「サルトル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: サルトルとは

2019-01-04

anond:20190104155321

アドラー読んだことないやん?

アドラーは バッサリ承認欲求否定やで
常に「自分がどうしたいのか?」やで

なので哲学微塵も興味ないけどサルトルアドラーならワイちゃんありなんや

2019-01-02

[] ネットでよくみる「生きる意味」だとか「やりがい」だとか「他人がどうたら」だとか

愛も芸術も娯楽も技術も生きるだけならすべて「要らない」もの

世界の主人は自分自身なのだから 何が 要る要らないも無い 好きに生きたらええやん 勿論、他人生命財産に害をなさな範囲でだけど


地獄とは他人のことだ」

人間本質はあらかじめ決められておらず、実存が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界意味づけ行為を選び取り、自分自身意味を生み出さなければならない」

人間はだれしも自分のおかれた状況に条件づけられ、拘束されているが、同時にあくまでも自由存在である。したがって、どんな局面においても人はその状況の限界内で自由に行動を選択しなければならないし、自由選択した以上は自分の行動に責任を負わねばならない。」


疎外とは外的条件によって自分の主人でなくなること

例えばマルクスは、疎外という言葉を、外的条件によって自分の主人でなくなること、事物奴隷になることの意味に使っている。

マルクスでは、資本主義制度の下での労働です。初期のサルトルはごらんのとおり、「まなざし」なのです。

したがって、マルクス場合は疎外の克服のためには社会変革が必要となるのですが、

初期のサルトル場合は、意識の変革、意識努力が求められる。


それにしてもサルトルはなぜまなざしを向けられることを他有化と考えるのか。

考えの筋道はこうです。

 

私はまなざし世界に向けることによって世界意味構成し、所有していた。

ところが他人まなざしが出現すると、今度は他人が私の世界構成し、所有し、私の世界は盗まれる。

そればかりか、他人が私にまなざしを向けると、私についての評価相手に委ねられ、自分自分のものではなくなってしまう、と。

しか他人いるかぎり、

そして他人自由であるならば、

私がこうした他有化を蒙(こうむ)るのは当然のことです。

そこでサルトルはこれを「自由受難」と呼び、「人間の条件」と考えている。


http://textview.jp/post/culture/22918


てつがく

??「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばかり優っている」

奴隷「(・・・コイツら暇なのかな?)」

ワイトも紀元前から受け継がれる コイツら暇なのかな?” 精神を支持しま

また、「人は感情の生き物で論理的理性的とか言うのは気のせい」と言っていた某・カーネルメンテナー意見を支持しま

論理的理性的というのはそうあろうとする信念及び態度であって性質ではありません

2018-12-26

anond:20181226172129

とか言うけどさ、ワイが「人は自分狂気共存でき、人生主人公として生きることができる」とかいうとスルーじゃん?

性の役割社会が作るって言うとスルーじゃん?

サルトルなんだけどね、哲学微塵も興味無いが

2018-10-22

教養の有無と人生の充実

社会人になって数年。最近痛感するのが教養の有無と人生の充実の相関だ。

年収が高く役職持ちな人はみな教養持ちだ」、といった次元が低いことが言いたいのではない。

教養のある人物はなんというか、充実感に満ちており有意義に生きていて感性も見た目も若い気がする。

趣味も多いし、フットワークも軽い。何歳になっても好奇心知的探求心が衰えないのだろう。

少しでも気になった事があればその日の帰り道で専門書を買って熟読、海外だろうが平気で現地に赴いたりする。

常に勉強を欠かさないし、当人は「勉強」を苦を伴うものと思っておらず、むしろ楽しんでいるのだ。

類は友を呼ぶのか、周囲の家族や友人も相応に知的な人が多く、頽廃的だったり怠惰人間はあまり見受けられない。

当然、教養のある人はそれ相応の社会的地位についていることも多い。

社会的地位を獲得した後に付け焼き刃で教養を身に付けたのだろうか?いや違う、幼少期からの習慣の積み重ねだろう。

こういった知的な態度を有する人たちに接すると、無教養・無学な自分コンプレックスを非常に刺激される。

教養のある人達の会話はありきたりな雑談の途中で話題が予想しない箇所に飛ぶのだ。

姫路城改修から池田輝政の功績に飛んだり、クリミア半島からソルジェニーツィン著作に飛んだり。

ベラスケスやらサルトル、後期コルトレーンの話が出たこともあったが、無学な自分ではちんぷんかんぷんだ。

こちらが話題に参加できないでいると「あ、興味ないよね〜。うんちく晒してごめんごめん。」とすぐに平謝りし、

それ以降はグッと敷居を下げた会話(ワールドカップやらジブリアニメ、近所の旨いラーメン屋の話など)を展開してくれる。

こういう出来事が何度かあると、彼らはそのことを覚えているようで配慮からハードル高めな話をあまりしてこなくなる。

その「優しい配慮」が、かえって悲しいような悔しいような不思議感覚自分の中に呼び起こさせた。

上記の行動は、彼らの衒学趣味由来の嫌味や当てこすりだろうか?私にはあまりそう思えない。(ゼロではないだろうが。)

第一、こんな何処の馬の骨分からん小僧マウンティングしたところでなんの得もない。

なんというか彼らの「知」に対する基本的スタンスは、自分のそれと一から十まで

まるで異なっていて、そのほころびに自分勝手につまづいて痛がっているだけなのだろう。

痛がっている自分を見て彼らは「まずい!」と察し、ほころびを取り除くために

平易な話題シフトしてくれいているのだ。その気遣いが余計に胸に刺さった。

加えて彼らの凄いところはジャンルの垣根を設けずに、気になったら徹底的に探究する姿勢だ。

自分子供の頃から怪獣映画が好きなので彼らとの酒の席でシンゴジラ話題が出た際に、

第五福竜丸被爆事件からゴジラ誕生した、田子の浦港ヘドロ公害からヘドラが生まれ

バイオテクノロジーの隆盛からビオランテが生まれた、シンゴジラは言うまでもなく津波原発である

といったような感じで社会問題ゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列簡単に話した。

すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。

ありがとう勉強になった。もう少し調べる。」とその場でアマゾンを使い、DVD解説本の購入を済ませていた。

うーむ、この人たちには逆立ちしても敵わないなぁ、と帰りのタクシーで溜め息が漏れた。

(次に会った時には彼は初代ゴジラはもちろん、宇宙大戦争やらサンダ対ガイラまで鑑賞済だった。これには舌を巻いた。)

彼らは目の回る忙しさの合間を塗って絶えず教養を身に付けているのだ。多忙な彼らの何倍も時間を有している自分には教養がない。

自分も彼らのような「知」に対して極めて能動的な人間になりたいが、どうやったら彼らに少しでも追い付けるのだろう。

なんにでも興味を持つ知的探究心。古典から新書まで常に読書を怠らない継続力。そして読書で得た知見をすぐに実行してしまう行動力

自分のように怠惰で流されるままに生きているような人間では彼らの足元にも近付けそうもないが頑張ってみよう。

ソルジェニーツィン、読んでみますね。あ、ドストエフスキーすら読んだ事ないからまずはそこからか。

2018-10-05

右翼歴史に残る思想家がいないのってなんでだろ

たとえば左翼マルクスアルチュセールサルトルがいる

しか右翼思想家ってだれがいるんだろう

2018-09-24

16 ルネサンス

モンテーニュ『エセー』(70)

17 古典主義・理性尊重・豊かに

デカルト

パスカル

ラ・ロシュフコー箴言集』(95)

ラ・ブリュイエールカラクテール』(98)

18 擬古典主義啓蒙主義ロマン主義

モンテスキュー

ヴォルテール 文明最高/人間クソ

ルソー 文明クソ/人間最高

19 ロマン主義写実主義自然主義象徴主義

セナクール『オーベルマン』(142)

アミエル『アミエルの日記』(143)

ヴィニー『軍隊服従と偉大』(148)

ネルヴァル『火の娘』(160)

バルザック人間喜劇』(168)

スタンダールアンリブリラールの生涯』(173)

フロベールブヴァールとペキュシェ』(188)

ゾラルーゴンマッカール叢書』(202)

モーパッサン脂肪の塊』(204)

レオン・ブロワ絶望者』(209)

20 資本主義世界大戦

ロジェ・マルタン・デュ・ガールチボー家の人々』(235)

サン=テグジュペリ人間の大地』(242)

サルトル

カミュ異邦人』(260)

構造主義

その他

フランス名詩選』 岩波文庫

肉体の悪魔』 レイモン・ラディゲ

狭き門』 アンドレジッド

ボヴァリー夫人』 ギュスターヴ・フロベール

フランス小説の扉』 野崎 歓

モーパッサン短編集』1~3

2018-08-28

クソインターネッター、クソクリエイター、クソオーソライザー、クソインフルエンサーに物申す

おまえらのやってることなんて格差拡大装置しかなってねーんだよ。

インターネットが新しい産業になって社会を変えるなんて息巻いたのはもう何十年前だよ。実際にインターネットで起こっているのは格差拡大嫉妬怨嗟承認欲のるつぼ地獄じゃねーかよ。ネット民主主義も変わるとか言ってた人もいるが結局はさらタコツボ化が加速して自民党支配のそこらへんの村社会と同じじゃねーか。

SNS自由な発信の場だとか言ってるお花畑連中もどんだけ自分無謬性に無警戒なのか笑うわ。おまえら自由ってのはおまえらが見たいものだけ見て村化する自由だろ。そんなのはから各地で点在してたんだよ。それがインターネットを介してるから新しいんだってアホか。おまえら所詮人間なんだよ。

クソクリエイターもも一緒だよ。ネットクリエイト云々なんて言ってるけどおまえら創作物なんて他人時間無意味に奪うだけのクソシステムしかなってなくて功利的に人類幸福にまったく寄与してねーんだわ。残念ながら。クソ言論も一緒だよ。おまえらの言ってることなんてすべて過去歴史存在していてネットで得る思考とか価値観なんてものニーチェサルトルの足元にも及ばないわけ。

クソオーソライザーどももだよ。ランサーズとか完全に格差拡大のクソ業者だろあれ。バリューとかタイムバンクも一緒だよ。おまえらのやってることは市場化してその市場恩恵かすみをすくってるだけでいっさいの社会的意義なんかないんだよ。どれだけ綺麗なオフィス承認顔して仕事してんのか知らねーけどな。

ゾゾタウンヤフーアマゾンもてめーらみんな同じだよ。権利市場化することで需要の奪い合いに着手して金儲けしてるだけでなんの意義があんだよ。てめーらのクソ市場のせいでせどりとか転売するクソが増えてクソが出す注文のせいでトラック運転手が月給20万で家にも帰れず運転してんじゃねーか。クソ死ね

インフルエンサーも同じだよ。そもそも人を啓蒙しようとか私は人に影響を及ぼせる人間だとかい人間がクソほど嫌いなんだけどよ。おまえらのやってることも結局需要の奪い合いでしかねーじゃねーかよ。どんだけ自己肯定感つよいんだよ。その自己肯定迷惑からやめてくんねーかな。

インターネット自明だとか時代だとか自然だとかいうクソ言い訳はもう聞き飽きたよ。定量的功利的に判断してインターネットで巻き起こっているすべてのことはクソだろ。ビジネスにしてもSNSにしてもてめーら結局金と承認が欲しいだけなんだろ。いちいちお題目みたいにクソ理念を綺麗な表情で唱えてうざったいんだよ。じゃあな。クソインターネット

2018-07-31

オナニーで逝った瞬間に唐突サルトル名前が頭に思い浮かんだんだがこれが賢者タイムなのか

2018-07-07

anond:20180707220820

カミュとかサルトル受け売りなんで、その辺りを読んでみると、色々得るものがあると思いますよ。

2018-05-31

左派思想家はたくさんいるのに

マルクスとかレーニンサルトルフーコー左翼だ。

右派の偉大な思想家はなぜ存在しないのか?

2018-03-30

anond:20180330021658

共時性と通時性と議論でしょうか。

ざっくり言えば、ストーリーがある物語は通時性の性格を持っていて、元増田のいうキャラクター世界観は、共時性性格が強いのでしょう。

これって、神話など、伝承的な物語とかでもはっきりしたストーリーのないものがあったりするので、そうおかしなことではなくて、むしろこれまでのあり方が通時性に偏重していたと考えてもよいのかもね。

ネットを通じて、不特定多数の人と、共時的な場の共有ができるようになったけれど、それまでは、直接にあったときしか共時的体験をすることは難しかったんじゃないかな。

もうちょっとにわか知識をひけらかすならば、通時性の共時性に対する優位を主張するのは、サルトル実存主義の負の側面であって、両者に本質的な違いはないと構造主義的に(ないしはレヴィストロース的に)思います

2017-12-01

小説を読まずに文章力アップさせたい

文章能力をアップしたい。

ここやネット投稿したとき文章自体についてのコメントではなくて本文内容そのものコメントがもらいたい。

とりあえず本を読もうと思った。そしてそれは20年くらい続けている。

私は年間100冊~300冊は本を読んでいるが内訳はだいたいアイドル写真集だ。

本を読めば文章がうまくなったり、頭良くなったりするんじゃなかったのか?

100冊の内訳は

70~90冊が写真集

残りの30~10冊が「入門○○」的なもの

小説は5年に1冊くらい

文章が下手な人は小説を高確率で読んでいないのか?

ちなみに上手に文章を書く方法的な本は過去に20冊くらいは読んでいるつもり。(年1冊程度)

小説を読みたくない理由は、話自体に全く興味が持てないから。

ここ最近で読む気になった小説は以下で団地妻メイドの話くらいしか全部読めていない

宗教経典ストーリー仕立てになってたか小説にしておく)

団地妻の話

メイドの出てくる話

IQ86(とても読みやすくて三分の一くらいは読んだが全く続きが気にならずに読む気になれない)

ノルウェーの森(上に同じ)

サルトルの本(哲学書らしいが小説仕立てになっていて全く面白く感じなかった)

私はどうして小説を読み進められないのだろう

他の本(写真集折り紙の本)は難なく読破してきた。

面白い小説を知らないからというアドバイスが欲しい気もするが、これだけは読んでおけという小説ドラマアニメ・・・

なぜか全く見続けられない。

我慢してみることはできるがアイドル折り紙の本を読んでいるようなわくわく楽しいなという新鮮な感覚には至れずその結果二度と見るかというループにはまってしま現在に至る。

小説好きな人芥川龍之介が好きで興味があってマニアなのか?だから読み終わるのか?

それとも文章を読むのが好きすぎて文章だったら誰の書いた文章でもいいのか?

全く知らない言語で書かれた同じ量の一冊を一字一句眺めている方が楽かもしれない。

2017-10-22

anond:20171022134700

元増田じゃないんだけど実存主義で思い出したことがある。

大学生とき、昔から何もできない自分が嫌でせめて哲学書を読んで思想理解しようと思ってサルトルを読んだりしてた。

それで自分では実存主義理解したつもりになってた。

その後大学の授業である女の子と知り合ったんだけど、その子は幼少期から父親DV、両親の離婚、付いていった母親統失発症虐待、そこからの逃亡とかで苦労してきた人だった。

普通な心が折れるような波乱の人生を乗り越えてきたからか物凄い努力家でめちゃくちゃ優秀な子だった。

ある時、その子の考え方を聞く機会があった。

その考え方っていうのは、物事自分がやりたいかやりたくないかだし、選んだことに対しては責任を持って遂行するしか自分気持ちが救われることは無いということだった。

自分はそれを聞いてびっくりした。

それはサルトルの言う実存主義そのままだったから。

の子は本は全然読まないらしいから、多分哲学書を読んで得た思想とかじゃなかったんだと思う。

自らの経験を通してずっと考え抜いてきて、それに基いて行動していた。

自分サルトルの本を読んで実存主義、というか人間がよく生きるということがどういうことか分かってた気になってたけど、結局それは行動に移してなければ意味がないんだなと理解させられた。

そのことで自分主体性を持つということを学んで、自分はその当時他に比べると少しは興味のあった情報系の学問を究めることにした。

そして責任を持って色々な選択をした結果、今は情報系の研究職に就いている。

自分もそうだったけど、元増田無駄努力はせずにコスパ良く今の社会構造でできるだけマシとされるところに行きたい人なんじゃないかなと思う。

でもその生き方だと元増田が言うように薄っぺら人生に嫌気が差してくるんだよね。

もし少しでも元増田がそこから脱出したいと思うなら、少しこだわりを持ってみてもいいんじゃないかなと思う。

長くなったけど、元増田には今より少しだけ頑張ってみて欲しいと思う。

2017-10-10

https://anond.hatelabo.jp/20171010002131

その人の人生経験とかで何が刺さるか変わってくるから社会科学は。

から一概には言えんが、やっぱマルクス入り口として良い。最近入門書が山ほどあるし(池上彰、ハーヴェイ、不破)、何より単純に面白い

そっからケインズとか読んでも良いし、現代思想に進んでも良いし、キリスト教に行っても良い(マルクス主義キリスト教異端なので)。

ヘーゲルなんかに行っても良いけど趣味

哲学ならサルトルニーチェ辺りがやっぱ分かりやすい。マルクスと合わせて読むとジブリ映画意味が良く分かる。

でもやっぱ行き詰まるので、結局ここでもキリスト教勉強せざるを得なくなるが。

法律学は暇な理系大学生がなぜか勉強してたりするんだけどお勧めしない。

本を読むだと理解できないし、法律根底にある原理内面化して人格が歪む。簡単に言えば橋下徹みたいになる。

あとはもし増田北大生なら内村鑑三でも読んでおくといい。

2017-10-02

https://anond.hatelabo.jp/20171002233022

人によって悩みや関心が違う以上、これを読むべきなんてとてもじゃないが言えない。ネットに山ほどブックガイドがあるし、その中から気になるやつを読めば良い。

(とはい大学生なら大体ニーチェサルトル辺りにハマるんじゃないかと思うけど。)

ただ、いまブックガイド見てたら安直ドストエフスキートルストイを勧める輩が多いんだけど、この辺は聖書理解がないと全然わからんので注意。この点の留保なく勧めてくるやつは大体読んでない。

2017-08-31

[]ニーアオートマタ 5h

インストリー遊園地クリアしてロボットの村まで行って、ろぼっとなのにほんとに人間の敵じゃないの?って疑いを晴らすために、レジスタンスの人に届け物を渡しに戻ったところ

サブをこつこつやってた

迷子の妹ってやつとサルトルの憂鬱ってやつ

まだ現時点ではファストトラベル解禁されてないから移動がめんどくて心折れそうになった

とくに後者

パスカルの村から遊園地との2往復はまだいいとして砂漠までの2往復がうざすぎた

というか時限あっても3週目まで行けば好きに選べるらしいからとりあえずクリアするかな

とりあえずクリアで満足してしま可能性もあるけど、現時点でストレスためて時間かけてやるのは社会人にはしんどい

2017-08-18

オートマタに関しては、

朗読コンサートも是非。

台本から観た千秋楽の衝撃…。

## オペ子6Oの登場する台湾公演や如何に…。

NieR Music Concert Blu-ray人形達ノ記憶≫ NieR Music Concert

| SQUARE ENIX

http
//www.square-enix.co.jp/music/sem/page/nier/concert2017_BD/

小説も如何に…。

小説NieR:Automata(ニーアオートマタ) | スクウェア・エニックス e-STORE

# : http://store.jp.square-enix.com/item/9784757554368.html

オートマタ本編でいうと、

やはり、Eエンドの演出。042の「繰り返す…」の流れ。

三周目の冒頭からの怒涛の流れも良かったです。

上げてから落とすパスカルイベントも…。

エミール追憶からの「同胞達の行方」の流れ。

記憶喪失」や哲学する機械生命体も良い伏線でした。

その他、本編を補完するサブクエたち。

ロミオ達とジュリエット達」や、

A2+ポッド漫才も良き息抜きになりました。

おのれ、サルトル…!

パスカル村の大型機械生命体の最後や、

論理ウィルス感染後のポッドの回答までの間も、

何気に…。

ウィンドウショッピングのくだりと2B最後場所…。

セーブ削除後、再度、最初から周回プレイをすると、

初見とは違った印象をもつのもまた…。

→ 「その戦いに誇りを…」を受けた2Bさんの表情、とか…。

→ 「裏切りのヨルハ」では話さな2Bさん、とか…。

バンカーが落ちたからそこ出来た自己犠牲、とか…。

2017-07-12

https://anond.hatelabo.jp/20170712225424

宮崎駿って、①戦争が身近にあった世代で、②マルクスサルトル精通したインテリで、③児童文学をはじめとするさまざまな本を読んでて、④技術力も満点、⑤仕事場保育園があっていつでも作品の受けが確認できて、⑥鈴木敏夫っていう商業主義的なパートナーがいる、っていう点でかなり特異。

これを継承できる人が今後出るかっていうとかなり微妙。とりあえずは庵野秀明なんだろうけど、特殊戦後世界一だった日本映画が徐々に衰退していったように、アニメ映画界も衰退していくような気がする。

2017-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20170414183358

スマホで書いてるだけなので、適当駄文になるだろうけど。

何年か前までは毎日のように新聞記事を読み漁っていた。1日5時間かける日もあった。真面目に読んで整理してとやるとそれくらいかかる。

きっかけはイラク戦争前に大量破壊兵器があるという証拠もないのに攻撃が始まり占領後結局なかったこと。

戦争は結局話し合いが決裂したらいつ起こってもおかしくないというものしかない。かつて核開発を放棄した例で、リビアカダフィ大佐がいた。北朝鮮もこの件に関心を寄せていたらしい。どんな交換条件が米などから提示され、カダフィ大佐はどう今後の自分安全を守るつもりかを知りたかったのだろう。

結果カダフィ大佐は数年後の"アラブの春"の一連の政府転覆さなか潜伏場所がばれ自国民になぶり殺しにされた。北朝鮮も当時核開発の放棄をするべきではないとの論説を出していたはず。アラブの春と同じことが北朝鮮で起これば止めようがない。政治とは参加する人が動かすものだ。そもそも我々は日本語ではまともな情報を得ることすら難しい(それが僕が新聞を読み見込まなくなった理由だ)。またこの国には発言権を大きくするために使える力が特にないのだ。政治家も国際会議で何もできないなら黙っていろと言われたらそれ以上何も言えずに帰ってくるのではないだろうか。

一部のリアリストに言わせると、我々リアリスト理論では日本核武装しない理由説明できないが、日本存在するのもまたリアルなので理論修正しないとということらしい(内容は知らないがそれでネオクラシカルリアリズム:新古典派現実主義みたいなのができたのだと聞いた)

また最近ふと考えた。個人主義は、人間はどうしても矛盾してしまうというような問題も、各個人問題として向き合わないとダメなのではないかと。リベラル個人自由を求めているんだから結局は個人主義からそれをやらないとと。保守派というのは、そもそも人間限界を認めているからこそ、古くから続いている制度風習価値を認めているわけで。

ヘーゲルやそれを批判的に発展させたというマルクスレーニン主義は、理性に全幅の信頼を置いていたが失敗した。サルトル最後まで擁護していたというがその後はもういないらしい。つまり人間の理性はどうせ間違えるという考えの人ばかりがこの世界にいる。

みな自分の間違えが明らかになって修正必要があれば修正するという人ばかりだろうか?批判されれば耳を貸すだろうか?

そんなことはない。人間幸せは信じたいこと信じたいように信じることなんだという様に最近考えるようになった。悪いのはやつらだと言い続ければ、自分の信じることが間違っていてもその考えをしばらくは延命できる。ミサイルが頭上に降ってくるまでは。

からいずれミサイルは降ってくる。

前の戦争体験した人は一巡して消えつつある。80年周期で世界は激動気を繰り返すという説がある。太平洋戦争勃発が1941年。その80年後は2021年

人間は結局おろかだし、おろかであるということを認めるのも辛いことだ。リベラル個人の辛さをわやらげる社会でないとと言うだろう。また人モノ金の動きは早すぎて保守をやるにはもう世界は狭すぎるようだ。

日本人戦前から海外から見れば、一見おとなしいが怒りだすと手がつけられなく、何をしでかすか分からない人々という評価が続いている。また中に入って観察した人も、良い面もあるけど、本当の事を言ってはいけないというやり方をどうにかしたほうがいうのを聞く。

ミサイルが降ってくる前に本当の事をもっと語り合わないといけないと思う。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん