってただけだ。
で、そんなことはいいんだが、別に「わかってないお前らはバカだ」と言ってるわけじゃない。なんでそこ勘違いするかなあ。
「知った風なことを言うならちゃんと勉強してからにしてくれよ、みっともないから」と言ってるだけじゃないか。それにケチをつけるからああいう風にきつく言ったまでで。
いや、「シュレーディンガーの猫」というと自分が頭がいいように見せられるだろ?そういうファッションで言ってる奴が多いから腹が立っただけだよ。
意味もわからずにマルチメディアだのIT革命だのと言って「さすが先生、博識ですねえ」なんて言われてる奴がいたらバカだと思うだろ。そんなのとっくに死語だろと。それと同じ。
あのねえ、あんたの思ってるほど簡単な話ではないよ。量子力学の観測問題ってのは、キワモノといわれつつも細々と研究分野として続いているんだから。そこまで言い切るのは逆にあんたがわかってないという証拠だと思うけどね。
まして、物理を専門にしてない人間で正しく理解している人間なんて俺は見たことないけどね。世の中の人間から「シュレーディンガーの猫」という言葉が出たときは99%、俺が最初の増田で書いたのと同じ間違いをしている。
ウソだと思うなら例えばこれ、自分で確かめてみな。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%b7%a5%e5%a5%ec%a5%c7%a5%a3%a5%f3%a5%ac%a1%bc%a4%ce%c7%ad
あのさー、「シュレーディンガーの猫」の喩えを日常生活に持ち込むのは勝手なんだけど、もうちょっとちゃんと解釈してくれないかなあ?
別に、「観測したことが観測対象に影響を与える」なんてことは全然珍しいことでもないんだよね。横たわってる人間を生きてるかどうか調べるために殴りつけたら、単に寝てるだけだったらぶち切れて殴り返してくるだろうよ。これも「観測が対象に影響を与える」立派な事例だ。そんなことが20世紀になるまでわからないほど物理学者がバカだったとでも思われてるのかなあ?
別に確率が絡んだら特別なことが起こるっていうわけでもないんだよね。たとえば、宝くじの抽選結果を見るまではこのくじは「当たり」と「外れ」の重ね合わせだなんてバカなことを言う奴は誰もいない。もちろんそういう言葉づかいはできるけれども、それが「物理」でないのは明らかだよ。
問題は、何が「観測」かということなんだ。これはまたややこしい話があるので省略するけど、少なくとも日常生活で「見る」とか「ヲチする」とか、そういう言葉で表現できるものと等価なものが物理的な「観測」だってのは明らかに間違いだからね。そこだけはいっておくよ。
えらく時間がかかったんだけど。どのくらい時間がかかったかと言うとたっぷり20年かかったんだけど。ブラケット記法で考えるのが多分一番近道だよな。
状態1をあらわす<φ1|があって、状態2をあらわす|φ2>がある。で、状態1から状態2に遷移する確率は<φ1|φ2>であらわされる。
これがブラケット記法。ただし、結果は複素数なので本当の確率は結果の絶対値であらわされる。そこはあんまり本質ではない。問題は状態1をあらわす<φ1|が行ベクトルだってこと(状態2は列ベクトル)。ベクトルの長さは無限大。それぞれの要素は複素数。二つのベクトルの内積をとるから、結果はスカラー(複素数)確率になるけど、じゃ、遷移する(内積を取る)前って何なのよってことになる。
で、上の|φ2>を観測された状態(たとえば右の穴を通った)と考えると、観測することによって、古典力学で理解可能な「右の穴を通る確率」に落ちてきた。確率はスカラー。でも、観測する前は確率に対応する複素数を無限個もつベクトルってことになる。
俺の理解だと「じゃぁ何かい」って言ったのがシュレーディンガー。
<φ1|を、観測前のブラックボックスの中の猫の状態と考える。|φ2>は観測後に猫が死んでいる状態とする。猫が死んでいる確率が<φ1|φ2>であらわされるのはいい。スカラー確率だから。だけど、観測前の猫が<φ1|ってのはどういうことだ?ベクトルの要素の数が無限だということは、猫は無限個の「ありえる状態」の重ね合わせってことかい?そんな馬鹿な話はないだろう。
これがシュレーディンガーの猫のパラドックス。中年に差し掛かって量子力学に手を染めたシュレーディンガーが、青春時代から量子革命に首を突っ込んだ世代についていけなかったことをあらわすエピソード。ていうか、これがまっとうな感性だよな。
古典力学では式のそれぞれの項に実世界と連結する意味がある。たとえばa=f/mって式は加速度を求める式だけど、その計算に必要な質量と力は、ちゃんと実生活にあるものとして理解できる。だけど、ブラケット記法では、左のブラ、右のケットに対応する古典物理学的な意味がない。実生活からの体験で理解できない。ブラケット演算を行って初めて理解可能な確率が出てくる。シュレーディンガーの抗議は量子実体を古典的物理的な体験で理解できないとする姿勢への抗議だった。
そうだよ、重ね合わせになってる。変に思えるけど、そうなってる。理由は知らない。
量子実体は古典的には理解できないよ、と。これはその後「量子力学は料理本だ。背景の原理は知らなくていい。正しい結果が出るのだから」というCookbook派の中心教義になる。
もう少し突っ込んで考えると、我々は量子力学においては遷移確率としてか事象を捉えられないことになる。遷移しないものは認識できない。観測しないものは古典力学的実体を持っていない。こう考えると
我々が観測しないとき、事象は存在しないのと同義だ
という極論が出てくる理由もわかる。
…と、理解しているんだけど、これでいいかな。
難解な問いだね。考えたこともなかったよ。非常にユニークだね。
なにかの近似ではないのかと言われて、直感的におもいうかぶことはさ、、
原子の周りを電子が飛び回ってる単純なモデルがあって、それを特定するのは確率でしかないみたいな。
でも、時間をとめることができればそれがどこにあるかは特定できるじゃない?
この場合は「時間で切り取っている」というケースだけど、
何かで固着させたというか、スライスしたというか、サスペクトをとったというか。
いい言葉はみつからないけど。
「真実はひとつだけど歴史は見る側によって様々ある。」って言ってたけど、そんな感じ。
現実を偏見というナイフで切り取ると情報という面を読み解くことができるんだ。
いや、何いってるか自分でわからなかくなったのでみなさんそろそろ晩御飯にしましょう。