2011-03-18

発電器官はデンキウナギの夢を見るか

2011年、夏。

未曾有の災害と共に発生した史上最悪と言われる原子力発電所事故により関東以北では電力危機が生じていた。あらゆる場所電気が足りないため、経済は縮退し失業率は上昇、被災地復興すらもままならない状況に人々は疲弊し、絶望していた。日本はもう終わコンだ、と誰もが思っていた。

E官房長官は滝のように流れる汗をぬぐいながら、よりいっそうの節電の協力を求める会見を行っていた。

飛んでくる野次。頭を下げるたびにたかれるフラッシュのせいで会見会場には熱がこもり(もちろんクーラーなど不謹慎なのでご法度である)、うだるような暑さに拍車をかけている。

彼とてこれ以上の節電が無理だということは分かっていた。停電が頻繁に発生するせいで製造業は壊滅的なダメージを受け、GDP10%はおちこんでいた。失業率に至っては15%以上の上昇だ。物価の上昇率も著しい

「節電してればどうにかなるのかよ! お前がどうにかしろよ!」

国民死ねってのかよ! おい! Kを退陣させろ!」

Eは汗を拭った。マスコミ記者の態度は日に日に悪化している。それにともなって世論も完全な逆風となり、いま政府転覆寸前だった。震災の直前に外務省を辞任したMの運の良さには驚きを通り越して腹立ちさえ覚える。しかもこんな時に限ってHが「放射能シュレーディンガーの猫のようなもの、見てみるまでは存在しているかどうか分からない」などという素人にも間違いだとわかる迷言をのこしたりなどしている。後ろから味方に撃たれるとはこのことだ。

記者が静まるのを待って、Eは原稿を再び読み上げ始めた。

「まず一点は、首都圏における新規発電方式の、採用で、えー、ございます。本日より、首都圏の主要駅を中心に新方式の発電装置を稼働しております……」

後に有名になる首都圏発電所誕生の瞬間であった。

手始めに政府ラッシュ時の駅及び電車に床発電装置を埋め込んだ。発電量は微量で実用的ではないと言われていた床発電だったが、殺人的なラッシュ時の発熱量は彼らの予想を優に越え、鉄道への電力供給を賄うことができたのだった。

これはひとつ天啓だった。

人が活動するだけで電力が発生するのだ。しかもこの発電による排出物はせいぜいうんこである。なんというクリーンな発電方法だろう。

はじめは懐疑的な主張が主だった世論はこの実験によって一変し、一挙に床発電装置首都圏一帯にばらまかれた。道路は瞬く間に敷き替えられ人が歩くだけで発電が行われるようになり、なんと10キロワットの発電を可能したである。歩くだけで発電ができるという手軽さのためかあるいは通勤ラッシュの激化に嫌気がさしている人が多かったためか、またたくまに通勤、通学は徒歩もしくは自転車に変わった。政府の発表によれば、このことによって肥満人口は27%も減少したという。

この他にも、各産業は人の活動――正確に言えば活動による圧力変化が起こりうる場所を血眼になって探し、研究開発に人材を突っ込んだ。圧、とにかく圧力変化を探せ、何でもいい。特に大きかったのは繊維から電気が取れるようになったことだ。服の伸び縮みだけでなく、その繊維を使った布で作った服を着た人が押されたり押し返したり――要するにまたラッシュである――すると発電が起きる。充電程度の電力なら服からまかなえるようになったことで、電力所からの配分は若干減少した

この発電方式が予想外の供給可能したことを受け、すべての原発は停止した原発が停止したことにより25%程供給率が下がったが、人々は不足分を補うために一心に発電に励んだ。停電は頻発したが、それでも原発を使わないことを人々は選択したのだ。原子力発電所をすべて停止するというのはKの思いつきだった。世論もそれを求めていた。一部の識者がわかったような顔で発電所を止めると云々と述べたが、そんな言説は一捻りで闇の中に葬り去られた。

人々は自分たちの使う電力を作るために仕事をし、あえてラッシュ電車に乗り、あるいは車を捨て街を歩き回った。人の活動によって作られる電気は微々たるものではあったが、それでも彼らが活動をやめればとたんに電力不足が発生する。

から電力を作らない人々は糾弾され、あるいは疎ましがられるのは当然の流れだった。

電気を使う一方の病人、活動量が少ない老人に対する風当たりは日に日に強くなっていたし、さらには引きこもりに対して課税処置――のちに「動かざるもの食うべからず法」として後世に名を残す悪法満場一致で可決されて以来、彼らはただ風の前の塵の如き存在と成り下がっていった。

そして二年が過ぎた。

電力供給改善の成果が評価されたのか、あるいは非常時に国のトップがすげ替わることを世間が求めなかったせいなのか、幸いなことにK政権は低空飛行を続ける支持率を保ったまま存続していた。その間に首脳陣が国民を「発電装置」と呼んで批判を受けたり、病床者を「発電能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」と発言して集中砲火を浴びていたりなどしたが概ねしばらくすれば収束する程度の騒ぎだった。

それよりもっと大きな問題が立ちふさがっていた。

自殺者十万人、過労死が二十万人を超えたことについてどうお考えですかぁ」

頭の中がさぞかし軽そうな女が無表情に近い薄ら笑いを浮かべて彼にマイクを向ける。

Eは汗を拭った。

日本経済は回復している、していたはずだった。だが、圧電装置運用が開始して以来、過労死の件数は増える一方だった。従来の経済活動を維持しながら、圧倒的に不足している電力供給を補うための活動が必要なのだから過労死もむべなるかなである。加えて効率的な発電を行うために電車の運行時間が制限されたことにより、通勤ラッシュが激化し、三日に一度は圧死者が出ているという報告も受けている。どうって、なにがどうだと言うんだ、と腹の中で毒づきながらEは原稿の文章を噛み砕き、どうとでも取れる無難な回答を続けた。

だってこんなことやりたくてやっているわけじゃない、とEは思った。会見中もひっきりなしに足踏みをして会場設備のために発電をする。記者が必死でキーボードを叩いているのだってキーボード打鍵で発電をしているからだ。そうでもしないと電力の供給が追いつかないのだから

しい代替発電方式を……と頭を抱えながらEは報告資料を読んでいた。震災から二年がたつというのに眠っている時間のほうが少ないのはどういうわけだろう。すっかり頬はこけ、目は落ち窪み、このままではEも過労死するに違いない。そして足元でひっきりなしに点滅するいまいましい力不足パネル

Kがあのとき原子力発電を廃止すると言いさえしなければ! あの男なやることなすことただ人気を取りたいだけなのだ。長期的な視野などあるわけがない。

くそっと彼が声を漏らしたちょうどその時、ふっとすべての電気が消えた。鼻先も見えない暗闇がEを包みこむ。

Eはあたりを見回した停電だ。停電予報が放送される程度には停電はよくあることだが議員宿舎での停電は初めてだった。よっぽど電力供給が足りないのだろうか。夜間だから工場の発電がないとしても10%程度の余裕があったはずではないのか。そういえば近々ストライキが起こるう可能性が高まっているという報告はうけていたが、ついに来たのだろうか。ストライキをするのはとても簡単なことだ。活動をやめればいいのだからプラカードを持って大声を出すよりもずっと簡単にできる、消極的ストライキ。静かな抵抗。それこそがEの最も恐れている事態に他ならない。

Eの考えがまとまる前に、携帯電話が振動を始めた。きっちり五回分のコールを待って――コール五回分の振動で約一分間話すことができる――電話を取る。声を聞いてすぐに分かった。官房副長官のSだ。

「おい、停電しているぞ! 一体これはどういう事なんだ、T社から事前に周知もなかったじゃないか

ちっと舌を打ちたいのをこらえてEは瞼を押さえた。いくらEの方が年下だとは言っても、長官はEだ。つまり彼はSの上長だ。なぜこの男はせめて丁寧語で話さないのだろうか。苛立たしい

「いえ、私の方にも報告は――」

「どういう事なんだ!」

「T社に問い合わせてください……」

「なんだと! 俺を誰だと――!」

思わずかちんと来てしまったことは否めない。だがEも限界だったのだ。

「それがあなた仕事でしょう! 私はT社のスポークスマンでもなければ、カスタマーセンターでもないんだ! 電力不足官邸で起きてるんじゃない! T社で起きてるんだ!」

怒声が耳に届く前に彼は通話を終了した携帯電話を机の上に放り出し、ベッドに潜り込む。腹の底からくつくつと笑いが漏れてくる。

彼は笑った。笑いながら眠りに落ちていった。夢は深い眠りの中に現れなかった。

※この話はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは一切関係ありません。

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